「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「空蝉の群れ」

2013-10-31 01:43:59 | 和歌

 珊瑚樹の生垣に、「空蝉の群れ」が留まっていた。

 今年の夏は類い稀な猛暑であった。夏を謳歌した蝉たちの鳴き声も、例年に比べて一際賑やかだった。そんな名残が、生垣の空蝉の群れで見られようとは思いもよらぬことであった。

 過日の台風は猛威を奮って、大島の土砂崩れでは、お気の毒にも数多くの犠牲者が出た。心からの哀悼を捧げたい。横須賀での被害はごく些細なもので、ガレージの屋根の破損や、物置や塀の転倒程度であったが、それでも真夜中の烈風の音は筆舌に尽くし難いものだった。

 そんな強烈な風に吹かれても、空蝉が生垣の葉にとどまっていたのは信じ難いことだ。何年かの幼虫時代を地中で過ごし、空へ舞い立つ前の脱皮では、渾身の力を籠めて珊瑚樹の葉に、鋭い爪を立ててしがみ付いた結果であろうか。

 「空蝉の群れ」には、蝉たちの命を懸けた、羽ばたきへの思いが偲ばれる。




           生垣に群れて留まる空蝉に

           今年の猛暑をしみじみ思いぬ  


           この夏は一際激しく鳴く蝉を

           恨めしくすら思いこそすれ


           秋立つについぞ蜩聞かぬとは

           如何なることか蝉の事情は


           真夜中に荒れ狂うかな台風の

           すさまじき音をいまだ忘れず


           あれほどの烈風豪風すさぶるに

           葉にしがみ付く空蝉あっぱれ


           生垣の空蝉の群れみるにつけ

           脱皮にかけた思ひをしのびぬ






「野に咲く鶏頭と貰い子」

2013-10-30 00:04:26 | 和歌

 街外れの空き地に、鶏頭花が咲いていた。

 野草でもないこの花が空き地に咲いていたのは、ご近所の何方かが余った苗を放置して、それが根付いて咲いたものに違いあるまい。庭園に植えられ、家人に慈しみ愛でられて咲く花と、野に放置されながらも自力でシカと根を張り、歯を食いしばって咲く花の存在を目の当たりにして、「野に咲く鶏頭」が殊更にいとおしく見えた。

 テレビでは既にフィギュア競技の映像が放映され、日本選手の活躍振りも見事だが、欧米選手の演技も素晴らしい。そんな中で、どう見ても東アジア出身と思われる少女が、欧米国籍の横文字の名前で頑張っている姿を見て、米国市民が中国系の貰い子をしていることが、想い出された。

 子供が出来ない米国の夫妻が、中国系の赤子を貰い受けて育てている事例を、数多く見てきた虚庵夫妻は、TV観戦しながら事に依ると、あの少女もそんな事情があるのかしらとの思いが、頭を掠めた。勝手な想像だが、育て親に恵まれ何不自由なくのびのびと育ち、フィギュア競技に参加して拍手喝さいを浴びている少女と、娘の現在の名前すら知らされず、娘が世界的なフィギュア競技に参加していることも知らぬ両親に思いを馳せれば、複雑な思いが胸を締め付ける。

 「野に咲く鶏頭」に、思いもよらず現代の「貰い子」の事例が頭を掠めた。
逼迫した生活に僅かな代償を得て娘を手放した両親と、子育ての喜びを得た夫妻に支えられて、花を咲かせる少女の姿が瞼に交差する虚庵夫妻だった。




