「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「大千成・せんなりほおづき」

2009-08-31 00:04:43 | 和歌

 何年か前になるが、仙台のさる割烹に飾ってあった小さな「ほおずき」風の枯枝が気に入って、酔いにまかせて褒めたら、女将が丁寧に包んで土産に下さった。

 それ以来、クリスタルの花器に投げ入れたまま、長いこと楽しんで来たが、ひょんなキッカケから「ほおずき」風の薄皮を破ったら、中からごく小さな種が採れた。或は芽生えるかもしれないと淡い期待を込めて、小さな鉢に種を蒔いた。

 幸いにも緑の若葉が育って、興味津々のうちに可憐な花をつけた。咲き終わると例の小さな「ほおずき」風の袋が、幾つもぶら下がった。仙台の割烹で見たあの姿が、「うつろ庵」の庭先にも再現されて、感激であった。

 花図鑑を調べたが名前が分からぬままに二・三週間を経て、「大千成・おおせんなり・せんなりほおづき」と知れた。粋な「おおせんなり」の風情に、仙台の割烹と女将が偲ばれる。





             花の後 結ぶ実枯らして小粋にも

             魅せるを知るや大千成は







             幾年を待ちにけるかな枯れ花の

             ままならずして花咲けるとは
   大千成


             湛えるは歓喜のなみだか降る雨を

             身に享けほほ笑むおおせんなりは






「人類の過ちと 原爆のトラウマ」 

2009-08-29 10:34:42 | 和歌

 原子力eye誌8月号に拙稿を掲載したので、供覧に付したい。
 皆様の忌憚なきご批判を仰ぎたい。

 原子力発電の社会的受容性: 

 原子力発電所の設備利用率は先進諸国の90%台に対して、我国は60%台で最悪だ。原因の一つは、原子力発電所が一旦停止すれば、「国・自治体・事業者の三すくみ」により、再立上げが出来ないことにあると以前に指摘したが、今回は「三すくみ」問題と深い関りのある、原子力発電に対する社会の
受容性について考えてみたい。

 原爆のトラウマ: 

 世論調査では、「原子力発電の必要性」について75%が理解を示しているが、「でも不安だ」との反応は65%だ。原子力関係者はこの「不安」にどこまで真正面から向きあって来たであろうか。 かつてNHKスペシャル「汚された大地から:チェルノブイル20年後の真実」が報道された直後に、筆者は次のように抗議した;二度の原爆を罹災した日本人は、「核」と「放射能・放射線」に極めて大きな「トラウマ/心的
外傷」を負っています。チェルノブイルに名を借りて「悲惨な被ばくの結果」だけを報道することは、とりもなおさず「原子力=放射線被ばく=癌多発=排斥すべし」との、短絡的な誤解を誘導することに繋がります。「原子力の平和利用」を否定する感情論の種を撒くことは、公な報道機関のNHKには許されない行為です(中略)。チェルノブイル事故は、欠陥原子炉だと先進諸国から指摘され、かつ「やってはイケナイ行為」の重畳が大惨事を招いたものです。この様な重要な解説が欠落したまま、「原爆のトラウマ」を煽る報道には猛省を促したい(後略)。
 平和利用と対極の原爆は神をも畏れぬ「人類の過ち」だ。戦争という異常事態での軍事行為だが、戦闘員が対象ではなく、何の抵抗手段すら持たない国民・婦女子を巻き添えにすることが明白だった「原爆投下」は、人道上決して許されない「人類の過ち」だ。

 人類の過ちを糺す: 

 「原子力の平和利用」は、エネルギー資源の乏しい日本の国家戦略だが、「平和利用の研究開発・利用の促進と、核軍縮・廃絶の政治運動は別次元の問題だ」として、原子力関係者は国民の核アレルギーから目を逸らせ、口を噤んで来なかったか。核の究極課題「核軍縮・廃絶」を、原子力関係者も国民と共に世界に訴え続ける義務があろう。日本の安全保障は米国の核の傘に守られているのは現実であるが、人類の正義と現実の矛盾を凌駕する姿勢を示さなければ、世界も国民も納得しまい。 

 オバマ米大統領のプラハ演説: 

