「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「むべの実」

2014-11-29 14:05:19 | 和歌

   「むべの実」を頂き、初めて不老長寿の伝説を持つ霊果を試食した。



 「むべの白花」(ctrl+クリックでリンクが開きます)を5月にご紹介したが、そこには、献上された果実を試食した天智天皇が、「むべなるかな」と納得され、それ以来「むべ」と
呼ばれるようになったこと等もご紹介してあるので、併せてご覧頂きたい。

 「むべの実」は、沢山の種をとろりとした果肉が包み込んで、口に入れると仄かな甘さにうっとりとさせられる。癖のないとろりとした果肉は滋養に富んだ、不老長寿の霊果として言い伝えられ、皇室への献上が今も続いている様だ。
天智天皇が「むべなるかな」と肯いたのも、納得できる味覚であった。

 「むべの実」は、姿・形も色合いも「あけびの実」によく似ているが、あけびのように実が割れないのは、とろりとした果肉を大事に護る心かもしれない。
蔓の成長に従って葉の数も三枚が五枚になり、実を付ける頃には七枚に増え、常に緑を保つことから七五三の縁起木とも呼ばれるなど、「むべ」には人々の特別な思いが寄せられている様だ。


           はからずも「むべの実」頂く散歩かな

           不老長寿を念じて飾りぬ


           ふくよかな紫色のむべの実の

           艶やかな頬 霊果のそなたは


           じじ・ばばが差しだす果実を口に含み

           天智天皇「むべなるかな」とぞ


           その味の如何ならむと試みに

           口に含めば「むべなる」味覚ぞ


           沢山の種をとろりと包み込み

           仄かな甘さに滋味を感じぬ


           幾年月 人々託すや不老長寿を

           わずかな「むべ」の「とろり」の滋味に






「小菊の秋 その9」

2014-11-27 06:07:19 | 和歌

   近くの菜園の一郭に、ピンクの可愛い小菊が咲いてた。



 菜園の主は畠仕事の合間に小菊と語らい、どれ程か心を癒やされていることであろう。仕事を終えて帰る際には、小菊の何本かを自宅に持ち帰り、或は自宅でも鉢植えの小菊を愛で慈しんでいることであろう。

 「小菊の秋」と題して、何種類かの小菊をご紹介して来たが、花の色も咲き方も、小菊のもつ雰囲気はまだまだ尽し切れない。本来であればそれぞれの小菊の銘を探して、その都度ご紹介できればよいのだが、その種類は無量大数に及ぶので、「小菊」で括らせて頂いた。菊に関する数寄者は、花を愛ずるのが嵩じると品種改良により、ご自分の花を創りだすことに夢中になる方もいて、小菊の種類は膨大に膨らんだ。
それ故にごく身近な花として、市民の皆さんが愉しませて貰っているのだ。



 虚庵居士の子供の頃は信州の田舎で育ったが、両親と長兄夫妻は菊作りに専心していたので、家族の体からは菊の移り香が薫り、何とも高貴な雰囲気だったことが懐かしい。小菊はさほど香りが強くないが、花の香りを聴く習慣が身についているので、菊の香りに今は亡き両親や長兄夫妻が偲ばれ、庭一杯に咲き誇った菊の情景が懐かしく想い出される。



 
           菜園の片隅に咲く小菊かな

           仕事の合間の 語らひ偲びぬ


           菜園も小菊の花もどれ程に

           こころを癒す愉しみなるらむ


           菜園に小菊を育てるゆとりかな

           小菊を愛ずる主を思ひぬ


           菊の香に故郷はるかおもほゆる

           躰の移り香いとど恋しき






「アイスプランツ」

2014-11-25 13:18:24 | 和歌

   海岸のカナリー椰子の足元に、アイスプランツが咲いていた。



 「小菊の秋 その8」でご紹介した、磯菊の花をカメラに収めて、海岸のプロムナードの散歩を続けていたら、アイスプランツの花が二つ三つ咲いていた。 細い指の様なアイスプランツの多肉質の葉の間に、秋の陽ざしをうけて咲いたピンクの花は、刷毛の様な細い花びらが透けて、得も言われぬ「華やかさ」に思わず息をのんだ。

