「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「ゴルフ場のパンパスグラス」

2015-10-31 01:11:24 | 和歌

 「パンパスグラス」の大きな白穂が、秋の陽ざしに輝いて目に沁みた。
Hennessyのポケット瓶を携えて、ゴルフと酩酊の二途を楽しむ虚庵居士流のゴルフだったが、「パンパスグラス」の応援が誠に鮮やかであった。



 シンポジウムの企画・準備やNHK偏向報道への抗議などが重なり、数か月に亘り、連日100通を超えるメール対応でパソコンに向かう日々が続いた。日頃から腰痛体操などで、体調を整えて来た虚庵居士だったが、長時間に亘りパソコンに向かい続けた結果、激しい腰痛と坐骨神経痛に見舞われた。

 整形外科の診断とリハビリ治療、自宅でのマッサージチェア、自己流の腰痛体操、杖に頼る散歩の励行などを4ヶ月重ねて、やっとゴルフが出来るところまで回復した。そんな事情ゆえスコアはボロボロの無残であったが、Hennessyと虚庵夫人の介添、「パンパスグラス」の応援でゴルフを堪能させて貰った。




           腰痛と激しい坐骨神経痛に

           杖を頼りの爺になるかも


           常日頃 腰痛体操続け来しに

           突如の腰痛 驚き至極ぞ


           専門医の世話になりつつ自己流の

           腰痛体操 必死に続けぬ


           腰痛と脚の痺れを我慢して

           そろりの散歩も 杖を頼りに


           わぎもこのこころのかいぞえあればこそ

           パンパスグラスのしらほがめにしむ






「庭園の石蕗」

2015-10-29 01:35:39 | 和歌

 「石蕗・ツワブキ」の季節になった。
10月から11月頃にかけて、庭の隅や垣根の足元などごく身近なところで見かける石蕗だ。背の低い丸葉から、花茎が立ち上がって咲くのがユーモラスだ。



 お送り下さった石蕗は大きな庭石に寄り添って咲き、それが庭石にも石蕗にもそれぞれに気品をそえて、庭師のセンスの良さが感じられる。

 石蕗は不思議なことに、何かに寄り添って咲く特性があるようだ。この写真の様に、庭石や或いは庭木の足元などに控えめに咲きつつも、その様な環境が却って石蕗の存在感をアッピールするから不思議な花だ。

 庭石に寄り添って咲いた石蕗だが、傍の松の枝葉をかい潜って咲くとは、これまた類い稀なコンビネーションではないか。面白半分に、庭師がこの様な環境を意図的に造ったのであれば、誠に憎いアレンジだ。またカメラで、この様なショットを写してお送り下さった片岡先生のセンスにも、感服だ。

 先生はパグウォッシュ会議の諮問委員をなさっているので、今ごろは長崎・伊王島での国際会議のご準備に追われているに違いあるまい。世界40ヶ国から約200人の専門家が参加すると伺っているが、核兵器と戦争の廃絶を訴える「長崎宣言」に向けて、世界が一丸となることを切に念じている。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

  

           庭石に寄り添い咲くかなツワブキは

           互いに気遣い気品を湛えて


           背の低い丸葉を下に花茎は

           背すじを伸ばして石蕗咲くかな


           ツワブキの黄花はそれぞれヤンチャかな

           チョッカイ出して笑いころげて


           庭石に沿って背伸びし松の葉に

           笑顔のぞかすツワブキ愛しき


           庭石と松と石蕗 組み合わせ

           庭師の描く絵画にあらずや






「背高泡立ち草」

2015-10-27 00:59:34 | 和歌

 久しぶりに箱根までドライブしたが、途中の道路沿いには「背高泡立ち草」の群花が咲き誇っていた。 そろそろ紅葉も観れるかなとの期待もあったが、まだまだで、 尾花と「背高泡立ち草」が精一杯の代役をつとめていた。



 海外から持ち込まれた「背高泡立ち草」は、一頃の繁殖には目を瞠ったが、その後急速に繁殖が減退した。 一説によれば急激な繁殖に依り、土壌に変化を齎して、 それが自らの繁殖を抑制したと何処かで聴いたことがある。自然の理なのかもしれないが、昨今では程々の規模での群花を見かける様になった。

 「背高泡立ち草」は名前の通り背が高く、大人の背丈ほどにも徒長する。
かなり真っすぐな茎は、太さがほぼ揃っていてかなり固いので、虚庵居士は数十本を刈り取って、簾を編んでテーブルセンターに仕立てた。

