「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「金木犀」 

2006-09-24 14:23:28 | 和歌


 玄関を出たら、金木犀の香りが漂ってきた。

 これまで気付かなかったが、何時の間にか橙色の小さな花を咲かせていた。枝先の葉の付け根に控え目に花をつけるので、毎年のことながら、香りが「咲きましたよ」と伝えてくれるまで、気が付かないうつけ者だ。それほど数多くも無い庭木が、精一杯花を咲かせてくれるのだから、庵の主としては夙に気付いて、慈しむのであれば褒められもしようが、何時もながら迂闊なことである。

 かつて友人に教えられて、「金木犀リカー」を仕込んだことがあった。散る間際の花を集めて、ホワイトリカーに漬け込むだけの到って簡単なものだが、金木犀の香りが愛おしく、カクテルに少しづつ入れて、かなり長いこと愉しんだ。今年もまた、
楽しめそうだ。

 郷里に住んでいる老境の兄に、「金木犀リカー」を送ってやったら何と言うだろうか。
粋なプレゼントになるかもしれない。






             香り来てそれと知るかな木犀の
   
             花咲きにけり彼岸の中日に   



             木漏れ日のさし来て香る木犀の 

             花ひそやかに咲きにけるかも



             木犀の花の香りを故郷の

             兄に届けむリカーにとどめて






「珊瑚樹とアオバ羽衣」

2006-09-23 16:14:17 | 和歌

 「うつろ庵」の生垣の珊瑚樹は、鮮やかな珊瑚色に色づいた実房を輝かせて、誇っているかのように見える。

 本来なれば、珊瑚の実房が沢山垂れ下がって、壮観となるはずであったが、今年は春先から、白い綿を身にまとった「アオバ羽衣」の幼虫が異常発生して、樹液を吸われたためだろうか、写真の実房の他は実数が極端に少なかった。
 
 「アオバ羽衣」の幼虫は五・六匹が群れを成して、珊瑚樹や甘夏の、日陰の目立たない細い枝先に取り付いていた。枝に触れると四・五ミリの幼虫は、かなりの距離に飛び跳ねて四散する。後には白い粉が残るが、葉にも枝にも傷らしいものも見当たらぬので、駆除もせずに放置したら、いまや体長一センチ程の成虫に生長した。羽衣の名前の通り、薄いナイルブルーの羽は優雅で気品すら漂っている。

 彼らは樹液を吸い続けて生長したが、被害は珊瑚樹の実房のみならず、甘夏にも及んでいた。実がある程度大きく目立つようになったら、例年の半分以下の数だと判明した。
油断大敵を「アオバ羽衣」に訓えられた。






             台風の余波ふき渡る秋彼岸

             キラメキ 揺るる 珊瑚の実房は



             みどり葉に珊瑚の粒の煌めけば
   
             鄙の庵も華やぎにけり   



             白妙の産着を脱ぎ捨て雅なる 
  
             舞ぞ見まほしあおば羽衣          






「サルビア・レオカンサ」 

2006-09-22 15:29:07 | 和歌


 「うつろ庵」の「サルビア・レオカンサ」の鉢植えは、昨年の花後にバッサリ剪定したので、やっと莟を付けたが、散歩道の大株は既に花を咲かせていた。

 宿根草ゆえ、年々歳々枝を広げてしどけない姿になりやすいので、このお宅では、腰紐で結わえて、形を整えていた。見苦しい姿にしたくないとの、床しい家人の心延えが窺えた。支柱を添える、枝を整える、枯れ枝を除く、或いは消毒をする等など草花はかなり手間がかかるが、さり気なく手を加えてある花は、花だけでなく家人の人柄が偲ばれて、爽やかである。

 T氏の古巣での講演会に陪席させて頂き、その後の懇親会にもお誘いを受けて、ご相伴にあづかった。後輩幹部の諸氏が、T氏を慕って集まって来られて和気藹々と談笑され、それを愉しんでおられるT氏の姿を拝見した。