 寒さがつのる晩秋のこの時節ゆえ、咲く花の数は自ずと少ないが、けな気に咲く
アイスプランツには、いとおしさも一入だ。磯菊の花と語らい、そしてまた思いもかけずアイスプランツにも出会えて、ご機嫌なお散歩であった。

 余りの美しさに、写真の花の大きさは実物の2~3倍ほどに拡大された ・ ・ ・。
念のためお断りしておく。


           いと太きカナリー椰子の樹の根方に

           アイスプランツけな気に咲くかな  


           多肉質の指かと見紛う葉が支え

           地に這う蔓に君は咲くかな


           晩秋の陽を受け細き花びらの

           あまたの歓喜の声を聞くかも


           はからずも君との出会いに足軽く

           こころは弾みぬ今日のお散歩






「小菊の秋 その8」

2014-11-23 10:33:13 | 和歌

   海岸の椰子並木の足元に、磯菊が咲いていた。



 横須賀・馬堀海岸のプロムナードは、カナリー椰子とワシントン椰子の並木が続き、散歩とランニングのコースとしても人気が高いが、カナリー椰子の足元には磯菊と合せてトベラ・アイスプランツなどが根〆として、目を楽しませて呉れている。

 海水の飛沫が降りかかることも勘案して、その様な環境にタフな植物を選んで植栽してあるので、プロムナードの建設以来、何年も元気に耐えて来た。
磯菊とアイスプランツは仲良く入り混じり、これから暫らくは磯菊の黄花が主役だ。
時には厳しい海風が吹き荒ぶ環境ゆえ、磯菊の莟も花もシッカリ寄り添って、お互いに助け合っている姿には、逞しさすら感じられ眼を瞠った。



 海岸のプロムナードの磯菊を写した帰り道、何時もの遊歩道でも磯菊に出遭った。
遊歩道の植栽に護られた長閑な環境と、海風や海水の飛沫が降りかかる厳しい環境では、磯菊の花数に差が付くのも已むをえまい。 恵まれた環境で咲く磯菊には、優雅さが観られた。 だが海岸の磯菊の逞しい美しさは、厳しさに鍛えられ、耐えて咲いたご褒美の美しさに違いあるまい。




           椰子の木の根方に咲くかな磯菊と

           腕組む友はアイスプランツ  


           いと太き椰子の根方に背を屈め

           磯菊咲くかな そなたが主役ぞ 


           吹き荒ぶ海風しのぎ助け合うや

           莟も花も 身を寄せ合いて


           磯菊の花の団子の輝くは

           逞しく咲く心の発露か






「小菊の秋 その7」

2014-11-21 12:35:48 | 和歌

   小径の脇に、野紺菊がどこか淋しげに咲いていた。



 野紺菊は元来、山野に自生する野菊だが、涼やかな花を愛でて、最近は品種改良されて栽培種も在るようだ。この一叢の花がその何れかは不明だが、秋の夕暮れを惜しむかの様にも見えた。

 花は不思議なもので、観る人の心の在りようで、花の印象は様々に変化する。
野紺菊が何処となく淋しげに見えたのは、虚庵居士の心理状態を反映したのかも知れない。

 年末が近づくと、年始の欠礼挨拶の葉書が送られて来る。それぞれの家族の肉親がお亡くなりになった喪中のご挨拶だが、最近は九十歳・百歳を超える方々が増えて、一段と長寿化の傾向が見られるようだ。そのように人生を全うされた方は、拝見しても心安らかにご冥福を念じられるが、中には未だ還暦前の方や、連れ添いに先立たれた方もいて、心が波立つ思いであった。

 旅立った方々の在りし日を偲びつつ、ゆったりと散歩した秋の夕暮れであった。


           たそがれの小径を行けば野紺菊の

           一叢咲きて待ちにけらしも


           どことなく淋しげなるは何故ならむ

           咲く花のゆえ? 観るわが心ゆえ?


