「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「焚火の炎」

2013-12-30 00:10:02 | 和歌

 風のない夕暮れ、「うつろ庵の棺桶ベンチ」に坐して、焚火を愉しんだ。 暖かさと 共に、ゆらめく炎の千変万化に様々な思いが重なり、焚火の恵みを堪能した。



 住宅街の庭で焚火をするなどとは、防災上許されないとの非難を浴びそうだ。
昨今の自治体の条例や消防法などでは、焚火には厳しい管理が課せられ、万全の備えが求められているのが現実だ。自宅の庭とはいえ、煤煙や飛び火など、ご近所にご迷惑をお掛けすることがあってはならない。

 植木からの距離を十分に確保し、石畳の上に据えたバーベキュー・コンロの周辺には水を撒き、何時でも火を遮れる大きな蓋を傍に置き、バケツとジョウロに水を湛えての焚火だ。幸いにも「うつろ庵」の三方は、お隣さんと道路で隔てられているので、殆んどご迷惑が及ばない環境が、救いだ。



 万全の備えをしての焚火だが、屋内の暖炉や囲炉裏で薪を燃やすのとは、全く異なった趣がある。傍らには Hennessy のポケット瓶を置き、体の内外から温めながら暫しの瞑想に耽るのだ。

 ゆらめく炎は、まさに幻想的でものを想わせるが、燃え尽きた残り火もまた、別の世界を見せて呉れる。灰を冠った熾火が、互いに熱し、照らしあい、灼熱の空間が様々に変転する。時にはごく小さな火玉が星の様に輝き、アッと燃え尽きることもある。

 「うつろ庵の棺桶ベンチ」に坐し、そんな夢幻の世界に遊ぶ虚庵居士である。





           切り裂いた日除けのよしずは優れものよ

           薪への焚き付けお任せあれかし


           バーベキューをなすにはあらずコンロにて

           焚火を愉しむじじとばばかな


           じじばばが棺桶ベンチに寄り添いて

           愉しむ焚火は末期の姿か


           燃え盛り千変万化にゆらめくは

           炎の悶えかこころの悶えか


           燃ゆる火をみつめておれば何時しかに

           雑念消えにし夢幻の世界は


           ただ傍に居るだけでよし燃え盛る

           炎にこころのすべてを託して


           残り火に炎をしのべば灰冠る

           熾火は熱くこころを交わしぬ






「谷戸の風船蔓」

2013-12-28 12:58:22 | 和歌

 谷戸道の脇に、枯れた「風船蔓」が揺れていた。

 久しぶりに訪ねた谷戸道は、かなり急勾配だった。下を向いて一歩一歩登って来たが、息が切れてチョット立ち止まって休んだ。ふと目を上げたら、眼の前に風船蔓がぶら下がっていた。
 平地の住宅街に暮らす虚庵夫妻には、 
谷戸の住いには興味深いものがあるので、散歩のコースの一つに選んで時々訪れる 谷戸道だ。

 近くに迫った山の雑木林は、季節の変化に敏感に呼応して、目を愉しませてくれる。
住み人にとっては、掛け替えのない借景に 違いあるまい。 

 そんな山の自然に溶け込むかのような、
飾り気のない風船蔓だった。


 
 自然に恵まれた谷戸の住いは羨ましい限りだが、日常生活の町への買い物など、谷戸道の上り下りはさぞや大変であろう。若者にとっては何ら苦もない谷戸道だろうが、年寄りにはかなりの負担に違いあるまい。

