「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「オキザリスの羽毛」

2014-01-31 12:49:25 | 和歌

 庭先の鉢に、何時からか「オキザリス」が根付いて莟が綻びかけた。

 真冬で、花が少ないこの季節に可憐な花を付けるのだから、この花の逞しさには脱帽だ。花図鑑によれば、全世界に分布してその種類は、何と800種にも及ぶと云うから驚きだ。国境に関係なく、地球上の様々な人々に、この草花が如何に可愛がられているかの証しだ。

 肉眼で見た時には気が付かなかったが、画像にしてみて、初めて羽毛の存在に気付いた。改めて拡大鏡を携えて庭先に降り立ち、観察したら、葉の裏から縁にかけて、さらには花の萼の部分にもごく繊細な羽毛が生えていた。

 画像で見れば、真冬の寒気をこの羽毛が凌いでいるかの如く見えるが、虚庵居士の勝手な解釈かもしれない。「オキザリスの羽毛」はこの草花にとって、無くてはならぬ使命が秘められているに違いあるまい。

 翻って己自身は、無くてはならぬ存在であったろうか、そのような務めを果たしたであろうかと、つられて自問する虚庵居士であった。




           何時からか鉢に根付くやオキザリスは

           寒さ厳しき真冬に咲くとは


           稚くも緑葉ひろげその中に

           莟みをもたげ綻び初めにし


           オキザリスの莟みを歓び写真をば

           撮れども微細な羽毛に気付かず


           画像にはひかり輝く羽毛あれば

           拡大鏡持ち語らい重ねつ


           柔らかき羽毛の務めは何ならむ

           無くてはならぬ使命を帯びるや






「うつろ庵の白梅」

2014-01-29 03:47:41 | 和歌

 「うつろ庵」の庭先の白梅が、鏡開きと共に綻び始めた。

 鉢植えの盆栽だったが、取り敢えず花壇に路地植えして、何年になるだろうか。
梅の種類が不明だが、盆栽で愉しむような種類だから、路地に降ろしても成長が遅いのかもしれない。木の背丈はまだやっと80センチ程度だから、腰を屈めて香りを愉しんだ。

 頬をさすような厳しい寒さだが、馥郁とした白梅の香がより一層芳しく感じられた。



 綻び始めてからあっという間に、満開になった。
「うつろ庵」は三方が生垣で囲われているので、狭い庭だが風が遮られ、陽だまりになって開花を速めたのかもしれない。

 人間社会でも適切な環境を保てば、人間の育成は目を瞠るばかりだが、一方では適度な刺激を与えて、逞しさを育む配慮も必要だ。庭の白梅にとっては、陽だまりはこの上ない条件だが、冬の寒気は適度な刺激以上の厳しさに違いあるまい。
そんな試練を乗り越えて、やがてかなり沢山の青梅を生らすのだから、褒めてやりたい気分だ。




           わぎもこの何時もと異なる呼ぶ声は

           梅の綻びとく観に来ませと


           肩寄せて腰を屈めて白梅の

           綻び見入るじじとばばかな


           白梅の香りを聞かむと腰折れば

           冷気に漂う かぐわしさかな 


           ちらほらと綻ぶ梅は何時の間に

           さえだ小枝に咲き誇るかも


           陽だまりの此処だけ春が来にしかも

           襟巻手袋離せぬ睦月に






映画 『パンドラの約束』

2014-01-27 00:32:15 | 和歌

 ロバート・ストーン監督のドキュメンタリー映画 『パンドラの約束』が、世界的にも 反響を呼んでいるが、4月から日本でも公開されるという。
かつて同監督のインタビュー記事を WEDGE_Infinityで読んだ。その時の虚庵居士のコメントを以下に転載する:

 『人生のほとんどを反核に捧げて来たにも拘わらず、考えを180度変えて、「原子力推進を訴える環境保護運動家」に転じたロバート・ストーン監督は、様々な人々に影響を与えている。彼と同様、己の人生哲学を180度変えた男が、「緑の党」の創設者の一人、エネルギッシュな反核運動の活動家であったパトリック・ムーア氏だ。
彼は、「ガイアの復讐」で有名なジェームス・ラブロック博士との対談で、自らの誤りを悟り、原子力エネルギー支持に転換した環境活動家だ。
二人の勇気ある人生哲学の大転換を、我々は真摯に学ばねばなるまい。』