 地味な茎の肌はしっとりと落ち着いた雰囲気を醸しているので、虚庵夫人もお気に入りで、「うつろ庵」ではテーブルセンターや、小ぶりな簾は花器の敷物として重宝に活用している。 「背高泡立ち草」 とのこの様な付き合いを愉しんでいるのは、多分 虚庵居士だけかもしれないが・・・。




           道沿いに尾花と共に咲き誇る

           黄花の群花 背高 泡立ち草は


           走り去る車の風受け嫋やかに

           揺れて挨拶 背高 泡立ち草は

 
           背高の泡立ち草は何処から

           嫁ぎ来たるや大和の国へ 


           故郷を遠く離れて淋しからずや?

           斯くも多くの 朋もありせば!


           群花の黄花を誇るや背高の

           泡立ち草かな野原に拡がり






「藤袴・ふじばかま」

2015-10-25 13:08:22 | 和歌

 最近では殆ど見かけなくなった「藤袴・ふじばかま」との、久方ぶりのご対面だ。
秋の七草(萩・尾花・葛花・撫子・女郎花・藤袴・朝貌/桔梗)の中でも、ことさらに数が減ったのは、何故だろうか。万葉の時代からの日本古来の野花だが、自然環境が変わった証しかもしれない。準絶滅危惧種に指定されているようだ。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 序でながら、山上憶良の秋の七草の歌は余りにも有名だが、最後の「朝貌の花」には諸説がある様で興味深い。古くは桔梗をこの様に詠んだとするのが、有力な説の様ではあるが・・・。

 また藤袴は、漢方の生薬としても様々な薬効があることから、永く利用されて来た。生草には殆ど香りがないが、乾燥させた生薬は芳香を放つから不思議だ。虚庵居士の故郷ではガーゼの袋に入れて、お風呂に浮かべて愉しんだが、そんな子供の頃が懐かしい。
 

           懐かしき藤袴かな群花の

           咲きそむ秋となりにけるかも


           野に出でて秋の七草数えむと

           指折り歩めど片手を越えずも           


           殊更に藤袴の花この頃は

           野にも山にも見かけぬは何故?


           藤袴に田舎の秋をぞ偲ぶかな

           土手の草むら尾花も揺れて


           香り立つ干し藤袴の小袋と

           湯舟に浸かった昔を偲びぬ






「児童公園のコスモス」

2015-10-23 18:02:16 | 和歌

 住宅街の外れの児童公園にはコスモスが咲き乱れていたが、秋の気配を敏感に感じ取って実を結び、花時も終わりに近い様だ。 



 「うつろ庵」の近くの植込みが豊かな遊歩道を15分ほども歩けば、この児童公園に至る。 住宅街の公園の殆どに子供が遊ぶ姿が見えない昨今だが、此処は子供達のキャッキャと遊ぶ声が溢れる、類い稀な公園だ。
 
 さる老婦人が、草花の手入れを小まめになさって、花を絶やさないご尽力には敬服だ。 種を蒔き、或いは苗を植えて水遣りを怠らぬ彼女に出逢えば、「ご苦労さま」とさりげなく声をかける虚庵夫妻だ。老齢にも拘らず、移植ゴテやジョウロなどを自転車に積んで来られる姿には、頭が下がるばかりだ。

 子供達は、鬼ごっこやボール遊びで飛び跳ねて遊んでいるが、花壇のお花を大切にしているのには感心だ。黙々と手入れする老婦人の姿を、子供達も目にしているからに違いない。「無言の教育と躾」の効果には、目を瞠るばかりだ。


           コスモスは秋の陽ざしを感じるや

           何時やら結ぶ 実の数増えにし


           コスモスの

           いと細き首のくねくねと

           曲るは何故ぞ コスモスは

           首を伸ばして花付けて

           そよ風に揺れる花なるに

             なんの謂いかな 首の曲がるは

           
           吹き荒ぶ

           秋の嵐に背の高き

           コスモス堪えずに倒れしか

           助けを求め幾日か

           我慢の日々の続くらむ

             首をもたげて 花を支えて
            

           哀れにも

           わが子を嵐は荒ぶるや

           助けを求める声なくば

           数多の人々手も貸さず・・・

           お待ちなされと援け起し

             支えを結ぶ 老いにし婦人は


           コスモスの首の曲がるは幾たびか

           倒れて援ける歴史ならずや






「うつろ庵の木通」

2015-10-19 01:56:46 | 和歌

 「うつろ庵の木通(あけび)」の果実が、優雅に色付いた。
ガレージの庇に沿って延びる木通の蔓の中ほどに、手を拡げるような姿でふくよかな果実が初めて生った。ご近所の皆さんも「アケビが生りましたね」とご注目だったが、秋の到来と共に優雅に色づいた。



