「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「パンパスグラス」 

2006-08-31 14:36:25 | 和歌



 パンパスグラスの穂が一つだけ、薄曇りの陽を受けて鈍く光っていた。

 灼熱の草原に限りなく広がる、パンパスグラスの輝く穂波を見たいものだが、狭い日本の国土では無理な注文というものだ。アルゼンチンの大草原・パンパスに大群落があると伝えられているが、朝日に輝く様、夕陽に染まる穂波はどんなであろうか。

 日本に持ち込まれてからは、和名を「白銀葭・しろがねよし」と名付けて、大きな穂を楽しんで来た。ここの株にも、毎年沢山の穂が出て愉しませて貰ったが、今年はたった一つとは如何したことだろうか。時節がまだ早いので、これから出揃うのかも知れないが。



 色々な草花を見るに付け、
彼らの育った環境に思いを
馳せ、想像を巡らせるのも
愉しみの一つだ。
お付き合い願っている方々
も、それぞれに独自の道と
環境を歩んでこられて、そ
こから限りないものを吸収
して来られた。
花からも友人知人からも、
様々なことを汲み取らせて
頂いて、感謝せずにはおれ
ないこの頃である。



             ただ独り白銀葭は蓬髪を
  
             もたげて立ちぬ異国にありても



             見晴るかすパンパグラスの穂波染めて

             夕陽落ちゆくパンパス想ひぬ  



             海原を遥かに越えて自ずから
  
             根をはる吾娘を思ひぬるかな





「小紫」 

2006-08-30 22:08:32 | 和歌

 遊歩道の脇に、「小紫」を見つけた。

 細い枝には二・三ミリの小さな実が、房になって既にビッシリと生っていた。まだ緑色だが、枝の付け根に近い辺りでは、仄かに紫が発色し始めていた。 






             こむらさきの緑の実房に遇いしかな
 
             幽かに色づくはしき小粒ぞ 



 立ち去ろうとして、枝先に花が咲いているのを発見した。何と僥倖と言うべきか。
枝先の一番端に、ごく小さな群花がひっそりと咲いていた。「紫式部」も「小紫」も、鮮やかな紫色の実に惹かれて来たが、花に出会えたのは初めてである。花自体はごく地味で華やかさもなく、目立つ存在ではないが、紫の実を予感させる薄紫の花弁が、密集して咲いていた。
写真では拡大されているが、実物は数分の一程度の大きさゆえ、注意して見ないと見落としそうな花だ。

 やがて一ヶ月ほどもすれば、見事な紫の実房が目を愉しませて呉れるに違いない。
その頃には虚庵夫人を誘って観に来よう。楽しみがまた一つ増えた。






             偶々に小花の揺れるを目にとめぬ
 
             さ枝の先の はな小紫を



             たのしみは妹をいざない訪ね来む
 
             こむらさきの実の紫濃きころ 





「千日紅・せんにちこう」 

2006-08-29 14:51:51 | 和歌

 紅白の「千日紅」が、公園の花壇に咲いていた。

 誰が水遣りをしたのか、花びらにも葉にも未だ水滴がタップリと残っていた。花だけ見れば「白詰草」によく似ているが、全くの別品種らしい。隣りには深紅の花が咲いていた。この花のドライフラワーを見たことがあるが、深紅の色合いは生の状態と殆ど変わっていなかった。
「千日紅」との名前は、想像であるが、その辺から来たものかもしれない。





 深紅の花の写真は、鮮やかな花の色がハレーションを起こして、花の周辺の色合いが変化してしまった。素人カメラマンは、どの様にしたらこの現象を防げるのか、知識が無いのがもどかしい。色フィルターを付ければ、深紅の花を写せるのかもしれないが・・・。

 昨日のパーティーで、これと似た現象を見かけた。二人の男がハシャギ過ぎて、スピーチに横車を押し、指名された方々は殆ど話すことすら出来なかった。周りの顰蹙を買っていることに、ご当人達は気付いていないのが哀れであった。心したいものだ。



