「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「孫からの残暑お見舞い」

2014-08-30 02:20:18 | 和歌

 今年の夏の猛暑には汗だくの毎日であったが、地域によっては記録的な豪雨に
見舞われ、広島などでは大災害を蒙った。被災された多くの皆さんには、心からの
お見舞いを申し上げます。

 ハンカチで汗を拭いながら散歩していたら、「水木の実」がビッシリとなっていた。
水木は一般的には巨木に成長するので、実のなる姿は遥か高いところで、なかなか目にすることも出来ないが、虚庵居士の散歩道は高低差がかなりあるので、場所によっては道路から水木を見下ろす処もあって、手にとる様な写真が撮れた。



 こんな「水木の実」を観ていたら、2・3年前に水木の花を写したことを思い出した。
その花の写真を探して、「水木の実」と共にブログに掲載しようなどと、思いを廻らせつつ帰宅したら、孫のキャメロン君から「残暑お見舞」が届いて、虚庵夫妻は歓声をあげた。

「残暑お見舞い申し上げます」と、漢字かな交じりの葉書だ。
キャメロンの署名には、□の枠の中に片仮名のキが朱色で添えられて、落款印の
イメージであった。虚庵夫妻は、小学生ながらその鋭い感性に舌を巻いた。また
学校の絵に重ねたストップの標識は、夏休みの休校をユーモラスに描いていた。

 孫は、日本人子弟が通う日本語学校で、土曜だけ日本語のお勉強をしているが、数日前に「漢検8級合格」の知らせを受けて、お祝いのメールを送ったばかりだった。
流石に漢検8級合格の実力だと、じじ・ばばは感服であった。






