「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「団扇仙人掌・うちわサボテン」

2009-07-30 13:30:34 | 和歌

 うちわサボテンが、鋭いトゲに守られて咲いていた。

 手のひらサイズの茎が次々と連なるこのサボテンは、漢字名を団扇仙人掌と尤もらしい名前が付けられているが、中国古来の表現をそのまま借用したもののようだ。時にはこの仙人掌の縁に、蕾と花と果実がびっしりと並んで、思わぬ共演を鑑賞させられるが、個人的な好みとしては精々一つ二つ程度、爽やかに咲いて欲しいと願うのは、勝手というものだろうか。





             いと長く鋭きトゲを身に纏ひ

             仙人掌笑みたり 誰を恋ふるや


             丈夫はトゲも刃も物とせず

             熱く抱くを 夢見る乙女か



 
 花が咲いた後には果実を残すが、その果実も緑の茎も双方が食用になるという。物好きな虚庵居士は、一度挑戦してみたいものだが、何と申してもあの鋭いトゲと、無数に散らばっているごく短い棘を払いのけて、手を出す勇気は流石に無い。

 メキシコでは食用に栽培しているそうだが、肌を突き刺すトゲの存在にも拘わらず、食用にするにはそれなりの理由があるに違いない。メキシコ事情はトンと無知の虚庵居士には、想像を超える世界だ。
己の拙い知識だけで、全てを判断しようなどと考えること自体が浅はかな振舞だと、「うちわサボテン」は諭しているようだ。




             サボテンには 仙人掌なりの事情あらむ 

             またそれなりに食す事情も






「やぶみょうが・藪茗荷」

2009-07-26 14:36:34 | 和歌

 「うつろ庵」のつつじの植え込みの一画に、得体のしれない草がいつの間にか根を下した。

 葉の幅は7・8センチ、長さは20・30センチ程もある。雑草と云うにはどこか気品もあるので、そのまま放置したら白い米粒ほどの蕾を付け、花が咲き始めた。花図鑑で調べたら「やぶみょうが・藪茗荷」だと知れた。

 それにしても、どんな経路を辿って「うつろ庵」の庭先に根を下ろしたのか気になるところだ。花の後には実をつけるとの記述があったので、小鳥が実を啄み、鳥たちの置き土産が芽生えたものかもしれない。





             木漏れ日を受けまほしきと言うならむ

             両手を広げるこの子と語れば




 「うつろ庵」には時々、小鳥の粋な置き土産が顔を出すので、さして驚くには当たらないが、顔を寄せて観れば、可憐な花は何やら「身のうえ話」でも語るかのように、風に揺れていた。





             米粒の割れて咲くかな白妙の 

             小花は誇るや黄金の蕊を








             けがれ無きひと筋のしべ厳かに 

             いよよいのちを結ぶ今日かも






「小海老草・ペロペロネ 」

2009-07-21 01:17:38 | 和歌

 「小海老草」が、紅白の対で咲いていた。

 この花は、離れて見ては面白さが半減する。近寄って見ればみるほど、何ともユーモラスな姿だ。  
一枚づつの苞が連なって、如何にも海老殻の屈折に見えるから、思わず口元が綻んで、「ようヤルワイ」と呟きたくなる。
 



             紅白の海老に咲くかもペロペロネに

             ようヤルワイと 笑みがこぼれて




 


             小海老草に妻のパスタとワインをも

             想ふを恥じいる食い気の爺かな




 「紅白の対」とは書いたが、紅海老茶色の部分から淡い色合に変化する様も見応えがあるし、白とは云うものの女郎花色の優雅さも、また格別だ。ユーモラスな部分は花ではなく苞で、本物の花は白く舌を出しているように見える部分だから、苞と花の取り合わせもまた、眼を愉しませてくれる。

 それにしても、「小海老草」とはこれ以外にはないと云う命名ではあるが、「草花」ではなく「花木」であることを、先人は蔑ろにしていないか。正真正銘の「潅木」だから、「草」とよぶのは花に失礼というものだ。「小海老花」であれば、花にも人間様にも無理のないところではあるまいか。





