「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「謂わぬ色」

2014-06-30 00:19:23 | 和歌

 「うつろ庵」の「梔子・くちなし」が咲いた。

 花の近くでは気品ある香りが漂い、気分を癒やしてくれる。「うつろ庵」には八重咲きの梔子もあるが、花時は半月ほど遅れて咲くので、双方で略一ヶ月に亘って虚庵夫妻を愉しませてくれる。

 この写真の緑葉も虫に食われているが、オオスカシバ(大透翅蛾)の幼虫は梔子の葉が大好きで、油断すると丸坊主にされかねない。ごく小さな幼虫だが、梔子の葉だけを餌にして、忽ち五センチ程にも成長するから、堪らない。幼虫の体の色は葉の色と見分けが付ぬので、余ほど丁寧に探さないと退治出来ないのが悔しいかぎりだ。

 八重咲きの梔子には実が生らないが、この一重咲は花が散った後に、子房が膨らんで種子を生らせる。乾燥させた梔子の実は、水に戻せば淡い黄色の色をだすので、「きんとん」などの着色に現在も利用されている。

 昔は衣装の染色にも使われ、「謂わぬ色」と呼ばれる貴重な染色剤であった。
虚庵居士の想像だが、「梔子・くちなし」は「口無し」に通じ、「口無し」の実で染めた色が、もの「謂わぬ色」と呼ばれる所以に違いあるまい。

 残念ながら当時の衣装をみることは叶わぬが、梔子の実で染めた色調は、多分、写真に写る花芯の色に近いものだったと思われる。
「謂わぬ色」との呼び名には、古人の染色への拘りと遊び心が窺われて、興味深い。




           くちなしの香り聞きつつ花愛ずる

           齢(よわい)になるかも 我ら夫妻は


           くちなしが気の毒なるかな緑葉を

           虫に食われてなお花咲かすとは


           その昔くちなしの実で衣装染めて

           「謂わぬ色」とぞ呼ぶぞおかしき


           梔子の木の実の色を人々は

           なぜに斯くまで求めて已まずも


           我妹子(わぎもこ)も梔子の実を狙うにや

           調理に活かす心づもりか






「珊瑚樹の白花」

2014-06-28 00:23:10 | 和歌

 今年もまた珊瑚樹の白花が咲いた。花付は、例年になく数が多いようだ。

 数えたこともないが、一房に群れ咲く小花の数はどれ程だろうか。三次元に拡がった花房ゆえ、ざっと目見当だが千個ほどにもなろうか。

 掲載した写真は、満開前、七分咲の頃のものだが、それでも花房の存在感はかなりのものだ。

 「うつろ庵」の珊瑚樹は生垣仕立ゆえ、徒長を防ぎ、枝葉を透かせる剪定を繰り返していても、これだけの花房を付けて呉れた。
そんな手入れをせずに放置した立木では、花房が樹木を覆う例も時に見かけるが、緑葉に浮かぶ程度の房数が、観てもゆとりを感じさせて好ましい。自画自賛との声も聞こえそうだが、よろず侭ならぬ此の世では、せめて生垣くらいは住み人の好みに仕立てたいものだ。

 さは申せ、珊瑚樹の生垣の手入れは、並大抵の努力では鑑賞に堪える生垣を維持できないのが、辛いところだ。精力旺盛な珊瑚樹は忽ち徒長するので、かなり頻繁な剪定が必要だ。加えて肉厚の緑葉は、虫たちにとっては食欲をそそるご馳走だ。虫に食われ、穴だらけの葉は見るに堪えないので、消毒も欠かせないのだ。

 手の掛る珊瑚樹だが、初秋になれば見事な血赤珊瑚の実房が愉しみだ。




           律儀にも梅雨到来と時季あわせ

           珊瑚樹咲くかな白妙の房に


           花房に幾つの小花が咲くならむ

           米粒ほどのあまたの小花よ


           小粒なれど五弁の花びらそれぞれに

           蕊立ち上げて歓喜の笑みかな


           花房に集まる蝶や蜂達は

           花粉で装う 饗宴なるかな


           手の掛る珊瑚樹なれども秋立てば

           血赤珊瑚の実房のお返し






「馬堀自然植物園 その3」

2014-06-26 00:07:06 | 和歌

 自然植物園では、起伏に富んだ山道を辿ると思わぬものに出会った。

 足元に、「胡桃」の殻が転がっていた。
山道を外れ、手付かずの山肌に足を踏み入れれば、胡桃の実がたくさん転がっているに違いあるまい。三浦半島では殆どお目に掛れないが、虚庵居士の郷里・信州では胡桃の木をよく見かけ、胡桃の実が沢山落ちていた。ご存知のように胡桃の実は脂質が約70%にも及び、ビタミンやミネラルに富む貴重な食材だ。