           街外れの空き地に咲くかな鶏頭は

           倒れながらも大地に根を張り


           鶏頭は我が身の出自を辿るまじ

           ただひたすらに咲くぞいとしき


           思ふれば兄弟姉妹は庭園に

           何故かこの子は空き地に咲くかな


           子の今を知るまじきかも産みの親は

           ひたすら挑む娘の姿を 


           血縁を越えて娘は愛しけれ

           思ひに応えて励むをみれば


           やがて巳の出自を問ふらむその折りに

           君に捧げむ野に咲く鶏頭を






「ゴルフと野葡萄」

2013-10-28 01:47:27 | 和歌

 先週の雨の合い間に、伊豆でゴルフを楽しんだ。

 とは言え先週は、太平洋低気圧と高気圧の不安定な状況が続き、天気予報は曇りのち晴れであったが、早朝は烈風と小雨に見舞われた。虚庵居士は何時もの様に、HENNESSYのポケット瓶を腰のポケットに忍ばせ、景気づけにグビリ、ミスショットを反省して少々などと、コニャックとゴルフの二途を楽しんだ。

 アマチュア・ゴルファーに共通の弱点は、風対応のトレーニングと実戦を積んでいないことだ。 案の定、烈風に翻弄されて、散々な戦果であった。 



 ランチでは赤ワインが定番の虚庵居士は、酩酊気分で午後のプレーが始まった。
酔っぱらいゴルファーにしては、程々のショットが打てて、カートに乗ろうとしたら眼の前に、彩り豊かな「野葡萄の実」が垂れ下がっていた。

 脂肪肝になって久しい虚庵居士だが、ここ数年は「のぶどう茶」のお世話になって、何とか体調を維持出来ているので、「野葡萄」に最敬礼をしつつ、同伴の皆さんに「のぶどう茶」の効能をご披露した。

 散々な戦果であったが一日を堪能し、「野葡萄の実」に出会えてご満悦の虚庵居士であった。




           予報では曇りのち晴れなるも

           烈風荒びカッパを羽織りぬ


           かててなお寒気の程は重ね着を

           互いに語る風雨の朝かな


           意に沿わずボールはあらぬ方向に

           流れ飛ぶかな 人生なぞらえ


           散々の戦果なれども愉しみは

           斯かる時にも遊びを忘れず


           ナイスショット放てば野ぶどう拍手かな

           彩り豊かなその実を揺らせて


           お仲間にその効能を自慢げに

           披瀝するかな のぶどう茶呑みつつ






「柘榴・ザクロ」

2013-10-26 14:41:26 | 和歌

 ご近所から、「柘榴・ザクロ」の実を頂いた。
分厚い皮が何か所かでパックリ割れて、赤い透明感のある粒々が溢れんばかりだ。

 甘酸っぱい独特の味覚が想い出されて、早速食べたかったがじっと我慢して、頂戴した珍品を暫らくテーブルに飾った。表皮は傷だらけ、瘤だらけで何とも無骨な姿だが、割れ目から見えるルビーのような粒々との対比が絶妙だ。

 これだけ分厚い皮が割れるのだから、かなり強烈な力が働いたに違いない。
柘榴の実はテニスボール程の大きさまでは、表皮は赤い色が艶やかだが、更に大きくなるに従って表皮は艶を失い、瘤々が次第に大きくなる。 やがて実が熟す頃には不規則な割れ目が走り、次第に大きく割れてこんな姿になるのだ。

 中のプリプリの粒々が成長し、果汁をたっぷりと含むので体積が膨張して、分厚い皮を割るのかもしれない。或はまた、粒々に含まれる果汁を大切に守るために、柘榴の分厚い皮は、自らを割る特殊な能力を備えているのかもしれない。

 テーブルに飾った柘榴の実を眺めつつ、様々なことが想い出された。
今年の初夏には、珍しい「八重咲き柘榴」の花に出合った。そしてまた、虚庵居士が幼児のころ食べたザクロと、お婆ちゃまのお話も懐かしい。




           ご近所の枝もたわわな柘榴一つ

           枝からもぎ取りどうぞとたまわる


           両の手に大切そうにザクロ持ち

           わぎ妹子笑みつつ帰り来しかな


           無骨なる分厚い皮がパックリと

           口開け溢れるルビーの粒々


           粒々の輝き見れば果汁満ちて

           早くたべてとせがむ風情ぞ


           逸る気を静めて暫しテーブルに

           珍品飾り眺め入るかな


           眺むれば柘榴にものこそ思われぬ

           稚児の昔のお婆の話しも






「アースキンレイクのダリア」

2013-10-24 16:25:50 | 和歌

 米国NJ州に住む娘一家は、アースキン・レイクの畔に居を構え、デッキからボートに乗り、或いは芝の庭に様々な花木を植えて生活をエンジョイしているが、そんな生活ぶりを写真に収めてメールで時々送ってくる。

