「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「朧に咲く下野草」

2015-05-30 17:30:58 | 和歌

 「下野草の花」が朧げに咲いていた。
「あれれ!? 急に眼が悪くなって、霞んで観えるのかな??」と、年老いた虚庵居士は先ず自分の眼の衰えを疑った。が、そうではなかった。隣の嫋やかな野草の花穂は、霞むどころかクッキリと見えているのだ。正常な視力に先ずは安堵した。

 ならば、「下野草の花」が朧げに見えるのは何故だ!?



 持ち前の探究心がムクムクと頭を擡げ、花に近寄って観察。 
答えはいとも簡単だった。沢山の小花が団子状に寄り添って咲いていたが、それぞれの小花の細長い蕊が花の団子を囲み、霞み状の空間をなしていた。だからチョット離れただけで、「下野草の花」は忽ち朧に見えるのだった。

 それにしても、こんな「朧に咲く下野草」の風情を何と表現したら佳いのだろうか。可憐な小花が寄り添って咲くだけでは飽き足らず、自らを霞で包んで神秘的な雰囲気を創りだすとは!! 美の創造の神も、なかなかヤルモンダ!! 


           下野の草の花穂の寄り添うて

           朧に咲くかな神秘につつまれ


           何故ならむ朧に見ゆるは年老いた

           爺のまなこの衰えならむや


           いや待てよ隣りの野草の嫋やかに

           しなだれかかるはクッキリ見ゆるに


           近寄りて下野草の花見れば

           小花をつつむは数多(あまた)のしべかな


           可憐なる小花ら寄り添いその思ひ

           秘めて包むや蕊の朧に 






「煌めくチガヤ」

2015-05-27 11:46:07 | 和歌

 陽が西に傾いた夕暮れ近くに、海岸プロムナードに沿う道路の中央分離帯に、茅(チガヤ)の穂波が煌めいていた。ここのプロムナードにはカナリー椰子の並木が連なり、湾の向こうの夕陽に霞む高層マンションの影を背に、散歩やジョギングの常連が後を絶たないが、道路のチガヤを愛でる数寄者は虚庵夫妻だけかもしれない。



 チガヤの草丈はおよそ60~70センチ程であろうか。つい最近までは花穂が引き締まっていたが、気温の変化を敏感に感じ取って、一気に花穂が開いた。
朝日や夕陽に煌めくチガヤの穂波には、云い知れぬ風情があって、虚庵居士の好みの一つだ。尤も、夜更かし族の虚庵じじは朝寝坊ゆえ、朝日に煌めくチガヤの穂波は想像するばかりだが、夕陽に比べてさぞや爽やかな穂波であろう。  

 4車線の道路の中央分離帯には、刈り込んだシャリンバイ等が植えられているが、チガヤの穂波を透かして見る対向車のヘッドライトは、幻想的な世界を創りだすに違いあるまい。


           山の端に沈まんとする陽をうけて

           穂波の煌めくチガヤに見惚れぬ


           海沿いのプロムナードの椰子並木や

           霞む島影 夢を湛えて


           おぼろげに浮かぶ彼方のマンションも

           このプロムナードは夢想の世界か


           四車線の道路の中央分離帯

           チガヤの穂波と語らう爺かな


           対向車のヘッドランプを透かし観れば

           夢幻にくるむやチガヤの穂波は






「シロバナムシヨケギク」

2015-05-25 12:21:27 | 和歌

 何時もの散歩道の脇に、「シロバナムシヨケギク」がそよ風に揺れていた。
この花を観ると、幼児の頃が懐かしく想い出される。信州・諏訪で育った虚庵居士の実家には、広い敷地の端に湧水が流れる「清水川」があったが、その縁に沿って白いお花が植えられていた。



 泉には「長命水」との碑が置かれていたが、湧水を樋で大きな池に引き入れ、飲み水としても使っていた。時には茶人が、態々水汲みにやって来る名水だったようだ。
そんな麗水が流れる「清水川」と、白いお花が今でも瞼に浮かぶ虚庵居士だ。

 「シロバナムシヨケギク」は除虫菊とも呼ばれるが、この花が殺虫剤として使われ、或いは蚊取り線香としても利用されていることは、意外にも知られていないようだ。  

 
           そよ風に揺れるあまたの白花に

           ふる里遠くおもほゆるかな


           川べりにシロバナムシヨケ菊を植え

           シャベルを洗う母を偲びぬ


           湧き水の流れる川辺の白花を

           摘んだは遠き幼き頃かな


           湧水を口に含んだ夏の日も

           懐かしきかな故郷おもえば 






「テラスの簾」

2015-05-23 12:05:24 | 和歌

 「うつろ庵」の庭もテラスもごく狭いが、そんな狭い空間を存分に愉しんでいる虚庵夫妻だ。飛び石を乱型鉄平石と玉石で囲んだ石畳については、「うつろ庵の飛び石」にてご紹介したが、今年は紫蘭と躑躅、それに紅薔薇が趣きを添えて呉れた。



