「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「古木の感謝」

2011-12-30 21:19:24 | 和歌

 誠に苦衷の年でありました。
 想いかえせば、歯軋りの連続でした。

 首ヲ垂レテ、ヘコタレテハナラヌ !
 頭ヲ上ゲ、前ヲ見据エテ、一歩ヲ踏ミ出セ !

 このように己に命じて毎日を送り、歳の瀬を迎えました。
 皆様に支えられて、平成辛卯を送れることに感謝申し上げます。

 ブログ「虚庵居士のお遊び」にご来訪頂きました皆様の累計は、
 12月29日現在で123,247名
 ご愛読頂いた頁数は355,502頁、1頁には5日分を括っておりますので、
 ご愛読作品数は1,777,510作品の多くを数えました。
 ご来訪の都度、約15日分をご愛読下さったことになります。

 斯くも多くの皆様のご支援を頂きましたことに、心より感謝申し上げますと共に、
 来る年もまた変わらぬご支援を、よろしくお願い申し上げます。



 

          歳を経て朽ちる幹なれ苔のむす

          古木の姿におのれを重ねつ


          凍てつける冬過ぎぬれば芽を吹かむ

          花も咲かなむ鳥とも遊ばむ


          柴の戸を訪ね来る方おしなべて

          こころの通う親しき朋かな
 

        



「伊豆の曙」

2011-12-28 01:34:28 | 和歌

 年の瀬も迫った先週の週末、お仲間が伊豆高原に参会した。

 エネルギー問題に発言する会の十周年記念会と、一泊研修会を兼ねて皆さんが参集した。虚庵居士はこの会の設立発起人として当初から参加してきたが、斯界の錚々たる皆さんがお互いに刺激しあい、喧々諤々の議論を重ねた十年であった。個人的には普段の活動範囲を超えて、多くの皆様との接点を拡げ、IT世界でのネットワークを展開し、様々な機会をも頂戴した。

 久々にお会いするお仲間ともグラスを重ね、相も変わらず熱い思いを発露して、早々に爆睡した。何時もであればベッドに入るのは、午前二時・三時が当たり前であるが、「些かに酔いにけらしも」などと呟きつつ、二十四時前にベッドに伏せた。

 翌朝、まだ旭もあがらぬ時刻に目覚めた。
思えば、平成23年の新年試筆は「二十四時就寝」であった。どんなに遅くとも「二十四時までにはベッドに入ります」との宣言であったが、新年試筆の誓いは殆ど果たせず、伊豆に来て酔っぱらって、初めて実行できたのかもしれない。

 それにしても、伊豆高原の落葉樹の林を透かしての朝陽は、感激的であった。
パジャマ一枚で冷気も厭わず、カメラを手にしてベランダに駆け出した。
その時の一枚を掲載する。来年こそは「二十四時就寝」を叶え、朝暘に挨拶する毎日を送りたいものだ。



 

          伊豆に来て酔いにけらしもこの宵は

          あまたの議論とさかずき重ねて


          盃の向こうにま見ゆる白髪は

          爺にあらずも 熱きこころは


          幾年を重ねて来るかも年毎に

          老いぬ血気は 何処にはぐくむ


          曙のこの憶いこそ尊けれ

          伊豆の彼方に昇る朝陽は


          こずえすかしはるかかなたにのぼるひに

          おもひをかさねるいずのあさかな
 

        



「ぎぼうし・擬宝珠」

2011-12-23 23:12:55 | 和歌
 
 「うつろ庵」の「ぎぼうし・擬宝珠」が、季節外れの花を咲かせた。

 今年の晩秋は、様々な花が思いもよらず咲いて、「あれ!」と戸惑いつつも愉しませて貰った。  












 虚庵夫人が鉢植えにした擬宝珠も、葉の縁が枯れ始める頃になって、茎を伸ばしていた莟が一気に膨らんで開花した。冷気が厳しくなる昨今だが、擬宝珠の開花の決断に拍手を贈りたい。

 「うつろ庵」の狭い庭は、南向きの三方を珊瑚樹で囲こみ、寒風を遮っているので、庭の花木も草花にとっても、季節感を狂わせているのかもしれない。住人は「季節外れの開花だ」などと呑気な思いでいるが、庭に同居する彼女らにとっては、季節感を狂わせられて「迷惑よ」とノタマッテいるのかもしれない。

 それにしても、擬宝珠の花の縁はなんと繊細なことか!
ありきたりの花弁の縁は、花弁そのものの縁だが、擬宝珠の花弁の縁はごく繊細なフリルで飾られて、乙女の気品が漂っている。寒気にさらされれば、たちまちに傷んでしまいかねない繊細な花を咲かせて、「うつろ庵」の主にご挨拶くださった擬宝珠に「感激」だ。



