「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「定家のなみだか」

2008-06-26 23:02:10 | 和歌

 「定家葛・ていかかずら」の写真を編集ページに貼り付けたまま、あっという間に2週間が過ぎ去った。

 「うつろ庵」の近くで、雨の雫を湛えた定家葛の花に出会い、その風情からは定家の万感の思いが伝わってくるように思われた。その時の胸に浮かんだ思いは薄れたが、写真にとどめた姿はじっと堪えて待っている定家の姿だ。




             
            しろたえの花のしずくは雨ゆえに

            ひとはばからぬ定家のなみだか


            思ひをば絡める蔦にこめにしや

            焚きこむ衣の香りを抱きて


            今もなお君が思ひを偲びつつ

            しずくに隠すは泪なりけり






「さらば 朋よ」

2008-06-11 02:46:38 | 和歌

  「うつろ庵」の、いや、むしろ町内のシンボル・ツリー
であった檜の老木が、昨年秋に枯れた。

 幹に絡み付いた蔦の葉の風情が捨てがたく、殊に秋の紅葉は、横須賀のような温暖な土地であっても見事であった。浅はかにも身勝手な住人は、絡み付いた蔦をそのまま何年も寄生させて、檜と蔦の双方を愉しんで来たが、どうやらこれが禍したようだ。
素人判断で蔦だとばかり信じていたが、植木職人に言わせれば蔦は「藪枯らし」との異名を持ち、絡み付いた樹木を傷めつけ、遂には枯死させる威力の持ち主だという。檜の樹勢が怪しくなって、葉が枯れ始めてから知ったが、後の祭りであった。

 蔦を檜の幹から引き離そううとしたが、ひと筋縄でないことを発見した。蔦の蔓は、ムカデの足よろしく、いたる所から太い根をびっしりと出して、これが檜の樹皮に食い込み樹液を吸いとっていた。寄生植物のすざまじさに、改めて慄然とした。


              絡み付く蔦の猛威も弁えず

           風情を愉しむ? わてアホやねん!



 「藪枯らし」のムカデ根を丁寧に切り取って、檜の幹はキレイさっぱりとなったが、一たび枯れ始めた檜の葉は、再び緑を取り戻さずに冬を迎えた。

 檜には大変申し訳ないことをしたと云う、悔恨の念に苛まれたまま、ひと冬を過ごすことになった。
梢まで枯葉を付けたままの檜は、木枯らしにも枯れ枝を張って、じっと耐えているかに見えた。

 「春になったら、ひょっとして緑の新芽が萌え出でるかも知れない」と、儚い望みを託して春を待った。
3月を迎え、4月になり、5月の末になっても変化は現れなかった。 

 悲しくも辛い決断であったが、伐採することにした。
このまま放置して枯れ枝が落下したり、場合によれば倒木という不測の事態をも招きかねないのは、何としても
防止せねばなるまい。


              木枯しに腕を拡げてたじろがず

           気概を示しぬ 檜は枯れるも










                                  檜との別れの酒を猪口に入れ
           
            涕堪えて鳶に注がせぬ 



 鳶は身軽によじ登り、手際よく枝を払って檜を丸裸にした。

 クレーンのアームを目一杯に伸ばして檜を掴み、鳶は根元に腰を据えた。檜との別れの酒は既に終えているので、鳶は無言でチェーンソーを起動した。心地よい爆音を響かせて、瞬く間に伐り終えた。クレーンで天空高く吊りあげられた檜の幹は、辺りを見回し別れを惜しむかのようにひと揺れして、静に降りて来た。トラックの荷台に納めるには余りにも大きすぎて、鳶はクレーンに吊ったまま難儀な作業を繰り返した。横たわった檜は、木丈の半分以上を荷台からせり出して納まったが、このまま街中を運送出来る筈もなく、この後、更に裁断して荷台へ納めた。





              伐られてもなお逞しき我が朋の  

            い逝く姿を誇る今日かも



 鳶が伐採作業を終えた後に、切株の年輪を数えた。檜と杉の樹形はよく似ているが、成長は杉と比べれば格段に遅い。                              
                      それゆえに目が詰んで、建築資材としては格段の差がある所以だ。その程度のことは心得ている積りであったが、いざ年輪を数えようと切株の間近に近ずいて、その凋密な木目には改めて感心させられた。

 慌てて老眼鏡を掛けて、改めて切株を覗き込み、ところどころ朧な木目を丹念に数えて、驚いた。
何と年輪は73にも及ぶではないか。虚庵居士が横須賀に移り住んで以来、既に30余年になるが、この檜とはそれ以来の長い付き合いであった。

