「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「赤芽柏の花」

2014-07-30 11:58:31 | 和歌

 三浦半島の横須賀は海岸の埋め立て地に、かなり広大な市街や住宅街が造成されているが、あまり高くない山の手の周辺は、自然がたっぷり残されている。 
 虚庵居士の散歩は、山の手の幾つかのコースを選んで愉しんでいる。

 そんな散歩道の自生木、「赤芽柏・アカメガシワ」が花を付けたので、在りのままの姿をご紹介する。 

 花が咲いたとはいえ、華やかさが全く無い花ゆえ、殆どの皆さんは目にもかけまい。チョット離れただけで、花の存在すら気付かぬ様な姿だ。虚庵居士は偶々近くを通りかかって気付き、カメラに収めたが、改めて見れば花としては類い稀な風姿ではないか。

 帰宅して、念のため図鑑で調べたら、思わぬ利用法に目を瞠った。
『葉や茎・樹皮には薬効があり、強壮・鎮痛・利尿などに効くといわれている。カシワは柏の葉と同様、木の葉に食物を盛ったことに由来する』とあった。

 改めて大きな葉に目をやれば、どことなく清潔感が漂う葉で、虚庵居士も野外の食事では、お握りや食物を盛るのに、使いたくなる様な大葉であった。




           山あいの道を辿れば赤芽柏の

           花に出会いぬ華は観えねど


           改めて赤芽柏の花観れば

           類い稀なる風姿なりけり


           「何ゆえに斯くも稀なる花なるや」

           赤芽柏に問ふぞ可笑しき


           それなりに「むべなる事情」もあるならむ

           赤芽柏の奇異なる花には


           現代の人々見向きもせぬ木なれど

           古人は親しも 赤芽柏に






「百合とアゲハ蝶」 (写真追加)

2014-07-28 12:51:16 | 和歌

 孫のキャメロン君が、「百合とアゲハ蝶」の写真を送って呉れた。

 数日前に「じじ! スカイプやろうよ!」との呼びかけで、1時間ほどのTV電話を楽しんだ。その際、キャメロン君がママの i-phoneで写した「アゲハ蝶」の写真を、誇らしげにカザシテいたので、じじがオネダリして送って貰った写真だ。

 蝶は「キアゲハ」とよく似ているが、念のため米国の図鑑で調べたら、
アゲハ蝶科の”Eastern Tiger Swallowtail” 和名はアメリカヒガシオオトラフアゲハと判明した。 華やかな百合の花は ”Stargazer Ornamental Lily” だ。

 「百合とアゲハ蝶」の写真に続いて、キャメロン君とパパが交代で撮影した動画も送られて来た。同じ百合の花蜜を吸う「ハミングバード」の映像だが、ブログに掲載する技量がないので、以前に掲載した写真を「Erskin lake のハミングバード」にてお愉しみ下さい。  (クリックすればリンク先が開きます ↑)

 この百合の花とは、既に四年来のお付き合いだ。
遠く離れたキャメロン君一家との交流の、大切な橋渡しを担ってくれて、感謝だ。



 キャメロン君から「こっちの方がいいよ」とのコメント付きで、一枚追加で送ってくれた。花芯に取り付く、アゲハ蝶の姿が鮮明だ。紅百合をより美しく見せる光線の捉え方も、素晴らしい。 鋭い感性は、カメラのレンズを通して磨かれたものだろうか。
孫ながら、感服・敬服!




           スカイプの画像の向こうでキャメロンは

           蝶の写真をかざして誇りぬ


           送ってと爺のおねだり聞き入れて

           宝の写真を送り来るかな


           七重八重花びら重ねる紅百合と

           絵模様描くや大虎斑揚羽は


           この百合に幾多の歓び享けしかも

           交わす孫との心の架け橋






「薮虱・やぶじらみ」

2014-07-26 14:55:32 | 和歌

 散歩道の脇の草むらに、ごく小さな白い花が霞のように咲いていた。

 葉は切り込みが深く、茎も長細いので全体的にか弱い感じの野草だ。
そんな野草の白い小花が群れ咲く風情は、遠くから見れば、その辺りに霧か霞が
かかっているように観えて、印象的であった。



 花に近寄って見れば、「芹・せり」の花をごく小さくしたかとも思われ、葉の表情も
何処となく芹に似ている様だ。帰宅して野草図鑑のお世話になったが、「これだ!」と
確信のもてる野草が見当たらず、忽ち数週間が経った。