           逞しく実るものかな水木の実は

           春咲く小花を想い浮かべぬ


           ハンカチで汗拭いつつ登り来れば

           水木はそよ風 我に送りぬ


           白妙の小花を湛えた枝々の

           風情をしのびぬ水木の枝葉に


           山の端の水木と語らひ帰りくれば

           残暑のお見舞い孫から届きぬ


           難しき漢字もものす孫なるか

           ただ土曜日のお勉強なるに


           片仮名の「□キ」を朱色で書き添えて

           気品に満ちた落款なるかな


           9月より六年生のお兄ちゃんに

           進学する孫 じじは誇りぬ






「お神輿とお囃子」 動画2本 追加しました

2014-08-29 13:43:29 | 和歌

 信州・諏訪大社の分社は全国に数々あるが、虚庵居士が住む横須賀にも祀られていて、今年の例祭も賑やかであった。

 それぞれの町内には、「お神輿」と「お囃子の山車」が大切に保管されていて、お祭りのかなり前から「お囃子」のお稽古の鉦太鼓と笛の音が賑やかだった。

 「お神輿」と「お囃子の山車」は、祭り初日に、諏訪神社の境内に集まるので弥が上にも盛り上がるが、
その後の祭りの数日は、それぞれの町内に繰り出して練り歩くのだ。

 「うつろ庵」近くの三町内のお祭りの締め括りは、近所のスーパーの広場に集まり、「お神輿とお囃子の競演」を繰り広げるので、誠に賑やかだった。

 老若男女が法被と足袋の粋な姿で集まり、夏の締めくくりをするのだ。鉦太鼓と笛の音に誘われて、虚庵夫妻も見物に出かけた。

 信州・諏訪から取り寄せた酒樽の蓋を割って、銘酒が景気よく振る舞われ、町内の皆さんと盃を酌み交わして愉しんだ。

 「お囃子」の音や歓声も合せて、動画をたっぷりと録画出来たので、CDに収録してキャメロン君へ送った。今ごろはパパ・ママと一緒に楽しんでいることであろう。

MOV00070


MOV00072




           祭り前の 笛と太鼓と鉦の音の

           お囃子稽古を遠くに聞くかな


           夕暮れにお囃子聞けば諏訪神社の

           祭りも近し 夏の終わりぞ


           賑やかな笛と太鼓と鉦の音に

           誘われじじ・ばば祭りに行くかな


           信州の諏訪の樽酒うち割れば

           銘酒の香りに唾をのむかな


           振る舞いの御酒頂けば偲ばるる

           ふる里遠く諏訪の大社を


           お祭りの気分を召せとCDに

           録画を収めて孫に送りぬ






「るり二文字」

2014-08-26 00:05:55 | 和歌

 「うつろ庵」の道路沿いに、「るり二文字」が咲いている。

 「るり二文字」の花は、初夏のころから咲き初めては散り、また新たな花芽を伸ばして次々と花房を付け、初秋のころまで咲き続けて愉しませてくれる、優れものだ。

 道路沿のごく狭い花壇の片隅に移植した当初は、球根の数もごく僅かであったが、年毎に球根数も増えて、最近では花房の数も四つ五つが同時に咲くほどになった。

 たまたまご近所の「ゴミ当番」で、「るり二文字」の前が「ゴミ籠」の置き場になって、ご近所の皆さんは毎朝「るり二文字」と目を合わせるが、花の名前をご存知の方は少ない様だ。花の名前を尋ねられればお応えするが、何故に「二文字」が付いているのかなど、女房言葉にまで敷衍すると話しが長くなるので、省かせてもらっている。

 その辺りについては、かつて「るりふたもじ・瑠璃二文字」にて詳しくご紹介したので、興味のある方はご確認下さい。   (↑ クリックすればリンク先が開きます)

 「ゴミ籠」と、風に揺れる可憐な「るり二文字」は、将に双方対極の存在だ。日常生活のほんの一時であれ、「るり二文字」と心を交わす「ゆとり」をもって欲しいものだ。
そんな方が、一人でも多かれと念ずる虚庵居士だ。




           夙に咲く「るり二文字」とは朝な夕な

           目配せ交わせば揺れて応えぬ


           炎暑にも花芽を伸ばす「そ文字」かな

           淡き瑠璃色 見惚れる花房


           たまたまに「るり二文字」の咲く季節

           ゴミ籠前に置くぞかなしも


           ご近所のゴミ当番の暫らくは

           耐えて欲しけれ二文字の君よ


           朝毎に「そ文字」と出会うご近所の

           皆さま見惚れぬ 誇る思いぞ


           一日のほんのひと時 目を合わせ

           「るり二文字」と こころ交わしぬ






「夾竹桃」

2014-08-24 00:13:30 | 和歌

 真夏のこの季節は、彼方此方で夾竹桃が咲き乱れている。

 紅白様々だが、何れも大変逞しい成長力があるので、二・三年で忽ち枝々は天を衝く程に徒長する。公園や団地の庭などでは、剪定を依頼された庭師は大胆にも、地上二メートル程の処で「バッサリ」と切断して、何食わぬ顔だ。
驚くほどの大胆さだが、次の年にはまた脇芽がにゅきにょきと芽吹き、枝は忽ち繁茂するので、そんな剪定も許されることになる。

 松や柘植などの庭木と違い、曲がりくねった枝ぶりを鑑賞するのではなく、自由奔放に伸びた枝先の花を愉しむのが、夾竹桃流の愉しみ方だ。 謂わば、普段着姿の元気な若い女の子と、気楽に声を掛けあうような趣きの花木だ。葉の一部分が枯れていようが、花が凋んだ後の花穂の摘み取りなど、面倒な手入れは一切お構いなしの、誠に気楽な花木なのだ。

 よそ行きのお化粧顏ではなく、すっぴんのアバタも笑窪と、観賞する側も肩ひじ張らずに愉しませて貰うのが夾竹桃だ。 だが近くに観れば、身震いするほどの美しさは譬えようもない。 花は、そして女性も、寄り添って観たいものだ。




           天を衝く逞しさかな枝々は

           花を咲かせる夾竹桃はも


           余りにも大胆なるかな幹共に

           バッサリ伐るとは 夾竹桃をぞ


           枯れぬかと心いためつ大胆に

           伐られし花木の 夾竹桃見て


           春来れば数多に芽吹く夾竹桃に

           ほっと安らぎ 花を待つかも


           普段着の夾竹桃にはこころ措かず

           通り過ぎにし花咲く頃も


           寄り添いて近くに観れば 斯くばかり

           気品に満ちた花にしびれぬ






「黒龍の実」

2014-08-22 07:03:06 | 和歌

 「うつろ庵」の玄関先の寄せ植えの中で、「黒龍」に黒い実が生った。

 「黒龍」は植物図鑑などでは、常緑多年草と区分されるが、ご覧の通り細長い葉は緑を幽かに湛えた黒色だ。細い茎は、稔った実の重さに堪えかねて枝垂れているが、黒光りしている実も僅かに緑色を湛えた、ごく稀なものだ。



