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"暮らしのリズム"的できごと

先人が培った暮らしの知恵を通じて今を楽しむ【暮らしのリズム】のブログ。旧暦、落語、音楽、工芸品、食、民俗芸能などをご紹介

住吉神社例大祭~其の弐~祭始まる

2005年08月11日 17時56分18秒 | 日々のことなど

旧七月七日。旧暦の七夕です。
日本海側ではあいにくの雨模様だそうですが、その他では全国的に晴れ。
空気の澄んだところでは天の川が夜空に広がることでしょう。やはり七夕は旧暦で楽しむ行事ですね。
二十四節気の立秋(8月6日でした)も過ぎ、暦の上では秋ですが、残暑厳しく夏の彩りがそこここに感じられます。

さて、すっかりblogの更新をサボってしまいました。すいません。

住吉神社例大祭は8月8日(月)に終わりました。町内を走り回ったり、少しは御神輿を担がせて頂いたりと、使い慣れない筋肉を酷使したせいか、体のあちらこちらが悲鳴を上げています。それ以上に、夢のような充実した日々であり、精神的な空洞と言いましょうか「大祭が終わってしまった」という無常感のようなものが大きいです。

それでは大祭のレポートを順を追ってご紹介しましょう。町のいたるところにスケジュールが書かれたポスターが掲示されているのですが、そこに書かれていることが「実際にはどこでどんなことが行われ、それぞれにどんな意味があるのか」客観的に見ているだけではなかなか伝わってこない
かもしれません。私もそういった疑問に度々ぶつかりました。ことあるごとに会の先輩方にいろいろ教えて頂きましたので。そのあたりが伝わってくれると嬉しいです。


8月5日(金)。
8-5mikoshi各町内の御神輿清祓いが行われます。飾り付けが施された御神輿は町内の目抜き通りに建てられた御仮屋という建物に設置されます(←仮倉庫を出て御仮屋へ移動する御神輿)
大祭の期間中、御仮屋が町内御神輿のベース基地となるわけです。御神輿の前には榊、御神酒、
8-5mikoshi2塩、米、素麺、凍り豆腐、するめいか、昆布などなどの供え物が置かれます。そして住吉神社宮司のお祓いによって、御神輿に御霊(みたま)が入るのです。
この日の夕方には住吉神社にて本祭の前夜祭である宵宮、そして各町会、住吉神社のお膝元、佃住吉講による手打式が行われます。まず各町会はそれぞれ揃いの長着(浴衣より厚手の着物)を着て、
8-5otabisho勝どきにある住吉神社の分社(御旅所と呼んでいる)に集結して参拝します。(←御旅所での参拝)
そして高張(長い竹竿につるされた大きな提灯)を先頭に、住吉神社までおよ
8-5nishinakaそ2kmの道のりを行進してゆきます。神社に集結した後、宵宮と手打式が行われこの日の行事が終わります。
(西仲通り商店街を行進する隊列→)

淡々と説明だけしてきましたが、粛々とした一つ一つの儀式は、躍動感溢れる大祭直前の凛とした静けさを感じさせます。三年に一度の大祭を待ち焦がれた皆の期待が頂点に達してきます。


住吉神社例大祭~其の壱~御神輿の準備

2005年07月27日 15時02分54秒 | 日々のことなど

 旧六月二十二日。月もだんだん痩せてゆき、明日が下弦の月です。
 首都圏直撃か、と騒がれた台風7号は日本列島に沿うように北上してゆきました。抜けるような青空が美しくまさに台風一過の“日本晴れ”ですね。久しぶり、真夏の太陽がまぶしいです。
maturiguide 私が住む月島では、3年に一度の祭り【住吉神社例大祭】を間近に控え、町全体が盛り上がってきました。8/6(土)~8/8(月)の三日間、佃島の住吉神社を中心に行われるこの祭り。江戸三大祭り(三社、神田、日枝)や、おとなり深川の富岡八幡宮例大祭と比べてしまえば規模こそ小さいですが、厚い信仰と360年の歴史に支えられた江戸らしいお祭りと言えるでしょう。古典落語に「佃祭り」というのがあります。この時期になるとよく高座にかかるのかもしれませんね。
 昨年の11月に月島に移り住んだ私は、御神輿やお祭りの体験もないまま、ただ傍観しているだけではいかにも勿体ないとばかりに、図々しくも町内神輿のメンバーに参加させて頂くことになりました。私の地区は月島の二之部町会で組織の名前は“若睦”。伝統的なお祭りを裏側から見るという貴重な体験になると思います。
 早速、この前の日曜日(7月24日)にお祭りの準備をする作業に参加いたしました。
mikoshi1この日の作業は、三年の年月を経て御神輿と山車を倉庫から運び出し、金具や装備を取り付けてゆくのです。
(←御神輿はトラックで運ばれクレーンで降ろされます)
 まず作業場に運び込まれた御神輿には、中央の担ぎ棒である“親棒”が差し込まれます。屋根の四隅には“蕨手(わらびて)”、軒の端には“葺き返し”をとりつけ、屋根から紫紺の“飾綱”を垂らし、頂点には勇壮な“鳳凰”を取り付けます。mikoshi2四隅の飾綱はそれぞれ蕨手を一回りして下に降り、親棒の根本を一回りして絡みながら再び昇り、蕨手に結ばれます。飾綱には“鈴”を結びつけます。
(作業中の御神輿です→)
てっぺんの正面、鳳凰の足元には町会の名前が書かれた“駒札”を結びつけ、蕨手の上には“小鳥”をとりつけ、四隅の軒下には“風鐸(ふうたく)”“銀杏”を下げます。最後に四面の鳥居の奥にmikoshi3“鏡”を結びつけ、その前に煌びやかな“瓔珞(ようらく)”を吊り下げます。次に担ぎ棒。親棒の先端には“棒先金物”または“棒鼻金物”を差し込みます。親棒の前後にはクロスするように“とんぼ”を縄で結びつけ、とんぼの端に親棒と平行になるように“脇棒”を結びつけ、これで御神輿の完成となります。
(←親棒にとんぼを縄で結びつける作業)
 一つ一つの作業には理屈にかなった手順と厳密なこだわりがあり、意味を含んでいます。こうした技術と知識はしっかりと受け継いでゆかなくてはならないものです。会の先輩方、神輿や神具を専門に扱う職人の説明を伺いながら、見るものすべてが新鮮な作業を噛みしめる濃い~一日でした。若睦の皆さま、暖かく迎えて頂きありがとうございます。