 山道の脇の樹の幹には、「蝸牛が沈思黙考中」 であった。
かなり大きめの蝸牛だったので、子供達が見つけたら、きゃっきゃと大喜びで捉まえるに違いあるまい。子供達にとっては、遊びながら自然に接し、お勉強が出来る素晴らしい環境の自然植物園だ。



 大木が倒れて、朽ちかけていた。
周辺が若干開けているのは、大木が倒れる際に木々をへし折り、自然に出来た空間であろう。根元が人手でカットされた気配だが、山道を確保するためにやむを得ず、手を加えたものであろう。谷底にも倒木が見えたが、山道から遠く離れているので、そちらは倒れたままの姿で放置されていた。自然の在るがままの姿とはどの様なものかを、学童は自らの眼で確かめ、様々なことを具に観察し、学ぶことであろう。

 深い山を廻り、山裾に降りて来た。
細い路に沿って流れていた清流が、麓の池に流れ込んでいた。これまでに見て来た、鬱蒼とした巨木の世界とはまた別の、安らぎの空間があった。

 農薬や廃液などが一切混じらない、清らかな流れと池には、間もなく蛍が飛び交うことであろう。住宅地の「うつろ庵」から徒歩で三十分ほどのところに、素晴らしい自然の環境が保たれていることに、改めて愕き、感謝の散歩であった。


           山路来てふと足元に目をやれば

           胡桃が二つ爺を待つかな


           腰おろし胡桃と語れば懐かしき

           ふる里はるかおもほゆるかも


           山道の脇の樹の幹 目の前に

           沈思黙考 蝸牛かな


           山中に朽ちなむとする巨木かな

           手を添え己の ゆく末おもほゆ


           廻り来て麓の池の端に立ち

           次元の違う世界に浸りぬ 


           やがて舞う蛍を観に来む夕暮れに

           幽かな流れの水音聞きつつ






「馬堀自然植物園 その2」

2014-06-24 13:09:54 | 和歌

 勾配が険しい山道を息を切らせつつ、馬堀自然植物園の山を登った。
ほぼ頂上近く、「白樫の巨根」が山道を遮るかのように脚を伸ばしていた。

 巨根を回り込んだら名札が吊るされていたので、「白樫」の巨根だと判明した。
名札に依れば、白樫は別名・細葉樫、ブナ科・コナラ族。分布は本州の福島県以西~九州、朝鮮、中国。材は灰白色との解説であった。

 白樫と同じように、それぞれの樹木の名前と共に簡潔な解説が付記されているので、思わずお勉強させて貰った。

 馬堀小・中学校の学童たちは、名札の解説を丁寧にメモ帳に写し、教室に帰ってから更に別なお勉強に繋げるのであろう。

 そんな学童たちの姿を瞼に思い浮かべながら、山道を辿ると、山頂の尾根道では面白い光景に出会った。繁茂する樹木の根が絡み合って山道を覆い、雨水で表層の土が洗い流され、樹木の根が様々な模様を描いていて、目を瞠った。



 尾根道とは云え巨木が繁茂するこの山は、空を見上げれば枝が絡み合い、鬱蒼と茂った枝葉が高い天井をなし、足元では樹木の根が複雑に絡み合って、山全体を
堅固に守っているかの様だ。

