「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「藤の豆果」

2014-12-30 09:57:59 | 和歌

   遊歩道の脇に、「藤の豆果・とうか」がぶら下がっていた。

 藤棚に絡めるにはまだ早い若木の藤ではあるが、細い枝蔓の先には大小かなりの数の「豆果」がぶら下がっていた。

 もう暫らくすれば、長い実莢が乾燥して弾け、中から円盤状の豆が飛び出すことだろう。
子供の頃は、弾ける前の豆果を採ってあれこれ遊んだことが懐かしい。

 乾燥した豆果を振ると、中の豆と実莢がカラカラと乾いた音を立てるので、二・三本を手に持って処構わず打ち付けて、
リズミカルな歌や勝手気侭なダンスをして遊んだ。

 夢中になって豆果をブツケて遊ぶうちに、突如として実莢が弾けることが度々あった。
パンと乾いた音がして豆を弾き飛ばし、実莢は一瞬の間に捩れて、らせん状に変形するのだ。そんなオドロキが、堪らないお遊びであった。

 

           あまたなる豆果を吊るす藤蔓の

           観ばや新芽の伸び立つ姿を


           逞しく伸び上がるらむ来る年は

           豆果の数多に勢い観るかも


           ビロードの豆果を手にして偲ばるる

           幼き頃の遊びのあれこれ


           二・三本の豆果を振ればカシャカシャと

           歯切れ良き音を耳に聴くかな


           飛び跳ねて豆果を打てば突然に

           実莢弾けて飛び散る豆ぞも


           手に持ちし実莢は捩じれて アレ! れれれ??

           「藤の手品」か? 魔法? のオドロキ!! 






「椿二輪」

2014-12-28 13:25:01 | 和歌

 虚庵夫人にせがまれ、椿二輪を庭木から切り取って、壺に無造作に投げ入れた。



 「うつろ庵」の庭の藪椿が咲いたので、ソファーに座りながら花蜜を吸いに来る小鳥の観賞が、この頃の虚庵夫妻の愉しみの一つだ。

 藪椿の樹形を鳥籠の様に剪定し、葉や花に取り囲まれた内側は、小鳥たちが自由に遊べるように可能な限り空間を拡げ、細かな枝をカットした。案の定小鳥たちは、鳥籠椿の内側にサッと飛び込み、花を選んで内側から身を乗り出して蜜を吸う。そのシグサが何とも可愛くて、小鳥たちの邪魔をしないようにそっと見守る虚庵夫妻だ。
しかしながら椿の花弁は忽ち傷つくので、観賞に堪えなくなるのは残念だ。

 「うつろ庵」のリビングとダイニングの西窓は、日除け代わりに珊瑚樹と椿を軒先まで伸ばして、木漏れ日を愉しんでいることは以前にもご紹介した。そんな西窓の下に、綻びかけた侘助椿を虚庵夫人が見つけて、「小鳥たちに傷つけられる前に、お部屋に飾りたいわ」とせがまれた。身を乗り出し、不安定な姿勢でカットして、壺に無造作に投げ入れた。活けて二・三日したら満開になって、応えて呉れた。

 明日の朝になってカーテンを開ければ、小鳥たちと再会出来るだろうが、彼・彼女らは目星を付けていた花が無くなっていて、「あれれ?」と戸惑うかもしれない。そんな姿を観るのも面白かろう。



           椿咲く冬に備えて鳥籠を

           椿の枝葉でしつらえ待つかな


           目ざとくも目白のつがいは花の咲く

           椿の鳥籠に花蜜吸うかな


           いと短くチッチ チッチと呼び交わす

           目白の番の鳴き声かそけき


           窓越しに椿の花蜜吸いに来る

           小鳥のしぐさを 愉しむじじ・ばば


           惜しむらくは椿の花弁の傷つくを

           「小鳥の勲章」と 痩せ我慢する


           綻びて未だ疵つかぬ侘助を

           お部屋に飾りたいと 妹子はせがみぬ






「木瓜の花」

2014-12-26 03:06:26 | 和歌

 襟巻や手袋が離せないこの頃だが、寒気のなかで「木瓜」が華やかに咲いていた。



 寒さで草花は殆どが枯れてしまったが、木瓜や椿・山茶花などの花木だけは、この厳しい寒気の中で花を咲かせるのが不思議だ。虚庵居士はあれこれと花を漁って、バカチョンカメラで写した写真に副えて、拙い和歌をご紹介して来たが、こんな単純な疑問を抱き、愕きを感じたのは初めてだ。

