「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「Lake Erskine の花々 その八 残り花」

2010-08-30 15:36:22 | 和歌

 珍しく朝から雨模様だった。一しきり強い雨が降ったのち、垂れこんだ雨雲も消えたので、Lake Erskineを一巡りしようと思い立って、傘を持って散歩に出掛けた。周囲五キロ程の大きさゆえ、ゆっくり歩いても二時間程度の予定であった。電動カヌーや、手漕ぎクルージングでの湖の一巡は、既に何遍か経験済であるが、Lakeview Ave.を歩いて巡るのは初めてだ。

 ここの湖は住民コミュニティーの所有で、それぞれのお宅は湖畔にボートデッキやボートハウスを持って、湖での生活をエンジョイしているので、湖から見るそれぞれのお宅はごくオープンで親しみが持てるが、道路側がよそよそしいのは当然かもしれない。

 湖をほぼ半分以上回った辺りで、再び小雨が降り出した。
そんな中で、湖畔から若干離れたお宅の庭には、背丈を遥かに超える高さのバラが、「残り花」と云うには失礼なほどに咲いていた。雨の中でカメラを構えたら、窓越しにご夫妻が盛んに手を振っていた。虚庵居士への軽い挨拶と、丹精込めたバラを誇る思いとが重なって、ささやかな交流であったが、印象深いものがあった。


            窓辺から手を振る夫妻は庭先の

            バラ誇るらし見上げる我に


            湖を巡り来れば雨のみか

            雷 散歩の供に加わる





 

 夏休み中の孫のピアノ個人レッスンに、じじとばばが私立校の個人レッスン室まで付き合った。ここの小学校は広大なparkの一画にあって、無人の遠隔操作のゲートを入ってから、車で10分ほども走ってやっと校舎に辿り着いた。オールドファッションの石造りの校舎の玄関から、絨毯を敷き詰めた広いホールに入ると、夏休み中にも拘わらず老令の女性教師が大きな机にデンと座っていたが、やおら挨拶に立ち上がって声を掛けてきた。

 孫のレッスン中、彼女はコーヒーは如何と声を掛け、暫らくしたら校長も挨拶に来て、思わぬ交流が出来た。校長室の扉は開け放たれていて、入り口には大きな優しそうな犬が寝そべっていた。孫の説明によれば、大型犬は週日も全く同じスタイルで、校長室の入り口に寝そべっていて、学童たちの仲良しだと云う。

  レンガ造りの古びた英国調の校舎と、全面に芝生のグラウンドの周りには、何種類かの花木が植えられていたが、Budorea・ブッドレアが残り花を精一杯咲かせていた。この花は白・紫・ピンクなど様々な種類があるようだが、日本では紫色の種が「房藤空木」との名前で園芸店でも売られているらしい。



 


            あらかたの花散りにしも咲き残る

            房ふじうつぎの思いを聞かまし






「Lake Erskine の花々 その七 残り花」

2010-08-27 00:45:16 | 和歌


 花時をとうに過ぎた紫陽花が、真夏の太陽に晒されて花柄が枯れていた。

 虚庵夫人は旅先の無聊を慰めようと、枯れた花柄を一つづつ丹念に手でとり始めた。気の遠くなる手作業だが、その傍らに佇んでそれとなく手元を見ていたら、紫陽花の残り花があることに気が付いた。


 乳白色の蕾みに鴇色が仄かに色付いて、何とも初々しい風情だ。
日本の紫陽花の花時は梅雨の頃ゆえ、6月から7月頃であるが、真夏もやがて終わろうと云う8月下旬に、これほど初々しい紫陽花にお目にかかろうとは思いもよらぬことであった。





 さらに反対側に回ってみたら、新たに薄い群青色の花玉が見つかった。
覆いかぶさるような枝をそっと脇に寄せたら、爽やかさが一段と際だった。虚庵夫人の花柄摘みに付き合ったお陰で、素晴らしい残り花に出会えることができた。



