「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「菜の花と虚庵居士」

2012-03-31 12:40:16 | 和歌

 何時もの散歩コースを30分ほど延長して、谷戸道を楽しんだら、素晴らしい菜の花の歓待を受けた。谷戸の奥の狭い畑の陽だまりに、其処だけが別世界のような雰囲気で、日常の悩みを忘れさせて呉れた。

 三浦半島の観音崎や防衛大学などは、虚庵居士の住いから左程遠くない距離ではあるが、この辺りは三浦半島特有の小高い山谷が海に迫る地形なので、変化に富んだ散歩が楽しめるのは有難いことだ。東京湾にそった比較的平坦なコースや、起伏に富んだコースなどを適宜に組み合わせ、時間を見繕って一時間程度、時にはそれを超える散歩を心がけるこの頃だ。

 普段の散歩道は、カナリー椰子やワシントン椰子の並木が続く海沿いのプロムナードが手頃なコースだが、時には小高い山道や谷戸道を辿るのは、新たなルートを探検するする気分だ。

 

 散歩の途上で、この様な自然の歓待を受ければ、総てを忘れさせて呉れる。

 3・11以来、東日本の大震災と福島事故は、虚庵居士にとって苦衷の思いが胸を締め付けてきた。女川原子力発電所の建設に際してお世話になった女川町の知人、定宿・食堂・呑み屋・土産物屋・建設現場のお仲間等々、多くの皆さんが津波に呑み込まれ帰らぬ人となった。

 我が児同然の女川原子力発電所が、大地震と津波に耐えて呉れたことを誇りとするところだが、そのグッドプラクティスの水平展開や、原子力安全の根源的な構築には幾多の課題が付きまとい、原子力シニアのもどかしさを噛み締めるこの頃だ。現役時代から気になっていた、電源確保の在り方を徹底して追求し得なかったこと等も、3・11以来、慚愧の思いが胸を締め付け続けているのだ。

 更に、時の総理と政府の言動、事業者・原子力関係者或いは自治体等々、それぞれの立場で反省すべき点や、教訓をどの様に活かすかを考えると、この一年は毎日が追いかけられ急かされているような、落ち着かない苦衷の精神状態であった。

 陽だまりの菜の花の豊かさ、ゆったりと構える姿を観て虚庵居士は、ハッと我に返った。我が身が置かれた環境のなかで、己の出来ることを誠実に、精一杯生きることが、菜の花と同じ生き様なのだと。

 思い出せば、虚庵居士の生まれ故郷は湧水が豊かで、信州の寒冷地にも拘わらず湧水のせせらぎが早春に菜の花を咲かせ、それはそれは綺麗であった。幼少時は菜の花を観て無邪気に育ち、従心を夙に越え喜寿に手が届くこの頃は、菜の花に訓えられる虚庵居士である。

 


          常ならず谷戸道辿ればはからずも

          陽だまりに咲く菜の花迎えぬ


          この一年 苦衷の思いの重なれば

          笑む菜の花に息をつくかな


          頼り無げな菜の花なるに何故斯くも

          豊かなものを人に与ふや


          菜の花に笑みを観るかも豊かなる

          こころも受けぬ ただ傍に居れば


          菜の花の無言の訓えに気が付けば

          胸の閊えぞとける心地す 


          小畠の隅の菜の花あるがままの

          姿は尊く心に刻みぬ






「学生とシニアの往復書簡 2011」

2012-03-26 00:08:39 | 和歌

 「学生とシニアの往復書簡 -原子力の今後を語る-」 を限定出版した。

 福島原子力発電所の事故を踏まえて、学生と原子力OBが半年に及び、メールによるごく真摯な意見交換を重ねた成果だ。福島事故は、極めて重い反省を関係者に求め、多くの課題と教訓が提示された。それらは今まさに真剣に検討中であるが、我が国の原子力発電所の全基が、間もなく停止する事態を招いたのも現実だ。

 この様な極めて厳しい状況のなかで、学生たちはテーマを絞って原子力シニアに食い下がり、とことん意見交換を重ねたいと挑戦した。学生が選択したテーマは、大括りすると「原子力の安全性」「福島事故の遠因」「エネルギー政策」「核燃料サイクル・放射性廃棄物処理処分」の四点に絞られた。しかしながら、それぞれのテーマは更にサブテーマに分割して、とことん議論された。例えば「福島事故の遠因」では「技術的問題が生じたその背景、事故の遠因を追求し、原子力をとりまく社会システムの欠陥を徹底的にあぶり出し、改善策を追求したい」との観点から、原子力推進体制にメスを入れ、国民が納得できる改善策、規制体制を論じ、世界貢献のための日本の果たすべき役割をも、シニアと学生が議論を重ねた。

