「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「姫檜扇・ひめひおうぎ」

2006-05-31 00:49:09 | 和歌

 昨年の夏のこと、近くにお住まいの花好きの「おばあちゃま」から、「姫檜扇」の一株を分けて頂いた。大切にしていた積りだったが、今年になって、花が咲かないばかりか、その鉢は発芽すらしない。鉢植えのままにしていたのが、どうも良くなかったのであろうか。

 近くのお宅では、路地に混栽のまま放置しているが、にょきにょき発芽して、ついに沢山の花を付けた。悔しいの何の!

 株分けして下さった「おばあちゃま」に、何と報告したら良いのだろう。一緒にわざわざお持ち下さった風蝶草・クレオネは、大切に残した株からは発芽せずに、零れ落ちた種から芽が出て、こちらはどうにか面目が保てそうだ。ニューヨークのキャメロン君にも、クレオネの種を封書に入れて送ったが、娘からは発芽の知らせが無い。虚庵居士の「姫檜扇」と同じ思いで、頭を抱えているのかも知れないが・・・。






             遅れめどせめては芽吹け婆さまが

             携えて来た姫檜扇ぞも



             婆の鉢を覗きに行けば紅を 
 
             咲き分けるかも姫檜扇は  



             悔しきは混ぜ植えのまま放置した
  
             隣に花咲く姫檜扇かな  




   

「箱根空木」

2006-05-30 10:42:30 | 和歌
 
 箱根の峠を車で越えて、お仲間とのゴルフと、箱根空木をも楽しんだ。

 函南原生林の近くのゴルフ場で、前回は石楠花の大歓迎を受け、思いもかけず「河鹿」の鳴き声を愉しむ余禄を味わった。今回は「本場の箱根空木の花が、楽しみだ」とお仲間に話したら、「ニヤリ」と顔を崩した。彼のニヤリは多分、「ゴルフだけならいざ知らず、花まで楽しもうという欲張者め! 集中力を乱して、大叩きしてや!」と言たかったに違いあるまい。

 ゴルフコースの脇には、自然の侭の箱根空木がかなりあるのを既に承知しているので、その辺りは電動のカートを降りて、徒歩でそれぞれに挨拶を交わした。
平地に比べて標高が高い分だけ、若干気温が涼しい故であろうか、満開には暫し間があるが既に開花して色づいていた。霍公鳥までもが冴えた声で鳴きわたり、虚庵居士を歓待して呉れた。このうえゴルフのスコアまでよければ、箱根空木に申し訳ないと言うものであろう。






             白妙に咲きにし花も日を経るや
  
             紅いろどる箱根空木は



             卯の花はしろたえ一途と思ひきに
  
             日に日に色づく箱根の姫かも
  


             箱根路を越え来て色づく空木かも
  
             君待ちにしと霍公鳥鳴く
  





「梅花空木」

2006-05-29 20:35:50 | 和歌

 卯の花の季節を迎えた。

 純白の梅花空木は、卯の花曇りのハッキリしない天気でも、そこだけが明るく見える。
日が暮れると「卯の花月夜」とも呼ばれる所以か。白い花は、清楚で気品があって好きだが、群れ咲く枝から少し離れて咲く姿には、何か訴えるものがあって、殊に惹かれる。

 卯の花は、万葉の頃からホトトギス(霍公鳥)と共によく詠われたが、時期的にも将に初夏の花と鳥だ。「うつろ庵」の近くでは、ホトトギスの鳴き声は流石に耳に出来ないが、つい数日前に葉山で堪能した。

 観音崎に近い「うつろ庵」では、ホトトギスに代えて目白が美しい声で、初夏の囀りを聞かせてくれる。庭木の葉隠れに鳴く目白の声は、旋律といい、その複雑な鳴き方といい、独創的な歌は小鳥の中でも絶品である。これほど素晴らしい目白を、万葉歌人は何故詠わなかったのであろうか。