 その後、気になっていたが、昨日やっと彼女の名前が判明した。
何と「薮虱・やぶじらみ」だと云う。こんな可憐な白い小花が「薮虱」では、気の毒だと思いつつ解説を読み進めた。花が散った後に、ごく小さな毛の生えた実を付けるらしいが、その実の姿が「虱」に見えることから、お気の毒な名前を授かった様だ。



 日本の生活様式は、昭和初期に比べ激変した。市民生活も極めて衛生的になって、「蚤・のみ」や「虱・しらみ」を見かけることは皆無ゆえ、「虱」自体を知る人も数少なくなった。かつては犬や猫の毛の中に生息した「虱」が、人間の肌着などにも棲みつき、人の肌を刺すことが間々あったものだ。謂わば嫌われ者の代表格だが、野草の名前に使われて残っていようとは、思いもかけぬ発見であった。

 一匹のハナアブが、白い小花の花蜜を一心不乱に吸い続けていた。
「花の名前? 私は興味ありません! こんな美味しい花蜜を頂けるなんて、とても
シアワセよ!」 てな、ハナアブの声が聞こえそうだった。




           草むらに霧か霞かそこかしこ

           白き小花の群れ咲く景色は


           ハナアブに

           この花の名を問いしかば

           一心不乱のハナアブは

           問いには答えずひたすらに

           白き小花の花蜜を

           余所見もせずに吸いにけり

           彼女の応えは如何ならむ

           こころのうちを察すれば

           お花の名前? 知らないわ!

           こんなに美味しい花蜜を

           吸わせて貰ってシアワセよ!

           野に咲くお花の お食事を

               お願いだから 

               邪魔をしないで!


           ハナアブが花蜜吸えば受粉して

           やがて結ぶや 薮虱の実を






「ルドベキア」

2014-07-24 11:49:24 | 和歌

 草むらに「ルドベキア」が、疎らに咲いていた。
野草の緑の中で、鮮やかな黄色の花が風に揺れる姿には、風情があった。

 かってかなりの数で群れ咲いていたのを観たことがあるが、この花が一面に咲き乱れる景色よりは、この程度に疎らに咲いているのが、虚庵居士の好みに合うようだ。



 蕊の部分がこんもりと盛り上がって咲くのが、この花の特徴だ。
この様な咲き方は類い稀だが、園芸種として輸入されたものが何時しか野生化して、「特定外来生物」に指定されているのは、旺盛な繁殖力を怖れてのことであろう。

 別名「大反魂草・おおはんごんそう」とも云う。「反魂」とは ”死者を蘇(よみがえ)らせる”との意味だ。夏からお盆過ぎにかけて咲くので、ご先祖様をお迎えしようとの
思いから、付けられた名前だろうか。

 横道に逸れるが、反魂香はお香の煙の中に亡き人に逢いたいと念じて焚き、反魂丹は亡き人が甦生する霊薬といわれ、かつて富山の薬売りは腹痛薬にこの名前をつけて、家庭用の常備薬として売った。

 それにしても「大反魂草」とは、大層な名前を貰ったものだ。




           野の草を踏み分け歩めば金色の

           大反魂草の苑に至りぬ


           草むらの緑に浮かぶルドベキア

           頬寄せあいて何を語るや


           金色の花びら広げもっこりと

           蕊盛り上げてご先祖招くや


           暑き野にそよ風受けて爽やかに

           大反魂草の迎え盆かな






「はにかむ向日葵」

2014-07-22 15:42:34 | 和歌

 向日葵のイメージは、「真夏の太陽に顔を向け、背すじを伸ばして元気一杯」だが、散歩で出会った「ひまわり」は、ちょっと趣きが異なる、別な表情であった。

 乙女らが肩を寄せ、頬を寄を合い、はにかみながら手を口元に置き、或はハンカチで顔を覆って、含み笑いをする声が聞こえてくるかと思われた。梅雨明け前の今ごろは、謂わば向日葵にとっても、うら若い乙女の時代に相当するのだろうか。