 

 「学生とシニアの往復書簡」は、2009年から引き続き3年目になるが、2011年は殊に重いテーマを掲げたので、微妙な部分については膝を交えての対話会で、更に深掘りをしたいとの希望が寄せられ、関東と関西で二度の対話会を開催した。参加大学は北大、東大、筑波大、東京都市大、東工大、東海大、湘南工大、阪大、近畿大など、学部生から博士課程の院生まで多くの学生が参加し、シニアもボランティアで学生と略同数が参加した。

 半年の往復書簡の積み重ねと、対話会での意見交換をA4版260頁にまとめて限定出版した。また、福井大学で開催された日本原子力学会「春の年会」企画セッションで、多くの皆さんに報告した。虚庵ジジは、往復書簡の狙いと成果を発表した。学生統括と関東対話会の幹事を務めた東大・院生と、関西の幹事を務めた阪大・博士課程の学生が、学生としての成果と参加の感想、来年度への並々ならぬ意欲を披瀝した。更に、福井大学の先生がオブザーバ参加した経験をもとに、自らの率直な印象と共に、学生へ参加を強く勧めたいとの発言は、往復書簡と対話会の真価を的確に評価して下さったものだった。またセッション聴講者の多くの皆さんが、メモを取りながら真剣に耳を傾けていたのが、極めて印象的であった。

 この企画を学生に持ち掛け、学生からの提案を受けて3年来プロモートして来た虚庵ジジにとって、学生諸君が「原子力安全の再構築は自分たちの課題だ。市民の皆さんに安心して貰えるような分り易い説明をしつつ、日本のエネルギー・セキュリティーの構築に備えるのは、次世代を引き継ぐ自分たちの役目だ!」との認識を示してくれたことは、何物にも勝る悦びであった。

 


          この一年 苦衷を堪えて学生と

          メールを交わすは何を求むや


          ただ単に問いかけるでなく 僕はこう

          考えるのだと メールは告げきぬ


          半世紀の年齢の差を乗り越えて

          意見を交わす爺と孫かも


          人材の育成などとのキレイごとを

          超えてこころを 如何に伝えむ


          学生のメールの返事を心待ちに

          夜半過ぎまで あれこれ案じぬ


          次世代を担うは僕らのつとめぞと

          確たる思ひに触れてしびれぬ


          託すべき若者の思ひ 手応えを

          確かめぬるかも往復書簡に






「足元の ヒマラヤ雪の下」

2012-03-19 14:55:37 | 和歌

 足元の「ヒマラヤ雪の下」が、身を寄せ合って咲いた。

 暖かな気候であれば年末にも咲き始めるのだが、3月になってからの開花は、今年の寒波が殊のほか厳しかった証しかもしれない。

 

 ヒマラヤ山脈を原産地とするこの花は、寒さには滅法強く、温暖な日本では年間を通して大きな緑葉が枯れることはない。12月から5月頃にかけて、可憐なピンクの花を咲かせて愉しませてくれる。

 2月の上旬に始めた「うつろ庵の飛び石」改造では、慣れぬ造園作業に腰を痛めつつも作業を楽しんだ。
作業中もしばしば濡れ縁に腰を下ろして、腰を労わりつつ休憩したものだ。足元の「ヒマラヤ雪の下」は緑葉が地を這って、2月半ばの莟は殆ど目立たなかった。庭師作業を終えて旬日のうちに、莟が急速に膨らみ、身を寄せ合って花が咲いた。


 この花は、緑葉に守られて咲き初めるが、暫らくすると花茎が二・三十センチも伸びて立ち上がる。その頃になると花穂も大きく成長するので、あたかも花数が増えたかの様に咲き誇って見える。ひと月ほども咲き続けて、目を愉しませてくれる優れものだ。


