「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「秋明菊・しゅうめいぎく」

2015-09-29 20:40:46 | 和歌

 まだ花茎の丈が短いままに咲き始めた秋明菊の花が、大きな葉を背にして初々しい姿だ。今頃は、周りをお仲間の花に囲まれていることであろう。そよ風に揺れる様は、乙女らが顔を寄せ合って語り、笑みを交す風情を思わせるに違いあるまい。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 秋明菊は根元に大きな葉を拡げるが、花茎をスクッと立ち上げて莟をつける。
そんな花々が咲き競っても、葉が邪魔しないので誠に爽やかだ。

 身近で育てやすく、可憐な花は誰にでも愛されるので、何時の間にか様々な名前が付けられた。秋明菊にはじまり「しめ菊」「紫衣菊」や、土地の名前も加わった「加賀菊」「越前菊」「唐菊」「高麗菊」、或いは「貴船菊」「秋芍薬」などだ。

 それにしても、これ程に多くの名前を持つこの花の魅力とは、何なのだろうか? 「うつろ庵」の庭先に咲く秋明菊に寄り添い、グラスを片手に改めて無言の語らいを交す虚庵居士であった。


 

           気が付けば虫の集きを耳にして

           秋明菊に寄り添う今宵ぞ


           咲き初めし秋明菊の今頃は

           咲き競うらむ花々ゆらして


           十五夜の月の明かりにおぼろにも

           浮かぶはしろたえ秋明菊かな


           十五夜の今宵遥かに偲ぶかな

           揺れる花々待ちにけらしも






「うつろ庵のウコン」

2015-09-26 14:34:02 | 和歌

 「うつろ庵」のテラスに「鬱金・ウコン」が咲いた。
大きな葉陰に隠れて根元に咲いた花は、暫らくは気が付かなかったが、お花を見つけた虚庵夫人は感激の声をあげた。 葉の丈は虚庵居士の腰のあたりまで伸びて、葉の巾は手のひらを開いた程にもなるので、すっかり隠れて咲いていたのだった。


                       
 葉を掻き分けて見ると、既に何段かに花が重なって咲いていた。
白い花の様に見えるのは苞葉で、その下に黄色の口を開けているのが花だ。何段かに咲き重ねるので、かなりの期間に亘って愉しませてくれる。春ウコンはピンクの花を咲かせるお洒落さんだ。

 熱帯アジア、印度が原産地で、根を乾燥させて黄色の粉にしたのが、カレー粉の原料だ。肝臓に効く生薬としても利用されるので、虚庵居士も一頃試用したが、苦みがかなり強いので長続きしなかった。




           わぎ妹子の素っ頓狂な声を聴き

           初めて知るかなウコンの開花を


           葉隠れに咲きたるウコンは白妙の

           衣をまといて笑みぞこぼれぬ


           久方に出会う鬱金の花なれば 

           大葉を掻き分け久闊いやしぬ


           秋を経て鬱金の根をば掘り出だした

           昔を偲びぬ ほろ苦きをも


           人々の愛ずるは花かやほろ苦き

           カレーの粉かや秋の鬱金は






「白彼岸花と水引草」

2015-09-23 15:34:18 | 和歌

 かつては「曼珠沙華」と呼ばれていたが、最近は「彼岸花」が一般的なようだ。
白彼岸花と水引草がセットになった、粋な写真をお送り下さったので、皆様にもお裾分けをお届けします。白彼岸花も水引草もそれぞれに繊細な草花であるが、何気なく組み合わせて育て、愛でる感性には脱帽だ。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 偶々二種類の草花が同居したとは、考え難い。
山野に自生する水引草を、そっと根付で白彼岸花の傍に移植したのであろう。
白い花が咲く頃には、小さな粒々の水引草も紅に色付くことを頭に描いて、移植ゴテを手にしたであろう粋人の姿が、瞼に浮かぶ。