             夕されば渇く花壇の花々に
   
             打ち水のあと心いやしぬ   



             紅白の千日紅は響きあいて 
  
             花壇に咲くを写真に見てしか   



             目立たむとはしゃぐ男ら哀れなり
   
             自ら気付くを見まくほしけど    





「玉簾・たますだれ」

2006-08-28 02:11:45 | 和歌


 遊歩道に沿って、「玉簾」が咲いていた。雨の後に咲き出すことから、Rain lily とも言うが、玉簾とともに良い名前だ。

 暑さの故だろうか、このところ炎天下に外出するのが辛かったが、ここ数日はめっきり爽やかになって、外出も楽になった。
ところが習慣とは恐ろしいもので、散歩に出掛けるのは何時の間にか、夕暮れ時になってしまった。暮れ泥む歩道の脇に、爽やかな玉簾が浮き立って、点々と連なって咲いていた。

 日が暮れかかると、この頃は虫たちが鳴きだして、ことさらに涼をそそる。昔の歌人ならば虫の音に和して、当意即妙に歌をものしたであろうが、虚庵居士は指折りかぞえつつ、何時の間にか庵に帰り着いていた。

 「うつろ庵」の虫籠には、数年来の鈴虫が健在だが、そろそろ「集く」であろう。
 その日が愉しみだ。






             玉ぼこの暮れゆく道を行きたれば
 
             浮き立ち咲ける玉簾かな 



             夕さればはや虫の鳴く秋なるや
 
             暑さばかりに気をとられしが



             虫かごの鈴虫すだくを聞かまほし
 
             あやに家族と思ひ来たれば     





「姫女苑・ひめじょおん」 

2006-08-27 18:00:50 | 和歌

 そろそろ花時の終わりを迎える「姫女苑」が、草原の中に咲いていた。

 「春紫苑」から、何時の間にか「姫女苑」にバトンタッチされたが、白い小花も間もなく草原から姿を消すことになる。「春紫苑」の細くて柔らかめの白い花びらが、ごく薄い紫を帯びて咲くのも可愛いが、炎天下に咲く「姫女苑」も、素朴でそして清楚なのがよろしい。

 「うつろ庵」の斜め後ろに、つい先ごろから外人さんが住み始めた。虚庵夫人と買い物から帰って車をとめたら、たまたま赤ちゃんの泣声がした。見るとご夫妻が乳児を自転車に乗せて、ヘルメットを被せていた。「ハイ!」と声を掛けつつ、「アブブ、ブルブル、パラパララ・・・」と、得体の知れぬ赤ちゃん言葉で乳児に指を出したら、泣き止んで指を握ってくれた。生後十ヶ月の長女だという。OX△語とタドタドシイ英語の、ほんのひと言二言の立ち話だった。

 暫らくしたら「うつろ庵」の門前に、先程のご夫妻が赤ちゃんを連れて佇み、挨拶にみえた。
ご丁寧にもゴジバ・チョコを携えて、にこやかにほほ笑んでいた。素朴で清楚なお二人との、ご近所のお付き合いが始まった。






             白妙に咲く姫女苑は草叢に
 
             夏日を受けて無造作なりけり



             あぶぶぶぶ ぱらぱら パップン コンニチハ
 
             隣りのジジ・ババ どうぞよろしく 



             咄嗟にも赤ちゃん言葉の挨拶に
 
             笑みを湛えてナイスミーチュウ     





「芙蓉」

2006-08-26 16:45:30 | 和歌

 木槿の花に暫らく遅れて、「芙蓉」が今を盛りと咲いている。





 今週の中ほどには、朝晩で色が変化する「酔芙蓉」を紹介した。ピンクや白のままの大輪の「芙蓉」も、それぞれに見事な花を咲かせるが、何れもたった一日限りで命を終える定めだ。

 同じ花でも何日か咲き続けると、折角の花が虫に食われたり、風に吹かれて傷んだりすることが多い。そのような姿を晒すのは、観る者にとっても忍び難いものがある。花を咲かせて最も美しいままに、夕暮れと共に花を閉じるのは、最高の美学かもしれない。

 林芙美子は色紙に「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」とよく書いたが、私生児として生まれ、貧困の生活を重ねた自分の半生の想いを、儚い花の命に重ねたものであろうか。花は、観る者のこころの在り様によってどうにでも変わり得る。

 一日を限りに花を閉じる芙蓉であるが、隣を見ると莟が割れ初めて、其処には濃き紅の色をのぞかせている。次つぎと花を咲かせて、子孫繁栄のための営みを逞しく整えている芙蓉でもある。






             夕されば芙蓉の花はみな閉じて

             穢れぬままに逝くぞいとしき 



             薄色の芙蓉は夕べに定めとて
 
             色濃く閉じぬはかなき命を 



             夕されば散り逝く芙蓉の隣りには

             紅のぞかせ莟割れそむ    

                                