          緑葉は母のかいなか 抱かれて

          赤児に咲くなり ヒマラヤ雪の下は 


          常ならば歳の瀬に咲く花なるに

          寒波の故か如月過ぎぬは
         

          いや高きヒマラヤの地より嫁ぎ来て

          庵の庭に花咲く君かな


          花茎をやがて伸ばして見て観てと

          華やぐこころを待ちにけるかも






「七分咲の蘇芳梅」

2012-03-16 21:41:23 | 和歌
 
 「うつろ庵」の蘇芳梅はおよそ六・七分咲だが、存在感はなかなかだ。

 梢の先まで莟をつけていて、これから徐々に咲きのぼるので、未だかなりの期間に亘って愉しませて呉れることだろう。秋口に剪定して樹形を整えると、天に向かって元気よく伸ばした小枝を短くカットするので、梢の先まで梅花が咲きのぼる春の楽しみは半減する。蘇芳梅の花に託す思いに応えるには、梅花が梢まで咲きのぼった後に、小枝を剪定してやるのが真の友情というものであろう。

 「うつろ庵」の蘇芳梅は住宅街の東南の角地に咲いているので、かなり遠くからも目に入る。わざわざ寄り道して鑑賞される方や、散り敷く花びらを掃いていると、道行く見知らぬ人が声を掛け、話しかけるので、箒の手を止めて暫しの歓談となる。

 

 多くの人々から注目される蘇芳梅であるが、人様ばかりか、小鳥にとっても大切な存在の様だ。番(つがい)のメジロが頻繁に飛び来て、花蜜を好んで吸うのだ。
「うつろ庵」には数本の椿が咲くので、メジロ達のレストランといったところだが、蘇芳梅もお気に入りメニューの一つだ。時には数羽の番が入り混じって枝から枝へと花蜜を吸うので、そんな時はまさに花吹雪よろしく、花びらが散り敷くことになる。

 紅の花びらが散り敷く春を、唐の詩人・王維は「田園楽」と題する六言絶句に詠んだ。虚庵居士の著書「千年の友」にも掲載したので、詳しくはそちらに譲るが、王維は庭に散り敷いた桃の花びらを、家僕に掃かさせずにそのままにさせた。客人の眠りを醒まさせまいと気遣い、客人が目覚めたら、桃の花びらの散り敷く風情をお見せしようとの、粋な想いを凝縮した漢詩である。

 玄関先や道路に散り敷いた蘇芳梅の花びらを、虚庵居士は無粋にも箒で掃いてしまった。黒く変色した蘇芳梅の花びらは掃き清め、その後にメジロが散りばめて呉れた新鮮な花びらの美しさを、道行く人にお見せしたかったからだが・・・。

 


          斯くまでも濃き紅の蘇芳梅の

          熱き思ひを如何に受けまし


          いと寒き如月堪えていやもゆる

          春を謳うや蘇芳の梅花は
         

          彼方よりわざわざ梅の花見むと

          寄り道する人 杖を頼りに


          メジロ二羽 目配せしつつも花蜜を

          頻りに吸えば散り敷く花びら


          散り敷ける濃き紅の花びらの

          風情を召しませメジロの吹雪を






「葉牡丹と白妙菊」

2012-03-09 14:15:19 | 和歌

 まだ背丈の小さかった「白妙菊」に「葉牡丹」を寄せ植えにしたのは、たしか昨年の秋口頃であった。秋から冬にかけては庭の彩が少ないので、虚庵夫人が平鉢にあしらって植えたものだ。年末以来、葉牡丹は「うつろ庵」の庭に華やぎをもたらして、目を愉しませてくれた。

 厳しい冬の間に、葉牡丹は次々と葉を脱ぎ捨てて背伸びするので、いつの間にか足元がヒョロヒョロット伸びて、気の毒なスタイルになった。葉牡丹より背の低かった白妙菊だが、葉牡丹に比べれば成長が速いので、忽ち葉牡丹を覆うかの様に成長した。愕いたことに、周りの白妙菊の背丈が伸びたら、葉牡丹も爪先立って、背比べをするかのように見えるではないか。

 直径30・40センチ程の平鉢に、今では白妙菊がこんもりと盛り上がっているが、葉牡丹が小さな葉を精一杯に広げる姿が、何とも微笑ましい。薄紅の彩が白妙菊の葉に映えて、じじ・ばばを愉しませて呉れている。

 


