「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「竜胆」 

2006-10-31 23:04:45 | 和歌

  伊豆のゴルフ場で、小さな竜胆に出会った。





 カート道路の脇の草叢に、背丈は十センチ足らずの竜胆が沢山咲いていた。沢山とはいってもコンペなどでゴルフに夢中になっていると、花などは目に入らないが、虚庵夫人を伴ってゆったりラウンドしていると、花が挨拶をしてくれるようだ。花屋で買ってくる園芸種の竜胆と違って草丈が短いので、草叢に腰を下ろした雰囲気で、花も草叢に埋まっている。花の大きさも若干小さく、花数も少ないようだが、所謂、鮮やかな竜胆色なので、些かなりとも心に余裕があるゴルファーは、カートの席から自然の恵みを垣間見ることであろう。

 竜胆が咲いている草叢の、更に生い茂った奥には、背丈が高い洋種ヤマゴボウが茎を紅に染めていた。黒く熟した実房を垂らして、藪に凭れかかっている姿は何やらしどけなく、ユーモラスですらあった。

 竜胆も洋種ヤマゴボウも、ひと時ではあったが、それぞれの風情を愉しませてくれた。






             やぶ路の中にカートを留めおき
 
             挨拶交わしぬ野の竜胆と 



             背の低き竜胆の花草叢に
 
             埋もれて咲くかなあはれ寄りそい 



             妻と来ればゴルフの合間にはからずも
 
             野の竜胆は笑みて迎えぬ 







「秋明菊」

2006-10-30 22:15:23 | 和歌

 何時もの散歩道をチョッと足を伸ばしたら、秋明菊が暮れなずむ木陰に白く浮かんでいた。花時が殆ど終わりかけているにも拘らず、未だ七つほどの花を付けているのが、如何にも健気であった。

 二週間ほど前になるが「柳葉ひまわり」を掲載したら、風待人様が立ち寄られて、コメントの中で花の名前をお尋ねになった。「白い花びらが、バラにも似た4弁くらいの一重のお花を見かけました。云々」と、ごく簡単な特徴の記述であった。あれこれと思いを巡らせ、お寄せ下さった文から察して、「秋明菊・しゅうめいぎく」ではなかろうかとご返事した。



                秋風にたゆたふ白き花の名を
 
                問ひたまひしは秋明菊にや 

 


 花の名前が判明した喜びを、風待人様は「その花の名を問うてみる・・・」とのタイトルでお書きになり、併せて「虚庵氏のお遊び」もそのブログにご紹介下さった。

 ほんの僅かな遣り取りだったが、「秋明菊」は素晴らしい交流の橋渡しをしてくれた。







             暮れなずむ夕べに浮かぶ白妙の

             秋明菊かな君の問いしは 



             花時は過ぎにけらしも七つ八つ

             ゆく秋惜しみて貴船菊咲く



             夕されど虫の音たえて秋明菊の
  
             あはれ咲くかも心澄まして 





  

「厚葉君が代蘭・ユッカ蘭」

2006-10-29 18:42:07 | 和歌


 ユッカ蘭が大きな花穂をつけて、堂々と咲いていた。

 鋭い短剣のような葉が、恰も花穂を守るかの様に花茎を取り囲み、その中心から天空めがけて高く直立して咲く姿は、神々しくすら見える。学名・Yucca gloriosa には、glory の言葉が使われていることからも、燦然と咲くこの花に、人々が特別な思いを抱いていることが窺われる。

 「名は体を表す」と言うが、学名にせよ、和名の「厚葉君が代蘭」にせよ、栄光ある特別待遇である。人間も、その人格に相応しい待遇がなされれば、本人も周囲も落ち着いておれるが、破格の扱いをされると、良きに付け悪しきにつけ、本人にも気の毒である。見込みのある「これは」と思われる若者を伸ばすには、若干、過分の扱いをすると、本人も意識して生長著しい場合が多いようだ。その待遇で慢心する人間は、先が思いやられる。

