「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「ヴェルニー公園のバラ苑」 その三

2010-06-30 00:44:23 | 和歌

 薔薇ほど「やんごとなききわ」に捧げられ、その名をとどめる花は他にあるまい。

 今回ご紹介するバラなども、その典型だ。その類を漁れば、たぶん数限りない種類が数えられることであろう。この世に産まれ出でて、歴史にその名を残すのは並大抵のことではないが、薔薇の名前と共にその名を後世にとどめる人びとに、ひと時の思いを馳せてみた。 


  左: ジュビレ・デゥ・プリンス・ドゥ・モナコ
  右: マダム・サチ


 ”Jubile du Prince de Monaco” は、モナコ公国元首レニエ三世大公の即位50周年に捧げられた薔薇だ。ハリウッド女優であったグレース・ケリーは、24才でモナコ皇太子レニエ公と世紀のロマンスを実らせ、世界が熱狂してから早くも半世紀ほどが経た。お二人の結婚で、日本の皇居の2倍ほどの国土のモナコは、「世界の社交場」に生まれ変わったが、ヘアピンカーブでの事故で彼女は52才の生涯を閉じた。彼女に献呈された薔薇「プリンセス・ド・モナコ」もこの薔薇も、紅白ニ色に塗り分けられた「モナコ国旗」をイメージしたものであろう。

 レニエ三世大公とはどんな男であったか? グレース・ケリーの夫君であったことは周知の事実だが、
インターネット検索では薔薇の紹介は数限りなくヒットするが、彼自身に関する記述には遂に辿りつけなかった。薔薇に己の名前が付けられたのは名誉であるが、本人に関する記録が見当たらないのも、また寂しいことではないか。
 
 「マダム・サチ」は、1982年に来日したフランス大統領ミッテランが、当時の鈴木善幸総理の「さち夫人」に贈ったことに由来するバラだ。

 訪問先の国の総理夫人に、純白のバラを捧げたミッテランのはからいは、粋と申すべきであろう。
バラの花一輪の効果は計り知れない筈だ。我が国ではこのところ短命な政権が続き、首相達はそのような心の余裕すら持てなかったようだが、いやしくもわが国の首相の椅子に座る男であれば、その程度の心の余裕と配慮ができる器であって欲しいものだ。何も「将を射んと欲せば・・・」などと、くだらぬ計算をする必要はない。ほんのチョットした気配りができるか否かが、やがては国の外交をも左右する。どこぞの国の首相だった男は、トップ会談で ”Trust me!” などと発言したそうだが、信頼とはそんな軽い言葉で得られるものでもあるまい。


            紅白の国旗に滾る思い託し

            薔薇は伝えぬ世紀の恋を


            かれ彼女 滾り燃え立つひと時の

            命のあかしを薔薇にとどめて


            バラ一輪捧げる男の気配りを

            君は笑ふや こころのゆとりを 





  左: ビクトル・ユーゴー 
  右: ザ・ダークレディー


 フランスの文豪「ビクトル・ユーゴー」に捧げられた、深紅の大輪だ。
『レ・ミゼラブル』など、幾多の名作を残した彼であるが、数々の名言にも注目が集まっている;

     『大きな悲しみには勇気を持って立ち向かい、
      小さな悲しみには忍耐を持って立ち向かえ。
      一日の仕事を終えたら安らかに眠れ。あとは神が守ってくださる。』

     『男が臆病になり、女が大胆になる時、本当の恋が始まる。』

 さて、諸君はどの様な名言をお残しかな・・・?