 今回は、ダリアの花だった。孫息子キャメロン君がニコニコ顔で、大きな純白ダリアと一緒に写っていた。彼が顔を寄せたボンボリ咲きダリアの花は、顔とほぼ同じ程の大きさで、思わず息を呑んだ。



 小学生のキャメロン君は、芝生の庭の一画を自分で耕し、種を蒔き花を育てているから虚庵夫妻は感服だ。娘も何くれとなく手伝うのであろうが、自分で育てる気概を培い、自然に対する感性を養うには、将に「うってつけ」の試みだと拍手喝采だ。




           暫らくは ”じじ スカイプしよう!” の声なくも

           ダリアの花に孫を偲びぬ


           純白のボンボンダリアに顔を寄せ

           ニコニコ顔の孫息子かな


           斯くばかり大きなダリアの花咲かせ

           ヤッタ! とばかりの 笑顔ならむか


           夜遅く宿題・難題に 取り組めば

           ママ乗りだして 手助け惜しまず


           キャメロンの鉛筆けずりの絵をみれば

           大進歩かな! 影を描けり 


           送りくる孫の絵画は家宝なり

           大事に掲げて日毎に観るかな






「ホトトギス」

2013-10-22 00:22:58 | 和歌

 「うつろ庵」のホトトギスが咲いた。

 この花の紋は、野鳥の杜鵑の羽紋とよく似ていることから、ホトトギスと呼ばれているが、虚庵居士は自然環境の杜鵑には、未だ出遭ったことがないのが残念だ。
写真で見ると、杜鵑の腹の羽紋の斑なところが、草花のホトトギスとよく似ている。

 葉山で時々虚庵夫人とゴルフを楽しむが、林の中から杜鵑の鳴き声が聞こえることがある。よく言われる様に、舌足らず鳴き方で「特許許可局・とっきょきょきゃきょく」と聞こえる。草花のホトトギスに鳴かせたら、「もうチョット歯切れよく鳴くのではなかろうか」などと、あらぬことに思いを廻らす虚庵居士である。




           草花に野鳥の名前を そのままに

           ホトトギスとは粋なことかな


           静謐な林の中ゆ杜鵑の

           舌足らずの声 とっきょきょきゃきょく 


           杜鵑の鳴き声きつつ応え待てど

           うら悲しくも いらえなきとは


           庭に咲くホトトギスにも鳴かせまし

           如何なる鳴き声耳にするらむ


           秋の陽に冴えたる色の華なれば

           きこゆ心地す ホトトギスの声を






「台風一過」

2013-10-20 01:47:03 | 和歌

 台風26号は、三浦半島も強烈な烈風に巻き込んで、過ぎ去った。

 大島など大雨・土砂崩れによる多くの犠牲者に、心からご冥福をお祈りし、甚大な被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。 日本列島は台風発生の都度、 身に降りかかる災害と共に、縁者の被害が気にかかり心やすまらない。

 「うつろ庵」ではガレージ屋根の破損など、被害は程々で済んだが、庭木もそれなりの被害であった。金木犀は小枝に満開の花を咲かせ、芳醇な香りを漂わせていたが、「台風一過」、黄金色の小花が散り敷いて、目を瞠った。

