「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

私家歌集「芽吹きのドラマ」上梓

2010-12-30 23:12:36 | 和歌

 私家歌集第六巻「芽吹きのドラマ」を上梓しました。

 ブログ「虚庵居士のお遊び」は、皆さまにご愛読頂き、温かなご支援が何よりの心の支えで御座いました。改めて感謝申し上げます。折々の花の写真と、それに添えた短いエッセーと数首の和歌、合計98編・150余頁をこのたび私家歌集として上梓しましたので、CD版ラベルをご紹介します。





 かつて、漢詩に和歌を副え或いは長歌に詠み替えるお遊びを「千年の友」として出版しました。
文芸社は、「格調高き吟遊詩人登場」などとのキャッチコピーで、現在も書店販売を続けております。
(「千年の友」にカーソルを合わせ、CTRLタブ+左クリックすれば、Googleブックスにリンクされていますので、目次と内容の一部をご覧頂けます。) 

 その後は、ブログ「虚庵居士のお遊び」にて落書きの歌を詠み続けて参りました。それらを纏めてこれまでに私家歌集「落葉」「折々の花と歌」「薔薇を娶らむ」「庵の夕べ」を上梓し、今春の「更に一献」と今回の「芽吹きのドラマ」を合わせて、私家歌集・六部作となりました。

 虚庵居士のお遊びにお付き合い下さっている皆様に、感謝をこめてご報告申し上げます。 






              節ごとの僅かな膨らみ日をおかず

              確かな芽吹きとなりにけるかも

                        「芽吹く葡萄」より


              お遊びに落書きの歌詠み重ね

              歌集の上梓をことほぐ今日かも





    私家歌集CD版・六部作は、書店或はアマゾンなどで発売しておりませんので、念のため。
    お求めの方は、著者chogawa@jcom.home.ne.jp宛にお申し込み下さい。各巻実費500円です。




「夕映えの銀杏」

2010-12-29 12:20:27 | 和歌

 「うつろ庵」の近くにある公園の銀杏は、久しく見ないうちに見事な「黄葉」に変わっていた。

 比較的新しい住宅地にしては、類稀なかなり大きな公園で、沢山の桜や、欅、銀杏が植えられている。宅地造成と同時に数ブロック分が一括して公園に充てられて、まだ50年足らずだが樹木はたちまち大きく育って、それぞれに風格ある大樹になった。生憎の曇り空で、銀杏の黄葉は聊かくすんでいたが、子供たちは銀杏には目もくれず、広い芝生を駈けまわっていた。





 夕暮れ近くだったからか犬の散歩の皆さんも集って、又とない交流の場になっていた。
公園の一画には、高いフェンスで囲まれた球技場が設えられているが、子供たちは野球かサッカーなどに夢中になっているのであろう、ひと際大きな歓声が聞えてきた。

 そんな子供たちの歓声に応えるかのように、夕日が一瞬、背の高い銀杏を照らした。
いままでくすんでいた銀杏の黄葉が、パッと明るく映えて目を瞠った。久しぶりに公園に足を踏み入れて暫らく佇んでいたが、「ようこそ」との銀杏の挨拶を受けたように思われた。





              黄葉の銀杏は木の葉を夕映えに

              染めての挨拶 しばし見惚れぬ


              子供らのはしゃぐ声聞きしのばるる

              孫のカートを追いしかの日を


              何時ならむ夕映えかすめば目を閉じて

              しずかにあの世にわたるを夢みぬ





      半日ほど下書きのまま放置して、お見苦しい姿を晒しました。老人性痴ほう症の初め?
      或は泥酔のなせるだらしなさかも。深く恥じ入り、頭を掻いております。




「葉隠れの万両」

2010-12-28 18:33:13 | 和歌

 歳末になると何かと忙しくなるのはお互い様だが、表通りに面したフラワーベルトのツツジが、日頃から手入れを怠っているのが気になって、大きな剪定鋏を取り出した。「うつろ庵」のツツジは「大紫」に植え
替えたので、刈り込みは程々にして、伸びやかな大紫の枝の成長に任せてきたが、手入れをサボるのもそろそろ限界だ。