            名にしおうかの文豪の名をこのバラは

            知るよしもがな ひたすら咲くに 


            文学を世に問ふ人あり言葉なく

            己を咲かす薔薇もありけり






「関東嫁菜」

2010-06-27 01:19:41 | 和歌

 「うつろ庵」の植木鉢に「関東嫁菜」が咲いて、寂しげに揺れていた。
「ヴェルニ-公園のバラ苑」シリーズには相応しくない話題なので、「関東嫁菜」に代わって貰った。

 米国に嫁いでいる娘から、一昨日の深夜に電話があって、舅が逝去したと伝えてきた。舅は糖尿病
疾患にて視力を失い、完全看護付きマンションで余生を送って来たが、座椅子でシャワーを浴びさせて頂くうちに、眠るように最期を迎えたとの知らせであった。享年97歳だという。

 信心深い真摯な生活を積重ねた舅だったので、まさに天国に召されたのであろうと、娘婿のJeffとも涙ながら電話で話した。婿殿を慰めるまでもなく、父親の最後は苦しみもなく平安で最高の最期であったと告げる、彼であった。

 明け方までの慌ただしいやり取りの中で、人生の最期の在りようを深く考えさせられた。

 娘の姑は93歳。呼吸器系疾患にて入院中で、酸素吸入のチューブにつながれているので、ご夫妻はこの10年ほどは已むなく別居し、月一回程度、顔を合わせる生活が続けられて来た。終の棲みかでの彼の心を忖度すれば、数多の心の葛藤もあったに違いあるまい。そのような全てを呑み込んで平安の日々を送られ、最期をお迎えになった彼には、深甚なる敬意を捧げたい。

 シニア(死near)の身としては、平安に旅立ちたいものと念じているが、粗忽な振る舞いを重ねる虚庵居士では及ぶべくもないことだ。慎ましい生活の中にも、改めて真摯な修行の第一歩を踏み出さねばと、胸に刻んだ次第だ。

 向こうの葬儀のしきたりの詳細は不明だが、「親族一人ひとりが故人へ言葉をかけてお別れする」との説明であった。娘の両親として、お別れの言葉を送ろうかとも考えたが、それよりは婿殿へ、心をこめたお悔やみのレターを送るのが相応しかろうと、深夜に
メールを発信した。

 娘は結婚に先だって、かなり緊密に先方の両親との交流を重ねていたが、お宅を訪ねた際の舅殿の
言葉が耳に残っている。「彼女は我が家のダイヤモンドです・・・」と。新しい家族を受け容れてくれる彼の温かな思いに、今でも感謝している。

「孫の夏休み」には是非に来てねとの要請で、夙に渡米する予定であったので、病院に姑をお見舞いし、お墓参りをしてくるつもりである。


            娘からの深夜の国際電話では

            舅の訃報をなみだながらに


            とつ国の舅はわが娘を受け容れて 

            彼女は我が家のダイヤモンドです 


            見えなくも 嫁の手をとり孫を抱く

            彼は逝きにしシャワーを浴びつつ


            佳きものを孫に伝えて逝きしかも

            孫の手書きのカードをかざして






「ヴェルニー公園のバラ苑」 そのニ

2010-06-26 00:30:14 | 和歌

 蔓バラがピンクの花で埋まり、株元には花びらをまき散らしていた。

 バラの名前を確認しようと足を踏み出して、まだ五・六メートル程も距離があったが、そよ風が甘い香りを運んできて、虚庵居士を歓待してくれた。蔓バラは「ラベンダーラッシー」と銘板に書かれていた。殆どのバラがフランス種の中で、数少ない独逸種だが、ガッチリと設えられたフレームに支えられて、ひと際
目立つ存在であった。

 深紅の「グラフレナート」は、数株が程良く配置され、今まさに花時を迎えて上品な佇まいであった。




   左: ラベンダーラッシー(独)
   右: グラフレナート


            蔓バラの花の名前を確かめむと

            近づく前に香りが迎えぬ

         
            八重の花重なりあいて豊満な

            Lassie嬢の Hugの歓待!