 早速にご紹介したかったが、甚大な被災に比べれば、時宜を控えるべきかと思われて、敢えて掲載の日時を遅らせた次第だ。




           満開の金木犀と語らむと

           あしたを思えど嵐は見舞いぬ


           控えめに咲けども香りは馥郁と

           かおりくるかも金木犀はも


           吹き荒ぶ台風の風音すざまじき

           身をも心も明日をも無からむ


           吹き荒びおさまる後の朝かな

           散り敷く黄金の小花まぶしき


           香り立つ金木犀の花いまや

           嵐に散れば いよよいとしき






「金木犀の香り」

2013-10-18 12:23:38 | 和歌

 玄関脇の金木犀が咲いた。

 迂闊なことに、莟を付けていることすら気が付かなかったが、独特の芳香に促されて見上げたら、小枝のそれぞれに沢山の莟を付けて、咲き初めていた。

 金木犀の莟は、どちらかと云えば控えめで目立ないが、花が咲き初めて数日もすると、黄金色の群花が一斉に小枝を飾るので、華やかさが一気に加わる。

 一方で金木犀の芳香は、満開の時期に比べて花の咲き初めの頃が、より馥郁と香るように感じられるのだが、虚庵居士の独り善がりかもしれない。

 金木犀の香に誘われた訳ではなかろうが、「うつろ庵」の門前に据えてある鉢植えの蘇鉄が、何年か振りに新しい葉が芽吹いた。未だ葉が開ききっていないので、爪先立って金木犀とお話でもしているかのような風情だ。



 住宅街を歩いていて、金木犀の香りに気付いて辺りを見回し、生垣越しに咲く金木犀を確かめることなど間々ある。芳香はかなり遠くまで漂うので、予期しない「金木犀
の香り」のプレゼントは、初秋の愉しみの一つだ。

 芳香だけが何時も話題になる金木犀だが、時には花にも着目したいものだ。一枝毎にこれだけ密集して咲くので、一つ一つは小花であるが集まった姿は誠に見事だ。

 桜や梅などは、花が咲いた後に葉が付くので、いやが上にも花が目立つ。椿や薔薇などは、緑葉と共に花が咲くが、これらも花が前面に出て「観てみて!」 とアッピールする。
ところが金木犀は、常緑の葉蔭に咲く慎ましやかな花なのだ。


           夢うつつ扉を開ければ馥郁と

           香れば目覚めぬ あっ 金木犀だ


           馥郁とかおりくるかなこの香こそ

           紛うかたなき金木犀ぞも


           莟すら気付かぬ迂闊を詫びつつも

           香りに見上げる金木犀かな


           見上げれば金木犀の小花らが

           咲きそむ気配ぞさえだ小枝に


           常緑の葉陰にあまたな小花かな

           金色に咲く金木犀はも


           斯くばかり香り立つにもその花は

           慎む気配に 咲くぞいとしき






「風草・かぜくさ」

2013-10-16 14:01:55 | 和歌

 「風草・かぜくさ」が群落をなしていた。

 何処にでも生えるポピュラーな野草で、かなりの面積に繁茂していた。
野原や遊園地の隅などにもよく見かける野草だ。 子供達が夢中になって遊べば、
この野草は容赦なく踏まれることになるが、踏まれても踏まれても成長を続ける逞しさは見事だ。

 「風草」は俗に言う雑草の類いだから、手入れの行き届いた庭などでは忽ち刈り取られる運命だが、ここの道路脇では管理も行き届かずに伸び放題で、「風草」にとっては天国に違いあるまい。

 道路脇の躑躅がガード代わりになっているので、ここの一叢の「風草」は、殆んど踏まれることもなく伸び伸びと育ち、花穂を風に揺らせていた。まさに草の名前どうりの「風草」であった。




           一叢の風草あまた繁茂して

           踏む人もなく寛ぐ風情ぞ


           風草の花穂は互いに絡み合い

           睦みあうかな囁き交わして


           そよ風に揺れる景色は何しかも

           風草の名を名のる風情ぞ


           常ならば踏みつけ刈られる草なるに

           寛ぐ姿に声をかけまし






「花か葉か?」

2013-10-14 02:24:08 | 和歌

 Hennessyのポケット瓶を携えてゴルフを愉しむのが虚庵居士の流儀であるが、先週のコンペでもスタート前の練習グリーンで「ぐびり」とやっていたら、お仲間に見つかって「やってますね」とのご挨拶だった。