 枯れた「風船蔓」に、住み人の老齢が案じられたのは、己がそんな老境に足を踏み入れたということであろうか。


           久方に谷戸道たどれば息切れて

           脇の枝葉に助けを求めつ


           立ち止まり息をつくかな 見上げれば

           風船蔓のご挨拶かな


           ジャングルか 風船蔓の絡みには

           真夏の緑の 「涼」をしのびぬ 


           谷戸道の雑木林に溶け込むは

           飾り気なしの 風船蔓ぞ


           ひっそりと暮らす姿をおもふかも

           谷戸の住いの老いたる夫妻を






「師走の八つ手」

2013-12-26 23:03:02 | 和歌

 朝夕の師走の寒気が、身にしみるこの頃だ。

 襟を窄め、身を縮めて前屈みに歩く姿が目立つが、寒気にも拘わらず、八つ手の姿には凛としたものが感じられる。 広い葉を拡げ、白い莟と花を咲かせる姿には、毎年のことながら多くの英気を頂戴する虚庵居士だ。

 これだけの寒気に堪える白い莟と花、そして大きな葉は、八つ手の身に蓄えられた自らのエネルギーが在ってのことであろう。
それに引き替え、日本のエネルギー危機はどうか?? 

 日本の窮状を憂う世界の識者の言葉に、耳を貸したい;
「日本はなぜエネルギー危機を背負込むのか? 原発の活用以外に道はない!」 
「化石エネルギーに頼れるのは、今世紀前半までだ! 日本は福島事故を活せ!」
「福島事故は人類の貴重な教訓だ。日本は原発再起動で、世界への貢献をせよ!」

 八つ手の逞しさにつられて、我が国のエネルギー安全保障の根源を憂う、識者の言葉が想い出された。 発言した方の記憶が定かでないのでご勘弁を願いたいが、やむにやまれず日本の窮状に苦言を呈した、彼らの思いを真摯に受け止めたい。





           手を拡げ寒気に堪える八つ手には

           生きる姿を今年も観しかも


           しろたえの莟と花とを吹き荒ぶ

           寒気に曝す八つ手に敬服


           厳しくも我が児に試練を与えるか

           師走に花咲く八つ手のこころは


           身を護り莟と花とを寒気から

           まもるは何ぞ 熱き思ひか


           熱きもの秘めにし八つ手に学ぶべし

           日本の乏しきエネルギー事情は


           事故を経てなおも世界の国々が

           日本に寄せる期待に応えよ


           識者らの厳しき言葉に耳を貸して

           行く末思ふ次の世代を






「山路の切り株」

2013-12-24 11:41:14 | 和歌

 稀にしか歩かない、山中の径を散歩した。

 住宅街を抜けて、次第に道路の傾斜が急になると、散在していた民家も殆どなくなって、山中の径は鬱蒼とした林につながっていた。さらに進めば、山の尾根を迂回するかのような平坦な径の脇に、木こりが二人、腰を据えて休んでいた。

 「こんにちは! ご苦労さまです!」 と声を掛けたら、爽やかな返事につづいて、
 「路の左側が崩れかかっています。足元に気を付けて!」 と、笑みつつの丁寧な応答だった。

 暫らく進んだら、ご忠告の崩れかかった箇所にさしかかった。
右側を注意深く通過した。その先の山路の脇に、巨木の切り株が見つかった。
先ほどの、二人の木こりが伐採した跡に違いない。



 巨木の切り株は、2ヵ所だった。
感心なことに、これだけの巨木を伐採した後では、太い幹や枝葉などは大変な量だったろうが、見事に片づけられていた。

 ゴルフ場などですら、コース周辺の大木を伐採した後始末は大変なので、殆どは谷底に積み重ねて放置するケースが多いが、それに引き替え、ここの伐採の後始末はお見事だった。クレーンやトラックなどの重機は一切使えない山中では、作業の全てが、彼等二人の人力によるものだったに違いない。 彼等の爽やかな応答と、木こりとしての誠実な仕事ぶりには、相通じるものが観られた。

 「一事は万事」 との古語があるが、将にその通りだと訓えられた。





           山中の径に到れば登り坂の

           汗も吐息も 治まるはなぜ?


           尾根を避け迂回するらし山径は

           歩めば木漏れ日あまたを語りぬ           


           山路にどっかと腰据え休息の

           木こりに出合いぬ こんにちは! ご苦労さん!