 庭や鉢植えの草花は、昨今では圧倒的に外来種が多いが、黒龍の原産地は、歴とした日本産だ。「リュウノヒゲ」とも呼ばれるが、黒く細長い葉を、仮想の動物「黒龍」の髭に見立てたものであろう。

 晩春に黒龍の花の写真を撮ったことを思い出して、写真集を探したら、寄せ植えの写真が見つかった。薄紫色を帯びた白い小花が、黒龍の花だ。

 花穂の脇に寄り添って若葉が立ち上がっているが、若葉は緑がかなり濃いようだ。日を経てしだれる様になると、葉の緑は黒に変色する様が見て取れる。




           ベゴニアの手弱女の花咲くその傍に

           黒ひげ靡かせ黒龍みのりぬ


           つややかな黒き実房に見惚れけり

           「黒龍」躍るを瞼に描きて


           黒龍は玉を抱くや一つならず

           するどき手爪に実房をこぼして 


           いにしえの人々何を夢見るや

           黒髭の葉と黒き珠玉に


           わぎ妹子は寄せに植えにし龍の髭を

           たずねまほしき託す思ひを






「荒地花笠とカミキリ虫」

2014-08-20 01:22:32 | 和歌

 広い野原には、「荒地花笠」の花がひっそりと咲いていた。
かなりの数の荒地花笠の群落であったが、もともと華やかさなど全く見られない野草だから、咲いている小花すら全く目立たなかった。

 何年か前に野草図鑑で花の名前を覚えてからは、時には近寄って覗き込む虚庵居士だ。どの辺りの花をカメラに収めようかと見渡していたら、「ゴマダラカミキリ虫」が一匹、「荒地花笠」の花にとまっているのが目にとまった。



 カミキリに気付かれないように、そっと近づいてカメラに収めた。
触角がピンと立って、如何にも逞しそうだが、よ~く観察すると手足を花笠に預けて寛いでいる風情だ。至極のんびりと、昼寝をきめ込んでいるのかもしれない。

 彼を正面から写そう、顔の表情は如何にと場所を替えたら、途端に彼は活気づいて攻撃的な姿勢をとった。手足を盛んに動かし、触角を振りかざして「いざ戦わん」との気概だ。 元より危害を加える心算はなかったが、彼の攻撃的な動作で、荒地花笠の茎は大きくゆらめいた。

 ほんのひと時の「ゴマダラカミキリ虫」との出会いであったが、たっぷりと愉しませて貰った。彼もまた、虚庵居士以上にこの出会いを楽しんだに違いあるまい。




           野に咲ける荒地花笠写さむと

           近くに寄ればカミキリ虫かな


           背の高き荒地花笠に身を任せ

           寛ぐ風情ぞ昼寝ならむや


           手も足も花笠小花に預けるは

           心地好げなるゴマダラカミキリ


           カミキリの顏の表情写さむと

           近くに寄れば身構える彼


           触角を振りかざしつつ手も足も

           盛んに動かし「いざ戦わむ」かな


           背の高き荒地花笠揺れにゆれ

           ゴマダラカミキリ武将の面影






「酔っぱらい草」

2014-08-18 01:13:01 | 和歌

 虚庵居士の散歩には、時々 Hennessy のポケット瓶がお供をする。

 腰のポケットに忍ばせて出掛け、同行する虚庵夫人に見つからない様に、「グビリ」と飲るのだ。

 初めの二・三口は気付かれずに済むが、顔に出やすい体質の虚庵居士は、たちまちバレテしまうのが常だ。そんな虚庵居士と「瓜二つ」の「酔っぱらい草」をご紹介する。

 「猩々草・しょうじょう草」だ。猩々とは古人が想像した酒好きのケモノで、酔って朱に染まった顔に因んで「猩々草」との名がついたと云われている。

 この草の葉は、「酔って
                                     朱に染まった顔」さながらに、ごく小さな花の周辺の葉が紅に色付いて、あたかも花かと見紛うばかりだ。