 講演も素晴らしい内容であったが、長い年月を通して培われた、先輩後輩のこころの交流の素晴らしさを拝見して、心地よく酔わせて頂いた。






             しどけなく乱れる花茎整えし 

             紐ひと筋のこころ延えかな 
  


             あい結ぶ紐は定かに見えねども
 
             託す思ひに絆は切れまじ 



             年月の長きを重ね培いし

             男の太き絆に酔いしか


                                   



「揚羽蝶」

2006-09-21 12:24:01 | 和歌

 木漏れ日を浴びて、「揚羽蝶」が羽を休めていた。

 横須賀の「うつろ庵」の庭には、黒揚羽や烏揚羽は頻繁に訪れるが、この揚羽蝶は稀にしかお目にかかれない。ましてやジッと羽を休めて、しずかにカメラに収まることなど、めったにないのだが・・・。息をひそめて「そっと」近づき、撮影に成功した。撮り終えるのを待っていたかのように飛び立ち、ひらひらと目の前に舞う姿は、何やら物言いたげな風情であった。

 蝶の食べ物や好みなど知らないので、想像ではあるが、「うつろ庵」の庭で黒揚羽や烏揚羽を良く見かけるのは、彼女等の好物の植生が、この辺りには多いということであろうか。
「黄揚羽」や「なみあげは」が少ないのは、彼女達のお好みが少ないためだろうが、にも拘らず「うつろ庵」を態々訪ねて呉れたのは、僥倖と言うべきかもしれない。

 それにしても、この揚羽蝶のすっかり安心しきって休息する姿はどうだろう。虚庵居士が近くに居ることなど、まるっきり眼中にないようだ。虚庵居士は自然の一部の存在としか、彼女には見えないもののようだった。






             わが庵はただ無造作な庭なるに
   
             蝶の舞い来て憩ふぞうれしき   



             そばにいる庵のあるじは枯れ木なれや

             寛ぎ憩ふは揚羽蝶かも   



             うつろ庵の主と知りて舞たつや 

             名残を惜しむ風情ぞゆかしき         

                        




「夕化粧・ゆうげしょう」 

2006-09-20 01:14:22 | 和歌


 白い「白粉花」が咲いていた。

 字に書いてみて、白い「白粉花」というのも奇異な表現であることに気付いた。「おしろいばな」は赤・ピンク・白・黄色など色々あるので、ためらいも無く『白い「白粉花」が』と書いたのだが・・・。

 この花の名前は、黒い種子を潰すと「おしろい」に似た白い粉が出てくることから、子供達の遊びでも「おしろい花」と呼んできたことが由来らしい。
この花を摘んでひょいと投げれば、竹とんぼの様に花はくるくると回りながら落ちたので、それを競って遊んだのも懐かしく想い出される。

 タイトルの「夕化粧・ゆうげしょう」は、「白粉花」の別名であるが、夕方になって花が咲くことと「おしろい」を重ねたものであろう。浴衣を着た女性が、鏡に向かって「夕化粧」するのは、艶っぽい情景だ。この名前は、世の男共の憧れを花に託したものに違いあるまい。






             ままごとに欠かせぬ花かなおしろいを
   
             頬に塗るさま母をならいて   



             夕されば友だちはみな帰りしに
   
             さみしくひとり おしろい花つむ   



             つみとった花を投げ上げ回らねば  
 
             児はこだわりてくり返しつむ     






「木瓜・ぼけ」

2006-09-19 03:50:17 | 和歌

 朽ちかけた竹垣の間から、子供の拳ほどの大きさの「木瓜の実」がのぞいていた。





 梅の実ほどの草木瓜は、虚庵居士の田舎でも野原になっていて、カジルと酸っぱさが口に広がった。最近になって知ったが、草木瓜の実は果実酒の王様だという。庭木の木瓜の実は香りの良いものが多いが、これほど大きな木瓜は果たしてどんな香りであろうか。