 整枝の作業を半分ほど済ませ、門の右手に場所を替えたら、「大紫」に隠れて「万両」の一株が五十
センチ程に成長していた。大紫の枝葉に隠れて、これまで気付かなかったが、赤い実を付けた一人前の「万両」だ。これまで日蔭者の存在で、口を閉ざして我慢してきた「万両」に申し訳ない思いが募って、剪定の方針を急きょ変更をして、万両の周りの大紫を見苦しくない程度まで刈り込んだ。大紫のはびこる枝葉で、聊かイジケタ姿・形を細い篠竹で補った。

 二・三軒先のご近所のフラワーベルトに、立派に育った万両の一株があるが、一・二年のうちには是と覇を競う「万両」に育ってくれるに違いない。





 一たび万両が気になると、道行く先々で万両が目に入るから不思議だ。
赤道の、植え込みの足元までもが丁寧に掃き清められた中に、二株の「万両」が己の座を占めていた。






              わが庵に集う小鳥の置き土産か

              つつじの陰に「万両」育つは


              とき放つ大紫の葉隠れに

              「万両」育てり口を閉ざして


              この後は日陰にさせまじ陽を浴びて

              ゆたに在りませ「万両」の君よ






「名残の唐綿」

2010-12-26 14:33:57 | 和歌

 些か季節外れだが、唐綿の名残の花が「うつろ庵」の庭に咲いている。

 生垣で寒風も遮られた陽だまりの庭がお気に召したようで、よく見るとまだ沢山の莟が付いている。
唐綿に言わせれば、「名残の花どころか、まだまだコレカラヨ」と艶やかな気炎をあげるに違いない。この唐綿は苗を植えたのでも、種を蒔いたのでもないが、別の場所にあった株から種が舞い降りて咲いたものだ。この花もやがて5・6センチ程もある実を結ぶことであろう。実莢が枯れて割れると、中から銀色に輝く綿毛がのぞく。2センチ程もあろうかという長さの綿毛は、風に舞って何処へでも種を運んで、思いも懸けぬところに花を咲かせることになる。

 「うつろ庵」では、かねて門扉の脇に一鉢があって、そこで花を咲かせて愉しませてくれたが、そこから奥まった庭へ綿毛で舞い降りたものだ。唐綿はこの様に、風に舞って自由気侭に何処へでも花を咲かせるが、人間社会でこの様な振る舞いをしたらどうなるのだろうか? 好き勝手な行動は許される筈もないが、かなり気侭な言動をしながらも、受け容れられているご仁も中には居るようだ。その人間の類まれな、親しみ易く憎み難い性格によるものかもしれないが、一方では、好き勝手な振る舞いをしている様でいて、人知れず細かな気配りが行き届いている人だけが、受け容れられているのであろう。

 人の世では細かな気配を尽くしても、ほんのチョットしたキッカケで、誤解を生むことすらある。お互いに意思のある人間同士ゆえに難しいところだ。人間と、意思を持たない自然界の関わりを教訓とするならば、人間社会では気配りが過ぎるのは、得てして好まざる結果をもたらすものの様だ。






              いまだなお名残の花を咲かすとは

              日向の庭がお気に召すらし


              唐綿はまだあまたなる莟持ちて

              花咲くこころか名残の後にも


              今朝観れば既に実莢の幾つかが

              育む種をばしかと抱きぬ






「ピラカンサ」

2010-12-24 20:54:26 | 和歌
 
 花の殆どなくなったこの時節には、赤い実をビッシリつけたピラカンサが、主役に登場する。

 斯くも無量大数の実を、枝も撓につけるのはピラカンサを措いて、他にないのではなかろうか。 
元来、草木に係わらず花が咲き実をつけるのは、種の保存の法則だから別に不思議はない。が、しかしである。ピラカンサの実の付き様は尋常ではない。

 世の中には「歩留まり」という概念があるが、例えばこのピラカンサの実が地に落ちて芽生える歩留まりが、仮に1%いや0.1%だと仮定しても、ピラカンサの足元には沢山の子孫が芽生える筈だ。数年の内には、辺り一面にピラカンサが蔓延ることになるが、現実はそんな情景にお目にかかった例がない。