 ユッカ蘭は、その名に恥じない咲きっぷりが、誠に見事である。






             凛と立ち燦然と咲くユッカ蘭を  

             仰ぎ観るかな神々しくば



             名にし負う誇りを保つや己が身に 
 
             厚葉君が代蘭の花咲く



             群臣の鋭きやいばの厚き葉の
  
             君が代蘭は王者に咲くかも







「珊瑚の妖精」 

2006-10-28 11:29:12 | 和歌



 珊瑚色の可憐なサルビアの仲間が、秋の陽射しを受けて咲いていた。

 「サルビアの仲間」とは知っていたが、チャントした名前を知らないのが気になって、図鑑で調べたら「サルビア・コッキネア・コーラルニンフ」と知れた。こんな難しい名前を覚えられる自信は、全く無い。
それにしても、もっと親しみ易い名前を付けられないものか。カタカナ名を粋がって使っても、名前そのものを覚えられないのであれば、落第だ。




 コーラルニンフのスペルを調べたら、Coral Nymph と判明した。なんと、素晴らしい名前の持ち主ではないか。「珊瑚の妖精」なら、将に花のイメージそのものだ。

 品種改良を加え、丹精してこの花を作り出した男は、これしかないと自信を持って、Coral Nymphと名付けたに違いあるまい。どの様な男かは知らないが、「珊瑚の妖精」の花を通じて、作者と意気投合した気分である。



             愛用のカフス釦の色なれば
 
             いとおしかりけり珊瑚の精女は 



             花の名を辿りて行けば原作者の 

             想いを伝えぬコーラルニンフは 



             相見ぬもこの花創りし男とぞ
 
             手を取るここちす花名を知りせば 






「ローズマリー」

2006-10-27 20:54:20 | 和歌
 
 密集したローズマリーの枝に、小さな花が咲いて、爽やかな香りを振りまいていた。





 ハーブについては殆ど無知な虚庵居士だが、肉の鮮度を保つ効果があるので、肉料理に良く使われることだけは知っていた。かつて冷蔵庫の無い昔の人々は、食材の保存には殊のほか気を使ったことだろう。そんな時代の欧米では、勝手な想像だが、ローズマリーは巾を利かせたことだろう。現代の文明社会にあっては、肉の鮮度はローズマリーに頼るまでも無かろうが、食文化・香りの文化を担ってきたローズマリーには、人々は様々な思いを託しているようだ。





 何を隠そう、三・四日前の檜の剪定が祟って、あれ以来腰を痛めているが、パソコンに向かいつつ、ローズマリーの芳香を嗅いだら少しは癒されるかと思い立って、十センチ程の小枝を失敬に及んだ。これまでローズマリーは草だとばかり思い込んでいたが、気が咎めつつ小枝を折ったら、何と木だと判明した。

 小枝を五センチほどの小壺に挿して机の上に置き、この文章をしたためつつ、改めて悟った。グラスのコニャックを呷り、痛みを忘れんとすれば、ローズマリーの芳香どころではないことを。






             痛みをば癒す香りのローズマリーに
 
             縋らむとして一枝を手折りぬ



             余りにも腰の痛みの激しくば
 
             ハーブに頼りぬコニャックも呷りぬ



             痛みをば忘れむとして虻蜂を
   
             取らぬ愚かな吾を蔑む    






「ピラカンサ」

2006-10-26 22:23:22 | 和歌

  秋が深まってきたら、「ピラカンサ」の実が、見事に色付いた。





 深紅の実を付ける代表選手は、「七竃・ななかまど」とこの「ピラカンサ」だ。実の大きさも姿・形もよくにているが、ピラカンサの方が実が密集して付くようだ。虚庵居士の好みとしては、伸びやかな枝振りの「七竃」に軍配を上げたい気分だ・・・。

 嘗て「うつろ庵」の庭にも、ピラカンサやブーゲンビリアが植えてあったが、娘のいる家では「縁遠くなる」との言い伝えがあると聞き、そそくさと取り除いた。赤い実が宜しくないのではなくて、棘のある木が良くないと言うようだ。言い伝えもさることながら、確かに嫁入り前の娘が、万が一にも顔や肌に傷つけたら可愛そうだ。言い伝えとはいえ、娘を大切にする思いには、説得力があった。

 二株を取り除いた効果か否かは分からぬが、娘は間もなくジェフリー君と結婚した。
だが、ニューヨークへ行ってしまったのは、効果がありすぎたのかも知れない。   





             紺碧のそら高くしてピラカンサの
 
             実は紅に色付きにけり



             赤き実を啄み呼ぶらしヒヨドリの
 
             響く啼き声 ピラカンサ揺らして



             紅に燃ゆるは誰を想ふらむ 

             みを焦がしてふピラカンサかな






「再び カザニア登場」

2006-10-25 20:49:12 | 和歌
 
 「勲章菊・カザニア」と題して、先週末に駄文を書いた。 




 「勲章」から連想して、秋の叙勲を待ち望んでいる方々に触れたが、花には殆ど言及しなかったことを反省して、再びカザニアにご登場願った。先週のカザニアは、将に「勲章」然とした花であったが、今回のカザニアはどちらかと言えば、平凡かもしれない。しかしながら「勲章菊」の名に背かず、気品があってなお且つ装飾性も備えている。



