「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「うつろ庵の白梅」

2012-01-30 21:55:05 | 和歌

 「うつろ庵」の白梅が十輪ほど綻んだ。

 日本海側の各地からは3メートルを超える豪雪の知らせや、横須賀でもこの冬一番の寒気が続く毎朝だが、「うつろ庵」の庭の白梅は、先週初めての一輪が綻び、今朝は十輪ほどになった。

 白衣一枚を身に付けただけの厳しい寒修行の姿が報道されているが、寒気に綻ぶ白梅には、その様な悲壮感は片鱗も窺えない。それどころか、仄かな香りすら漂わせる余裕は、一体どこに秘めているのだろう。この白梅は、盆栽を路地に降ろして未だ何年も経ていないので、背丈は腰ほどにも達しないが、虚庵夫人は膝を折って「梅が香」を愉しんでいる。

 「ゆとりある家庭には、余裕と伸びやかさを湛えた子息が育まれる」と、どこかで読んだ記憶が甦ってきたが、「うつろ庵の白梅」には何故かその様な「のびやかさ」が感じられる。自然の持つ無限の生命力によるものか、はたまた虚庵居士の勝手な想念の世界だけのものなのか・・・。


 

          朝な朝な挨拶交わす梅が枝に

          莟の膨らむ姿ぞ愛しき


          節分をいまだ迎えぬ厳寒に

          はや白梅は 綻びるかな 


          わぎもこと交わす朝(あした)の挨拶は

          白梅綻ぶ数を伝えぬ


          禊する厳寒なれども白梅は

          なぜかゆとりの香りを湛えて


          膝を折り腰をかがめて梅が香を

          聴くわぎもこと齢を重ねつ


          白梅の綻ぶ庭は狭けれど

          夢幻の広ごり果てしなきかな






「雪に煙る福井」

2012-01-27 03:02:44 | 和歌

 大寒を過ぎて全国的に雪模様が続いているが、福井工業大学からの要請で、学生の「コミニュケーション能力育成講座」の講師として、三日ほど前に福井を訪ねた。


 
 東海道新幹線の車窓からは、小田原から箱根にかけてかなり激しく雪が舞っていた。函南でのゴルフを楽しみにしていたお仲間は、急きょ「ゴルフを断念して温泉でも楽しんでいるかしらん」などと想像しつつ、原稿の執筆に追われていた。米原で特急「しらさぎ」に乗り換え、琵琶湖の傍を過ぎて敦賀に向かう山間では、車窓の景色も雪に煙り、積雪もかなりの量になっていた。北陸の冬の天候は、空が晴れ渡る日は殆どない毎日だが、この日もご多分に漏れず福井駅に到着しても、雪が舞い続けていた。



 福井工業大学を訪問するのは初めてだが、学生とシニアの対話会でお世話になった教授がお待ち下さっていた。暫し歓談の後、教授自ら学内をご案内下さりながら、会場の階段教室へ向かった。教室の窓からは、雪に煙る瀟洒な高校2号館が見えていた。ふと目を落とすと、何処かで見たような古風な建物が見えた。学生に聞いたら何と、「夢殿と正倉院デス」と自慢気だ。

 「夢殿」は、奈良・法隆寺の国宝とまったく同じ総欅造りで、学生達の禅堂だという。
夢殿に座禅を組み、瞑目する若者の姿が見えるようだ。「正倉院」は、将に東大寺・奈良時代の宝庫とまったく同じ校倉造りで、学園の重要書類の倉庫として使われているという。私学の構内に、日本を代表する国宝建築を模し、二つ並べて建設した「こころ」を忖度して、甚くシビレタ。

 応接室に「建学の精神」なる小額が掲げられていて、読ませて貰ったが、階段教室にも同じ額が掲げられていた。「コミニュケーション能力育成講座」が開始する時間になって、教授は学生に向かって静かに「建学の精神」の唱和を呼びかけられた。
全員が起立して、一糸乱れず粛々と唱和が続けられた。

      『悠久なる日本民族の歴史と伝統とに根ざした愛国心を培い、
       節義を重んずる人格の育成、科学技術の研鑽に努め、
       以て人類社会の福祉に貢献する。』


 

          風邪ならむ 喉の痛みを堪えつつ

          雪に煙れる福井路辿りぬ


          雪おぼろ敦賀を見やればおもほゆる

          我が児を腕に抱きし昔を


          どなたから訓を受けるや天かける

          息子に代り礼をば為すべし


          若者にせめて伝えむ天かける

          術とは心を伝えることぞと


          横文字とカタカナ多き世にあれば

          カナ横文字に爺の言葉を


          車座の学生達に呼び掛けぬ

          ”Don't hesitate!” チュウチョハムヨウダ!


