「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「梅雨時のランデブー」

2012-06-29 00:35:08 | 和歌

  梅雨の時節でしか逢えない、レインリリーが咲いた。

 そぼ降る雨に濡れて、小さな傘の中に肩を寄せ合って歩いた、あの時を思い出して貰いたい。
洋の東西を違わず、若者の繊細な感性をこの花ほど見事に表している花は、類い稀だ。

 小さな傘の中では、乙女の仄かなうなじの香が、言葉以上に思ひを伝えて、心がときめく。ふと目をやれば、彼女の胸のトキメキの色であろうか、色白の肌はごく仄かにも色付いていて、目がくらみ、言葉を失う。

  夢から醒めれば、日に日に変化する彼女の表情には驚かされる。

 ことほど左様に繊細な花ではあるが、多様な面も持ち合わせているようだ。
アルゼンチン・ブラジル辺りが原産地らしいが、Habranthus Robstusなど、黄色や色濃い赤などと共に花の名前も各種あるのは、それだけ各地で好まれている証しであろう。
 


 花の後には、逞しくも実を結ぶ。
梅雨が明けて、灼熱の真夏になればその実も乾燥して、やがて実がはじける。中からは、ごく薄い羽が付いた種が風に吹かれて、飛び立って行く。「うつろ庵」のレインリリーもその様にして、風で運ばれて来たものだが、一旦根付くと毎年「梅雨時のランデブー」を忘れぬ律儀な乙女である。

此処まで書いて来て、昨年も「ハブランサス・ロブスタス」とのタイトルで、このブログに掲載したことを思い出した。昨年は乙女の花に相応しからざる思ひを認めたが、いまだにその後遺症が残っているのは、誠に残念だ。

  

 


          この花と梅雨の合い間の逢瀬かな

          小雨に濡れなむ君を見つめて


          さす傘に肩寄せあえば仄かにも

          ときめく香はきみがうなじか


          目をやれば白妙の肌 色づけば

          胸ときめくを 君は聞かずや


          傘させば喉かれ言葉も失ひし

          梅雨の逢瀬をおもほゆるかも


          目覚めれば爺の夢かな儚くも

          レインリリーに恋する今日かも






「柘榴の蕾? 果実?」

2012-06-27 21:58:56 | 和歌

 八重咲きの柘榴の花に出遭った。

 迂闊にも、虚庵居士は「柘榴の花は一重」だと信じていたので、八重咲きの、しかも赤白斑模様の花に出遭って、感激であった。尚且つ、花の傍には既にかなりの数の果実がなっている、と見えた。

 だが待てよ、果実にしては何処となく様子が変だ。柘榴の果実はオヘソの部分に花が咲いた痕跡が残っているが、此処に見える果実風のものには、その痕跡が無い。
よくよく見ると果実ではなく、どうやら蕾の様だ。もともと柘榴については殆ど無知の虚庵居士が、「柘榴の花は一重」だ、「花は赤」だと信じていたこと自体が、トンデモナイ早とちりだったことを改めて知らされて、恥じ入るばかりだ。

 信州・諏訪に生まれた虚庵居士の身近には、ザクロ自体が存在していなかった。
初めて柘榴の果実を手にし、甘い実を口に含んだのは姉の嫁ぎ先であった。ばば様から聞かされた「鬼子母神とザクロ」のお話も、奇々怪々であった。その折のことは「柘榴とお婆ちゃま」に書いたが、虚庵居士にとっては、柘榴は未だに未知の世界の存在なのかもしれない。

そんな柘榴の花に出逢った後、とある民家の庭先のベンチに、老人が腰を下ろしていた。思わず声を掛けて暫し歓談した。夕刻の一つの情景と、彼と虚庵居士の人生の夕暮れが重なるひと時であった。


 

