「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「春日神社の雄鶏」

2012-04-24 00:43:55 | 和歌

 「うつろ庵」から2キロ程も歩いたろうか、初めての散歩コースを凡その見当で歩いていたら、「神社の裏庭」に出た。巨木が茂る中に本殿・拝殿・社務所などが並ぶ春日神社であった。鳥居を潜らずに境内に足を踏み入れるのに気が咎めたが、神様のお導きであろう、折角のご縁で境内に足を踏み入れたのだからと、お賽銭を投じて虚庵夫人と並んで参拝した。

 春日神社の説明によれば、かつて東京湾の猿島が十嶋と呼ばれていたころ、島には十嶋大明神が鎮座していたという。その後、明治時代に猿島が軍用地に接収されたことから、十嶋大明神の拝殿は猿島から現在の地に場所替えして、名前も春日神社になったという。祭神は「天児屋根命・あめのこやねのみこと」だ。そんな説明文から目を上げて、ふと見れば、背筋をシャンと伸ばした立派な「雄鶏」が、境内に放し飼いになっていた。

 悠然と構える「雄鶏」は、虚庵夫妻が近づいても動ずる気配もなく、神輿殿の前に陣取って辺りを睥睨しているかに見えた。神輿の頂きには鳳凰の飾りが取り付けられていたが、その鳳凰にも負けず劣らず、その姿には威厳すら感じられた。


 
 帰宅してからも、「春日神社の雄鶏」のことが気になっていた。
天照大神を祀る伊勢神宮には、雄鶏が放し飼いになっているそうだが、春日神社の雄鶏も何か「いわれ」があるのかも知れない。意を決して社務所に電話した。

 「付かぬことを伺いますが、春日神社さんが雄鶏を放し飼いにしているのは、お伊勢さんの雄鶏の放し飼いと、何か関連があるのでしょうか?」と、おずおずと質問した。
電話の向こうの巫女さんは、春日神社の雄鶏の放し飼いが始まった経緯を、手際よくご説明下さった:

 「神社の近くのお宅に、何処からか雄鶏が紛れ込んで棲みつきました。雄鶏は毎朝きまって、早朝に大きな鳴声で時を告げるので、ご近所迷惑を心配されたそのお宅では、市役所・警察・保健所・動物愛護協会等々彼方此方にに連絡して、雄鶏の処分をお願いしました。その時の行政のご返事は『捕まえて、連れて来てください』との反応だったそうです。ご夫妻は、庭を逃げ惑う雄鶏を捕まえようと、必死でした。ところが雄鶏は咄嗟に高く舞い上がり、春日神社の境内に飛び降りたのです。それ以来、雄鶏は春日神社の境内が気に入ったようで、自分の縄張りよろしく棲みついております。」

伊勢神宮の雄鶏の放し飼いは聞き知っているが、神社と鶏の関連は不勉強で知らないので、神主が帰ったらお電話しますとの、丁寧な受け答えであった。

たかが「雄鶏」に関する質問に、神主が態々電話を掛けてくることはあるまいと思っていたら、先ほどの巫女さんから電話が掛って来て、「神主に代わります」と告げた。
替わった電話の声は意外にも女性だった。

 「女の神主ですの、おほほほ・・・。」
散歩の途上での雄鶏の出会いを告げ、お伊勢さんの雄鶏の放し飼いとの関連などを改めて質問した。

 「有名な『天岩屋』のお話はご存知ですか?」と問いつつ、神主は説明を続けた:

 「スサノヲの乱暴狼藉を怒り、天照大神は岩屋にお隠れになりました。高天原は暗闇になり、困り果てた八百万の神々は急きょ天の安河の川原に集まり、どうするかを相談をしたのはご存知の通りです。アメノコヤネが祝詞を唱え、アメノウズメが岩戸の前で桶を踏み鳴らして舞い、八百万の神々が囃し立てました。天照大神は何事だろうと天岩戸を少し開け、『自分が岩戸に篭って闇になっているというのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか』と、外を覗きました。岩戸の影に隠れていたアメノタヂカラオが一気に岩戸を開き、天照大神は岩屋から外にお出ましになられました。この時、鶏を集めてが高らかに鳴かせたことから、天照大神を祀る伊勢神宮では、神宮内に鶏を放し飼いにしております。」