 白花カザニアは、花弁の付け根近くに海老茶の斑点でリングを作り、更にその内側に余白を残すハイセンス振りだ。白から黄金色へのグラデーションの花は、シンプルだがそれだけに気品がある。黄色に海老茶の斑点をもつカザニアは、海老茶のリングが花弁と花芯とを仕切って、強い個性を主張している。

 何よりカザニアは殆ど手が掛からずに、長期にわたって次つぎと花を付けて愉しませてくれる優れものだ。



 

             しろたえの花びら次第に金色を
 
             帯びて凝るらし誇る花芯に



             カザニアのけわいを凝らすはお日様と
  
             恋語るらし陽なくば窄みて  



             褒章も栄誉も受けず君逝きぬ

             せめて捧げむカザニアの花を






「鶏頭」

2006-10-24 20:12:20 | 和歌


 夕陽に照らされて、鶏頭が燃えていた。

 鶏冠自体の白と、縁取の鮮やかな赤紫とが映えて、燃えるトーチをかざした様に見える鶏頭だ。近くで見たら、花の下に無数の苞が残っていた。これは随分長い間、次つぎに鶏冠を咲かせ続けた証であろう。これまで全く注目もしなかったが、種類によっては大きな鶏頭も、小さな鶏冠花が寄り集まったものだと始めて知った。

 海の小魚も、密集して大群を作り、一糸乱れぬ挙動をすると奇怪な大魚に見えるので、大群をなして身を守る習性があるという。小魚と言えども脳をもつ動物ゆえ、その様な思考が出来るのか、或いは単なる性癖なのかは知らないが、よもや鶏頭も同じ道理とはとても思えない。植物の性状をどの様に解釈しても、それはあくまで人間様の勝手な想像にすぎまいが、小花を結集して大きな鶏頭に見せるのは、一体どの様な事情があるのであろうか。

 屁理屈は抜きにして、燃える鶏頭にもおとらず、滾る思いを失いたくないものだ。






             めらめらと燃えたつ紅蓮の想ひかも

             たれに焦がるや花鶏頭は 
  


             かくまでも燃ゆる炎の想ひをば
  
             受けましよしや灰になるとも  



             如何ばかり想ひ煩ひ苦しみて
  
             過ぎ来るかも燃ゆるこころを




 

「檜を攻略」 

2006-10-23 09:14:33 | 和歌


 住宅街の一画に「うつろ庵」を構えて久しいが、狭い庭には似つかわしくない「檜」が、三十数年前から鎮座ましましている。

 この檜は建売住宅が売り出された時から、庭木として植えられていて、ご近所の目印でもあり、「うつろ庵」の庭の東南の角でシンボルツリーとしての役目も果たしてきた。当初の下枝は、更に三/四メートルほど下まで伸びて生垣に届いていたが、余りにむさ苦しいので、下枝を払って現在の樹形にした。

 高砂百合のバックには、鬱蒼と枝葉をはって打ってつけだが、樹高が電線を越えているので、台風シーズンには風圧で倒れて、ご近所に迷惑をお掛けせぬかとヒヤヒヤものだ。植木職人に依頼しても、余りの高さに尻込みして、剪定を請け負って貰えない。堪りかねて数年毎に自ら木に攀じ登り、安全帯で身を守って剪定をする仕儀と相成った。 





 今年も何とか攻略出来たが、この先、一体どうなるのだろうか。通りかかったプロは「脱帽です」と褒めるが、慣れぬ木登りで、体中の筋肉が悲鳴をあげている。






             見上げればさしたる高さに思わねど 

             よじ登り来て流るる冷汗



             枝つかみ身を確保して見下ろせば
 
             見上げる妻の姿は小さき



             事終えて檜を見上げる樹の下に
 
             深く吸うかも枝葉の香りを 







「万寿菊」

2006-10-22 20:27:48 | 和歌

 「万寿菊」が、行く秋を惜しむかのように咲いていた。

 背の低い「万寿菊」が、植えられてからかなり長期に亘って、咲き続けて来たのであろう、徒長した茎は倒れて這い蹲り、なお一層背を低くして健気に咲いていた。

 一般的には「マリーゴールド」と呼ばれているが、これほど色々な別名を持っている花も珍しい。孔雀草・千寿菊・万寿菊・山椒菊・紅黄草・アメリカンマリーゴールド・フレンチマリゴールド・アフリカンマリゴールド等など。花の呼び名が多いのは、洋の東西を問わず身近な存在として、人々に愛されている証であろう。

