「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「三つ葉あけび」

2014-04-30 00:03:41 | 和歌

 「うつろ庵」のガレージの軒先に、「三つ葉あけび」が満開だ。

 ほんのチョットした遊び心で、ガレージの軒先に「三つ葉あけび」の蔓を絡ませたが、今や約8メートルのガレージ軒先を我が物顔に占拠して、青葉を茂らせている。



 「三つ葉あけび」の花は、「五葉あけび」に比べて紫色がかなり濃いのが特徴だ。
雄花(写真左)は花を房状につけて、団子状の蕊を剥きだして咲く。
雌花は花弁の中に、やがて「あけびの実」に育つ数本の子供を抱いて咲くのだ。
それぞれの子供の先端が濡れて光っているのは、雄花の花粉が付き易くするための粘着液だ。自然の逞しい知恵には、愕かされるばかりだ。



 道行く人が立ち止まり、見上げつつ、
 「沢山花が咲きましたね、あけびの実は生りますか?」 などと興味を示される。

 「三つ葉あけび」の実は太くふくよかなのが佳いが、まだ一つも生ったことがないのが誠に残念だ。何時の日か沢山の「あけびの実」が、ガレージの軒先にぶら下がるのを夢みる虚庵居士だ。




           ガレージの軒にあけびを絡ませて

           遊べば蔓延る逞しさかな


           あまた咲く花を見上げて問う人は

           あけびの実をば欲しげな素振りぞ


           ふくよかなあけびの実生れば手に取りて

           どうぞ召しませその日を夢みむ


           山づとの遊びを里の庵にて

           夢みて愉しむじじとばばかな






「玄関先のシンビジウム」

2014-04-28 18:39:34 | 和歌

 シンビジウムがこれ程逞しい花だとは、これまで認識していなかった。

 「うつろ庵」のガレージや庭先に置いてあったシンビジウムの中から、出来の悪い
鉢だけを玄関先に集めて、ささやかなコラボレーションを愉しんでいる虚庵夫妻だ。

 

 見事な莟が伸びて期待していたのに、後ろ向きに腰を屈めた際にお尻で花穂を折って、気の毒なことをした黄色花は、二輪だけだが健気に咲いてくれた。

 ピンクのシンビジウムの鉢には、いつの間にか花月(別名金のなる木)が腰を据えて我が物顔だ。

 生垣の枝を鉢のスタンド代りにして、春蘭を育てているつもりだったが、花が咲いて「白花シンビジウム」だと判明した小鉢は細葉だ。

 虚庵夫人が庭木の陰から青小鉢を探し出して、4鉢となった。
何れも小鉢で花数も少ないので、玄関柱を背に納まってくれた。
                        

           それぞれに難ある鉢のシンビジウム

           互いに援け補う気配ぞ


           華やかに咲き誇るにはあらねども

           分を弁えけな気に咲くかな


           競い合う気配は見せずそれぞれに

           気品を湛えるかんばせなるかな






「強制避難と庭園」

2014-04-27 15:59:13 | 和歌

 福島第一原子力発電所にほど近い富岡町にお住まいで、現在は避難生活を強いられている北村俊郎様のご厚意で、ご自宅の庭園の写真を紹介させて頂く。

 同氏は福島事故に関連したエッセイ、或いは論考を丹念にご執筆になり、毎回3編を関係者にメール配信されているが、今回はご自宅の庭園の写真を添付されて、
次のように付記してあった。
「今年の桜は色が濃くて綺麗です。添附の写真は、先日一時帰宅の際に撮った自宅の垂れ桜です。地面が草だらけなのが見苦しいのですが・・・。 また、東屋が傾き、垂れ桜の下にあったミツマタの木が枯れてしまっています。」