 そう云えば、この地にはかつて陸軍重砲兵学校があったことを思い出した。
国を護る思いが、未だに山の樹木に受け継がれているかの様だ。

 陸軍重砲兵学校の名残りは、園内の山中に残された稜威神社の碑文に刻まれ、重砲の格納庫の遺構なども見られるが、それらの歴史を辿る物好きな男は今や誰もおるまい。

 絡み合った樹木を見て、山を守り国を護ることを連想し、陸軍重砲兵学校に思いを致すのは、ひょっとすると虚庵居士が最後かも知れない。


           白樫の巨根を跨ぎあれやこれ

           思いを廻らす散歩の爺かな


           息切らせ登り来れば目を瞠る

           樹の根の重なる尾根道なるかも


           見上げればスクラム組むらし繁茂する

           樹木の條々(えだえだ) 山を守るや


           かつて此処は 陸軍重砲兵学校

           ますらお育てた名残りの山かな


           絡み合う樹の根も枝葉も山守り

           国の護りを受け継ぐ心か






「馬堀自然植物園 その1」

2014-06-22 14:13:24 | 和歌

 「うつろ庵」から三十分程の距離にある、「馬堀自然植物園」を訪ねた。

 横須賀市立馬堀小・中学校と隣接した手付かずの広大な山林を、在るがままの状態で、学童や市民に開放している自然植物園だ。起伏に富んだ山の中に、ごく細い山道や階段を整え、生い茂る樹木にはそれぞれ名札を掲げ、国内の分布状況や利用法などをごく簡単に解説している。



 入り口の近くには、管理室を兼ねた展示・研修室があって、時には学童の授業にも利用されるのであろう。自然植物園に足を一歩踏み入れると、散り敷いた分厚い落葉がふんわりと心地よい。

 山道へ連なる細道の脇には、チョロチョロと清流が流れていて、歓迎のご挨拶が嬉しい。しばらく山裾の細道を辿ると、崖の下にポッカリと暗闇の洞窟が見えた。見ればその洞窟から湧水が流れ出ていて、ここが水源地なのだ。 フラッシュをセットして、岩を掘った洞窟の奥をカメラに収めた。



 洞窟の水源地を過ぎると山道は急傾斜になって、階段が続いていた。息が切れると、樹木の名札に目をやるのも大変だが、管理人さんは心得たもので、そんなところでは樹の名前だけが大書してあった。

 階段には落葉と共に、樹木の花も散り敷いていた。樹木に疎い虚庵居士ゆえ、何の花なのか定かではないが、「マテバシイ」の花であろうか。



 見上げれば、逞しい大樹が隣りの樹と枝を絡ませて立ち上がっていた。
「タブノキ」の名札には、樹の汁は「黄八丈」の染物に利用されるとの解説があった。八丈島には行ったこともないが、八丈島にもこの「タブノキ」が生い茂っていて、染物に利用されているのであろう。


           学校に続く裏山 学童の

           自然植物園とはお見事


           学童に倣って自然 植物園に

           足踏み入れてお勉強かな


           清流の水音に聞くご挨拶

           山の自然をお愉しみあれと


           樹の名札の 足元からの若芽みて

           大樹の梢の若葉を偲びぬ


           散り敷ける落葉・落花を踏みしめて

           山の自然と言葉を交わしぬ









「生垣の箱根空木」

2014-06-20 14:26:49 | 和歌

 「箱根空木」が生垣から乗り出して、咲いていた。

 白い花と淡いピンクの花が入り混じって咲くので、変化に富んだ雰囲気を醸しだす箱根空木だ。女性の衣装の、「付け下げ」の絵模様を見るような気分だ。

 一房の中でも紅白が入り混じるのは、不思議なことだ。草花はその株毎に、一種類の花で統一されるのが一般的だが、紅白の花を咲き分ける種類は、数少ないようだ。木瓜も、時により紅白の花を咲き分けるケースもある様だが・・・。

 植物学にはトンと疎い虚庵居士であるが、
多分花の色を司るDNAが不安定で、何かの条件次第で一つのDNAが+になったり、或いは-に変化したりする結果ではあるまいか。箱根空木はその様な不安定なDNAを持っているので、紅白入り混じり、変化に富んだ花房を付けるのであろう。
人間様は結果的に、その変化を楽しませて貰っているのだ。

 住宅地では、箱根空木を庭木に植えて楽しんでいるが、箱根のお山では自生種にもよくお目に掛る。かつて箱根の旧道を登ったことが想い出された。道端や木陰に咲く箱根空木に出会って、ホッと一息ついたのが懐かしい。そんな一株を自宅の庭に移植したのが、園芸種の始まりに違いあるまい。