 WEDGE_Infinity に昨年掲載されたインタビュー記事

 
 映画『パンドラの約束』特別インタビュー
 なぜ環境保護派が原子力を支持するのか
 

 「パンドラの約束」の製作中、私は福島の避難指示区域を訪れ、自分自身の目で、そこで何が起きたのかを確認しました。気候崩壊を防ぐ取り組みに必須なエレメントとして、原子力エネルギーを支持する立場のひとりとして、福島を訪ねることは、ひどく心がかき乱される思いでした。
 端的に言って、福島原発事故は決して起こってはならないことでした。また、事故を引き起こした人為 ミス、すなわち不十分な防波堤と海抜の低い位置に非常用の発電機を設置していたことに対する説明や・・・。 続きを読む
ロバート・ストーン監督  


 Youtube パンドラの約束 予告編 ← クリックすれば予告編が観れます。

 環境保護派たちが、地球温暖化・気候変動の現実に悩みぬいた末に出した結論は、原子力エネルギーの必要性だった。本作はある環境保護派たちが「反原発から原発支持の立場へと転換」するドキュメンタリーです。しかし、彼らは転換後も悩んでいます。 原発反対の世論に対して、支持を堂々と発言することは危険とみなされるからです。

 さて、どうして彼らは転換したのでしょうか? 
福島の事故、原発は危険ではないのか? 放射線はだいじょうぶなのか? 
ロバート・ストーン監督は福島を始め、チェルノブイリ、ブラジルなど世界中で取材を敢行しました。
このドキュメンタリー映画は、私たち一人ひとりに気候変動とエネルギー問題を考えさせるものです。 本年度の問題作であることは言うまでもありません。 
サンダンス映画祭2013上映では大きな反響と共感を呼び、全米31都市で上映されています。




「さざえの貝殻」

2014-01-25 21:59:32 | 和歌

 「うつろ庵」のテラスには、手作りのテーブルと、その上の「栄螺・さざえ」の貝殻は雨ざらしのまま、かなりの年数を経ているので、テーブルも貝殻も風化が激しい。

 気候の佳い季節には、 ランチや夕涼みを兼ねた夕食などをここで愉しむが、そんな時もテーブルの隅で「栄螺の貝殻」もお相伴だ。

 見慣れた貝殻ゆえ気にも留めなかったが、改めてマジマジト眺めると、角付の貝殻は何とも異形そのものだ。栄螺にとってはそれなりの理由があるのだろうが・・・。

 蓋のイボイボも、渦巻模様も見ればみる程、興味が尽きない。
角付の貝殻は風化が激しいが、蓋の風化はほとんど見られないのも面白い。軟体動物の栄螺が、海水に含まれる炭酸カルシュウムを使って貝殻を創り、蓋を創るのだが、創る際の微妙な違いが材質までも変化させるのであろう。 時間が出来たら、チョット調べてみたいものだ。面白い物語が秘められているに違いない。




           陽と雨に長き年月さらされて

           机もさざえも歳をとるらし


           常日頃 見慣れておれば気にもせぬ

           さざえの貝殻 不思議な形よ


           あらためて栄螺の貝殻 その蓋に

           見入れば興味の尽きることなし


           イボイボを無数につけて渦巻の

           栄螺の蓋を手にして眺めぬ


           柔らかきさざえが造るいと固き

           貝殻と蓋の 秘話を思ひぬ






”Snow angel”

2014-01-23 00:01:45 | 和歌

 米国ニュージャージー州は、冬の真っただ中だ。

 孫のキャメロン君は、湖の畔の冬の生活を堪能しているようだ。マンハッタンから ごく近いにも拘らず、自然に恵まれた環境では、雪が降るまでは山のトレッキングを友達と楽しみ、雪が降ればスキー・そり遊び・スケートなどなど、大活躍だ。



 湖畔の自宅は、庭先のボートデッキを降りれば、そこが自由に遊べる広々とした氷の上だ。彼の雪だるまが、木の枝の両手を拡げて、笑顔で話しかけてくるようだ。

 この湖は、周辺に住む住民のプライベート・レイクで、氷が張れば庭続きの湖面に、プライベート・リンクを作って大人も子供もオオハシャギだ。雪が降れば、リンクの雪掻きが大変だろうが、大きな声をあげつつ雪掻きを楽しむ姿が偲ばれる。