 震災発生の3月11日の深夜、政府は何の前触れもなく避難指示をだしたが、大熊町など一部の立地々域にのみ伝えられた。突然の指令でバスに乗せられ、行き先も定かでない緊急避難で、住民の皆様にとっては不安を煽る避難だったと聞いている。一方、富岡町などには政府からの連絡は届かず、発電所からの連絡を受けた町長の独断で、翌日の朝に避難指示が放送されたという。

 この様な混乱状態で始まった強制避難は、以来3年余の長期に亘るが、庭木の手入れも草取りも出来ずに放置された庭園を訪ねるのは、ご本人にとってはさぞや辛いものがあろうかと拝察する。

 さは申せ、林を背にした桜の華麗さは見事で、萌えいずる若葉と相俟って、一時帰宅された北村氏に安らぎをもたらしたに違いあるまい。



 見事な庭園の荒れた状況を、ブログに転載したいとの虚庵居士の厚かましいお願いに、快諾された同氏は、3・11事故前の手入れの行き届いた名園の写真をもお送り下さった。

 広大な敷地に様々な庭木を按配よく植込み、庭木の奥まったところに東屋を配し、丹精込めて手入れをされた名園は、惚れぼれと見飽きない。


                           二枚とも 北村俊郎氏ご提供

 国際放射線防護委員会(ICRP)が日本政府に勧告した緊急避難の判断線量は、
年間20~100ミリシーベルトだ。この範囲であれば人体に影響がないと、ICRPが科学的に判断した数値だ。強制避難の後、だいぶ経ってから日本政府は最小値20ミリシーベルトを避難基準に定めたが、大きな判断ミスを犯したことになる。

 事故発生時は、最大許容線量の100ミリシーベルトまでは安心ですよ、との基準を明示すべきであった。逆に最小値を選んだこと自体、国民の不安心理を煽る結果になった。加えて当時の政権は、放射能の除染レベルを1ミリシーベルトに約束したので、国民の心理的な安全基準は実質的に1ミリシーベルトになった。
「出来る限り低い基準を定めれば良い」との判断は、一見安全サイドに見えるが、
明らかな誤りだ。許される最大値を示し、事故の収れん状況に合わせて、管理基準を下げるべきだったのだ。

 また緊急避難にさいしては、ICRPが科学的に判断した数値を、国民に解りやすく説明すべきであった。強制避難の継続が個人に与える心理的な負担は、並大抵ではない。殊に放射能放出が低減した段階での帰還については、選択肢を準備して、個人の判断と希望を重視すべきだ。

 住いの環境とは、心の安らぎが得られる環境でなくば意味がない。
北村様が丹精込めた名園に、一日も早く戻れる日を願って已まない。 


           草の生す庭になりけり避難して

           三とせを経れど桜は迎えぬ


           垂れ咲く庭の桜にたずねれば

           色に出にけりあるじを待つとぞ


           草生してあるじ待ち侘ぶ庭に立ち

           詫びるこころを写真に偲びぬ


           請いねがい庭に植えにし三椏の

           木枯れ悔しも責めな己を


           庭の木々と心ゆくまで語らひを

           重ねて寛ぐその日の早かれ






「函南の芝桜」

2014-04-24 12:23:23 | 和歌

 伊豆・函南のゴルフ倶楽部で、お仲間たちの月例コンペが開催された。

 累積回数が190回を超える、和気藹々の楽しいコンペだが、虚庵居士は自宅の階段で足を滑らせて左足を負傷し、泣く泣く欠場した。
あろうことか数段をドスドスドッスンと滑り落ちて、左足の指を激しく傷めたのだ。

 この季節の伊豆・函南は、見事な花に埋まる楽園に変身するが、それを堪能できぬのが誠に残念であった。



 そんな思いを察してか、幹事殿はコンペの成績表と共に芝桜・桜、それに石楠花の鮮明な写真をお送り下さった。お蔭様で、函南の花の楽園を愉しむことが出来た。皆さんにも、二回に分けてご披露させて頂く。