           生垣ゆ乗りだして咲く一枝の

           箱根空木は紅白咲き分け


           一房の中でも紅白咲分けて

           見事な演出 変化の妙かな


           いかにして箱根空木は紅白を

           咲分けるらむ お気に召すまま


           箱根越え山路を行けば木の間より

           小花覗けり箱根空木の


           山路来て息たえだえに腰下ろせば

           木蔭に咲くかな箱根空木は








「さつき」 と 「小判草」

2014-06-18 01:06:45 | 和歌

  遅咲きの「さつき」が咲いていた。
 横須賀の「さつき」は、五月の初旬から咲き初めて、中頃から下旬には満開となるが、六月になって咲くのはかなりの遅咲きだ。

 遅咲きの「さつき」が気になっていたが、「さつき」の花とじゃれるかの様に「小判草」が咲いているのに気付いて、カメラに収めた。

 うろ覚えで頼りない記憶だが、この小判草はヨーロッパが原産らしい。日本人の爺様にも面白い男が居て、この珍しい草を態々日本へ移入して、鑑賞用に愉しんだらしい。

 何時の間にかそれが野生化して、たまたま遅咲きの「さつき」とじゃれ合っている姿を、虚庵居士も愉しませて貰っている次第だ。

 幾世代を経てのご対面かは知る由もないが、この様な「オモロイ」草に興味を抱き、態々ヨーロッパから移入した先人の感性と、遊び心には感服だ。

 草花の名前に、「小判草」との命名も気が利いているではないか。
ごく細い茎に吊り下げられ、如何にも重そうに穂を垂れている姿も、小判の重さを連想させて、抜群の命名だ。




           遅咲きの皐の花に目をとられ

           気付くに遅れぬ小判草どの


           ごく細き茎に小判を吊るすとは

           こうべを垂れる小判草かな


           そよ風に重き小判の穂を揺らせ

           さつきにじゃれる小判草かも


           小判草 そ文字はおなごか嫋やかに

           しなだれかかる仕草は艶やか


           斯くばかり心くすぐる草なれば

           遊び心の移入を讃えむ








「十字草」

2014-06-16 00:48:16 | 和歌

 梅雨時は「十字草」が一斉に咲いて、目を楽しませてくれる。

 木蔭など半日陰が大好きで、地下茎で繁茂するので、一般的には雑草の扱いで「どくだみ」と呼ばるが、可憐な花に相応しい「十字草」の呼び名に軍配を上げたい。

 ところが「白十字の花が咲いて」と思いきや、この花弁風の部分は総苞片と呼ばれ、中心の花を包む働きをするのだという。蕊の様に見える部分が小花の集合だというから、いとも簡単に騙されていたのだ。

 雑草よろしく身近な存在だが、この草の持つ極めて広範囲な薬効が漢方では高く評価され、葉も茎も根もいわゆる全草として利用され、「十薬」の名前で親しまれている。

 虚庵居士は加齢とともに発汗と汗疹に悩まされ、シッカロールが手放せなくなった。そんな折、知人から「十薬の日陰干し」の効果を伝授された。

 少量をタオルに包んで風呂に入れるか、「十薬」を浸したお湯で、患部をそっと拭いなさいというご忠告であった。早速試みたら、効果テキメンだった。今年も庭の「十薬」を抜き取り、ガレージに吊るして日陰干しを確保した。これからは汗ばむ日が続くので、「十薬」が欠かせぬ毎日になろう。




           可憐にも清楚な花を「ドクダミ」とは

           「十字草」との呼び名もあるに


           白十字の可憐な花と思ひしに

           蕊の姿に 小花は群れ咲く 


           様々な薬効ゆえに「ドクダミ」と

           はたまた「十薬」 思いを籠めしか


           いと痒き汗疹の悩みに「十薬」の

           救いを頂く爺の夏かな






「梅花空木の花蜜」

2014-06-14 14:56:39 | 和歌

 「うつろ庵の梅花空木」が、沢山の花をつけてほゞ満開だ。



 梅花空木の花は、小ぶりの五弁の花だが、かたまって花を付けるので、かなりの存在感がある。様々な緑で埋まった
庭では、白い梅花空木がポッと浮き出した様に見える。

 この梅花空木は、「うつろ庵」の庭に根をおろして三年目だ。
初年度の一輪だけの開花にも感激であったが、咲き誇る様に咲いた今年は、また別の歓びを齎せてくれた。

 朝のご挨拶で顔を近づけたら、仄かな気品ある香りが応えてくれた。清楚な花の表情と合わせて気品ある香りが、わたしも「うつろ庵」の住人よ、と誇っているかの様に感じられた。