 

          身をすぼめ庭におりたつ冬至かな

          朝の木漏れ日 莟を包むや


          いまだなお眠れる庭の一鉢の

          擬宝珠 姉弟の 朝の挨拶 
         

          稚けなき手のひらかざして このあした

          笑顔で迎える声を聞くかも


          朝日うけて私は元気よと背伸びする

          ギボウシ姉弟に手を振り応えぬ


          この寒きあしたに嫁ぐやかんばせに

          ベールをまとうふ 君の微笑み


          じじばばは君の幸せ念じつつ

          あれやこれやと思ひ惑いぬ
 

        



「千里丘陵の紅葉」

2011-12-20 12:40:18 | 和歌
                 
               「未定稿」のまま伊豆での研修会に馳せ参じ、
               中途半端な姿を三日ほどさらして失礼しました。
               拙い和歌六首をそえましたので、改めてお楽しみ下さい。

 先週の週末、千里丘陵の真っただ中にある大阪大学に行った。

 千里中央駅からお仲間と一緒に、タクシーに分乗してキャンパスに向かったが、その途上で素晴らしい紅葉の並木が、車窓を飾った。さっそくカバンからカメラを取り出したが、シャッターチャンスを逸した。カメラを構えたまま機会を狙ったが、3人掛けの狭いシートからは見事な紅葉を写すことは及ぶべくもなかった。


             路次様提供 「北千里駅から阪大への途上にて」以下同じ
   
 構内には既に、阪大・近大・東海大・東大などの学生が集まっていて、早速にテーマ別のグループに分かれて、シニアとの対話が始まった。

 対話会に先立って学生たちは、数か月に亘ってシニアとの「往復書簡」を積み重ねて来た。福島事故を踏まえて抽出した技術課題・社会科学問題・政策論など多岐に亘るテーマに付き、それぞれ自分なりの意見を添えてシニアにメールを投げ掛け、これにシニアが真摯に応えるという極めて類い稀な試みであるが、往復書簡を通じて学生たちは事の本質を掘り下げて来た。

 内容的にも文字表現では伝えにくいところを、膝を交えて意見交換したいとの学生の要望に応えて、関東・関西の錚々たるシニアが参加して、更に深堀りする議論が展開された。昼食の弁当を食べながらも熱の籠った意見交換が重ねられ、夕刻まで議論はとどまるところが無かった。最後には、それぞれのグループでの議論をまとめて紹介し、参加できなかったテーマの議論を疑似体験することで、より幅のある意見交換が出来た。

 早朝5時起きして新幹線で駆けつけ、帰宅は午前様になった強行軍で、肉体的にはかなりシンドイ一日であったが、学生諸君の真剣な眼差しと、総ての問題を我がこととして捉えている姿勢に、大きな手応えが感じられ、疲れを癒してくれた。

 「学生とシニアの対話会」を終えてホッとした翌日、お仲間の路次様から素晴らしいプレゼントが届いた。北千里駅から徒歩で阪大キャンパスに向かった途上で写した、紅葉並木の写真である。虚庵居士がカメラに収められなかったことを察知して、お送り下さったかとも思えるタイミングであった。お許しを頂いたのでここにご紹介させて頂く。


 

          千里行けば紅葉並木に埋もれて

          異次元世界に暫し遊びぬ


          紅と黄葉重なるこの道の

          先には燃える対話が控えぬ


          学生とシニアが膝を相交え

          熱き心を交わす今日かも


          原子力の大事故踏まえてこの先を

          我が事として 若者憂いぬ


          次世代に託さむとするシニアと

          若者熱く互いに語りぬ


          紅葉の千里の丘のキャンパスに

          心の炎も燃えにけらしも
 

        



「螳螂と花月」

2011-12-12 13:24:52 | 和歌

 師走も半ば、三浦半島の寒さも厳しくなった。

 そんな「うつろ庵」の庭に「カマキリ・螳螂」が現れた。
「金のなる木」の緑葉の中で鋭利なカマを折りたたんで、陽だまりを愉しんでいた。この庵の主は夕暮れ近くなると、グラスを片手にテラスの椅子に腰を据え、狭い庭を愉しむのが日課であったが、最近はその姿が見えなくなった。 寒さに怖じ気づき、背中を丸めている虚庵居士だが、螳螂は「爺さまのご機嫌伺い」に顔を出したのかもしれない。 

