「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「庭木・街路樹の実 - もちの木」

2015-12-30 01:02:26 | 和歌

 「うつろ庵」の近くには、桜や銀杏・欅などの大木が沢山植えられた公園があって、子供達も住民も四季それぞれの風情を堪能している。公園脇の道路の両側の歩道には、「もちの木」の粋な並木が連なり、この季節には赤い実が住民のご自慢だ。



 小粒の赤い実は、小鳥たちの恰好なご馳走だが、皮肉なことに「もちの木」の樹皮が、鳥を捉える「鳥黐(とりもち)」の原料だと知ったのはこの頃だ。ゴム状の「鳥黐」は粘着力が強力で、かつては野山の小鳥を捕えるのによく使われたものだ。

 最近では野鳥保護の観点から、古来からの「鳥黐」も、近代的なカスミ網も使用禁止だと聞き及んでいるが、虚庵居士の子供の頃の原始的なお遊びが、懐かしく想い出される。

 「とりもち」を塗った竹竿を手に持ち、トンボやセミなどが簡単に捕れた。
時には近くの雀を狙って、息をころして棹先をそっと近づけるのだが・・・。 間一髪のところで、「パッ」と雀に逃げられるのが常だった。子供の頃のことゆえ、「もちの木」の存在そのものも、「とりもち」は「もちの木」の樹皮から造ること等も、知らなかったのは云うまでもないことだが。

 粋な「もちの木」の赤い実のご紹介が、「とりもち」のご紹介になり、遠い昔の子供のお遊びの話に切り替わったが、「遊びをせんとや生れけむ」とは、子供の頃から変わらぬ虚庵じじの姿そのものである。


               お散歩の初めは何時ものゴアイサツ

               「もちの並木」の紅の実に


               植木屋の大胆極まる剪定に

               赤い実房は 諦めにしが


               逞しき「もちの並木」ぞ枝葉伸ばし

               たわわの実房で期待に応えぬ


               紅の実は小鳥たちのおゴチソウよ            

               やがて賑やかな並木にならむか    


               竹竿に「鳥もち」塗ってのお遊びを

               懐かしむかな「もちの木」見上げて


               鳥達が好んで啄ばむ「もちの木」ゆ

               小鳥を捕える「鳥もち」造るとは






「庭木・街路樹の実 - 万両」

2015-12-27 14:31:20 | 和歌

 「うつろ庵」の玄関先に置いた万両の鉢植えが、雨に濡れて雫を湛えていた。
ゆっくりと昼食を摂ってからカメラを携えて玄関にでたら、キラキラと輝いていた雫は乾燥して消え失せ、誠に残念だった。



 二週間ほど前に「千両」を掲載した際に、「時には小鳥たちの置き土産から、思いも掛けない可愛い芽生えがあったりして、じじ・ばばを狂喜させることもある」と書いたが、この万両は将に「小鳥の置き土産」なのだ。

 「うつろ庵」には、謂わば小鳥の寛ぎの庭木が数あるが、そんな木の根方に何時の間にか万両が芽生えていた。 万両は徒長しないので、「其の侭お気軽にどうぞ」と暫らくは放置してあった。 赤い実を付けたので二株を鉢に移植し、置き場所を時々変えて愉しませて貰っている。

 面白いことに、鉢を置く場所を替えれば、その都度万両は表情を変えて、じじ・ばばを愉しませて呉れる。万両の容姿が変わる筈はないのだが、置かれた場所の雰囲気により、観る者の受け止め方が微妙に変わるのであろう、如何にも表情が変わったように観えるから不思議だ。 そんな些細なことであれ、お遊びに代えて愉しむのがこの頃の虚庵夫妻だ。
 

               雨に濡れ雫を湛えた万両の

               風情を逃しぬランチの合い間に


               小鳥たちの寛ぐ庭木の足元に

               万両芽生えぬ小鳥の土産か


               芽生えにし万両若木に 「お気軽に

               其の侭どうぞ」と 囁く妹子ぞ


               暫らくは庭木の根〆に放置すれど

               鉢に植え替え 赤実を愛でむと 


               時どきの気分に応じて置き場所を

               替えれば万両 表情豊かに


               朝な夕な万両実房のご挨拶は

               小粒の輝き 雨の雫も






「庭木・街路樹の実 - シャリンバイ」

2015-12-25 01:50:34 | 和歌

 横須賀の椰子並木には、様々な背の低い根〆が植えられているが、常緑灌木のシャリンバイもその代表格だ。秋から冬にかけて黒い実がなるが、道行く人々はごく地味な「サリンバイの実」には殆ど関心が無い様だ。