 広角レンズを備えた彼のカメラは、広い法面に敷き詰めた芝桜を見事に捉えていた。富士コースのクラブハウスから、スタートホールに向う途中のご自慢の芝桜だ。遠方の山の稜線には、箱根から三島・沼津方面へ向かう東海道が見える。この写真には写っていないが、その先には富士山が聳え、左手には駿河湾が広がる絶景だ。

 送って下さった写真は、きわめて鮮やかなものだったが、ブログ掲載の制約から圧縮せざるを得ず、鮮明さも若干損なわれたのが残念だ。


                           撮影・ご提供は二枚とも 末木隆夫氏


           なだらかな法面染める芝桜の

           想いを伝えるご配慮なるかな


           函南の山の季節に身をゆだね

           なおも咲くかな芝のさくらは 


           大木の桜と共に紅の

           芝の桜の呼ぶ声きくかな


           桜咲きとく観に来よとの声きけば

           足の痛みに堪えて往かまし






「紫蘭と遊ぶ」

2014-04-22 12:18:53 | 和歌

 「うつろ庵」の紫蘭が咲いた。

 ムスカリの咲き残りがちらほらする花壇に、紫蘭の葉と共に多数の莟が出始めたと 
思ったら、春の陽ざしをうけて忽ち花穂を伸ばして、莟が膨らんだ。

 石畳を踏んで虚庵夫人と共に花々にご挨拶するのが、毎朝の
長閑な日課であるが、目に見えての成長は嬉しい愕きだ。

 莟の縞模様も緑葉に交じって、 なかなか乙な趣きがあるが、莟が
膨らんでくると開花の期待に胸がときめく。

 そんな期待を担って、先ずは一輪が花開いた。 朝日を浴びた紫蘭の花に、虚庵
夫妻はしばし見惚れた。

 ふと気が付けば、幅広の葉に紫蘭の花陰がくっきりと落ちて、花を咲かせてくれた母なる葉に、ご挨拶しているかの風情であった。

 花穂が風に揺れる姿を目を細めて眺めている間に、何時やら狭い「うつろ庵」の花壇は紫蘭で溢れるこの頃だ。

 「うつろ庵」の紫蘭は、葉の縁にごく細い斑が入る洒落た品種だが、ごく控えめの斑入りゆえ、花の品格を損なわないのがよい。あれこれと紫蘭と語り、飽きずに遊んでもらう虚庵夫妻である。




           ムスカリに次いで紫蘭は葉を伸ばし

           莟の縞の模様も粋かな


           日をおかず膨らむ莟にときめきを

           託せば応えて一輪咲くかな


           幅広の緑葉に落とす花陰は

           開花の感謝を囁く姿か


           あれやこれ飽かずに語らひ重ねれば  

           何時しか紫蘭の溢れる苑かな






「葡萄の若葉」

2014-04-20 13:21:06 | 和歌

 「うつろ庵」の葡萄が、芽吹きの季節を迎えた。

 葡萄棚の下から見上げれば、陽光を浴びた若葉が透けて、鳥が羽根をひろげ、
青空に向けて将に飛び立つ瞬間を観る様だ。

 昨年までは生垣の珊瑚樹に絡ませて、蔓を好き放題にさせていたが、葉が枯れ落ちた年末に葡萄棚に移した。葡萄棚と云えば聞こえはよいが、「棺桶ベンチ」の日除け簾を外し、フレームを葡萄に明け渡したに過ぎない。篠竹を若干追加して葡萄蔓を固定したら、ほどほどの葡萄棚に変身した。



 若葉を裏側からだけ見たのでは、葡萄に失礼だ。
「棺桶ベンチ」の上に立って、頭を葡萄棚の上に出したら、若葉が陽を浴びている初々しい姿が目に飛び込み、思わず「今年もガンバッテ!」と声を掛けた。