          しろたえのレースを纏うや葉牡丹は

          うす紅にかんばせを染めて 


          凍みいれば葉を脱ぎ捨ててかんばせに

          華やぎ保つ 葉牡丹君はも
         

          彩りの失せにし冬のうつろ庵に

          稚けき葉牡丹あわれ堪えて


          葉牡丹を気遣い寄り添う白妙の

          菊葉のレースは労わるこころか


          白妙のレースと共に切り込みの

          深き翠葉 手を貸す仕草か






「紅白の梅」

2012-03-04 14:06:51 | 和歌

 1月末に「うつろ庵の白梅」として、10輪ほどの綻びをご紹介した。それ以来厳しい寒さが続いた今冬であったが、庭の白梅は未だに咲き続けて、虚庵夫妻を愉しませてくれている。こんな小ぶりの梅だが、今年もかなりの数の梅の実をつけてくれそうだ。


 
 10日ほど前に「うつろ庵の蘇芳梅」が咲き初め、見上げれば、いまではかなりの数の紅梅が咲いて、道行く人びとからも「見事ですね」と声を掛けられるこの頃だ。
この梅は名前の通り「蘇芳」色の花が特徴だ。昨今では蘇芳色などという、色の和名はほとんど使われなくなったが、日本画の絵具などでは相変わらずこの名前が使われているに違いあるまい。



 曇り空で光線が不足したので、小枝の濃い赤味の色合いが鮮明でないが、蘇芳梅は花だけでなく幹も枝も蘇芳の色を帯びているのだ。この梅は、花に全てを集中して実はつけない。蘇芳梅の花にかける思いが、ひしひしと伝わってくるようだ。

 伸び放題の小枝の先端まで莟をつけているので、次第に咲き上ってかなりの長い間、蘇芳の梅花を愉しませてくれる。花が咲き終わったら、小枝の一本一本を剪定するのが、虚庵居士の蘇芳梅への御礼である。彼女は1年をかけて再び小枝を伸ばし、来年もまたたっぷりと愉しませてくれるだろう。


 

          ことのほか寒さの厳しきこの冬は

          梅との語らい長きに亘りぬ


          稚けなき白梅なれども青梅の

          まろき実むすぶを夢みて待たなむ 
          

          見上げれば蘇芳の梅の濃き色の

          花咲にけり如月寒きに
                    

          天を指す小枝のそれぞれあまたなる

          莟をつけて春を待つかも


          花ならず小枝も幹も濃き色の

          蘇芳に身を染め梅花に尽くすや


          紅の梅花にすべてを捧げては

          実の一つだに付けぬを思ひぬ

 
          枝えだの先まで蘇芳の花咲くを

          日々に見上げて思ひを交わさむ

          
          蘇芳梅の花へのお礼は枝えだを

          切りととのえむ声をかけつつ






「猫柳の目覚め」

2012-03-02 13:45:05 | 和歌

  猫柳の飴色の苞が割れて、銀色の綿毛が覗いた。

 正月飾りに使った猫柳であるが、数本を無造作に花器に投げ入れたまま双月が経た。この間、活け合わせの花は様々に取り換えられたが、正直のところ、華やかさが無い猫柳には余り眼が届かなかった。

 ふと気が付くと、いつの間にか飴色の苞が割れて、銀色の綿毛が覗いているではないか。よく見れば、それも一つ二つだけでなく、殆どの苞に割れ目が出来て、花芽の準備が着々と進んでいた。

 年末のごく寒い時期に元木から切り取られ、花器の置かれた玄関は、暖房など殆ど効かない過酷な条件にも拘わらず、猫柳の枝は逞しく水を吸い上げ、細い枝に数多く付けた花芽を育んできたのだ。

 大地に根を下ろし、養分を吸い上げているのであれば未だしも、花器に投げ入れらた猫柳は、鋏で切られた切り口から吸い上げる、冷たい水だけが命の源なのだ。

 他愛もないそんな事に気が付いてからは、猫柳が急に愛おしい存在に変わった。傍を通る度毎に、花芽の膨らみに眼をやり、苞の破れが次第に大きくなる変化に、声を掛け励ます毎日に替わった。何れ春になったら、「うつろ庵」の庭の適当な場所に植えてやろう。

 

          猫柳は凍えに耐えるや皮ごろも

          固く閉ざして春を待つかも


          ただ独り年賀の飾りに口閉ざして

          初春の夢を描き来つらむ


          飴色のいと固き苞割れ初めて

          銀の綿毛の覗く今日かも


          銀色に輝く綿毛を観まほしき

          苞皮をやがて脱ぎて出でけむ


          つややかな花穂の綿毛を観むものと

          睦月如月待ちにけるかも


          わが庵の庭の何処か君がため

          場所を探さむ花穂の後には