「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「鹿苑寺の裏庭」

2007-01-28 15:31:35 | 和歌

 京都・鹿苑寺では金箔を張りめぐらせた舎利殿の、絢爛たる佇まいが余りにも有名であるが故に、殆どそれ以外について紹介されないのは残念だ。





 参道和総門の内には、逞しく根を張った「一位樫」が迎えてくれるが、古色蒼然たる風情には眼を奪われる。また、裏庭の苔むす松林では、絣の仕事衣とモンペ姿のオバちゃんが、晒しの手ぬぐいで「姉さん被り」をして、黙々と仕事をしていた。竹を細く削って作ったしなやかな熊手で、苔を傷つけないように細心の気くばりをしつつ、松葉を掻いていた。苔むす松林をいたわる彼女等の想いとその姿は、足利義満の時代から少しも変わっていないのではなかろうか。

 更に歩を進めれば、庵に連なる枯山水に、絶えることない清流を観る思いがした。苔むす一位樫と言い、松林といい、或いは枯山水にも古人の見事な精神性が窺がえる。名もない人々によって営々と守られてきた庭園は、金閣舎利殿をも凌ぐものを語りかけているようだ。

 六百年の歳月を越えて、ひたすら落葉を掻き、苔をいたわり、自然の美しさを見事なまでに惹きだし、風情を守ってきた人々の思いを、噛みしめたひと時であった。






             金箔の煌めく舎利殿めぐり来れば
 
             松葉掻きおり苔をいたわり



             生す苔はながらふ命にあらねども
 
             松葉掻く人の思いを酌みにし



             水のなき枯山水に流れ観て 

             せせらぎ聴くかないにしえ人はも





 

「大雲山龍安寺の川鵜」

2007-01-20 03:20:43 | 和歌

 龍安寺の石庭では、暫しの瞑想と大宇宙観をも覗けるかもしれないと、仄かな期待を寄せていたが、到底及ばぬことであった。キャメロンくんの次元に波長を合わせていたのでと、己に言い訳をする凡人・虚庵居士であった。

 方丈を退出して、キャメロンが両手を広げて「とうせんぼ」する都度、ジャンケンで逃れ、追いかけっこを楽しみながら桜苑を経て鏡容池に至った。そこには石庭とは打って変わった世界があった。水面に出た小さな岩の上には、何と、川鵜が端然と座していた。俗間に在れども「心頭滅却」の偈を会得したかのような、修行僧の姿に見えた。「大雲山龍安寺の川鵜」ともなれば、池上に座禅の場を得て悟りを啓き、虚庵居士も及ばぬ崇高の世界に生きるものかもしれない。このことを娘に話したら、「耄碌したじじの妄言」てな目つきであった。

 俗世に生きる虚庵居士は小雨がぱらついきたので、あたふたと茶所に駆け込み、熱燗と蕎麦を注文する仕儀であった。高邁な偈を公案するよりは、腹の虫を治めるが先決との「悟り」を得たわけでもないが。

 同行のキャメロンはじめ家族全員、誰もが異議を唱えないのは、おおよそ同じ次元の凡人ということであろう。







             常ならめ池上の岩に川鵜座すは 
 
             身じろぎもせず無心なるべし



             方丈の濡れ縁に座し半眼の
  
             あまたの人びと川鵜に及ぶや



             かそけくも水面を乱す氷雨さけて  

             茶所に酌むささは佳きかな







「梅小路・蒸気機関車館にて締めくくる」

2007-01-16 02:11:02 | 和歌

 三十三間堂を訪ねた。
お堂への入口では香が漂い、流石のキャメロンくんのギャング振りも、たちまち修まった。




 千一体の「十一面千手千眼観世音」と、雷神と風神及び二十八部衆像は、時の流れを超えて暗い堂内に粛然と並んでいた。キャメロンくんが怖がるのではないかと心配したが、つぶらな瞳を輝かせて、興味津々の体であった。ママに優しく説明されて、一緒に手を合わせて祈る稚い姿は、千手観音に劣らず凛としていた。

 渉成園では池泉を廻り、キャメロンくんは例によって名カメラマン振りを発揮していたが、踏み石によろけて、ジジのカメラが手から落ちて毀れるハプニングもあった。




 最後のお楽しみに残してあった梅小路の「蒸気機関車館」では、石炭の黒い煙と、白い蒸気を吐きつつ走る本物の「チューチュートレイン」にキャメロンは眼を瞠った。運転台に乗込み、汽笛を鳴らし、頬を真っ赤に染めて、夢中になるキャメロンであった。旅の締めくくりは、無我夢中のひと時であったに違いあるまい。






             逞しく居並ぶ機関車を指さして

             どうして? なぜなの? 走らないのは!



             本物の チューチュートレィンって デッカイな
 
             汽笛を鳴らして ボクは機関士



             京に来てあまたの歓び受けしかな
 
             孫との旅の日々を思えば
 



 

「嵐山・天龍寺に遊ぶ」

2007-01-15 10:13:36 | 和歌

 京都の観光も三日目、「市バス」の利用にも大分慣れた。
縦横に走る市バスの運行システムは、市民と観光客のニーズを酌みとって、誠に便利で安価な足を提供している。今回の京都観光は、原則として便利な市バスを利用することにした。

 嵐山に向かう市バスは、西大路を離れると暫らくは狭い道路を走ったが、やがて桂川に掛かる渡月橋を渡って、天龍寺の門前に到着した。

 桂川は渡月橋から上流の一キロほどはゆったりとした流れだが、更に上流の保津峡下りは、スリルを求める現代人には人気があるようだ。そんな遊びを知る由もないキャメロンくんは、川舟に乗りたいと言い張って、ついに付き合うこととなった。寒空に舟遊びする物好きを観て、川岸の観光客は一斉にカメラを向け、手を振っている。