 葡萄の新芽は、ごく繊細な羽毛に護られて成長する。その片鱗をご覧頂きたい。
この初々しい新芽が成長し、やがて小粒ながら葡萄の房を付けるのだ。虚庵居士は昨年、その葡萄を頂いてワインを醸造した。思わぬ上質なワインを口に含み、ご満悦の爺だったが、葡萄棚のプレゼントはそのワインへのささやかな御礼だ。




           葡萄棚の下から若葉を見上げれば

           羽ばたき飛び立つ鳥かとぞ観ゆ


           春の陽をうけて透けにし若葉なれど

           やがては葡萄を蔓に吊るさむ


           葉裏のみ見上げるだけは失礼と

           葡萄の棚に頭をもたげぬ


           眼の前の新芽・若葉に目を瞠り

           思わず「ガンバレ」励ます爺かな


           いと細き羽毛は葡萄の新芽抱き

           母のこころか育み念じて






「ブルーベリーの壺花」

2014-04-18 14:22:33 | 和歌

 「うつろ庵」の庭先に、「ブルーベリーの壺花」が咲いた。

 ブルーベリーは背丈が1メートル足らずの灌木だが、細い枝先のそれぞれに5・6個の壺花が、頬を寄せ合って咲くので、花は小さいがかなりの存在感がある。



 花の咲き初め頃は口を尖らせ、比較的に面長な顔立ちだが、日が経つと「ほっぺ」を膨らませ、「おちょぼ口」を開けたその表情が何とも愛らしい。色白のふくよかな壺花は、乙女等がほっぺを寄せ合って、楽しそうに囁き合う姿を連想させて微笑ましい。

 ダイニングテーブルで遅い朝食を摂っていたら、なんと小さな目白が飛んで来て、あろうことかブルーベリーの壺花を食べ始めた。ハッと記憶が甦った。ブルーベリーの壺花は小鳥たちの大好物なのだ。ブルーベリーの灌木をネットで被ったのを見かけ、不審に思って尋ねたら「小鳥よけデス」との回答だった。

 小鳥よけのネットは風情を損なうので、「うつろ庵」では小さな風車を取り付けた。




           それぞれの小枝の先に五つ六つ

           ブルーベリーは稚けなきかな


           口つぐみ細面に咲くブルーベリーに

           あすの乙女をまぶたに描きぬ 


           ふくよかなほっぺと小さなおちょぼ口に

           乙女の想いを おもほゆるかな






「私家歌集・菊の香り」 上梓 

2014-04-16 00:30:06 | 和歌

 「虚庵居士のお遊び」をご愛読下さって、有り難うございます。

 ブログ「虚庵居士のお遊び」に掲載しました昨年十一月以降の、ほぼ半年の作品を収録した私家歌集 第十二巻 「菊の香り」を、この度CD版にて上梓しました。



 3・11以来、我が国のエネルギー政策と原子力問題は、様々な重要課題が重なり、リタイヤした虚庵居士ですが悶々とした日々が続きました。

 次世代を担う学生諸君と膝を交え、喧々諤々の意見交換を重ねたり、時には多くの皆様に訴える講演など、毎日を精一杯に過ごして参りました。鬱積する憂さを晴らし健康管理を兼ねた散歩を続け、路傍の花や些細な事どもに悦びを見出し、時には酩酊ゴルフなどを楽しみました。

 そんな一コマ一コマを拙いエッセーに書き留め、心のときめきを和歌に詠み、恥じらいもなく皆様にご披露して参りました。

 私家歌集 第十二巻 「菊の香り」を上梓できましたのも、皆様のご支援のお陰と
こころから感謝申し上げます。


           わぎ妹子と山路を行けば枝々の

           若葉は手を振り じじばば迎えぬ  


           道すがら野草の花のあれこれに

           見惚れて声をかけつつ歩みぬ




        私家歌集は書店・CDショップに販売委託をしておりませんので、
        ご購入は下記メールアドレス宛に、直接ご注文願います。
            E-mail: kyoan2@mail.goo.ne.jp  送料込定価 500円 