 種かと思われる様な小粒の花の周辺には、かなり大きな葉が五・六枚手を拡げているが、それらの葉の花に近い部分だけが、「酔っぱらって朱に染まる」のだから、不思議だ。 

 コニャックの Hennessy に酔って、顔を朱に染める虚庵居士の相棒なのだ。それに
しても、虚庵居士の行く先々に「オモロイ」草花をご提供下さる神様には、感謝だ。




           Hennessy を口に含めばたちまちに

           色に出にけり猩々よろしく


           虚庵居士と競うが如くに緑葉は

           酔いにけらしも朱に染む姿は


           いにしえの人々よぶかなこの草を

           酔うて朱に染む 猩々草とや


           虚庵居士の行く先々にオモシロき

           花を賜わる神さま Thankyou!






「薮枯らしの小花」

2014-08-16 00:05:21 | 和歌

 散歩の途次、時々見かける蔓草の「薮枯らし」が咲いていた。

 一見すれば嫋やかな蔓草で、何でまた「薮枯らし」等と云う大層な名前が付けられているのかと訝られるような、風情を湛えた蔓草だ。

 蔓の所どころに米粒ほどの小さな花をつけて、それらのどれもが群花を上手に平らに保っているのには感心させられる。白く米粒状に見えるのが莟で、仄かに赤みがかって見えるのが花なのだ。
バカチョンカメラで接写も出来ず、ピント合わせも甘いので、花の可憐な姿を捉えられないのが残念だ。

 次の写真はほぼ実物大だが、老眼の
                           虚庵居士も鮮明な花の姿は未だ観ていないので、次回の散歩では老眼鏡を携えて、とくと観察したいものだ。

 この蔓草は見かけによらず逞しい生命力を持っているので、薮や庭木に絡みついて葉を茂らせ、絡まれた薮は日光が遮られて枯れることになる。 まさに「薮枯らし」そのものだ。蔓を刈りとっても地中に地下茎を延しているので、たちまち復帰する逞しさだ。庭園に生えれば、庭木を枯らすことから「貧乏葛・ビンボウカズラ」との別名が
つけられている所以でもある。




           なよなよと蔓を延ばして所どころ

           小花をつける「薮からし」かな


           それぞれの群花平らに保つとは

           蔓草なるに見上げたものかな


           米粒と見紛うほどの莟かな

           まばらな赤みが花粒ならんや


           老眼はおぼろに見ゆれば野に咲ける

           小花の様は 夢見心地ぞ


           蔓草の命をかけた生き様を

           人は呼ぶかな「薮枯らし」とは






「台湾連翹と黄揚羽蝶」

2014-08-14 00:06:27 | 和歌

 「うつろ庵」の台湾連翹が、今を盛りと咲きしだれている。

 珊瑚樹の生垣の内側に植えてあるので、庭の内側が満開なのは当然だが、珊瑚樹の枝を掻い潜り、フラワーベルトの大紫つつじを越えて、表の通りにまで枝垂れて咲き誇っている。

 幸いにも道巾がゆったりと余裕があることと、道行く人々も愉しんで下さるので、半月ほどは道路への枝垂れ咲きをお許し願い、お盆が過ぎたら大胆に枝をカットする予定だ。

 それぞれの花房にはかなり
沢山の花を付けるが、枝のつけ根側から咲き初めて、房の先端
が開花するまでかなりの期間を愉しませて呉れる。「うつろ庵」の花は、花びらの周辺にごく細い斑入りなので、それに気づいた方が「あらステキ!」と声をあげ、時には「挿し木にしたいので一枝を」との申し出があれば、喜んで差し上げてきた。



 カメラを構えていたら、黄揚羽蝶が一頭舞って来て、虚庵居士にじゃれるかのようであった。ひらひら舞い続けるので、カメラに収めるのは容易でないが何とか写し、短時間ではあったがヴィデオにも収録出来た。