 そんな風情をさりげなく写真に写して、送って下さるとは・・・。
粋なご配慮に、痺れる虚庵居士であった。


           曼珠沙華 白妙の花と細きしべ

           寄り添う野草の 水引草とは


           何気なき水引草と彼岸花の

           その組み合わせにぞ こころ痺れぬ
 

           粋人は想いを抱き水引草を

           白彼岸花に添えにけらしも


           粋人は花咲く頃を描くらむ

           植える姿が瞼に浮かびぬ


           さりげなくカメラに写し送りくる

           粋な思いに 痺れるじじかな






「小紫と虫の集き」

2015-09-20 16:00:57 | 和歌

 「小紫・こむらさき」の実が見事な紫色になって、秋を感じさせてくれるこの頃だ。
気が付けば蝉の声は何時しか耳にはなく、夕暮れには「虫の集き」が誠に爽やかだ。「うつろ庵」の棺桶ベンチに坐して、グラス片手に虫の集きを聞けば、あの世とこの世の区別がつかなくなって、夢うつつの虚庵居士だ。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 「うつろ庵」の近くの遊歩道にも、「小紫」が所どころに植えられていて、枝垂れる姿は誠に優雅だ。「小紫」のその様な風情を、あろうことかバッサリと枝を切り落として、無残な姿を晒すのに出逢うとガッカリさせられる。住み人や道行く人々に迷惑にならぬような配慮は当然だが、枝の剪定にも僅かばかりの気遣いをして欲しいものだ。

 植木の剪定に限らず、自分勝手な言動により他人に思わぬ影響を与え、或いは迷惑を掛けることは間々ある。自分の言動を慎む気遣いは、一朝一夕には適わぬが、些細なことで修業を重ねる以外に、道はないのかも知れないが・・・。
                   

           小紫の

           枝垂れる実房の装いに

           秋を知るかも改めて

           ふと気が付けば蝉の声

           何時しか消えて虫たちの

           澄んだ集きに変わるかな
 
           庭の片隅 わぎ妹子と

           棺桶ベンチに坐しつつも

           グラス片手に虫の声

              聞けばあの世か

               この世の夢かな


           小紫の枝垂れる姿は夕暮れに

           虫の音きけば朧にかすみぬ






「緑葉と彼岸花」

2015-09-18 21:57:25 | 和歌

 自然の律儀議振りには、何時もながら感服だ。
間もなく「秋の彼岸」を迎えるが、時を違わず「彼岸花」は見事に咲き誇って、「ああ、お彼岸が来たな」と教えて呉れる優れものだ。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 一般的に「彼岸花」は、土中から花茎だけがスクッと立ち上げって花をつける。
云うまでもなく緑葉は全くない無い状態で咲くので、どこか「寂しげ」なイメージが付き纏っていた。 送って下さった「彼岸花」は、様々な緑葉に囲まれてさいているので、改めて見直すとまた別のイメージだ。

 草花に限らず、見慣れた周辺環境や何時もの状況が、意外と固定観念を作っている様だ。その様な状況が当たり前になっているとなかなか気付かないが、時には措かれた環境条件を替え、或いは視点を意識的に転換して物事を捉える、発想を変えて思考することが我々にとっては極めて大切だと、改めて気付かせてくれた「緑葉と彼岸花」であった。
 

           紅のいと細きしべ八方に

           ひろげて咲くかな彼岸花はも


           花茎は何も待たずに立ち上がり

           ただひたすらに彼岸に咲くとは
 

           秋ゆけば 彼岸におもひを致すかも

           寂しげに咲く彼岸花みて


           様々な緑葉かこむ彼岸花と

           交わす言の葉 思ひは如何なれ


           緑葉と彼岸花との交歓に

           無言の訓えをいただく爺かな






「うつろ庵の珊瑚」

2015-09-14 15:44:39 | 和歌

 台風一過と思いきや、想像を超える豪雨が関東・東北地方を襲った。
鬼怒川堤防の決壊などで多くの皆さまが被災された。行方不明の方々のご無事と、一日も早い復旧を心から念じている。幸いにも「うつろ庵」周辺は被害も無く、生垣の「珊瑚の房」が赤く実って「よかったね!」と、朝のご挨拶だった。