 やがて真夏を迎えれば、背丈も更に伸び首筋もシャキッとして、イメージ通りの、
元気一杯の向日葵に変身するのかもしれない。



 そんな勝手なことを頭に描きながら、近くで見れば、向日葵の花は未だ咲いたばかりで、初々しさをとどめていた。大きな葉と花陰には、莟のままの幼子の姿もあった。

 中学生や高校生の華やかな乙女らに交じって、小学校低学年の幼子が、一生懸命に開花の準備に励んでいる姿は、大真面目で何とも微笑ましいではないか。

 


           向日葵のイメージ問えば太陽と

           元気一杯 笑顔の花かな


           ひまわりはイメチェン狙うにあらねども

           乙女らはにかむ風情ぞおかしき


           花は顏 葉は手のひらか口元を

           隠して含み笑いをこらえて


           肩を寄せ 頬寄せあうは乙女らの

           姿ならむやはにかむ仕草も


           華やかに咲にし姉らの花陰に

           開花に備える 真面目な幼子 






「三色のエンジェルス・トランペット」

2014-07-20 16:19:04 | 和歌

 「エンジェルス・トランペット」は白い大輪の花が一般的だが、白・ピンク・黄色の三色供宴に目を瞠った。



 大輪の花は、トランペットの実物以上の大きさで、長さは苞の部分も含めれば50センチ程にもなろうか。何れの花も花の重みで、下向きに垂れて咲く。

 「うつろ庵のエンジェルス・トランペット」は白花だが、開花して二日間ほどは爽やかな花弁を見せているが、三日目になると花弁の肌が萎れはじめ、やがて口を閉じて茶色に変色する。

 萎れた花を垂れ下げるのは見苦しく、本人も不本意であろうと花の心を忖度し、篠竹の先に巻き付けて摘花してやるのが虚庵居士の日課だ。

 散歩の途上で出会った「三色のエンジェルス・トランペット」は敷地の制約が無い、空き地に植えられていたので、
それぞれかなり背も高く成長し、枝も伸びやかに拡げて花を咲かせていた。

 三色いずれの花も開花直後で、顔の表情が誠に爽やかであった。「うつろ庵」のような萎れ花の摘花は無理であろうから、この先は、萎れ花を垂らした在るがままの姿で、夏を迎えることだろう。 

 黄色のトランペットの下から見上げたら、花びらの細くなった先まで拡げて、将に
エンジェルの舞いを観る思いであった。




           白・ピンク 黄色の三色 エンジェルス

           トランペットの供宴なるかな


           花咲きて未だ日も浅く爽やかな

           あまたのエンジェル 群舞で迎えぬ


           見上げれば黄色の衣を靡かせて

           エンジェル舞うふかなじじを迎えて






「逞しき可憐な蔓草」

2014-07-18 11:59:28 | 和歌

 小学校の生垣に、可憐な蔓花が咲いていた。

 葉のつけ根のところどころに、小さな筒花を付け、ヒゲ蔓で身を支えて、上へ上へと這い登っていた。花の大きさは、この写真とほぼ同じ程度に小ぶりで、貝塚伊吹の緑を背にして、じゃれ合うかの様な風情が可憐であった。

 「屁糞蔓」という、何とも酷い名前が付けられているのが、お気の毒だ。可憐な花をめで、香りを嗅いでも殆ど無臭だが、蔓草を除草しようとして蔓を刈り、葉を切ると
途端に激しい異臭に悩まされることになる。酷い名前が付けられている所以だ。

 手出しをせずに、花を愛でている間はよいのだが、逞しい蔓草はジャングル状に
成長するので、除草せざるを得ぬ折りには、否応なしに異臭と闘わねばならぬ。

 古人は敢えて酷い名前を付けて、異臭への警告をしたものであろう。
それにしても、この蔓草の異臭は並大抵ではない。蔓草は身を護るために逞しくも
異臭を隠し持ち、草食動物に食べられるのを自ら護っているのであろうが・・・。

 


           生垣の貝塚伊吹に寄り添いて

           蔓の小花は可憐に咲くかな


           筒花の四つ五つはじゃれ合うや

           校庭の子等の声に応えて


           蔓草よ育ち急ぎな繁茂せば

           除草と異臭で 評判落すに


           校庭を囲む生垣に身をゆだね

           子等の手届かぬ高さに咲き居れ






「姫檜扇水仙・ひめひおおぎすいせん」

2014-07-16 12:47:26 | 和歌

 「姫檜扇水仙」が、貝塚伊吹の生垣から身を乗り出して咲いていた。
濃い緑の貝塚伊吹が、姫檜扇水仙の花を引立たせて、カラーのコンビネーションが
見事であった。

 生垣の貝塚伊吹は手入れを怠ると、枝葉がもそもそっと盛り上がり、大胆に剪定すればそこだけ枯れ易いので、重厚な生垣になり易いが、ここの生垣の枝も姫檜扇水仙にのしかかって、些か彼女が気の毒であった。出来ればもう少し、のびのび育ててやりたかった。