          梅雨空に柘榴咲くかな其処だけは

          陽射しもあるらし鬱蒼なるにも


          果実かな? 蕾なるかも八重花の

          柘榴に寄り添うまろき姿は


          柘榴の実? 蕾かも? とや 足留め

          見知らぬ同士が言葉を交わしぬ


          何もかも知らぬにもあれわぎ友と

          親しく語りぬ暫しの朋なれ






「百合の競艶」

2012-06-24 12:10:12 | 和歌

 谷戸道を散歩していたら、道路より一段と下がった庭に百合の競艶が見られた。

 未だ咲いていない種類も数えれば、写真に写っていない鉢もあるので、10種ほどもあったろうか。このお宅の住人は、余ほど百合がお好きに違いあるまい。だが、白百合の姿が見えないのが残念であった。虚庵居士は古い人間なのであろうか、古来からの鉄砲百合が好みで、白い花の持つ気品が何とも言えない。色とりどりの百合も華やかだが、白い花の鉄砲百合は、何処か見る人を安心させる清潔感が漂うようだ。

 信州・田舎育ちの虚庵居士には、畑一面に咲いた食用百合の花も忘れられない。
食用とはいえ、百合の花を食品にするのではなく、鬼ユリの百合根を食用に栽培していたのだ。豊かな百合根を育てるために、栄養が根に集中する栽培法として、開花直後の花を摘むのも印象的であった。

 百合根は和食の高級食材だが、関東の和食処ではお目に掛れぬのが残念だ。
百合根はご存知の通り鱗片が球根状をなすが、加熱した鱗片は癖のないごくまろやかな味で、虚庵居士は大好きだ。かつて、田舎家にしては類い稀であったが、百合根を使った茶碗蒸しが、お袋さんの自慢料理の一つだった。


 

          見下ろせば色とりどりに咲く百合は

          艶めき競うや梅雨のあいまに


          しろたえの百合の姿を探せども

          見えぬは悲し いまだ咲かずや


          故郷の百合の畑ぞ偲ばるる

          まぶたの母の百合根の味をも






「台風一過の夕焼け」

2012-06-21 02:30:49 | 和歌

 台風4号は本州を縦断して通り過ぎた。
各地に厳しい爪痕をのこしたが、歴史的な大型台風並みの災害でなかったことは、不幸中の幸いだった。「うつろ庵」の被害は花木が折れたり、テラスのテーブルの天板が剥ぎ取られたりなど、ごく軽微の被害で済んで、ホッとしている。

 昨夜は伊豆から車で帰宅したが、熱海・小田原・湘南バイパス・鎌倉・横須賀のルートは、過去に経験したことのない難行・苦行のドライブであった。暴風と豪雨が重なり、ワイパーは最高速度での動作設定でも視界が遮られ、低速で走る前車のテールランプを必至で追いかけ、ハンドルにしがみ付く状態が続いた。

 やっとの思いで帰宅、ガレージに車を収めた後がまた、大変であった。
ガレージの屋根の支柱を立てる作業は、短時間だが濡れながらの大奮闘だった。台風一過、ガレージもクラウンも無疵で済んだのは、昨夜の奮闘の成果だ。

 夕刻になってふと西の空を見上げたら、素晴らしい夕陽が空を覆っていた。


 

          見上げれば茜の雲の織りなせる

          光と雲の変化に見惚れぬ


          台風は過ぎにしものを未だなお

          垂れこむ雲は走りをやめずも


          陽の色の千変万化に移ろいて

          雲焼けるかな色を濃くして


          幼き日夕焼け小焼けの歌うたい

          家に帰ったあの日をおもほゆ          

          
          わぎもこのしろたえの髪ほのかにも

          夕映えするかな爺姥ならべば






エネルギー新書「福島事故と原子力の明日」を上梓しました

2012-06-19 00:52:04 | 和歌

 三か月ほど前に、「学生とシニアの往復書簡 2011」をご紹介した。
これは学生と原子力OBが半年に及び、3・11の福島原子力発電所の事故を踏まえて、メールによる意見交換を重ねた成果を、日本原子力学会から限定出版したとのご紹介であった。限定出版はごく限られた関係者だけに配本したものだが、市民の皆様にも広くお読み頂き、福島事故の実態と原子力について、より正しい理解を求めるべきだとの強い要望が寄せられた。