 小鳥たちに啄ばんで貰うには、赤や黄色などの目立つ色の実を付けるのが普遍的だが、黒色の実は鳥の助けに頼らずとも、種の保存が可能だと云うことであろうか。熟した実が落ちて、発芽する可能性が高いに違いあるまい。

 シャリンバイの実を改めて観察すれば、ふくよかな果肉を湛えているので、熟した実が落ちた際に、種の発芽を促す養分を果肉が供給して、発芽しやすいのだろうか。植え込みがかなり混んでいるのは、その様にして若木を自給自足出来ている証しかも知れない。

 5・6月ころ咲く花が、年末にも拘わらず所々に咲いていた。時期外れの花ゆえ、些か気の毒な容姿ではあるが、厳しい自然の試練に堪えて咲く花の姿にこそ、シャリンバイ(車輪梅)の真の逞しさが見て取れるように思われた。


             黒々とふくよかな実をあまたつけて

             落ち着く風情のシャリンバイかな


             くすむ葉に埋もれて目立たぬシャリンバイの

             実は黒くして何の謂いかな 


             小鳥らの啄ばみなどには期待せず?

             目立つ色など関心御座らぬと


             ふくよかな実にしござれば地に落つも

             芽吹きの養分 蓄え十分


             冬至過ぎ返り咲くとはシャリンバイの

             小花ちらほら試練に堪えつつ


             シャリンバイの誠の根性「逞しき」

             華やかさなど見向きもせぬかも






「庭木・街路樹の実 - ピラカンサ」

2015-12-19 12:07:29 | 和歌

 何時もの散歩道に、ピラカンサの実がすき間も無いほどにビッシリ生っていて、目を瞠った。 小粒の実ではあるが、それぞれが押しつぶされる程に密集して、岩の塊を連想させる程だが、紅緋(べにひ)色が誠に鮮やかだった。



 やがてこのピラカンサの実も、小鳥たちにとっては掛け替えのない「自然のご馳走」になることだろう。 5年程前の春先、「ピラカンサ」(←クリックにてリンク先が開きます)
の白花に寄せて、小鳥たちのそんな情景を書いた一文を掲載したので、併せてお楽しみ頂きたい。 

 様々な樹木が、それぞれに独特の木の実を付けるが、それにしてもこのピラカンサほど実が密集して付くのは類い稀なことだ。

 樹木の実は、子孫への命の伝達として無くてはならない自然の摂理だが、小鳥達に生きるための糧を提供しつつ、自らの子孫繁栄のお手伝いを小鳥たちに託す、謂わば持ちつ持たれつの関係だ。しかしながら、ピラカンサは何故これ程多くの実を付けねばならぬのだろうか?  

 樹木の専門的な知識が無い素人の推量だが、事に依るとピラカンサの実は発芽の確率が、他の樹木に比べて著しく劣るのかもしれない。殆どが発芽せずに朽ち果てるその弱点を補うべく、数限りない沢山の実を付けて、万が一にでも発芽して呉れればとの期待を籠めたものかも知れない。その様に考えれば、ピラカンサの種の保存の無言の努力には、頭が下がる思いだ。これだけ沢山の実を付けたピラカンサの木の下に、若木が芽吹き育っている姿を見かけないのは、そんな事情の証しかも知れない。ご専門の方のご意見・ご指導が頂ければと期待する。