 誠に丁寧で、簡明なご説明であった。

 「天児屋根命・あめのこやねのみこと」を祭神とする春日神社の境内に、図らずも雄鶏が舞い降りて棲みついたのも、『天岩屋』の前でアメノコヤネが祝詞を唱え、天照大神が岩屋から外にお出ましになられ、鶏が高らかに鳴いた古事記の世界とは、不思議な繋がりがあるのかもしれない。

 それにしても、悠然と構える「雄鶏の鶏頭」は、何と神さびて神々しいことか。
「鶏頭となるも、牛後となるなかれ」との古語が、何故か頭を掠めた。



          悠然と物怖じもせず身構える

          雄鶏きみはやしろを護るや


          神輿殿の前が己の居場所とぞ

          心にさだむや 微動だにせぬは


          雄鶏は黒き尾羽をピンと立てて

          鎧に茶羽織武将の風情ぞ


          神寂びるとかさを頂く鶏頭は

          祝詞の始祖に仕える面かも
          

          乱れ世を睥睨するらし雄鶏の

          姿もまなこも毅然たるかな


          お互いにまなこをシカと見つめ合い

          心を通わす鶏と爺かも






「雪柳の移ろい」

2012-04-20 12:21:35 | 和歌

 雪柳の早春の芽吹きをカメラに収め、ブログに掲載するつもりだったが、虚庵居士の都合などお構いなしで、春の移ろいは駆け足だ。

 3月初旬の雪柳の芽生えは、針金のようなか細い小枝に、緑の若芽が萌えて、ごく繊細な春の風情であった。そんな中に、狂い咲きの一・二輪が可憐な花を付けていた。
時期外れではあるが、捨て去るのには忍び難いので、ここに掲載した。

 桜の開花を待たず、雪柳は一足先に満開になった。

 細い枝に無数の小花を咲かせた雪柳は、春の微風にも敏感に反応して枝が大きく揺れ、その様は手弱女の踊りを思わせる。時には容赦ない春風がかなり強く吹くと、白い花びらの花吹雪となって舞い散ることになる。
「春風よ、そんなに強く吹かずにいておくれ・・・」
と祈る虚庵居士の思いをもて遊ぶかのようだ。そんな時の道路や庭先は、白い花びらが散り敷いて、これまた風情ある情景だ。

 そんな一・二週間を愉しませて呉れた雪柳だが、今では僅かな残り花が、新たに伸びた緑の小枝に交じって咲くだけとなった。3月初旬の芽生えから花吹雪まで、ほぼ二か月を雪柳とは沢山の会話を交わして来た。この先も「うつろ庵の雪柳」とは、枝の剪定など未だたっぷりと交流が続くことになる。


 

          凍てつける冬の終わりを敏感に

          芽生えは告げぬ春到来を


          一・二輪 狂い咲くかな雪柳の

          春陽を恋ふる思ひぞいとしき


          手弱女の風情に咲くかも雪柳は

          白き手かざして微風に舞へば


          春風よ強くな吹きそ雪柳の

          小花を散らすに しばしをとどめよ


          芽吹きから花吹雪舞ふ春の日の

          移ろい訓える雪柳かな


          白妙の小花の花びら散り敷けば

          掃かずにとどめん春の名残に






「みつまた・三椏」

2012-04-16 12:38:29 | 和歌

 「三椏」が道端に咲いていた。

 二週間ほど前になるが、虚庵夫人と共に久しぶりにドライブを楽しんだ。山際の小道で車を止めて道路に降り立ったら、図らずも目の前に三椏が咲いていた。


 
 団子状に身を寄せ合って咲く三椏は、周辺から咲きだして中ほどには未だ莟が残っていた。今年は寒気が何時までも残っているので、三椏の開花も遅れているのかもしれない。

 三椏は楮(こうぞ)と共に、樹皮が和紙の原料に使われることで有名だが、三椏和紙はシワになり辛く、丈夫なことから紙幣に使われているのは、意外にも皆さんはご存知ないようだ。紙幣の有難さは身に染みているが、紙の原料を詮索しても我が身の助けにならないことから、当然かもしれないが・・・。