 学生とのメール交換は、かなり専門用語なども多用した内容だったので、市民の皆様にお読み頂くための書き直しや再編集などを経て、この度、下に示すエネルギー新書を上梓した。

 

 一般書店に出回って間もないが、友人知人などから「読みやすい」「解り易い」などの声や、学生との往復書簡を疑似体験できるのは、親しみのもてる構成だとのコメントも寄せられている。

「学生とシニアの往復書簡 2011」にて、学生との交流を詠んだ和歌の幾つかを再び掲載して、学生の反応をご紹介したい。一人でも多くの皆様が手に取ってお読み願い、学生と一緒になって考え、意見交換して頂ければと念じている。


          この一年 苦衷を堪えて学生と

          メールを交わすは何を求むや


          ただ単に問いかけるでなく 僕はこう

          考えるのだと メールは告げきぬ


          半世紀の年齢の差を乗り越えて

          意見を交わす爺と孫たち


          人材の育成などとのキレイごとを

          超えるこころを 如何に伝えむ


          学生のメールの返事を心待ちに

          夜半過ぎまで あれこれ案じぬ


          次世代を担うは僕らのつとめぞと

          確たる思ひに触れてしびれぬ


          託すべき若者の思ひ 手応えを

          確かめぬるかも往復書簡に


          願わくば手に取る読者も学生と

          爺らの絆を共にされたし






「梅花空木」

2012-06-17 00:16:02 | 和歌

 昨年は、たった一輪咲いただけの「うつろ庵」の梅花卯木だが、ことしはガンバッテ沢山の花を付けて、じじ・ばばを愉しませて呉れた。

 花木や果樹は、枝の剪定の時期と、どの辺りに鋏を入れるかといった、剪定の適・不適で翌年の花付は格段の差がつくようだ。果樹の場合は、将にそれによって果樹の生産が大幅に変化するから、果樹農家にとっては死活問題だ。したがって農協などが懇切丁寧に指導するのだが、花木の剪定は庭の周辺事情や住人の好みで、好き勝手な剪定をするのだから、花木にとってはいい迷惑であろう。



 「うつろ庵」の梅花空木の昨年の剪定は、偶々いい具合だったのであろう、それぞれの枝にかなりの数の花をつけてくれた。素人庭師とはいえ、大真面目な向きはそれなりに剪定の勉強をするようだが、ずぼらな虚庵居士は気分次第ゆえ、来年はどうなることやら。

 「うつろ庵」の甘夏蜜柑は、枝もたわわに沢山の蜜柑がなった昨年だったが、今年は何と、あの香豊かな花は全く付けなかった。お蜜柑が大好きな虚庵夫人の落胆ぶりは、気の毒なほどだ。梅花空木はさておき、甘夏蜜柑については虚庵夫人のためにも、剪定の仕方を勉強せねばなるまい。



          ただ一輪 頼りなく咲きし初花を

          思いいだしぬ こぞの今ごろ


          しろたえの梅花空木は何故に泣くや

          涕の痕か しべの影はも


          白妙の花にまだらの影さすは

          恋に惑うや 梅花空木


          白妙の花弁も蕊も陽を受けて

          笑みて開きぬ乙女のこころを






「珊瑚樹の饗宴」

2012-06-15 00:13:44 | 和歌

 「うつろ庵」の生垣の珊瑚樹が、今を盛りと咲き誇っている。

 必ずしも華やかな花ではないので、ごく地味な初夏の花時ではあるが、蝶や蜂たちにとってはこの上ない饗宴のようだ。



 そんな彼・彼女らの饗宴振りをご披露する。
珊瑚樹の花蜜が如何なる「ご馳走」であるかを、彼らの食事振りからご想像願いたい。

 蝶はかなり敏感な昆虫の仲間だ。なんせ長い触角をはじめとして、羽の羽毛も、人間様には見えない鋭い嗅覚も、動物の世界では抜群の高性能だ。蝶の生息するような自然環境とはほど遠い住宅街ではあるが、珊瑚樹の開花を察知して、舞い来る彼女等には感服だ。