 ピラカンサの実の数がこれ程に多いのは、虚庵居士にとってはまさに「摩訶不思議」だ。





 冬を迎えて野鳥たちにとっては、厳しい試練の時節を迎える。自然の食べ物は極端に少なくなって、
小鳥たちにとっては「種の保存」どころか「食べ物を探し、生きて行く」ことが、最大のテーマであるに違いない。そんな厳しい自然環境の中で、ピラカンサは小鳥たちにとって、掛け替えのないレストランなのであろう。やがて多くの小鳥たちが腹をすかせて、このピラカンサにも集ってこよう。家々の庭や遊歩道に自然が豊かなこの界隈は、小鳥たちの種類も数も豊富だ。目白・鴬・つぐみ・ひよどり・赤腹等などが集って、啄みながら交わす姦しい鳴き声の季節も、間もないことだろう。

 ピラカンサの実がこれ程に多いのは、わが身の子孫を残すだけでなく、小鳥たちへの恵みを与えるためであろうか。ピラカンサがそのために無量大数の実をつけるなどと言う、「思いやり」の心があるとはとても思えない。小鳥たちだけでなく、好き者の人間はピラカンサの実でジャムを作り、砂糖漬けや果実酒を作るというが、好き者の人間の為か?

 創造主の神はこの世の生き物達に、わが身のためだけでなく、次元を超えて恵みを与えることを諭すために、そして類まれなサンプルとして、ピラカンサをお造りになったのだろうか・・・。
それにしては、枝に持つ鋭いイバラは何のためだろう?


              重なりて 押し合いへし合う赤き実を

              なぜに斯くまでつける君かな


              君知るや冬来たりなば赤き実を

              啄む鳥の囀る歓喜を


              神ならでピラカンサスの思いをば

              知るよしもがな尽くすこころを






「櫨の木(ハゼノキ)」

2010-12-22 16:12:03 | 和歌
 
 散り残った「櫨の木(ハゼノキ)」のたった一枝が、見事な紅葉を見せてくれていた。





 赤道の両脇には、かなり大きな石組が連なっているが、その合間にごく小さな「櫨の木(ハゼノキ)」が二本生えていた。勝手な想像ではあるが、小鳥が櫨の木の実を啄んで、その小鳥の置き土産から芽生えたものかもしれない。

 12月も半ばだというのに、根元のカタバミの葉はまだ青々として、櫨の木の紅葉には打ってつけの彩りであった。

 櫨の木は元来「うるし」の一種だから、子供の頃は「カブレルから触ってはいけません」と父母に注意されたものだ。子供の過敏な肌には「ウルシかぶれ」の炎症を起こしかねないようだ。山野を構わず走り回って「冒険ごっこ」をして遊んだ子供の頃に、「ウルシかぶれ」の酷い目にあったことがあったが、櫨の木によるものか、「ウルシの木」に触ったものかは不明だ。塗り物の「漆」を採取する「ウルシの木」は、葉がもっと丸みを帯びているが、正確に見分けるまでもなく、用心に如くはない。

 櫨の木の実は小粒で房になるが、どの様に処理するのかは知らないが、木蝋が抽出される。
木蝋は、和蝋燭の原料となるが、「鬢付け油」
にも使われているようだ。お相撲さんの髷を整える際には、無くてならない油だ。

 「櫨の木(ハゼノキ)」のたった一枝の紅葉から、子供の頃の「ウルシかぶれ」や亡き父母のことが偲ばれ、感慨深いものがあった。秋の紅葉は、様々なこと共を連想させ、人を感傷的にさせるもののようだ。


              散り残るハゼの木の葉の紅葉に

              亡き父母をおもほゆるかも


              母の顔のすぐそこにあり幼き日

              頬にかぶれのくすりを塗るとて


              あの木には触るでなきぞと指し示す              

              節くれ指と とうちゃんの聲






「台湾連翹(たいわんれんぎょう)の実」

2010-12-20 20:18:02 | 和歌

 自転車を走らせていたら、道路脇の「台湾連翹(たいわんれんぎょう)」に黄色い実がなっていた。用事を済ませてから、カメラを持って取って返した。 実の大きさはちょうど大豆ほどの大きさだが、あたかもレモンを小さくしたような形の実であった。





 「うつろ庵」の台湾連翹もご近所の花も、何れも実を付けないので、うつけ者の虚庵居士は、台湾連翹は花を楽しむ庭木で、実など生らないものとばかり「早とちり」していた。 「管見」という言葉がある。
ストローのような細い管から覗いて見える範囲はごく狭いので、広い範囲を見渡した知見とは雲泥の差が生ずる。物事は広く見よ、注意せよとの箴言だ。虚庵居士の狭い生活の範囲で見たものだけが総てだと早とちりすると、まさしく管見そのものだ。台湾連翹からたしなめられ、無言の、貴重な訓えを頂いた。

