「うつろ庵」から2キロ程も歩いたろうか、初めての散歩コースを凡その見当で歩いていたら、「神社の裏庭」に出た。巨木が茂る中に本殿・拝殿・社務所などが並ぶ春日神社であった。鳥居を潜らずに境内に足を踏み入れるのに気が咎めたが、神様のお導きであろう、折角のご縁で境内に足を踏み入れたのだからと、お賽銭を投じて虚庵夫人と並んで参拝した。
春日神社の説明によれば、かつて東京湾の猿島が十嶋と呼ばれていたころ、島には十嶋大明神が鎮座していたという。その後、明治時代に猿島が軍用地に接収されたことから、十嶋大明神の拝殿は猿島から現在の地に場所替えして、名前も春日神社になったという。祭神は「天児屋根命・あめのこやねのみこと」だ。そんな説明文から目を上げて、ふと見れば、背筋をシャンと伸ばした立派な「雄鶏」が、境内に放し飼いになっていた。
悠然と構える「雄鶏」は、虚庵夫妻が近づいても動ずる気配もなく、神輿殿の前に陣取って辺りを睥睨しているかに見えた。神輿の頂きには鳳凰の飾りが取り付けられていたが、その鳳凰にも負けず劣らず、その姿には威厳すら感じられた。
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帰宅してからも、「春日神社の雄鶏」のことが気になっていた。
天照大神を祀る伊勢神宮には、雄鶏が放し飼いになっているそうだが、春日神社の雄鶏も何か「いわれ」があるのかも知れない。意を決して社務所に電話した。
「付かぬことを伺いますが、春日神社さんが雄鶏を放し飼いにしているのは、お伊勢さんの雄鶏の放し飼いと、何か関連があるのでしょうか?」と、おずおずと質問した。
電話の向こうの巫女さんは、春日神社の雄鶏の放し飼いが始まった経緯を、手際よくご説明下さった:
「神社の近くのお宅に、何処からか雄鶏が紛れ込んで棲みつきました。雄鶏は毎朝きまって、早朝に大きな鳴声で時を告げるので、ご近所迷惑を心配されたそのお宅では、市役所・警察・保健所・動物愛護協会等々彼方此方にに連絡して、雄鶏の処分をお願いしました。その時の行政のご返事は『捕まえて、連れて来てください』との反応だったそうです。ご夫妻は、庭を逃げ惑う雄鶏を捕まえようと、必死でした。ところが雄鶏は咄嗟に高く舞い上がり、春日神社の境内に飛び降りたのです。それ以来、雄鶏は春日神社の境内が気に入ったようで、自分の縄張りよろしく棲みついております。」
伊勢神宮の雄鶏の放し飼いは聞き知っているが、神社と鶏の関連は不勉強で知らないので、神主が帰ったらお電話しますとの、丁寧な受け答えであった。
たかが「雄鶏」に関する質問に、神主が態々電話を掛けてくることはあるまいと思っていたら、先ほどの巫女さんから電話が掛って来て、「神主に代わります」と告げた。
替わった電話の声は意外にも女性だった。
「女の神主ですの、おほほほ・・・。」
散歩の途上での雄鶏の出会いを告げ、お伊勢さんの雄鶏の放し飼いとの関連などを改めて質問した。
「有名な『天岩屋』のお話はご存知ですか?」と問いつつ、神主は説明を続けた:
「スサノヲの乱暴狼藉を怒り、天照大神は岩屋にお隠れになりました。高天原は暗闇になり、困り果てた八百万の神々は急きょ天の安河の川原に集まり、どうするかを相談をしたのはご存知の通りです。アメノコヤネが祝詞を唱え、アメノウズメが岩戸の前で桶を踏み鳴らして舞い、八百万の神々が囃し立てました。天照大神は何事だろうと天岩戸を少し開け、『自分が岩戸に篭って闇になっているというのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか』と、外を覗きました。岩戸の影に隠れていたアメノタヂカラオが一気に岩戸を開き、天照大神は岩屋から外にお出ましになられました。この時、鶏を集めてが高らかに鳴かせたことから、天照大神を祀る伊勢神宮では、神宮内に鶏を放し飼いにしております。」
誠に丁寧で、簡明なご説明であった。
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それにしても、悠然と構える「雄鶏の鶏頭」は、何と神さびて神々しいことか。
「鶏頭となるも、牛後となるなかれ」との古語が、何故か頭を掠めた。
悠然と物怖じもせず身構える
雄鶏きみはやしろを護るや
神輿殿の前が己の居場所とぞ
心にさだむや 微動だにせぬは
雄鶏は黒き尾羽をピンと立てて
鎧に茶羽織武将の風情ぞ
神寂びるとかさを頂く鶏頭は
祝詞の始祖に仕える面かも
乱れ世を睥睨するらし雄鶏の
姿もまなこも毅然たるかな
お互いにまなこをシカと見つめ合い
心を通わす鶏と爺かも