 酩酊気分とゴルフを楽しむ二刀流は、ゴルフ発祥の時代からの定番であった筈だが、いつの間にか生真面目なゴルフに変貌したのは、世のゴルファーの愉しみを半減して残念だ。コニャックやウィスキーのポケット瓶は、ゴルフをホールアウトするまでの、適度の酒量として定着したものなのだが ・ ・ ・。

 何時ものように「ぐびり」とやりつつ散歩していたら、珍しい草花に出会った。
「紅の花か?」或は「紅の葉か?」と、見紛う草花だ。立ち止まってよく見れば、紅の色は花近くの「葉っぱ」であった。
虚庵居士の酩酊に付き合って、草花も酩酊したかと感激であった。

 

 帰宅して調べたら、「猩々草・ショウジョウソウ」と判明した。
花図鑑には、「花の周辺の苞や葉は赤色になる」との記述だった。 和名の猩々とは古人が想像した酒好きのケモノで、酔って朱に染まった顔に因んで「猩々草」との名がついた、との解説も付記されていた。

 「猩々」の名を見て、高山植物の「猩袴・しょうじょうばかま」の花と、能舞の「猩々」とを結びつけて詠んだ一首が想い出された。
「汗顔の色紙作品」をご参照下さい。

 


           花か? 葉か?

           紅馨る草花に

           出会いて何故か親しみを

           覚えるゆえは何故ならむ

           図鑑を調べわぎ妹子に

           その名を告げれば応えらく

           酔える貴方のお友達

           草花までもが共に酔ひ

           猩々なるとはお幸せ

           どうぞお気兼ねなさらずに

           ご酒を召しませ 酔いたらば

               猩々の舞いを 観まほしきかも


           わぎ妹子の期待に応えて舞わむかな

           猩々草の紅の思ひを






「金色の実房」

2013-10-12 10:54:52 | 和歌

 台湾連翹(たいわんれんぎょう)の「金色の実房」が、たわわに実っていた。

 白い花が僅かに残っているのを見れば、この台湾連翹の花時は九月だったと思われる。台湾連翹の開花時期は、株毎にかなりのバラツキがあるようだ。春から秋にかけて、それぞれに花を咲かせるが、咲き終えた後に金色の実房を付けるとは、花房と実房を二度に亘って愉しませて呉れる優れものではないか。

 

 
「うつろ庵の枝垂れ連翹」は八月の初旬に咲き初めて、真夏に涼を添えて呉れた。白い縁取りのある紫花の園芸種で、”ジュランタ・タカラヅカ”との銘があるが、このような実は付けない。

 台湾連翹は薄紫の花が多く、白花も時には見かけるが、これ程の実房を付ける株はごく稀だ。実を付ける株もあるが、ごく僅かの実が生る程度だ。
果物も野菜もそうだが、育つ環境と十分な肥料があるか否かが、生育の大きな分かれ道なのであろう。ここの台湾連翹の樹勢の逞しさを見れば、見事な実房の数々も頷けると云うものだ。

 


           金色のたわわに実る実房かな 

           台湾連翹 白花のこして


           僅かにも咲き残るかな白花の

           想いを享けるやたわわな実房は


           斯くばかり見事な実房を生らすとは

           連翹の樹を 改め観るかな 


           花房も見事ならめや実房観て

           過ぎにし花時に 思いをいたしぬ 


           たわわなる実房の重みは如何ならむ

           台湾連翹 満ちたる思ひか






「仙人草」

2013-10-10 00:15:59 | 和歌

 心地よい涼しさに誘われて虚庵夫妻の散歩も、「うつろ庵」からかなり遠くまで遠征した。夕暮れと共に蟲の集く声が、何とも言えぬ風情を添える散歩だった。

 

