「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「やんちゃ梅」

2008-01-16 23:40:42 | 和歌

 ニューヨークに嫁いでいる娘は昨年の夏に、あろうことかまだ4歳の孫 Cameronくんをたった一人で、しかも一ヶ月に亘ってじじ・ばばに預けて、自分は東京の高級ホテル住まいでビジネスに明け暮れた。

 しかも娘は、「うつろ庵」の近くの私立幼稚園にCameronくんを短期入園させて、ひと夏の日本の体験をさせたいとの欲張りな希望を押し付けてきた。じじ・ばばは、何とか娘の希望を叶え、孫にも日本のお友達と楽しく遊ばせてやりたいと、無理を承知で園長先生に直談判して、受け入れて頂くことに成功した。

 それからのじじ・ばばは、何十年振りかの子育てに、日夜没頭させられた。
バイリンガルとはいえ、日本語はたどたどしいCameronくんにとっては、さぞや難行苦行の毎日であったろう。何日かは「イキタクナイ!」との絶呼もあったが、幼稚園に行けば可愛い女の子が待っていて、手を取り合って教室に駆けていく後姿に、ホットしたものだった。

 狭い「うつろ庵」の庭先には、鉢植えの白梅を路地に移植してあったが、その脇にブルーベリーが濃い紫の実をつけて、Cameronくんと一緒に摘み取るのが楽しみだった。小正月を過ぎて、ブルーベリーの葉は鮮やかな紅に変り、背丈の小ぶりな白梅が香り立つ花を付けた。

 Cameronくんに白梅の写真を送ったら、ブルーベリーの実を摘んだ隣の、梅の木を思い出すであろうか? じじ・ばばと過ごしたCameronくんとの夏は、掛け替えのない娘からの贈り物であった。 感謝と共に、珠玉の思い出になっている。






              白梅はやんちゃなるらし アチコチを

           向きて咲くかな稚児の風情に


           いな吹きそ梅が香りをかき消しな

           じじばば愉しむせめて暫しを


           キャメロンに送り届けむ梅が香を 

           こぞに遊びし庵の庭から






「 白 梅 」

2008-01-15 21:51:52 | 和歌

 「うつろ庵」の今年の門松は、門扉に、松としめ縄の円飾りを水引で結んだ。

 日頃から水引を自分で結ぶことなど殆どないので、水引を綺麗に結ぶのは容易なことではない。思案の末に思い付いたのは、ワインボトルに水引を添えて丁寧に結びつつ、途中で幾度か水引を整えれば何とか結べるのでは・・・、と思い立って試みた。 大成功であった! 

 門松を飾り、ふと狭い「うつろ庵」の庭に目を遣れば、なんと白梅の莟が膨らんでいた。  
その後の正月の日々は白梅がいつ綻ぶかと、気がもめて、待ちどうしい思いであった。





  
           待ちにしも陽ざしさし来ぬ日々を経て

           綻ぶ梅のいとおしかりけり









           松の内の明けやらぬ間に白梅の

           膨らむ莟ぞ 今朝 咲きにけるかも







「原子力平和利用」

2008-01-13 04:14:13 | 和歌

 大学を卒業して以来、40余年に亘り原子力発電の仕事一筋に携わって来た虚庵居士としては、是非とも皆さんにお伝えしておきたことがある。

 現役の頃は、健全な原子力発電所の設計・建設と安定運転に向けて精一杯努力し、実績を積み重ねることだけが、皆さんにご理解頂くための唯一の道だと心得て、ひたすら口を噤んで日夜精励した。

 現役を退いた後は、「原子力の専門家として、社会への説明責任を果たしたか?」との反省に立って、事ある毎に機会を捉えて、拙いお話をすることが社会へのご恩返しかと、及ばずながら努力して来た。月に1回ほどのペースで講演を重ね、全国のエネルギー工学を勉強する学生との対話会を繰り返し、それでも、年間を通じての皆さんとの接点は高々2000人程度だ。この先10年続けたとしても、2万人との接点が精一杯であろうかと、聊か悲観的な思いに囚われるこの頃だ。

 この様な凡人の悲嘆の埒外で、ごく短い人生を爽やかに生きて己の務めを果たし、「人を己の如く愛する」という神の教えを全うし、数多の感動を人々に残した一人の男がいた。
今は亡き、長崎医大の永井隆博士である。

 ヒロシマに続き、ナガサキも昭和20年8月9日原子爆弾の被災を受けた。
悲しいことに、我が国は世界で唯一の原爆被災国だ。あのような惨劇を、二度と人類は繰り返してはならないとの強い願いと、固い決意を込めて、我が国の原子力政策は原子力平和利用に徹し、非核三原則を定めたのは当然の選択だ。

 世に言う原子力平和利用の原点は、国連総会におけるアイゼンハワー大統領の名演説 ”Atoms for Peace ”(1953-12-8)にあると、広く認められている。然しながら虚庵居士に言わせれば、この演説に先立ち、昭和20年10月永井隆博士が自筆で纏めた「原子爆弾救護報告書」の、ごく短い簡潔な「あとがき」こそが、原子力平和利用の原点だ。