 彼は「核兵器なき世界」への包括構想として、核軍縮交渉の推進、包括的核実験禁止条約(CTBT)批准、大量破壊兵器の拡散防止強化などを明言した。「核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には行動する『道義的責任』がある」との、米国大統領としての演説には万鈞の重みがある。
原子力関係者が「原爆のトラウマ」を真摯に受け止め、日本国民の不安の根源である「核」に対して明確な姿勢を示さぬ限り、国民の真の「信頼」は得られまい。「原子力発電の社会的受容性」の改善も、元を辿ればここに帰着しないだろうか。原子力関係者が信頼に足り得るか否かを国民は見ている。「信頼」の判断基準の一つは、国民と思いを共有し、頼りに出来る仲間か否か、ではなかろうか。

 科学的な説明は金科玉条か: 

 「放射能・放射線」も「原子力安全」も科学的に平明な説明がなされなければ理解は得られまい。「原子力基本法」が昭和30年に制定以来、原子力関係者は半世紀余に亘って、丁寧な説明を積み重ねて来た。結果的に国民の大方の理解は得られつつあるが、未だに国民の不安感情は拭えていない。日本の原子力はその生い立ちからも、科学的合理性だけでは信頼を得るには無理があることを、原子力関係者と共に咬み締めたい。
  原発の安定運転確保と隠ぺい体質の改善などは言を俣ないが、原子力関係者に「真摯な姿勢とは何か、国民と共有すべき思いは何か」をこの際、改めて問い直したい。




「花虎の尾」

2009-08-27 00:29:45 | 和歌
 
 「うつろ庵」のテラスの先には、何時の間にか様々な草花が入り混じって、折々の花を愉しませて呉れているが、昨今は「花虎の尾」が主役だ。

 早春は福寿草・水仙・ムスカリに始まり、やがて芍薬や紫蘭などが狭い花壇を次々に彩って、虚庵夫妻を愉しませてくれる。虚庵夫人がごく狭い花壇の隙間に、何の計画性もなしに植え込んだ結果だが、斯くも巧いこと時系列をなすことなど、彼女の頭に計算できていたとはとても思われない。しかしながら改めて問えば、「計算通りなのよ」と誇らしげにノタマウに違いあるまい。

 夕涼みを兼ねてテラスでの夕食が、この処「うつろ庵」の定番であるが、風灯に照らされておぼろげに揺れる「花虎の尾」は、庭園の小さなボンボリの風情があって、虚庵夫妻を惹きつけてやまない。

 長女も長男もそれぞれの家族と共に、遠く暮らすこの頃であるが、ビールとワインの酔いに任せて、孫たちの話題が尽きることもなく続くのは、「至福の夕べ」と云うものであろうか。





             ツンと立つ莟の列をかざしつつ

             花虎の尾は主役で咲くかな


             口あけて群れたる金魚か花々は

             のどの奥まで全てを晒して


             日をおいてやがて膨らむ莟かも

             序列を乱さぬ見事なけじめは


             風灯に照らされ揺れるはぼんぼりか

             花虎の尾に想いを重ねて






「うつろ庵の自然薯」

2009-08-24 10:33:47 | 和歌

 「うつろ庵」の庭で「自然薯」が採れた。

 テラスの先に植えてあった「金の生る木」は、子や孫も増え、いつの間にか嵩だかになりすぎたので、整理することにした。狭い庵の庭ゆえに、時には大胆に整理をしないと、植木や草花が溢れて息が詰まりそうになるのだ。「金の生る木」は根が張らないので、ごく簡単に整理作業は捗ったが、思わぬ副産物が採れた。「自然薯」である。

 かつて、近くの山歩きをした際に、自然薯の「むかご」を摘んで来たが、それを庭先にばら撒いて放置したら、自然児の逞しさとはこのことを言うのであろう。「むかご」が芽を出して、自然薯の蔓は何年かのうちに、葡萄棚を占拠するほどに繁茂した。根が張らない「金の生る木」の根元に、自然薯は逞しく根を下ろしていたのだった。

 横須賀のこの辺りは、半世紀ほど昔は遠浅の海岸であったが、三浦半島の山を削った岩や土砂で埋め立て、大がかりな造成工事を経て宅地化した地域だ。黒土の下には、三浦半島特有の泥岩が埋まっているので、自然薯の根は自由奔放な成長を妨げられ、その姿は艱難辛苦の歴史を物語っていた。

 「うつろ庵」の庭先に根を下して拾余年。貴重な自然の恵みをたまわったので、早速、晩酌の肴として味わった。栽培品種の長薯と比べ、極めて爽やかではあるが格段に凝縮された滋味は、白ワインと程よく響きあって、言葉を失った。

