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"暮らしのリズム"的できごと

先人が培った暮らしの知恵を通じて今を楽しむ【暮らしのリズム】のブログ。旧暦、落語、音楽、工芸品、食、民俗芸能などをご紹介

収穫の秋~岩手より

2005年10月03日 23時41分06秒 | 日々のことなど

旧九月一日。今日は朔、新月です。
旧暦の時代には、それぞれの月に名前を付けて呼んでいました。“和風月名”と言われる粋で風情があるものです。一月から睦月(むつき)、如月(きさらぎ)、弥生(やよい)・・・ときて、旧暦の九月は『長月(ながつき)』です。
「秋の夜長の」略であるという説、あるいは「稲刈月」「稲熟月(いねあがりつき)」が約されたという説もあるそうです。

さて、今日は少々私事を。ちょっとまとまった時間ができたので、一週間ほど岩手県に行ってきました。妻の実家が北上市にあり、父と母は田圃を営んでいます。とても贅沢なことに毎年たいへん美味しいお米を届けてくれます。お米を作るのには八十八の苦労がある、と言い伝えられてきました。そのほんのふたつかみっつを体験し、これからの一年間、自分で食べるお米の味をいっそう噛みしめてみよう、ということで9/26(月)の夜行バスに乗り込みました。

快晴の早朝、みちのく路を北進するバスの車窓からは、北上山地から昇る朝日に照らされた黄金色の田園が広がります。気象情報ではこれから3~4日晴天に恵まれるとのこと。ローカルニュースでも盛んに稲刈りのシーズンであることを告げていました。

田圃があるのは東北新幹線の北上駅と新花巻駅の中程、
10-3tanbo北上川に架けられた橋のほど近いところにあります。この田圃のお米は自家消費するためのものですから、可能な限り減農薬で栽培し、昔ながらの自然乾燥による「ひとめぼれ」という品種です。田圃の大きさは二反歩(にたんぶ)。この単位はなかなかピンと来ないかもしれませんね。一歩=一坪、つまり畳二10-3tanbo2枚分、1.81m四方です。三十歩が一畝歩(いちせぶ)に、十畝歩が一反歩、さらには十反歩は一町歩になります。なので二反歩は600坪、だいたい66メートル×30メートルといった感じの大きさになります。農家の高齢化などの理由から、最近は一町歩くらいの大規模な田圃に再整備して、大10-3tanbo3規模な農機を保有する農家が担い手となって稲作を行う傾向になっているそうです。比較的小規模な田圃でも農機を持っている農家に有償で依頼して、刈り取りから機械乾燥までを一気に終わらせてしまうのが主流とのことです。

10-3tanbo4月に入ってからの雨と強風の影響で倒れてしまった稲が多く、釜による手刈りと、手押しの二条刈り(一度に二列の稲束を刈り取る)コンバインによるスローな作業。周りの田圃で大型のコンバインが入り半日で刈り取り~脱穀~乾燥が終わってしまうのを横目に見ながら、体をフルに酷使しながら刈り取りに2日、自然乾燥の棒掛けに2日。これからのお日様次第で乾燥が終わるのは 2週間後か3週間後か。晩秋の装いが日増しに濃くなるみちのくの秋風が美味しいお米に仕上げてくれることでしょう。炊きたてピカピカの新米は、どんなおかずで食べようか、想いを馳せる有り難い時間を愉しみたいものであります。

写真は上から
~黄金色の稲穂。減農薬のため様々な種類の蛙や虫、イモリもたくさん姿を現す。
~刈り取りを終えた田圃の風景。通り過ぎる新幹線はいつしか時計代わりに。
~東北地方独特の棒掛け。1本の杭にだいたい50の稲束を架ける。このみち40年以上父母の見事な手際である。
~秋の陽はつるべ落とし。9/30(金)の夕暮れ時に計ったように作業が終了。