 つい半月ほど前に、孫のキャメロン君から「百合とアゲハ蝶」の写真とヴィデオを送って来てくれたが、恰好の返信が出来た。(↑クリックすればリンク先が開きます)
キャメロン君はたぶん今頃、米国NJ州の「大虎斑揚羽蝶」と、横須賀の「黄揚羽蝶」を比較して愉しんでいることだろう。




           涼しげに枝垂れて咲くかな紫の

           台湾連翹 そよかぜ風にゆれて  


           ハンカチで汗を拭きつつ帰りきて

           汗ひくここちぞ枝垂れ連翹


           かくばかり枝垂れて誇る連翹を

           写さむとすれば黄揚羽舞ふかな


           黄揚羽の寄せる思ひを連翹は

           応える風情に花房揺らしぬ 


           キャメロンの「百合と揚羽」のご返事に

           「黄アゲハ・レンギョウ」送る爺かな






「脱皮のドラマ」

2014-08-12 14:23:27 | 和歌

 孫娘「りかちゃん」のご来訪にそなえ、花鉢を入れる木製プランターの材料を準備して、虚庵じじはりかちゃんを待った。小学生の女の子が、トンカチと釘を使ってプランターを作るなど、興味を示さぬのではなかろうかと懸念したが、意外や意外。 
大喜びでプランターを作りあげ、喜々としてマンションに持ち帰った。

 その帰り際の彼女の宣言に、虚庵居士は腰を抜かさんばかりに驚いた。
曰く 「次に来たときには、りかのお家をつくりたいの!」

 近くのレストランで、夕食のテーブルを囲みながら、彼女は自分のお家のイメージを頭に描いていたのだろうか。夕食のテーブルを囲めるようなお家は、りかのお家には大きすぎる。パパのベンツには、りかの家族とじじ・ばばが坐ってお話できる。
その位の大きさの「りかのお家」を作りたいと・・・。 

 2週間ほどが過ぎて、電話が鳴った。
「モシモシ りかだけど。 りかのお家を作るじゅんび、お願いね!」

 子供のことだから、すぐ忘れるだろうと高をくくっていたが、大変だ。
狭い「うつろ庵」の庭に、「りかちゃんのお家」を作るスペース確保は只事ではない。珊瑚樹の生垣と、金木犀・柚子の木が植わってる一郭に、一坪足らずのスペースが確保出来そうだが、柚子の鋭いトゲは難敵だ。
かなり大胆に柚子の枝を払い、万が一にも、りかちゃんがトゲで怪我をしないように、周辺の環境整備に汗だくの虚庵居士であった。



 そんな夕暮れの一時、ふと椿の葉に目を落したら、蝉の幼虫が脱皮を初めていた。

 狭い庭の片隅で、虚庵居士は汗だくで大奮闘中だったが、その脇で、蝉も生涯に
一度の脱皮の真っ最中であった。流れる汗もものかわ、カメラを構えて蝉の「脱皮のドラマ」を見守る虚庵居士に変身した。



 普段であれば「蚊取り線香」を腰に下げ、虫刺され予防に怠りない虚庵居士だが、脱皮直後の蝉にはお気の毒かと遠慮したので、何か所か蚊に刺され乍の我慢比べであった。 申すまでもなく観察の途中で中座し、グラスを片手に戻って、初めての
観察を続けた。

 脱皮の初めからどれ程の時間が経ったであろうか、気が付けば、すがた形は成虫の蝉になったが、羽根の色も体も未だ生まれたままの色合いであった。
「お食事ですよ~」 とのばば様の声に応じて、腰を上げた。

 蝉の脱皮に無知な虚庵居士は、ヒョットすれば、朝日を浴びないと茶色の姿に変身出来ないのかもしれないと思いつつも、念のため就寝前に覗いた。 脱皮した蝉は、見事な成虫に変身していた。明日の飛び立ちに備え、満を持す端正な姿であった。




           プランターを 作る悦び! この次は

           りかのお家を作りたいのよ!


           りかちゃんのご注文には呆れつつ   

           念を押されて 爺 奮闘す!