 ニュージャージー州と横須賀では、丁度昼夜が逆だが、「じじ! スカイプしよう!」とのキャメロン君の呼びかけでテレビ電話をたっぷりと愉しみ、遠く離れて暮らすことを
すっかり忘れさせてくれる。

 メールで送られて来た写真を見て、思わず吹きだした。氷の上に積もった雪の上に、キャメロン君が仰向けに寝転がって、腕と脚を上下に動かし、何ともユニークな「お絵かき」の真っ最中だった。

 「雪だるま・雪のタワー、そして雪のお山」の造形は、子供の心をくすぐるお遊びだが、自分の腕と脚を使ったこの表現には、眼を瞠った。

 腕が作った二つの半円形と脚が描いた二つの三角形、それを繋ぐお尻の跡で構成される、極めて逞しい造形的な作品だ。頭の跡に描いた顏も、何とも微笑ましい。拍手喝さいだ!!



                   Cameron's snow angel


           いと厳しき 寒波のニュースもへっちゃらか

           キャメロン君の遊ぶ姿は


           湖が氷に閉ざされ雪降れば

           新たな世界が君を迎えぬ


           広々と拡がる世界は君のもの

           自ら創るは ”Snow sculpting”


           氷原に寝転び創るは気高くも

           君のこころの理想のお山か


           雪積もるスケートリンクに全身で

           描くは見事な キャメロン芸術!







「うつろ庵の吊り羊歯」

2014-01-21 00:22:28 | 和歌

 「うつろ庵」の門被り松に、「吊り羊歯・つりしだ」 がお仲間入りした。

 毎年の歳末には、門被り松の手入れが「うつろ庵」の定例行事であるが、虚庵居士の加齢と共に剪定の日数が増えつつある。今回は青竹の取り換えも重なったので、都合半月程を愉しんだ。

 そんな「うつろ庵」の門被り松に、お仲間が加わった。
路地散歩の途上、羊歯を丁寧に手入れされているお宅の前で、見事なお手入れに虚庵夫妻が見惚れていたら、奥様が笑顔で出て来られて、「よろしかったら吊り羊歯をどうぞ」と云いつつ、袋に入れて下さった。

 帰宅後、門被り松の青竹に早速「吊り羊歯」をつるした。
昼下がりの陽を浴びて、羊歯の葉がゆったりと回転する姿は、天女の舞いを観る 
思いであった。




           年ごとの松の手入れは大儀なれど

           自ら愉しむ 半月なるかな


           このたびは青竹までをも切り出だし

           松の整枝を愉しむ日々かな


           路地裏を辿れば羊歯をいつくしむ

           門に至りて見惚れるじじばば


           じじばばの姿に笑みを湛えつつ

           奥方出できぬ朋にあらずも


           吊り羊歯がお気に召すならと袋にぞ

           入れて給わる思ひにしびれぬ






[小正月の木瓜」

2014-01-19 00:46:30 | 和歌

 「木瓜」の花が、小正月に咲いていた。

 子供の頃、信州の田舎に育った虚庵居士だが、小正月は雪と氷に閉ざされていたので、「木瓜」の花を観るなど及びもつかなかったが、小正月の様々な行事が想い出された。毎日を忙しなく暮らす生活からは、その殆どが消え失せてしまったが、古来からの風習が懐かしい。

 正月の床の間に飾られていた「お供え餅」は、鏡開きの日に割って、「小豆粥」に 入れて食べたあの味も忘れられない。



 男の子達にとっては、の家々を回って正月の松飾やしめ縄を集めるのが楽しみだった。集めたお飾りを大きな松の木の枝に吊り下げ、根元に積み上げて一気に燃やす「どんど焼き」の炎は、いまも眼に焼き付いている。

 お書初めの半紙をその炎に投げ込んで、燃えながら舞い上がるのを観て歓声を挙げた。燃えて高く舞い上がれば、お習字は上手になるとの言い伝えを信じて、子供達は次々とお書初めの半紙を投げ入れたものだった。

 信州の田舎ではかって養蚕が盛んだったので、米粉で作った紅白の繭玉を柳の枝先に挿して、正月飾りにしていたが、小正月の「どんど焼き」の火にかざして、焼いて食べたのも懐かしい。寒気に堪えて咲く「木瓜」の花を観つつ、子供の頃の雪と氷の小正月に、思いを馳せる虚庵居士であった。