          若者と膝突き合わせて語らえば

          まなこ耀き 若者頷く


          風邪おして喉の痛みに堪えつつも

          福井の雪の手応え尊し
 

        



「オキザリス・バーシカラー」

2012-01-20 20:39:29 | 和歌

 「大寒」を迎えたにも拘らず、散歩の途上で珍しい花に出会あった。

 「オキザリス・バーシカラー」との名札が添えられていた。道路に面したフェンスの直ぐ脇の一株は、道行く人びとにとっても注目の的であったに違いあるまい。
家人のサービス精神が見て取れる名札であった。

メガネを持参し忘れたので、ピンボケ写真になったのが残念だ。白い花弁の紅の縁取りが、莟の状態では渦巻状になっていることから、”Versicolour”との名が付けられたものであろう。念のため調べたら、この花は極めて耐寒性に優れ、11月ころから真冬にかけても花を付けるという。横須賀のような雪も霜も降らない土地では、将に打って付の路地花だ。球根草だというから、探し求めて「うつろ庵」の庭にも来年は咲かせたいものだ。


 

          歩み来れば足元に咲く小花らが

          じじ・ばば見上げて 笑みを湛えぬ 


          花株に名札を添えるは人びとの

          問いに応える雅のこころか


          どの花も冬の陽ざしを恋うるらし

          西に傾くお日様向くは


          白妙の小花の花びら紅の

          縁取り渦巻く莟なるかな


          オキザリス 三つ葉にあらずも細長き

          小葉のまにまに莟渦巻く


          縁あらば探し求めてうつろ庵の

          庭にも招かむバーシカラーを
 

        



「巨龍出現!」

2012-01-16 13:11:42 | 和歌

 散歩の途上でふと見上げたら、牙をむいた「巨龍出現!」に、後ずさりした。

 今年の年賀状には、長谷川等伯の龍を拝借して「龍翁睥睨・りゅうおうへいげい」としたが、虚庵居士の頭の中には未だに龍翁が棲みついていたようだ。散歩の途上で、不意に大銀杏の古木に出遭って、咄嗟に「巨龍出現」かと錯覚したものだ。



 大銀杏は古木になると、樹皮が垂れ下がって見事な「つらら」状になるのが特徴だ。鎌倉八幡宮の大銀杏も、見事な樹皮つららを持っていたが、昨年、根元から倒れて、新聞やテレビでも大きく報じられた。幸い境内には参拝客もいない時刻の転倒だったので、人身事故は避けられたようだ。門前近くに民家が迫った貞昌寺では、古木の大銀杏が倒れて、大災害を起こしてはなるまいとの気配りであろう、上部の太い幹を大胆にカットして、龍頭の部分から下を残していた。

 それにしても、この大銀杏の古木は巨龍そのものではないか。
龍頭を思わせる瘤々や、牙を連想させる樹皮つらら、小枝は髭を、下から突き出した枝は龍の腕と鋭い爪だ。そして頭の上の枝は角を思わせ、太い幹の古びた樹皮を鱗に見立てれば、総ての設えが巨龍そのものだ。

 「龍頭寺」なる別称を差し上げたくなったが、歴史ある貞昌寺にとっては、虚庵居士の遊び心は通用するまい。 


 

          妻と来てふと見上げれば 凍てつけり

          牙むく巨龍が迫り来るかな


          垂れこめるうす雲背にして轟くか

          巨龍の聲をも耳に聴くかな


          息をつき 一あし二足 近づきて

          まなこを擦れば 大銀杏かな


          つくづくと見れば見るほど龍ならめ

          寺の護りの古木の銀杏は


          いや高き古木の銀杏が倒れなばと

          住人思いて幹を切るとは
 

          人思ふ寺にしあれば人々は

          歴史を讃え先祖を祀るか
 

 



「鏡開きと冬薔薇」

2012-01-11 13:46:21 | 和歌

 正月が明けて、鏡開きを迎えた。

 昨今では「鏡開き」などと言う言葉自体が、殆ど使われなくなって久しい。虚庵居士の子供の頃は、まだ古い仕来りが継承されていたのを思い出す。「門松やしめ飾り」を取り外すのは、鏡開きの日が目安だった。年末から床の間に飾ってあった「お供えの重ね餅」も、父親と一緒に鎚で割ったのが懐かしい。

 鏡開きから程なくして、小正月を迎える。年末は、どこのご家庭でも女性たちは「お節料理」の仕込みに忙しく、年始はまた新年の祝いの酒肴準備等もあって、奥方達にとっては体を休める暇もない。正月が過ぎたら、女性達にも寛ぎの時間を持たせたいとの、古人の粋な計らいが小正月だ。

 取り外した「門松やしめ飾り」は、昨今では生ゴミとして処理する向きが圧倒的だが、嘗てはそんな不作法は許されなかった。小正月に子供達が「門松やしめ飾り」を持ち寄って、「どんど焼き」で焼き清めたものだ。
 「どんど焼き」は処によって「左義長・さぎちょう」とも呼ぶ。平安時代の宮中では、清涼殿の庭に青竹を束ねて立て、それに扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いながらこれを焼いたという。この左義長が民間に伝わり、どんど焼きとなったとも云われている。