 螳螂は三角の頭を傾げ、体の割には際だって大きな目で虚庵居士をジッと窺っていた。爺さまの無事を確かめると、安心したかのように平然と立ち去った。 

 螳螂は肉食虫で知られるが、これからの時節は虫たちの数もめっきり減って、食糧調達にも難儀な事であろう。「爺さまのご機嫌伺い」に来てくれた螳螂が、雄か雌かは知らぬが、螳螂の雄は交尾を終えると雌の餌食にされると言う。誠に厳しい螳螂の世界だが、種の保存のための掟なのであろう。

 其れに引きかえ、螳螂が留まっていた「金のなる木」・別名「花月」は、多肉植物の典型でもあるが、折れて土の上に落ちた枝葉をそのまま放置すれば、それから根が出て子孫を増やす逞しさがある。螳螂と花月の一生は、相容れない世界の比較ではあるが、物思わせるものがある。


 

          螳螂のご機嫌伺い顔出しに

          近くに寄りて挨拶返しぬ


          螳螂は大きく鋭い鎌をたたみ

          首を傾け蹲踞するかな


          いと寒き時節を迎え螳螂の

          食糧事情を憂う爺かな


          種の保存の理のためとは謂いながら

          雌の餌食となる身を思いぬ


          魂きはる命を捧ぐは子のためか

          竟の極みに果てるにあらずも
 

        



「うつろ庵の梅花空木」

2011-12-07 23:06:50 | 和歌

 師走の7日、「大雪」を迎えたというのに、「うつろ庵の梅花空木」が咲いた。

 この時節は、山茶花を除けば花木は殆ど花を付けないが、「うつろ庵」の庭先の梅花空木が狂い咲きで、一輪だけ花をつけた。ひょろひょろっと伸びた枝の先端に莟が付いていたが、莟のまま咲かずに散るのかもしれないと危惧していたが、「うつろ庵」の陽だまりがお気に召したのであろう、虚庵居士夫妻を喜ばせて呉れた。

  この花は元来、晩春から梅雨の頃にかけて群れ咲く花だ。雨に濡れて咲く梅花空木の風情は楚々とした姿で、何とも言えない趣がある。たった一輪ではあるが、初冬に咲いた梅花空木は、「狂い咲き」などと冷たい表現をしては可哀想だ。「うつろ庵」のじじ・ばばと、師走の数日を楽しみに訪れた乙女との「えにし」を、大切にしたいものだ。



 

          白妙の梅花空木の花一輪

          朝日を浴びて師走に咲くかも


          老いぬれば梅花空木の狂い咲く

          花の一輪 いとおしきかな


          枝先の花一輪が風に揺れ

          語らふ仕草ぞ我妹子(わぎもこ)相手に


          じじばばを慰めるらし狂い咲く

          梅花空木の花一輪は


          来春に群れ咲く花を観まほしき

          梅花空木のいや咲く姿を
 

        



「山笑う・北陸線の車窓」

2011-12-02 21:48:58 | 和歌

 先週末、福井大・福井工大の学生とシニアとの対話会が開催されて、参加した。

 学部生と院生がほぼ半数づつの参加で、これに関西・関東からのエネルギー関連のシニアが加わって、質疑と意見交換が重ねられた。双方の大学は、関西・若狭・北陸・中部地域のエネルギー産業にとって、人材の育成と供給面で重要な役割を担っているので、大学も学生も対話会には極めて熱心であった。

 福島原発の事故は、学生たちに深刻な影響をもたらしているに違いあるまいと予想していたが、案に相違して学生たちは、原子力発電の果たすべき役割と次世代を担う彼等の将来を、かなりしっかりと展望していて、参加シニアが逆に元気を頂戴した対話会であった。


 
 予め学生たちは対話のテーマを選択しグループを編成していたが、福島事故を踏まえた基調講演での話題提供と問題提起に刺激されて、学生達の発言もシニアの応答もいやが上にも盛り上り、熱が籠った。

 学生食堂で開催された懇親会では、ほぼ半世紀近い年齢差を越えて和気藹々の交流の中にも、対話会の議論が再燃してとどまるところがなかった。


 

          学生は思うところを率直に

          語ればシニアは熱く応えぬ


          半世紀の年齢の差も気にかけず

          老若 意見を交わせば明るし


          懇親の集いに満ちる笑顔かな

          老いも若きも心打ち解け


          次世代に託す思いの深ければ

          手を握るかな笑顔の彼らと         


          山笑ふ北陸線の車窓観れば

          昨日の笑顔が重なる帰路かな


          窓越しの山々笑うは学生の

          見送る姿か笑顔を湛えて
         



「山笑う」とは、本来は俳句の春の季語であるが、緑一色だった山々の紅葉は満面の笑みを湛えていた。季語には副わないが、虚庵居士のお遊びの勝手な表現だと、ご容赦願いたい。