 老境に足を踏み入れた虚庵居士には、傘寿を超えた兄と姉が健在だが、「うつろ庵の自然薯」を食べさせたいと念じ、ごく僅かづつではあったが、宅急便に託して送り届けた。封を切って驚いたことであろう。ねじれ曲がった自然薯が転がり出てこようとは、想像すらしなかったに違いあるまい。
何時までも元気でいて欲しいものだ。





             山採りのむかごは庵に根を下ろし

             斯く逞しく育ちおるとは


             たまきわる尊き命を凝りたるや

             艱難辛苦の痕をとどめて


             うつろ庵の自然薯召しませふる里の

             老ゆる兄姉 永らえたまえや






「フランス便り」

2009-08-22 01:05:21 | 和歌

 フランスでのバケーションを楽しんでいる娘家族からの便りが、メールで届いた。

 9・11テロのグランド・ゼロ近くに居を構え、週の半分はニュージャージーの湖畔の別荘で暮らす娘一家は、友人の招きでフランスでの夏を楽しんだ。フランス南西部の都市、Toulouseからさらに100マイル程の田舎のシャトウを、別荘代りにする娘の友人家族と、一緒にサマーバケーションを楽しもうとのお招きだと云う。

 狭い日本の中での暮らしやレジャーの小旅行とは、発想からして桁の違うバケーションの過ごし方で、彼等のものの考え方や行動半径の大きさには、驚くばかりだ。孫息子も、9月の小学校入学前の区切りで、喜び勇んで出かけた。

 メールに添付して送り届けられた沢山の写真の中から、二・三枚の写真を掲載する。フランス人に交じって古代の模擬戦争を興味深そうに観戦したり、元気いっぱいにトレッキングする孫息子の眼には、人間の争いやピレネー山脈の崇高な景色が、どの様に映ったであろうか。





             フランスとスペイン隔てるピレネーの

             山脈み如何に孫は見つらむ







             なだらかな起伏に葡萄の畝延びて

             丹精引き継ぐ誇りを見るかも







             じじのため購い来たよと婿のかざす

             アルマニャックに酔ひたるここちす






「ゴルフと勝ち栗」

2009-08-19 22:48:08 | 和歌

 伊豆のゴルフ場で、お仲間同士のコンペが開催された。
このコンペは二つのゴルフ場のメンバーが、それぞれ同数の代表を出し合って、クラブ対抗のスキンズ
マッチでクラブチームの勝敗を争う、なかなかユニークな団体戦だ。20数名のゴルファーが、それぞれに研鑽した腕のみならず、仲間内の舌戦までが動員されるので、時には爆笑を誘い、神経戦も交わされるので、終了するまで勝ち負けは時々刻々と変化して、予断が許されない。

 昼食時のビールなどのアルコールも、スキンズマッチの戦いの一部ゆえに、注しつ注されつにも作戦を凝らし、酔っ払っては勝負を失いかねないが、ワイン好きの虚庵居士は呑み始めると何時もの通りご機嫌に酩酊して、午後のコースでは息切れする始末であった。

 加えて、数日前に右脚の肉離れが治癒しないままに参加したので、痛みを堪え、カートに頼らざるを得ない一日であった。スキンズマッチは苦しい対戦であったが、2ホールを残して虚庵居士は何とか若者に勝つことが出来た。全員が対戦を終了して、ゴルフ場近くの大きな蕎麦屋で表彰式を兼ねて、懇親パーティが開催された。和気あいあいのうちに、それぞれのスキンズマッチの勝敗が報告され、われわれシニア軍団は負け戦となった。

 負組のシニア代表は、勝組の若者代表に頭を下げて賞品を贈呈し、勝組代表はフンゾリ返って賞品を受け取るのが恒例だ。

 団体戦の勝負と合せて、個人戦もオフィシャルハンデキャップにより成績を競うが、右脚の肉離れで痛みが残る虚庵居士は、我慢と控えめのプレーに徹した。それが却って効を奏したのであろうか、意外にもグロス40+40の好成績であった。何人かの若者シングルプレーヤーを凌いで、ベストグロスと個人優勝の栄誉を得た。

 大きな蕎麦屋のカウンターには、山採りの栗イガが既に割れて、つややかな栗の実がノゾイテいた。「勝ち栗」なる言葉があるが、個人優勝との縁起を感じ、ご無理をお願いしてお土産に頂戴して帰った。