 春先には独特の花を咲かせて皆さんの注目を集めるが、「あけびの花」でご紹介したので、併せてお楽しみ下さい。(クリックするとリンク先が表示されます↑)

 信州・諏訪盆地に育った虚庵居士の子供の頃には、近くの山遊びで、アケビの実を蔓からもぎ取って、仄かな甘い果肉を口一杯に含んだ。 小さな種が沢山あるので、しばらくはお口をもぐもぐさせて果汁を呑み込み、残った種を勢いよく吹きだすのが、子供達のお遊びだった。

 そんな昔を懐かしむ間もなく、木通の果実が熟して割れ目が入った。
東京でのシニアの会議を終えて帰宅した晩に、木通は「待ってたのよ!」と訴えるかの如く、割れ目からは白い果肉が覗いていた。早速そっと鋏で切り取った。

 翌日のテラスでのランチには、デザートに木通の果実が白いお皿に並んだ。
子供の頃の食べ方が懐かしく、口一杯に含んだ果肉の甘味を愉しんだ後、庭の植え込みに向けて一気に種を吹きだした。子供にかえって遊ぶ虚庵夫妻であった。




           幾としも待ちにけるかなアケビ生るを

           「生りましたね」との ごあいさつうれし


           マイカーの出し入れの都度 仰ぎ見れば

           期待に応えるアケビの果実ぞ


           秋たてば優雅に色づくアケビかな

           ふる里遠く 昔を想ほゆ


           夜遅くアケビに帰宅のご挨拶

           アケビは割れて 「待ってたのよ!」と 


           あくる日のテラスのランチのデザートは

           白いお皿にアケビが並びぬ


           じじ・ばばは子供にかえり口の種を

           競いて吹き出し笑いころげぬ






「朝夕のご挨拶」

2015-10-16 20:15:17 | 和歌

 秋明菊の「朝夕のご挨拶」に、目を瞠った。
朝の光を感じて開花し、夕方が近づくと閉じかけ、夜は花芯が見えないように窄む。秋明菊の「朝夕のご挨拶」を、ものの見事に捉えた感性に感嘆した。
花を愛ずるとは、このような花との交歓を表す言葉であろう。

                     
                          撮影とご提供 片岡勝子様

 黒をバックに、秋明菊の嫋やかな表情を見事に捉えた力量にも敬服だ。
それにしても、同じ花をほぼ同じ場所から写して、これほど表情に変化が観られるのかと、改めて感心させられた。何気なく花は生き物、生花だと理解してはいたが、この様に活き活きとした反応を示す秋明菊花であったのかと、目を瞠った。
 

           朝夕のご挨拶かな秋明菊の

           朝日に微笑み夕べに窄むは


           斯くばかり活き活き表情変えるとは

           朝(あした)と夕べのご挨拶なれ


           花を愛でて言葉を交わせば表情の

           変化に目ざとく気付く君かな


           いや遠く秋明菊の嫋やかな

           ご挨拶うけこころ和みぬ






「山茶花の初花」

2015-10-13 13:23:59 | 和歌

 「山茶花の初花」の写真をお送り下さった。
蕾が綻びかけて、「にっこり」と微笑む表情に、思わずこちらも口元がゆるんだ。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 うす紅の外側の花びらに囲まれて、白い花びらが中に覗き、開ききっていない
山茶花の初花に、「待ってたのよ」と声を掛けつつシャッターを押したであろう情景が、瞼に浮かぶ。

 山茶花も椿も園芸種として人気が高いので、それぞれに固有の名前が付けられて、その数は枚挙にいとまがない。折角お送り下さった「名花の名前は?」と調べ始めたが、程なくして断念した。綻び始めた初々しい「山茶花の初花」にたいして、花図鑑の殆どは、満開状態の山茶花を写したもので、比較することが余りにも難しいことを思い知らされたからだ。