 五月晴れの爽やかな日には、テラスの手造りテーブルでランチを愉しむ虚庵夫妻だが、簾を垂らしての半日陰が心地よい。簾の裾を細いロープで庭木から引っ張ると、快適なランチの空間に早変わりする。紫蘭や躑躅や紅薔薇などが新緑と程良く調和して、心を和ませて呉れる。 公的な日程に追われない日などはワイングラスを傾けながら、ご機嫌なランチを愉しむ虚庵夫妻をご想像あれ。   

 
           いと狭き庭もテラスもじじばばは

           あれこれ手懸けて愉しみにけり

             
           石畳 庭木はじじのお愉しみ

           鉢や花壇はばばの丹精
 

           うつろ庵のテラスに坐せばものの皆

           気心通じてこころ和みぬ


           新緑と紫蘭や躑躅 紅薔薇は

           無言でじじばば癒やしてやまずも


           うつろ庵のいと狭き庭に包まれて

           かんばせ緩むじじとばばかな






「君子蘭の一輪」

2015-05-19 13:27:12 | 和歌

 遅咲きの君子蘭だったが、4月初旬から5月の半ばまで、「うつろ庵」の庭を飾って呉れたが、最後の一輪が昨日ぽとりと落花した。植木職人の寅吉爺から頂いた一鉢が、居心地が佳いのだろうかこれ程に株数が増えて、目を愉しませてくれていた。



 最後の一輪の落花に、思わず寅吉爺が偲ばれ、心の中にご冥福を念じた次第だ。

 この君子蘭の花は、紅色が薄めで橙色に近く、一般的には人気がある紅緋(べにひ)色の華やかさに比べ、どちらかと云えば控えめな花で、植木職人だった寅吉爺が丹精こめて育てた思ひが偲ばれる。

 蘇芳梅の木漏れ日を受けるこの場所が、君子蘭はお気に入りの様だ。株分けして、陽当りの良い場所へ移植した姉妹は、強い日差しに葉が傷み、花びらにも些か気の毒な状況が見受けられる。花がおさまったこの時期に、植え替えてやる積りだ。寅吉爺にご指導を頂いた筈であったが、あの世からのお叱りが聞こえてきそうだ。  

 
           君子蘭の花咲く春も往きにけり

           最後の一輪 ぽとりと落ちぬ


           思わずも寅吉爺を偲ぶかな

           鉢を抱えて松を見上げる


           蘇芳梅の木漏れ日うけるこの場所が

           お気に召すらむ花株殖やして


           陽当りの良き場所選んで移植すれど

           哀れ傷みぬ葉先も花も


           あの世から寅吉爺のお叱りの

           声聞く思いぞ 「はよ植え替えむかい」と






「棕櫚の花」

2015-05-14 17:33:50 | 和歌

 近くの遊歩道の二株の棕櫚が、花蕾をつけた。
聳え立つ一方の棕櫚の頂には、パッと開いた葉と共に葉茎のつけ根から、沢山の珊瑚状の花蕾が手を拡げている。



 二株の内、背の低い棕櫚には、重厚でクリーム色の花蕾が重なって付いていた。
同じ種類の棕櫚の二株が、それぞれ異なった花蕾をつけているのに、何? なに? と興味をそそられて、カメラに収めて帰宅した。

 何時もの体調ならば、今日は町内の皆さんや虚庵夫人と共に、房総半島でゴルフを堪能する筈であったが、先週からの風邪で残念ながら参加出来なかった。
悶々たる思いを抱えてパソコンに向ったら、大切な宿題を思い出した。「棕櫚の花」の探究だ。

 「棕櫚」で検索したら、クリーム色の花蕾は見つかったが、珊瑚状の花蕾は中々見当たらない。あれこれ探す裡に、棕櫚には五種類程の品種があるが、何れの棕櫚も雌雄異株で、それぞれの株には雌花・雄花の片側のみが咲くこと、珊瑚状のが雌蕾でクリーム色のが雄蕾だと判明した。

 「棕櫚の花」にお付き合い頂き、風邪の微熱や鼻水・喉の痛みなどをしばし忘れることが出来た。「棕櫚の花」も間もなく咲くことだろう。



 
           棕櫚縄や箒のお世話になる棕櫚の

           花の姿を知らずに経にけり


           仰ぎ観れば雄々しき緑の珊瑚かな

           拡げるその手に何を掴むや


           調べればこれぞ雌花ぞ棕櫚の樹は

           もじゃもじゃ髭を蓄える雌とは


           寄り添うは慎ましやかな蕾かな

           雄棕櫚なるに女房の気配で


           二株の寄り添う棕櫚かな雌と雄の

           役割弁え 逞しきかな


           人の世のものの見かたに捉われぬ?