             伊豆山の栗の実割れてふくよかな

             三つ栗のぞく秋はきにけり


             勝ち栗の言葉の響きに誘われて

             土産に貰えばイガの痛さよ


             勝ち誇る思いに栗イガ鋭くも

             指刺しにけり 戒め忘れな






「50,000人のご来訪に感謝」

2009-08-17 11:13:55 | 和歌

 8月14日、ブログ「虚庵居士のお遊び」のご来訪者が、50,000人を超えました。
斯くも多くの皆様がお立ち寄り下さって、「うつろ庵」の主としては感涙にむせぶ思いであります。

 一口に50,000人と申しましても、実感が湧かないので、目下TVを賑わしている高校野球の、球場
入場者数を調べてみました。甲子園球場の座席総数が、47,808席。
満席で熱気に沸き立つ高校野球を、遥かに凌ぐ50,000人という数の持つ重みを、改めてズシリと感じ入り、皆々様の励ましを大変有難いことと御礼申し上げます。

 2006年から約3年半の記録を辿りますと、2008年7月に3万人、2009年2月に4万人、そして今回は半年で50,000人を超え、1日当たりのご来訪者が徐々に増えつつあることにも、身の引き締まる思いであります。

 元々「お遊び」のブログではありますが、折々の花や事にふれ、虚庵居士の目に、心にとまった
「チョッとしたこと」を書き連ねて参りますので、今後とも変わらぬお付き合いをよろしくお願い致します。





             五万もの数多の人びと訪ね来るも

             なおひそやかな苫の庵は


             昼顔の幽かに揺れる門辺かな

             せめての気配り言葉に代えなむ








             霧雨をただひたすらに顔にうけて

             昼顔しるらむもののあわれを






"モダンダンス: Hand in Hand "

2009-08-14 11:50:17 | 和歌
 
 日頃からお世話になっている方が、モダン・ダンスのビデオをメールで送って下さった。
ビデオを開く前に、下記のメッセージを先ず読むようにとの指示が添えられていたが・・・。歳をとるとよろずセッカチになって、面倒なことはついつい先延ばしする、悪い習慣が身についてしまった。

 何の予備知識もなくビデオを観て、心がふるえた。
見終わったのちもビデオを閉じがたく、繰り返し、また繰り返し観た。“Hand in Hand” のタイトルそのものの、二人が支え合うモダンダンスの展開に齢を超えて涙がこぼれ、深くこころに響いた。舞台中央の、傾きつつもバランスのとれたダイナミックな書 『舞』と、二人の舞とが交差して、現実を超える世界に誘われ、感動した。

 このビデオは中国・国営放送CCTVが、世界に向けて英語で放映したものだが、誰かがそれに英語でメッセージを添えて配信したものだ。 ビデオを観る前に先ずメッセージを読みなさいと注意を喚起し、更に「将に美しいダンスの画期的な改革だ。ご覧になれば、貴方はとりこになるであろう」と激賞している。
英語のメッセージに代えて、虚庵居士の拙い翻訳を以下に掲げる。

 



             松葉杖片手に踊る彼を支え

             小柄な彼女も片腕なしとは


             差し伸べる片手と片手の松葉杖の

             交わす心の絆の舞かな







             肉体の苦難を乗り越えかの二人の

             託す想いをダンスに観しかも




         ・・・・・ ビデオ添付のメッセージ 日本語版 (一部虚庵補足) ・・・・・

 中国・国営放送TVでのモダンダンスのコンペで、非常にユニークなカップルが最高賞に輝いた。
バレリーナMa Li は、小さな子供の頃から訓練を積んだ、美人で将来を嘱望されたバレリーナであった。
1996年、19歳だった彼女は車の事故で右腕を完全に失い、夢は無残にも砕かれた。

 そんな彼女に、ある人が子供達のダンス・コーチを依頼した。それがキッカケで、彼女は腕を失ってもまだダンスを愛し、もう一度ダンスをしたいと願い、ダンスを忘れられないでいる自分を再発見した。
それから、彼女はルーチン練習を再開したが、片腕を失っただけでなく、体のバランスをも失っているのに愕然とした。単純な回転やスピンですら、倒れずに出来るまでにはかなりの時間を要した。

 彼女はそんなある日、事故で片脚を失った20歳の男性がいることを聞き及んだ。
4歳の時、トラックターから落ちて左脚を失った若者だ。身障者の彼は異常な拒絶反応を示したり、落込んだり或は激高したりといった、感情的にも起伏の激しい状態を繰り返す彼であった。しかしながら、彼女は彼を捜し出し、何とか説得して一緒に踊りたいと心に決めた・・・。

