「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「60279人のご来訪に感謝」

2009-12-28 14:45:50 | 和歌

 先週の12月24日、ブログ「虚庵居士のお遊び」をお尋ねくださった皆様の数が、60,000人を超えました。斯くも多くの皆様がお立寄り下さって、大変あり難いことと感謝申し上げます。

 ブログの表題にもお断りしておりますように、「お遊び」として、ほんの手慰みの拙い写真と駄文・駄作を書き連ねて参りましたが、皆様がお立寄り下さるだけで、虚庵居士には云い知れぬ心の繋がりが感じられて、無形の宝となっております。

 気まぐれな「虚庵居士のお遊び」ではありますが、折々の花などと共に感興のおもむくままを和歌などに託して参りたく、今後ともどうぞ気楽にお立寄り下さい。





 「うつろ庵」の生垣の根方に、一株の「唐綿・とうわた」が根付いている。小さな花の後には、ツンと澄まし気な実袋が上向きに生る。やがて五・六センチ程の大きさの実袋が枯れると、なかからものの見事な「唐綿」が弾き出される。唐綿は三・四ミリ大の種を、風に任せて遠くまで運んで貰おうとの算段だ。

 何処からともなく、風に乗って飛んで来た種が、生垣の外に根を下して何年になるであろうか。今年も「唐綿」が見事に弾かれて、風になびいている。やがて何所かへ飛んで行くのであろう。
「虚庵居士のお遊び」の和歌も、唐綿よろしく何処かへ飛んで、何方かの心にそっと寄りそってくれればと念じつつ・・・。


               相しらぬあまたの方々柴の戸を

               訪なふ静かな足音絶えずも


               侘びてすむ庵にあれど訪ね来し

               あまたの方に至福を得るかも         


               とうわたの実袋はじけて白妙の

               輝く綿毛はいま飛立たむとす


               拙くも書きすさびたる歌なれど

               唐綿に乗り飛んでまほしき






「京都御所 その三 木漏れ日」

2009-12-26 15:14:01 | 和歌

 日頃からカメラなど手にしない虚庵夫人だが、京都旅行から持ち帰ったバカチョン・カメラを覗いたら、
感激的な作品が撮影されていて、息を呑んだ。

 檜皮葺の屋根を背景にして、錦織り成す紅葉からの木漏れ日が、神々しいまでの光の束を放って
いた。

 源氏物語の心ときめく光源氏と藤壺とのあの時から、幾世代を経たことであろうか。
当時の藤壺の住い「飛香舎」から朔平門の脇の辺りに、この柿紅葉の大木が当時を偲ばせている。
光源氏は柿紅葉の色の移ろいに、おのれの恋心を重ねて観たのであろうか・・・。藤壺は身ごもった情念を柿の葉の紅葉に託し、桐壺帝は生まれくる児と青柿の実を重ねたのかもしれない。

 織りなすそれぞれの想いが七色の光の束となって、現世に蘇ってきたのであろうか?

 



               綾錦 織り成すもみじ葉突き刺して

               光の「ツルギ」は神の御業か


               百重なす錦の木の葉は陽に透けて

               檜皮の屋根に浮き出でにけり

               
               ちはやぶる神の御業か木漏れ日の

               光の筋は七色にして


               柿の葉の綾なすもみじはそれぞれの

               託すこころの想ひなるかも






「京都御所 その二 威儀の者」

2009-12-23 13:13:50 | 和歌

 御学問所には等身大の「威儀の者」が、将に活きた人間であるかの如く、威儀を正し睨みを利かせて
帝をお護りしていた。

 源氏物語を勉強している皆さんでも、当時の殿上警備の様は、物語の中には記述がないので、興味深く観覧したことであろう。七段飾の雛人形の中には、三人官女や五人囃子等と共に、「威儀の者」が組み込まれているが、昨今のお雛祭りも狭い居住空間の制約から、お内裏様と僅かなお飾りに簡略化されているので、当時を偲ぶよすがも殆ど無くなったのは残念だ。

 それにしても、警備の武士にもこの様な衣装を身に着けさせていたのは、天上人への限りない敬意を抱いてのことであろうか。警備とはいえ、天上人のま近に仕えるのは「近衛府・次将」の役柄だそうだから、将に雲の上の世界を垣間見る思いだ。