 そんな会話のさ中に、蜂であろうか或いは虻であろうか、花芯に取りついて花蜜を懸命に吸っていた。
花蜜に命を託す昆虫と、蜜を提供しながら受粉を援けられる梅花空木の自然の営みに、あれこれ想いを廻らす虚庵居士であった。
ほんの些細なことに悦びを感じられるのは、冥境に近づいたということであろうか。




           様々な庭の緑に浮き出だす

           梅花空木の白き花かも


           五・六輪 頬寄せ合って綻ぶに

           乙女等笑うその声聞かまし


           毎朝のご挨拶せむと頬寄せれば

           清しく香る 梅花空木ぞ


           白妙の梅花空木の花蜜を

           黒蜂からだを折りて吸うかな






「テラスの白薔薇」

2014-06-12 00:14:29 | 和歌

 「うつろ庵」のごく狭いテラスには、手作りのテーブルが据えてあるが、日除けの
簾と合わせて、白薔薇が恰好の日除け代わりだ。

 簾の下からロープを伸ばして簾を斜めに引っ張り、ロープの端を庭木に結べば、
素敵な空間が確保できる。庭の花木を眺めつつそよ風が自由に吹き抜け、陽射しは遮られているので、ご機嫌なランチテーブルが確保できるのだ。
真夏を除き、初夏と晩秋までのかなりの期間に亘って、グラスを傾けつつテラスでのランチや夕食を楽しむ虚庵夫妻だ。

 そろそろ蚊が発生する時節になるが、どうした訳か「うつろ庵」の蚊は虚庵居士だけに寄り添って、接吻を繰り返すのだ。「うつろ庵」の蚊はメスだけなのだろうか・・・。
呑兵衛の虚庵居士の体からは、アルコールの香りが漂うのであろうか、虚庵夫人は殆ど刺されず、攻撃の対象は専ら虚庵居士だから防御には入念だ。テラスの四隅に蚊取り線香を配し、蚊を寄せ付けない聖域を確保するのだ。

 「テラスの白薔薇」が、いつの間にか蚊遣りの話に切り替わったが、白薔薇の木陰を背にして、グラスを傾ける虚庵居士をご想像あれ。




           白薔薇の木陰を背に受けテラスでの

           ランチをたのしむ虚庵じじかな


           白薔薇と簾の日除けのお援けで

           テラスは変わりぬご機嫌空間に


           緑なす庭の花木もそよ風も

           テラスの食事の気の合う仲間か






「ブロック塀のオキザリス」

2014-06-10 00:58:17 | 和歌

 隣町の住宅街を歩いていたら、ブロック塀の窓からオキザリスが顔を出して、
はにかみ乍のご挨拶が印象的であった。

 ブロック塀は何の変哲もない無味乾燥の構築物で、考案した人間も、それを利用する住民の気も知れないが、そんなブロック塀の小窓からオキザリスの可憐な小花が覗いていて、ほっと救われる思いであった。

 ブロック塀の内側には多分鉢などが置かれていて、その鉢に根付いたオキザリスが、ブロック塀の小窓から乗り出したに違いあるまい。無味乾燥のブロック塀に、たった一株のオキザリスが顔を覗かせて呉れるだけで、ブロック塀は生気を得たのだ。

 願わくば、ここのお宅の住民もそれに気づいて、水やりなどほんのチョットだけ可愛がってやって欲しいものだ。道行く人々も、「あらステキ」などと声をかけて下されば、オキザリスも生気を保って呉れるに違いあるまい。

 一般社会の反応や、子供の在りのままの反応を見るにつけ、外部の人間の何の気なしの発言が、思わぬ効果を生むケースが間々ある。殊に子供のやる気を惹き出すには、ホンの一寸した褒め言葉が意外な効果を生むものだ。

 ブロック塀の外での「ステキ」のひと言が、変化のキッカケをになるかもしれない。




           ブロックを積み上げただけの塀に沿い

           苦虫顔で 歩む爺かな


           ふと見ればブロック塀の小窓から

           身を乗り出してオキザリス咲く


           あらステキ我妹子の声 立ち止まり

           小花と語らふのどかなひと時 


           ブロックの無味乾燥の塀なれど

           たった一株 小花の生気は






「檸檬の開花」

2014-06-08 12:08:55 | 和歌

 「うつろ庵」の檸檬(レモン)の花が咲き、幾つかの実を付ける期待が高まった。

 レモンの実が六つほどなった鉢植えの苗木を、虚庵夫人が抱えて意気揚々と帰宅したのは昨年のことだった。最近の果樹の苗木は、殊にレモン等は果実が生らないケースも間々あるので、「これ此の通り果実をつけますよ」 との証しのために、最近はレモンが生ったまま販売するのが常らしい。