 彼はこれまで一度もダンスを踊ったこともないばかりか、しかも片脚だけで踊る・・・?
冗談じゃない “とんでもない!” との反応であった。

 だが、彼女は諦めなかった。そして彼 Zhai Xiaoweiは、しぶしぶではあったが、“どの道、他にやることもないのだし”と考えるようになった。二人は何遍か挫けそうになった。
彼には、筋肉をどの様に使い、体をどの様にコントロールするのか思いも及ばなかったし、ダンスの基礎的なことについて何も知らなかったのだから。
彼女にフラストレーションが溜まり我慢できないとみれば、彼はそっとその場を離れ、外に出た。
だが、最後には二人とも元に戻り、真剣に練習を重ねる二人であった。

 彼女は(彼に支えられて)、両手で(片腕は袖だけで)空中高く舞いたいと願った。
彼は水平に折り曲げた体を片脚で支え、横たわった彼女を自分の体に乗せたいと念じた。彼等は自分達のダンスを創ろうと、振付師 Zhao Limin の協力を得て様々なルーチンを追求した。

 ダンスのコンペで彼等は美しく優雅に舞い、そして正真正銘の勝者として輝いた。

 このヴィデオを観たとき、私は片脚を失った若者にのみ目を奪われ、女性が片腕を失っていることに全く気が付きませんでした。本当に驚きです。


          ビデオ”Hand in Hand”は、ここをクリック。





「ハヤチネウスユキソウ・早池峰薄雪草」

2009-08-11 01:14:44 | 和歌

 7月下旬、友人は10日間ほど雲隠れしていたが、8月に入ってからメールが届いた。曰く、「何の土産もありませんが、長年の懸案であった早池峰山で、ハヤチネウスユキソウを撮ってきました」と、2枚の貴重な写真を送って下さった。
日本100名山の一つ早池峰山と、この山だけの高山植物、「ハヤチネウスユキソウ・早池峰薄雪草」だ。





 「長年の懸案であった早池峰山」との記述から、彼のこの山にかける並々ならぬ思い入れが窺える。
かって旧友の山男から聞いた話をおぼろげに思い出した。虚庵居士は山も岩石にもズブの素人だが、この山は蛇紋岩というヘビ皮模様を思わせる特別な岩が山をなし、その岩の風化した土壌が植生にも特別な環境を保って、固有の高山植物を育んでいるらしい。その辺りが、その道の好き者にとっては垂涎の「お山」なのであろう。

 
             早池峰の薄雪草を写しきて

             土産に代えてと君はメールに







 送って下さった高山植物、ハヤチネウスユキソウの写真をみて、咄嗟に”Edelweiss"を思い出した。
嘗てビジネスを超えて親しくお付き合いしたMogenthaler社長夫人から、母国Slovenijaの”Edelweiss"の押花額を頂いたことを思い出した。
 
 ご夫妻のお招きを受けて、カリフォルニア・ロスガトスの豪壮な邸宅を訪問した際に、鷺草の水彩画に
自詠歌を書き添えた作品の複製を、額装してお土産に持参したら甚く気に入って下さった。その作品への返礼として、彼女の日本訪問の土産に持参して下さったものだ。

 スロベニア美人の彼女は米国有名企業の現役副社長であったが、母国を訪れた際に、「Mr.Kyoan に
プレゼントしたい」とわざわざ買い求めて持参したと伺い、感激したものだった。鷺草の気品ある姿を感じとって、高貴なEdelweissで応えてくれたその想いが、純粋に心に響いた。





             乱れ飛ぶ水際の鷺かしろたえの

             群れ咲く花のすがたけだかし


             スロベニアのエーデルワイスを我がために

             旅路を重ねて土産になすとは






国・自治体・事業者の「三すくみ」を憂う

2009-08-09 22:19:38 | 和歌

 原子力OBの活動「シニアと学生の対話会」について触れた序に、原子力eye誌に掲載した拙稿を供覧にふしたい。コメント書き込み或はメールにて、皆様の忌憚なきご批判を仰ぎたい。


 原子力ざっくばらん: 国・自治体・事業者の「三すくみ」を憂う


 洞爺湖サミットを振返る: 