 広い芝生を背に、「ルージュメイアン」が遊歩道に沿って可なりの数の株が植えられていて、見応えがあった。

 ここのバラ苑は専門家が手入れを怠らず、花時を過ぎた花柄は丁寧に摘み取られているので、どの株を見ても大変清々しい。一般的な市民公園では、花木を植えて花を楽しむのは大いに結構だが、殆どの公園で萎れた花柄がそのまま放置され、却って見苦しい姿を晒すのは、花木にとっても不本意であろう。一口に「花柄摘み」とは云うものの、人手がかかることを考えれば、個人のお宅の庭園ではいざ知らず、公園では殆ど無理な注文だ。しかしながら、ここ「ヴェルニー公園のバラ苑」ではそれが出来ているから、頭が下がる。想像だが、薔薇好きの市民の皆さんが、ボランテアをかって出ているのかもしれないが、
花にとっても花好きな市民にとっても、そしてまた訪れる皆さんにもこの上ない「バラ苑」が維持されているのは、一市民としても誇りにしたい。






    左右とも: ルージュメイアン




            紅のバラ伸びやかに咲きたちぬ

            おのれの花を誇るが如くに


            見渡せば花柄一つも無き苑に

            バラを誇れる憶を汲むかな


            思ふらく数多の人々バラに恋ひ

            清しき姿を見せまほしとや






「ヴェルニ-公園のバラ苑」 その一

2010-06-24 00:13:12 | 和歌

 鎌倉での「エネルギーと環境」講座を、四回シリーズで開設した。
鎌倉の会場へは京浜急行とJR横須賀線を乗り継いで、ほぼ一時間を要するが、この乗り継ぎが楽しみの一つであった。

 横須賀駅は、米軍横須賀基地と湾を隔て対岸にあるが、海岸は市民の憩うヴェルニー公園になっていて、「バラ苑」には2000株ほどの薔薇が植えられている。急く足を30分ほど寄り道して、数々の薔薇にご挨拶できたので、数回に分けてご紹介する。




                                  左: 宴 (日本種)
                                   右: ローラ (断りなきはフランス種)


            対岸の米軍基地を望みつつ

            乗り換え急げば赤き薔薇見ゆ


            この次は寄り道をして乙女らの

            香りを聞なむ薔薇の苑にて




 

  左: トレジャートロープ(英)
  右: クリスチャンディオール 



 公園の名前「ヴェルニー」は、日本近代化の起点ともいえる横須賀製鉄所を対岸に建設したフランス人技師・ヴェルニーの功績を称えて、跡地が望めるこの公園にその名を残したものだ。
対岸の米軍基地と、横須賀駅の奥手には海上自衛隊の基地も併設されているので、「軍港とバラ苑」の対比はまさに「戦争と平和」の象徴でもある。



            ヴェルニーのその名をとどめる公園は

            製鉄工場の 功績称えて            


            その跡地 今は米軍基地なれば

            花咲く薔薇に平和を祈らむ







「ブラシの木」

2010-06-21 12:17:38 | 和歌

 久しぶりに「ブラシの木」に出遭って、思わず虚庵夫人と顔を見合わせた。

 鋭い針に串刺しの蜜蜂! と見れば、蜜蜂は鋭い針の花をかき分けて、花蜜を一心不乱に吸い続けていた。この花を初めて見たのは、オーストラリアへの旅行であった。まさに「ガラス瓶専用のブラシ」そのものではないか! しかも花の名前を現地人に聴いたら、 ”Bottle Brush ”だというから、虚庵夫人と大笑いであった。

 最近はペットボトルがはびこって、ガラス瓶を洗って使うなどという日常生活の習慣は失われたが、嘗てはガラス瓶は洗って再利用するのが当たり前であった。針金をよじってその先端部分にブラシを巧みに
仕込んだ、まことに使いやすい生活必需品であった。

 オーストラリアの亜熱帯性気候のもとでは、春・秋、或いは年間を通して咲くこともあるらしいが、日本でもこの時期にはかなり花を付けるから、順応性の優れた木だといえそうだ。洋の東西を問わず、「ブラシの木・Bottle Brush 」として親しまれ、庶民感覚の花ではあるが、それにつけても何とも「タマゲタ」花だ。鋭い針の数々は雄蕊らしい。