             卯の花を腐すと伝ふる五月雨は
  
             降り避けるかな梅花空木を  



             卯の花の咲く道来ませ うつろ庵に
  
             目白鳴くかも木の葉隠れに



             明日行くは伊豆の山裾名にし負ふ
  
             箱根空木の花をば見まほし  






「柿の蔕」

2006-05-28 10:38:27 | 和歌

 柿がひっそりと花を付けている。

 柿は蔕が予め大きく成長して、その中に蕾と未生の果実を大切に守り、花が咲いたときには、中に果実が顔をのぞかせている。花よりは蔕が大きいのと、蔕も若葉色ゆえに目立たず、花を咲かせてもごくひっそりと、控えめだ。





 今年の五月の天気は、雨が降り続いて、例年に無く日照時間が短いと言う。天気図を眺めると、南には最早、梅雨前線が発達し始めているので、このまま北上すれば梅雨入りも早めになるのかも知れない。

 梅雨を迎えれば、やがて多めに付けた実を振り落として、柿の数を自ら加減する知恵者ぶりを見せてくれよう。ジューンドロップも、季節の愉しみの一つである。






             輪のままに散り敷く花にそれと知る

             柿の花かもひそかに咲きいて  



             花つぼみと未生の柿を懐に
  
             いだける蔕も若葉色かな



             たらちねの母を見るかも柿の蔕に

             未生の吾子をしかと抱きて    






「シラー・ぺルビアナ」

2006-05-27 12:05:28 | 和歌
 
 二週間ほど以前になるが、見慣れない花が咲いていた。

 住人に伺ったら、「シラー・ぺルビアナ」、別名「大蔓穂・オオツルボ」だと教えて下さった。
百合の仲間だそうで、球根は百合に似て「鱗茎」だそうだ。時々道行く人達から聞かれる模様で、淀みなくすらすらとご説明下さった。

 これまで長いこと住んできた町内だが、ほとんどの住民の方々と口を利く機会も無いままにうち過ぎて来たが、昨今は出来る限り気楽に、声を掛けることにしている。一時の立ち話であったが花を介して、またお知り合いが一人増えた。

 写真を掲載するに際して、改めてこの花を訪ねたら、全ての蕾が咲き終えて、花茎が淋しそうに残っていた。






             遥かにも地中海から来たという
  
             Scilla peruviana 横文字に咲く 



             花茎は重き蕾に耐えかねて
  
             倒れたるらし首を擡げて  
 

 
             花の名を尋ねて交わす初めての

             立ち話なれど 別れ和みて  






「エニシダ・金雀枝」

2006-05-26 16:57:52 | 和歌

 エニシダの鮮やかな黄色の花が、満開になった。

 写真のこの株は鉢植えで、さして大きくはないが、露地植えのエニシダは、自由に枝を伸ばして身の丈ほどになる。どこのお宅のエニシダもそれぞれに、沢山の花を付けて眼を愉しませてくれる。 エニシダの細くスーッと伸びた枝こそが、物語や絵本に出てくる「空飛ぶ魔女のホウキ」に使われていることは、殆ど知られていない。日本の魔女は「竹ぼうき」に跨っているが、魔女物語の中世ヨーロッパに竹は無いので、竹ぼうきに跨れるはずはないのだが・・・。





 ものの本によれば中世の魔女は、ナスの一種から抽出した香油のベラドンナやヒヨスを、体や「ほうき」に塗って空を飛んだという。ベラドンナやヒヨスがどの様な香油か、毒薬かは知らないが、これにはかなりのトリップ効果があるらしいので、ヒョットすると空を飛んでいる幻覚を味わったのかもしれない。香油や香料に凝った当時の女性達は、婆さんになると気の毒にも「魔女」にさせられたのかしらむ? エニシダにとっては、魔女物語は迷惑なのだろうか、はたまた名誉な話なのであろうか?