                       
 初夏の6月頃には白い花房を付けて、道行く人々の話題にもなった。何よりも蝶や蜂達にとっては、この上ないご馳走だった。そんな様子を「珊瑚樹・花房の饗宴」にご紹介したので、改めてお楽しみ頂きたい。(クリックすればリンク先が開きます

 珊瑚樹の実房は、将に「血赤珊瑚」で造ったかと思われる程の鮮やかさが自慢だ。一時、太平洋の日本近海で中国の珊瑚密漁船がメディアを賑わせた。あの海域では最高級の「血赤珊瑚」が自生しているが、密漁と密売による想像を絶する巨額の収入のために、国際ルールも規制も一切無視し、中国政府も口を噤んで黙認したのは頂けない。 日本国政府はもっと厳しく追及すべきだったのだが・・・。

「うつろ庵」の珊瑚の房は将に「血赤珊瑚」ではあるが、9月末までの百万長者の儚い夢がせめてもの慰めだ。血赤珊瑚はたったの一粒でも、10万円程の高級装飾品だ。ましてや数百個の小粒の一房は如何ほど高額になるのだろうか、などと胸算用に夢みる虚庵居士だ。


           生垣を彩る珊瑚の実房かな

           煌めく挨拶 朝日に映えて 


           耐え忍ぶ猛暑の次の台風と

           誰も招かず 斯くもの豪雨を 


           しぶきあげ濁流呑み込む民家みて

           命をとどめよ! 祈りを伝えよ!


           幸いに台風・豪雨の被害もなく

           実房の挨拶 「よかったね!」とぞ


           生垣の「血赤珊瑚」に夢みしは

           文無しなれども 百万長者ぞ


           珊瑚樹の枝葉と語り紅の

           実房を誇れる己を誇りぬ






「清しく香る」

2015-09-12 12:30:11 | 和歌

 「ジンジャーリリー」の清楚な姿を、広島からメールでお届け下さった。メールを開いたら、清々しく香りたったかと思われた。 「うつろ庵」の近くの遊歩道にも、背の高いジンジャーが植えられているが、最近になって開花した。 散歩の途上で虚庵夫人と顔を寄せ合って、香りを愉しんだ。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 この花には懐かしい想い出がある。
孫のCameron君がまだ2歳の頃、ハワイ・マウイ島のロッジを2週間ほど借りて、じじ・ばばとCameron君の家族で楽しんだ。ロッジの裏庭には、「ジンジャーリリー」の清楚な花が咲いていたのだ。暖かな気候ゆえか、背丈は2メートルを越える程だった。
じじに抱っこされたCameron君が手を高く伸ばして、「ジンジャーリリー」の花を引き寄せ、花に顔を埋めて遊んだのが懐かしい。

 ビーチまで芝が続く広い庭でCameron君と遊び、隣のゴルフ場でじじ・ばばは何回かラウンドしたが、コースにも「ジンジャーリリー」の花が咲き、マンゴーが木にぶら下がっていたのも想い出される。

 花梨の床材の端切れを丁寧に加工し、「いろは」51文字を彫刻刀で彫った「積木」を、お土産に持参した。小さな手で積木を並べ、積み上げてては崩し、キャッキャと遊んだことも懐かしい。