            針千本 これが花とは如何なるや

            造化の神もイタズラ好きらし


            蜜蜂はスルドイ針に串刺しか

            針かき分けて花蜜吸うとは


            我妹子(わぎもこ)と目を見合せぬ懐かしき

            豪州に観しブラシ花かな






「乙女のサルビア」

2010-06-19 12:59:52 | 和歌
 
 「うつろ庵」の椿の木陰で、「乙女のサルビア」が咲いた。

 正しい花の名前は「サルビア・ミクロフィラ・ホットリップス」だが、こんな長い名前は頂けないので、勝手ではあるが「うつろ庵」では「乙女のサルビア」と呼ぶことにした。花びらの縁に仄かな朱がさして、如何にも乙女の初々しさを思わせる。この呼名は「いける」のではあるまいか。

 椿の木陰に育ち、日あたりが十分でなかったのが原因かもしれないが、花びらの縁色は、本来だと鮮やかな深紅に咲くはずだ。白い花びらの鮮やかな深紅の縁どりは、まさしく情熱的な唇、「ホットリップス」を思わせる。「ホットリップス」にならなかったのは残念だが、仄かな朱がさして、乙女の初々しさを連想させるこの気色も捨てがたいではないか。

 




            あるがまま そのままがよし花の名は

            「乙女のサルビア」君に捧げむ


            生い茂る椿の枝葉のその陰に

            ふた花咲くかな乙女のサルビア


            たそがれの風に揺れるも相ともに

            寄りそう侭なる二つ花かな


            夕闇の乙女のサルビアほの白く

            もの語るらし幽かに揺れるは 






「小判草」

2010-06-18 00:15:37 | 和歌
 
 数日前のこと、虚庵夫人と連れだって散歩していたら、奇怪な花? 実? 何れとも見分けのつかない
草に出遭った。

 車道の端の街路樹の根元に屈んでカメラを構えていたら、その後ろを車が猛スピードで通り抜けた。
ヒヤットして早々に退散した。その場での観察を諦めざるを得なかったのは残念だったが、「草の観察と
命のどちらが大切なの」とたしなめられて、「敵に利あり」と怯んだら、アレモ・コレモと矢継ぎ早の追い打ちに、虚庵居士は無言の轟沈であった。
女と云うものは、弱味を見せれば途端に威丈夫に変身するものらしい。

 帰宅して調べたら、「小判草」だと判明した。
子供の頃、信州の野原で転げまわって育った虚庵居士は、この草を見た覚えがない。野草図鑑によればヨーロッパ(地中海沿岸地方)原産で、明治初期に渡来した帰化植物とあった。明治から100年足らずの信州の田舎には、野生化しても未だ伝播していなかったのかもしれないが・・・。






            花か実か判別付かぬ姿して

            風に揺れいる小判草かな


            名の知れぬ野草をカメラに写さんと

            屈めば身近に迫る車ぞ


            観察を諦め愚痴れば我妹子(わぎもこ)は

            命を草に捨てるかとぞ問ふ


            野の草に夢を託すや小判草を

            海こえて持ち込む古人の憶ひは






「梅花空木・ばいかうつぎ」

2010-06-16 13:46:35 | 和歌

 梅雨入り直前の晴れ間に、うつろ庵の「梅花空木」の花をカメラに収めた。

 虚庵夫人が友人宅の小枝を頂いて、挿し木にしてから何年を経たであろうか。彼女は、徒長気味の若枝を大胆に剪定したにも拘わらず、見事な花を咲かせて呉れた。挿し木を慈しんで育ててきた者にとっては、若枝を大胆に切り詰めるのは、身を切る思いに違いあるまいが、時には「バッサリ」と剪定しても、結果的にそれがことごとく「吉」なのには愕かされる。彼女には植木の心が理解できるのであろうか?

 自ら挿し木した植木との毎日のご対面では、ときどき人間に話しかけるかのような口ぶりで、ひと言ふた言、声を掛けているのを見かけるが、そのような「お付き合い」を重ねると、彼・彼女らの思いが手に取るように理解できるのかもしれない。

 話は変わるが、50・60名、或いは更に200名を超える大勢の皆さんに向けて講演する時など、聴衆の皆さんがどの様に話を受け止めて下さっているのかが、大いに気懸りだ。しかしながらよく観察すると、講演を聞いて下さっている皆さんは、それぞれに様々な反応をしているのに気付かされる。判りやすいお話には口元に笑みが現れ、思いを共有した時にはごく僅かだが、頭が揺れて「頷き」のサインを示して呉れる。