             控え目に細く咲くかなペロペロネの

             慎ましやかな想ひを汲まなむ






「紅花沢桔梗・べにはなさわぎきょう」

2009-07-20 01:10:29 | 和歌

 深紅の花が、逞しく咲いていた。

 花はそれ程大きくはないが、房花を支えている茎がズンと逞しく立っているので、花の姿が何処となく逞しく見えるのだろう。花の表情を ”逞しい” などと表現するのは、聊か憚られるが、虚庵居士の目にはその様に映るのだから、素直に感じたままを書きとめることにする。

 序ながら、近頃は大学生諸君とかなりの頻度で、膝を突き合わせて対話する機会が多いが、どうしたものか彼等に「逞しさ」が希薄なのは何故であろうか。
筋骨逞しい若者だけが、逞しさの対象ではなかろう。会話を通して逞しさが感じられるか否かとは、言葉を換えれば、「独自の考えを持って芯の通った主張が出来るか否か」と言うことかもしれない。女子学生であれ、やせ細ったもの静かな若者であれ、この様な発言をする学生が意外なほど少ないのが残念だ。対話の都度、その様に仕向け、或はそこに気付かせたいと念じる虚庵居士ではあるが・・・。





             ズンと立つ花茎逞し房花を

             ひと際高くかかげる君かも


             逞しき茎の思いを受けにしや

             つま先立ちて小花咲くとは







             紅の小花も莟も承けるらし

             逞しかれとの茎の思いを






「台湾人参木・たいわんにんじんぼく」

2009-07-16 01:23:41 | 和歌

 涼しげな花が咲いていた。

 関東では例年になく、早めに梅雨明けが宣言されたが、未だ梅雨の明けぬ10日ほど前に、ご近所の玄関先を爽やかに飾っていた。房花が立ちあがって、小さな花を下から咲かせていたが、株の周りには既に小花が散り敷いて、足元にも風情があった。





             房花の咲き初む清しき香りにや

             散り敷く床しき残り香ならむや




 華やかな草花で門辺を飾るのもいいが、門辺に清楚な花木が咲くのには、家主の落ち着いた感性が窺われて、好ましいものだ。香りは如何であろうかと近寄ったら、大きな熊蜂の先客がいて、早々に退散した。

 帰宅して調べたら、「台湾人参木・たいわんにんじんぼく」と知れた。
朝鮮人参の葉によく似ている木なので、「人参木」との名が付けられているようだが、「台湾人参木」の他に「西洋人参木」という種もあるようだ。この木は未だ草花かと思わせる若木だが、稀ではあるが10メートルを超える巨木に育つ例もあるようだ。黒い小さな種子が生るそうだが、漢方では鎮静作用に利用するという。





             先客の熊蜂は蜜をひたぶるに

             吸いて動ぜず主の如くに






「滾る 蘇鉄」

2009-07-12 01:13:07 | 和歌
 
 「蘇鉄」の若芽が、命の滾りを見せて、一斉に伸びていた。

 一昨年の葉は既に切り取られて、さっぱりと身支度を整え、「いざ出発!」との掛け声が聞こえてくるようだ。40枚ほどの葉が、一斉に天に向かって伸びあがる姿からは、蘇鉄の逞しい生命力が感じられる。

 「うつろ庵」の門辺にも、蘇鉄を大鉢に植えて置いてあるが、卵ほどの大きさの脇芽を掻いて来て植えたのは、30年ほど前になる。幹の丈がまだ20センチ程の子供ゆえ、新芽の数は10余枚程度だ。まだ固い新芽は成長の兆しもないので、一斉に伸びるのは来春になるのであろうか。逞しい生命力ではあるが、背丈の成長には決して無理をせず、人間どもに「スローライフを見習え」と訴えているかの様だ。





             たまきわる命の滾りを葉に託し

             ヘしあい伸び立つ小暑の蘇鉄は


             陽を受けて葉先の丸みも背筋をも

             伸ばさむとする 蘇鉄の心は?


