かなり奥深い森の脇に、山吹が咲いていた。
三浦半島の観音崎の近く、山沿いの道を散歩していて、この山吹に出会った。
雑木と孟宗竹の入り混じり、ほとんど手つかずの奥深い鬱蒼とした森を背にして、山吹の花だけが浮き出して見えた。 森と山吹の組み合わせに、山吹の花を詠んだ古歌と、太田道潅の古事が連想させられた。
「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞ悲しき」
太田道灌が狩りに出かけた先で雨に降られ、「蓑・みの」を借りようと民家に立ち寄った。若い女が無言のまま、山吹の一枝を差しだしたという。蓑を借りたいと乞うたのに、山吹の一枝を差しだされて、若かった道灌はムッと怒って帰宅したという。
後になって、『後拾遺和歌集』の兼明親王の古歌には、「みのない山吹」の意が託されていたのだと教えられ、無学を恥じたという。
その時の山家の山吹は、奥深い森の脇で、こんな姿で咲いていたのであろうか。
いと深き森を背にして山吹の
花浮き出でて吾を迎えぬ
奥深き森と山吹眺めつつ
太田道灌の古事を思ひぬ
雨に濡れ門べに蓑乞う若殿に
山家のおみなは山吹ささげぬ
殿なれば言葉はなくも山吹の
歌のこころ知る君ならむと
うら若き山家に暮らすおみななれど
古歌の思ひを一枝に託しぬ
一枝を手折りてささげし山吹を
思ひ描きぬ深き森にて