           山路は崩れているから足元に

           気を付けなされと 木こりのご配慮


           山路の脇の巨木の切り株は

           彼らの汗のしるしなるらむ


           切り倒した巨木の幹も枝葉すらも

           後の始末に愕かれぬる


           いと細き山路の伐採 ご苦労は

           如何ばかりなむ 笑みには見えずも






「野笹の中の紅葉」

2013-12-22 16:55:58 | 和歌

 「うつろ庵」は住宅街の一画に位置するが、チョット歩けば、豊かな自然に触れる ことが出来るのは有難い。 三浦半島は、山が海に迫っているので、様々な変化を 愉しむこの頃だ。

 海岸は至近距離に椰子並木のプロムナードがあるが、更にチョット歩けば砂浜や岩場の波打ち際もあって、虚庵夫妻は子供たちと一緒に波と戯れて遊ぶのだ。

 また山道を辿れば、緩急に富んだ坂道が待ち受けていて、じじ・ばばの健脚振りが試される。更には、様々な草木がさまざまな表情を示すので、飽きることがない。
そんな山道散歩の途上で、野笹の中に小さな灌木の紅葉を見つけた。




           山道の

           林を抜ければぽっかりと

           明るい野笹の繁みかな

           秋風うけてザワメクは

           野笹に交じる様々な

           草木の仲間のオシャベリか

           背後の林の木々も揺れて

           奏でる山の調べかな

              じじばば迎える

              歓喜の歌かも
  


           枯れ初める野笹に交じり彩りを

           そえる小枝に見惚れる妻かな


           わぎもこのころものすそにそめぬかむ

           のざさをいろどるこのはのもみじを






「線路端の花小鉢」

2013-12-20 20:03:26 | 和歌

 虚庵夫妻の散歩コースは、住宅街のほゞ中ほどの遊歩道と、海岸の椰子並木の プロムナードを組み合わせるコースが多いが、時には気分転換に旧市街の路地裏散歩をも愉しんでいるこの頃だ。過日は路地裏散歩を辿る途上で、隣町の線路脇の小道に紛れ込んだ。

 線路端の住居は電車の騒音がサゾヤと、他人事ながら心配だ。静かな日常生活や睡眠が妨げられるのは虚庵居士には堪え難いが、住民は意外と慣れっこになっていて、気にせずにお暮しなのだろうか。

 そんな在らぬことを考えながら歩いていたら、線路の柵に掛けた数々の花小鉢が目に入って、住民の逞しさに愕いた。



 コンクリート製の細い柱と横桟を組み合わせた柵には、針金を巧みに使って様々な花小鉢が飾られていた。孟宗竹を半割にしたお手製の花鉢もあって、線路の柵を使った花壇には、住み人の思いが凝縮されていた。

 狭い路地は簡素な玄関に直接つらなり、花小鉢の向こうは線路だ。
住居の至近距離を猛烈な勢いで電車が走れば、騒音も然ることながら振動もかなりであろう。未だ明けやらぬ早朝から深夜まで、毎日の上下の電車本数は相当なものであろう。達磨大師の修行をも遥かに超える修行を、生涯に亘って続けて居られるからこそ、堪えられるのであろうか。「住めば都」との諺があるが、お住まいのご家族の忍耐強さには感服だ。