           指先の痺れる寒さに揉み手する

           木瓜の花咲く小正月かな


           信州の子供の頃の小正月を

           想い出すかな木瓜と語れば


           いと固き鏡餅かな打ち砕き

           小豆の粥の鍋に入れにし


           子等集い松の飾りを集め歩き

           「どんど焼き」をば 一気に燃やしぬ


           紅白の繭玉餅を火にかざし

           顏 火照らせる「どんど焼き」かな


           書初めの半紙を炎に投げ入れて

           燃えつつ高く舞ふを念じぬ


           雪の舞ふ小正月こそ恋いしけれ

           幼き頃を木瓜と偲びぬ






「空き家の草原」

2014-01-17 01:03:15 | 和歌

 殆んど歩いたことのない住宅街の一画を、久しぶりに散策して愕いた。
かなりの広さの庭園が枯草で埋め尽くされ、草原風に変貌していた。枯草は午後の陽ざしを受けて、草穂が風に靡く風情は大草原を思わせるではないか。

 これだけの草穂が庭園を埋め尽くすのは、少なくとも半年以上、管理が行き届かぬ空家に違いあるまい。駅から遠いなど交通の便が悪い地域では、築後年数を重ねた旧家に空家が目立つ昨今だが、環境条件が整った住宅街での「空家の草原」には
愕いた。

 住み人の転勤など拠所ない事情で、管理が疎かになっているのかもしれないが、自然の営みはそんな人間の事情に関わりなく、たちまち草を蔓延らせ、草原を為すのには感嘆であった。

 蔓延る草ぐさの逞しさを、か弱い人間共は学ばねばなるまい。




           何時の間に芝生が枯れ穂の草原に

           変貌するとは愕き見入ぬ


           陽を浴びて草穂が靡く草原か

           住宅街の空家の庭には


           陽を浴びて煌めく草穂は持ち主に

           呼び掛けるらし とく帰りませと


           住み人の留守を守るや草穂らの

           その数増すは警護の固めか


           西日浴びて共にきらめく草穂かな

           住み人待ちわぶ語らい重ねて






「夕暮れの水仙」

2014-01-15 01:18:10 | 和歌

 陽が西に傾くと、あっと云う間に夕暮れになるこの頃だ。
群れ咲く水仙にも傾きかけた西陽がさして、それぞれに持たれ合う水仙の風情は、大勢の乙女等がお互いに肩を寄せ合って、お喋りに夢中の姿を思わせる。 

 そんな時の乙女等は、制服やスカートの乱れなど意にも介さず、お喋りの声や、キャッキャと笑いころげる賑やかな声すら聞こえそうだ。 



 何時もの遊歩道に戻った時には夕暮れ近くになって、水仙の面影は清楚そのものであった。暮れかけた陽光は並木や民家に遮られ、水仙は暮れゆく冬の表情を凛と湛えていた。

 同じ種類の水仙だが、冬の陽光が為せる業か、或いはそれぞれの水仙に備わった、真の姿の違いを観ているのであろうか。我々人間の姿は、時と場合によって千差万別の様相を示すが、それぞれの個人が持つ雰囲気は替え難いものがある。

 人の姿や滲み出る人間性は、その人の人生そのものなのであろう。 




           冬の陽は西に傾き群れて咲く

           水仙の花に重なる乙女ら


           もたれ合い寄り添い咲くかな水仙の

           群花見れば乙女等の声聞く


           身を捩りじゃれ合う仕草か水仙の

           群れ咲く姿に乙女等見るかな


           陽がかげり清楚に咲くかな水仙は

           冬の寒気に身を凛として


           凍てつける寒気もものかわ水仙の

           花に観るかも己の世界を






「夕暮れの椰子並木と富士山」

2014-01-13 12:02:37 | 和歌

 前回の「猿島とプロムナードの磯菊」に続き、防潮堤を兼ねたプロムナードの、
夕暮れの情景をご紹介する。

 三浦半島の低い山並の向こうに、富士の夕映えが見事だった。
何時も見慣れた情景だが、カメラに写す機会が無いままに過ぎて来た。この写真の右側が横須賀市の繁華街に続き、更に右に猿島が鎮座する位置関係だ。