 天龍寺の大方丈から見る庭園は、嵐山を借景にした壮大なものだった。程なくして山の端に陽が翳ると、暮れなずむ気配に庭園は次第に気韻を含んで、夢窓国師・疎石の禅の世界へ導かれるかのように思われた。






             おさな児にせがまれて乗る川舟は

             連れ舟なくも冬鳥寄り来ぬ



             保津川に花の筏の浮かぶころ 
 
             また舟遊びせむ孫を伴い



             いつしかに陽は山の端に翳りけり 

             曹源池に禅師を偲べば






「鹿苑寺・龍安寺・わら天神に参詣」

2007-01-14 16:56:38 | 和歌

 遅い朝食の後、ジェフリー夫妻は出掛ける前にシャワーを浴びるという。時間の節約観念がないアチラ風にシビレを切らしつつ、鹿苑寺の門をくぐったのは、既に正午を過ぎていた。





 燦然と輝く金閣舎利殿に、全員が思わず息を呑んだ。
四歳の孫にカメラを向けると、何でもヤリタガリ屋の彼は、「キャメロンがとる!」と言い張って、忽ちカメラボーイに変身する。舎利殿の金箔や、龍安寺の石庭の岩と砂紋は、彼の目にどの様に映ったであろうか。石庭は意外に狭いが、砂紋と、その中に布置された岩とが醸しだす無限の広がりと、含蓄は絶妙だ。





 娘の希望で、帰路には「わら天神」を参拝した。観光案内によれば安産の神様を祀ると言う。授かった「わらの御守」に節があれば男の子、なければ女の子が生まれると言う。

 果たして「ゴリヤク」は如何ならむ。
来年のお礼参りをジェフリーに問えば、cooperation次第だと笑う。






             雲間より射し来る陽射しに金閣の

             鳳凰 煌き 飛びたたむとす

 

             軒下に揺らめく金波はいにしえの

             ひとの想いを映すにあらずや



             遠慮がちに「わら天神」の参拝を

             所望する娘の思いを知るかな

 

             品々の京の料理は二の次に

             小鉢を玩具に遊ぶ稚児かな






「京都・清水寺に遊ぶ」

2007-01-13 21:57:48 | 和歌

 「牛に引かれて善光寺参り」との古語があるが、牛ならぬ「キャメロン君」に付き合って清水寺参りの一日であった。





 娘は今回の帰国に先立って、京都への旅の希望を伝えて来ていた。日本の誇る崇高な伝統文化と自然を活かした古都の庭園を、夫君と息子に是非とも見せたいとの娘の希望は、虚庵居士夫妻にとっても共通の思いゆえ、同行することにした。

 幼児連れの旅は何十年ぶりであろうか。手荷物といい時間も行動も何もかもが、ゆとりがないと叶わぬものと知りつつも、ジジ・ババの立場で改めてそれらを実感させられた旅であった。

 清水寺では、「舞台の櫓」の木組みを下から見上げ、その匠の技にしびれていたら、「お握りを食べたい」とキャメロンがせがみ出した。近くの蕎麦屋でお握りをご無心し、「初恵比寿」では、家内安全と商売繁盛祈願の市民に揉まれて、ホテルに帰着したら日もとっぷり暮れていた。

 初めての「しんかんせん」に、夢見心地のキャメロン。
ジェフリーは塗装もしてない櫓の木材の耐久性が、信じ難い初日であったようだ。



      喘ぎつつキャメロンくんを首馬に
 
      乗せて急坂登るパパかな



      オニギリをせがむキャメロン清水の 

      蕎麦屋にとび込み無心するジジ



             キャメロンが通せんぼする帰り道は
             遊びて止まずもジャンケンしながら






「キャメロンのおえかき」

2007-01-07 23:28:37 | 和歌

 年末には、太平洋を越えて娘と孫のキャメロン君が来訪し、正月早々にはパパのジェフリーが合流したので、「うつろ庵」は一挙に賑やかになった。

 孫の璃華チャン一家も年末には合流したが、ビジネスマンの息子は、業績賞のご褒美で海外旅行券を獲得したので、正月は別行動となった。日頃からジジ・ババだけの生活に慣れている虚庵夫妻には、キャメロン王子様だけでもテンテコ舞の正月だ。





 此れまでも娘は、キャメロンのペインティング作品を沢山送って呉れたので、「うつろ庵」は既に「キャメロン画廊」になっているが、彼は来訪早々、白い紙を見つけては手当たり次第に描き始めた。ババが取り寄せた専門家用のオイルベースの色鉛筆セットがエラクお気に入りで、此れまでの指と絵筆のペインティングとは全く違う作風を編み出した。娘に教えられて自分の名前と、少々の平仮名とアルファベットが書ける様になった四歳の彼は、赤鉛筆で「ババ」を描き胸に「ば」を書き込み、黒で「ジジ」を描いて胸に「じ」を入れ、「きゃめろん」のサインを入れた。





 ジジと並んで坐り、筆立てから赤のボールペンを取り出して描いた「じじ」は、「表情も豊かで逞しいタッチは傑作だ」と褒めるのは、「ジジ馬鹿」そのものかも知れない。






             ジジと並びお絵かきするとキャメロンの

             寄り添い坐るはいとしき稚児かも



             たくまずも生きいき描けるじじばばに
 
             違える気配を観るは欲目か 







「丁亥(ひのとい) 歳の初めに」

2007-01-01 01:51:29 | 和歌

        明けましておめでとう御座います。

      皆様 それぞれに良い新年をお迎えのことと存じます。
      どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。








          紅に身を染め年賀に訪ね来し 

          肥猪(こえぶた) 屠蘇を 過ぎにけらしも