「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「子供等に 思いを託す」

2009-03-08 12:57:05 | 和歌

 二週間ほど前に、福井県敦賀市・美浜町を訪ねた。

 『子供達へのエネルギー・環境教育』を語り合うイヴェントの開催について、「つぶらな 瞳の」にご紹介したままになっていた。「対話in福井-美浜」に参加した皆さんの集合写真が届けられたので、紹介方々、当日を振り返ってみたい。





 これだけ多くの皆さんが、忙しい日程をやり繰りして、しかも皆さんが手弁当で参加すること自体が驚きだ。膝を突き合わせての対話は、昼食のお喋りから始まった。同じ弁当をつつき、他愛もない雑談を交えなら、自己紹介と合せて日頃の悩みなども「ざっくばらん」に打ち明け合って、一気に打ち解けた。

 先生の卵の学生、小中学校の先生、原子力シニア、それにオブザーバーとして美浜町関係者・広島の先生・協賛組織の方々が程よく入り混じって、5つのグループに分かれた。それぞれのグループには福井大学・福井工業大学の先生が、ファシリテータ(対話の促進役)として加わり、自由闊達な意見交換が展開された。

 年齢的にも「学生・働き盛り・爺さま」という3世代にまたがり、電力立地々域と消費地の違いや、或いは、教員・学生・原子力OBなどの立場を超えて、それぞれの発想、受け止め方、異なる意見の持ち主の集合では、対話が発散するのではないかとの心配もあったが、「エネルギー環境教育の中の原子力教育のあり方」を共通のテーマに、時間が足りないほどの活発な意見交換であった。


             三世代の 歳の開きも違和感も

          へだても失せぬ ランチのおしゃべり


          子どもらの素直な疑問に応えぬは
 
          何を懼れて 何に怯ゆや 


          無邪気にも遊ぶこの子らの手をとりて

          未来に向けての夢をきかまし

 
  
 子供達には偏らない、公平な、正しい知識を教えたいものだ。そのためには家庭と共に育み、町ぐるみで取組むことが肝要だ。本物を見せ、子供達が何を感じ取りどの様に考えるか、ほんの一寸したキッカケをつくり、そこから感動が与えられれば素晴らしい。そのような学習を経て、子供達が自分の家族を誇り、住んでいる町に誇りを持てるように、導いてやりたいものだ。

 虚庵居士の二人の子供は既にそれぞれ独立しているので、「うつろ庵」では家内と虚庵じじだけの、ひっそりとした生活であるが、普段の狭い庭には孫達に代わって、小鳥や虫達が頻繁に訪れて、様々な愉しみを与えて呉れる。

 二月の中頃に福寿草が咲いたが、小鳥や虫達にとっては食べ物の乏しい時節ゆえ、蕾すら啄まれて、彼らの空腹を満たすこととなった。学童も小鳥たちも、欲している時にこそ与えてやることが、大切なことのようだ。「うつろ庵」の福寿草には気の毒ではあるが、大切なことを訓えて貰った。







             福寿草の花咲く朝(あした)を待ちおれば

          いとはしきやし一輪笑みたり


          今朝見れば寄り添う蕾のその先を

          小鳥ならむか啄む痕は


          何もなきこの時節ゆえ福寿草の

          蕾も彼らの命を支えて








             いとけなき目白は桜のさ枝にて

          花みつ吸うかも身をさかしまにして