 夕暮れもあっと云う間に過ぎて、街路灯や遠くのビルの明かりが煌めく情景は、 
また別の世界だ。 皆さんのご想像で、美しいイメージを膨らませて頂きたものだ。




           ばば様のおしゃべり聞きつつ歩み来れば

           椰子の並木は日暮れに浮かびぬ


           山並みのかなたの富士の山影は

           厳かなるかな 茜の夕暮れ


           夕映えもまたたく間にぞたそがれて

           とばりに隠れむ富士のお山も






「猿島とプロムナードの磯菊」

2014-01-11 01:31:26 | 和歌

 近くの丘の上から、東京湾に浮かぶ唯一の自然の島、「猿島」を写した。

 島の向こうには、横浜が遠く見える。手前には横浜・横須賀高速道が、近くの終点に向けて走り、その向うに住宅街のごく一部分が迫っている。海沿いには椰子並木がごく小さく写っているが、この辺りから左方向へ約2キロほど、防潮堤を兼ねたプロムナードが続き、椰子並木は総延長5キロ程にもなろうか。



 防潮堤は、上下二段の構成だ。 下段は海水の干満に余裕を持たせて、海面上
約3メートル、幅は狭い部分で10メートル、広い部分では30メートル程もあろうか。上段は更に3メートルほど上に構築され、幅は10メートル程度。 上下の防潮堤は、それぞれ半分ほどの幅に巨石を並べ、隙間から越波を海へ戻す設計で、極めて大がかりな構築物だ。

 市民の散歩用のプロムナードは、上段の巨石帯を挟んで両側に2メートル幅の歩道を2本、下段に1本の歩道が設えられているので、人気のスポットになっている。
その様な散歩用のプロムナードは、自転車の乗り入れや海釣などが禁じられているのだが、広くのびのびした空間なので、禁を破る輩をしばしば見かけるのだ実情だ。

 上段のプロムナードは、4車線の道路沿に椰子の巨木が植えられ、その足元には磯菊やシャリンバイ、アイスプランツなどが植えられ、眼を愉しませて呉れている。  
11月の初旬に磯菊の綻びを写して、 「小菊の季節 - その1」でご紹介したが、あれから2ヶ月を経て満開になった。寒い季節では、開花から満開になるまでに、これ程の日数が経つのかと驚きつつ、その間たっぷり愉しませて貰ったことに感謝だ。

 丘の上から観た猿島はかなり大きく見えたが、防潮堤からの猿島が小さく見えるのは不思議だ。カメラのピントを近くの磯菊に合わせたので、猿島が小さくなったのであろうか。思いもかけぬレンズのイタズラを、再発見させて貰った。 




           息切らせ 坂道登り 振り返れば

           手が届くかと猿島眺めぬ


           住み慣れた街並み遠く探せども

           吾が住む辺りは霞む彼方ぞ


           ゆとりある街に暮らすと思へども

           斯くも狭きか 視点を替えれば


           丘を降り海辺に至れば椰子の根を

           磯菊埋めてじじ・ばば迎えぬ


           猿島を幾たび眺めきつらむか

           椰子の根方に磯菊めでつつ


           霜月のこえ聞き咲き初む磯菊を

           歳の初めに満開寿ぐ 






「姫蔓蕎麦と金平糖」

2014-01-09 00:43:16 | 和歌

 「姫蔓蕎麦・ひめつるそば」を見ると、祖父の膝に抱かれて食べた、甘い砂糖菓子の金平糖を思い出す。

 太平洋戦争の末期の頃、まだ幼児だった虚庵居士は、母に手を引かれて祖父の家に時々遊びに行った。当時は総てがお国のため、戦地への供出等で、お菓子や飴等は殆んど手に入らない貴重品だったが、祖父と共に食べた金平糖が懐かしい。

 いま思えば、信州諏訪で巨大な倉庫を構え、繭・生糸問屋を営んでいた祖父は、孫達のために工面して、金平糖を特別に手配していたに違いあるまい。

 仏壇の前が祖父の定席だったが、後の茶箪笥の小引き出しから金平糖を手掴みで取り出し、幼児の手に余る程を下さった。 そんな懐かしい金平糖に、「姫蔓蕎麦」の花は形も大きさも、そして色合いもそっくりだ。

