孫からの「写真集」メール、その3をご紹介する。
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小さな手で苗を植え、水やりも自分でやって育てた Dahlia の花には、孫の特別な思いが凝縮されているに違いあるまい。それ故に、Dahlia の花の一輪づつが愛しくもあり、自慢の花であろう。
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花を育てたことのある人間にとって年齢の如何を問わず、その花は大切な花であり宝そのものの筈だ。孫はまだ小学3年生だが、じじの送った蝉の標本にたいするお礼の気持ちを、この様な形で伝えてこようとは思いもよらぬことであった。宝物の花をカメラに収め、それぞれ一枚ずつメールに添えて送ってくれた心には、感嘆するとともに熱いものがこみ上げてきた。
最後の一枚は、画面の構成がユニークで目を瞠った。たまたま何気なく写したものに違いないが、中央に据えた赤い Dahlia と、画面を二分する支柱で全体のシンメトリーを創り、花にとまった黄色の蝶と左手の萎れかかった小ぶりの一輪が、シンメトリーを破りながらも左右のバランスを保っている。何やら、近代絵画芸術の真髄を見せつけられた様に感じられたのは、「じじ馬鹿が成せる錯覚」であろうか?
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送りくるダリアの花に思ふかな
一枚づつの花添える心を
未だ幼き孫にしあれど花人の
思ひを抱けり彼はこころに
そのことに思い至ればわが孫の
心づくしに打ちふるるかな