 
             目を瞠るピラカンサの実の過密かな

             粒々の実は潰れはせぬかと


             鮮やかなピラカンサの実の紅緋かな

             数多の小粒は色を違えず              


             小鳥らはたわわなご馳走啄ばむを

             我慢の日々なれ熟しを待ちつつ


             何ならむピラカンサの実のご馳走の

             美味の判断 小鳥の見分けは


             やがて聞かむ小鳥の宴の賑やかな

             歓喜の鳴き声 様々な声を






「庭木・街路樹の実 - 千両」

2015-12-12 00:57:34 | 和歌

 晩秋から初冬にかけては、庭木や街路樹の実が目を愉しませてくれる。
「うつろ庵」では蘇芳梅の根元に置いた、鉢植えの「千両」が見事な紅の実をつけて、朝な夕なに虚庵夫妻にご挨拶をしてくれるこの頃だ。



 千両の実は、雀や小鳥たちにとっては冬の恰好なご馳走で、彼・彼女らの群れに目を付けられれば、あっという間に丸坊主になることも間々ある。そんな被害予防に、レースのカーテン風ネットをすっぽりと被せて、せめて正月までは紅の実を保ちたいと、心配りするお宅もあるほどだ。頬かむりした千両の、哀れな姿をご想像あれ。

 「うつろ庵」では総て、在るがままが原則だ。
小鳥たちも狭い庭のお仲間として、「啄ばむのも遊ぶのもご自由に」が原則だから、千両も南天の実もかなり早い段階で消え失せる。だが、時には小鳥たちの置き土産から、思いも掛けない可愛い芽生えがあったりして、じじ・ばばを狂喜させることもあるから、小鳥達とは持ちつ持たれつのお仲間なのだ。


             紅の小粒のかずかず寄り添えば

             みどり葉大事に捧げる風情ぞ


             紅の見事な実房は千両の

             値打ちと古人は名前にとどめぬ


             小鳥らの啄ばみ避けむと頬かむり

             させるは余りに哀れならずや


             小鳥らが啄ばみから穂になりたれば

             もてなし「千両」と お誇りなされ


             朝な夕な千両の実房のご挨拶に

             じじ・ばば頷き 「あいさつ」 返しぬ






「私家歌集・雪柳」の上梓

2015-12-08 21:32:24 | 和歌

 皆様の日頃のご愛読に感謝申し上げます。
本年3月末より11月末までの間、ブログ「虚庵居士のお遊び」に掲載して参りましたショートエッセーと和歌を、此度、「私家歌集・雪柳」としてCD版にて上梓致しました。



 「雪柳」は私家歌集として上梓しましたので、書店販売は致しておりません。
ご所望の方はメール kyoankojicd@yahoo.co.jp宛ご連絡をお願いします。定価500円

 ブログ「虚庵居士のお遊び」は皆様にご愛読いただき、本日現在でご来訪頂いた方々の累積は235,484人、お読み頂いた作品数は2,252,866頁(1作品1頁)にも及びました。 改めて皆様方の温かなご支援に感謝申し上げます。
                        
                                  虚庵居士 頓首




「返り咲きのヒマラヤ雪の下」

2015-12-06 16:00:07 | 和歌

 寒気が厳しさを増すこの頃だが、広島は小春日和がつづいたのだろうか?
返り咲き「ヒマラヤ雪の下」の写真をお送り頂いた。皆さんへもお裾分けします。


                          撮影とご提供 片岡勝子様

 今年の春先に「うつろ庵」に咲いた「ヒマラヤ雪の下」をブログに掲載したので、
溯って調べたら3月8日であった。    (↑クリックするとリンク先が開きます)

 人間は、殊に歳を重ね老境に入った虚庵居士などは、月日や物事に拘りが強く、シーズンを外れた行動や発想は侭ならぬこの頃だ。 気温変化に柔軟に反応した 「ヒマラヤ雪の下」の返り咲きには目を瞠り、無言の訓を頂いた。

 ともすると固定観念に捉われた言動が、虚庵居士に限らず多く見られるのが気にかかる。新聞報道やテレビでの発言でも、何故もっと物事を柔軟に捉えられないものかと批判したくなるケースが間々見受けられる。別の視点に立ち、発想の原点を替えたらどうかと指摘したくなるのだが・・・。

 師走の初めという暦の月日に捉われず、気温や日照時間などの環境条件を敏感に感じ取って、生命の限りを尽くして可憐な花を咲かせた「ヒマラヤ雪の下」に、感激だ。「返り咲き」などと云う固定観念に蓋をして、こころからの拍手を贈りたい。