 木の葉に覆われて、薄暗い竹垣の陰の木瓜は、まさに日陰者の存在で、家人からも疎んぜられている風情であった。木瓜の実は、陽射しをタップリ浴びて黄色に色づいてこそ、芳香を醸すのだが。暗闇に近い状態で写した画像を、せめて見れる状態にしたいと頑張ったのは、虚庵居士の出来る精一杯の応援の積りなのだが・・・。

 木瓜は、おのれの置かれた環境を、自ら変えることは出来ないが、環境を自由に選択できる筈の人間も、意外と諦めていることが多いようだ。 自分を取り巻く環境を何とか改善したいと
モガクのは、必ずしも徒労ではあるまいに。






             野に出でて草木瓜摘みし母さまの
 
             齢をはるかに越えにけるかも 



             草原に母と木瓜の実食みたれば
 
             つばきは溢れぬ 遠き日 恋しき   



             木瓜の実は木陰にひそと息づきて 

             落葉の陽射しを待ちにけらしも   



                       


「黄花ランタナ」

2006-09-18 20:31:34 | 和歌

 遅咲きの「黄花ランタナ」が咲いていた。





 「七変化」とも言われる、とりどりの色にさくランタナに比べて、この黄色ランタナは只ひたすら、鮮やかな黄一色に咲くので、「変化に乏しい」とか「単調だ」とか勝手なコメントもあるが、虚庵居士は「いやいや、その『ひたむきさが』良いではないか」と、肩を持ちたくなる。

 花をアップに写そうとして近づいたら、小さな蜘蛛が花に取り付いていた。体も手足も透き通っているので、ちょっと離れると蜘蛛の存在すら見失う程だ。よく観ると、まことに華奢で、華麗だ。この体では、ネットを張り巡らせて虫を捕殺する荒業は、とても似合わない。花や葉に付くアブラムシやハダニなどが、餌になるのかもしれない。

 花も蜘蛛も人間も、それぞれに夫々の命があり、それぞれの流儀で生きているが、さて、「虚庵居士の生き方の流儀」を、他人様はどの様に観ているだろうか。人間は行動も思想も感性も多面性があり、奥行きにも深浅がある故に、観方によっては千差万別であろう。本人は最もよく判っている筈だが、己に対する判断は甘く曇り勝ちで、ともすると不正確極まりないのが自己認識かもしれない。






             ひたぶるに金色求めて咲く花に
 
             修業の僧の一途を観しかな 



             ランタナの黄花は優しく語らふや 

             聞き入る蜘蛛は身じろぎもせで



             ランタナも稚き蜘蛛もそれぞれに
 
             おのれの秋の陽射しを浴び居て





「団扇仙人掌・うちわさぼてん」

2006-09-17 21:50:43 | 和歌
  
 自転車で走っていたら、大きなサボテンに黄金色の花が咲いていた。

 走り過ぎてから、門先に家人が居られるのに気が付いて、とって還して声を掛けた。
「ウチワサボテンです。真夏には沢山花を付けました。」
「来週あたりには、また五つ六つは咲きますよ。」
気さくな応対につられて、虚庵居士も門の中にお邪魔して、写真を撮らせて頂いた。軒下の高い所に咲いている花は、背伸びしても届かないのを見て取って、
「ひとつ採りましょう」
と仰って、無造作に花の咲いている一枚のサボテンを、竹竿で器用にもぎ取って下さった。
ひとしきりの「サボテン談義」を聞き、花の付いた一枚のサボテンをお土産に頂戴した。
 
 帰宅したら、一枚のCD-ROMが郵送されて来た。数日前の講演会を欠席したら、講演に使ったスライドをCD-ROMに収めて、ご丁寧にも送って下さったものだ。

 早速パソコンで拝見したら、素晴らしい内容で、いたく感服した。
「ウチワサボテン」も「CD-ROM」も、「どうぞ」と下さる心意気には、並々ならぬ精進と、それに対する「誇り」があるに違いない。