 檜の無くなった空を見上げれば、そこの虚しい空間が、これまでの檜の存在感を何よりも物語っているようだ。


            腰落し檜の面影探しおれば

            なぐさむ風情の桔梗草かな






「柚子の大馬鹿 十八年」

2008-06-07 20:51:57 | 和歌

 今年は柚子に花が付き、実がなった。

 昔からの言い伝えでは、『桃栗 三年、柿 八年、柚子の大馬鹿 十八年』と言う。ことほど左様に、柚子は実がつくのが遅いので知られているが、「うつろ庵」の住人になってからでも既に5年余、今年は初めて花が咲いた。木丈の生育も殊のほか遅く、枝を剪定したこともあるが、5年でやっと5・60センチ程度か。




             
            幾とせを待ちにけるかな白妙の

            気高き五弁の柚子の花ぞも


            大馬鹿と人は勝手に云うならめ

            柚子の憶ひを はかり難くば
          





             
            子を守る思ひならむや 柚子の棘は

            いとど鋭く 誰から守るや


            黄柑に育つを待ちなむ孫たちを

            見守るじじの思ひに重ねて 






「赤き ぐみの実」

2008-06-06 23:14:00 | 和歌
 
 「うつろ庵」の「ぐみの実」が赤く熟して、たべて食べてとセガンデいる様だ。

 孫のCameronくんや、りかちゃんが横須賀のじじ・ばばを訪ねて来るまで、小枝の先で果たして頑張れるであろうか。ぐみの実は熟し切ると、自然の摂理に従ってバラバラと撒き散らされるので、チビちゃんたちが来るまでは何とか頑張って欲しいものだ。
小枝から「ぐみの実」を摘むなどとは無類なことゆえ、喜々と遊ぶであろうが、マイルドな甘い菓子に慣れた孫たちには、渋みが舌に残る「ぐみの味」は、多分お気に召すまい。しかしながら、小枝にたわわな「ぐみ」の自然の姿だけでも見せてやりたいものだ。




             
            鈴なりのぐみを見せばや孫たちに

            はしゃぐ声聴き共に摘みたや






            
            みずみずし ぐみの実熟してはちきれむ

            たべて食べてとせがむが如くに


            おみな児の青きぐみとぞ思ひきに
           
            乙女の素肌か透けて熟すは






「佐渡・金北山の高山植物 その4」

2008-06-02 23:24:49 | 和歌

 シリーズでご紹介してきた佐渡・金北山の高山植物も、休みやすみの掲載ゆえに最終回の今日は、ついに梅雨をむかえた。佐渡も小雨にけむっているに違いない。





 猩々とは、古人が創りだした架空のケモノ。酒が好物で、しとど酔うた顔には朱がさすと云うが、つね日頃の虚庵居士もさながら猩々そのものといったところだ。
朱面を付ける能舞の猩々は、酒を堪能し、足さばきは水面に浮かぶが如く、はたまた飛沫を上げて水上に跳躍するが如く、髪振り乱して千変万化に舞い戯れ遊ぶ。

 猩袴の花の風情に、髪振り乱す謡曲の一節が思い出されて・・・。


          猩袴(しょうじょうばかま)

            芦笛と波の鼓は空耳か

            猩々舞ふに いざ酒酌まむ







          一人静(ひとりしずか)

            君知るや山伏二人の越後路を

            一人静は佐渡に咲くかも







          山荷葉(さんかよう)

            山深く踏み分け入れば大き葉に

            小花を抱ける母児迎えぬ







            
            いとけなき小花は小声の囁きに

            耳を貸すらしこうべを傾け




 佐渡・金北山に登山されたK氏が、高山植物の写真集を態々お届け下さったのは、ほぼ1ヶ月前であった。学生時代以来、山登りから遠のいている虚庵居士にとっては、誠に貴重な贈物であった。花ばなと言葉を交わすうちに、何時しかK氏に誘われて、一歩一歩高みへ登ってゆく思いであった。

 高山植物に和して詠んだ歌の数々は、その様な夢想世界で佐渡・金北山の仙郷に遊び、花々と交わした詞を書き記したものである。

 本来であれば、K氏のご芳名を明かすべきであろうが、万が一ご迷惑の及ぶことがあっては申し訳ないので、敢てK氏とさせて頂いた。貴重な写真の数々をご提供下さったことに改めて感謝申し上げて、四回シリーズを閉じることとしたい。