 地球温暖化とエネルギー需要の爆発的な増大は世界的な課題として、洞爺湖サミットの主要議題で
あった。 首脳宣言で、原子力は化石燃料依存を減し、温室効果ガス排出低減には不可欠の手段だと
明記し、わが国提案の原子力エネルギー基盤整備に関する国際イニシアティブ開始の合意は、高く評価される。

 世界の観る日本:

 期待を担う原子力ではあるが、議長国・日本の運転実績は奈落の底に喘ぎ、真の実力を示せなかったことは誠に残念だ。わが国では、「原子力立国計画」が宣言されて久しい。 立派な原子力政策を掲げているが、G8諸国に「実態の伴わない空念仏」と見られていなかったであろうか?
 「原子力発電所の計画外停止率」を見よう。 原発の信頼性指標だが、我国は諸外国の1/5~1/8、
フランスの1/15で、世界の注目を集めている。翻って「設備利用率」はどうか。どの程度効率よく原発を働かせているかの指標だが、わが国は先進諸国の中で最悪だ。原因は明白だ。長期に亘って原発を停止し、稼働させないからだ。
 「世界に技術力を誇る日本が、何故運転を継続しないのか?」と彼等は蔑視する。「安全を損なわない軽微な故障でも安易に原発を停止し、修理後も何故、直ちに再起動しないのか?」と訝る。原発の故障停止に係わる日米のデータ分析によれば、停止・起動操作、補修工事等の日数に有意差はないが、国・自治体向け説明に米国の数倍の日数を費やしている。彼等は規制当局の検査と運転再開の了解を得て、直ちに戦列に復帰させるが、わが国では規制権限の無い自治体が、住民の安全を盾に首を縦に振らない限り、原発は再起動できない。先進諸国から蔑視されているわが国「設備利用率」低迷の一因が、
実はここにもある。「住民を代表し、その安全を守る」と自治体首長は強調するが、原発の運転管理の規制権限を超えて隠然とした力を示すのは、法治国家では奇怪だ。

 規制と住民の安心:

 国の規制とは「国民の安全を守り、公益目的であるエネルギーの安定供給を確保するための法制度」だが、原発「維持基準」の例を見よう。国が技術の学識経験者を動員して基準制定をして5年を経たが、さる県議会では、その受入を巡って数か月前まで審議していた。法的矛盾も気になるが、最も肝心な「住民の安心」は、県議会の審議で担保出来ものでもあるまい。
 米国の原発駐在の検査官は、検査結果を毎日Webで公表し、そのオープンな姿勢から、結果的に住民は安心を得ている。米国の設備利用率は最悪状態から、世界のトップクラスに蘇り、忌み嫌われた迷惑施設(NIMBY)が今や、PIMBY(Please in my backyard)に脱皮し、地域住民は原発を誇りにしていることを付け加えたい。

 トップの姿勢と発言:

 原発の運転管理、殊に「設備利用率」の改善は事業者の経営課題ではあるが、公益性と住民の安心を鑑みれば、国家的な視点と国民の目線が肝要だ。国・自治体・事業者の、「本音の意見交換」が強く求められる所以だ。中越沖地震発生時の深夜に、行政の長が事業者のトップを呼びつけ、記者達の前で叱正しても、国民の安心は得られまい。緊急時こそ、国は安全に関する明確なメッセージを、速やかに発信すべきだ。事業者のトップが自治体首長に頭を下げても、住民は納得出来ない。事業者は国民の安心を「ないがしろ」にして自治体に「おもね」、行政は「大衆向け人気取り」をしているとしか国民の目には映らない。
 中越沖地震への設備補強が整い、再立上げの準備が整いつつある今こそ、国・自治体の幹部は、率先して原発に足を運び、事業者の幹部は自ら案内し、歯に衣を着せぬ本音の対話を強く望みたい。
それぞれのトップが、己の目で確かめた結果を生の言葉で、メディアを通じて発言して貰いたい。
それこそが、何物にも代え難い国民の安心に繋がる筈だ。
 「設備利用率」の改善は事業者の経営課題を超越して、立地自治体にとっては税収の要でもあり、「住民の安心に繋がる特効薬」でもあることを、あえて付記したい。




「シニアと学生の対話会in北海道」と 小樽・銭函

2009-08-07 22:30:02 | 和歌

 7月の下旬に、北海道を訪ねた。

 北大の学生とシニアの対話会を日本原子力学会・シニアネットワーク(SNW)が開催し、これに参加した。またこの機会に、予てよりこのブログで交流させて頂いている お~どりん様のご厚意で、小樽・銭函をご案内頂いた。

 次世代を担う学生を励ましつつ、エネルギーと環境問題につきシニアと学生が率直な意見交換をしようとの試みを、お仲間と共に初めて、既に5年。対話会は全国各地の大学で30余回を数え、参加した大学生諸君は1000名を遥かに超えた。今回は北大で原子力工学を学ぶ学部生・大学院生を中心に、ホットで熱心な議論が展開された。何れSNWのホームページに詳しく掲載されるので、ここでは今回の際立った企画の一つを紹介するに留める;

 先輩卒業生の参加に拍手!  