寒さの中で花を咲かせるのは、植物にとっては並大抵のことではあるまい。
それが、こんな寒い時期を好んで、花を付けるとは一体どうなっているのだろう。寒さに耐えるのみならず、むしろ寒い季節を選んで花を咲かせるのは、温暖な春や夏の開花メカニズムとは逆な反応ゆえ、低能の虚庵居士には理解を超える現象だ。

 花を愛でることは誰でも出来るが、冬の開花のメカニズムを理解するのは、植物学の高度な知識が必要だ。 もとより植物学のそんな高度の知識はないので、ずぶの素人の想像、でっち上げの植物学をご披露しよう。

 人間も花木も生物は細胞分裂により成長するが、細胞分裂を促す何らかの刺激が必要だろう。木瓜の花の細胞は、寒気という刺激を受けて、それが細胞分裂を促すに違いあるまい。虚庵居士の体は寒気に曝されると細胞の活動は委縮するが、呑兵衛の虚庵居士の体は、アルコールが細胞を刺激すると忽ちゴキゲンになって活性化する。木瓜にとってのアルコールに代わる刺激が、寒さだと理解すれば、寒さが木瓜をゴキゲンにするはずだ。

 酔っぱらいの屁理屈に、無理やりお付き合いさせて失礼しました。 木瓜にとって
ゴキゲンの刺激剤は、アルコールではなく寒気であることだけは、間違いない様だ。


           襟巻を幾重にも巻く寒さかな

           華やかに咲く木瓜の花かも


           これまでは疑問も抱かず愛で来しが

           何故に寒期に木瓜は咲くらむ


           温暖な気候に育ち花咲くが

           ふつうの植物 寒期の木瓜はも?


           木瓜の花 愛でつつあれこれ語らひぬ

           寒気を好みて花咲く君はも


           それぞれに命を託すものは何?

           寒さに花つけ応える木瓜かな 






「ヒイラギの実珠」

2014-12-23 19:02:54 | 和歌

  クリスマスに備えるかの様に、ヒイラギ(柊)の実が赤く色付いた。



 夏頃には緑の実が沢山生り、実が赤く色づくのは何時頃だろうかと心待ちにしていたが、寒気の到来と共に見事に色付いて応えた。

 クリスマスに飾るヒイラギは、このように赤い実が沢山なる柊黐(ひいらぎもち)が多いようだ。

 柊黐の葉は、尖ったギザギザは少ないが、普通の柊は棘の様なギザギザがもっと多く鋭いので、触ると「ひいらぐ」(疼く・ひりひり痛む)ことから、ヒイラギギ(疼木)と呼ばれ、これがヒイラギ(柊)になったとの図鑑解説だ。

 先のとがったヒイラギの葉は、十字架で処刑されたキリストの冠に使われた。イバラが皮膚を刺してキリストの血が滴り、それが赤い実となった、とも言い伝えられている。


           ヒイラギの緑の実珠は何時ならむ

           紅に色付くその日を待ちにし


           霜月を過ぎて寒さの厳しさの

           いや増すこの頃 実は紅に


           ヒイラギの心を偲べばクリスマス

           紅の実を きよしこの夜に


           ヒイラギの冠に滴る赤き血が

           この世に伝えぬ 紅の実珠(魂)を 






「柾の実」

2014-12-21 20:27:08 | 和歌

 柾(まさき)の豆粒ほどの実が割れて、中から紅色の種が顔を覗かせていた。



 道端の柾の枝には、そこ此処に実が生っているが、何れも割れ目ができて、艶やかな紅色の種が僅かに覗いているのが、何ともカワイイ。小さな実は「おしろい」で
お化粧をしたかのように、うっすらと白粉を刷いていたが、その対比がまた心を擽ってくれる。