             仙人掌は黄金の花を誇るらし

             針の護衛もいと堅くして



             仙人掌の花誇るらしお手製の
  
             添え木の工夫に想いを見しかも



             花にかけ講演にかけるその想ひ
  
             高くしあれば胸に迫りぬ






「アガパンサス」 

2006-09-16 17:47:34 | 和歌

 六月の末に「アガパンサス」の花を掲載したが、重陽の節句をすぎるとこんな感じになった。





 花が散ると間もなく種を付けるが、緑色が残っているのは遅咲きで、たぶん七月か八月に咲いたものであろう。実莢が枯れると自ずから割れて、中の種を撒き散らすことになる。

 アガパンサスは常緑の宿根草で、根株は逞しく生命力に溢れているが、種による繁殖も盛んなので、数年の内にはたちまち群落を形成する。人間社会でも、ビジネス展開と経営に冗長性を持たせた企業は、厳しい経済環境に晒されても、生き残る選択肢を備えているので、経営基盤を損なうことなく、着実に生長を続けている。

 「アガパンサス」は、生き残りと繁栄に欠かせない根源的な「危機管理」機能を備えた、自然界でも珍しい逸物なのだろうか。いやいや、自然界のことは虚庵居士が知らぬだけで、繁殖力の旺盛な種は、押しなべて同様な能力の持ち主なのかもしれない。






             爽やかな淡藤色の花むすび
 
             秋立ちにけりアガパンサスの実に
 


             すでにはや実莢は割れて黒き種の
 
             新たな飛翔に命を託しぬ
 


             逞しきアガパンサスの花茎は
 
             実を振りまきて立枯れにけり






「明日葉」 

2006-09-15 22:34:23 | 和歌


 「うつろ庵」の「明日葉」が、花を付けた。

 「明日葉」は、伊豆諸島や房総・伊豆半島などに自生しているが、土地の人々は古くから若菜を食用にしてきた。虚庵居士も古老に教えられ、自生の一株を引き抜いてきて庭先へ植えた。若菜を湯がいて「お浸し」にすると、ほろ苦いその味覚に虚庵居士は虜になった。最近は農家が栽培して、スーパーでも人気の食材らしい。

 紅梅の根元の、半日陰に咲いた花をカメラに写そうと構えたら、あろうことか花に止まっていた薮蚊が、一斉に襲ってきて早々に退散した。薮蚊の生態などトンと無知な虚庵居士であったが、草花の蜜を命の支えにしているとは驚きであった。

毎日欠かさない晩酌で、体からアルコールが吹き出ている虚庵居士は、油断すると彼女達の最大の攻撃目標にされるが、「明日葉」の「花蜜」で命を支え、虚庵居士の生血を最高級の「ディナー」にされたのでは堪らない。






             紅梅の木漏れ日受けて明日葉の
 
             花咲きにけり秋立ちぬれば
 


             いとおしく花穂を包み守り来て

             苞は眩しげに吾児を仰ぎぬ
 


             目ざとくも小虫ら集いて花蜜を
 
             命の支えと吸い漁るかも
 





「タピアン」

2006-09-14 20:34:19 | 和歌
  
 「タピアン」がプランターに植えられて、白とごく淡い石竹色の花を付けていた。





「バーベナ」かなと近寄ってみたら、花の姿はよく似ているが葉が細く繊細だ。幸いにも目立たぬように花の名札が添えられていて、「タピアン」と知れた。ご自身のためでもあろうが、道行く人々への心配りがうれしい限りだ。些細なことではあるが、家人のお人柄が偲ばれる。

 昨日は狛江にある大きな科学技術の研究所を、前の所長さんのお計らいで見学させて頂いた。リタイヤしたシニアの面々の見学会にも拘らず、懇切丁寧なご案内を頂いた。見学を終えた後の質疑応答の時間にも、幹部の皆さんが顔を揃えられて、参加したシニアも、嘗ての専門分野と関連する領域の研究には、鋭い質問と意見が相次ぎ、濃密な交流をさせて頂いた。