 人間も本名のほか、雅号・芸名・ペンネーム・バンドルネームなどまでは良いが、彼方此方に「ターさん」とか「スーちゃん」などと浮名を流すのは余り頂けないし、変名を使う類は殊更に胡散臭い。「虚庵」は雅号として使って来たが、グローバルなネットワークの時勢には、自ら「化石人間で御座い」と名乗る陳腐な雅号に違いあるまい。







             紫の小花のタピアンをかき抱き
  
             頬ずりするは万寿菊かな








             花蜘蛛をかんばせに乗せ万寿菊の

             刻は止まりぬ陽は傾くも 








             じじとばばたたずむふたりあきのひに
 
             ながきつきひをはなさきつづけて 





    

「勲章菊・カザニア」

2006-10-21 23:46:51 | 和歌

 秋の叙勲が近づいたからでもないが、「勲章菊・カザニア」が咲いていた。
この花は彼方此方で見かける花だが、花の色も柄も種類が豊富のようだ。誰が付けた名前だろうか、勲章菊とは言いえて妙である。この花などは胸に付けたら将に勲章に見えよう。





 勲章と言えば、世の中には叙位・叙勲を待ち焦がれている人々が大勢いるようだ。功成り名を遂げた人々は、叙位を望み叙勲に期待を寄せておられるが、古希を迎える年頃にもなると、社会的地位も資産もそこそこに築き、後は栄誉だけが望みということだろうか。聊か揶揄が過ぎるかもしれないが、先を急ぎ、胸に勲章を付けて葬儀用の写真を撮っても、お陀仏になれば元の木阿弥だ。

 しかしながら考えようによっては、紙切れ一枚と勲章の原価は多寡が知れている。税金の無駄遣いかもしれないが、大した額でないならば、叙位・叙勲に憬れて国民が刻苦精励するのであれば、安いものかもしれない。

 もとより虚庵居士は「叙位・叙勲」の埒外だが、酔えば花を摘み、胸ポケットに挿して粋がり愉しんできた。その程度が、打って付けと言うものだろう。






             おぞましき人の性かな憬れの 

             栄誉のしるしを求めてやまずも 



             カザニアの花咲きにけり勲章に
 
             代えて捧げむ人の誉れに 



             酔いたらば花の一つを摘み取りて 

             胸ポケットに挿す「おいた」はたのしき  






「すすき」

2006-10-20 21:37:59 | 和歌

  野にある「すすき」、里の「すすき」、夫々に風情がある。





 かつて箱根に遊んだ際、眼にした「すすき」は誠に見事であった。土地勘が鈍くなっているので、或いは場所がずれているかも知れないが、芦ノ湖の湖尻を出て箱根湿性花園に向かって車を走らせたら、右手の「台が岳」のなだらかな傾斜地一面が銀色に輝いていた。感激した観光客が、すすき原に足を踏み入れ、「すすき」を漕いで行く姿が次第に小さくなって、「すすき」の穂波に埋没して行く情景が、今も幻のように思い出される。

 この「すすき」は「うつろ庵」近くの、遊歩道の植え込みのものだが、夕陽を受けて輝いていて、「はっと」させられた。大きな木の根方の日陰の中に、「すすき」だけが浮き出している風情には、郷里の「すすき」にめぐり会った想いがした。

 塗り重ねた漆黒の器に鋭い刃で刻み込み、沈金を施す工芸作家は、これをどの様に表現するのだろうか。






             歩み来れば木陰に輝く穂花かも
 
             ただ其処だけに夕陽さし来て 



             人の世をすすきに重ねて思ひしは 

             花穂の想ひをいかにきくらむ 



             塗り重ね磨きをかけし漆肌に 

             息をころして刃先を刻むや  







「小菊」

2006-10-19 22:36:23 | 和歌
 
 籬に小菊がのぞいて、秋の陽ざしを受けて綻び初めていた。詩人・白楽天ならば、どの様に漢詩を賦すであろうか。





 およそ千二百年の昔、白楽天と元稹(げんじん・字名は微之)は中唐を代表する詩人で、親交があった。現代流に言えば二人ともキャリアの役人で、殊に元稹は穆宋(ぼくそう)の時、宰相に昇ったが、直情径行が災いして通州司馬に左遷され、体をこわしていた。白楽天もまた憲宋に上奏したことが、越権行為であるとして江州司馬に左遷された。