             何事もせき立つこの世の風潮に

             蘇鉄は諭すや 「倦まず 弛まず」






私家歌集 「庵の夕べ」 を上梓しました

2009-07-09 02:27:11 | 和歌

 ブログ「虚庵居士のお遊び」をご愛読いただき、有難う御座います。
休みやすみの更新でしたが、それにも拘わらず多くの皆様がお立寄り下さり、そのご来訪カウントに背中を押され、手を曳かれる思いで続けて参りました。

 折々の心のときめきを、「和歌・エッセー・フォート」などに託して掲載して参りました。その「落書きの歌」をCD版に収録して、私家歌集「落ち葉」 「薔薇を娶らむ」「折々の花と歌」 として、上梓しましたことは
一昨年の中秋にお知らせしました。その折には多くのお問合せとご注文を頂き、有り難いことと感謝いたしております。



 それ以来、ブログの更新も侭ならぬ月日が続きましたが、少しづつ書きためました作品を、再び続編
「庵の夕べ」として収録し、このほど上梓しました。私家歌集・四部作となりましたので、CD版ラベル写真のご紹介と併せて、お知らせします。





 話は変わりますが、孫のりかちゃんと細君を伴って、息子が久方ぶりに帰宅しました。
ビジネスの第一線で多忙を極め、国の内外を飛び歩いている彼ですが、「今から行きます」との電話から間を措かずに来訪し、昼食を共に摂って、疾風の如く帰って行きました。元気な一家の姿を拝めただけで、じじ・ばばは「大安堵」でした。


             訪ね来て柴の戸開く間もあらず

             風と去るかも庵の夕べに 


             ゆたにあれば庵の夕べ吹く風に

             ささを酌みつつ語らむものを
 

             常日頃「刻」に追われる君なれば

             せめての一刻 庵の夕べを




 かつて上梓記念のお裾分けにと、一部の方々にCDを差し上げましたところ、過分なご祝儀を給わり
恐縮致しました。拙作の謹呈が却ってご迷惑をお掛けしては申し訳なく、本意では御座いません。
そこで、ささやかな実費をお支払頂くことで、皆様の心のご負担を軽減出来るのではと、反省しました。
斯様な事情で、一部500円とさせて頂きますので、ご理解をお願い申し上げます。
ご所望の方は、下記宛にメールにてご一報をお願いします。

         平成21年 小暑                 虚庵 小川 博巳 
                                    chogawa@jcom.home.ne.jp



「春ウコン 本物の花が咲きました!」

2009-07-06 00:28:55 | 和歌

 春ウコンの花が咲いた。

 友人宅の春ウコンは、その後どうなったかと気懸かりだったが、「本物の花が咲きました!」との知らせを受けて、再び友人宅を訪ねた。

 数日前に比べて、ウコンの葉は一段と大きくなっていた。梅雨の季節は、植物にとっては慈雨をもたらし成長には願ってもない条件が整うからであろう。この先、夏にかけて背丈も葉の幅も、更に逞しく成長するに違いあるまい。

 大きな葉をかき分けると、その向こうに、件のピンクのフリルが見えた。フリルの間に、白と黄色の見事なコンビネーションの筒花が咲いていた。紛れもない「春ウコンの花」だ。

 雨が降って、泥を跳ね上げたのであろう、清楚な肌は土で汚れていたが、春ウコンにとってはそれも立派な勲章というものだろう。
人間社会でも様々な環境の中で、若者が朱に染まらず健気に開花する姿を連想させられて、「春ウコンの花」が殊更いとおしく見えた。


             背を伸ばし大葉を広げて抱くらし

             足もとに咲くウコンの花を







             雨脚の名残りの泥を裾に受けて

             なおも穢れぬウコンの花はも






「春ウコン」

2009-07-03 01:06:00 | 和歌

 近所にお住まいの友人から、「ウコンが咲きました!」との、弾んだ声の連絡があった。

 横須賀あたりでは殆どお目にかかれない花ゆえ、虚庵夫人を伴って過日お伺いした。ピンクから根元の薄緑までのグラデーションが、なんとも見事な色合いで、「春ウコン」に暫く見惚れた。
ウコンの本当の花は、ピンクのフリルの一つづつから間もなく顔を出すことであろう。その頃にまた見せて貰いたいものだ。