           年末の喪中の挨拶にそれぞれの

           在りし日偲び冥福念じぬ


           しかれども余生を残し旅立つは

           思ひを偲び心乱れぬ


           連れ添いに先立たれしと告げくれば

           葉書はふるえ文字もかすみぬ


           たそがれの寂しげに咲く野紺菊は

           察して汲むや波立つこころを






「散歩のお土産・花梨」

2014-11-19 12:30:16 | 和歌

   散歩のお土産に、香り高い「花梨」を頂いた。



 ズッシリと重い果実を手にしたら、得も言われぬ爽やかな香りが漂った。
「花梨」の肌は「しっとり」と潤いがあって、香りたつ果実とはこの様な状態なのかと、改めて鼻を近づけた。

 花梨を下さった方は、「香りは佳いのですが、固くて食べられませんよ」と仰ったので、暫らくはテーブルに飾り、香りを楽しむ毎日だった。
だが、物好きな虚庵居士の好奇心がムクムクと頭をもたげて、試みに一つを食べてみようと挑戦した。固い果実をやっとの思いで切って、小片を口にして驚いた。
下さった方が仰った様に、「固くて食べられない」果肉であった。それでも無理して咬んだら、香り高い果汁が少しだけ口に拡がったが、舌には「ぼそぼそ」の残渣が残って、果物とはとても思えないシロモノであった。

 頂戴した果実が、本物の「花梨」であろうかと念のため、図鑑のお世話になった。
図鑑の解説にも、「花梨の生の果実は固くて食用には適さない」と明記してあった。 
解説の末尾に「ジャム」の記述を見つけたので、試みに挑戦してみて驚いた。

 何とも香り高い、上質のジャムが完成した。
あれ程「ぼそぼそ」の果肉が柔らかく煮えて、砂糖の甘味と果肉の酸味が調和して
誠に美味であった。




           諺は「犬も歩けば 棒に当る」と

           じじは散歩で「花梨」を頂く


           手にすればズシリと重き花梨かな

           香りは豊かに気品を湛えて


           この果実は固くてとても食べれねど

           香りを召されと下さりしかな


           試みに一切れ口にかじれども

           舌に残るは滓の「ぼそぼそ」


           念のためひも解く図鑑の解説に

           「ジャム」のヒントで トライするかな


           有ろうことかあの「ぼそぼそ」が変身し

           美味なるジャムに生まれ代わりぬ 






「小菊の秋 その6」

2014-11-17 00:31:04 | 和歌

   紅色(くれないいろ)の小菊の、色のグラデーションが誠に見事であった。



 この小菊の花の色を、画家であればどの様な絵具で描くのだろうか?

 絵の心得や絵具などには素人の虚庵居士は、「和色大辞典」のお世話になって、様々な色を比べてみた。赤・紅・緋・茜色等々、赤系統の色でも微妙な違いが様々だ。しかも、明度や彩度の違いによって、素人の目に映る印象は千変万化だ。

 小菊の花の色は? との単純な問いに応えるのは、並大抵でないことを思い知らされたが、今までにない別の愉しみが体験できた。明るい紅色(くれないいろ)の彩度を薄目にすれば、この小菊の花の色に近いのかな・・・、と思われた。
プロの目からすれば、また別の色を選ぶのだろうか? 彼らは絵具を混ぜて、自分の好みの色合、自分なりのイメージを表現する高度な技を磨いているので、奥の深いものが表現できるのであろう。