 「お蜜柑大好き・レモン大好き」の虚庵夫人にとっては、自宅の庭の木からレモンをもぎ取って、食卓に出すのが夢だったので、近くの花屋さんでレモンが生ったままの苗木を見て、躊躇することなく購って来たのだった。

 「うつろ庵」には甘夏の木がかなり大きく育っていて、「大収穫」(←クリックで表示)の年もある。また、「うつろ庵の甘夏」の花もかつて掲載したので、併せてお楽しみ 頂きたい。

 「レモンの花」の莟は、ご覧のように薄紫色を帯びているが、甘夏の花は純白だ。
何れも枝先に沢山の莟を付け次々に咲かせるので、かなりの期間に亘って目を楽しませてくれる優れものだ。

 6月に入ったら”June drop”の言葉通り、可愛い実を自ら次々と落果させ、残りの 果実への栄養補給をコントロールするのだ。その素晴しい統御能力には脱帽だ。
「うつろ庵のレモン」は幾つほどが残って、テーブルを飾って呉れるのだろうか・・・。




           笑み湛えレモンの苗木を抱え来し

           我妹子(わぎもこ)の胸にレモンは踊りぬ


           蜜柑好きレモン大好き我妹子は

           庭のレモンをもぎ取る夢みて


           枝先にあまたの莟と花付ける

           レモンの期待を若木に託しぬ


           六月の声きくこの頃ジューンドロップか

           あまたの落果にこころ乱れぬ






「薔薇のポプリ」

2014-06-06 00:18:44 | 和歌

 略一月ほど前に、「うつろ庵の紅ばら」をご紹介したが、この薔薇は咲き初めてから
既に二ヶ月ほども愉しませて貰った。 
珊瑚樹の生垣を越えて、滾るような咲振りは毎年のことながら見事であった。

 素晴らしい薔薇の香を多くの皆さんに愉しんで貰いたい、道行く人々に香りのお裾分けをしたいと願って、生垣の外に篠竹を立て、竹篭に薔薇の花びらを入れて吊るした。

 竹篭に添えた紙片の落書に、「ばらの香りのお裾分けです」と認め、その裏に一首を添えた;

   舞い散るも
   なお香しき花びらの
   こころを受けまし
   御足とどめて
 

 そんなお遊びを重ねて来たが、散り敷く薔薇の花びらは、たちまち竹篭が一杯になるので、適宜花びらを新聞紙の上に拡げて、乾燥ポプリをつくった。

 散り敷いたばかりの花びらの色は誠に鮮やかで、純粋無垢の香りが素晴らしい。



 花びらは風に飛ばされるので、玄関の花梨材のフローリングに新聞紙を開き、薔薇の新鮮な花びらを拡げた。外出先から帰宅し、玄関の扉を開ければ素晴しい芳香が立ち上り、暫し陶然と立ち尽す虚庵夫妻だった。

 薔薇の花びらは、芳香を発散しながら表情も色合いも毎日変化させつつ、徐々に乾燥する。乾燥の程度に沿って、花びらの香りも微妙に変化するので、移りゆく香りの変化もたっぷりと堪能させて貰った。

 略乾燥した手づくりポプリは、かなりの量になった。
孫娘のりかちゃんや、海の向こうのキャメロン君にも、薔薇の香のお裾分けを送ることにした。序でに、日頃ご無沙汰に打ち過ぎている遠くの兄弟姉妹にも、早めの暑中見舞いを兼ねて送ったら、年老いた兄からさっそく電話があって、久し振りに兄弟の会話を愉しんだ。薔薇のポプリの思わぬ効用に、感謝の虚庵居士であった。