 ごく拙い経験ではあるが、更には目と目のコンタクトなどが重なると、目の僅かな表情の変化などから、理解の程度などかなり読み取れる。そのような僅かな変化に応じた講演が続けられれば、「丁々発止」とまではいかないまでも、無言の聴衆と講師とのかなりな意思の疎通が可能になる。
双方向のコミュニケーションがとれた講演では、質疑応答や聴衆の皆さんとの活発な意見交換もできて、皆さんから 「ありがとう」 とのご挨拶を頂戴する。

 植木との毎日の会話を重ねている虚庵夫人は、想像だが多分同じような手応えを得ているに違いあるまい。





            挿し木して初めて咲くかも梅花空木の

            香を聞かむとて妹(いも)は抱きぬ


            朝な夕な聲かけ来れば梅花空木は

            妹に応えて咲きにけるかも


            八重ならず一重ぞよけれ梅花空木は

            花白妙に匂い立つかな


            白妙の梅花空木の花咲きて

            梅雨来にけらし無垢を保てと






「波打つ茅 ・ちがや 」

2010-06-14 00:18:03 | 和歌

 「茅 ・ちがや 」の群落が初夏の風を受けて、一斉に波打っていた。
ここは横浜横須賀道路の終点、馬堀海岸ICのすぐ脇の原野の情景だが、来年あたりはこの情景も消えうせるかもしれない。





 首都高速に乗って湾岸線を走れば、羽田を横目に見つつあっという間に大黒JCT・ベイブリッジを経て、横浜横須賀道路に入る。三浦半島の起伏の豊かな山並みの緑と、東京湾沿岸の風物を楽しみながら、ものの三十分も走れば高速道路の終点、馬堀海岸ICに至る。海岸への緩やかなスロープを車で走れば、猿島が目の前に現れ、あっという間に国内最大級の椰子並木の海岸道に出る。

 そのまま右折して走れば、五分程で観音崎。左折すれば十分程で戦艦「三笠」を経て、米国海軍・横須賀基地だ。云わずと知れた原子力空母「ジョージワシントン」の母港だ。この写真の「茅 ・ちがや 」群落の向うには椰子の並木が見えているが、この並木は一部断続するが凡そ五キロに亙って、三笠公園近くまで続いている。

 「茅 ・ちがや 」群落は、やがて訪れる大きな環境変化を知る由もない。
群落の隣のテント囲いの中では、温泉掘削の高い櫓が組まれ、大工事中だ。観音崎の近くの海岸に温泉が湧き出るなどとは予想もしなかったが、現代の土木掘削技術の進歩は目覚ましい。千メートル余も掘削すれば日本全国何処でも、可なりの確率で温泉を掘り当てることが出来るらしい。

 地中のマグマ、地熱の恩恵を受けた温泉は、日本人誰もが恋焦がれるが、地熱の熱源が何に拠るものなのかご存じの方は少ないようだ。地球がビックバンで生成された四十六億年前から、地球には自然に核崩壊する数多くの元素が存在するが、それら元素の崩壊時に放出される熱源が、マグマの高温を維持しているのだ。その主な元素は人体に無くてはならないカリウム(K)だ。

 皆さんは放射線を恐れているが、地球に満ち満ちている放射線の恩恵を受けて、地球上に人類が産まれ、自然の放射線環境下で育った植物や家畜は、押し並べて放射能物質をもっているのだ。それらを食べている私たち人間も、一人当たり7000ベクレルの放射能を体内に持った「放射能人間」なのだ。人間は、自然の放射線を遮断した世界では生きて行けない現実を、教えてこなかった教育の欠陥を、改めて問い直したい。

 人間が放射能の恩恵によってもたらされた「温泉」に恋焦がれるのは、地球上に生かされてきた本能的な反応かもしれない。このように考えれば、馬堀海岸に温泉が湧き出す日が、待ちどうしく思われる。
「茅 ・ちがや 」の群落が風に波打っているのは、温泉を手招きしているのかもしれない。