           母ならめ緑の大葉は稚けなく

           咲き初む小花を抱くが如くに


           小春日の続きにけらしも返り咲く

           ヒマラヤ雪の下 歳の瀬なるに


           陽だまりの恵みを享けて日短に

           花咲かすとはヒマラヤ雪の下は


           こつこつと花咲く備えを重ねるや

           小春日和に一気に咲くには


           いま暫し寒気襲うを控えてよ

           せめて莟の開ききるまで






「赤まんま」

2015-12-04 13:13:33 | 和歌

 散歩道の端に、「赤まんま」の花穂が微かに揺れていた。
田舎育ちの虚庵居士には、幼児の頃の「おままごと」が懐かしく想い出された。花穂をしごいて小さな粒々を貝殻に盛り、女の子が「御赤飯をどうぞ」などと差しだすと、「赤まんま、いただきます」と小さな手で受けて遊んだものだ。



 「赤まんま・犬蓼」とよく似た「蓼藍・だてあい」も、身近な野草だった。当時の母親は、専ら「蓼藍/別名・藍」を採取して、染物に使っていたのが懐かしい。

 母は家事の合間に糸を紡ぎ、布を手織りして染色し、洒落た着物を仕立てるのが趣味だった。醗酵させた藍汁を鍋で沸し、布を見事な青色に染めた。所々に糸で絞りを作って染めると、洒落た模様が染め上って、子供ながらに見事なものだと感心したことが想い出される。

 そんな余技を愉しんだお袋さんだったが、虚庵居士は夙にお袋さんの歳を越えて、様々なお遊びを愉しむこの頃だ。 お袋さんから受け継いだ「お遊び」の心は、この ブログ「虚庵居士のお遊び」の原点でもあろうか。狭い「うつろ庵」の庭は、虚庵夫妻にとっては掛け替えのない「お遊び」の場であり、二人して心からの寛ぎを頂く貴重な空間でもある。

 「青は藍よりいでて、藍より青し」とは古来よりの俚諺だが、お袋さんの「藍より青し」の野草染めの遊び心が、虚庵居士に受け継がれ、益々「醗酵」してる現実は、将に「遊びをせんとや生まれけむ」を地で行く、この頃の爺と婆様だ。


           道端に「赤まんま」見つけ声あげぬ

           幼児のころの「おままごと」なつかし


           庭先の「むしろ」のお座敷 貝殻に

           赤まんま盛り「お赤飯どうぞ」


           元気かな? 幼児のお仲間「たけちゃん」や

           おなごの「なおちゃん」偲ぶかな


           大なべにあい汁煮たてて染める母の

           囲炉裏のお仕事 飽きずに見つめぬ


           湧水のお池ですすぐ染物の

           見事な青色 まぶたに残りぬ


           母さまのお遊びうけて虚庵居士も

           遊びの名手になりにけるかも






「初椿」

2015-12-02 01:07:31 | 和歌

 山茶花が咲き誇る晩秋だが、師走の声と共に「初椿」の写真を頂いた。
絞入りのおおきな花びらを拡げた容姿は誠にお洒落で、初椿に見惚れるばかりだ。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 椿の品種を確かめようと「椿図鑑」をひも解いた。
「絞系・一重咲き」の分類で、何と250種以上が登録されていた。数種類の良く似た品種に辿り着いたものの、残念ながら特定できるところまでには至らなかった。

 同じ絞系でも一重咲き以外では八重咲き・唐子咲き・牡丹咲き・獅子咲き・千重咲きなど6種類の分類に整理されていて、絞系の椿だけでもざっと1000種以上にも及ぶことを知って、唖然とした。更に8種類にも及ぶ花色・花形別の分類を重ねると、椿の品種数は気の遠くなるような膨大な数になる。

 椿をこよなく愛し、品種改良を重ねた先人の努力の結晶は、品種の膨大な数となり、またそれぞれの花の容姿を追い続けると、圧倒されるばかりであった。


           やわらかな陽ざしに包まれ初椿は

           寛ぐ風情ぞ絞りの衣で


           白妙にいと細かくも散りばめた

           絞りは乙女の衣を染めて


           かずかずの細かな絞りは恋文か

           衣を染めるは思ひのたけかな