 小菊の紅色に見惚れてカメラに収め、ブログへの掲載に際してはまた別なお遊びを堪能させて貰った。更に、万葉の時代に倣って長歌と反歌を試みて、愉しんだ。


           秋晴れの

           陽ざしをうけて紅の

           小菊の花は様々に

           花弁の色の表情を

           変えるは己の心をば

           くれない色に 託すらむ

              見惚れるじじは

                小菊を想ひぬ


              
           紅の

           小菊は花びらさまざまに

           色合い変えて金色の

           蕊を囲みて相共に

           秘めにし滾る思ひをば

           如何にや伝えむあの人に

              酌んでまほしき

                小菊の想いを


           語らずも滾る思ひを君酌むや

           乱るる花弁の紅色に    






「読者の皆様に感謝」

2014-11-16 11:58:50 | 和歌

 
 11月15日の閲覧頂いたページ数が、一日だけで1266頁を記録しました。
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       どうぞ今後とも引き続きご来訪頂き、お楽しみ下さい。  





「小菊の秋 その5」

2014-11-15 00:46:18 | 和歌

 夕暮れ近くに、赤紫の小菊が群れ咲いていた。



 小菊とは申せ、花のサイズは5センチほど、背丈も70センチ程もあり、小菊のお仲間ではかなり大きめの部類だ。

 青竹色あるいは白緑の葉の中に、鮮やかな赤紫の花が朧に浮かび、夕暮れ近くのうす暗くなりかけた陽光と相俟って、何とも言えぬ雰囲気を醸していた。
花との出会いは、どの様な状況での出会いなのかが、第一印象には極めて重要だ。
この赤紫の小菊との出会いが、晩秋の夕暮れ近くであったことは、虚庵居士にとっては素晴らしい環境条件であった。

 若い男女の初めての出会いの雰囲気次第では、恋が芽生え、一気に加速されることもあるが、夕暮れ近くの赤紫の小菊との出会いには、それに似た胸のトキメキすら感じられた。

 日暮れ近くのうす暗くなりかけた樹の下で、小菊の姿が朧に観えたのは、小菊への恋心の芽生えだったのかもしれない ・ ・ ・。


           山の端に既にかかるや秋の陽は

           ”釣瓶落としと” 古人は云ふなれ


           白緑の葉色に浮かぶおぼろげな

           赤紫の小菊に出会いぬ


           薄暮ゆえ? 白緑の葉が薄めるや

           群れ咲く小菊の朧に見ゆるは


           何故ならむ胸ときめくは恋ふるかも

           赤紫のおぼろの小菊に






「小菊の秋 その4」

2014-11-13 12:17:25 | 和歌

 大きな岩を組み合わせた間に、白小菊が見事に咲いていた。



 「うつろ庵」のごく近くの遊歩道の両側には、岩を組み合わせた庭園風の設えが
2キロほども続き、歩道脇の植栽との調和が優れているので、市民の皆さんには
人気の散歩道だ。そんな遊歩道に白小菊が咲いていた。岩と白小菊のマッチングが絶妙で、思わずカメラに収めた。

 一般的に、小菊の花のサイズは何れも3~5センチほどの小ぶりだが、この白小菊は更に小さく、指の爪ほどしかない。手前に写っているツツジの葉と比べれば、如何に小ぶりな小菊かご理解頂けよう。そんな小菊の花がうち揃って咲く姿に、うっとりと見惚れるばかりであった。小菊が備えている自然の素晴しい能力には、感服だ。


           気が付けば秋の日暮れの早さかな

           歩道にさす陽は何時しか薄れて


           遊歩道の連なる岩ゆ浮き出でて

           白き群花 残照ならむや


           稚けなき白き小菊の群花の

           うち揃い咲く景色に見惚れぬ


           これ程に小ぶりに揃い咲く小菊の

           秘めにし素養におどろかれぬる






「梢の熟柿」

2014-11-11 12:26:13 | 和歌

 梢の熟柿(じゅくし)が小鳥に啄ばまれて、今にも落ちそうであった。



 小鳥たちは、枝もたわわに実った沢山の柿の中から、美味しい柿を目ざとく選び、何の遠慮も無く啄ばんで、その美味しさを堪能してご機嫌だ。枝に生ったままの熟柿の甘さと、美味しさは将に絶品だ。小鳥たちはそれを承知しているので、熟柿に狙いが集中するのだ。