 柾の葉や若枝などには白い粉が付き易いが、事に依るとうどん粉病かもしれない。しかしながら、艶やかな紅色の種を引立たせるには、爆ぜた白い実皮が打ってつけではないか。

 柾の初冬の表情にこんな一面を見つけて、思わず目を瞠った散歩であった。 





           何気なく柾の枝に目をやれば

           小粒の実が割れ 紅が覗けり


           紅色の艶やかなるは種ならむ

           爆ぜた実皮ゆ顔だすそなたは


           そこ此処に稚けなき実の何れもが

           割れ競ふかな紅種いだきて 


           艶やかな紅色の種の誕生を

           実皮は祝うや おしろい化粧で






「合歓の花?」

2014-12-19 12:51:45 | 和歌

   合歓によく似た花が、鮮やかに咲いていた。



 合歓の花によく似ているが、何処となく違う種類のようだ。記憶力が衰えた虚庵居士だが、合歓の花は細い糸状の花弁が、もっともっと細く、色合いも仄かな桃色だった様に想い出される。更に、この鮮やかな紅色の糸状の先端には、小さな頭が付いているのも特徴だ。

 例によって花図鑑のお世話になったが、なかなか探せぬままに略一月が経って、やっと探し当てた。メキシコ原産の「ベニゴウカン・紅合歓」、別名「ヒネム・緋合歓」だと判明した。また、細い糸状の花のように見えるのは、雄蕊の集合体だというから、愕きだった。


           合歓の花? いやいやもっと逞しい

           くれない色の 針千本よ!


           花の名を探し求めてはや 一ヶ月

           君の名前は ベニゴウカンとか


           又の名を 緋合歓と呼ぶとか 向寒の

           砌にあれど 未だ 咲き続けるや


           ひと月の長きにわたり君思ふ

           日々を過ごしていとしさ増すかな 






「ブルースター」

2014-12-17 14:09:28 | 和歌

   空色の大変珍しい花が咲いていた。



 この花には初めてお目にかかったので、名前を知る由もない。花壇の主は留守だったので、残念ながら教えを乞うことも侭ならず、自宅に帰って花図鑑のお世話になった。

 花の名前は「ブルースター」、別名「瑠璃唐綿・るりとうわた」で、ブラジル・ウルグアイ原産の多年草と判明した。

 「うつろ庵」でも鉢に自生した唐綿を愉しんでいるが、花の色も形も全く別物だ。中央に写っている実莢だけは「うつろ庵の唐綿」とよく似ていた。この実莢の中に綺麗な綿付の種子が収納されていて、やがて実莢が乾燥して割れれば、中の綿が風に舞い、種子を遠くまで飛ばせることになる。 
大分昔のことだが、「唐綿とセキセイインコ」とのタイトルで「うつろ庵」の唐綿の花と、綿付の種子をご紹介したのでご覧下さい。 (↑ ctrlとクリックでリンクが開きます)


           空色のいと珍しき小花かな

           とがった実莢は唐綿に似て


           花の名を訊ねむものとあれやこれ

           調べる愉しみ 君に授かりぬ


           空色の花の名前はブルースター

           言い得て妙の花名なるかも


           又の名を瑠璃唐綿とはゆかしくも

           名付けしものと感服するかな


           うつろ庵に咲く唐綿とはまた別の

           瑠璃唐綿に心おどりぬ


           佳き風よ運び参らせブルースターの

           唐綿の種をうつろ庵まで






「苺の白花」

2014-12-15 13:37:39 | 和歌

  鉢植えの「いちご」に、白い花が可憐に咲いていた。



 花が散った後には、早くも苺が姿を整えて律儀に控えていた。
よく見ると、苺の花は蕊にイチゴの赤ちゃんを抱いて、白い花を咲かせているのだ。

 花に見惚れていて気付かなかったが、鉢の反対側には赤く熟した苺が一つ、
ぶら下がっていた。

 様々な花に交じって、鉢植えの苺の花を愉しみ、その末に赤く熟した苺を摘まんで口に入れる楽しみは、また格別だろう。花壇の主の綻ぶ顔が見えるようだ。

 苺の栽培は、昨今はビニールハウスの中で、かなり大規模の栽培が多い様だが、この様な自然環境でただ一つの鉢植えを愉しむのも、一案だ。
普通の花は、花を咲かせるまでが何よりの楽しみだが、花が咲いた後にも別な楽しみが続くのは素晴らしい。