 
 道行く人は、爺さんが台湾連翹の実を覗き込んで、而もカメラを取り出して写している姿を見れば、怪訝に思ったであろう。せいぜい好意的に見ても「もの好きな爺さんだ」と嘲笑のまなこで見たに違いあるまい。

 「うつろ庵」の台湾連翹もお隣さんのも、花色がもっと濃い瑠璃色で、花びらは白い縁取りがある。台湾連翹は様々な種類があって、花の色も白・ピンク・瑠璃色・瑠璃色白縁などと多様だ。葉の色も形も様々だ。ことほど左様に、皆さんに好まれ、愛されている証であろうが、実のなる木とならない木の種類もあるのかもしれない。

 それにしても、実の数が少ないのはどうしたことであろうか。食べ物が少ないこの時節では小鳥が啄んだのだろうか。


              昼下がり散歩の道を自転車で

              走れば小粒の黄実ぞ眼に入る


              しだれ咲く名残の花の連翹は

              手をつなぐらし黄実の小粒と


              春夏と秋をも花を付けにしが

              やがて散るかも黄実を残して






「幼稚園の文化祭」

2010-12-18 00:18:45 | 和歌

 孫娘からのご招待で、幼稚園の文化祭を観覧させて貰った。

 孫娘の通う幼稚園では、区立文化センターの千人ほども収容できる大ホールで、午後一杯を費やして文化祭が開催された。幼稚園の催しとは思えないような大規模なイヴェントで、午前中のリハーサルも
合わせれば、園児は丸一日の強行軍であった。お歌に始まり、バイオリン演奏・ピアノ演奏・オペレッタと続き、最後にはキャンドルサービスと元気な園歌で締めくくられた。





 孫娘は、習い初めの頃のバイオリンは持つ手も逆さであったが、三年保育の最期の年とはいえ、たった五歳でお友達と一緒に合奏したのは見事であった。オペレッタも彼女のパートを立派につとめて、じじと
ばばは眼を丸くして驚くばかりであった。

 恩賜公園脇の超高層マンションに住む息子一家との夕食を楽しんで、ゲストハウスに泊めて貰ったが、孫娘はじじ・ばばと一緒にお泊まりするといって、お布団にもぐりこんで来た。 孫は過日、たった一人で
東京から横須賀までお泊まりに来たが、その時の感激が忘れられないのであろう。一旦は眠りについたかに見えたが、盛沢山だった今日の興奮は、夜遅くまで余韻が残っているようだった。
孫は、どんな夢を見たのだろうか・・・。

 翌朝、お迎えのバスを見送ってバイバイしたが、バスの中から何時までも手を振る孫娘の姿が、
いまも瞼に残っている。






              緞帳が上がれば園児らバイオリンと

              弓とを持ちて凛々しき姿ぞ


              指揮に合わせ弓引くリズムに耳澄ませ

              孫の姿を探すじじばば


              夕食は孫の興奮伝われば

              オクターブ上るじじばばの声


              パジャマ着てじじばばと寝ると愛しくも

              孫は布団にもぐり込むかな


              通園のバスを待たせてじじばばと

              八ッグを交わす孫とのバイバイ  


              バスに乗り両手を振ってさよならを

              見えなくなるまで送る孫かな






「ネリネ(ダイヤモンドリリー)」

2010-12-15 16:20:10 | 和歌

 散歩道の脇の植え込みの中に、ハッとさせられる一株の花が咲いていた。

 花茎が50センチ程のびて、その頂にピンクの花がかなりの数で華やいでいた。枯れ葉が散り落ちて、すっかり冬仕度が整ったこの時節にしては、貴重な華やぎだ。花の姿はどことなく彼岸花に似ているが、細い葉がしどけなく足元に絡んでいるので、彼岸花とは違うようだ。 

 このお宅の住み人は、枯れ行く晩秋の後の侘びしさを、この花で癒しているに違いあるまい。花の脇の支柱が聊か邪魔に思われたが、木枯らしが吹けば長い花茎は煽られて、倒れたり折れたりすることもあるのであろう。支えの棒を添える花人の心が偲ばれた。 