 玄関前の線路柵の花小鉢に、総てを超越した住み人の思いが偲ばれた。




           歩み来れば隣の街の路地裏の

           線路の脇の小道を辿りぬ


           線路際の住居に暮らす人々は

           如何に堪えるや電車の騒音を


           あれこれと思いをめぐらし線路端の

           小道を辿れば柵には小鉢ぞ


           コンクリートの簡素な柵に吊るしたる

           花の小鉢に愕かれぬる


           住み人は狭き小路に思い凝らし

           線路の柵に花鉢吊るしぬ


           騒音と振動に耐える毎日は

           花の小鉢が総ての救いか






「夕暮れのピラカンサ」

2013-12-18 15:28:29 | 和歌

 晩秋は日の落ちるのが早いので、虚庵夫妻の散歩も、夕暮れにかかることも
しばしばだ。そんな夕暮れの歩道で、たわわに実のなったピラカンサに出合った。

 ピラカンサの実は、良くぞ是まで密集出来たものだと感心するばかりだが、今年は殊のほか実の付が多いようだ。

 陽が落ちかかって夕闇がせまっていたので、カメラに写しても無理かなと懸念しながらシャッターを押した。案の定ピラカンサの鮮やかな色合いは捉えられなかった。
鮮やかな色合いの写真を掲載出来ぬのは残念だが、明るさだけでも見やすくしようとチューニングを試みたのが、次の写真だ。

 ご覧頂ける様に、異常とも云える程の実の密集状態だが、このピラカンサの実は、小鳥たちにとって冬の絶好の食糧なのだ。やがて小鳥たちが寄り集り、賑やかな啼き声を交わしながら啄ばむことだろう。そんな頃のピラカンサの樹の下は、啄ばんだ残渣が一杯に撒き散らされることになる。

 春の白い小花がビッシリ咲いた景色も、印象的だ。
だいぶ前になるが、「ピラカンサ」でご紹介したので、併せてお楽しみ頂きたい。




           晩秋の日暮れは早し昔から

           「つるべ落とし」と 釣瓶を知らぬ? 


           日暮れ時に紅いや増すピラカンサを

           カメラに写さむ 無理かと惑ふも 


           人の目は夕暮れ時にも紅の

           鮮やかなるを「まなこ」にとどめぬ


           鮮やかなピラカンサの実のその色を

           カメラが捉えた画像に探しぬ


           あれこれと画像の調整重ねども

           「まなこ」の色に届かぬ悔しさ






「紅の落葉」

2013-12-16 00:06:30 | 和歌

 
「女子中学生たちと山茶花」でご紹介した中学の脇道を、1週間ぶりに散歩した。

 通学路には珊瑚樹の大木が連なり、鬱蒼としているが、中学生たちは先生のご指導で落ち葉を掻き集め、リヤカーに載せて校庭の隅まで運び、最後には全員の掛け声でリヤカーを反転して、落ち葉を投げ捨てた。何とも豪快で、息の合った中学生達の落葉処理に、感嘆した。

 そんな珊瑚樹の根方に、夕陽を浴びて鮮やかな落ち葉を見つけた。



 ここの中学校には、虚庵夫妻の娘も息子もお世話になって久しいが、虚庵夫人は PTAの役員をしていたので、地域の皆さんとも幅広いお付き合いをさせて頂き、彼女の顔の広さには愕くばかりだ。

 散歩の途上でもご挨拶が重なり、ついついお話が長引くことになる。
帰路に同じ道を帰ったら、沈み掛けた微かな夕陽を受けて、水仙の葉の中の落葉も真に趣きがあった。




           校庭に舞い散る木の葉を掻き集める

           中学生のお掃除お見事!!


           リヤカーに落葉を山と積み上げて

           彼らは走りぬ校庭の隅に


           全員の掛け声もろともリヤカーを

           反転させて落葉を抛りぬ


           珊瑚樹の落葉を照らす夕陽かな

           赤紅に末期を飾るや


           黄昏の微かな夕陽に水仙の

           緑葉と語る落葉なるかも






「くろがねもちの巨木」

2013-12-14 11:06:47 | 和歌

 晴天に恵まれて、「うつろ庵」から山の上の防衛大学校まで散歩した。
距離は片道3キロ程度だが、山の上までの登り道はかなりキツイ。途中で休みながら、やっと正門まで辿り着いた。

 かつては裏門から構内に入って、気楽にキャンパスを散策したが、最近は守衛さんの監視が厳しいので、正門で折り返すことにした。

 それにしても、正門右手の巨木は見事だ。
根元の太さは、大人が両手を拡げて3人がかりもあろうかと思われた。

 