 道端の生い茂る草むらに、何やらぼんやりと白い花が眼に入った。逞しく育った小栴檀草に「仙人草」の蔓が絡んで、白く細い花びらを咲かせていた。

 かつて花図鑑で「仙人草」の風情が気に入り、記憶力の衰えた虚庵居士だが、蔓草の名前が記憶に残っていた。散歩の途上で出会っても咄嗟に「仙人草」の名前が思い出されて愕いた。この花は、4枚の太めの花びらと共に、ごく細い花びらがセットになって咲くので、離れて見れば自ずと霞んで観える不思議な花だ。虚庵居士の勝手な推察だが、この蔓草の花が霞む様に観える景色は、何やら仙人を思わせるところから、「仙人草」の名前が付けられたのではあるまいか。

 夕暮れが深まり白い花が朧に霞む姿に、何時しか仙境に誘われた心地であった。




           何時しかに汗ばむ季節は過ぎにしか

           蟲のすだきに秋をしるかも


           心地よき秋風吹けば誘われ

           思わず遠くに歩み来るかな


           草むらに朧に霞むは何ならむ

           近くに観れば仙人草かな


           秋の陽は何故にせくらむ山影に

           入れば仄かに揺るる花かな


           草むらに霞む姿は仙人の

           花ならめやもそなたの風情は






「千日紅」

2013-10-08 00:07:25 | 和歌

 猛暑の季節がやっと過ぎて、一息つくこの頃だ。
真夏の花枯れの時節にも、「千日紅」はよく耐えて咲き続けた。昔から仏花とも呼ばれ、仏壇やお墓参りなどにも重宝がられた花だ。

 

 真夏の酷暑にも堪え、秋になっても瑞々しい花と葉を保つ活力には感服だ。
逞しく咲く姿を古人は、「千日も紅に咲き続ける花」との敬意を籠めて、「千日紅」との名前を付けたものであろう。千日は些か大げさだが、「さるすべり」を「百日紅」と呼ぶのと相通じる呼び名と云えよう。 
「白花さるすべり」 をご参考にどうぞ。

 よく見かける草花ゆえに、眼を凝らして観察することもなく見過ごしてきたが、改めて近くに観れば、一つ一つの花の姿は均整がとれて、何と可愛いことか。長い花茎の先に、独特の花弁を丸く整えて咲くのは、「詰草」とも通じる咲き方だ。

 


           いにしえの人々敬う花なれば

           仏に捧げる草花ならむや


           花枯れの猛暑の季節も咲き続け

           千日の名を戴く君かな


           蟲すだく秋を迎えどいまだなお

           その葉も花も瑞々しきかな


           あまりにも身近な花ゆえこころして

           観ることもせず申し訳なし


           改めて君が近くに寄り添えば

           うなじの微かに揺れるぞいとしき






「淡路島のペンタス」

2013-10-06 00:29:53 | 和歌

 久方ぶりに虚庵夫人の生地、「淡路島」を訪ねた。

 淡路島訪問の前夜遅くに、
「蔓草の異名」の末尾に柄にもなく新内の名曲を引用したが、明石海峡大橋をクラウンで渡り始めたら、虚庵夫妻は何時しかこの新内を口ずさんでいた。
             向こうに見えるは淡路島
                 通う千鳥に文ことづけて
                     もしも知れたら 須磨の浦


 今回の訪淡は、義弟と虚庵夫妻の兄弟水入らずゴルフが主目的だったが、前夜祭はゴルフに参加しない義兄弟夫妻も加わって、豪華料理と虚庵居士の手造りワイン試飲会も兼ねて、大いに盛り上がった。

 淡路カントリークラブは、淡路島の稜線を切り崩して造成した名門ゴルフ場で、名物は超豪快な打ち下ろしロングホールだ。第3打まで総てが打ち下ろしで、烈風吹き荒ぶ山頂のティーグランドから見下ろせば、谷底に向かっての打ち下ろしには、思わず生唾を呑みこんだ。

 翌日は淡路島の南端から、四国への連絡大橋と渦潮を眺めた。
南淡路市には、国指定重要無形文化財に指定された人形座が昨年オープンしたので、人形浄瑠璃「戎舞」を鑑賞した。