            おしなべて靡ける茅の手招きを

            観れば知るかも初夏のそよ風


            温泉を掘るてふ櫓の高くして

            茅の原の消える日哀しも


            やがて涌く馬堀の出で湯に足浸し

            たれ思ふらむ宇宙の営みを


            ちはやぶる神の御業か愕きは
             
            吾が住む郷(さと)に出で湯汲むとは






「桔梗草」

2010-06-12 13:29:30 | 和歌

 「桔梗草」が可憐な花をつけた。

 ご近所の道端に咲いてた野花であるが、いつの間にか「うつろ庵」の鉢に根を下していて、野草の逞しさに驚かされる。この花は下から順次咲き昇るので、かなりの期間楽しませてくれるが、花の色も姿も
どこか桔梗のミニチュアを思わせるところから、「桔梗草」またの名を「段々桔梗」と呼ぶのも頷ける。






 鉢に咲いた一株の「桔梗草」だが、光の当たる方向で色合いも風情も随分変化することに気づいて、
それぞれ反対側から写してみた。

 考えてみれば、これは当たり前のことかもしれない。単純で短絡人間の虚庵居士は、物事の一面だけをみて「あ、これは然々・・・」と早とちりするが、矯めつ眇めつしてよく確かめる癖を身につけたいものだ。大勢の人々とのお付き合いを重ねてきたが、人は性格も物の考え方も多様性を具えていて、言動は決して単純ではない。一面だけをみた短絡的な判断は、いかにも粗忽だ。花も人間様も同じで、味わい深い側面を見出し、尊重してお付き合いを重ねたいものだ。

 偶々観た桔梗草の花の表情から、思わず横道に逸れた。読者諸賢は夙に心得ておられるところだが、
短絡人間・虚庵居士の自戒として認めた。






            何時やらに庵の庭にましますは

            桔梗草かな居心地よろしと


            段々に咲き昇るかな花の名は

            段々桔梗ぞ 愉しみ段段


            陽をうけて移ろふ花のけわいかも

            観る人の有無 意にせぬ気色に






「小葉の髄菜・こばのずいな」

2010-06-10 00:41:45 | 和歌
 
 茶花の「小葉の髄菜」が咲いていた。

 茶人とは誠に粋な人種で、数ある花の中から「これは」という花を選び、或いはたった一枝・一草を投げ入れただけで、茶室に見事な小宇宙を創り出し、客をもてなす術を身につけているから愕きだ。「小葉の髄菜」の房花も、そのような茶花として時々使われているようだ。

 「うつろ庵」にも、そのような小宇宙を造りたいものと希っているが、それを満たすだけのスペースも、財力もないのが残念だ。 が、考えようによっては茶室はなくとも、普段の居室や書斎の一隅であれ、一枝の花を挿すだけでそのような空間を創り出せれば、それに越したことはあるまい。秀吉が造らせた黄金の茶室も、利休の侘び茶も、虚庵居士の居間の空間も、そこに居る人間の心の在りよう次第で、無限の可能性を創り出せるのではなかろうか。

 茶花の「小葉の髄菜」を観ていたら、勝手気ままな思いが頭をよぎった。
自由奔放に想いを描き、日常生活の中で活かせれば、もって至福と云うべきであろう。持たざる者の負け惜しみかもしれないが・・・。

 序でのことながら「小葉の髄菜」なる花名が気になって、図鑑のお世話になった。
花名の謂れを探すのは並大抵ではなかったが、それらしい記述が見つかった。この花の枝の「髄」は、乾燥して行燈の灯心に使ったらしい。乾燥した髄は灯油を吸い上げて、灯心にふさわしいものだったに違いあるまい。昔の人々は自然の特性を知り尽して、上手に活用したのであろう。また、髄菜の中でも葉が小ぶり故に「小葉」と呼んで、区別したとの解説であった、 