 3人の卒業生が、忙しい日程を割いて参加し、学生と年齢差が少ない先輩の「生の声」を伝えたのは、出色の企画であった。シニアとの年齢差がほぼ半世紀の学生にとって、兄貴分の先輩の生の声は、将に感覚的な翻訳機能を果したに違いあるまい。卒業直後の若手社員とは言いながら、既にバリバリ活躍している先輩は、学生の目には眩しい存在であったろう。彼等の果たした役割は、極めて大きなものが
あった筈だ。次回からは、各グループに配属出来る人数の卒業生を、出来れば確保したいものだ。


 対話会に際して短時間ではあったが、低温科学研究所を視察させて貰った。
「雪の結晶」の研究で名高い中谷宇吉郎博士が始祖で、国際的にも注目される研究の中核だ。ここでは南極大陸の、厚さ約3000mに及ぶ氷床に閉じ込められている約34億年の気候変動の痕跡を、氷の中の空気分析で研究している。マイナス50℃の冷蔵庫の中で、貴重な氷床コアを見せて頂いた。
厚さ約3000mの氷の圧力で気泡が完全に潰れた、34億年前の透明な氷の輝きは、神秘的であった。





             今ここに三十四億年経てもなお

             輝く氷に 息をのむかな







 マイナス50℃の冷蔵庫は、眼元が痛いほどの寒さであった。感激の氷床コアとの対面を果たして外に出たら、老眼鏡は外の湿気をたちまち凍らせて、真っ白になった。


             南極の氷床コアが閉じ込める

             凍れる世界を眼鏡は告げるや




 北大での対話会を終えて、次の日は小樽・銭函に足を伸ばした。 
このブログ「虚庵居士のお遊び」を通じて交流させて頂いている、お~どりん様ご夫妻に心のこもったご案内を頂いた。眺望の素晴らしい毛無山は残念ながら霧に包まれていたが、山頂への心地よいドライブと気の置けない歓談を愉しんだ。鰊御殿では巨万の富を築いた網元の息吹きを聞き、運河と連なる石造の倉庫に往時の活況を偲び、新鮮なネタの握り寿司をも堪能させて頂いた。 JR銭函駅にご夫妻でお見送り頂き、心温まる半日の行楽に感謝しつつ、お別れした。

 駅のホームに佇み、ふと見上げると巨大な「銭函」がつり下げられていた。
後側には「開駅 明治13年11月28日」と大書され、函の下側には地名・駅名「銭函」のイワレが認められていた; 「当地はむかしニシンの千石場所といわれるほどの豊漁地で 漁民の家にも銭函があったといわれ これが地名となり駅名となったものである」

 帰宅後にお~どりん様からメールを頂戴した。虚庵居士が「銭函」を物珍しげに眺め、カメラに収めている姿を、お二人は遠くからそっと見守って下さっていたという。大きな口を開けて、天井の「銭函」を見上げていたかもしれないが・・・。





             銭函の心ゆたかな住み人の

             元を辿れば 銭函なるとは






「茗荷」

2009-08-05 21:41:02 | 和歌

 「うつろ庵」の裏庭で、茗荷が採れた。

 かれこれ30余年の昔、現在の「うつろ庵」に居を構えた際に、さるご夫妻から茗荷の一株を頂戴して、裏庭に植えた。態々お持ち下さった奥方様は、「手元に茗荷の一株があれば、とっさの時に役立つのよ」と仰って、新聞紙に包んだ一株を虚庵夫人に手渡されたのが、つい昨日のように思い出される。

 それ以来、この時節になれば茗荷を摘んで、香ばしい薬味として愉しませて頂いている。
今年もまた、虚庵夫人に催促されて、やぶ蚊の攻撃を受けならが摘みとった。
落ち葉の下からそっと顔をのぞかせた茗荷、或は花を咲かせた茗荷など、丁寧に探せばもっと採れるのだろうが、この程度あれば十分だ。