学生とシニアとの対話を通して、世代を超えたバトンタッチを心掛けて来たが、今日の見学会では現役の皆様の気配りと、得がたい刺激を頂戴した爽やかな一日であった。



             門先の石竹色の花に添ふる
   
             もののあはれを知る名札かな   



             勤めをば退く人々いとわずに
   
             篤きこころのもてなしうれしき



             世の中に醜きことの多けれど
   
             究めて清しき 科学技術ぞ    






「白粉花・おしろいばな」  

2006-09-13 23:36:16 | 和歌

 これ程に、変化の烈しい花を知らない。






 夕暮れともなると、トランペットを吹き鳴らす風情で、それぞれの方向にむけて、咲き競う。
一般的にどんな草花でも花は太陽に向かうが、夕暮れに咲く「おしろい花」であれば、太陽を求めないのは至極当たり前かもしれない。しかも早々に夕陽を受ける花の色は、千変万化だ。素人カメラマンにとって、その色合いをバカチョンカメラで写し撮るのは殆ど不可能だ。

 日本女性の表情の変化自在も、自然の草花の移り行く様を、何時からか身に付けたのではなかろうか。四季の変化の豊かな日本ならではと、虚庵居士には思われるのだが、如何であろうか。

 あくる朝になれば、全ての花は口を閉ざして、儚く散り行く様は、桜の「いさぎよさ」と通じるのではあるまいか。






             夕されば刻を違えず急き咲くや
 
             今宵をかぎりのおしろいばなは 



             宵なれば色競ふらむおしろいの 

             花の命は 明日を待たずも 



             明けぬれば 燃ゆる夕べの証とや 

             花の名残は散りにけるかも 
           





「藪蘭・やぶらん」

2006-09-12 16:24:08 | 和歌

 「藪蘭」がかなり以前から、紫の花穂をツンと立てて、庭木の下などで存在を主張している。





 米粒ほどの莟をギッシリつけた花穂は、それ自体がユニークで美しさがあるが、花が咲くのは穂が出てから大分後だ。ここの藪蘭も、花穂の下側からやっとちらほら咲き始めたところだが、花弁の大きさも色合いも、莟と殆ど変わらないので、目を凝らさないと花の開花を見落すことになる。

 今は亡き義兄の弟子達が集まって、今年も甲府市で書展を開催された。虚庵居士の作品も委嘱されて、拙著「千年の友」に収録した作品の、歌稿を出陳した。唐紙の包み紙の隅に二行書きにした、短冊程度の大きさの細字作品だ。幹事役のS先生の丁寧な礼状には、作品に顔を付けるようにして鑑賞された、書友の皆さんの言葉までもが書き記されていて、態々お届け下さった土地の銘酒とともに、お心配りが身に沁みた。

 藪蘭に顔を近づけて花を探しつつ、共に研鑽した多くの書友が懐かしく偲ばれた。






             呼び鈴を押せば門べに紫の
 
             花穂は揺れて挨拶するらし



             藪蘭の咲きそむ小花の幾つかは
 
             あやにかつての書友と見しかも
 


             弟子達が研鑽をつみはや十五回
 
             書展開くを義兄に告げばや
 





「ランタナ」

2006-09-11 18:02:34 | 和歌


 「ランタナ」が可憐な花を付けていた。


 白妙の小花珠花頂きの
 黄金のかざりは
 ティアラにあらずや


 ピンクと白の株を寄せ植えにしたコンビネーションが、気が利いてオシャレだ。
近寄って見れば、純白の珠花は清楚で気品に溢れ、咲き始めたばかりのピンクの花は、愛らしい稚児に見えてくる。

 息子の嫁さんからメールが届いて、孫の璃華ちゃんと三人で撮った写真が添えられていた。一歳半になるが、このところの生長ぶりには目を瞠るものがある。この前の写真では、バトミントンのラケットで遊んでいたが、今回のメールでは大分「オシャベリ」が出来るようになったと伝えて来た。





             咲き初むる小花の二つは稚児に似て

             しばらく顔見ぬ璃華をおもほゆ
 


 来週は久しぶりに、璃華ちゃんに会いに行こう。暫らく会ってないので、「オシャベリ」にも表情にも驚かされるに違いあるまい。






             事毎に与えむとして買い溜めぬ

             みやげを携え孫みに行かなむ