 昨年の今頃、空き地に咲いていた「姫檜扇水仙」を見ながら、檜扇についてあれこれ思いを廻らせたことを思い出した。  (↑クリックすればリンクが表示されます)
姫檜扇水仙は園芸種として皆さんに好まれるが、放置されて野生化した株も多いようだ。野生化した花もそれなりに魅力的ではあるが、慈しみ育てられた花はそれなりに美しい。

 若者を放置して逞しく育てようとの流儀もあって、分らぬではないが、若者には慈しみ接することが、見事な花を咲かせるうえで欠かせない。 

 


           生垣の貝塚伊吹の枝間より

           身を乗り出して咲く小花かな


           濃き緑の貝塚伊吹は後から

           姫檜扇の引き立てかな


           昨年の丁度今ごろ空き地にて

           姫檜扇との出会いを偲びぬ


           草ぐさに絡まれつつも逞しく

           あわれ花咲く姫檜扇かな


           野に育ち逞しく咲くは佳けれども

           せめて誰かは愛でてま欲しき


           人の子も放置を越えて逞しく

           育つを願うや 慈しみこそ






「二色のアガパンサス」

2014-07-14 07:17:48 | 和歌

 今年も沢山のアガパンサスが彼方此方で咲いた。「うつろ庵」の庭でも、株が増えて賑やかだ。花茎をスクッと伸ばした長さは、一メートル程にもなろうか。

  花の色は淡藤色(あわふじいろ)と云われているが、何処の花も色合いは殆ど同じだ。

 散歩の途上で出会ったアガパンサスは、白と淡藤色が対になって咲いていて、目を瞠った。二色のアガパンサスを並べて植えたご当人も、そして道行く人にも楽しんでもらおうとの、遊び心が偲ばれた。

 二色のアガパンサスの遥か向こうには、檜扇水仙と
思われる橙色の小花が咲いて、彩りを添えていた。造成地の急勾配の法面に、様々な花を植えて愉しんで居られる住民の、お裾分けに感謝であった。

 野球場がすっぽりと収まる程の、かなり広大な法面は雑草に覆われて、それなりの美しさを保ってはいるが、通りに面した部分にはご近所の住民が、それぞれに草花を植えて愉しんでいて、そんな草花が道行く人々の心を癒やして呉れるのだ。

 


           いと長くアガパンサスは花茎を

           伸ばして咲くかな十重八重に


           淡藤と白の二色の対をなし

           風に揺れるは語らう気配ぞ


           白妙と淡藤色の二株を

           並べて植えた心映えかな


           対をなすアガパンサスに見え隠れ

           檜扇水仙? 向こうに見ゆるは


           いと広き傾斜の法面 そこかしこ

           遊び心の花咲く苑かな






「合歓の花」

2014-07-11 12:04:19 | 和歌

 久しぶりに、「合歓の花」にお目にかかった。

 ごく細い糸を立ち上げて咲く、「合歓の花」には夢がある。
出来れば特徴のある極細「糸花」の、開花直後の花の姿をクローズアップで写したかったが、手が届かぬ高さだったことと、残念ながら花時が少し過ぎていたようだ。

 かつては彼方此方で「合歓の花」を見かけたが、最近見かけないのはどうしてだろうか。合歓の木は、枝葉を拡げて咲くので、昨今の土地の狭い分譲住宅では、無理なのかもしれない。

 虚庵夫人の記憶に依れば、古老の言い伝えも面白い。
「合歓の花は眠っていることが多く、庭に植えればその屋の主を眠りに誘い、家業が疎かになる。合歓の木は、庭木には適さないのだ」との、古老の言い伝えだった。

 

 このブログを書きつつ、7年前に「合歓の花」を写した記憶が、蘇えった。
当時、5歳だった孫のキャメロン君をひと夏預って、じじ・ばばは一緒によく遊んだ。
観音崎の公園に合歓の花が咲いていて、キャメロン君を抱っこして一緒に写した、
記念すべき一枚だ。

