何時もの散歩コースを30分ほど延長して、谷戸道を楽しんだら、素晴らしい菜の花の歓待を受けた。谷戸の奥の狭い畑の陽だまりに、其処だけが別世界のような雰囲気で、日常の悩みを忘れさせて呉れた。
三浦半島の観音崎や防衛大学などは、虚庵居士の住いから左程遠くない距離ではあるが、この辺りは三浦半島特有の小高い山谷が海に迫る地形なので、変化に富んだ散歩が楽しめるのは有難いことだ。東京湾にそった比較的平坦なコースや、起伏に富んだコースなどを適宜に組み合わせ、時間を見繕って一時間程度、時にはそれを超える散歩を心がけるこの頃だ。
普段の散歩道は、カナリー椰子やワシントン椰子の並木が続く海沿いのプロムナードが手頃なコースだが、時には小高い山道や谷戸道を辿るのは、新たなルートを探検するする気分だ。
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散歩の途上で、この様な自然の歓待を受ければ、総てを忘れさせて呉れる。
3・11以来、東日本の大震災と福島事故は、虚庵居士にとって苦衷の思いが胸を締め付けてきた。女川原子力発電所の建設に際してお世話になった女川町の知人、定宿・食堂・呑み屋・土産物屋・建設現場のお仲間等々、多くの皆さんが津波に呑み込まれ帰らぬ人となった。
我が児同然の女川原子力発電所が、大地震と津波に耐えて呉れたことを誇りとするところだが、そのグッドプラクティスの水平展開や、原子力安全の根源的な構築には幾多の課題が付きまとい、原子力シニアのもどかしさを噛み締めるこの頃だ。現役時代から気になっていた、電源確保の在り方を徹底して追求し得なかったこと等も、3・11以来、慚愧の思いが胸を締め付け続けているのだ。
更に、時の総理と政府の言動、事業者・原子力関係者或いは自治体等々、それぞれの立場で反省すべき点や、教訓をどの様に活かすかを考えると、この一年は毎日が追いかけられ急かされているような、落ち着かない苦衷の精神状態であった。
陽だまりの菜の花の豊かさ、ゆったりと構える姿を観て虚庵居士は、ハッと我に返った。我が身が置かれた環境のなかで、己の出来ることを誠実に、精一杯生きることが、菜の花と同じ生き様なのだと。
思い出せば、虚庵居士の生まれ故郷は湧水が豊かで、信州の寒冷地にも拘わらず湧水のせせらぎが早春に菜の花を咲かせ、それはそれは綺麗であった。幼少時は菜の花を観て無邪気に育ち、従心を夙に越え喜寿に手が届くこの頃は、菜の花に訓えられる虚庵居士である。
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常ならず谷戸道辿ればはからずも
陽だまりに咲く菜の花迎えぬ
この一年 苦衷の思いの重なれば
笑む菜の花に息をつくかな
頼り無げな菜の花なるに何故斯くも
豊かなものを人に与ふや
菜の花に笑みを観るかも豊かなる
こころも受けぬ ただ傍に居れば
菜の花の無言の訓えに気が付けば
胸の閊えぞとける心地す
小畠の隅の菜の花あるがままの
姿は尊く心に刻みぬ