「秋桜・コスモス」 

2006-08-25 11:44:04 | 和歌

   夕暮れ近くに、公園でコスモスに出会った。





 かなり広い公園だが、数多くの欅の大木が枝葉を広げて木陰をつくっているので、住民にとっては格好の休息の場となっている。だが、花壇のコスモスには日が遮られるので、いささか気の毒な状態だ。それでもお互いに寄りそい、支えあって、けな気に花を付けている。ほとんど風も無いのに、コスモスは敏感に微風を受けて揺らいでいた。コスモスは、「たおやか」に風に揺れる姿にこそ、風情がある。

 手弱女の風情をカメラに収めようとしたが、揺れてピント合わせが出来ない。上手に撮れないと、「ど素人の腕」を棚に上げて、バカチョンカメラのせいにしたくなる虚庵居士であった。身勝手な己にあきれ果て、数枚を写して諦めて帰宅した。

 たまたま一枚、ピントは合っていたが、あの「たおやかな」コスモスではなかった。ど素人の写真でも、やはり心で撮らないと、本当の姿は写せないものらしい。






             吹く風を身に覚えずもコスモスの
 
             揺れる姿にそれとしるかな


 
             夕さればもの想ふらし手弱女の
 
             風情にたゆたう秋桜かな 



             さだまらぬひとの想ひをコスモスの

             たゆたう花に汲まむとするかも





「屁糞葛・へくそかずら」

2006-08-24 21:32:01 | 和歌

 炎天下の草原は、草いきれしていた。

 はびこる草叢に、足を踏み入れてほどなく、あれ「おなら」かな、と思われる匂いがして辺りを見渡した。もとより人影は見える筈もないのに、と思いつつ数歩進んで、はたと気がついた。「へくそかずら」だ! 案の定、つつじに「屁糞葛」が絡み付いて花を咲かせていた。





 離れて見れば可憐な小花が、あちこちに咲いている。もっとよく見ようと近づいたら、あの「おなら」とは少し違うが、何とも個性的な「匂い」が鼻をついた。カメラに収める間だけ我慢したが、それにしても「花の香り」とはとても思われない異臭である。「屁糞葛・へくそかずら」とは、誰が付けたか誠にヒドイ名前ではあるが、匂いからすれば当に「打って付け」の名前だ。

 例によって、念のため花図鑑のお世話になった。別名を「灸花・やいとばな」、また「早乙女花・さおとめばな」と書いてあった。






             誰ならむ 花の名前を付けかねて
 
             余りに酷し「屁糞葛」は
 


             さは言えど花の香りにあらずにや
 
             人くさきかな屁糞葛は
 


             いと惜しき小花なるかも紅の
 
             こころを壺に秘めて咲くとは
 



                               

「酔芙蓉・すいふよう」

2006-08-23 18:32:36 | 和歌

 昨日の夕暮れ近く、「酔芙蓉」の酩酊状態を写そうと会いに行ったら、彼は既に顔をピンクに染めていた。
「お前さんの来るのが遅いから、儂はもう酔うてな・・・ 眠いのよ・・・」
てな感じに、出来上がっていた。





 酩酊状態だけを写したのでは彼のプライドを傷つけはせぬかと考え直して、今朝また会いに行った。曇り空であったが、彼は誠に爽やかな顔で「おはよう」と挨拶に応えた。隣りには昨夜呑み過ぎたお仲間が一人、まだ熟睡していた。

 「酔芙蓉」とは誰が名づけたか、なかなか乙な名前だ。昼間の「しらふ」の表情も、午後になると早々と晩酌が始まり、忽ち色に出て、夕暮れには決まって「酩酊状態」に出来上がる。
のん兵衛ではあるが、晩酌を欠かさない律儀な花ではある。

 一杯呑めば、たちまち顔に出る虚庵居士と、よく似ているではないか。
しかも、三百六十五日、一日たりとも晩酌を欠かさず、ワイン、焼酎、コニャック等など・・・。
「酔芙蓉」は、まさに「虚庵居士の朋花」と言わずばなるまい。