               もののふの誉れと見るかも威儀の者の

               衣装に見とれる市民のまなこは

               
               雛飾りの両脇に立つ威儀の者を
 
               思いいだして懐かしむかな

                              
               孫娘の雛の飾りを寿がむ

               ばばの奏でる琴の音をそえ






「京都御所 その一 庭園」

2009-12-16 01:12:48 | 和歌

 「源氏物語」のお勉強を続けている虚庵夫人が、お仲間と一緒に「源氏の郷」を訪ねる京都旅行を楽しんできた。

 このたぐいの「お勉強会」は、圧倒的に女性軍団が席捲するのは何所も同じだが、彼女たちの京都旅行も賑やかであったに違いあるまい。普段からカメラなど全く手にしない彼女であるが、折角の機会だからと嫌がる虚庵夫人に、バカチョン・カメラ持たせた。

 「源氏の郷」探訪の京都旅行はどの様なルートであったか、物語との接点は等々旅の顛末はさておき、彼女の視線が捉えたごく一部分をシリーズで辿ってみたい。





 嘗ての帝を始め、やんごとなき際の人々や女御・更衣、下々の女官らの雅の世界の究極は、やはり御所にあったのだろう。そのように虚庵夫人が捉えたか否かは判らないが、カメラに収まっていたのは殆どが御所のものだった。
 
 見事な息をのむような御池庭とその州浜(すはま)だ。
樹木は殆どが枯れて、植え替えられたものに違いあるまいが、贅を尽くして築き、営々と管理され、入念な手入れが続けられて来たであろうことを思えば、この庭園の醸す雰囲気は源氏のころとさして違いあるまい。 

 若君のこころと、思ひをうけたひとの心の変化を、庭の木々や水面はどの様に見て来たのだろうか。
二人の思ひを、そっと慮れば・・・。






               梢より吹きくる風を衣手に

               悩めるこころをさらす君かも

 
               秋立てば木の葉のもみじも際立つに

               思ふこころの色を告げまし

               
               さざ波のにわかに乱るるこの思ひ 

               しずめる術をたれに訊ねむ


               岩走る水に託さむこのおもいひ

               水辺の木の葉もしぶきに濡れるに






「柚子」

2009-12-13 12:44:31 | 和歌

 「うつろ庵」の庭先の柚子が、黄金色に色付いた。

 この柚子の樹は、「うつろ庵」の庭先に植えてから長い沈黙を保って来たが、昨年になって初めて花を咲かせ、実をつけた。その感激を昨年の6月に、「柚子の大馬鹿 十八年」とのタイトルで短文を掲載した。今年は如何かと期待を寄せていたが、幸いにも五つの実をつけ、それぞれに立派に成長してくれた。黄金色に色付き、香りもさぞや素晴らしいことであろうが、鋭い「トゲ」が邪魔して鼻を近づけることも侭ならないのが、悔しい限りだ。

 黄柑が大好きな虚庵夫人は、柚子が色付き始めるとそわそわして「とって! 採って!」と子供同然に、ヨダレを垂らさんばかりだ。自家産の柚子とあればどの様に頂くか、今からその料理に思いを馳せて楽しむ毎日である。





               木漏れ日に輝く柚子の黄金かな

               待ちにし年月いや永くして

 
               柚子の香は如何にと顔を寄せにしも

               鋭きイバラの怨めしきかな

               
               はや採れとせがむ我妹子はいとしけれ

               柚子を掌にする姿を思えば






「シニアと学生の対話会」

2009-12-10 00:57:03 | 和歌

 数日前になるが、原子力関係の「シニアと学生の対話会」を東大・本郷で開催した。
午後からの開始だったが、若干の時間的な余裕をもって正門に足を踏み入れたら、そこは銀杏の黄葉と落ち葉が金色の世界を創りあげていて、息を呑んだ。この時節にはごく当たり前の情景ではあるが、久しぶりに訪れると喧騒の巷とはまた別の世界だ。

 銀杏の落ち葉を踏みしめながら、工学部に向かった。
これまでの略半年、学生の質問と意見とをメールで受け、これに極力丁寧に回答を認め、更には現役を離れてから間があるので、回答の不確かな部分を書籍やインターネットで調べ、或いは現役を煩わせて補強した返信を繰り返して、「往復書簡」を積み重ねてきた。