 巨木を遠くから見上げて、更に驚いた。
下枝から梢まで、葉の間の紅は花かな? 赤い実だろうか? 巨木全体を、ビッシリと彩っていた。
一瞬、椿か山茶花かと思われたが、花にしては些か大きさが違うようだ。暫らく眺めていたら、「黒金黐・くろがねもち」の紅の実だと判明した。かつて樹木図鑑で黒金黐を調べた際に、「20メートルを超える巨木もある」との記述があったことがふと思い出されて、なるほどと肯いた次第だ。




           防大の巨木を見上げて佇めば

           国の衛りと 嘯く風情ぞ


           防大の学生達を励ますか

           巨木は逞し無言なれども


           見上げれば梢の先まで紅の

           花を付けるや巨木なれども


           花かしら巨木の紅 眺むれば

           記憶が戻りぬ「黒金黐」ぞと






「姫榊と蜜蜂」

2013-12-12 00:54:08 | 和歌

 玄関脇の「姫榊・ひめさかき」が、直径5ミリにも満たない小さな花をつけた。

 背の低い庭木に俯いて咲くので、カメラを構えたまま腰を落し、仰ぐ姿勢でやっと花の表情を写せたが、何とも難儀な撮影であった。



 姫榊は刈り込みにもよく堪えるので、庭木として重宝がられる常緑樹だ。
「うつろ庵」では方形に刈り込んで、門被り松や伽羅玉(きゃらだま) との対比を愉しんでいるのだが、接写に近い距離から写したら、刈り込んだ固い葉の切り口や、害虫に食べられた痕が彼方此方に見えて、いささか姫榊が気の毒になった。

 晩秋の日溜りでカメラを構えていたら、蜜蜂が何匹か花蜜を求めて飛んでいた。こんな小さな花であっても、彼らは目ざとく見つけて飛んで来るのには驚きだ。 或いは、視覚より臭覚が優れているのかもしれない。

 忙しく飛び回る蜜蜂を写そうと追いかけて、ふと見れば、ハバチが姫榊の花にとまったまま、沈思黙考しているかに見えた。

 同じ蜂の仲間だが食生活の違いからか、或いは固有の性格の違いによるものなのか、行動の違いが歴然としていた。 1分にも満たない僅かな時間であったが、人間社会の行動様式の違いや、思考の違いなどが連想される一刻であった。




           玄関の何時もの出入りにすぐ側を

           通るも小花の咲くに気付かず


           刈り込みの 姫榊の枝裏に

           ひっそりと咲く 小花はふくよか


           何ゆえに斯くも俯き咲くものか

           慎ましやかな姫榊の花は


           腰かがめ花のかんばせ写さむと

           仰ぐ姿勢は じじには厳しき


           気が付けば蜜蜂飛び交う姫榊に

           霜月遅くも小花を咲かせて


           ふと見れば花と語るや座禅かも

           沈思黙考 ハバチの姿は






「ブルーベリーの紅葉」

2013-12-10 00:07:32 | 和歌

 「うつろ庵」の庭先、ブルーベリーが紅葉した。

 このブルーベリーが初めて果実を付けたのは、5年程も前になるのだろうか。
ばば様と一緒に、孫のキャメロン君が小さな手で果実を摘まんで食べたのが、つい昨日のことの様に想い出される。



 ニューヨークに棲む娘は、東京へのビジネス出張に合せて、キャメロン君を伴って来日した。幼稚園児だった彼をじじ・ばばに預けて、週末だけ合流する一月だった。 じじ・ばばは全ての予定をキャンセルして、キャメロン君の「ご養育係」に専念した。
今から想い返せば、キャメロン君には厳しい試練であったろうが、じじ・ばばにとっては掛け替えのない「孫との蜜月」であった。

 ブルーベリーの小さな果実を摘み、紅葉を観るに付けて、キャメロン君と過ごした
あの頃の毎日が懐かしく想い出される。
「じじ! ばば! Skypeしよう!」 との、キャメロン君の呼びかけが待たれる。