 信州の田舎で育った虚庵居士の子供の頃は、屋敷の中の様々な柿の木によじ登り、お友達と共に手当たり次第に食べたのが懐かしい。

 手の届かない柿は、長い竹竿の先端にV字の切り込みを作って、小枝を挟んで枝ごと折って、取り込んだ。沢山あった柿の木からの収穫は、子供もお遊びを兼ねてお手伝いするのが楽しみだった。

 竹竿の秘密兵器を持たない住宅街のお宅では、手の届かない柿は小鳥たちへのご馳走として梢に残されるので、
晩秋の景色として愉しむこの頃だ。


           天高く青空透けて柿の実の

           色映えるかな梢の熟柿は


           見上げれば梢の熟柿は口開けて

           小鳥のご馳走 啄ばむ痕かな 


           たわたにもあまたの柿が実るかな

           食べて食べてとせがむが如くに


           柿観ればふる里遠く偲ばれぬ

           高く登った子供の頃を


           晩秋の梢に映える柿の実に

           小鳥に残す心をおもほゆ






「小菊の秋 その3」

2014-11-09 02:38:16 | 和歌

 黄金色の小菊が、周りまでも明るく照らすかの様に咲いていて、目を瞠った。



 小菊の花の明るさは、白菊が明るく見えるのは当然だが、黄金色の小菊がそれ
以上に明るく見えるのは、面白い現象だ。 秋の透明な陽ざしを受けて、黄金色の
小菊は輝くかのように光を反射して、眩いばかりだ。

 我々の人間社会でも、これと
よく似た現象がみられる。
色白の方の顔は、常に明るいかといえば必ずしもそうではない。浅黒い皮膚の男であっても、
にこやかな表情は本人のみならず、周りの皆さんも何時の間にか明るい雰囲気に誘われるのが常だ。笑顔に加えて朗らかなお喋りや笑い声が、その場を更に明るくするのだ。

 小菊の花の明るさは、黄金色の持つ不思議な特性によるが、人間の明るさは産れつきの性格もあるが、本人が培った明朗で豊かな人格がものを言うようだ。

 赤い小菊も寄り添って、黄金色の小菊の笑い声が聞こえる様に思われた。




           澄み切った秋空のもとに咲く金色の

           小菊は明るく輝くばかりぞ


           金色の小菊は何れも同じかと

           思えど株ごと 豊かな個性は


           明るさを人の世界に置き換えて

           あれこれ思ひぬ 小菊の花見て


           紅花の小菊も寄り添う金色の

           小菊の笑いの声聞く心地す


           立ち止まり 寄り添うじじ・ばば小菊らの

           香りを愉しむ今日のお散歩






「小菊の秋 その2」

2014-11-07 19:59:29 | 和歌

 白小菊を写そうとピントを合わせていたら、蜜蜂が飛んで来て一緒に収まった。



 小菊と蜜蜂の取り合わせは余り見かけない光景だが、花が少ない晩秋には、蜜蜂たちも蜜集めには苦労することだろう。花蜜のごく少ない小菊の花からも、蜜を吸い取ろうと懸命に努力する姿には、自然の営みとは申せ頭が下がる思いだ。

 

 ここまで書いた段階で、約束の時間が迫ったので、久しぶりに国会・衆議院議員会館に向った。日本原子力学会・シニアネットワーク(SNW)が主催し、エネルギー問題に発言する会及びEEE会議が共催のシンポジウム:「責任ある原子力総合政策を!」の概要と、講演者・パネリスト・参加者の生の声を国会議員にお伝えし、国政に活かして貰いたいと念じて面談に臨んだ。

 我々市民と国政を預かる国会議員が、膝を交えて議論する機会は極めて限られている。限られた時間での面談であったが、大幅に時間を延長して熱の籠った意見の交換が出来たのは、双方にとって意義ある機会であった。