◆10/9追記と訂正です◆
稲を自然乾燥させる方法を単に“棒掛け”と書いてしまいましたが、地面に対して垂直に立てた杭に稲穂の束を積み上げてゆく方法のことを『穂鳰掛け(ほにおがけ)』と言います。鳰はかいつぶりの古名だそうです。お尻のところの金色の羽毛が稲穂に見えるからなのでしょうか。対して、地面と水平に渡された棒に稲束を架けるの方法を『はせ掛け』と言います。もうひとつ訂正です。稲束の刈り取り結束機はのことは『バインダー』と言うそうです。今日の岩手日報に興味深い記事がありましたのでリンクします。


旧暦の素敵な本をご紹介します

2005年09月07日 15時14分46秒 | 日々のことなど

旧八月四日。今日は二十四節気の白露です。今日から二十四節気の次(秋分)の次、寒露(10/8)の前日までが一般的に“仲秋(ちゅうしゅう)”です。

◆白露◆この頃秋気も本格的に加わり、野草に宿るしらつゆが、秋の趣をひとしお感じさせる。せきれいが鳴き始め、ツバメが去ってゆく。(「現代こよみ読み解き事典」より)

う~ん。いよいよ秋が深まるはずなのですが、ゆっくり北進する台風14号の影響で、残暑がもう一息ぶり返しそうです。

“暮らしのリズム”blogでは、記事の冒頭に必ず旧暦の日付を入れています。旧暦9-7moonのお話しは以前にもしましたが、明治5年まで日本で使われていた暦です。今私たちの暮らしを司っている暦は、太陽の動きだけで暦を運用するグレゴリオ暦です。それに対しいわゆる旧暦と呼ばれる暦は、とても簡単に言ってしまうと月の周期で日付を、太陽の動きで季節をあらわす「太陰太陽暦」なのです。今のカレンダーは確かにとても合理的にできていますが、ついつい月の表情や動きを忘れてしまいがちですね。月のリズムは人間の生体のリズムを刻むとも言われています。普段の生活の中で、ふと肩の力を抜いて旧暦に目を留め、月の動きを意識してみるのはいかがでしょうか。

簡単に“旧暦”と言っても、法則性や計算方法がとても難しく、簡単に暦を作ることはできません。月は地球の周りを平均29.53日で回っている。旧暦のひと月は二十九日か三十日。太陽暦の1年より旧暦の十二ヶ月はおよそ11日短い。旧暦では閏月を設けた13か月の年がある。などなど、そのメカニズムはちょっとややこしいのです。でもせっかくの機会ですから、そんな暦の知識を身につけたいものですね。9-7bookそこでつい最近発刊された旧暦の本をご紹介します。
「暮らしに生かす旧暦ノート」鈴木充広著 河出書房新社2005年
著者は、私もしょっちゅう拝見している人気のサイト「こよみのページ」を主宰されています。旧暦の仕組み、月にまつわる話、東京を基準にした季節暦などなど、専門的な知識をわかりやすく紹介しています。テレビの近くなど手に取り易いところに置いておいて、ちょっと気になったときに読み返してみたくなる、素敵な本です。

時折月を眺めながら、自分の体の中で刻むもう一つの時間を感じていきたいものですね。


“打ち水”大ブレイク中

2005年08月20日 14時18分24秒 | 日々のことなど

旧七月十六日 望。七月の満月です。
東京では一昨日あたりから西の強い風が吹き、空気が澄んでいますね。

「今日満月?」という会話があちこちから聞こえてくるような、大きな月白々8-19tsukiと夜空を照らす、月夜が続いています。この晴天が続けば今日の満月も明るいでしょう。夕方銀座から月島に帰ると隅田川の向こう側にぽっかりと月が浮かんでいます。月島の名の由来は、月出島(つきいずるしま)なのでしょうか。次の満月、旧八月十五日(9/18)はもう中秋の名月。日に日に秋深まるというこの頃です。
(↑これは昨夜(8/19)の月。佃・住吉神社にて)