 


「新緑の珊瑚樹」

2014-04-14 15:27:25 | 和歌

 「うつろ庵」を取り囲む珊瑚樹の新緑が、爽やかだ。

 珊瑚樹の肉厚で柔らかい新緑は、虫たちにとっては又とないご馳走で、油断すると一気に食い荒らされて、見るも無残な姿に変貌する。この時期の虫たちは体長5ミリ以下の幼虫だが、食欲がすこぶる旺盛で成長も早い。彼らは幼虫の頃だけでなく、羽根付の成虫に変身してからも珊瑚樹が大好きで、生涯を珊瑚樹で過ごすことになる。従って、幼虫の段階で消毒退治しないと大変なことになるのだ。

 「うつろ庵」の珊瑚樹は、既に二回の消毒で、ほぼ退治出来て、爽やかな新緑を愉しむ毎日だ。しかしながら油断すると、羽根付の成虫が飛来して、思わぬ被害を受けることにもなりかねない。更に加えて、珊瑚樹は精力旺盛な喬木ゆえ、かなり頻繁な枝の剪定も必要だ。「うつろ庵」を取り囲む珊瑚樹の生垣は、総延長30数メートルになるので、珊瑚樹を見応えある状態に保つには、かなりの気配りと労力が必要だ。



 珊瑚樹の緑に囲まれた「うつろ庵」の、ごく狭い庭の隅には、「棺桶ベンチ」を設えてあることを以前にもご紹介した。古い焼酎甕を逆さに置き、厚い板を乗せてベンチの座板とし、珊瑚樹の枝から枝へ竹棹を渡して、ベンチの背凭れでゴザイと嘯く虚庵居士だ。新緑に囲まれたベンチに坐し、グラスを傾けつつ陶然と過ごせば、あの世とこの世を自在に往復すことが出来るので、棺桶ベンチと命名して悦にいる爺様だ。

 ご興味とお時間がある方は、ご来訪歓迎です。




           朝な夕な緑の枝葉に手を伸ばし

           新芽を摘みつつ語らひ重ねぬ 


           虫食いの見苦しき葉を無くさむと

           若葉の珊瑚樹いとおしむかな


           陽をうけて煌めく新緑風に揺れて

           言葉はなけれど爺に応えぬ


           珊瑚樹の緑に囲まれ寛げば

           むげんに拡がる狭き庭かな






「木漏れ日と三椏」

2014-04-12 11:52:47 | 和歌

 葉山で虚庵夫人とのゴルフを楽しみ、車での帰路に、大樹の下で木漏れ日を
浴びる「三椏の花」に出会った。

 木漏れ日とは云いながら、大樹が被う天蓋の葉が薄暗い木陰を成していたので、三椏が暗闇にぼんやりと浮かんでいた。酔眼朦朧の虚庵居士にとっては、夢の中で朧に浮かぶ三椏の花に出会った感じで、「ハッ」として車を止めて貰った。

 虚庵居士の最近のゴルフは、Hennessyのポケット瓶を携え、ナイスショットのご褒美に一口、ミスパットの悔しさを紛らわして一口などと、ゴルフと酩酊の二刀流だ。
更に、ランチではお決まりのホットドリンクを愉しむので、帰路のマイカー運転は虚庵夫人にお任せとなる。

 酔眼朦朧で、車窓から眺めた三椏の花は、天国の花かと思われた。



 酔眼朦朧でカメラを構えても、ピントが合わせられる筈もない。
しばらくの間カメラと格闘した。 カメラに収めた画像と、三椏の優雅な花の現物との区別がつかなくなって、車の助手席に戻った。 虚庵夫人はそんな酩酊老人の三椏撮影を、辛抱強くジッと待ってくれていた。