           棕櫚に学びぬ 自然の姿に






「滾る紅ばら」

2015-05-11 02:32:54 | 和歌

  1週間ほどの間に、真紅の薔薇が燃え滾るかのように満開となった。



 かつて虚庵居士は、この真紅の薔薇が滾り咲く姿に、恥ずかしながら老いらくの恋をした。その時の長歌と反歌を、旧作ながらご紹介する。

          『薔薇を娶らむ』  

          あゝ せめて
          我が身の齢(よわい) いま少し
          若くしあれば 紅の
          かくも気高く 香りたつ
          薔薇の化身の 乙女をば
          魔法を解きて 現身(うつせみ)の
          滾り燃え立つ 美女となし
          手を取りあいて 
          娶らむものを

          狂おしく咲きたるばらは惜し気なく
          散りて尽くさむ残り香いとしき



 それ以来、この紅薔薇が咲くと心がときめくのは、虚庵居士の老いらくの恋が続いているのだろうか。当時の紅薔薇の写真を観れば、花数もこれ程ではなかった。
近年ますます滾り咲くように見受けられるが、魔法が解けぬままに、年を重ねても
美女は老いるどころか、恋心を益々滾らせているのかもしれない。

 香り立つ気品ある残り香がいとしくて、舞い散る花びらを竹籠に拾い集めて、道行く人々に香りのお裾分けをする虚庵居士だ。短冊に走り書きした歌一首。

          舞い散るもなお香しき花びらの

          心を受けまし御足とどめて






「紅薔薇も咲きました」

2015-05-09 13:13:49 | 和歌

 「うつろ庵」の紅薔薇も咲きました。

 新緑の珊瑚樹の足元には「大紫」のフラワーベルトが、そして珊瑚樹の生垣を越えて紅薔薇も咲きました。この写真を撮ってから三・四日を経て、薔薇の花数が更に増えたので、道行く人々が目を瞠る街のスポットになりました。



 生垣の内側もご紹介すれば、こんな感じで~す。

 紅薔薇の隣には葡萄棚があり、その下にごく質素な虚庵居士の「棺桶ベンチ」が設えてある。度々ご紹介したので読者の皆さまは夙にご案内であろうが、グラスを手に酩酊しつつまどろめば、天国の花園に遊び、うつらうつらと目覚めれば眼の前に紅薔薇と紫蘭が待ち受け、虚庵居士はあの世とこの世の区別がつかぬ朦朧の世界を彷徨いつつ、陶然となるのだ。

 「棺桶ベンチ」などと「ふざけた名前」ではあるが、老いて間もなくお迎えを待つ身には、お誂え向きのベンチだとご満悦だ。「竟の棲家」との言葉があるが、このベンチが虚庵居士の「竟の座所」になるのではなかろうか。 

 お時間のあるもの好きなご仁には、「うつろ庵」の柴の戸を開け、虚庵居士と共に「棺桶ベンチ」に坐して、酩酊気分を味わって頂きたいものだ。




 
           新緑の珊瑚樹挟み大紫と

           紅薔薇が競う五月を迎えぬ


           新緑の珊瑚樹をバックに花衣

           大紫つつじは見得を切るかも


           負けじとて珊瑚樹乗り越え薔薇も咲き

           滾る真紅の思ひを伝えぬ


           生垣の内を覗かむ数寄者の

           棺桶ベンチに坐して花観む


           このベンチが「竟の座所」かも 酩酊と

           朦朧世界を往きつ戻りつ 






「風に揺らぐ紫蘭」

2015-05-07 02:26:14 | 和歌

 「うつろ庵」のテラスの縁の細長い花壇では、紫蘭が満開だ。
虚庵夫人が鉢植えの紫蘭の二・三株をこの花壇に植え替えたのは、何年前になるであろうか。地下茎が延びて、今では何と百本を超える紫蘭が咲き乱れている。



 紫蘭の花茎には四つ五つの花が付くので、細い花茎をかなり撓ませている。
「うつろ庵」は三方が珊瑚樹の生垣で囲まれているので、庭に吹く風はそよ風程度だが、僅かな風にも敏感に反応して、ゆったりと揺れる姿は何とも優雅だ。