             はしく咲く黄色の小花のさ枝手折り
  
             きみに捧げむ髪の飾りに



             名にし負う魔女の箒はエニシダの

             さ枝で作ると知り給ふや君



             暁にあらずもエニシダ咲きたてば

             五月雨空の朝日かと 思ほゆ 






「ピラカンサス」

2006-05-25 00:48:21 | 和歌
 
 ピラカンサス(常盤山櫨子・ときわさんざし)の花が、枝にギッシリ詰まって咲いている。
「もうこれ以上詰められません!」と、悲鳴が聞こえそうだ。やがて深紅の実を生らせるが、
その実も又、負けず劣らずの詰りようだ。






             五月雨の常盤山櫨子の花に問ふ
 
             いかで斯やは景色だつかも




 生物の世界では、種の保存の法則が働いて、無量大数の卵や子を産むが、外敵に食べられたり、天候や潮汐など厳しい自然の摂理によって殆どが淘汰されるので、生き残って次世代に命を繋ぐのは、ごく限られた数になる。ピラカンサスの花と実も、その類かも知れないが、結実の効率が百%に近いのには驚かされる。






             赤き実の百重なすさま思ふれば

             くすしくあらずも群れ咲く小花は




 真冬になって、鳥たちの食べ物が無くなた時節には、ヒヨドリにとっては飢えを凌ぐ貴重な
餌だ。人間様にとってもモノトーンの季節の、数少ない彩ではあるが、余りに詰まった姿は
「どうも好みに合わぬ」 という人もいるようだ。






             枝も葉も見えぬ程なる赤き実の

             燃ゆる思ひかピラカンサスは






「たんぽぽ」と「野芥子」

2006-05-24 03:17:53 | 和歌


 花も綿毛も、「たんぽぽ」によく似ているのだが、全く別の種類の「野芥子・ノゲシ」には、道端や野原でもよく出会う。

 虚庵居士が眼を奪われるのは、花より「綿毛」の美しさだ。遠目には、白い毛皮で作った小さな手毬に見える。
たんぽぽの綿毛は、芯が透けて見えるが、「ノゲシ」は綿毛が密で、殆ど芯が判らない程だ。

 「芥子」という名前が使われているが、芥子の花とは似ても似つかない。
「野芥子・ノゲシ」という名前が付けられているのには、何かゆえ有ってのことであろう・・・。

 たんぽぽは野原に咲く雑草ではあるが、殆どの人が愛着すら抱いて、毛嫌いすることはないようだ。大地に張り付いて育つ「たんぽぽ」だが、「ノゲシ」は、草丈が五・六十センチほどにも成長する。気の毒にも全くの邪魔者扱いの「ノゲシ」だ。

 草丈が大きいことが、忌み嫌われる所以なのであろうか。
 人間社会でも「嵩だかい」者は、煙たがられるが・・・。






             よく似たる花と綿毛の二つなれど
  
             たんぽぽノゲシの 違いや如何に?  



             たんぽぽの綿毛はひいでて透ける哉
  
             ノゲシの綿毛は密にて麗し  






「きんぎょ草」

2006-05-23 13:10:40 | 和歌

 金魚を花の名前に頂く程に、「出目金」によく似てユーモラスな花だ。

 「きんぎょ草」に促された訳でもないが、常々感心するのは、花たちは何とも個性的で、それぞれに美しい。それぞれの花は、姿も彩りも、咲く花時も、香りも、全てがその花に固有のもので、虚庵居士を虜にして楽しませてくれる。このブログも、身近に咲く折々の花に託して、拙いエッセーと和歌を連載して一年余になる。考えてみれば長い日々を花たちにお世話になり、なんと鼓舞されて来たことか。それにひきかえ虚庵居士は、花たちに負けない個性を発揮して来たであろうか。

 話は替るが、昨年十二月、操作ミスでブログが消えて、泣く泣く新たにブログを再立ち上げしたが、花は間違えてもこの様な「ヘマ」はやらない。が、「ヘマ」を仕出かしたお陰で、皆様からスバラシイ感激を頂いた。消え失せたブログの緊急捜査をなさり、探し当てて再びお訪ね下さる皆様に、虚庵居士は花以上の貴いものを頂戴した。