それにしても残暑が厳しいです。本日東京正午の気温は33.7度だそうです。まだまだこれから上がるのでしょうか。そんな今年、都市の温度を少しでも下げようと“打ち水”が大ブームになっています。8-20uchimizu【打ち水大作戦2005】のホームページをご覧頂けると、打ち水の効果、やり方、地域の打ち水イベントから、オリジナルTシャツ、さらには打ち水音頭CDに至るまで、打ち水に関するいろいろなことが紹介されています。この運動、テレビのニュースなどでも頻繁に紹介されていますが、皆思い思いにスタイルで打ち水を楽しんでいますね。中には浴衣を粋に着こなし、木の桶と柄杓で水を撒いている人もいます。昔の人の知恵を思い出して、過ごしやすさを追い求めようとすることは、とても良いことですね。

よくテレビでは、白昼に強い太陽に照らされたコンクリートやアスファルトに打ち水をしているところを紹介しています。確かに熱せられたコンクリートは打ち水によって冷やされ、水が蒸発する時に熱を奪う気化熱の効果で気温は少し下がるのですが、それはひとときのことだと思います。その後は周辺の湿度が急激に上がり、かえって蒸し暑く不快指数は上がってしまうように感じます。これは先日の住吉神社例大祭、御神輿に大量の水を掛ける時に身をもって実感しました。

そこで、私がよくやっている打ち水の方法をここでご紹介しましょう。自宅前の路地に打ち水をするのは、朝、路地に直射日光が差し込む前、だいたい8時くらいまででしょうか。そして夕方は少し空が暮れ始めた頃ですね。路地はコンクリートで固められているのですが、地面、そして植木にも水をやります。水は主に炊事になどに使った残り水。道具は5年くらい前に買った青森檜の桶と自分の手。手のひらをグーとパーの中間くらいに、手首を柔らかくして撒くのがムラ無くきれいに打ち水をするこつだと、思っています。

道具に使っている檜の桶についてちょっと。伝統工芸品が少しずつ見直されていることもあって、飯台、おひつ、桶、手桶といった木工品を目にする機会が増えてきました。
(↓my湯桶。いつでも檜の良い香りが立ちます)oke
檜の桶は風呂用にと買ったのですが、今は台所を中心に野菜を洗ったり布巾を絞ったり、打ち水用に米のとぎ汁を溜めておいたりと、活躍しています。水に濡れた桶を置いておくだけで、付近には檜の良い香りが立つのです。食品用には香りの少ないサワラ材を、風呂には檜を、と用途によって素材も違うそうです。こうした木工品はずっと生活に密着してきた道具であるために、今でも全国の職人が素晴らしい製品を作っています。もちろん東京都内にも。ぜひご紹介してゆきたいと思っています。


住吉神社例大祭~番外編~夢見心地な祭りの夜

2005年08月15日 19時14分50秒 | 日々のことなど

旧七月十一日。月の姿も段々と大きくなってきました。
今日は太平洋戦争終戦60年目の記念日。鎮魂と平和への願いの一日です。
例年、この日を過ぎると少しずつ秋の気配を肌で感じてゆきます。

今日までの三日間。深川の富岡八幡宮例大祭が行われました。今年は三年に一度の本祭りですから、鳳輦の渡御(8/13)と、神輿連合渡御(8/14)があります。昨日午後に永代通りの八幡前に帰ってくる各町内の大神輿の渡御を見物に行ってきました。どの町の御神輿もそれぞれに特徴があって美しいですね。伝統的な「わっしょい、わっしょい」という掛け声にこだわる渡御は、どっしりしていて勇壮。さすが御神輿の深川祭りです。

さて、佃・月島は祭りが終わって一週間が経ち、普段のリズムを取り戻そうとしています。今日は祭りの夜、住吉神社のお膝元、佃島の旧家で体験した粋で素敵な出来事を振り返って、番外編としてご紹介します。


8-7iida話はちょっと遡って佃島盆踊りの時。友人のかつてのお仕事仲間(通称:ヒメ)がご親戚だったというご縁で、唄の名手飯田恒雄さんを紹介して頂きました。そのヒメが祭り見物にやって来るという話を友人から聞いていました。で、その昼に少し自由な時間があったので佃島方面を自転車で回っていると、ツネさんのお宅(僭越ながら親しみを込めてそう呼ばせて頂いています)に「佃囃子奉納、若山社中、今夜午後九時半」という貼り紙があるのを発見。これは見逃す手がない、と期待感が高まります。午後の御神輿巡行も終わり、この日は解散。夜になって皆と月島のもんじゃ屋さんで合流していざ佃島へ。