           樹の下の日陰に浮かぶは花かしらむ

           夢かうつつか車に揺られて


           木漏れ日に朧に咲くは三椏か

           手招きするらし ぼんぼり花ゆれ


           車とめて近くに観れば三椏の

           小花群れ咲き爺を迎えぬ


           心地よく酔眼朦朧 写さむと

           構えるカメラのピントは合わずも


           ピンボケの三椏の花は目の前の

           朧に浮かぶまことの姿か






「タンポポと仏の座」

2014-04-10 12:07:23 | 和歌

 「タンポポと仏の座」が、じゃれ合っているかの様な風情であった。

 草叢はまだ枯草が多かったが、所々に咲くタンポポを取り囲むように、「仏の座」が花茎を伸ばし、風に揺れてタンポポに寄り掛かっていたのだ。
その風に揺れる姿が、タンポポに話かけ、じゃれ合っているかの様に見えた。



 草むらで揺れる仏の座を、バカチョン・カメラで写そうと暫らくもがいたが、腰を屈めての難行苦行で、諦めた結果がピンボケの写真になった。

 タンポポの鮮やかな黄色と仏の座の紫の対比、多弁の花とユーモラスな筒花の対比にも、しばし見惚れた。仏の座の葉の付き方は、仏の蓮華座を思わせることから、この名前が付けられたそうだ。




           草むらに目を惹くタンポポ 近寄れば

           むらさき花がじゃれ合う風情ぞ


           首のばし風に揺れるは仏の座

           黄花とひじゃれ合ふ声を聞かまし


           いと細き花びらひろげるタンポポと

           ひょうきん顔のお友だちかな


           腰屈めじじも仲間に入れてよと

           しばしの語らひ時を忘れぬ






「二十万人のご来訪に感謝」

2014-04-08 10:49:30 | 和歌

 何時もご愛読頂き、ありがとう御座います。
「虚庵居士のお遊び」のご来訪者のカウントが、何と二十万人を超えました!!

 斯くも多くの皆様が、「虚庵居士のお遊び」にお付き合い下さり、こころと心が通じ合えるとは大感激です。

 多くの皆様方のご来訪は、書置きやお声が掛らなくとも虚庵居士にとりましては、この上ない歓びであり、
無言の励ましであります。

 改めて、御礼を申し上げます。

 殆どの方はお気付きにならないと思われますが、画面左下の「アクセス状況」は、blog.goo が自動的に集計したブログへのアクセス状況が、
毎日更改されます。

「アクセス」は昨日の閲覧頁数と訪問者数です。虚庵居士は、一回の掲載を紙数に関係なく一頁と指定しましたので、A4に換算すれば五割増し程度になります。
「トータル」とは累積の閲覧頁数と訪問者数です。 訪問者が200,053を数えました
ので、今回の特別報告になりました。

昨日迄の累積・閲覧頁数 2,083,611 頁 は、実質的にはA4換算で三百万頁を数え、百五十頁の単行本二万冊にも相当し、驚くべき数字で感涙に咽んでおります。
「ランキング」は、昨日のgooブログ総数2,006,512の中でのランキングを示します。




           蔓延ばす緑の葉むらに浮かぶかな

           かすかに揺れる豌豆の花は 


           しろたえの花びらを背に紅の

           花びら丸める恥らひ可笑しも


           お遊びに詠みにし歌など書き連ね

           ブログに掲げぬ恥じらいもなく


           ゆかしくも二十万もの人々の

           訪なふ足跡 乱れすらなく


           柴の戸を斯くも数多が訪なふに

           詫びる心地ぞ湯茶も進ぜず






「縁石のすみれ」

2014-04-07 13:12:08 | 和歌

 花を愛でる住み人の機転と言おうか、はたま自然の逞しさと言おうか、縁石のごく僅かな隙間に根を張り、花を咲かせている「すみれ」に出会った。

 住宅街の道路の縁石はごく普通のコンクリート製で、敷き詰められたブロックとの隙間は、精々1・2ミリ程度だった。態々この隙間に菫の種を蒔いたとは考え難い。
多分、住み人がプランターなどへの種まきの際に種をこぼし、それが隙間に落ち込んだものだろう。