           汗みどろ孫の願いに応えむと

           お家を作る準備に励みぬ


           柚子の枝をバッサばっさと切り落とし

           鋭いトゲから りかちゃん護らむ


           夕暮れにふと気が付けば一匹の

           蝉の幼虫 脱皮のチャレンジ


           手を握り 声をころしてガンバレと

           応援するかな蚊に刺されつつも


           気が付けば姿形は紛れ無き

           蝉の姿よ白無垢なれども


           逞しき茶色の羽根は木漏れ日の

           朝陽の援けが要るならめやも


           床に入る 前に一目のご挨拶

           見事な変身 満を持すかな






「夕暮れの化粧」

2014-08-10 00:30:19 | 和歌

 野草の中でも、類い稀な艶やかな名前を授かっているのが、「おしろいばな」だ。



 日中は花びらを閉じて、あたかも仮眠状態だが、昼過ぎになるとお化粧を整え、
花びらを開いてお出ましになるのは、どこか「おいらん」を思わせる。

 紅色の花を「白粉ばな」と称し、白花には「夕化粧」との名前が付けられているのも、もの思わせげな命名だ。

 昔の子供たちは「おしろいばな」の実を潰し、実の中の「おしろい」を思わせる純白の粉を頬にぬり、「お化粧ごっこ」をして遊んだものだ。

 男児の虚庵居士は「おしろい」の化粧をせずに、何時も「お婿さん」役で、紅色の「おしろいばな」を盃に見立てて、三々九度を何遍となく繰り返して遊んだことが想い出される。

 そんなお遊びを続けて夕暮れになると、白花の「夕化粧」が薄暮にポッと
浮かびだすのが、子供ながらに印象的であった。子供の当時は、夕化粧の意味を
理解できなかったが、紅花は夕暮れに紛れるのに比して、白花が鮮やかに浮かぶ
姿が、未だに瞼に浮かぶ。

 最近は、交配が進んだのであろうか。黄色の「おしろいばな」にも時々お目にかかる。黄色だけでなく、紅色が適度に混ざった花など、野花の世界でも交雑種がかなり進んでいるようだ。

 昨今の子供たちは、オママゴト遊びなどとんと見かけないから、「おしろいばな」も「夕化粧」もお呼びがかからず、自然に萎れるて散るのが当たり前のようだ。




           道端におしろいばなの花咲けば

           幼き頃をおもほゆるかな 


           黒き実を石でつぶしておしろいの

           お化粧手伝うお婿さんでした


           くれないの花は盃いく度か

           三々九度をくり返すかな


           お嫁さんお婿さんとのオママゴト

           おしろいばなで飽かずに遊びぬ


           あの頃の幼き友は如何ならむ

           まだオママゴトの続く思ひぞ






「春車菊・はるしゃぎく」

2014-08-08 14:23:59 | 和歌

 毎年の初夏から初秋にかけて、ここには「春車菊」が咲き乱れ、散歩の途上で目を愉しませて貰う虚庵夫妻だ。

 最初は何方かが種を蒔いたのかも知れないが、この花は野生化して種を蒔き散らし、逞しく毎年花をつけるので、ご近所の皆さんもそのまま放置しているのだろう。

 別名、「孔雀草」或いは「蛇の目草」ともいう。「はるしゃ菊」は「ペルシャ菊」が訛ったとの説もあるようだが、ペルシャ(イラン)には産せず、北アメリカ南部が原産だという。

 逞しい繁殖力があることから、農業環境技術研究所では要注意外来植物の一つとして指定しているが、目の敵にするべき草花なのだろうか?
住宅街に住む人間にとっては、草花を愉しむだけだから気軽だが、農耕地に蔓延したら被害の程は計り知れまい。対策は、真面目に研究を重ねる専門家に委ね、その外野の邪魔をしない範囲で、「はるしゃ菊」を愉しませて貰うこととしたい。




