「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「森の山吹」

2015-04-26 13:39:36 | 和歌

 かなり奥深い森の脇に、山吹が咲いていた。
三浦半島の観音崎の近く、山沿いの道を散歩していて、この山吹に出会った。



 雑木と孟宗竹の入り混じり、ほとんど手つかずの奥深い鬱蒼とした森を背にして、山吹の花だけが浮き出して見えた。 森と山吹の組み合わせに、山吹の花を詠んだ古歌と、太田道潅の古事が連想させられた。
 
 「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞ悲しき」


 太田道灌が狩りに出かけた先で雨に降られ、「蓑・みの」を借りようと民家に立ち寄った。若い女が無言のまま、山吹の一枝を差しだしたという。蓑を借りたいと乞うたのに、山吹の一枝を差しだされて、若かった道灌はムッと怒って帰宅したという。
後になって、『後拾遺和歌集』の兼明親王の古歌には、「みのない山吹」の意が託されていたのだと教えられ、無学を恥じたという。

 その時の山家の山吹は、奥深い森の脇で、こんな姿で咲いていたのであろうか。 

 
           いと深き森を背にして山吹の

           花浮き出でて吾を迎えぬ


           奥深き森と山吹眺めつつ

           太田道灌の古事を思ひぬ


           雨に濡れ門べに蓑乞う若殿に

           山家のおみなは山吹ささげぬ


           殿なれば言葉はなくも山吹の

           歌のこころ知る君ならむと


           うら若き山家に暮らすおみななれど

           古歌の思ひを一枝に託しぬ


           一枝を手折りてささげし山吹を

           思ひ描きぬ深き森にて






「石畳のオキザリス」

2015-04-18 23:28:36 | 和歌

 「うつろ庵」の庭の飛び石を埋める小石の石畳に、「オキザリス」が咲いた。
小石を敷き詰めた石畳の、ほんの小さな隙間に根を下ろし、可憐な花を咲かせる
野草が可憐で、除草もせずに愉しんでいる虚庵夫妻だ。



 生垣の足元に群れて咲くオキザリスは、葉茎も花茎も随分と徒長して、花茎はゆうに30センチを越える長さだ。レンガの路壁から垂れ下がって、その様はどこか弱々しい雰囲気が漂う。それに引き替え石畳のオキザリスは、葉茎も花茎もごく短く、可憐ではあるが何処かしら元気が漲っている様に観える。

 野草も園芸種の草花も、そしてまた人間社会にも共通するところがありそうだ。
殊に意志を持った人間の生き様を傍観するに、意外にもその風姿は「ひととなり」を如実に物語っているケースが多い様だ。

 「石畳のオキザリス」を観ながら、あれこれ想いを廻らせる虚庵居士であった。


 
           庭先の飛石囲む石畳の

           僅かなすきまにオキザリス咲く


           毎朝のお庭の見回りその都度に

           オキザリスにもご挨拶かな


           オキザリスの幽かに揺れるはゴアイサツか

           オハヨウゴザイマス 声はなけれど


           わぎもこも同じ思ひか足元を

           観ればいたわる 足取りなりけり


           オキザリスの姿かたちに思ふかな

           生き様写す人の風姿を 






「金のなる木」

2015-04-15 00:59:07 | 和歌

 俗名「金のなる木」の花が咲いて、既にひと月以上も咲き続けている。
お洒落な小花が目を愉しませて呉れる、優れものだ。「花月」或いは「縁紅弁慶・ふちべにべんけい」などの名をもっているが、俗名で呼ばれることが多い様だ。



 鉢植えで愉しんでいたが、多肉植物で生命力が旺盛なので、何時の間にか「うつろ庵」の庭には株数が殖えた。

 今年は、意外な程の寒波に見舞われて、路地植えの花月は凍傷で葉を落し、殆ど丸坊主になった。気の毒に枯れ果てるのかと見やっていたら、葉を落した痕に、細かな新芽がにょきにょきと芽吹いた。驚くほどの逞しい生命力には、感服だ。

 
           緑葉の紅の縁取り鮮やかな

           縁紅弁慶 粋な御名かも


           星形のお洒落な小花群れて咲く

           花月の頂 いとど長きに


           この冬の厳しき寒波に見舞われて

           凍えし花月の落葉いたまし


           葉を落し項垂れる花月 痛ましく

           そっと手を遣りこころを伝えぬ


           凍傷の落葉の痕に稚けなき

           芽吹きをみとめこころおどりぬ






「遊歩道の木蓮」

2015-04-13 01:27:47 | 和歌

 「うつろ庵」の近くの遊歩道に、木蓮が咲いた。 大きな花びらの外側は「若紫色」の
グラデーションで、純白な内側と相俟って気品のある木蓮の花だ。



 若紫色の木蓮の花は、内側の純白な部分との対比が誠に鮮やかだった。
上向きの花の内側を少しでも覗けるように、緑道の脇の巨石に登ってカメラを構えた。足元の覚束ない爺の姿を、虚庵夫人は心配そうに見つめて、「気を付けてね」と何度も声を掛けていた。

 この「遊歩道」は、車が走れない程の狭いレンガ舗装の道で、左右に2メートル程の緑地があるので、住民はそれぞれお気に入りの花木を植えて楽しんでいる。 緑地の奥は巨石を組み合わせた石垣で、花木の植込みと合せて趣きもあるので、市民の息抜きに人気のそぞろ歩きの遊歩道だ。