 


            紫陽花の
            花時すぎて花柄を
            打ち捨てたるは見苦しと
            旅の無聊を慰めて
            わぎもこ手ずから摘み初めぬ
            傍らに立ち眺むれば
            咲き残りたる花玉の
            我を見あげるひとつあり
            未だ稚きおみなごの
            咲きに初めにしその風情
            花のこころをとく知るや
              ああ 仄かに染めるは
                  ときめくこころか






「Lake Erskine の花々 その六 野の花」

2010-08-25 18:33:54 | 和歌

 園芸種の「蔓花茄子・つるはななす」によく似た野の花が咲き、赤い実を付けていた。

 花の名を住み人のJeff に訊ねたら、残念ながら彼は知らなかったが、早速に調べてくれた;
曰く ”Bittersweet ” ”Nightshade” 或は二つを合わせて ”Bittersweet nightshade”
”Blue nightshade ” ”Wolfgrape”等など、沢山の名前が列挙された。北米の殆どの地域に自生する野の花で、住民の皆さんにも親しまれている証拠であろう。

 1cm足らずの赤い実は、”Bittersweet”との花の名の通り、噛むとほろ苦さと微かな甘味が残るらしい。
花の名前の持つ含みや、身近な親しみのある花と実に人気があって、若者たちのサウンドグループの
愛称や、歌詞その他にもかなり愛用されているようだ。



 

 念のため日本名を調べてみたら、園芸種の「花蔓茄子」と「瑠璃色蔓茄子・るりいろつるなす」に辿り
ついた。花蔓茄子は花の色など若干差はあるが、瑠璃色蔓茄子がまさにこの花の和名と思われる。
日本では、沖縄に自生するという。



            もの好きに赤き実を摘み口にすれば

            微かに甘くもほろ苦きかな


            図鑑には茄子の祖先と説くなれど

            我にはトマトの祖先と見ゆるに


            数々の赤き実愛しき瑠璃色の

            野に咲く小花はいとどいとしき






「Lake Erskine の花々 その五」

2010-08-23 00:08:24 | 和歌
 
 真夏の厳しい日照りで、殆どの草花が姿を消したが、この ”Tree Hydrangea” だけは別格のようだ。
ニュージャージー州のこのあたり・Ringwoodでは、今時分が旬の「木あじさい」だ。

 一般の紫陽花はせいぜい人の背丈ほどの灌木で、何本かの細い幹が地表から生えてこんもりとした
株を形作る。 ”Tree Hydrangea” の根元は一本の喬木で、大きなものは屋根の軒下程にも成長して、その先に枝を密生させるので、謂わば紫陽花のスタンド造りといった姿になる。
娘一家の庭の ”Tree Hydrangea”の喬木部分は、まだ一メートルにも満たないが、花そのものは蓼科の別荘地で見た「糊空木」を思わせる風情だ。





 カンカン照りの世界から、巨木に囲まれた庭先に ”Tree Hydrangea” を見つけると、何故かほっとして
清涼感が漂う花だ。人間世界でもうっとうしい煩雑な事が続く中で、時によるとたった一人の人間がふっと
仲間に加わることで、或いはチョットの休憩をとることで、その場がすーっと冷静さを取り戻すことがある。
真夏の ”Tree Hydrangea” には、そんな効用が感じられるから不思議だ。



 


            目のくらむ日射しの中を歩み来れば

            木あじさいに 一息つくかな 


            生垣も芝生も喘ぐに だだ独り

            涼やかなるかな木あじさいは 


            白妙の五弁の花はそれぞれに

            語りかけるや 喘ぐこの世に






「Lake Erskine の花々 その四」

2010-08-21 23:22:51 | 和歌

 この8月に8歳になった孫は、今日から週一回の日本語学校が始まった。

 両親が国際結婚の場合、米国での生活環境では日本語教育にハンデキャップが生じるのは、やむを
得まい。日常生活の中では、娘は務めて日本語での会話を心がけているようだが、土曜日だけの日本語学校では、読み書きでのハンデは大きなものがあろう。