           紅の滾り燃えたつ薔薇の花の

           高貴な香りにいとど痺れぬ


           香り立つ薔薇の香のいと惜しく

           散り敷く花びら篭に収めぬ


           生垣を越えて花咲く薔薇の香を

           せめて召しませ篭に収めば


           竹篭の薔薇の花びら忽ちに

           溢れるほどに風に散り敷く


           竹篭に溢れる薔薇の花びらを

           ポプリにせむと香りに酔うかな






「万歳蘭」

2014-06-04 10:44:29 | 和歌

 「厚葉君が代蘭」の名前を忘れていて、思い出すのに難儀した。

 葉の姿は、大勢の若者が腕を挙げ、「万歳」をする姿が連想される。
「君が代蘭」の名前のイメージと「万歳」が何時しか混同して、虚庵居士の頭の中ではいつの間にか、「万歳蘭」との名前が出来上がっていたのだ。



 真っすぐに立ち上がった花茎から枝を出して、ふくよかな花が群れて咲く姿は、華やかさの中に尊厳さを感じさせる。 多くの人々が姿勢を正し「君が代」を斉唱する様を、この花は名前に頂いたのだろうか。

 昨今の義務教育の世界では、一部の教員の偏った主張で、入学式や卒業式などでの国旗掲揚や、国家の斉唱が制限されているのは由々しき事態だ。

 国旗や国歌が使われるのは大相撲やオリンピック等に限られるが、次世代を背負う若者達に、「日本」という国家を正しく認識させるには、日頃からの教育が肝心だ。中学校の正門近くの校庭に、「厚葉君が代蘭」が植えられていたのは、そんな教育現場の現実に反省を求めた、無言の教材かも知れない。

 世界で日本が勝ち抜くためには、産業技術を柱にした経済活動を逞しく展開することが大切だが、グローバルな活動では企業としての経営戦略と共に、常に国家意識を正しく持つことが大切だ。中露米仏などの国の指導者や、トップビジネスマンの抱く強い国家意識は、学校教育を経て培われていることを改めてかみ締めたいものだ。

 「厚葉君が代蘭」の名前につられて横道に逸れたが、日本国に「万歳」をする機会を、スポーツだけでなくもっともっと殖やしたいものだ。




           真っすぐに花茎のばしふくよかな

           白花咲かせる 厚葉君が代蘭は


           身を正し厚葉君が代 蘭の花は

           国歌斉唱 万歳三唱


           万歳の姿を思い何時の間に

           花の名前も 「万歳蘭」とは


           はからずも厚葉君が代 蘭の花に

           教育現場の「国家」を憂ひぬ


           校庭の厚葉君が代 蘭の花に

           日本の国の次世代託しぬ






「西窓の木漏れ日」

2014-06-02 14:57:21 | 和歌

 「うつろ庵」の居室の、「西窓の木漏れ日」をご紹介する。
夏の陽射は厳しいので、珊瑚樹の生垣を立ち上げ、日除けを兼ねて居室の西窓を木の葉で覆い、木漏れ日を愉しむ虚庵夫妻だ。

 この写真では明暗が強調されているので、居室が洞窟の中の様な印象を与え兼ねないが、木漏れ日により程良い明るさが保たれ至極快適だ。隣の部屋はダイニング・キッチンが続いているが、そちらの西窓も珊瑚樹の木の葉の効果を最大限に生かして、老夫妻は至極ご満悦だ。

 間もなく酷暑の夏を迎えるが、「うつろ庵」の二階には南も西も簾を固定して設え、南側のテラスは巻き上げ式の簾を設置した。日除けの下で、涼風を頬に感じながらテラスでのランチはご機嫌だ。

 部屋を閉め切って冷房に頼る様な生活は、出来ればご勘弁願いたいとの思いから、可能な限り日除けを活用し、そよ風を受け入れる健康な日常生活を送りたいと 願うこの頃だが、その一端をご紹介した次第だ。

 窓辺に置いてあるステンドグラス付のスタンドは、娘夫妻がニューヨークから持参した結婚記念のスタンドだ。点灯して、ステンドグラスの幻想的な姿を併せてお見せすればよかったと、反省しつつ・・・。




           西窓を覆う木の葉の木漏れ日に

           こころの寛ぎいただく日々かな


           日除け兼ね珊瑚樹立ち上げ西窓を

           覆えば木漏れ日 見るも涼しく


           緑葉と簾をあまた身にまとい

           夏の備えの「うつろ庵」かな


           木漏れ日とそよ風味方にこの夏も

           のどかに過ごさむ歌を詠みつつ


           さはあれど失う信頼 原子力を

           忘れぬ日々かな微力なれども