 


           枝葉拡げ合歓の花咲く散歩道

           梅雨の合い間の思わぬ出会いぞ


           極細の糸花近くで写さむと

           手を伸ばせども花に届かず


           遠のきて合歓の花咲く姿観れば

           眠気の漂う木の葉のベッドは


           はからずも孫と写した合歓の花を

           思い描きぬ記憶の帳に


           幾百枚 孫の写真を掻き分けて

           探しいだしぬ記念の一枚






「木瓜鉢のハブランサス」写真追加

2014-07-09 15:34:34 | 和歌

 木瓜(ぼけ)の鉢に、思いもかけず「レインリリー」が咲いた。

 俗称が「レインリリー」、本名は「ハブランサス・ロブスタス」。 長い名前で覚えるのが難しいので、梅雨と合わせて「レインリリー」の俗称が記憶に残っていた。

 今回の掲載に際して改めて調べたら、「レインリリー」の俗称は他の花でも使われていることが判明した。「たますだれ」の仲間のゼフィナンシス、或いはサフラン擬きも同じ俗称で呼ばれているようだ。それらの花の色は濃い目で受け咲き、即ち上を向いて咲くが、「ハブランサス・ロブスタス」は花首を傾けて横向きに咲き、花の色はごく淡い上品なピンクだ。

 中南米原産で、地球の反対側の日本まで嫁いできた「ハブランサス・ロブスタス」には、敬意を表して本名で呼ぶか、せめて「ハブランサス」と紛れのない名前で呼ばないと失礼ではないか。 反省しきりの虚庵居士だった。

 ハブランサスは咲いた後に、子房をふくよかに膨らませ、種子を身籠る。その種子にはごく薄い翼が備わっているので、子房が枯れて割れれば、種子が溢れ出て風に舞い、思わぬ処まで飛翔する。そんな種子の一片が、木瓜の鉢に舞い降りて、根を下ろしたものであろう。

 鉢類の手入れと管理は専ら虚庵夫人のお愉しみの領域ゆえ、これまで気が付かなかった。
さは申せ、数ある鉢とはいえ狭い庭の中でのこと、木瓜の鉢から細長い葉が垂れれば、ハブランサスの着床に気付いた筈だが、観ても見えずとは・・・。

 そぼ降る小雨に濡れてハブランサスが花開き、「あれまあ!」 と歓喜の声をあげたじじ・ばばであった。

 木瓜(ぼけ)の花が咲いたのは、二・三月頃だった。花が散った後の木瓜の鉢は、庭木の柘植の根方にご隠居願っていたが、ハブランサスの開花で、急きょテラスに
お出まし願った次第だ。 「ご都合主義だね」との声が聞こえそうだ・・・。

 

 (以下追記・写真追加)
 アップロードして未だ日も浅いが、一気に沢山のハブランサス・ロブスタスが咲いた。彼女らの折角の協演ゆえ、写真を追加して皆様にもご覧に入れたい。

 



           何時の間に木瓜の根方に根付くらむ

           レインリリーの開花に愕く


           風に舞ふレインリリーの種子一つ

           木瓜を頼るや細葉を伸ばして


           改めて花の名前を調べれば

           「ハブランサス・ロブスタス」とぞ


           いとしくもハブランサスの咲きぬれば

           濡れるを厭わず鉢を抱えぬ


           花びらの幽かな雫の煌めきは

           ハブランサスの歓喜のふるえか






「うつろ庵の葡萄棚」

2014-07-08 01:54:13 | 和歌

 「うつろ庵」の葡萄が葉を茂らせ、葡萄棚の雰囲気を備え始めた。

 庭の隅に設えた「虚庵居士の棺桶ベンチ」の日除け簾に代えて、葡萄の枝葉に
日除けを委ねたことは、「葡萄の若葉」でご紹介した。
                     (↑クリックすればリンク先が表示されます)



 「棺桶ベンチ」に腰を下ろせば、眼の前に紅ばらが咲き乱れ、日除けが欲しい午後になれば、葡萄棚の木蔭を吹き抜ける涼風が、誠に快適だ。グラスを手に酩酊気分を堪能し、時には虚庵夫人の「お薄」サービスもこのベンチで頂けるとあって、虚庵居士のお尻にはこの「棺桶ベンチ」に根が生えた様に、座り続けることになる。