 正月・鏡開き・小正月・どんと焼き、人間味のある「こよみ」を古人は残してくれたが、我々はそれを手放そうとしていないだろうか。
 

          人の世の諸事など知らぬと言いたげに

          すまし顔なる莟の薔薇かな


          凍えるや莟の花弁の色合いを

          案じて交わす妻とのひとこと


          陽を受けてやがて花弁の開きなば

          安堵の吐息に揺れて応えぬ


          愛しくも咲にけるかも冬ばらと

          言葉を交わすじじとばばかな

        
          このあした鏡開きを寿ぐや

          うす紅にばらは咲くかな


          いましばし寛ぎいませ陽だまりに

          もてなし無けれど 小正月まで
         





「小寒の紫紺のぼたん」

2012-01-08 20:18:00 | 和歌

 霜月のまたの呼び名を「神帰月・かみきづき」とも言うと、二か月ほど前に「神帰月の木瓜」に書いて、「季節外れに咲いた木瓜」の花をご紹介した。

 神帰月・師走・如月と花の乏しい季節だが、虚庵夫人が季節外れの花を探したわけではあるまいが、「紫紺野牡丹・しこんのぼたん」の鉢植えを手に入れて、満面の笑みを湛えて帰宅した。それ以来、クリスマス寒波にも耐えて花を咲かせ続けてきたが、小寒を迎えて流石に黄葉となったが、未だに紫紺の花を咲かせる生命力には、感嘆だ。

 背丈は一メートルにも及ばぬ、見るからにひ弱そうな灌木だが、寒気に耐えられる逞しさは、何処に秘めているのであろうか。人間社会でも、外見はごく軟弱そうではあるが、厳しい環境の中で極めて積極的に、雄々しく立ち向かう姿に接し、目を瞠ることがある。彼がどのような鍛錬を積み重ねたかは知る由もないが、ものの捉え方、考え方そして事に及んでの取り組み姿勢など、本人が意識して自ら鍛えた結果であることは紛れもあるまい。その様な姿を拝見するだけでも、こちらが無言の訓えを頂く虚庵じじである。

 紫紺野牡丹は花が咲いた際に、蕊が乱れるので当初は好みに副わなかったが、これほどまでの逞しさを見せられて、敬服すると共に「いとおしさ」がこみ上げてきた。


 

          花の無き霜月・師走・睦月なれど

          紫紺のぼたん健気に咲くかも


          年越えの寒気に耐えて咲く花は

          いとどいとしき 愕きを超えて 

          
          首すぼめ寒さ耐えなむこの朝に

          野牡丹 紫紺の花ひらくとは  


          陽を浴びて戯れるらしそれぞれに

          しべ踊るかなその声聴かなむ
 

        



「ブルーベリーの紅葉」

2012-01-05 00:03:13 | 和歌
 
 「うつろ庵」のブルーベリーの紅葉が、目を愉しませてくれて久しい。

 灌木と言う程もない、未だ背丈も高々七十センチ程の幼木であるが、葉が色付き初めた初秋から真冬の睦月に至るまで、数か月に亘ってじじ・ばばを愉しませて呉れている。


 
 こんな背丈の小さな灌木だが、夏には小粒の実を付けて、孫達や虚庵夫人を愉しませてくれた。カメラに写っていない三株ほどが枝を絡めているが、ごく細い枝をかき分けて、葉に隠れる実を摘み取る孫の仕草も、微笑ましい姿だった。小指の先ほどの小ぶりの実だが、滋味溢れる味が子供には堪らないようだ。孫が小さな手に摘み取った中から、一粒二粒をじじ・ばばの口へ入れて呉れるのは、果実ブルーべりーの味覚を越えた味わいがある。

 幼木ではあるが、孫にもじじ・ばばにもそんな愉しみを施し、更には紅葉の楽しみをもたらして呉れるのだから堪らない。庭先にブルーベリーを植えた虚庵夫人は、甚くご満悦である。


 

          凍てつける庭に一際あかねさし

          ブルーベリーの 小葉 耀きにけり


          陽を受けて輝く木の葉は気高くも

          透ける模様に息を呑むかな


          小葉の縁の痛むはあわれせめて陽に

          暖をとれよと手を揉む今朝かな


          眼を寄せれば透ける木の葉の黄金なる

          細かき網目に捕われぬるかも


          幾たびか悦び受けにし朋なれば

          散り急くなかれ せめて暫しを
 

        



「龍翁睥睨」

2012-01-01 00:00:01 | 和歌

      明けまして おめでとうございます
      本年もどうぞよろしく お願い申し上げます




 

          天がける
          龍翁見しかも稲妻に
          雷鳴とどろく雲を巻き
          天下千里を睥睨す
          その心根の尊くば
          白眉白髯歳経るも
          准らはむかな龍翁に
          乱れる世をばへいげいし
            紙背を徹す
            力を給えと


          もろびとは易きに流るる世上なれば
          掉さす君と睥睨せむかな