 三椏は山間のやせ地でも栽培できるので、曾てはかなり栽培されたようだが、ここの三椏もその名残であろうか。


 

          山際の小道に立てば三椏の

          ぼんぼりに咲く花々迎えぬ


          身を寄せて小花咲くかも三椏は

          寒さをしのぐや小枝の先に


          三椏の花一房を摘み取りて

          妻にささげむ胸の飾りに


          鶯の鳴く聲も和す山辺かな

          三椏の花と語らいおれば






「尾根上のマンションと馬酔木」

2012-04-13 01:33:15 | 和歌

 小高い尾根の上に立つマンションを目指して、息を切らしつつ散歩した。

 体を鍛えていないので、坂道や石段がチョット続くと、膝が重くなり、息切れもするようになった。加齢による体力の衰えだとは認めたくないのだが、厳しめの散歩コースでは、現実を認めざるを得ぬようだ。
坂道でペースダウンした虚庵居士を尻目に、家内は坂道では元気が出て、ヒョイヒョイとペースが上がるのが癪の種だ。「僅かばかりの年齢差でも、これほど体力の差が出るのだろうか」などと、ブツブツ呟きつつ後を追う虚庵居士であった。

 坂道がかなり続くと、先にたってピッチを上げていた家内が道端の大石に腰を下ろして、虚庵居士の到着を待っていた。何のことはない、ピッチを上げすぎて息切れが激しく、虚庵居士が到着しても腰を上げられない状態であった。山登りの要領で、一歩一歩の足運びをゆっくりと、自分のペースを保つと意外に長持ちするのだ。そんな講釈をしながら、尾根の上のマンションに辿り着いた。
それにしてもマンションの住民は、何と健脚なことかと感服だ。

 一息つきながら、マンションの裏手に回ったら洒落た公園に出た。
小学生の女の子が二人で遊んでいたが、虚庵夫妻をみて「こんにちは」と元気よくご挨拶をしてくれた。公園の植え込みの「馬酔木」が、女の子の胸に飾ってやりたいような風情で、可愛らしく咲いているのが印象的だった。

 尾根の上から別のルートで平地に下りようと、マンションの住民に道を尋ねたら、「下の駅までエレベータがご座居ますのよ」と案内して下さった。何のことはない、坂道を息を切らして上り下りせずとも、彼らは日常的に文明の利器を使って、いとも簡単に尾根上のマンションに往き来しているのだ。住民の健脚に感服したのが、何か裏切られたような気分であったが、勝手な思いは住民に失敬というものだと反省した。


 

          息切らせ坂道上りぬ尾根の上の

          マンション目指す山登りかな

          
          マンションの住民たちの健脚に
          
          感服しきりのじじとばばかな


          公園に遊ぶおみなごじじばばに
 
          「こんにちは」との 弾む声かも
  

          おみな児の挨拶弾めば公園の

          馬酔木の花も鈴を鳴らすや


          帰りぎわに道を尋ねば意外にも

          エレベータ召せとの応えに魂げぬ






「母鳩の号泣」

2012-04-08 00:31:11 | 和歌

 「うつろ庵の鳩ポッポ」の子育ては、悲惨な結果になった。

 未だ明けやらぬ早暁、母鳩の号泣に虚庵居士は目が覚めた。
 「グッグーゴーゴー、グッグーゴーゴー、グッグーゴーゴー・・・・」

 抱卵を交代する際に交わした、ごく控えめな優しい合図の鳴き方とは打って変わって、深い悲しみのこもった号泣だ。外に出て、母鳩の鳴き声を辿ったら、近くの電柱の一番高い電線に止まり、巣を見降ろして、辺りを憚らず泣き続けていた。

 やるせない思いに沈んで、虚庵居士はリビングに腰を下ろし、呆然と鳩ポッポの巣を眺めていた・・・。

 母鳩は30分程も泣き続けたであろうか・・・。
 やがて母鳩は、巣に戻ってきた。
 巣の縁に佇み、首を傾げて、冷たくなって眠る我が児を見つめていた。

 どれほどの時間が経ったろうか。
 随分長い時間に感じられたが、ごく僅かな時間であったかもしれない。
 母鳩は、我が児を抱こうとはせずに、巣を飛び去った。
 ・・・・・・