 たかが一鉢の苺であるが、花の愉しみ方には更にその先があることを訓えて頂いた。ものごとを一面だけで判断せずに、更に次に来るものをも見よとの訓えだ。

 人生を二倍に、三倍に愉しめと、苺は無言で訓えているのだ。 


           一鉢の苺に咲くかな白妙の

           五弁のまろき花は可憐に


           白花の蕊かと見ゆる膨らみは

           紛うことなきイチゴの赤ちゃん


           白妙の花に見惚れて葉隠れの

           赤く熟した苺に気付かず


           ふくよかに熟した苺を摘まみ取り

           口に含むはさぞや佳からむ


           楽しみは花のみにあらずその後も

           別な愉しみ在るを悟りぬ


           一鉢の苺の訓えは人生を

           二倍 三倍 愉しみなされと






「トベラの実」

2014-12-13 16:00:42 | 和歌

 馬堀海岸のプロムナードには、潮風や波しぶきに強い植栽が多いが、そんな中で
「トベラ」の実皮が爆ぜて、美味そうな赤い実が輝いていた。



 トベラの実は、澄んだ粘液に包まれているので、実皮が爆ぜると粘液が糸を引いたり、赤い実がキラキラ輝いて、なんとも見応えがある。粘液はかなり粘着力が強そうなので、鳥や動物に実が付着して、子孫繁栄の手助けを期待した自然の知恵かもしれない。

トベラは春に白花を咲かせて、素晴らしい香りを楽しませて呉れる。プロムナードの花と香りについては、昨春に「トベラの芳香」を掲載したので、併せてご覧頂きたい。この花と香りを楽しもうと、庭木に植えるお宅も多い様だ。トベラは剪定をせずに放置しても、人の背丈ほどで留まるのも、皆さんにとっては好都合なのであろう。


           艶やかな緑葉の間の其処ここに

           黄色に色付くトベラの実はも


           ふくよかなトベラの実が爆ぜ三角の

           実皮に輝くあまたな種かな


           これ程の数の実種を含みしか

           涎ならむや弾けて糸引く


           実種をば傷つけまいと粘液を

           共に含むは母のこころか


           粘液を身に纏わせるは小鳥達に

           運んでよねと願う思ひか






「金魚草と異境の生活」

2014-12-11 13:17:10 | 和歌

  春から初夏にかけて咲く「金魚草」が、師走にも拘わらず咲いていた。



 三浦半島・横須賀の風が遮られている陽だまりに、金魚草がふくよかに咲いていて、目を瞠った。晩秋から初冬にかけては、場所によっては春の気候に似かよった
気象条件になるので、春花の狂い咲きがあっても不思議ではないのだが・・・。
一方、北海道・東北、或いは日本海側ではすでに豪雪被害が報じられているこの頃であれば、今ごろ春の花を愉しめるのは、雪国の皆さんには申し訳ない思いが募るのだが、そんな思いを抱くのは不遜なのかもしれないと、改めて反省させられた。

 偶々NHKのアーカイブスで、世界の異境の生活ぶりを垣間見た。
灼熱地帯の生活・極寒の世界・高度4000メートルの社会など、極限の世界だ。
我々の常識的な感性からすれば、極めて「耐え難い生活環境」であるのだが、彼等にとってはごく当たり前の、何ら苦にすべき生活環境ではなく、自然な環境でごく幸に暮しているのだ。自然環境と人間の共存、人種・社会・政治・宗教・教育・食糧事情等々、様々な環境条件が入り混じったなかで、それぞれの文化を築き、彼等に合った生活スタイルを確立しているのだ。

 そんな環境を享け入れ、それに合った生活が出来るのが、幸せというものの様だ。
情報化社会の近代生活などと嘯きつつ、一方ではごく些細なことに不満を抱き、反発を重ねる我々の日常生活の中で、「金魚草の狂い咲」の花をキッカケに、「世界の異境の生活」を垣間見て、人生の在り方、人生の愉しみ方を改めて考えさせられた。




           狂い咲くふくよかな花 金魚草と

           あれこれ想いを重ねて語りぬ


           春の花? 初冬と雖もこの陽気は

           私の好みよだから咲くのよ


           雪国は既に豪雪 降り積もる

           あまたの雪に埋もれて居るに


           厳寒の凍土に生きるも 灼熱の

           大地に暮らすも 地上の生き物・・・


           それぞれの自然の中で 環境で

           堪え抜くことが 生きるということ?? 