 病の床に在って、親友の左遷を聞き知った元稹は七言絶句「聞白楽天左降江州司馬」(11月12日掲載)を賦し、嘆き悲しんだ。

 共にこの様な境遇で、その後、白楽天から四月十日付けの手紙を受け取った。「微之、微之。君に会わざること、すでに三年。君の書信を見ざること、二年にならんとす・・・。」

 親友の安否を気遣う手紙に、感涙に咽ぶ元稹であった。


          得楽天書 元稹(げんじん)詩 

          遠信入門先有涙
          妻驚女哭問如何
          尋常不省曾如此
          応是江州司馬書


             遥かにも 遠くにおわす      

          友のふみ 届けば読まずも     

          ああ ただに 涙あふれぬ      

          妻むすめ 驚き問ふて       

               いかが なされし        


          常日頃 ご無沙汰いたせば

          斯くまでも 便りぞ届きぬ

          まさにこれ 江州司馬の 

          楽天の 安否を気遣う

               文にぞあるべし


          伏せおれば垂死の病を気遣うて

          うれしかりけり楽天の書は
 






「花かたばみ」 

2006-10-18 23:32:11 | 和歌


 遊歩道の石組の間に、一叢の「花かたばみ」が木漏れ日を受けて鮮やかに咲いていた。

 「花かたばみ」は、花の色もピンク・白・黄色、また花の咲き方も葉の色も種々見かけるので、その種類はかなりの数に及ぶようだ。秋が深まると、庭先も草叢も次第に枯葉が目立って、草木は色がくすんで来るが、そんな中にあっても、緑葉と花の色の対比が際立って鮮やかであった。

 かねてから準備を進めて来た市民大学に、原子力の専門家のお仲間と一緒に、八回シリーズの講座を開設することになった。
募集要項からの抜粋をご紹介する;
『私達は電気やガソリンを使って豊かで快適な生活をしていますが、エネルギー需要の急増、ガソリンの高騰、化石燃料の消費に伴う地球温暖化などは深刻な問題です。「私達のエネルギーと環境をどの様に守るか?」講師と市民の皆様とが、一緒に考えてみましょう。』

 エネルギーと環境問題は、孫達の世代へ受け継がれる、国レベルで長期的に対応するべき難問ではあるが、市民レベルでも真摯に考えてみたい重要な問題でもある。






             陽を求め首のべて咲く一叢の
 
             花かたばみに木漏れ日射し来て



             か弱くば群れて咲くかも花たちを

             ゆめ絶やすまじ爺等の世代で



             孫達の世代に受け継ぐ難問を
 
             如何にや問わむ共に悩まむ
   





「くさはらの荘厳」

2006-10-17 23:54:00 | 和歌


 陽射しが西に傾いた頃、草原に素晴らしい情景を見た。

 名も知らぬ雑草が、枯れて立ち尽くす姿であるが、種子の毛わたが苞からはみ出して、逆光に照らされて光る様は、印象的であった。やがてこの毛わたは、秋風に吹かれて苞を離れ、何処かへ着地して新たな生命が芽吹くことだろう。普段は何気なく見過ごしてきた「くさはら」であるが、そこには自然の持つ命の育みの原点が、斯くも美しい情景を作り出していて、荘厳ですらあった。

 夜遅く帰宅して、せめて草の名前でも調べたいと時間を費やしたが、残念ながらその思いは達せられなかった。移り行く自然の姿を時節に合わせて、取敢えずは「名も知らぬ雑草」と記しておくが、読者の何方かご存知の方が居られたらお教え願いたい。

 「くさはらの荘厳」に出会えて感激したが、虚庵居士もこれからの人生で、このような荘厳の時を迎えられるのだろうか。






             自らに苞押し広げ毛わた延べて
 
             秋の陽射しに輝く今日かな 



             くさはらの荘厳の時いままさに
 
             輝く毛わたは飛び立たむとす 



             ああ あはれ 草だに斯くも知恵こらし
 
             命をつなぐ備えをなしてふ