 気が付けば、何も手が付けられない一日であった。
 
 鳩ポッポの悲しい鳴き声が、今も聞こえている・・・。
 「グッグーゴーゴー、グッグーゴーゴー、グッグーゴーゴー・・・・」




 

          ははばとのこころをしぼるなきごえに

          ひたんにくれぬるじじとばばかな






「ひび割れた泥岩と鳩ポッポ」

2012-04-07 02:18:20 | 和歌

 桜が咲いた春の一日、虚庵夫人を伴ってゴルフを楽しんだ。
好天に恵まれ、二人だけのラウンドはスコアを気にしないごく気楽なものだった。

 帰宅して玄関の扉を開く前に、素人庭師が改修した「うつろ庵の飛び石」が気になって、奥手の簡易ベンチに腰を下ろして暫し鑑賞した。ふと足元に眼をやると、海岸の波で削られて何処か鳩ポッポの姿に似た泥岩が、ひび割れていた。
咄嗟に、嫌な予感がした。鳩ポッポに異変が生じたか?



 リビングの西窓に急行した。
 カーテン越しに鳩ポッポの巣を注視したが、親鳩の姿は無かった。
 30分待ち、一時間待っても親鳩は帰って来なかった。

 これまでの鳩ポッポの挙動からすれば、あり得ない空白の時間だ。留守中に何か異変が発生したに違いあるまい。昨年の抱卵中の椿事が頭を過ぎり、お隣の東窓を見たら、何時もは締め切りの雨戸がパッカリと開き、部屋の明かりが煌々と燈っていた。

 親鳩は待てど暮らせど戻って来なかった。シビレを切らして窓から巣を覗いたら、孵化した雛が蹲っていた。ごく短時間の観察で定かではないが、二・三羽が頭を動かしているかのように見えた。暖かな春の一日は、日暮れ近くだった。

 孵化したばかりの雛のために、餌を漁りに出掛けたのだろうか? 
 抱卵中と孵化した後とでは、親鳩の行動も異なるのだろうか? 
 昨年の椿事と同様に、お隣の雨戸を開ける激しい軋み音に、身の危険を感じて避難したのだろうか? などなどが気がかりではあったが、そっと見守ることにした。

 悶々たる思いで朝を迎え、いの一番で鳩ポッポの姿を探した。何時ものように親鳩は巣に蹲り、雛を抱えている様子だったが、程なくして親鳩は飛び立った。

 昼食をとりつつも、親鳩が戻らぬのが気懸りだった。
昨夜来の気温が、意外に冷え込んでいるのが気懸りだ。孵ったばかりの雛には、親鳩の温もりと羽毛の保温が欠かせまい。鳩ポッポはどうしたのだろうか? お茶の時間も、夕刻が迫っても親鳩は帰って来なかった。

 意を決して窓から鳩ポッポの雛に手をかざしたら、動きが感じられなかった。
 掌で雛を包み込んだら、何と雛は冷たかった! 大変だ! 
 二羽の雛を掌で大事に掴んで、眼の前に引き寄せた。
 可哀想に、雛は息絶えていた。 
 
 そっと雛を巣に戻し、静かに窓を閉じた・・・。





          はかなくもきゆるいのちのなきがらを

          もろてにつつみて あたためんとするかな







「じじ・ばばと鳩ポッポ」

2012-04-05 01:40:21 | 和歌

 「うつろ庵」のリビングの窓のごく近くに、今年もまた鳩が巣作りして抱卵中だ。  

 実は昨年の6月下旬にも、多分同じ鳩の番だと思われるが、全く同じ場所で抱卵した。しかしながら、昨年は抱卵途中で椿事が出来して、可愛そうに子育ては成功しなかった。その際の経緯は、「西窓の鳩ぽっぽ」に詳しく書いたので、そちらを参照願いたい。

 昨年の巣が殆ど傷まずに残っていたので、鳩の番はごく短期間で営巣した。雄鳩は枯れ枝をせっせと運び、雌鳩が座り心地、卵の抱き心地を確かめるかのように巣作りをして、その連係プレー振りは見事であった。