「獅子柚子と姫柚子」

2014-12-09 12:42:26 | 和歌

  ご近所の初冬の庭先を、巨大な「獅子柚子」と小粒の「姫柚子」が飾っていた。



 獅子柚子は、何ともグロテスクな顔付ゆえに、別名「鬼柚子」とも呼ばれているが、直径が20センチ程にもなる大きさが人気だ。獅子柚子の重さで枝も曲り、折れかねないので、棕櫚縄での支えが印象的であった。

 庭木の剪定をしていたオヤジさんの説明によれば、中国では獅子柚子は邪気を払う新年の飾り物として重用されるようだ。隣の「姫柚子」はピンポンボール程の小粒で、枝もたわわで獅子柚子との対比が誠に面白かった。

 獅子柚子は「文旦」のお仲間ゆえ、大きさは際だっているが、香りは姫柚子に遠く及ばないらしい。オヤジさんにお断りして、フェンスの外からカメラで写させて頂いた。 




           目を瞠る巨大な柚子の名を問えば

           獅子柚子または鬼柚子とかや


           獅子柚子は門べに飾れば邪気払い

           福を招くと伝え聞くかな


           獅子柚子といとど小粒の姫柚子の

           対比の妙にしばし見惚れぬ


           迫り来る寒気を凌ぐは柚子湯こそと

           顔綻ばせて老父は語りぬ






「千日紅とシジミ蝶」

2014-12-07 14:09:14 | 和歌

  千日紅の写真を撮っていたら、種類の異なる千日紅に出遭った。



 見慣れた千日紅は、首長で葉は円みを帯びているが、この千日紅の葉は細長く羽毛が生えていて、花の色も赤味を帯び、小花自体は黄色だ。自宅に戻ってあれこれ調べたら、「黄花千日紅」と判明した。

 陽だまりに咲く千日紅に、「シジミ蝶」が止まって花蜜を吸っていた。
かなり忙しく花から花へと飛び回るので、カメラを構える虚庵居士はすっかり翻弄された。

 シジミ蝶とじじの追いかけっこは、他人が見ていたら滑稽な姿だったに違いあるまい。 リタイヤした爺ゆえに、こんな長閑なお遊びも楽しめるが、現役組の皆さんであれば時間がモッタイナイと呆れることであろう。

 こちらの千日紅も、普段見慣れた千日紅とは若干異なる様だ。このお花畠の主は、育てている花に拘りが在るのかも知れない。
高が千日紅とは言え、一寸した違いをご自分の花壇で試みて、お愉しみなのであろう。気まぐれな散歩の途上で、そんな花達を愉しませて貰えるとは、望外の歓びだ。




           千日紅? ふだん見慣れたあの花と

           どこかが違うこの花は


           よく見れば小花の集まるその中に

           黄色の小花を見つけてあれれ!


           あれやこれお花の図鑑を調べれば

           花の名前は「黄花千日紅」


           シジミ蝶の忙しく舞うを目で追えば

           花から花へと花蜜吸うらし


           シジミ蝶を写さむとして構えれば

           爺をカラカイ ぱっと舞うかな


           中腰の爺と小蝶のオッカケッコ

           千日紅も呆れるお遊び






「小菊の秋 その10」

2014-12-05 12:25:54 | 和歌

 
 様々な小菊との語らいを重ねて、「小菊の季節 その10」を迎えた。白小菊にカメラを向けていたら、蜜蜂が飛んで来て悠然とレンズの前に陣取り、ポーズをとった。 



 蜜蜂が小菊の花蜜を求めて飛んで来ることは稀だが、それ以上に師走の寒空に飛ぶ蜜蜂も、ごく稀ではなかろうか? 虚庵居士は養蜂業には全くの無知だが、常識的に考えれば、晩秋以降は花蜜の季節はとうに過ぎているので、養蜂家は糖を与えて蜜蜂の温存を図る時節だ。従って、稀にしか見つからない花蜜を求めて、蜜蜂は寒空に飛び立とうとはしない筈だ。巣に籠もり、養蜂家が与える糖をたらふく頂戴して、じっと体力の温存を図る筈だと思われるのだが・・・。

 にも拘らず、この様に蜜蜂が熱心に、小菊の僅かな花蜜を吸い続けるのは、何故だろう? 自然の中で逞しく生き抜いている、自生の蜜蜂かしら?  或は、養蜂家が与える糖ではお気に召さず、「天然の花蜜が吸いたい」と巣箱から飛び出して来たのだろうか?