 同席頂けなかった議員諸氏にも資料を後日配布頂き、国民の生の声を是非とも国政に活かして頂きたいとのお願いをして、議員会館を後にした。

 早朝にパソコンに向かい、白小菊の写真を見ながら飛び出して来たが、秋晴れの国会議事堂が何故か頼もしく目に映った。




           白小菊を写さんとすれば蜜蜂が

           飛び来てカメラに収まる秋かな


           秋立てば花数少なく蜜蜂の

           花蜜集めに苦労をしのびぬ


           ご多忙の議員殿との面談の

           時間が迫り飛び出す爺かな


           意を尽し生の声をば伝えむと

           熱も籠りぬ膝を交えて


           面談を終えて国会議事堂を

           見れば頼もし聳える姿は






「小菊の秋 その1」

2014-11-05 12:35:05 | 和歌

 小菊が咲き誇る秋になった。



 「うつろ庵」のご近所のお宅では、道路に沿ったフラワーベルトに小菊を植えて愉しんで居られるが、道行く私たちも共に愉しませて頂くこの頃だ。

 菊は様々な種類があって、その何れもが素晴しいが、小菊は殆ど手間を掛けずに気楽に、しかもかなり長い期間を楽しめるところが優れものだ。

 鉢植え三本仕立てや懸崖仕立ての菊は、気品があって見応えがあるが、苗の育成からその後の手入れは並大抵ではない。その丹精込める手入れを愉しみ、堪能するところが菊作りの得も言われぬ処だろうが、それに引き替え、小菊はいとも手軽だ。謂わば普段着的な気楽さが、皆さんに好まれる所以であろうか。

 人間社会でも、よそ行き的な雰囲気の人も居れば、やあやあと気楽にお付き合いの出来るご仁もいる。
小菊は後者の雰囲気だが、それでいて気品を湛えているところが堪らない。




           道路沿いのフラワーベルトに様々な

           小菊が競う秋になりけり


           しどけなく咲き乱れるかと見ゆれども

           小菊は何れも誇り咲くかな


           どの花も目をそらさずに吾見上げ

           笑みを湛えて何をせがむや


           頬寄せて押し合いへし合う小菊かな

           幼き子らの声きく心地す


           白花と淡く色づく花交え

           小菊の和みは心癒しぬ






「キャメロン君のハロウィン」

2014-11-03 11:42:40 | 和歌

 孫息子のキャメロン君が作った、ハロウィン仮装の写真が届いた。



 米国の新学期は9月から始まるが、6年生になって間もないキャメロン君は、日頃使っている計算機を、ハロウィンの大きな仮面に仕立てた。出来たての仮面をかぶってオドケル姿は、ハロウィンでの楽しみが眼に見える様だ。

 計算機の仮面には、3.141592 の数字がきれいに並んでいるが、多分、学校の授業で円周率の勉強をしたばかりなのであろう。何の説明も無かったが、左手が ”π”を指しているのは、既に計算機を使いこなしている仕草であろう。

 自宅での自習では、iPadを使って日本語の勉強もしている様だ。英語社会の中で、iPadの漢和辞典で調べるキャメロン君には脱帽だ。彼の両親は日本と欧米民族の融和(comingle)をキャメロン君に託して、彼のミドルネームには敢えて”Zen・禅”を名付けた。 本人が意識しているか否かは不明だが、身を以て頑張っていることに
じじ・ばばは感服だ。

 日本でもハロウィンは大変な盛り上がりだった。
渋谷駅前の広場や交差点を埋め尽くす、仮面やコスプレで飾った若者が、テレビや新聞で報道されたが、これ程の群衆が都心に集まるとは愕きだ。純真な子供たちのハロウィンが、日本では都心で若者達が盛り上るとは、一体何なのか。
単なるお遊びとして捉えれば話しは単純だが、付和雷同する軽薄な彼等の心理状態を忖度すれば、日本の将来が些か心配だ。


           計算機の仮面をかむりオドケルは

           ハロウィン楽しむキャメロン君かな


           計算機の表示は 3.141592

           手元は ”π”を指さす孫かな


           お遊びに知的な片鱗見えるとは

           孫可愛さのじじ馬鹿ならむや


           日本では都心に群がり盛り上がる 

           ハロウィンの若者に 託すや未来を?