「うつろ庵の」庭先で、雄が枯れ枝を漁る姿を見た虚庵居士は、飛び石の上に手頃な枯れ枝を集めて、鳩ポッポの営巣のお手伝いをした。昨年は雄の枯れ枝蒐集を、雌鳩への給餌動作かと勘違いしたが、リビングのカーテン越しで朧な動作を観察した結果、頻繁に雄鳩が飛来したのは営巣用の枯れ枝蒐集だと判明した。

 3月19日、鳩ポッポは抱卵を開始した。
鳩ポッポが蹲ったまま巣を離れぬので、卵の数は確認出来ないが、雄鳩の飛来回数はそれ以来ピタリと止んだ。雌鳩の食事はどうするのだろう? 雄鳩は給餌活動をしないのだろうかと、じじ・ばばは人ごとながら心配しつつ、そっと見守るほかなかった。

 以来、来る日も来る日も鳩ポッポは、卵を抱き続けて雄は知らん顔だ。一体どうなっているんだろうと心配しつつ、毎朝・毎夕「鳩ポッポはどうしてる?」との会話が、虚庵夫妻の挨拶代わりになった。そんなある日、近くで鳩ポッポの低音での鳴き声がした。
『ぼっぼー、ぼっぼーぐー、ぼっぼーぼっぼーぐー』
蹲って居眠りをしていたかに見えた雌鳩は、さっと首を持ち上げ緊張したかに見えた。ものの10秒か20秒後に雄鳩が飛来し、見事に雌鳩と交代して抱卵を継続した。

 虚庵夫妻の心配は氷解した。雌鳩と雄鳩が交代で抱卵を続け、その間に互いに食事を済ませていたのだ。それにしても、何とも見事な連携ぶりだ。鳴き声の合図もたった一・二回で、それもごく低音で、余ほど意識していないと聞き漏らす程度の音量だ。
番の鳩ポッポが二人で交わす交代の合図だと分かってからは、この低音の鳴き声が、何と心地よく耳に響くことか。

 鳩ポッポの巣は、「うつろ庵の吉備椿」の枝だ。



 この椿は花の色合いも姿も気品があって、虚庵夫妻の自慢の椿であるが、花蜜も殊のほか豊かで、小鳥たちにとっては掛け替えのないレストランといった椿である。日ごろからメジロやツグミが飛来するので、リビングに坐したまま小鳥たちの花蜜を吸う仕草を愉しんで来たがが、鳩ポッポが抱卵中と雖も、小鳥たちの飛来が絶えないのには驚いた。抱卵する鳩ポッポの目の前で、遠慮もなく花蜜を吸い続けるのだ。鳩ポッポも泰然自若としてそれを許しているのは、人間の感性では理解を超えるが、小鳥の世界ではごく当たり前なことかもしれない。抱卵という自然の営みと、厳しい自然の中で餌を確保する鳥達の、お互いを尊重し合う何らかのルールが在るに違いあるまい。

 4月3日は、異常な低気圧による暴風雨が吹き荒れて、虚庵夫妻を心配させた。
吉備椿の枝は鳩ポッポの巣を枝に抱きかかえたまま大きく揺れたが、幸いなことに、鳩ポッポは無事であった。抱卵している巣も傷んだ形跡がないのに、じじ・ばばは胸を撫でおろした。

 それにしても、抱卵を開始してから既に18日にもなる。鳩ポッポの子育てに掛ける熱い思いが、虚庵夫妻にもひしひしと伝わって、鳩ポッポの無事と、1日も早い巣立ちを念じずにはおれない。


          じじ・ばばの

          庵の窓辺にこぞ今年

          鳩の番は巣を作り

          卵を抱くは嬉しけれ

          朝な夕なのじじ・ばばの

          交わす言葉は鳩ぽっぽ

          如何にあるやと気遣えど

          ただひたすらに蹲り

          卵を抱くぞいとしけれ

          母鳩腹を空かすらむ

          何ぞ餌など与えむか

          悩むじじ・ばばその耳に

          小声の鳴き声ぼっぼぼー

          父鳩飛び来て卵をば

          抱く姿に涕して

          じじ・ばば手を取り安堵しぬ

             つがいの気遣い

                いたわる心に

   
          何時ならむ小鳩が口開け餌をねだる

          その日を待ちて窓辺を観るかも