8-7iidamikoshi飯田恒雄さんのお宅は、江戸の末期か明治の初期に建てられたであろう大8-7iidaohayasiとなります。胴太鼓に二つの締太鼓、篠笛と鉦という祭り囃子のシンプルな編成。ゆったりと静かな篠笛の調べで始まり、徐々に高揚してゆくかのようにテンポがアップしてゆきます。難解な規則性があるリズムと日本独特の間と旋律。癒しと活性が不思議に同居した精神の浮遊感が全身を支配します。まるで江戸の町にトリップしてしまったかのような・・・、あぁなんとも貴重な体験でした。飯田家の皆さんありがとうございます。また遊んで下さい。

wakayamaCD若山胤雄:四世若山胤雄(わかやま たねお)。若山流家元。江戸時代より続く神楽の血筋。1928年蔵前生まれ。「江戸里神楽 若山胤雄社中」として重要無形民俗文化財の指定を受ける。
「囃子組曲/若山胤雄・若山胤雄社中」日本クラウン(CRCM-60065)がお薦めです。


住吉神社例大祭~其の参~神輿上がる

2005年08月12日 17時20分24秒 | 日々のことなど

旧七月八日。明日は上弦の月。
東京湾大華火祭がありますが、空模様がよろしくないようです。
月も花火も湿りがちかな。

今日も佃住吉神社例大祭のレポートです。
月島・二之部の組織「若睦」に参加した私は、裏方の仕事に追われ、住吉神社で行われている儀式や行事などはほとんど観ることはできませんでした。それがちょっと残念でしたが、氏子地域全体のほぼ中心に位置する二之部にいれば、なんとなく全体が見えてくるようです。なんとなく町内を行ったり来たりしている御神輿の動きにも一つ一つに意味があるのですね。
8月6日(土)朝、大祭式という祭り本番スタートを告げるのろしのような儀式です。各町の御神輿は隊列を組んで清澄通りを北進し、佃島に集結します。
(↓清澄通りに大中小の御神輿が勢揃い。水をたっぷりかけてスタートを待ちます)
8-6kiyosumi    

その後、住吉神社を宮出しした獅子頭を先頭に各部の御神輿が御旅所へと向かい渡御してゆきます。そして日が沈むまで町内を巡行します。住吉神社の神様を宿した御神輿が、氏子である町内の隅々を練り歩いてゆくのが御神輿や山車の巡行なのですね。巡行の途中で休憩するときには笛・鉦・太鼓による軽快なお囃子が囃され、気分がポーっと高揚してゆきます。

8月7日(日)にはいよいよ宮神輿が登場します。珍しい八角形をしていることから通称“八角神輿”と呼ばれる住吉神社の御神輿は天保九年(1838年)に製作されたのだそうです。
(↓西仲通り商店街を渡御する八角神輿)
8-6hakkaku早朝に宮出しした八角神輿は午前中船に乗せられ船渡御に出て、東京湾晴海沖で海上祭を行います。午前中に行われるこの一連の儀式は観ることができませんでした。午
後は八角神輿が西仲通りを8-6hakkaku2通って御旅所への渡御を行います。8-8final八角神輿で燃え尽きたかに見えた担ぎ手の体力も「三年後まで担げない」という現実からか最後の力を振り絞ります。

三年に一度、神様が舞い降り町中を練り歩く、暑い熱い三日間がこれで幕を閉じるのです。

祭りに一歩踏み込んでみると、いろいろなものが見えてきます。見えてくると地元に対する意識が大きく変わってきます。地元の人たちのと距離がぐっと縮まります。
伝統、歴史、文化、継承、協調、情熱・・・大きなものを得た大祭でした。

佃・住吉神社の沿革はこちらをご覧下さい。