 帰宅後に調べたら、南アフリカ原産の「ネリネ(別名ダイヤモンドリリー)」だと判明した。
花の種類としては彼岸花のお仲間らしいが、華やかな花が愛されるのであろう数種の園芸種があって、それぞれに固有の花名が付けられているようだ。






              道行けば華やぎ咲くかなひと群(むら)の

              花と語らふひと時なるかも


              手を拡げ歓喜に舞ふや七重八重に

              おりなす花の思いを酌まばや


              いや遠く嫁ぎ来たるやアフリカの

              ネリネの花の馬堀に咲くとは


              花茎のいと長ければとて花びとの

              心映えかな支を添えるは






「ガレージの南天」

2010-12-13 22:34:13 | 和歌
 
 「うつろ庵」には南天が三株あるが、ガレージ脇の蘇芳梅の下で、半日陰の南天だけが赤い実を付けている。梅の木陰とガレージの屋根が小鳥たちから守っているのかもしれない。
南の庭の南天は日当たりが良いので見上げる背丈に成長したが、小鳥が啄んだのであろう、赤い実はたった数粒が残っているだけだ。

 かつてブティックのお店に飾ってあった南天の枝を、大きな甕ごと虚庵夫人が頂戴してきたので、「うつろ庵」の庭の片隅に無造作に突き刺したまま放置した。根付くなどとは思いもしなかったので、随分と乱暴なことであったが、在ろうことかいつの間にか根が出て、若葉が成長したのには驚かされた。
逞しくも幸運を呼ぶ気配を感じて、それ以降は大事にして来たが、赤い実を付けて目を愉しませて呉れる南天に、お礼をせねばなるまい。

 もう一株は、「赤い実を鉢に蒔いたら芽吹いたのでお裾分けします」と手紙を添えて、姉が封書で送って来たものだ。十センチ足らずだったが今では五十センチ程の背丈になった。鉢植えのままだが、既に紅葉を愉しませて呉れている。三株の南天は、「うつろ庵」の狭い庭の中でそれぞれに境遇を異にしているが、それぞれがけな気に生きて、色々なことを語りかけてくれる可愛い家族でもある。






              さざ波の緑の葉波に紅は

              珊瑚の珠玉か南天の実は


              紅の南天の実を我妹子(わぎもこ)の

              飾りとやせむおさなご遊びに


              幾とせか経にもけるかなわぎもこと

              南天の枝を庭に挿したは 


              それぞれの思いを語る南天に

              耳傾けて孫子ら偲びぬ






「ディル(イノンド)」

2010-12-10 15:26:37 | 和歌
 
 子供たちが「あかみち」と呼ぶ赤レンガの遊歩道については、道沿いに咲く花の紹介で、これまでも
何回か触れたが、全長二キロ程の遊歩道には様々な庭木や草花が咲いていて、散歩の愉しみの一つでもある。十二月に咲く花は限られているが、思いもかけない花が咲いていた。以前から葉姿が珍しいので注目して来たが、花に出会ったのは今回が初めてだ。





 これの若葉はサラダに入っていて食べたことがあったが、名前を知らなかったので取敢えずカメラに
収めて帰り調べたら、「ディル(イノンド)」だと知れた。腰から胸の高さ程の草丈の頂部に、花火のように花茎を開いて、黄色な米粒ほどの蕾と花をつけていた。これとよく似た姿形をしたセリの白い花は、清流のほとり等で見かけるが、「ディル」と出会えるのは此処だけだ。

 ものの本に拠れば紀元前三千年程も昔から香料植物として、或いは薬草として用いられて来たらしい。ここのお宅ではその様な事情を弁えていて、お料理や薬草として一株を植えて愉しみ、道行く人々にも
お裾わけをして来たのかもしれない。






              そぞろ行けば師走の道にほの淡く

              黄花の小花ぞ揺れて迎えぬ


              枯れ葉舞う師走の風をあしらふや

              ディル嫋かな会釈の仕草は


              紀元前三千年もの昔から 

              種を繋ぎ来て ディルは咲くかな






「ブルーベリーの紅葉」

2010-12-08 02:29:26 | 和歌

 「うつろ庵」の庭先にも秋が訪れた。

 孫が小さな手でブルーベリーを摘んで、一緒に食べてたのはじじ・ばばには宝のような思い出だが、疎らになった小枝の葉が見事に紅葉して、行く秋を愉しませて呉れようとは思わぬプレゼントだ。
数日前から虚庵夫人が注目して、事ある毎に話題にしていたが、門被り松などの剪定に追われていて、ごく小さなブルーベリーの小枝には目が届かなかった。虚庵夫人の留守中に、やっと彼女の声が届いた訳でもないが、カメラを構えて改めてその美しさに目を瞠った。