 

 蝶に負けず劣らず、鋭い嗅覚の持ち主は何といっても蜂達だ。
蜜蜂は数キロ先の開花情報をキャッチして、同朋を伴って花蜜を求めて来るのは、鋭い嗅覚に加えて、類い稀な情報ネットワークを夙に確立しているからで、脱帽だ。
住宅街にも拘わらず、地蜂の姿を見かけるのは稀のことだ。地蜂は山野の地中に、数段に及ぶ高度な巣を造るが、彼らの「蜂の子」が高級食材であることをご存知の向きは、意外にも少ないようだ。蜂の子の料理を口にすれば、病み付きになること請け合いの美味だ。機会があれば是非とも試食をお勧めしたいが、超高級レストランでも予約を受け付けているところは、ごく限られているようだ。



   蜂の王様は、「熊蜂・くまんばち」君だ。
 蜂の仲間でありながら、大きな体が将に熊よろしく黒い体毛に包まれ、お尻の辺だけが金色の体毛で飾られる洒落者だ。熊蜂は如何にも豪壮な出で立ちではあるが、意外にも繊細な感性の持ち主で、虚庵居士とも意気投合する友達だ。

 人間世界にも共通するが、濃い髭を蓄えた男が以外にも小心であったり、或いは、やさ男同然の姿でありながら、豪放磊落な性格であったりと、人間世界も様々だ。
花を愛し、花蜜を求めて数キロ先まで飛んで行く蝶も蜂も、花に華を求める虚庵居士も、友達なのだ。


 

          わが庵を囲む生垣 珊瑚樹の

          花咲にけり控えめなれども


          されどなお 離れて見やれば 珊瑚樹は

          誇らしげにも 咲きつるものかわ          


          花咲けば いずこともなく飛び来る

          蝶の姿に見惚れる爺かも


          蜂達も仲間を伴い飛び来るは

          得もいわれぬる花蜜なるべし


          珊瑚樹に地蜂飛び来て如何にせむ

          花に真綿を付けて飛ばさむか


          くまんばちの一心不乱に蜜吸うは

          遠く離れて子等も待つらむ






「黄花のアイスプランツ」

2012-06-12 14:49:04 | 和歌

 三浦半島の馬堀海岸は、東京湾の奥からどの位の距離があるのだろう。

 よく晴れた、比較的風の強い日には、東京湾に浮かぶスカイツリーが海岸のプロムナードから遠望される。地図を開いて直線距離を測ったら、約52キロもあった。
スカイツリーと羽田空港を結び、その延長線上に虚庵居士がいることになる。52キロに亘って遮るものもない東京湾だが、海面から立ち上る水蒸気が意外に視界の妨げになって、普段は東京湾の奥は靄がかかってボーっと霞んでいるのだ。

 その水蒸気・靄が晴れるのは、風が吹き飛ばしてくれる時だ。そんな条件が重なると、東京湾にスカイツリーが浮かんで見えることになる。陸上であれば、同じ52キロでも水蒸気の立ち上る量がかなり少ないので、東京湾を越えて観るよりもかなり見えやすいに違いあるまいが、陸上ではビルなど邪魔物が多いから、スカイツリーを遠望できる場所が限られる筈だ。


 
 スカイツリーの遠望も散歩の愉しみの一つではあるが、草花は虚庵居士の期待を裏切らないから、何時でも楽しめるのがよろしい。今回の散歩では「黄花のアイスプランツ」に出遭った。馬堀海岸のプロムナードには、様々な花が咲くが、アイスプランツの黄花はごく稀だ。椰子並木の足元には、海水の飛沫を被っても枯れずに元気さを保つアイスプランツが植えられているが、殆どはピンクの花の「アイスプランツ」だ。
ピンクの花は、真冬ですら凍えずに咲いているので、年間を通してお目に掛れるが、「黄花のアイスプランツ」に初めて出遭ったのは、花数がごく少ない故か、或いは花時が限られているのかもしれない。