           蝉しぐれ夕暮れ近くの散歩道に

           花咲き乱れる「はるしゃ菊」かな


           幽かなる風を涼しと感じれば

           揺れて応える「はるしゃ菊」はも


           そよと吹く風を身に受け嫋やかに

           涼とる夏のはるしゃ菊かな


           陽の落ちて暮れなずむころ花ゆれて

           はるしゃの群花 夕べを涼むや 






「七変化のランタナ」

2014-08-06 15:13:42 | 和歌

 ランタナが彼方此方で咲き乱れている。

 一株から沢山の細い枝が分れ、それぞれに様々な花を咲かせるランタナだが、
何故にこのような多様な花を咲かせられるのだろうか? 草花も花木も、一株につき一種類の花を咲かせるのが植物の原則ではなかろうか。時には、紅白の花を咲き
分ける種類もあるが、それはごく稀なことだ。



 それにしても、これ程に多様な花を付けるその特殊な能力の一端を知りたくて、
花図鑑を漁ったら、意外と簡単にその特技の程が解明された;
曰く、『ランタナの花は咲いてから、時間が経つに連れて黄色からだいだい色、赤へと色が変わります。このため、シチヘンゲ(七変化)、コウオウカ(紅黄花)とも呼ばれます』 との解説であった。



 「うつろ庵」の庭にもランタナが咲いているが、時間の経過による変化には気付かなかった。花を愉しんでは来たが、時間の経過と併せて観察するという姿勢は、全くなかったことを恥じ入るばかりだ。

 虚庵居士に代わって、「カモジグサ・髪文字草」の穂が頭を低く垂れていた。
隣りの花の変化を、彼もまた見過ごしていたのかも知れない・・・。




           夏立てば我が世の盛りとランタナは

           咲き誇るかな あまたに咲き分け


           何故ならむ斯くもあまたに咲き分ける

           不思議な花よ 魔法の花かも


           人の世も 我が子は同じ目の色を

           受け継ぎ産まるる 自然のことわり


           眼から鱗 開花の後の時と共に

           花いろ替ると 解説なるかな


           移りゆく花の気色を姿には

           観れども気付かず色の移ろい


           恥じ入れば共に首を垂れたもう

           髪文字草かな そ文字も知らずや






「第15回 SNWシンポジウムの概要」

2014-08-04 17:42:39 | 和歌

 日本原子力学会シニアネットワーク連絡会主催のシンポジウムが、8月2日に
東大・武田先端知ビルのホールで開催された。 生涯を原子力に捧げて来た者の
一人として参加したので、思ひの一端を書留めておきたい。    虚庵居士

● シンポジウムのテーマは、「責任ある原子力総合政策を! 
〜第4次エネルギー基本計画の具体化にむけて」という誠にお堅いものだった。
市民目線からはほど遠いテーマかなと思われたので、参加者は少なかろうとの予想だったが、見事に覆された。開会挨拶の時点で、凡そ250席の大ホールを埋め尽くす参加者に、眼を瞠った。福島事故以来、市民の皆さんが「原子力政策」と「日本の将来」に対して、極めて真摯に考えていることの、何よりの証しだ。

● 澤昭裕氏の基調講演は、エネルギー基本計画と我国の抱える複雑極まりない諸問題を、極めて明晰に分り易く分析し、日本の進むべき選択肢と判断の基準を提示された。新潟県刈羽村・品田宏夫村長の基調講演の演題は、「原子力発電所立地点の怒り」と過激な表現であったが、「電源供給の原点を考えよ」と、消費地の市民に問いかけていた。

● 第二部 パネル討論では、伊藤隆彦氏がエネルギー基本計画に於ける諸問題を指摘しつつ、福島事故後の核燃料サイクルの問題点を指摘された。越智小枝氏は内科診療科長の立場から、福島事故の健康影響と避難につき、周辺生活圏との連携で捉えることの大切さを指摘された。神津カンナ氏は市民への解説に際して、「聴く耳を持たせる」との、説明者側の意識が大切だと訴えられた。金氏顕座長は、不透明で複雑に絡み合う課題を手際よく整理し、フロアの皆さんのご意見をも取り込んで、パネル討論を差配されたのが印象的であった。

● 閉会挨拶で金子熊夫氏は、原子力とエネルギー問題には安全・安心・安定・安泰が大切だと強調された。共通項の安を除けば全心定泰となり、全国民の心が定まれば国家は安泰になる。この考え方を是非広めて行きたいと挨拶された。