            行燈の明かりのとうときいにしえは

            髄菜の灯心 頼りにしつらむ


            あるじ居らば一枝を乞ふに人影の

            なきぞ哀しも庵の飾りに

            
            莚敷き小葉の髄菜のその脇で

            野点の一服いただく心地す






「山葡萄」

2010-06-07 22:38:29 | 和歌

 「うつろ庵」の珊瑚樹の生垣に絡めた葡萄が、沢山の房を付けて、花が咲いた。

 ふた月ほど前に、芽吹の感激を 「芽吹く葡萄」 とのタイトルでご紹介したが、よもや山葡萄が房を付け、花を咲かせて呉れようとは思いもよらなかった。葡萄が蔓から垂れ下がる姿は、これまでに何遍か
見て来たが、「ぶどうの花」を間近で見ようとは・・・。





 まだ若葉も開ききらない葡萄が、最早、房を付け花を咲かせるその自然の営みの「用意周到さ」には、只ただ脱帽だ。

 どこぞの国では、政権奪取のための見栄えのするマニフェストを掲げて、見事長期政権を覆したが、
現実離れしたマニフェスト、ポピュリズムに走ったマニフェストの実現のための再検討を怠った政権党の
リーダーは、半年余で国民の信頼を失い、彼の言葉に耳を貸す者は激減した。

 葡萄の房を数えたら、小さな一株の蔓にも拘わらず何と百個を越えていた。百個を超える葡萄が実り、熟したら、壮観だろう。 と、思わずほくそ笑んだが、マテ待て、これには何かの備えがあるに違いない、
と気付いた。風で吹き飛ばされる新芽もあろう、枯れ落ちる花もあろう、或いは身の程を知って自ら青柿を落とす ”June drop ”の例もある。 自然の営みとは、そのような様々な事態にキチント備えていることに
思い至った!

 愚かな人間どもは、少しは自然の営みを見習い、吾が身を振り返りたいものだ。
斯く申す虚庵居士も、慎みある言動、そのような自省は? と問われれば、返す言葉もないのだが・・・。





            若葉すら未だ開かぬに房ぶどうの

            花を観しかもトキメキ抑えて


            この子らの熟す秋の日夢みつつ

            房数かぞえぬ稚児の如くに


            一株の葡萄の営み様々な

            備えをなすとは在るがままにて


            百房を超えるぶどうに「願」かけぬ

            孫の摘むまで幸く在れかし






「昼咲月見草」

2010-06-05 13:16:49 | 和歌

 「昼咲月見草」が彼方此方で見かける様になった。

 本来の「月見草」は、時には人の背丈程にも成長し、花軸はかなりガッチリ成長するが、「昼咲月見草」は背丈も三十センチ程で、花軸も細く嫋女を思わせる。それでいて、彼方此方で見かけるのは彼女らの類まれな「繁殖力」によるものであろう。どの様な経路を経て伝搬されるか知らないが、いつの間にか根付き花を咲かせた「昼咲月見草」を、人々が雑草として駆除せずに、可憐な野花として慈しんでいるからに違いあるまい。

 資源エネルギー庁は、今年もまた「原子力有識者」を全国で十数名選任して、社会の求めに応じて国に代わり、有識者を講演などに派遣する事業を継続することになった。虚庵居士はこの事業の創設時から選ばれて、お手伝いを続けてきたが、果たして「昼咲月見草」のように市民の皆さんに受け容れられているのであろうかと、改めて自問するこの頃である。

 エネルギーの大消費、地球温暖化など、人類は嘗てないグローバルな課題を抱えて喘いでいるが、
この問題を市民の皆さんが自分の問題として捉え、真剣に考えて貰いたいと期待すればするほど、ついつい熱く語りかける結果となりかねない。語り手と皆さんの受け止め方の間に、大きなギャップがあっては決して訴えは伝わるまい。何時の間にか花を咲かせた「昼咲月見草」が、皆さんに受け容れられているのは、それなりの理由があってのことだ。