 カメラのレンズを通して、蜜蜂君と向き合ったのはほんの僅かな時間であったが、頭の中であれこれと思いを廻らす虚庵居士であった。花蜜を吸い続ける蜜蜂の熱心さに、そしてそれを支える白小菊の双方に、拍手をおくりたい思いであった。


           白妙の小菊に近づき構えれば

           レンズを通して 蜜蜂「コンチハ!」


           悠然とカメラに向かいポーズとる

           蜜蜂君はタレント気分か?


           寒空を飛び来て小菊の花蜜を

           僅かといえども貪る君かな 


           蜜蜂に花芯をゆだね為すがまま

           お好きにどうぞと白小菊かな


           あい共に心を許す二人かな

           ま近に眺めるじじも仲間ぞ






「カナリー椰子の花穂」

2014-12-03 01:11:30 | 和歌

 椰子の花が咲いたと知人に話したら、「え、椰子に花が咲くの?」との返事だったので、「カナリー椰子の花穂」の写真を先ずご紹介する。



 横須賀・馬堀海岸のプロムナードには、椰子並木が連なっていることを折に触れて紹介したが、カナリー椰子は太い幹で、3メートル程もある長い葉を拡げて茂らせる。その葉のつけ根に、かなりボリュームのある花穂が三つ四つ、咲いていた。

 高所作業車を使って、枝垂れた葉をカットした直後だったので、見上げれば花穂がクッキリと見えていた。

 まだ枝垂れた葉をカットしてないカナリー椰子には、今年の夏に稔った小粒の実房が垂れ下がっていた。 
花穂と実房を、同時に比較・観察できる類い稀な機会に恵まれたのだった。

 ここの椰子並木は、3列もの豪華な並木だ。国道の住宅街側には背丈が電柱の高さを越える、ワシントン椰子の並木が連なり、道路の分離帯と海岸側のプロムナードには、カナリー椰子の2列の並木が連なる将に椰子の楽園だ。

 しかしながら、垂れ下がった下葉のカットが放置されていたので、市役所にクレームを付けたら面白いことが判明した。ワシントン椰子とカナリー椰子の所有権・管轄権が、横須賀市と国土交通省で分割されていて、業者への発注業務も作業指示も、それぞれ別個に管理されて連携が取られていないことが判明した。国と自治体の行政は、椰子並木の管理ですら歩調が採れていない実態に、愕然とした。

 「カナリー椰子の花穂」のご紹介が、無粋な話題に転じたことをお許しあれ。





           海岸のプロムナードを散歩して

           ふと見上げれば 椰子には花穂が!


           隣にはカナリー椰子の実房かな

           花穂と比べてしげしげ眺めぬ


           ハワイではロープと素足で椰子に登り

           腰刀振る見事な手さばき


           横須賀の椰子の手入れはエンジンを

           ふかせて登る高所作業車


           三列の椰子の並木を誇れども

           下葉の枝垂れの放置を嘆きぬ


           行政に問えば管理の分担が

           市と国それぞれ別々と云う


           悶えにし下葉をやっと手入れすれば

           花穂の映える カナリー椰子かな






「沖縄すずめうり」

2014-12-01 11:54:45 | 和歌

  ご近所のガレージのフェンスに、可愛らしい「沖縄すずめうり」が生っていた。



 ここのお宅では、「突抜忍冬・つきぬきにんとう」>(ctrl+クリックでリンクが開きます)などの珍しい草花を育てて愉しみ、道行く人々にも話題を提供して下さっているが、今回は何とも可愛らしく、真ん丸な「沖縄すずめうり」が、目に付いた。

 云うまでも無く、こんな可愛らしい植物の名前を知る筈もないが、フェンスの片隅に名札が括りつけてあったので、一目瞭然に「沖縄すずめうり」だと判った。

こんな珍しい植物は、道行く人々も多分初めて見るであろう。
それならば、「花屋で買い求めた際の名札も一緒にご覧ください」との粋な気配りに、甚くシビレタ。



           まん丸で小粒の瓜は紅に

           色づく秋になりにけるかも


           瓜の名は「沖縄すずめ うり」とかや

           名札を添えるこころ映えかな


           稚けなき小粒の瓜の寄り添えば

           集う雀を連想するかな