 この先、晩秋から冬にかけて様々な山茶花が目を愉しませて呉れるであろうが、 この写真の様な微笑みに出逢えればよいのだが・・・。
 

           山茶花の綻びかけし初花の

           微笑みにつられ口元ゆるみぬ


           山茶花の初花観つつ偲ばるる

           待ちにし開花を写す姿を


           山茶花はもの言いたげに綻びて

           思ひを告げぬ無言なれども


           この後はあまたの山茶花 競ふらむ

           微笑む乙女に如何ほど逢えるや






「椰子のおばけ」

2015-10-10 20:33:35 | 和歌

 「椰子並木に、『椰子のおばけ』が出たのよ!」
クラウンから降り立った、虚庵夫人の第一声だった。買い物からの帰路、夕陽が三浦半島の山並みに沈み、暮れなずむ椰子並木を走って来たら、『椰子のおばけ』が目に入って怖かったという。翌日、手を引かれる様にして確認に連れて行かれた。



 何時もは海岸のプロムナードを散歩する虚庵夫妻だが、手を引かれて行ったのは椰子並木の、住宅街側の外れだった。太い幹だが意外にも背の低い「カナリー椰子」が、たわわに実って垂れ下がっていた。



 夕暮れの、街路灯の朧な明かりでは「お化けの手」の様に見えたに違いあるまい。それにしても、何とまあ「なつめ椰子の実房」の見事なことか。

 カナリー椰子は「なつめ椰子属」のお仲間ではあるが、食用として持て囃されている「なつめ椰子」とは別種の様だ。
果糖とブドウ糖が豊富な「なつめ椰子の実」は、聖典コーランでは「神の与えた果実」と云われているが、カナリー椰子・ワシントン椰子の並木を散歩しつつ、「椰子の実」に涎を垂らす虚庵居士であった。


           帰るなり 「椰子のおばけ」と ふるえたつ

           わぎ妹子なだめつ明日見に行こうと


           あくる日に手を曳かれゆく椰子並木

           何時もと変らぬ椰子の並木は


           先に立ち 「椰子のおばけ」 は あそこよ! と

           カナリー椰子は 実房を垂れて


           何とまあ 見事な実房か カナリー椰子の

           棗の房の重たげなるかな


           聖典のコーランに称える棗かも

           神の与えた果実ならむや






「ピンクの秋明菊」

2015-10-06 18:03:33 | 和歌

 「ピンクの秋明菊」が精一杯に咲く姿は、何とも可憐だ。
咲きかけた花が首を傾げているのも、可憐な想いが更にくすぐられる。

 ピンクの秋明菊は、別名「貴船菊」とも呼ばれるが、京都の貴船地方に多いことから、この名前が付けられたようだ。

 先に掲載した「秋明菊・しゅうめいぎく」でも触れたが、土地の名を花の名前に留めているケースは、かなりの数にのぼることであろう。 それぞれ花に託す思いは、その土地の、或いは自分たちの花だとの、篤い思いが偲ばれるではないか。


                        撮影とご提供 片岡勝子様
 

           貴船から嫁ぎ來しかなこの花も

           可憐な風情が 未だ残るに


           名にし負う貴船菊かな秋風に

           揺れる風情の嫋やかにして


           咲きかけの首をかしげるこの花の

           こころを偲びぬ 可憐な風情に






「白花杜鵑草」

2015-10-02 11:34:38 | 和歌

 「白花杜鵑草・ホトトギス」の鮮明な写真をお送り下さって、感激だ。
見慣れた斑模様の花とは打って変わって、誠に清純だ。白花が在るとは聞き知っていたが、真近く観れるとは思いもよらなかった。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 念のため花図鑑で調べてみた。
「白花杜鵑草」の他に、「白花山路の杜鵑草・シロバナヤマジノホトトギス」との名前も持っていることが判明した。花の名前に態々「山路の」と謳っているところをみれば、元々は山中に自生していたのであろうか。

 山路を散策していて、こんな白花の杜鵑草に出逢った人は、さぞや感激したことだろう。枯れ枝をスコップ代わりにして、根を傷めぬよう大事に採取して、ご自分の庭先に移植したに違いあるまい。そんな粋人の姿が、瞼に浮かぶ様だ。


           稀に観る白花山路のホトトギス

           山路でなくもこころ奪われ


           花の名にわざわざ「山路」とことわるは

           山の林がふる里なるらむ
 

           粋人でなくも出会えばトキメキを

           抑えかねつも山路の白花に


           思い余り枯れ枝を手に土を掘り

           素手にて大事に持ち帰るらむ


           花の名に「白花山路の杜鵑草」と

           名付ける思ひに痺れかねつも