             御酒飲むや白妙の花 酔芙蓉は
 
             かんばせ染めて 酔ひたまうかや 



             酔芙蓉と酌み交さむか顔を 

             染めつつ夕べの語らひをせむ



             来る年は庵の庭に酔芙蓉を
 
             一株植えなむ共に酔ひまし





「夏菫・なつすみれ」

2006-08-22 18:46:12 | 和歌

 背の低い「なつすみれ」の花が、紫紺と薄紫と鮮やかな黄色を織り交ぜて咲いていた。





 この「夏菫」の花の色は赤、ピンク、青、紫などさまざまであるが、真夏の花枯れのこの時節に、華やかではないが咲き続けて、目を愉しませてくれる草花は貴重だ。

 念のため花図鑑で調べたら、「夏菫」の他にも花瓜草(はなうりくさ)、蔓瓜草(つるうりぐさ)、トレニアなどと色々な呼び名があるようだ。序に調べたら、花はごく小さいが「瓜草」という雑草が見つかった。「夏菫」の花や葉によく似ているので、ご先祖様ではあるまいかとルーツ辿りの想像を逞しくした。

 可憐な雑草の花を愛で、交配を重ねて、園芸種にまで育て開発した園芸家、或いは植物学者がいるに違いない。単なる想像ではあるが、その様な御仁は、金儲けのビジネス手段というよりは、多分、美しさの追及に人生を賭けて居られるのかもしれない。一つの花を作り出す歓びは、金には替え難いものに違いあるまい。






             名にし負う芙蓉と華を競はずも
   
             炎暑の陽射しに夏すみれ咲く   



             夏すみれのご先祖ならめ面影の

             相似る雑草 瓜草の花



             人の世も草花なれど尊くも

             血脈引き継ぐ定めなるかな





「クレマチスの白い花芯」

2006-08-21 16:25:18 | 和歌

 クレマチスは疾うに旬を過ぎたと思っていたが、ギラギラ照りつける陽ざしを避けて、木陰に一輪がひっそりと咲いていた。

 直射日光を浴びると、萎れる草花もあるほどだが、クレマチスの紫の花びらは、木漏れ日を涼しげに受けとめていた。見上げれば、庭木に絡みついたクレマチスの蔓と葉は、あちこちが虫に食われ、日に焼けてはいるが、炎暑を巧みに避けて花を咲かせている。その知恵には敬服させられ、たった一輪の白い花芯には、尊いものが宿っているようにすら思われた。

 夏の甲子園の決勝戦は、稀に見る素晴らしい戦いであった。日頃、野球など観もしない虚庵居士だが、昨日の昼食時に始まった決勝戦は、何も手付かずで延長十五回、引き分けまで付き合った。今日の決勝戦再試合も、見事であった。

 炎熱のグラウンドに、迸る情熱をぶつけ合う両チームの選手には、素晴らしいものを見せて貰った。試合が終わって目を閉じると、グラウンドの中央で、最後まで冷静に力投した両チームのエースと、クレマチスの白い花芯とが、何時の間にか重なってみえた。






             蝉しぐれ沸き立つ木々の木漏れ日に

             心澄ませて クレマチス咲く  



             甲子園の 決勝戦のほとぼりか
  
             試合の後に蝉しぐれ聞く



             グラウンドのエースの姿は何故ならむ 

             白き花芯とかさなりて見ゆ      





「背高ノッポ」

2006-08-20 11:42:22 | 和歌



 今を盛りと高砂百合が咲き競っているが、「うつろ庵」には、思いもよらぬ「背高
ノッポ」の高砂百合が出現した。

 高砂百合は、鉄砲百合に比べて一般的に草丈が高いが、環境条件によっては、
一米三十センチ程にも生長する。
百合根を掘り起こしたこともないので、大きさは不明であるが、このクラスになるとかなり立派なサイズになっているに違いない。




             雨に濡れて高砂百合は咲きにけり

             珊瑚樹の実を彩りにして 


 ところが「うつろ庵」には、珊瑚樹の生垣を八十センチ程も凌ぐ二株の高砂百合が、沢山の花を付けて咲いた。生垣の高さから判断しても、優に二米三十センチは越えているようだ。虚庵夫人は、「檜の高さと競ったのかしら」とユニークな指摘をしたが、草花は競い合って生長するので、意外と真実を衝いているかも知れない。

 ご近所の方が見上げながら、「立派な鉄砲百合ですね」とお褒め下さった。「高砂百合は大きくなりますからね」と相槌すれば、「鉄砲百合は気品があって素敵ですね」と言いつつ、行過ぎた。挨拶代わりの会話とは、お互いに何といい加減なことか・・・。