 五月晴れのこの時節は気温も温暖だし、蚊などの害虫も皆無なので、虚庵夫妻は時々テラスの手造テーブルで
ランチを摂り、夕暮れにはグラスを手に「棺桶ベンチ」に坐して紫蘭を愛でつつ、「あの世とこの世を往復する」この頃だ。
珊瑚樹の生垣は艶やかな新緑のモールで「うつろ庵」を取り囲み、天国でも味わえないのではないかと訝る程の、至福の時を愉しませて貰っている。

 些細なことを愉しみ、歓びを見出せる人生の末期は、誰に感謝すべきなのだろう。花を育み、美味しい食事を調理し、365日の深酒にも少々の小言程度で済ませて
下さる「虚庵夫人」が、至福の神様に違いあるまい。

 
           斯く云えば「何おたわむれを」と いなされて

           「少しはお仕事なさいませ」 「ハッ はー」


           それにせよ狭きお庭でじじ・ばばが

           愉しむネタの数尽きぬとは 


           紫蘭咲き紫蘭が揺れればじじとばばの

           こころに新たな種が蒔かれぬ


           久方に孫娘来て先ずハッグ

           紫蘭の前のポーズも愛しき








「うつろ庵のつつじ」

2015-05-04 16:12:45 | 和歌

 「うつろ庵」のフラワーベルトには、つつじがほぼ満開だ。
東南の角地の南面には、大紫つつじが咲き誇り、写真の右端から直角に折れる東側のフラワーベルトには、白つつじが満開だ。



 躑躅を植え替えた時の経緯については、二年程前に「うつろ庵の大紫」で触れたが、今年もまた彩り豊かな花を咲かせてくれた。白花もピンクも紫花であれ、花の色には関係なく「大紫」が、このつつじの品種名だから、面白い。

 大紫の花はかなり大きめの花を咲かせるので、見応えがあるが、夕暮れ近くになると花びらの水分が蒸発して、萎れ気味になるのが難点だ。油断するとそのまま萎れて、見栄えを損ないかねない。そこで、萎れた花を小鋏でカットし、見苦しい姿が道行く人々のお目にとまらぬ様、小半時ほどの「大紫」との無言の会話を愉しむ毎朝だ。そんな虚庵居士の姿を見て、「お宅の躑躅はぴか一ですね」とのお褒めの言葉を下さる方もいるので、面はゆいばかりだ。

 
           五月晴れの陽ざしをうけて大紫の

           つつじ咲くかな彩り豊かに


           爺の思ひにつつじは応えぬ花々の

           いろも姿も生気に溢れて


           華やかに咲き立つつつじの心映えを

           せめて告げばや萎れ花摘みつつ


           一日もながく咲きませつつじ花よ

           無言の会話を今朝もつづけぬ


           さはあれど花のいのちは短くて

           爺を残して萎れゆくとは






「八角」

2015-05-02 15:57:45 | 和歌

 ご近所の山野草マニアのご老人から、「八角」の鉢植を頂いて二年経った。
正方形を二つ重ねて、45度ずらせた八角形が、「八角」の特徴ある葉の姿だ。



 念のため山野草図鑑で調べた。爺さまが名札に書いて下さった「八角」は見当たらなかったが、「八角蓮」「白花八角蓮」「アメリカ八角蓮」など、お仲間と思われる山野草・薬草が検索出来た。何れも葉茎の中ほどに紫・ピンク・白色等の花を咲かせる山野草で、花の色と蓮葉を合わせて、それぞれの名前が付けられ、マニアには人気の山野草のようだ。台湾・中国が原産の山野草で、漢方薬としても利用されているようだ。

 四月の中頃に、ムクムクと「八角」の新芽が頭を持ち上げた。その姿が何とも云えずユーモラスで、虚庵夫人と共に笑いころげた。

 「八角」の成長は目を瞠る程で、アッと云う間に「八角形」に成長した。
図鑑で調べた様々な「八角蓮」は、花をつけるためか、或いは葉茎が枝分かれして二枚葉に育つのが原因かは不明だが、何れも「八角形」の形が崩れているのが残念だ。爺さまが「八角」と名札に書き残して置いて行った「思い」が偲ばれる程、「うつろ庵の八角」は、見事に整った「八角形」ではないか。 

 
           ご近所の爺さまの手土産「八角」の

           新芽のムクムク 思わず笑いぬ


           爺さまは「八角」の名の由来をば

           もろ手をずらせてご説明かな


           「八角」の名札を自ら書き残し

           名残惜しげの暫しの歓談 


           爺さまの姿を見かけぬこの頃に

           身のほど案ずる じじとばばかな