 
           わぎもこと連れ立ちそぞろ散歩かな

           何時しかなりぬ老いの日課に


           「うつろ庵」を出でて間もなく木蓮の

           歓待うけぬ聲はなけれど


           咲き初めし若紫の花びらの

           内の純白 気品を湛えて


           白妙は裡衣ならんや気品ある

           若紫の衣に映えるは


           木蓮の花咲く内側白妙の

           衣を写さむ岩に登りて


           頼りなき足元案じて「気を付けて」

           わぎもこの聲 遠くに聞くかな






「神田川の花筏」

2015-04-10 22:19:41 | 和歌

 春の到来に合わせて、お仲間のゴルフコンペ年間予定をご連絡頂いた。
幹事殿の粋なご配慮で、年間予定に加えて「神田川の花筏」の写真が添えられていて、目を瞠った。



 幸いに健康に恵まれているので、総てに参加の予定とご返事した序でに、お届け下さった写真をブログに掲載したいとお願いしたら、嬉しいことに追加の写真もご送付下さった。

 桜の開花の北上は意外にも早足で驚くばかりだが、写真で見ると神田川の桜吹雪もかなり足早の様だ。僅かな花びらが流れて織りなす「花筏」の域を越えて、神田川の水面を覆う程の桜吹雪は、これまた圧巻ではないか。


                       二枚の写真の撮影・ご提供 共に 末木様  

 
           春到来 ゴルフの予定を知らせ来る

           メールに添えて 「花筏」とは


           願わくばお遊びのブログに「花筏」を

           掲載したいと許しを請うかな


           程も経ず追加の写真のご提供は

           桜雪吹の神田川かな


           神田川の 川面を覆うさくらかな

           舞い散る姿を瞼に描きぬ


           さくら舞い川面に浮かび流れゆく

           移ろう様に思ひを重ねつ






「あけびの花」

2015-04-07 11:11:05 | 和歌

   「うつろ庵」 のガレージに、「あけびの花」 が咲いた。



 ガレージの屋根の軒先に、木通(あけび)の蔓を絡ませてあるが、春までは落葉して蔓だけになるので、一見して異様に見えたのであろうか。半月ほど前に、若い外人女性が虚庵居士に問いかけてきた。

 「お洒落なガレージのお飾りですが、この蔓は何ですか?」 と。
「お花は?」 「果実は?」 と矢継ぎ早のご質問に、たどたどしい英語で応えたが、
「花の咲く頃が楽しみだわ、その頃また来ます!」 と、手を振って去って行った。

 「うつろ庵」 のご近所には、かなりの数の外人がお住まいだが、こんな珍しい花を見たら、どんな反応を示すだろうか?




 
           雌花と雄花の番いに見惚れけり

           あけびの蔓のそこ此処に咲く


           花びらを一杯に拡げ蕊みせて

           これが 「あけびの果実になるのよ」 と


           蕊の先 濡れてひかるは糊ならむ

           雄花の花粉をしかと受けむと


           すぐ脇に控えし雄花の数々は

           風待つらむか花粉を運べと


           緑葉の萌えたつ前に花咲かせ

           受粉を促す木通の知恵かな






「道端のたんぽぽ」

2015-04-04 14:04:57 | 和歌

 道端のホンの一寸したスペースに、「たんぽぽ」 が咲いていた。

 手を一杯に拡げ満面の笑みを湛えていたが、道行く人々は素知らぬ風情だった。
一人の爺様が腰を屈め、独り言を呟きつつ、カメラで写して、満足そうに立ち去った。



 
           駅近く道端に咲く 「たんぽぽ」 に

           忙しげな人々哀れ気付かず          


           満面の笑みを湛えて手を拡げ

           語りかけるに 聞く耳持たずも


           道端の 「たんぽぽ」 の花 笑み咲くに

           人々見ても観えずは哀しも


           腰落とししゃがめば 「たんぽぽ」 嬉しげに

           花びら揺れてその声聞かまし


           カメラ向け写さむとすれば顔隠し

           恥じらう素振りは稚けき妹かな






「うつろ庵の大草原」

2015-04-01 21:50:44 | 和歌

 「うつろ庵の大草原」に、皆さんをご招待します。
 
 住宅街の一画のごく狭い「うつろ庵」に、大草原などあろう筈もない。 だがしかし、
現実に大草原が存在するのだから面白い。



 大草原には、ほぼ同種の野草が一面に広がり、草丈も殆ど同じで、かなりの拡がりを観られるのが一般的な特徴だ。「うつろ庵の大草原」も、この条件をほぼ満たして、緑の草叢の起伏も見様によっては変化に富んで、興味をそそられる。

 虚庵夫人を「うつろ庵の大草原」にお誘いした。
大草原? 当初は怪訝な顔つきだったが、視線が大草原のレベルに合った途端に、「あら!!」と歓声を上げた。 実は、この「大草原」は彼女が設えた平鉢を緑の苔が覆ったものだ。

 「大草原」とは些か大袈裟な表現で恐縮だが、たかが平鉢を埋め尽くした苔であれ、目の位置、視線によっては、果てしなく拡がる大草原を思わせるから不思議だ。虚庵夫人がそれに気づいて、「あら!!」と歓声を上げたのも肯ける。

 我々の日常生活の中には、常識的な視点、当たり前の発想では気の付かぬことであっても、視点を替え発想を替えれば、全く異なった世界が見えることが間々ある。
「うつろ庵の大草原」の発見で、何と盲目的な日常生活を過ごして来たことか、何と
刺激に乏しい観方しかして来なかったかを、大いに反省させられた。 


           ごく狭い 「うつろ庵」 にも 「大草原」 が

           在るとも知らずに過ごし来るとは


           観方かえ 視点を替えれば別世界が

           啓けることを君にや告げなむ


           わぎもこの丹精籠めにし平鉢に

           「あらまあ!!」 の声 聴くとは愉しも


           手を取りて大草原を駆けるかな

           わぎもの苑の新たなひろがり