 彼は、自らの物理的療法研究により白血病に侵され、これに加えて原子爆弾の被災により大怪我を負いながら、命を投げうって原爆被災者の救護活動に当たり、幾度かの失神を繰り返しながら献身的に医療奉仕に当たったという。その2か月に亘る日々の悲惨な記録を鉛筆書きで書きとどめ、末尾に彼は一人の人間として、また科学者としての率直な思いを書き遺している。






 焼け野原になった自宅の跡に佇み、彼は夫人が身につけていたロザリオを焼け跡に見つけた。原子爆弾の高熱により、焼け爛れ、溶けた塊になっていた。その近く、まだぬくもりのある夫人の遺骨を手で拾い集めて・・・。 涙なしには、語れない情景だ。

 彼の原作を基に作られた映画、あるいは歌謡「長崎の鐘」は、戦後の荒れすさんだ人々の心をなぐさめ励まし、感動と救いを与えた。バチカンの枢機卿やヘレン・ケラー女史が、二畳一間の彼の自宅に態々見舞いに訪れ、時の吉田茂総理から顕彰を受けるなど、病床の彼は世界から惜しまれつつ、静かに目を閉じた。

 長崎の市民が、資材を持ち寄って建た二畳一間の自宅で、二人の子供に看取られて逝った。
今も当時のままの「如己堂」が、永井隆記念館の庭先にひっそりと佇んでいる。



物理的療法科助教授第十一救護隊長 永井隆が、全文鉛筆書きで纏めた
「原子爆弾救護報告」は、ここをクリックすれば全文が表示されます。


藤山一郎「長崎の鐘」は、ここをクリック。
画面右側の(詳細)をクリックすれば歌詞が表示されます。

注: 写真の「あとがき」の中に、今や死語になった「烏有ニ帰シタ」との言葉がある。
大辞林によれば烏有(うゆう)とは「烏(いずくんぞ)有らんや」、
「烏有ニ帰シタ」は、すべてなくなった、との嘆きの言葉だ。



「大収穫」

2008-01-08 23:54:05 | 和歌

 「うつろ庵」のごく狭い庭の、しかも窓際の日除け代りに植えてあるミカンの木が、今年も枝をたたわに沢山の甘夏を実らせた。

 虚庵夫人は淡路島に育ったので、乙女になるまで蜜柑も甘夏も食べ放題の日々だったのであろう、無類の黄柑好きだ。毎年、年末から年明け頃になると甘夏の重さに耐えかねて、一つ二つと落ち始めると、もう堪らない風情で 「採って、とって」 と哀願する。

 「次に落ちたら、採ってネ」
と釘をさされていた今朝、大きな甘夏が木から落ちた。小さな木とはいえ、脚立に登り手を伸ばして、やっとの思いで全部収穫し終えて、テラスの机に積み上げた。
虚庵夫人の口元は、もう涎を垂らさんばかりの、笑みで一杯だ。

 虚庵居士は、新年の大収穫に満足。輝く黄柑の色合いにうっとりとしつつも、手作りの古びた机は、甘夏の重さに耐えかねて潰れはせぬかと、あらぬ心配をした。

 偶々来合わせた出入りの職人は、「これが無垢の金だったら・・・」などと無粋な溜息を吐きつつ、「それにしても大収穫ですね」と感嘆している。
 
 それぞれの思いを余所に、甘夏は朝日に輝いていた。





  
             白妙の芳しき花いつの間に

             枝もたわわに甘夏実りぬ


             わぎもこの採ってとってとせがむ声に

             幼き乙女の響きを聞くかも


             甘夏のまろき黄金を手にとりて

             「金」なりせばと呟く思いは






「おちかたなれば」

2008-01-03 21:24:06 | 和歌

       じじとばばの、正月のお飾りをご披露しましょう。






              じじばばの戊子の歳旦若やぎて
          お飾り彩る孫たちなるかも


          孫たちはおちかたなれば花にそえて
          写真に笑みつつ屠蘇を酌むかな


          この年も何時逢えるやら待ちかねて
          飛んで行きたや孫を抱かむ






「賀正迎子歳」

2008-01-02 11:27:21 | 和歌
              
         明けましておめでとう 御座います 






             薄暗き穴より出でこよ このじじと

             戊子を言祝ぎ屠蘇を酌まなむ



昨年は「学生とシニアの対話」で、お仲間と共に全国を行脚して、次世代の若者を鼓舞し、  原子力シニアの熱い思いを伝えました。またエネルギーと環境、原子力の役割などにつき、 皆様のご支援を頂きつつ、月一回ほどのペースで講演をさせて頂きました。

お遊びで書き連ねた落書きの歌は六百五十頁ほど溜まり、昨年の寒露ころご報告しましたが、「枯葉」「薔薇を娶らむ」そして「折々の花と歌」の私家歌集・三部作として、CD版で上梓しました。


平成戊子 歳旦のお遊び一題、さてどの様にお読みになるか?    
「子子子子子子子子子子子子」

本年も、どうぞよろしく お願い申し上げます。



                            「ねこのこのこねこ ししのこのこじし」
                            (猫の子の子猫 獅子の子の子獅子)