 学生の希望で、その往復書簡を直接の対話で補いたいとの企画で、「シニアと学生の対話in東京09」を開催する運びとなった。これまでの元気のない草食系学生ではなく、「活きのいい、選りすぐりの肉食系学生を集めた」との学生側の触れ込みに、胸が高鳴る思いであった。





 熱の籠った2時間余の対話を終え、それぞれのグループ毎に学生が対話の内容と、彼らが掴んだものを短時間で発表した。最後に乞われて講評のスピーチをさせて貰ったが、学生との得難い交流の半日であった。

 H20年度の年度末、我々シニアの会の乏しい予算がごく僅か余る見通しで、有効活用策を関係者にご相談した中で、「シニアと学生の共同出版」の構想が浮かびあがった。言イダシッペの虚庵居士としては、逃げ出せないので学生連絡会の会長さんに話を持ち込み、学会・春の年会にて学生とシニアが意見交換した。それがコラボレーションの第一歩であった。

 この構想の原点は、腰を据えた「シニアと学生の交流の場・意見交換の場」を設定し、シニアの熱い思いを伝え、学生と共に共同で執筆を重ねつつ、学生には次世代を担う思いを是非とも培って貰いたいと念じたものだ。

 学生側の自主的な検討・企画を尊重することを大方針に据え、学生の提案を待った結果、三部作の提案があった。第一は、学生がテーマを絞ってシニアに意見と質問をブッツケ、これにシニアがメールで答える往復書簡の交換だ。当日の対話会のテーマは、将に往復書簡の延長戦で、これまでにない深みのある対話が出来た。学業と研究等の合間を縫って往復書簡を重ねてきた学生諸君の努力を多とし、シニアのボランティアのご支援とご指導に、深く敬意を表し心から感謝した次第だ。

 学生提案のその二は、自分たちの後に続いてほしいと、後輩の学部生・高校生への参考書の執筆だ。またその三は、学生の夢と希望・提言などをつづって、社会に彼らの思いを届けたいとの企画だ。
シニアは学生の提案に賛同し、学会に「シニアと学生の共同出版」の追加予算を申請した。学会としては支援するべき優れた企画・活動だとして、追加予算が認められた。

 来年・春の年会では、「シニアと学生の共同出版」をテーマに企画セッションが開催される予定で、大方の注目を集めている。学生諸君はこれから忙しい時期を迎えるが、それまでには何としても出版事業を、シニアと一緒になって成し遂げて貰いたい。そして胸を張って、企画セッションで成果を語って貰いたい。

 対話会では、往復書簡を補って余りある大きな成果を得た。学生諸君は、是非ともこの成果を上手に汲み取って「シニアと学生の共同出版」へ反映させて貰いたい。また併せて、次世代を担う強い意志固めの材料として活かして欲しいものだ。



               黄金なる銀杏の落ち葉を踏みしめて

               学生対話に向かう今日かも


               学生の真摯な思いと問いかけに

               夜を徹しぬ長き返書に

               
               調べ上げメールに告げにしひと節に

               目を潤ませる若き君はも

               
               半世紀 歳を隔てて取り交わす

               メールの向こうの君を抱きぬ






「自然薯の黄葉」

2009-12-07 15:37:52 | 和歌
 
 散歩の途中で摘み取ってきた「零余子・むかご」を庭に蒔いたら、自然薯の蔓が伸びて白薔薇の枝に絡んでいたが、見事な黄葉に色付いた。

 昨年の秋には、ジャングル状に成長した蔓に沢山の零余子がなって、ご近所へもお裾分けをしたが、蔓が余りにもむさ苦しい姿であった。虚庵夫人からのクレームで、今年は総て刈り取った。にも拘らず、逞しく蔓を伸ばした一・二本がいとおしく、そのまま放置して自然の雰囲気を愉しんだ。

 秋が深まって、斯くも見事な黄葉を見せてくれようとは、思いもよらぬプレゼントを給わった思いだ。蔓が再び芽を伸ばした際に、刈り取られなかった感謝のお返しかもしれない。





               山採りのむかごは今年も蔓のべて

               庵の庭に風情を添えにし

               
               自然薯の黄金葉ゆれるは語らふや

               蔓絡ませる緑の木の葉と

  
               自然薯は己の刻を知るならむ

               散りゆく覚悟か黄金に染めるは