 当時の祖父の年齢を遥かに超える虚庵居士だが、「姫蔓蕎麦」の花を観れば何時の間にか、金平糖を食べつつ涎を垂らす、幼児の気分になるから不思議だ。


           懐かしき

           幼児の頃の砂糖菓子の

           金平糖を偲ぶかな

           母に連れられ手を引かれ

           遊びに行った祖父の家

           膝にまたがり口にする

             金平糖に よだれをたらしぬ





           蔓草の細きうなじに玉花を

           幾つか かかげる 姫蔓蕎麦かな


           近く見れば粒々それぞれ小花かな

           あまたの小花が珠をなすとは


           それぞれの小花は未だ口つぼめ

           一つ二つの 年始の綻び 


           何時の日に小花は咲くや珠をなして

           その日を観まほし近くに寄り添い






「蝋梅二輪」

2014-01-07 00:05:29 | 和歌

 「蝋梅」が咲いていた。

 師走から睦月にかけてのこの時節には、寒気に堪えて蝋梅が咲き、心を和ませて くれる。だが、寒風が吹き荒び、或は小鳥たちが集まれば、忽ち花びらが傷ついて、折角の蝋梅が「狼狽する」ことになるから気の毒だ。

 幸いにも無疵の「蝋梅二輪」が、虚庵夫妻を迎えてくれた。
あまり高くない枝先に寄り添って咲く姿は、睦まじい夫妻を観る思いであった。年老いた虚庵夫妻が揃って見上げるのは、何やら「こそばゆい」想いであったが ・ ・ ・ 。




           久方に風のおさまる昼下がり

           ふくよかに咲く 蝋梅の花は


           見上げれば花びらあまた傷つくは

           小鳥がつどうや木枯らし荒ぶや


           枝先に仲睦まじく咲く二輪

           肩を並べて見上げる じじばば


           斯くばかり厳しき寒気に堪えて咲く

           蝋梅の花のこころをおもひぬ


           ひとひらの花びらに見るは連れそふる

           妹子を気遣う仕草にあらずや






「防寒着の琵琶」

2014-01-05 00:04:29 | 和歌

 日本列島は厳寒の日が続き、日本海側は連日の吹雪だ。

 最近の天気予報では気圧配置の天気図に続き、観測衛星が写した日本列島と雲の映像がTVで報道されるが、大陸からの烈風が吹き荒ぶ「スジ雲」には目を瞠る。

 風速30メートルを超える北風は、吹雪を伴って総てを覆い尽くす。
富山に住む義兄弟の家族は、正月もさぞや大変なことであろう。

 それに引き替え三浦半島では、厳しい寒気とは言え、正月に琵琶の花が咲いている。 真冬のまっ只中に咲くとは、迂闊だがこれまで花時を正しく認識していなかった。

 厚手の葉を逞しく拡げ、枝の先端に莟と群花を無造作に付ける琵琶だ。
30~40個ほどの莟と花が押し合いへしあって、子供達の「押しくら饅頭」を連想させるが、よく見るとそれぞれが分厚い防寒着を着込んでいるではないか。

 真冬に咲く琵琶の備えに感服しつつも、「ふっくら」とした琵琶の実を連想して、涎を垂らす虚庵居士であった。




           烈風と吹雪の荒ぶ列島に

           目を瞠るかな花咲く琵琶に


           見上げれば逞しき葉は群花を

           いだく気配ぞ琵琶の姿は


           群花の押し合いへし合う琵琶みれば

           子等の「押しくら饅頭」おもほゆ


           身を寄せる琵琶の莟も咲く花も

           防寒着にて身を護るとは


           ふくよかな琵琶の果実を口に食み

           種を吐き出す仕草も思ひぬ






「仙人の髭」

2014-01-03 00:38:45 | 和歌

 「仙人の髭」と呼ばれる「仙人草の種」に出合った。



 仙人草は花の後に、まことに愉快な髭付の種を付けるのだ。
この写真は接写したので、かなり拡大されているが、種の大きさはたかだか2ミリ程度であろうか。
 髭が風に吹かれて種は遠くまで舞い、子孫を広く撒き散らそうとの、仙人草の逞しい知恵の姿をとくとご覧あれ。

 仙人草の花は夙に散ったと思っていたが、あろうことか真冬の昨日、陽だまりに咲く仙人草に出会って愕いた。
偶々「仙人の髭」に出遭った直後だったので、感激も一入であった。

 

 正月二日は、お書初めの日だ。
久方振りに筆を執って、「仙人の髭」二首を画仙紙半切に試筆した。


      いと深く山谷越えて来つるかも

      仙人舞ふらし白髭踊るは


      しろたえの髭くねらせるは仙人が

      幽居に舞ふらし藪に絡みて


           藪に絡む仙人草と語らえば

           白髭笑ひぬご機嫌よろしく