             見上げれば檜を背にして天使らの

             舞い立つ姿か高砂百合は



             思ふらむその君なれや背の高き
 
             檜に添うる高砂百合はも 





「パンダ」の気根

2006-08-19 18:49:15 | 和歌


 近くのお宅の窓際には、西洋蘭が針金で吊るされて、見事な紫の花を咲かせていた。道行く人々に、蘭の花を楽しんで貰おうとの心意気であろうか。

 小ぶりな鉢からはみ出した白い気根が、奔放に伸びて、空中の湿気を吸い取っているらしい。家人を見かけたら、名前や香りのことなどを伺いたかったが、ドアホンを鳴らして態々呼び出すのも憚られて、道から写真だけを撮らせて頂いた。

 その昔、「風蘭」という蘭が武家に好まれたと、何かの書き物で読んだことが思い出された。風蘭も庭木の枝に吊るしたり、幹に絡ませて置くと、ほとんど朝露だけで、梅雨明けには白い鷺草に似た花を咲かせ、芳香を漂わせるという。参勤交代で江戸へ向かう篭先に風蘭を吊るして、道中で香りを楽しんだ数寄者の殿様もいたそうだ。

 花図鑑で調べたら、この蘭の名前は「パンダ」と判明したが、香りと根についての記述は見当たらなかった。






             吊るされて窓辺に咲くかな

             紫の蘭一株は「気根」を伸ばして



             奔放に伸ばした気根は魂魄を 
  
             凝らせて咲くかも 花紫に 
  


             仙人の花にぞあらむか紫の 
  
             うつつ世の蘭 霞に咲くとは     





「紅白の槿」 

2006-08-18 19:32:20 | 和歌

 薄赤紫の「八重槿」と「底紅」が、遊歩道を挟んで相対して咲いていた。

 先ほどパラついた雨の雫が、「八重槿」の花びらに数滴残っている表情は、顔をくしゃくしゃにして泣き明かした乙女の風情だ。何とも人懐っこい槿だ。





 道の反対側に咲いていた「底紅」は、純白の大輪の花芯に、鮮やかな濃い赤紫と淡黄色の蕊が、見事な調和を保って、キリッと咲いている。カメラを構えていたらザワザワッと風が吹き抜けて、「底紅」の雫は振り払われてしまった。雫が無いこともあってか、こちらは歳若い貴公子然とした気配で、「八重槿」とはお似合いのカップルに見えた。

 「底紅」はお茶花としても活けられる故であろうか、「宗旦槿」とも呼ばれているようだ。蝉しぐれの喧騒の中で、心を鎮めて一服の茶をすするのも、悪くない趣向だ。






             紅白の槿の花と語らへば
   
             蝉はしぐれぬヤキモチ妬くにや



             蕎麦屋まで炎暑を避けむとゴルフ傘に

             妻寄り添えば「ご両人」の声


 
             一服のお薄に代えて 蕎麦湯割りを
  
             口に含みて蝉しぐれ聞く      

                             



「蝉しぐれ」

2006-08-17 17:30:50 | 和歌


 「夏の高校野球」が最盛期を迎えて、テレビでは連日熱い戦と応援合戦とが続いているが、「うつろ庵」周辺ではそれと競うかのように、「蝉しぐれ」が賑やかだ。

 朝のうちは、つくつく法師の声を聴いたが、日中になると油蝉・みんみん蝉の大合唱だ。今年は梅雨明けが例年に比べて遅かったので、その分、蝉の脱皮も若干ずれたのかもしれないが、生垣や庭木、或いは草花などあちこちに、蝉の抜け殻が目立つようになった。ここに来て「蝉しぐれ」もひと際はげしくなったようだ。


             脱皮して未だ時も経ぬ蝉ならむ
   
             抜け殻近くに 息づく一匹



 小学校の友人に蝉博士がいた。抜け殻を一瞥しただけで、蝉の種類を鑑別したが、彼は時に奇問を発して、級友を手玉に取った。
「校長先生は朝礼で右を見てお話され、次に左を向いてお話をされたがなぜか?」
友人達が・・・頭を抱えるのを見て、ニヤッとほくそ笑むと、
「右も左も、同時には見れないからや!」などと煙に巻いた。

 蝉の抜け殻を見ると、蝉博士が思い出される。彼はどうしているだろうか。






             空蝉は木の葉をしかと掴みいて

             固まる手足は あはれ放たず   


 
             汗拭きて目を閉じおれば鳴き止まぬ 
  
             蝉しぐれかも 八月十五日