 今回の滞在期間中を最大限に活かして、じじ・ばばは日本語で話しかけ、夏休みの宿題の漢字書き
取りなどの支援にも、大奮闘であった。母親の娘は仕事に追われて、十分に孫の指導の時間も取れないのが現実であれば、一年生の復習から、書き取りは漢字・平がなの書き順、作文等など盛り沢山にならざるを得ない。遊び盛りの孫はお勉強中といえどもじじを遊び相手に「玩具扱い」であるが、朝から晩まで「じじ・じいーじ・ジジー」と付きまとわれるのも、悲鳴混じりの愉しみではある。

 日本語学校の初日は、漢字テストがあったそうだ。大の苦手の漢字テストだったようだが、100点満点は逸したものの、92点だったと誇らしげの報告であった。夏休みの間の短い期間ではあるが、じじ・ばばは彼に精一杯のことをしてやりたいと念じている。



 


            孫の呼ぶ

            「じじ・じじ・じいーじ」は鳴きやまず

            日暮れてなお鳴く蝉ならめやも


            バーベキューのテラスの食事に夏虫の

            ジジ・ジジ・ジージは孫に和すらし
            

            息切らせ吹きでる汗を手で拭い

            芝生のサッカー 孫に応えて


            大声に笑い転げるシャワーかな

            汗した後のスキンシップは


            ひらがなの書き順ただせば何故ときく

            孫にいろはの成り立ち示しぬ






「Lake Erskine の花々 その三」

2010-08-20 14:03:24 | 和歌
 米国東海岸の今年の夏は、殊のほか日照りが続き、住民も観光客も半そで半ズボン姿が圧倒的だ。高温多湿の日本の夏は、汗に悩まされる猛暑であるが、大陸性の気候では湿度が殊のほか低いのが、何よりの救いだ。

 7月末から逗留している娘一家のレイクハウスは、樫や楓などの巨木の林が格好の日除けになって快適だが、木陰がカバーできない芝生は、スプリンクラーの散水も制限されているので、気の毒にも芝枯れが目立って来た。

 乾燥しきった庭には、セージの類が辛うじて暑さに耐えているが、それらの花々は昆虫たちにとって
掛け替えの無い命の拠り所だ。



 


            もののみな暑さに喘ぐ夏なれば

            小花に渇きを癒すや熊蜂


            花蜜をむさぼる気配の蜂なれど

            乏しくあらむ小花の蜜も
            

            喘ぎつつ己が命を存えて

            分け与ふるや蜂に花蜜 






「Lake Erskine の花々 その二」

2010-08-18 19:15:06 | 和歌

 「ロシアンセージ」の花をカメラで写し、セージに群がる蜂達の「花蜜をむさぼる」姿を、孫と一緒に興味
深く観察した。 

 熊蜂によく似た白い体毛に包まれた蜂は、体長2センチ程もある大型だが、「ずんぐりむっくり」とした
何とも親しみの持てる蜂だ。彼等は滅法ロシアンセージが好きで、花に武者ぶりついて離れない。花蜜を吸い続けるといつの間にか全く動かなくなり、遂には酔いしれた様に片手を離して花にぶら下がったから驚きだ。不思議に思って体に触れると、やおら元の姿勢に戻るところをみれば、人間の酩酊状態と相通じる様だ。呑ん兵衛の虚庵居士としては、仲間を得た思いで暫らく付き合ったら、たちまち夕暮れを迎えた。




 
 夕食前に孫のホームワークを助け始めたら、体の節々に何やら脱力感が感じられたので、チョットだけベッドに入って体を休めようと横になった。ところがどうしたことか寒気がして、毛布にくるまったが寒気は
増すばかりであった。30分ほどしたら、遂には激しい震えが出て、抑えられないまでに症状が悪化した。毛布と掛け布団を追加して、更にはその上から押えて貰うほどであった。ベットに入って2時間ほどして、震えはやっと治まったが、体温は華氏105度(40.5℃)であった。