 辞任された鳩山・前総理は、二酸化炭素削減の2020年目標として、1990年比25%という世界的にも突出した目標を掲げた。残念ながら国内の議論を踏まえず、いきなり国際的な場で演説して識者を驚かせた。案の定、いまだに具体策すら煮詰まらないのが現状だ。「政治は地ならし」が大切だというが、「地ならし」をせよと主張するつもりはない。むしろ何が問題なのかを掘り起し、何が日本にとって最も大切なことなのか、「キチットした判断」を支える十分な検討と議論が無くてはならないと主張したい。それを国民に分かりやすく説明し、訴えるのが国のリーダーだ。
新たな総理になられた菅氏には、様々な意味で貴重な教科書が提示された。国民からも、国際的にも
受け容れられる宰相になって頂きたいものである。

 「昼咲月見草」の花談義が、いつの間にか国の新リーダーへの期待に代わってしまったが、一市民の切なる思いと、お許し願いたい。






            何時しかに昼咲月見草 たおやかに

            におひたつかな野の花にして 

            
            いずこより飛び来たるらむ野の花を

            抜き取る人のなきぞ嬉しき


            ここかしこ昼咲月見草咲く観れば

            こころ許すや世の人々も






「ルピナス・昇り藤」

2010-06-03 21:30:49 | 和歌

 「うつろ庵」のご近所に、「ルピナス」が咲いていた。

 隣にはピンク・薄紫などの莟も見えるので、しばらくすれば見応えのある花壇になろう。時には見かける花だが、花の名前を知らないので調べなくてはと思いつつ、カメラに収めていたら、有難いことに名札が
添えられていて、「ルピナス」と知れた。

 隣に見える薄紅色の「ルピナス」の花は、何所かで見たような思いが頭をよぎったが、何時見たのか、何所で見たのか想いだせずに散歩を続けた。暫らく歩いて、公園の藤棚をみて「はた」と想い出した。
藤の花を逆さにした姿ではないか!

 帰宅後に、念のため花図鑑で調べたら、「ルピナス」はヨーロッパ南部原産だという。
ついでにインターネットで調べたら、別名を「昇り藤」ともいうと書かれていた。虚庵居士が藤棚をみて想い出したイメージも、あながち手前勝手ではなかったようだ。






            ふくよかに咲き昇るかもルピナスは

            莟を見れば末頼もしき


            如何ほどに花房のばすや稚き

            重なる莟の数をかぞえつ


            咲き昇るルピナスの花何処かにも

            観しかと思えば昇り藤とは


            我妹子(わぎもこ)の誕生祝ふ宴には

            いや咲き昇る華を捧げむ






「鬼田平子・おにたびらこ」

2010-06-02 11:53:54 | 和歌

 長い首の先に、それぞれ七つ八つの黄花をつけて、「鬼田平子」が揺れていた。

 ごくありふれた路傍の野花ではあるが、名前も知らないままに見過ごしてきた。 風に揺れる黄花が、何やら話しかける風情に見えてその姿がいとおしく、カメラに収めた。名前を知らぬままに打ち過ぎて来たことが、野花に済まない思いで、さっそく野草図鑑のお世話になった。
「鬼田平子・おにたびらこ」、初めてお目にかかった名前である。図鑑によれば多少の違いに応じて、「田平子」「小鬼田平子」などの種類もあるようだ。





 タンポポに似た葉が根元に広がり、
その中央に細い花茎がヒョロヒョロ~と伸びて、頼りなげに立ちあがり、黄花を付けていた。

 枯れた花柄は、タンポポ同様に綿毛のついた種を風に運ばせるのであろう、飛び立つ寸前の綿毛が小花の間に見え隠れしていた。道端に咲いた野花が、次には何所へ飛んで花を咲かせるのだろうか。

 頼りなげな細い花茎の「鬼田平子」ではあるが、種の保存にかけ、命を守る野の花の知恵と懸命な生き様に、甚くシビレた。ごく自然の営みの中に、何やら貴重な訓えを頂いたような思いであった。



            小花黄花 かんばせ寄せ合う乙女子か

            路傍の鬼田平子の華やぎ


            一もとの揺れる花茎頼りなく

            語りかけるや鬼田平子は


            いと細き花茎のばして七つ八つ

            黄花は知るや旅立つ綿毛を


            野の花は何処に命を長らふや

            風に任せて舞う綿毛かも