 

 久々の淡路島訪問だったので、虚庵夫人の両親が眠る墓に参り、線香を手向けた。温暖な島ゆえに、季節外れとも思われる「ペンタス」に出会えて感激であった。
この花の和名は「草山丹花・くささんたんか」。比較的大きな葉に囲まれて、淡い色の小花が可憐に咲いていた。

 


           久々の淡路の島影 懐かしき

           「通う千鳥・・・」を口ずさむかな


           遥けくも車を走らせ来たるかな

           わぎ妹子産まれし おのころ島まで


           古事記にも国生みの島と記される

           淡路の島を誇る妻かな


           心こめて豪華料理を調理せし

           義弟夫妻に頭さがりぬ


           義兄弟 集いて酌むかな手造りの

           ワインの味は格別なるかも


           こころ許し歓談重ねる夕餉かな

           顔見て酔うかな ご酒にも酔うかな






「蔓草の異名」

2013-10-02 00:24:52 | 和歌

 野に咲く蔓草は様々だが、可憐に咲く蔓草の名前に、単刀直入の名前を見かけることもある。そんな代表格の異名が、「へくそかずら・屁糞蔓」だ。
余りにも強烈な名前ゆえ、表題に掲げるのも憚られて、この様な題名にした程だ。

 それにしても、この蔓草の異臭は只事ではない。 虚庵居士も嘗て一度、その強烈な悪臭に パンチを食らったことがある。

 野の蔓草は本来、極めて逞しい。時には住宅地の庭や、菜園にまで侵入することもある。侵入に気付かず、思わぬ処から蔓が垂れ下がり、花を付けているのを間々見かける。花は小さくごく可憐で、灌木に絡んだりして育つので、花や葉に鼻を近づけてもさしたる異臭が匂うのでもない。にも拘らず、蔓草の名前が「屁糞蔓」とは。

 手入れの行き届いた庭に、野草の蔓草はそぐわない。手で蔓を手繰り、一気に引抜こうとすると、途端に「屁」の様な強烈な悪臭に見舞われるのだ。素人判断だが、多分この蔓草の「青汁」が悪臭の源に違いあるまい。「いにしえ人」もこの悪臭に悩まされた結果ではあるまいか。「何だこの蔓草は、クソッタレ!!」と叫んだのではなかろうか ・ ・ ・。その名に「屁」を付すだけでは収まらず、有ろうことか「糞」の一字までも重ねたのは、強烈な悪臭パンチに見舞われた「腹いせ」ではなかろうか。

 日本古来の「優雅」の代名詞、「万葉集」にもこの花が詠まれているようだ。ものの本に寄れば「くそかずら」と詠まれていると云う。万葉の時代と現代で、蔓草の異臭は変わりは無かろう。こころ素直な万葉人もこの蔓草の「妙なる香」を詠んだに違いあるまい。その歌に辿り着いて、共に語らいたいものだ。

 蔓草の花をカメラに収めた際には気付かなかったが、ブログに掲載する際に、画面を拡大して驚いた。小さな花壺の内側には、ごく細い繊毛がビッシリと生えているではないか。花びらにはフリルが付いて、何とお洒落な花だこと。

 悪臭パンチを見舞われない様な、妨げるものの無い野に咲かせたいものだ。

 


           一発の屁糞パンチはもう御免

           小花の壺のうぶ毛と語らむ




 明日から、虚庵夫人の生地・淡路島を尋ね、弟君らと久方ぶりに盃を重ねるのが
 愉しみだ。 新内の名曲に曰く、

             向こうに見えるは淡路島
                 通う千鳥に文ことづけて
                     もしも知れたら 須磨の浦


 かつて通わせた文が幸いにも人知れず、虚庵夫妻は間もなく金婚式を迎える。
 散歩の途上で、香りの無い「一発」を許してくれる虚庵夫人に感謝しつつ ・ ・ ・。