 震えを伴う初めての高熱経験で、本人は愕然。家族の勧めもあって救急病院へ緊急入院となった。
横文字の国で、症状を正しく伝えるだけでも並大抵のことではないが、娘が付き添って説明を補って呉れて大助かりであった。

 更に幸いなことに、この日はEmergency Departmentの患者が殊のほかすくなく、医療・検査チームは殆ど虚庵居士の独占に近い状態で、手際のよい対応をして貰えた。解熱剤投与に始まり、心電図・X線検査・血液検査・生体検査等々と共に、各種の予防措置の注射・点滴なども合わせて、それでも深夜の
12時過ぎまで治療と検査が続いた。

 聊か大げさとも思われる対応であったが、医師の説明によれば急激な高熱症状は、シニアでは命取りになりかねかねないこともあっての措置であったようだ。結果的には、第一次の検査結果が判明し、帰宅が許されたのは02時を回っていた。

 診断書は ”Fever Unclear Etiology(原因不明の高熱)”というものであった。
推定原因として、流感などヴィールス性のもの等のほか数種類が列挙され、かなりオープンな診断書が提示された。殊に注意を促されたのは、水分摂取の不足による脱水症状であった。集中的な仕事による過労や、アルコールの過多なども注意事項として挙げられ、大いに反省させられた。


 



            熊蜂のロシアンセージに集えるは

            酒場に集う呑ん兵衛よろしく


            花蜜をむさぼる熊蜂 酔えるらし

            身を逆しまに片手を離すは


            節々の力はぬけて突然に

            寒気と震えに 愕く爺かな


            横文字の医師の問診しどろもどろ

            受けつつ体調もどるを感じぬ


            嫁ぎ来し娘の英語に支えられて

            重ねた辛苦を思い遣るかも






「Lake Erskine の花々 その一」

2010-08-14 01:00:42 | 和歌

 寝ぼけまなこで庭に出たら、朝露に濡れた艶やかなユリが迎えて呉れた。
朝日は未だ湖の向うの山の端に上ったばかりだが、雫が仄かな朝日を集めて輝いていた。Erskine 湖畔の早朝は、真夏とはいえ肌寒い感じすら覚える程だから、空気も潤っていて、何やら美味しく感じられるから堪らない。 

 湖畔に沿って建つ Lake house は、どのお宅も鬱蒼とした巨木に囲まれ、開けた芝生の庭は希少価値すら覚えるほどだ。各種自生の Oak や Maple が入り混じり、それぞれの背丈は電柱の二倍以上はあろうかと思われる。 手つかずの林の中に家を建て湖を楽しむ生活は、国土の狭い我々日本人には誠に羨ましい限りだ。 が、上には上があって、ヨーロッパの城のような豪邸を山の中腹に建て、広大な山裾の湖畔にボートハウスを併せ持つのが当たり前の High Society もあるのだから、「身の程を知り、分を弁える」との古語は、持たざる者の救いでもある。




 
 Jeff にユリの名前を訊ねたら、”Ornamental Lily” だと云う。
横文字に弱い虚庵居士ゆえ、辞書で確かめたら ornamental とは観賞用とあった。序でにインターネットで調べたら沢山の種類の Ornamental Lily の中から、”Stargazer Ornamental Lily” が絞りこまれた。
 


            湖の畔に立てば潤いの

            朝の大気に 身を漱ぐかな


            朝露に濡れにし百合の雫かな

            仄かな光に輝く粒々


            樫・楓 栂など巨木の立ち並ぶ

            庭に咲くかな 百合の一株






"PICASSO Exhibition"