 

          いや遠くおぼろに霞む湾奥の

          海に浮かべりスカイツリーは


          椰子並木を歩みつつ観むスカイツリーを

          今日は見ゆるかと まなこを凝らしぬ


          何ゆえにまなこを凝らして探すらむ

          東京湾の彼方 スカイツリーを


          眼を転じ椰子の根方に眼をやれば

          アイスプランツ黄花は見上げぬ


          朧なる遠くを望まず足元を

          まず確かめよと黄花は諭すや


          陽を受けて満面の笑みこぼしつつ

          観る人選ばぬ 黄花に見惚れぬ






「丸葉空木」

2012-06-08 08:08:14 | 和歌

 林の中の勾配の急な径を散歩していたら、眼の前に白い群花が現れて、息を呑んだ。


 
 薄暗い林の中で、微かな木漏れ日が群花にさしていた。あたかも虚庵夫妻に「お疲れでしょう、一息ついてお休み下さい」と、囁きかけているかのような風情であった。

 陽が遮られているので、林の中は殆ど草花は見当たらないが、虚庵居士の背丈にも満たない程の頼りなげな灌木であったが、白い小さな群花の存在感は抜群であった。

 帰宅して花図鑑のお世話になったら、「丸葉空木」だと判明した。
この季節は多少の前後はあるが、箱根空木や梅花空木なども花時を迎えている。丸葉空木も林の中で、懸命に咲いたかとおもえば、愛しさも一入だ。


 

          薄暗い林の径を息切らせ

          登り来れば群花迎えぬ


          木漏れ日の微かに射し込む林中に

          白きむら花 浮きいずるかも


          息切らす老いの夫妻に囁くや

          脚を留めてしばし休めと


          微かなる木漏れ日頼り懸命に

          丸葉空木は白く咲くかな






「トベラの芳香」

2012-06-04 01:12:48 | 和歌

 「うつろ庵」からほんの五分も歩けば、海岸の遊歩道・プロムナードに至る。

 ここのプロムナードは、二キロ程の越波護岸が嘗て建設された際に、大規模な越波対策と共に椰子並木と各種の植栽をしたので、市民の遊歩道として人気が高い。
椰子並木を繋ぐ植込みに、「トベラ・海桐」がかなりの数で植えられていて、今まさに花時を迎えて愉しませてくれている。



 「トベラ」の芳香に包まれて散歩するのは至福の限りだが、意外なことに皆さんはトベラに随分悪い印象、或いは悪い先入観をお持ちの方が多いようだ。トベラは枝を切ると、かなりの異臭を放つことで有名だ。そんな嫌われ者のトベラの花が、芳香を放つなどということはあり得ないことだ、との先入観が行渡っているようだ。人間、一たび固定概念に取りつかれると、なかなかそれから抜けられないのが通例だが、幸いにして虚庵居士は「トベラの花の芳香」が先に印象づけられたので、「忌み嫌われるトベラ」との印象は全く持ち合わせていない。ハッピーと云うべきであろう。

 トベラは秋になると果実が割れて、中からそれは綺麗な種が姿を現す。五年ほど前になるが、その美しい種にほだされて、「トベラの思いを」とのタイトルで写真を掲載した。百聞は一見に如かず」との諺があるが、そちらも覗いてみることをお勧めしたい。




          艶やかな若葉に抱かれ白妙の

          トベラの群花咲きにけるかも


          芳しき薫りに包まれ散歩すれば

          夢見心地に誘う君かな


          人々は何ゆえ嫌う海桐ぞも

          斯く麗しく咲きて香るに


          枝切れば異臭立ち込め堪え得ぬと

          海桐を嫌うは勝手なるべし


          のびやかに育てよトベラの枝切りな

          臭いは海桐の護身のすべなれ