             腰かがめ落ち葉を掻き分け一株を

             土産に貰いし昔を偲びぬ


             いとどすがし 茗荷の香りと土の香ぞ
               
             土産の一株いまだに貴く


             切り刻み薬味となせば香り立つ

             茗荷に思ほゆ かのご夫妻を






「朝日とレインリリー」

2009-08-03 13:58:20 | 和歌
 
 朝日が花びらを透かせて、レインリリーが「おはようゴザイマス」と挨拶しているようだ。

 「うつろ庵」の生垣・珊瑚樹は、太陽に向けて腕を伸ばすが、屋敷側はいわば裏側と言った感じになる。虚庵夫人はその枝の間に花鉢を載せて、彩りを愉しんでいる。花鉢の一つに植えてあったレインリリーが咲いて、珊瑚樹の色濃い葉との対比が、誠に見事であった。




             朝日受け生垣を背に浮きいずる

             レインリリーは花びら透かせて



 
 この花は、またの名をハブランサスとも呼ぶが、つゆ時から梅雨明けにかけてさくので、レインリリーとの呼び名が覚えやすいようだ。

 せっかく咲いたレインリリーの花だが、庭木の枝が鑑賞を邪魔するので、珊瑚樹の特設花棚から下して場所替えをした。先ほどまでは逆光が花びらを透かせて、普段では見られない花の味わいがあったが、順光で見るとまた花の麗しさが一段と見事であった。花と光の相対関係が、これ程までに微妙な味わいを演出してくれるとは! 写真家や画家が、光の扱いに拘るのもよく頷けるというものだ。




             陽を受けてひと際かんばせ映えるかな 

             黄金のしべを花芯に抱きて


             反り返るうす紅の花びらの

             想いを享けまし誇りもあわせて






「唐綿と セキセイインコ」

2009-08-01 13:29:30 | 和歌

 「うつろ庵」の門先に、唐綿が咲いた。

 門被り松が長く腕を伸ばすその下に、古い鳥籠と一鉢があるが、何時の間にか唐綿が芽生えて、捨て置かれた鳥籠に凭れて風に揺れている。





             雨風に朽ちなんとする鳥かごに

             手弱女凭れて 唐綿咲くかも




 この鳥籠には、面白いエピソードがある。
買い物に出かけた虚庵夫人は、デパートの骨董市でこの鳥籠を見つけた。彼女に言わせれば「体に電気が走って」甚くシビレ、衝動買いして来た。元々小鳥を飼うつもりなど毛頭ない彼女は、玄関先のあしらいにしたかったのだ。玄関先におかれた鳥籠は、ビーズの飾り蝶番なども粋で、その後も彼女のお気に入りであった。

 どれほど経った頃であろうか、ある日、虚庵夫人は素っ頓狂な声を張り上げた。

 何と、セキセイインコが鳥籠の中に、澄まして納まっているではないか。

 どこぞのお宅で飼われていたインコは、元の「棲み処」とよく似た鳥籠に出会って、自発的に潜込んだものの様だ。鳥籠の下部には、餌や水を出し入れする狭い板戸が付いているが、板戸の固定金具はとれたまま放置してあったので、インコは容易く潜り込んだのであろう。

 それから2・3日は、テンヤワンヤの日が続いた。
やれ餌をどうするか? 水は? 止り木は? 鳥籠の置き場所は? 野良猫からどのように守ってやるか? などなど、未経験の夫妻にとっては、嬉しい悲鳴の連続であった。それにしても、セキセイインコが自ら進んで鳥籠に棲みつくとは・・・。二人して手を取り合って、幸運を喜びあったものだった。

 だが、その喜びも束の間であった。

鳥籠の操作に慣れない虚庵夫人が、餌鉢を取り出そうと板戸を開けたとたんに、わずかの隙間から、インコは外へ飛び出した。暫くは近くの生垣に止まって虚庵夫人を見下ろしていたが、やがて大空へ飛び立って、再び戻っては来なかった。

 あの時のセキセイインコの眼差しは「今でも忘れられないの」、彼女の科白である。
 




             鳥籠に秘めにし昔の物語を

             知る筈もなく小花は咲くなり


             唐綿の小花はじけて咲き居るを

             小蟻一匹 如何にや知るらむ 


             鳥籠の昔ばなしをとうわたは

             いずこへ運ぶや風に舞い立ち