2010-08-09 01:10:11 | 和歌

 Metropolitan Museum で開催されている ”PICASSO 版画展 ”を、最終日に観に行った。

 じじ・ばばの案内役に、小学1年生の孫がザックを背にして付き合ってくれた。「おのぼりさん」よろしく Museum の入口階段で写真を撮って、中に入った。
 




 PICASSO の展覧会の中でも、珍しい版画を集めた特別展だったこともあって、まさに入口付近は自由に歩けない程の混み様であった。

 やっとゆとりのあるスペースを見つけると、孫は自分のザックからスケッチブックを取り出し、あろうことか大観衆の眼の前で、やおら模写を始めたのには驚かされました。大Picaso の名作はお気に召さず、彼の
インスピレーションに語りかける作品だけが、彼と語り合い、模写の対象であった。





 大観衆は唖然としつつも、皆さんは彼を見て無言で親指を立ててエールを送ってくれた。彼は床に座り込み、色鉛筆を拡げてまたたく間に描きあげ、彼の姿を多くの方々がカメラに収めていた。己の傍若無人ぶりを反省している虚庵居士であるが、孫は無頼漢のスケールを遥かに超える器になりそうで、誠に頼もしい限りだ。(以上じじ馬鹿の報告)





 じじ馬鹿としては、彼の模写作品をご紹介したいところだが、残念ながら孫画伯のご了解が得られる
までは、暫しお預けとなった。いずれ公開出来る日まで、乞うご期待!!






            孫の描くピカソの模写はすでにはや

            ピカソを超えるや紙をはみ出し

         
            観客の視線を浴びるは誇りなれ

            人びと親指 たてて励ます


            おもふらく傍若無人のじじなれど

            遥かに超えるは孫の器ぞ






「ご無沙汰しました Lake Erskine より」

2010-08-07 02:58:29 | 和歌
 
 暑中お見舞い申し上げます

 しばらくご無沙汰しましたが、虚庵居士夫妻は雲隠れして太平洋を飛び越え、ニ週間ほど前に、米国
ニューヨーク・ニュージャージーに降り立ちました。

 雷の子供は、調達が難しくなった虎の毛皮のパンツに穴があいて、雷雲の上でお尻が冷えて風邪を
ひくといいますが、ジャンボに守られて風邪も引かずに渡米出来ましたので、他事ながらご休心下さい。

 猛暑の日本を逃れてきたつもりでしたが、マンハッタンの日中の暑さはただ事ではなく、現地の皆さんは短パンは当たり前。殊に若い女性のノースリーブは形ばかりにて、元気溌剌の虚庵居士は目のやり場に困る街中です。


 


 しかしながら一たび木陰に入れば、高温多湿と高温低湿の差は歴然。有難いことに殆ど汗知らずの
快適な毎日です。マンハッタンからジョージ・ワシントン橋を渡り、ニュージャージーの州立公園近くの
湖の畔、ボートデッキでの昼寝は極楽そのものです。ところが、あろうことか小学一年生の孫が忍び足でやって来て、虚庵じじ・ばばの昼寝姿の証拠写真を撮られたのには、参りました。

 孫の片言、日本語で曰く、じじ「ご・ご・ご・ごごご~、うがうがうが~~」、
ばば「ね・ね・ねねね・・・・---」。





 ご紹介する写真は時差ぼけにて早朝に目覚め、レイクハウスの庭を寝ぼけマナコのままぶらぶらした
際の写真と、娘婿殿のクルージング・ボートから写したボートデッキです。







            空港に

            迎えのリムジン手際良く

            老いにし夫妻とバッグなど

            ピックアップしてハイウェイを

            走る真夜中 灯もまばら

            まどろむ間にもやがて入る

            林を抜けて湖の

            畔に至りぬ長旅の

            終わりに近しわが孫は

            夢路にあるらむ明日の朝 

            Big hug の挨拶を

            夢見て今宵は

            深く眠らむ




            時差ぼけのまなこをこすれば朝露か

            スプリンクラーに 愕かされぬる