● シンポジウムを終えた後に懇親会が開催され、参加者の半数以上もの皆さんがビールで喉を潤した。講師の先生方を囲み更なる議論が重ねられ、また日頃は接点が無い皆さんが、エネルギー・環境・原子力、日本の明日と人類のエネルギー文明等につき意見を交わす姿は、見惚れるばかりであった。この皆さんが居れば、我国の明日は大丈夫だ。

 SNWは、シンポジウムでのご発言や成果を纏めて、何れ公表されるであろうが、此処には飽くまで個人的なメモの一部を転載し、感想を書きとめた。



  念のため、開催案内からの抜粋を、以下に添付する。

  日本原子力学会シニアネットワーク連絡会(SNW) 第15回シンポジウム
     「責任ある原子力総合政策を! 
       〜第4次エネルギー基本計画の具体化にむけて」


  日時: 2014年8月2日(土)13:00~17:30     
  場所: 東京大学武田先端知ビル5階ホール  
  主催:(社)日本原子力学会シニアネットワーク連絡会 (SNW)
  共催: エネルギー問題に発言する会、エネルギー戦略研究会(EEE会議)

              - プログラム -

  総合司会:石井正則 (SNW代表幹事)
  開会挨拶:小川博巳 (SNW会長)                   (13:00~13:10)

  第一部 基調講演(1) 「日本の責任ある原子力政策について」(仮題)
             澤 昭裕氏 (21世紀政策研究所研究主幹)  (13:10〜13:55)
        基調講演(2) 「原子力発電所立地点の怒り」
             品田宏夫氏 (刈羽村長)              (13:55〜14:40) 
  第二部 パネル討論                            (14:40〜17:20) 
        座 長:    金氏 顯 (エネルギー問題に発言する会代表幹事)
        パネリスト: 伊藤隆彦氏 (日本原子力文化財団理事長)
               越智小枝氏 (相馬中央病院内科科長)
               神津カンナ氏 (作家、コメンテーター) 
               澤 昭裕氏 (21世紀政策研究所研究主幹)
               品田宏夫氏 (刈羽村長)
        パネリストの問題提起                     (14:40〜15:25) 
        -休憩・会場の皆様からの質問提出-          (15:25〜15:45)
        パネル討論                           (15:45〜17:10)
        パネリストと座長のまとめ                   (17:10〜17:20)

  閉会挨拶: 金子熊夫(エネルギー戦略研究会会長,EEE会議主宰者)
                                          (17:20〜17:30)



「夏菫・なつすみれ」

2014-08-01 00:19:50 | 和歌

 「夏菫・なつすみれ」が、道端に咲いていた。

 近くの住民が、空き地に種を蒔いたのだろうか、この季節になると律儀にも、毎年同じ場所に花を咲かせて愉しませてくれる。腰を落してカメラを向ければ、幼児が
口を一杯に明けて、お歌をうたっているかのようだった。

 大きく開いたお口の奥には、「のどちんこ」がチラッと覗けてユーモラスだ。



 ふと2・3メートル先に目をやったら、紺色の夏菫が咲いていた。
どのお花も、揃ってお口を大きく開けて、一斉にお歌をうたっているかの様だった。

 暫らくカメラを構えていたら、大きな「くまん蜂」が飛んで来て、つぎつぎに夏菫の花の中に身を乗り入れ、熱心に花蜜を吸っていた。
「くまん蜂」が飛んで来るまでは、幼児たちは口を揃えてお歌をうたっている様に思われたが、「くまん蜂」が飛んで来てからは、「わたしの花蜜も吸って! 吸って!」 と
せがんでいる様にも見えるから、不思議だ。

 花屋さんでは、別名「トレニア」或いは「花瓜草」の名前でも売っていて、人気のある
お花の様だ。




           道端の足元に咲く夏すみれ

           お口を大きく開けて歌うや


           口一杯 開けて元気な歌声の

           聞こえる心地す 夏菫観れば


           ふと見れば熊蜂呑み込む夏すみれ

           お口の奥にて花蜜吸うらむ


           隣りには花蜜吸ってとお口開けて

           熊蜂待つらし 吸って! 吸って! と