           清しくも香り立つかな白妙の

           ジンジャーリリーの写真を開けば


           夕暮れの薄暮の散歩に浮かぶかな

           白妙の花ジンジャーリリーは


           
           はからずも

           おぼろな記憶が蘇えり

           ハワイ・マウイのロッジにて

           孫を抱けば手を伸ばし

           ジンジャーリリーに顏うずめ

           キャッキャと遊んだ遠き日は

             じじ・ばば孫との 宝の想い出


           ビーチまで

           拡がる芝生に寝転べば

           孫は馬乗りご機嫌の

           笑みも声をも甦り

           隣のゴルフのコースにも

           白妙の花ジンジャーが

             香りて語りぬ 寛ぎなされと 

             
           ジンジャーの

           白妙の花は清しくも

           香れば数多の思いをば

           人と人とも繋ぐかな

           この先何を紡ぐらむ

           この先何を託さむか

             ジンジャーリリーの 華と香りに






「門前の野牡丹」

2015-09-10 00:54:20 | 和歌

 会議で東京まで出かけて帰宅したら、門冠り松の下に「野牡丹」がお出迎えで、目を瞠った。綺麗な花もさることながら、直径が50センチ程もある大鉢を、虚庵夫人がたった一人で移動したことに愕かされた。


                       
 「お帰りなさい」との声と共に虚庵夫人が出迎え、「野牡丹のお花に、門前でご挨拶をさせたかったのよ」との説明であった。これまで大鉢の野牡丹は、狭い庭ではあるが巨石の脇に置かれていた。門までは石段を経て、10メートル程の径を移動させたことになる。「大変だったのよ!」とのアッピールと共に、大鉢を移動させたご苦労の痕を見せられた。

 小枝の剪定から水遣りなど、慈しんで咲かせた野牡丹を、一目でも多くの皆さんに観てほしいとの思いが、熱く伝わって来た。

 紫紺の花びらと、沢山の釣り針を思わせる蕊の対比が、何とも見事だ。
胸の高さの門扉に凭れて、飽きずに野牡丹を眺める虚庵夫妻であった。殆ど感じられない程のごく微かな風に、花びらの一枚が敏感に揺れていた。


           門前に紫紺の花のお出迎え

           出掛けに無かった 大鉢野牡丹!!


           愕きの じじ出迎えるわぎ妹子は

           大鉢移動の苦労を語りぬ
 

           径(こみち)にはあちらこちらに痕跡が

           奮闘語りぬ大鉢移動の


           慈しみ見事に咲きにし野牡丹を

           一目見せなむ道行く人にも


           門に凭れじじ・ばば見惚れぬ野牡丹の

           紫紺の花の幽かに揺れるを






「ミソハギ」

2015-09-06 00:45:35 | 和歌

 「アゲハ蝶が禊をしているかの様にみえました」とのメッセージと共に、「ミソハギ」の写真をお送り下さった。 「禊萩」は水辺などに自生するが、お庭で丁寧に育てられたミソハギは、花がより一層華やかだ。 豊かな花で、アゲハ蝶が禊をしたくなるような雰囲気が漂っているではないか。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 横須賀の公園でもミソハギを見かけるが、気の毒にも花付が貧相で、豊かな野性味が見られないのは残念だ。田舎の田んぼ際や水路に沿って咲くミソハギは、野趣があって逞しさが魅力的だ。

 古来、ミソハギは花を楽しむだけでなく、村人は生薬としても永くお付き合いを重ねて来た。多くの効能が期待できるらしいが、虚庵居士のおぼろな記憶では、「草かぶれ」や「切り傷の血止め」などにも利用されていた。