 昨晩は夕食後に遅い散歩から帰って、テラスに設えた手造りのテーブルを挟んでしばし歓談したが、
明日は改めて虚庵夫人と紅葉狩りをしよう。カメラに写した紅葉も美しいが、願わくばグラスを片手に秋の陽ざしの下で観れば、紅葉はもっと美しいに違いあるまい。

 「うつろ庵」の小さな庭で、ブルーベリーの小枝の紅葉を観ながらワインを飲み、「紅葉狩り」を愉しもう
などと提言すれば、虚庵夫人は何と言うだろう。「それ相応の宿に泊まり、お食事をして・・・」などと日頃から言う虚庵夫人であれば、呆れ返って目を三角にするに違いあるまい。 






              庭先の斯くも見事なもみじ葉に

              目の届かざる己を恥ずかも


              我妹子(わぎもこ)は幾たびとなく語りしに

              虚ろに応え(いらえ)て過ぎにけらしも


              明日こそは手を携えてわが庭に

              紅葉狩りせむ燃え立つさ枝を


              ひと株のブルーベリーは宝なれ

              歓喜の小粒と燃える紅葉は






「無刀痕」

2010-12-06 00:10:32 | 和歌

 禅寺の本堂には、「立一塵」と「無刀痕」の書額が相対して掲げられていた。

 双方とも中村不折の書で、書き振りから判断するに同時期に揮毫されたものであろう。奇をてらった作意もなく、目で筆順を辿っていたら、不折翁の泰然自若とした運筆の呼吸が、そのまま虚庵居士の呼吸に再現されて、不折翁と共に筆を執っているかのように思われた。

 不折は私財をなげうって碑銘などの秀品を蒐集し、台東区鴬谷の彼の住いが現在は「書道美術館」に衣替えして維持されている。蒐集作品と共に不折の書も展示されているので、機会があれば是非観覧をお勧めする。新宿「中村屋」の看板・ロゴも、信州諏訪の銘酒「真澄」も不折の書であることを付記する。





 「立一塵」の禅語は、碧巌録にあった一語を偶々思い出したが、「無刀痕」については思い当たる手がかりも無かった。禅寺を辞した後も、気がかりであったのであれこれと調べてみたが、なかなかこの一語には辿りつけなかった。暫らくして森鴎外の「寒山拾得」は、唐代の天台宗の禅寺での物語であったことを思い出して、寒山拾得をキーワードとして検索してみた。繰り返して検索を続けたところ、拾得録の中の偈の一節に次の句を見つけた。

 『靈源湧法泉、斫水無刀痕 。  靈源は法泉に湧き、水を斫るも刀痕なし。』

 寒山・拾得は、天台宗国清寺に寄宿していた豊干禅師に師事したが、両僧の余りな奇行や乞食(こつじき)振りが、禅画の格好の材料に使われているが、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身だと言われている。

 森鴎外の「寒山拾得」では、両僧に会いに行った台州の主簿(日本の知事相当の高級官吏)が礼を尽くして挨拶すると、二人は「腹の底からこみ上げて来るような笑い声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた。」 案内した寺の高僧は「真蒼な顏をして立ちすくんでいた。」として終わっている。鴎外も見事な公案を提示して締めくくり、読者に解を求めた名作である。

           
            諏訪殿の菩提を弔う禅寺の

            書額の公案 如何にや応えむ


            奇矯なる禅僧寒山・拾得は

            破顔の笑いに何を託すや


            もろもろの姿も言葉も多けれど

            ただのひとつを如何にや捉えむ




 

「立一塵」

2010-12-04 02:18:55 | 和歌

 かなり日時を経たが、郷里・信州の菩提寺で兄夫妻の法要が営まれて、参列した。

 ごく近親者のみの法要であったが、曹洞宗の格式高い菩提寺には久方振りの参詣であった。
亡き父が檀家総代として改修した鐘楼を仰ぎ見ながら、本堂に向かった。かつての法要は座布団に座して読経・ご焼香・僧侶の法話などと、長時間に亘り痺れを我慢するのに難儀したが、菩提寺では椅子が準備されていた。椅子の生活に馴れたエセ仏教徒にとっては、有難いご配慮であった。