 言ってみれば「間抜けのヘマ人間」が虚庵居士そのものであり、皆様と花に囲まれている虚庵居士は、果報者に違いない。







             水藻分けて群れ泳ぐかな出目金の
 
             花さきにけり金魚草かも
 


             太き腹と尾びれの長き出目金の
 
             群れ泳ぐ様を花に見るかな
 


             たわむれて金魚を花に擬える

             いにしえ人の心ゆかしも






「矢車草 ?」

2006-05-22 00:32:19 | 和歌

 矢車草のあの透けるようなブルーは、印象的で忘れ難いが、ピンクのこの花もやはり矢車草であろうか? 花の姿も草丈も、うろ覚えではあるが矢車草そのものの様だ。

 この矢車草は、さるお宅の玄関先に通じる遊歩道の脇に咲いていた。雑草交じりの花壇はどちらかと言えば、野に咲く自然の雰囲気が醸し出されていて、心を和ませてくれた。手を掛けずに放置して、自然の環境を意図的に作り出しているとしたら、すみ人の心憎い演出に脱帽である。






             野に咲けるナガミヒナゲシ従えて 
 
             矢車草はピンクに咲くかも  




 晴れ上がった空の色を凝縮したかのような、矢車草のブルーの花は、こじんまりとした花壇ではなく、自然のノビノビとした環境に咲くのが美しい。ピンクのこの矢車草は、狭いながらも自然の雰囲気が醸し出された遊歩道の脇に、ぴったりと納まって、誇らしげに咲いていた。






             ブルーからピンクに色替え? それもよし

             矢車草の 乙女に出合いぬ



             野に咲くも花壇に咲くもそれぞれに
  
             花は己を誇り咲くかな






「たんぽぽの綿毛」

2006-05-21 00:57:41 | 和歌

 たんぽぽの丸い綿毛が目立つようになった。

 チョッと強めの風が吹けば、綿毛は今にも飛び出しそうだ。綿毛がこぼれないようにそっと茎を摘み取り、ほっぺを膨らせて「フーッ」と息を吹きかけて遊んだ、遠い子供の頃のことが思い出される。だが、娘や息子と一緒に、綿毛を飛ばして遊んだ記憶が無いのは、何故だろう。
子供達と連れ立って探検に出掛けたり、じゃれて遊んだ楽しい記憶は、一杯あるのだが。今にして想えば、幼い子供達を家内に預けて、出張に明け暮れ深夜残業を重ねたあの頃が、企業戦士であったことの哀しい欠陥証明かもしれない。

 たんぽぽの綿毛は、風に乗って舞い上がり遠くへ飛んでいくが、虚庵居士の娘も風に乗って、海の向こうに降り立って根を生やした。息子も今は東京に着地しているが、毎年足しげく海外出張に飛び歩いている。どうやら我が家は、「たんぽぽ親子」なのかもしれない。






             たんぽぽの綿毛の舞ふをもろ手あげて
 
             追う児はじじの幼き姿か



             空高く風に舞い飛ぶたんぽぽの 

             綿毛よ子等に無事を伝えよ 



             それぞれの児を伴ひてたんぽぽを
 
             野に出て摘みませ お唄を歌いて




  

「白き芍薬」

2006-05-20 00:42:29 | 和歌

 「うつろ庵」の白い芍薬が咲いた。

 芍薬の咲く頃は、梅雨にはまだ暫らく間があるが、どうしたものか殆ど毎年、雨に降られる。今年も蕾から開花にかけて雨に降られ、芍薬には気の毒な天候続きであった。嘗ては杭を打ち込んで番傘を立てかけ、花びらに雨があたらぬように慈しんだが、昨今は番傘そのものが手に入らなくなって、自然のままに任せている。コウモリでは風情もなく、芍薬も気に入るまい。





 芍薬はやはり、白が気品があって好きだ。
開きかけの白い花びらの先端に、ほんのチョッとだけ紅をさすのは、客人に挨拶に出る直前に鏡を覗き込む女性を連想させて、えも言われぬ風情がある。