 旧盆の頃に咲くこの花は、ご先祖様をお迎えする花でもあり、様々な禊(みそぎ)にも使われた。アゲハ蝶ならずも、禊で穢れを祓って爽やかな明日を迎えたいものだ。


           ミソハギに禊(みそぎ)をはらうと君みしか

           羽根をはばたくアゲハ蝶見て


           穢れ祓ふミソハギの花豊かなれば

           幸多かれと祈りを重ねつ
 

           いにしえの人々願いを託すらむ

           ミソハギの花に穢れを祓いて


           咲き昇る花逞しきかなミソハギは

           溢れる生気をこの手に受けまし






「酔いにけらしも・・・」

2015-09-03 17:11:16 | 和歌

 ご多忙を極める先生が、「酔芙蓉」の「酔いにけらしも・・・」と頬を染める姿を写してお送り下さった。同じ花の、朝昼夕それぞれ異なる風情を見せて頂いて、大感激だ。


                        0830時撮影 ご提供 片岡勝子様

 朝日を浴びて眩いばかりの、純白の「酔芙蓉」だ。純真な乙女の、はじらふ風情が偲ばれる。
 
           白妙の芙蓉の花は はじらふや

           朝日を眩しと小手をかざすは




            1300時撮影                   1630時撮影            

 最近の虚庵居士は、お勤めを退いて好き勝手な日常生活を送っているので、午後から会議などのない日は、ランチからグラスを傾け、将に「酔いにけらしも・・・」と頬を染める。 お散歩で、酔芙蓉の花が頬を染めるのに出会えばウインクを交し、「やってますね」と声を掛けあうのが愉しみだ。

 ランチのグラスに何遍か注ぎ足しつつ、パソコンに向かうのが虚庵居士の日課だ。
ボランティアの会を主宰するので、ウェブでの調べ物や多数のメールの交換に追われる毎日だ。夕刻になって、一息つく頃にはすっかり出来上がって、鏡で見れば将に鐘馗様そのものだ。

 夕暮れ近く、花の姿を凛と保ったままの「酔った」芙蓉に出逢うのは、類い稀だ。
厚顔無恥な虚庵居士は、鐘馗様風の顏を晒して平気で散歩するが、酔芙蓉のそんな無様な姿にはお目にかからない。 頬を染める色が濃くなり、「酔いにけらしも」と自覚すれば、自ら花を閉じて乱れた姿を晒さないからご立派だ。

 「美しいままで一日の命」を終える、「酔芙蓉の命の美学」には敬服だ。


           ランチ終えそぞろ歩めば頬染める

           酔芙蓉に会いウインク交わしぬ


           君もまたランチのワインを嗜むや

           酔いにけらしも・・・頬に手をやり


           夕べ近く深く酔ひしか芙蓉花

           ほれ惚れ見上げぬそ文字の姿を


           いまひと目 観まほしけれど酔芙蓉は

           一日の花 閉じて終わりぬ


           白妙の花は酔ひしか頬染めて

           自ら逝くとは乱れもみせずに






「密造ワイン」

2015-09-01 11:09:13 | 和歌

 「うつろ庵の葡萄」は、今年も雀達にすっかり楽しまれた。 「葡萄の袋掛け」をしてカナブンやカメムシの猛攻は防いだが、雀達は紙袋を食い破って葡萄を啄ばむから堪らない。結果的には雀達にせかされて、葡萄の穫り入れを先週に済ませた。



 葡萄の房も粒もごく小さく食用には適さないので、「密造ワイン」を醸すことにして、広口瓶に収容した。雀達に啄ばまれて、完熟した大房は殆ど収穫出来なかったが、
それでも一坪足らずの葡萄棚としては、まあまあの収穫だった。

 「密造ワイン」造りは、何故か心にトキメキを覚える。自家用ゆえに「密造」と断る必要はないのだが・・・。

 粒を潰すと容積は凡そ5・6割になったが、葡萄の芳醇な香りが鼻を擽り、美味しい密造ワインが期待できそうだ。

 以来、朝晩の撹拌が日課になった。
8月の気候はワインの醸造にはこの上ない気温ゆえ、醗酵が早速始まった。小さな泡がブツブツと発生して、呑兵衛の虚庵居士にとっては夢み心地の一ヶ月になりそうだ。

 昨年の「うつろ庵の密造ワイン」には、醸造の特別仕掛けなどもご紹介したので、併せてお愉しみ下さい。

    「抱甕・ほうへい」と題する旧作の歌が、図らずも想い出された。
    いみじくも、現在の虚庵居士の姿ゆえ、あえて一首をご紹介する。


        山づとのぶどうを甕に醸さむと

          抱きてやまずも山賤(やましず)のわれは