           遅咲きの薄紅の薔薇の花と

           競ふにあらずもブルーベリーは


           陽をうけて紅透ける木の葉かな

           ブルーベリーは煌めくばかりぞ


           秋の陽の透かす大きなタロイモの

           緑葉を背に 小葉紅にして


           稚けなき孫と果実を摘んだのは

           昨日のことかと懐かしむかな


           あれこれと思われるかも紅に

           散りゆく小葉をいとおしむかな






「女子中学生たちと山茶花」

2013-12-08 00:06:38 | 和歌

 近くにある中学の脇を散歩した。広い校庭では、生徒たちが軟式野球・テニス・ランニング・女子ソフトボール等など、様々な部活に熱中していた。

 そんな中学生達に親しみを感じて、校庭の端に遠慮がちに足を運んだら、女の子たちから元気よく 「コンニチワ!」と挨拶された。 予想だにしなかったご挨拶に、虚庵夫妻は驚きつつも 「こんにちわ、元気だね!」とお返しをした。



 ピチピチの女子中学生たちとの会話など、殆んどチャンスが無い虚庵夫妻だ。
ご挨拶の序に、チョットだけお話させて貰った。彼女たちの率直な反応は、真に心地よかった。ほんの一言二言に笑いころげ、或は、はじらふ素振りに触れて、じじ・ばばは心洗われる思いであった。

 校庭には、山茶花が咲いていた。
夕陽を浴びて天真爛漫に咲く山茶花は、満面の笑みを湛えた彼女達を思わせた。 花びらの一片が、「口に手を添えて微笑む乙女」を思わせ、或は「恥じらう乙女の仕草」を連想させる山茶花もあった。

   


           中学の広き校庭様々な

           部活する子等まばゆい姿ぞ


           校庭の端を歩めば乙女らの

           明るいあいさつ 「コンニチワ~!!」


           思いがけぬ挨拶うけてじじ・ばばは

           咄嗟に返しぬ 「元気だね~!」と


           乙女らとひと言ふたことのお話に

           笑いころげる乙女らすがしき


           校庭に夕陽をうけて山茶花は

           きそいて咲くかな子等に負けじと


           山茶花の満面の笑みは乙女らの

           笑いころげる姿を映しぬ


           はなびらのただひとひらにおとめごの

           ほほえみはじらうしぐさをおもひぬ






「函南の紅葉と黄昏」

2013-12-06 02:26:55 | 和歌

 伊豆・函南の紅葉には、目を瞠る。

 函南では、多くのお仲間と共にゴルフに興じる虚庵居士であるが、拠所無き事情で参加できないコンペが重なった。 だがお仲間は、ゴルフプレーの合い間に、函南の紅葉をカメラで写して送って下さった。


                           撮影・ご提供 後藤征一郎氏

 富士山の雄姿を背にした美しい紅葉には、息をのむ思いだ。
ボールを夢中で追いかけていると、富士の姿も紅葉も中々目に入らぬが、ほんのチョットだけ余裕があれば、それぞれのホールでこの様な素晴らしい自然の恵みを堪能出来るのだが・・・。余裕あるプレーヤーだけに与えられた、ご褒美と云えようか。


                           撮影・ご提供 後藤征一郎氏

 最近の虚庵居士のゴルフは、Hennessyのポケット瓶を携えて、酩酊とゴルフの二途を愉しんでいるが、紅葉狩りをも併せて堪能できれば、将に夢のような一日であろう。

 神様は全てをお見通しで、虚庵居士にそんな極楽気分を許せば、セッカチな男は「あっと云う間にあの世に飛んで行く」ので、「楽しみは精々二つ程度で我慢せよ」と、ご宣託なのであろう。


                           撮影・ご提供 末木隆夫氏

 お仲間は、「函南の黄昏」の情景をもカメラに収めて送って下さった。詩情のあふれる景色だ。虚庵居士ならば、早速にも腰のポッケからコニャックを取り出して、馥郁たる香りを愉しみつつ、舌に痺れる一口を「ぐびり」とやりたいところだが・・・。