 法要が済んでのち、改めて本堂に掲げられた書額を観賞させて貰った。
筆致から中村不折の書だと判ったが、「立一塵」は稚拙そのものの趣で、布置などは聊かバランスを欠いていたが、禅寺に相応しい書額であった。この書を観ていたら、学生時代の夏休みが思い出された。
この菩提寺と同じ山中に在る尼寺の庵を拝借して、のどかな一夏を過ごしたことがあった。
尼僧たちの極めて真摯な宗教生活に刺激されて、「般若心経」や「碧巌録」のごく一部をカジッタが、その中に「立一塵」の禅語も在った様に思い出された。帰宅して、書棚から碧巌録を取り出して調べたら、第六十一則 「風穴一塵・ふうけついちじん」 に 「立一塵」 の禅語が見つかった。

 風穴垂語云、 若立一塵、 家國興盛、 不立一塵、 家國喪亡. (風穴和尚は垂語して云く、若し一塵を上げ得れば家も国も興盛し、一塵を上げ得ざれば家も国も喪亡す。)

 「ごく僅かな塵を立てる」ことと、小さな存在の一人の人間の行動とを重ねて、かつての禅僧達の公案修行の一端が偲ばれる言葉だ。また禅僧でもない中村不折が碧巌録に眼を通していたと知り、この書額の前にしばし立ち尽くした。


           
            兄夫妻を偲びて集う諸人の

            髪しろたえに老いを告げいて


            いずこ迄旅ゆくものかは亡き兄は

            笑みて瞼に残りしものを


            叱られて蔵にて泣ける幼子の

            ボクを義姉(あね)さま胸に抱きぬ


            立一塵 不折の書額に学生の

            夏甦り来て庵を偲びぬ 


            禅修行の僧にはあらねど若き日に

            目にした一語が甦るとは




 
      お詫び: お恥ずかしいことながら、不折翁の雅号(後に本名)を誤記のまま
            気づかずに掲載していました。訂正し、慎んでお詫びします。



「風に舞う落葉」

2010-12-02 21:21:22 | 和歌
 
 晩秋は落葉の季節だ。

 近くの公園の欅は、風と共に一斉に落葉の乱舞がはじまり、見事な風物詩を醸して愉しませてくれる。散り敷いた落葉は、公園の芝生も歩道も埋め尽くして、それがまた風に吹かれて地上の乱舞を演じることとなる。「うつろ庵」のお隣の白木蓮も落葉の季節だが、公園の欅とはまた異なった情景を演出している。

 三月下旬には毎年見事な花を咲かせて、春爛漫のお裾わけを頂戴しているが、かつて 「白木蓮」とのタイトルで、その晴れ姿をご紹介した。
 木蓮の花時は春一番の嵐の季節でもあるので、木蓮の花びらはなす術もなく散り敷いて、これまた詩情をくすぐられて、「散り敷く木蓮」 にその情景をご紹介した。

 木蓮は落葉の季節を迎えて、再び話題を提供して呉れた。木蓮の葉はかなり大き目で、大人の掌ほどの大きさだ。秋風に吹かれれば高い梢から舞落ちて、向う三軒両隣の範囲を超えて、ご近所に散り敷くこととなる。枯れ葉は三次元に姿を変形しているので、風を孕みやすのであろう、閑静な住宅地のアサファルトの路上を、微かな乾燥した葉音を
伴って何処までも乱舞を続けることとなる。

 木蓮の落葉の色は茶鼠色で、アサファルト道路に散り敷いた情景は見栄えもしないので、写真は掲載しないが、風に舞う葉音は何故か悲しげで、心に沁みいる調べであった。

 風に舞う落葉を追いかけて道路掃除をするのは、凡人にとっては難儀で、落葉を放置するお隣の感性に聊か抵抗を感じていたが、幽かな葉音に別次元の感性を訓えられた。枯れ葉の風に舞う葉音に耳を澄ませれば、己の次元を超えて、より深いものを汲みとる術があることを・・・。


           
            舞落ちる欅の枯れ葉は行く秋の

            せつなき思いを誘いてやまずも


            散り敷ける落葉は再び乱舞して

            暮れ行く秋をなおも追うらし


            木蓮の落葉はかそけけき葉音たてて

            路上を舞ふかな耳を澄ませと