 それにしても、殆ど土も無いコンクリートの隙間で、根を張り、花を咲かせる逞しさには目を瞠り、脱帽だ。人間社会でこれ程の逞しさを備えていれば、そのご仁の人生は間違いなしに立派な成果を挙げることであろう。 余命幾ばくもない虚庵居士だが、「縁石のすみれ」の貴重な訓えを活かせられるだろうか 。




           道端に 一列に咲くすみれかな

           ふと気が付けば 縁石の隙間ぞ


           土も無く僅かな隙間に根を下ろし

           菫咲くとは 神のご加護か


           住み人の心のほどを偲ぶかな

           めで慈しむ姿は見えずも






「つくしのお花見弁当」

2014-04-06 13:13:31 | 和歌

 数日前になるが、走水水源地に「お花見」に行った。

 春の寒暖の変化を、古来から三寒四温などというが、暖かな日和が続き桜が満開になった。昼食直前になって、じじ・ばば二人は急きょ「お花見」に行くことになった。
ランチをそのまま器に詰め込み、車で5分ほどで水源地に着いた。



 横須賀市水道局は、桜のシーズンだけ水源地を市民に開放して、「お花見」に供すると云う粋な計らいだ。三浦半島の先端・走水の豊富な湧水を水道に利用しているが、かなり広い水源地には桜の古木が約130本も植えられているので、「お花見公園」に早変わりするのだ。ここの水は、降雨後20年を経て湧き出すことが確認されているが、カルシュウムなどを多量に含むのでおいしいと人気がある名水だ。

 横須賀の水道発祥の地でもあり、市民自慢の水源地だ。

 たまたま前日の散歩で「つくし」を見つけ、童心に還って摘んで来たので、虚庵夫人は「つくしの卵とじ」を料理してあった。

 ごく質素なお弁当ではあったが、虚庵夫妻にとっては掛け替えのない「つくしのお花見弁当」であった。


           うららかな日和に誘われ思い立ち

           花見にゆこうよ 行きましょうか


           前の日の散歩で摘んだ「つくしんぼう」

           卵でとじた花見の弁当


           ささやかな弁当なれどもじじばばには

           春の恵みぞ 土筆と桜は


           さくら花 透かして見える青き海に

           浮かぶ汽船は何処に向うや






「花壇のヒヤシンス」

2014-04-04 12:05:37 | 和歌

 「うつろ庵」の狭い花壇では、ムスカリと共に「ヒヤシンス」が咲き誇っている。

 テラスに据えた手造りのテーブルで、日向ぼっこを楽しみつつ花壇の花を愛で、
ワイングラスを傾け、ランチを頂くのが虚庵居士のささやかな贅沢だ。

 寒気の厳しいかったこれまでは些か無理だったが、桜が咲くこの頃はテラスでの
ランチはご機嫌だ。足元のムスカリやヒヤシンスに次いで、紫蘭やブルーベリーも既に綻び始めた。ごく狭い「うつろ庵」の庭ではあるが、新緑に囲まれ草花が咲き、小鳥が飛び交う庭は極楽浄土ではあるまいか、などと虚庵夫人と戯れるこの頃だ。

 相変わらず時間に追われ、あるいはパソコンに向かう時間が減らない毎日だが、
僅かな時間でも庭の草花や庭木と共に過ごすのは、安らぎが得られる。
ほんのチョット手を加えればそれに応えてくれる、自然の反応にも目を瞠る。言葉が伴わないまでも、胸がトキメク交歓になろうとは、思いもよらぬことであった。




           足元のヒヤシンスの花咲にけり 

           花弁を反らすは瑠璃色誇るや


           いと狭き庭にはあれど様々な

           歓び給わる極楽浄土か


           わぎ妹子と戯れことに言いたれど

           思えばまことのことならめやも