 朦朧と「棺桶ベンチ」に坐して、あの世とこの世を往き来する虚庵居士だが、ふと見上げれば葡萄の房々は、小粒ではあるがかなり大きく成長した。

 カナブンの猛攻撃に備えて、新聞紙と糊で紙袋を作った。一坪にも満たない葡萄棚ではあるが、袋の数はなんと250枚を超えた。本来であれば、葡萄の房は適宜数を減らして、房の成長を促すのがプロ流であろうが、虚庵居士は葡萄の意思を尊重し、総ての房々に袋を掛けた。 秋の収穫が愉しみだ。




           板二枚の簡素な手作りベンチなれど

           ここが虚庵の 竟の座所かな  


           いと狭き庭の片隅 ベンチに坐し

           來住(きし)かた行く末思ひを重ねつ


           眼の前に滾り咲くかな紅ばらは

           いまだに熱き 爺の思ひを


           朦朧と酔いにけらしもベンチにて

           坐せば癒しぬ葡萄の木陰は


           見上げれば葡萄の房々垂れ下がり

           いとしかりけり まもるは爺ぞも






「SNW 第15回シンポジウムのご案内」 (転載)

2014-07-04 10:18:46 | 和歌

 日本原子力学会シニアネットワーク連絡会のホームページに、シンポジウム開催案内が掲載
されました。生涯を原子力に捧げて来た者の一人として、お許しを頂き、以下に最新版を転載します。
一人でも多くの皆様のご参加をお勧めします。         虚庵居士 拝


                                       F 2014/07/03
      日本原子力学会シニアネットワーク連絡会(SNW)
            第15回シンポジウムのご案内


     「責任ある原子力総合政策を! 
       〜第4次エネルギー基本計画の具体化にむけて」


 
 東京電力福島第一原子力発電所事故から3年余りが過ぎ、去る4月には政府は「第4次エネルギー基本計画」を閣議決定しました。その中で、原子力は「重要なベースロード電源」と位置付けられ、安全性を担保しつつ再稼働を進めるなどの方針が示されました。一方で、原子力規制委員会は原子力発電所の新規制基準への適合性を審査中ですが、いまだに一基すら審査未了で、再稼動の見通しは明確でありません。この間、原子力発電の全面的停止により、化石燃料輸入増等による我が国の産業や経済への深刻な悪影響、二酸化炭素排出増加による地球温暖化への悪影響など、国際社会問題にも繋がっています。

 一方、福島住民の放射線被ばくによる健康被害は国内外専門機関から殆ど無いと評価されています。また原子力設備の安全性は、新規制基準により事故以前より格段に向上しました。更に、世界では脱原発を方針とする国が一部にありますが、推進国は30カ国以上にのぼります。しかし、我が国では福島復興の遅れ、現地トラブル、政府、原子力関係機関への不信感などから、原子力の安全性、信頼性は多くの国民から懸念を抱かれています。また、原子力運転ゼロでも電力は何とか供給されていることも、原子力の必要性の理解を妨げています。さらに電力システム改革の進行により、電力の安価で安定な供給確保の不安、原子力等大型電源設備投資の減退、核燃料サイクル政策の不透明化なども懸念されます。

 今回のシンポジウムでは、第4次エネルギー基本計画を俯瞰しつつ、日本のエネルギー政策の課題を抽出し、損われた原子力の信頼を如何にしたら回復できるか、原子力の今後をどのような方向で考えるべきか、何が必要か等を、多角的な視点から基本計画の具体化に向けて議論していく場にしたいと考えています。その為に各地、各界から5人の有識者をお招きし、お二人による基調講演に続き、後半は5人全員による様々の立場、視点からの問題点のご指摘とご意見を頂き、ご参加の皆様からのご意見も踏まえたパネル討論を行います。
 つきましては皆様の友人、知人等多数お誘い合わせのうえ、奮ってご参加下さいます様ご案内申し上げます。

  日時: 2014年8月2日(土)13:00~17:30  (開場12:30)   
  場所: 東京大学武田先端知ビル5階ホール   (地図添付)
  主催:(社)日本原子力学会シニアネットワーク連絡会 (SNW)
  共催: エネルギー問題に発言する会、エネルギー戦略研究会(EEE会議)
  後援: 日本原子力産業協会、原子力安全推進協会、日本原子力文化財団
       NPO法人日本の将来を考える会(IOJ)、日本エネルギー会議、
       原子力国民会議、原子力の安全と利用を促進する会