 「ウコン」は元来、南方系の自生植物ゆえに、関東あたりではなかなか花を付けないと云う。
詳しいことは知らないが開花の可能性は、30株に一つ程度とも云われているので、大変ラッキーな出会いであった。

 かつて「うつろ庵」の庭に植えたウコンの根茎が、殊のほか増えたのでお裾分けしたことがあったが、友人はそれ以来、花の咲くのを楽しみに丹精を凝らして来た。なかなか花が付かずに、気楽に差し上げたものの聊か自責の念にかられていた。或は、ウコン根茎を買い足したかもしれないが、見事な花を見せて頂いて、正直のところホッとする思いだ。





             石くれもいとわず咲くや春ウコンは

             大地の女神の化身ならむか


             七重八重うち重ねたる衣手に

             やがて抱ける御子等にまみえむ




 沖縄辺りではピンクの春ウコンが4・5月、白花の秋ウコンは7・8月ころに咲くと云われている。しかしながら、「うつろ庵」で嘗て咲いた秋ウコンは、10月中頃であったことも併せて考えれば、友人宅の春ウコンが2ヶ月ほど花時がずれたのは、寒暖の差によるものかもしれない。

 ブータンに駐在していた友人が、嘗て春ウコンの花の写真を送り届けて呉れたことがあった。その春ウコンも、花だけが地中から直接咲いていて、葉は未だ芽ばえたばかりであった。ブータンは標高300メートル程度の高温多湿の平地から、ヒマラヤ山中の寒冷地まで気候の落差が激しい国だ。
横須賀の友人宅の春ウコンは、葉は既にかなりの大きさに成長していたが、これもまた気候の違いによるものであろうか。





             身に良しと聞きてウコンを育てしが

             花に恥じぬる 思いの不純を







「アガパンサスと黒揚羽」

2009-07-01 00:04:06 | 和歌

 梅雨の晴れ間に庭に出て、虚庵夫人とアガパンサスの花を楽しんだ。

 ことしの「うつろ庵」には十数本のアガパンサスが、花茎をツンと伸ばして咲き誇っている。ごく淡い水色がうす陽に映えて、花と梅雨空が織りなすコラボレーションに、じじ・ばばは魅入られるばかりであった。





             水色の花はか細き蕊反らせ

             アガパンサスは小粋に咲くかも



 じじ・ばばが長閑に語らふ其処へ、大きな黒揚羽蝶が飛来して仲間に加わった。アガパンサスの花蜜を吸いに来たようだ。おっとり刀でカメラを取り出したが、その後が大変であった。

 黒揚羽は大きな羽根で千変万化に舞いつつ、あっちの花からこっちの花へと、気ままに乱舞する。カメラ片手に蝶を追って、踏み石つたいにサンダル下駄を踏み鳴らし、ヨロメキながら右往左往する虚庵居士をご想像あれ。へっぴり腰のアマチュアカメラマンが黒揚羽に翻弄される様を、虚庵夫人は高みの見物とシャレこんだ。幼女の如く、キャッキャと手を打ち鳴らして楽しんでいるではないか。

 蝶は片時も羽根を休めることなく飛び続けているので、カメラのファインダーを覗くいとまもなく、辛うじて捉えられたのがこの写真だ。

 「うつろ庵」のじじ・ばばを愉しませてくれた黒揚羽は、アガパンサスの花蜜も、たっぷりと堪能したことであろう、やがて梅の葉陰で羽根を休ませた。
気がつけば、虚庵居士の額も汗ばんでいた。大奮闘の証しであろう。黒揚羽に倣って、暫しの休息が必要のようだ。
 



             カメラ持つ爺をしり目に みぎ ひだり

             黒揚羽蝶は自在に舞ふかな


             ゼンマイの口吻伸ばして花蜜を

             乱舞の合間に素早く吸うとは


             わが庭のアガパンサスよ な散りそ

             花蜜もとめて蝶舞ひくれば