                           撮影・ご提供 末木隆夫氏


           往く秋を紅葉にとどめて魅せるかな

           伊豆函南のゴルフを想いぬ


           よんどころ無き事情にて参加出来ぬ

           ゴルフの戦果は紅葉の写真ぞ


           お仲間の心の余裕を紅葉の

           写真に観るかな戦果を問わずも


           山里の紅葉を映すや夕暮れに

           たなびく雲は紅にして


           送り来ぬ写真を観つつゆく秋を

           コニャック含みて惜しむ夜かな






「紅白のオキザリス」

2013-12-04 00:27:12 | 和歌

 三浦半島には様々な谷戸道が散在するので、虚庵夫妻は散歩道に勝手ながら
Aコース・Bコース等と名付けて、「今日はどのコースをお散歩しますか?」と、コースの選択もお遊びの一つになっている。

 自宅の門を出たのはまだ4時前で、この「紅白のオキザリス」の前に来たときには、子供たちが元気に遊んでいた。

 じじ・ばばの散歩姿を見て、子供たちは声をあげて走って来た。
勢い余って谷戸道を飛び出しはせぬか、オキザリスの花を踏はせぬか、などと心配したが、子供たちは機敏だった。

 じじ・ばばの眼前でパッと止まって
笑い転げていた。

 子供達に手を振ってバイバイしてから、どれほど経たであろうか。 帰りには子供達の姿も声もなく、オキザリスの白花だけが外灯に浮かんでいた。




           谷戸道に足を踏み入れ程なくも

           子等の元気な声が迎えぬ


           じじ・ばばの姿を見つけて駆け寄れば

           手を揚げ声揚げ 制するじじ・ばば


           谷戸道の石垣跳び越えオキザリスを

           踏みはせぬかとハラハラなるぞも


           さよならと手を振るじじ・ばば 子供らも

           手を振り声あげ バイバイ~バイバイ~


           おなじ道 帰れば子等の 声もなく

           仄かな灯りに 浮かぶ花かも






「雨に濡れる千両」

2013-12-02 01:04:44 | 和歌

 「うつろ庵」の千両の実が、小雨に濡れていた。

  小さな実は未だ十分に紅色に染まっていないが、そんな稚児達が身を寄せ合っている姿は、何とも愛らしい。秋も深まり、寒気が加われば実は更に 熟して、紅が濃くなることだろう。

 稚児達と緑葉との調和がこれ程にバランスが取れているのも、稀に見る情景だ。雨に濡れた緑葉が初々しく見えるからだろうか。

 千両の葉は、秋も深まると葉の縁が枯れかけて、見苦しくなるのが例年のことだが、今年の千両は秋が深まっても縁の傷みが少なく、新芽が活き活きとしているのも珍しいことだ。猛暑だった今年の夏は、人間様には辟易とする夏であったが、千両などにとってはエネルギーを蓄え、逞しさを身に付けるには恰好な条件だったのかもしれない。

 ともすれば、我々は身勝手な感性で判断し、他人も、或いは草木も自分と同様な反応をしているのだろうと、勝手な想像をしがちだが、生物の種類が異なれば違った反応があって当然だ。人間世界の思考や行動にも、同じことが云えるのであろう。

 雨に濡れた千両に、無言の訓を頂いた虚庵居士であった。




           雨に濡れ雫を湛える千両に

           見惚れて佇む秋の庭かな


           千両の実は未だくれない浅けれど

           緑の若葉とほど佳き調和ぞ


           例年の秋にしあれば葉の縁の

           枯れ初めるにも若葉の今年は?


           あれ程の猛暑を経るに千両は

           身に勢いを蓄えにしか


           何事も苦楽を吾が身に照らすなれど

           君の苦楽は異次元なるらし


           雨に濡れる千両の実と緑葉に

           無言の訓を頂きにけり