  参加登録: 7月29日(金)までに下記の参加登録をコピーし、
          snw-sympo@aesj.or.jp宛送信下さい。

          個人情報は本シンポジウムの目的以外には使用致しません。
  参加費:   1,000円(会場借用料、資料代として) ただし学生は無料
  懇親会:   17:40から懇親立食パーティ、会費:3,500円(ただし、学生は1,000円)
          是非ご参加いただき、講師やパネリスト、参加者相互の交流を深めて
          下さい。 


              - プログラム -

  総合司会:石井正則 (SNW代表幹事)
  開会挨拶:小川博巳 (SNW会長)                   (13:00~13:10)

  第一部 基調講演(1) 「日本の責任ある原子力政策について」(仮題)
             澤 昭裕氏 (21世紀政策研究所研究主幹)  (13:10〜13:55)
        基調講演(2) 「原子力発電所立地点の怒り」
             品田宏夫氏 (刈羽村長)              (13:55〜14:40) 
  第二部 パネル討論                            (14:40〜17:20) 
        座 長:    金氏 顯 (エネルギー問題に発言する会代表幹事)
        パネリスト: 伊藤隆彦氏 (日本原子力文化財団理事長)
               越智小枝氏 (相馬中央病院内科科長)
               神津カンナ氏 (作家、コメンテーター) 
               澤 昭裕氏 (21世紀政策研究所研究主幹)
               品田宏夫氏 (刈羽村長)
        パネリストの問題提起                     (14:40〜15:25) 
        -休憩・会場の皆様からの質問提出-          (15:25〜15:45)
        パネル討論                           (15:45〜17:10)
        パネリストと座長のまとめ                   (17:10〜17:20)

  閉会挨拶: 金子熊夫(エネルギー戦略研究会会長,EEE会議主宰者)
                                          (17:20〜17:30)

  ************  参加登録  **************

  日本原子力学会シニアネットワーク第15回シンポジウム申込
  ・ 氏名:           (ふりがな:      )
  ・ 懇親会参加の有無: 参加  不参加 (どちらかを削除して下さい)
  ・ 所属・肩書き(元職も適宜):
  ・ 原子力学会会員の有無: 原子力学会会員、 原子力学会会員以外
                    (該当しない方を削除下さい)
  ・ E-mail address:
  
  ________________________________

  会場アクセスマップ: 東京大学・武田先端知ビル




「うつろ庵のシンボルフラワー」

2014-07-02 00:05:32 | 和歌

 「印度はまゆう」の花茎が一本だけ伸びて、白い気品のある花を咲かせた。

 どうしたことであろう、「今年はたった一本だけなのかしら?」 と訝って、長い葉を
掻き分けて調べたが、それらしき花茎は見当たらなかった。



 今年の横須賀の梅雨は降雨が比較的に少なかったが、それでも二・三日雨が続いたら、嬉しいことに「印度はまゆう」の花茎が、にょきにょきと頭をもたげて、一気に賑やかになった。

 「印度はまゆう」の葉は、優に一メートルを越える長さがあるので、道路から50センチ程の高さのフラワーベルトに植えてあるが、路面に届くほどで、長葉だけでも優雅さが感じられる。

 背の高い「印度はまゆう」の花は、長いドレスを纏い、一茎だけでも気品に満ちて華やかだが、集まって咲く姿は、色白のレディーたちが肩を寄せ合って、言葉を交わす姿を連想させられる。

 「うつろ庵」の西南の角は道路が交差するので、「印度はまゆう」 の華やかさが
ひと際ひきたてられている。 6月の中旬までは紅薔薇が華やかであったが、今や
「印度はまゆう」が 「うつろ庵のシンボルフラワー」 になっている。




           背をシャンと印度はまゆう一茎が

           咲にけるかも気品を湛えて


           一茎の印度はまゆう訝るも

           雨後に萌え立つあまたの花茎  


           長き葉のロングドレスを身にまとい

           肩寄せ華やぎ何を語るや


           梅雨空に華やぎ咲くかな「うつろ庵」の

           シンボルフラワー 印度はまゆう