 「うつろ庵」の芍薬は、気の毒にも雨露に耐え切れず、数日で散った。来年は、番傘を何としてでも買い求めておかねばなるまい。


             白妙の花びら重ね内に秘める

             思いをきかまし芍薬咲くに



             しろたえの重ねる衣のその奥に

             抱く思いの紅ひとすじ



             降り続く雨に花びら露たたえ

             あはれ咲くかも白き芍薬






              ご近所の紅芍薬も、相前後して咲いた。







「花咲く客びと」

2006-05-19 00:11:04 | 和歌

 庭の花々との朝のご挨拶を済ませた虚庵夫人が、興奮気味の声で告げた。

 「可愛らしい、珍しいお花が咲いているワ!」

 成るほど、見たことも無いチャーミングな花だ。花丈二十センチほどのたおやかな茎の先に、直径一センチにも満たない小さな花を一つだけ付けていた。木斛の下においた鉢から、「ひょろり」と伸び上がって頼りなげなのは、いかにも遠慮しつつ「お邪魔しております」と言いたげな風情だ。

 風に種子が運ばれて来たのだろうか? 「うつろ庵」の庭には、野鳥が訪れて思わぬ置き土産もあるが、この草花もその類かもしれない。可愛い花の来客は、一も二もなく大歓迎だ。

 どなたか花の名前をご存知の方が居られたら、是非ともお教え願いたい。







             はしきよしいとけき花ぞと我妹子(わぎもこ)の
  
             指先たどれば小花たゆたふ  



             たおやかな姿に花の顔立ちも 
 
             彩りまれなる小花なる哉



             訪ね来て庵に生ふるは縁ならむ

             ゆたにあれかし花咲く客びと




    ネメシア KLM  (Nemesia KLM) と判明しました
    英国の種苗専門店・ブリティッシュシード社の新開発品種
    色がオランダ航空KLMのCI色を連想させることから命名されたと言う。
    http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/hana-nemesia-klm_large.html 




「トベラの香り」

2006-05-18 00:10:14 | 和歌

 散歩をしていたら、甘い高貴な香りが漂ってきた。

 ニセアカシアでもなし、橘でもなし、ぐるりと見回して大きな木を探しても、それらしい木が見当たらなかった。暫らくして足元の膝の高さ程のトベラに、白い花が咲いているのに気が付いた。紛れも無いトベラの香りだ。

 先入観とは恐ろしいもので、どこか橘か蜜柑の香りに似ていると感じたら、何時の間にか眼は二・三メートル程の木を追い求めていた。それが見つからないと、ひょっとしてニセアカシアの花かと、更に高い木をさがしていた。人間は、記憶の底にあるものを咄嗟に検索するのだろうか。或いは、香り音痴の虚庵居士だけの反応なのかもしれないが。何匹かの蜜蜂が盛んに蜜を求めて群がっていた。このあたりには養蜂家は居ない筈だが、何処から飛んで来たのだろうか。しばらくは蜜蜂と一緒に、トベラの香りを愉しんだ。







             何処より捜し求めて飛び来るや
  
             トベラの香りを蜜蜂しるかも  



             白妙のトベラの花のやがて凝り
  
             かの紅に実を結ぶとは  

 

             芳しき白妙の花の床しきに 

             みを持て余す をみなか汝は  





「アイスプランツ」

2006-05-17 00:02:10 | 和歌

 記憶が定かではないが去年の真冬に、この花が一輪だけ咲いているのを見つけて、感激して写真に撮ったことがある。久しぶりに同じ場所を散歩したら、アイスプランツが満開であった。






           アイスプランツに代わりて心を詠める


             はしきとのひと言洩らせし君慕うに

             つれなくあれを思ほしめせか




 「うつろ庵」の近くの海岸に沿った道路と平行して、一キロ余の防波護岸と立派なプロムナードが完成して、道路の分離帯と両側の路側帯に、背の高い椰子の木が、数百本植えられた。 プロムナード側の椰子の木の根占として、五十メートル程の長さで何ヶ所かアイスプランツが植えられて、今が盛りだ。






           アイスプランツへの返し     


             真冬にもただひとつ咲き待ちにしが

             乱れて咲くは待ち焦がれしや




 子供の指ほどもある多肉葉の先端は赤くなって、真冬に見れば凍えて赤くなったかと思われたが、温かくなっても相変わらず赤みを帯びていて、それだけでも愛おしいが、咲き誇る花々はまことに眩しい。






             陽を受けて指先透かし捧げ持つ

             眩しき花かも アイスプランツは