とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

近くて遠い元住吉

2013年07月20日 | 酔いどれとのさま
  馴染みの居酒屋さんが元住吉でリニューアルオープンすることになり、それに先立って内覧会が開催され、ご招待をいただいたので喜び勇んで行ってきました。

  我が家から元住吉は便利なようで不便です。自転車なら10分程度でも歩けば30分以上かかる。電車は国電東急が1駅ずつで、乗継割引ながらも計240円と割高。定期があればそこまではかかりませんが。

  それではとそういえば乗ったことがない臨港バス原62系統で向かいます。朝夕のみの運行で夕方は各曜日とも3回だけ。中原駅発1652時の新川崎駅入口行きに乗客は3名、中原駅入口、大戸小学校前で1人2人と乗ります。

  見慣れた景色の中でもバスの視点だといささか違うものですな。途中の「下小田中」バス停の読みは「しもおだなか」で町名(しもこだなか)とは異なります。南武沿線通り上の「上小田中」は「かみこだなか」ですけど、こういう細かい違いは気にし始めたらキリがありません。

  むしろキニナルなら、綱島街道と尻手黒川道が交差する通称“焼肉交差点”こと木月4丁目交差点や、同名のバス停でしょう。ブレーメン通りには「木月3丁目」バス停もあります。(現在は休止中)

  川崎市:区別町名一覧表によれば、中原区木月が住居表示化されて1丁目から4丁目までが誕生したのは平成16~18年(2004~2006年)にかけて。そして木月4丁目は平成18年11月4日実施となっています。

  しかしそれより遥か以前からその交差点やバス停は「木月4丁目」を名乗っていたのです。少なくとも手許にあるニューエスト神奈川県都市地図(昭文社)1994年1月発行の版にも記されています。現在ではその交差点から南東一帯が木月4丁目となったためなんの不思議もないように見えます。

  かつて戸塚駅西口には「戸塚一丁目」という存在しない町名のバス停がありましたし、こういうのは行政上の表記とは別に地域で古くから用いられてきたものなのでしょう。

  さて、元住吉でバスを降りて東横線の車庫へ。3月に同線から退いた1000系とHikarie号が並んでいました(冒頭写真=公道から撮影)。できれば本線上で見たかったですな。もはや叶わぬ夢です

  少し角度を変えて

  約束の時間まで間があったので駅へも。展望デッキのベンチで腰を下ろすと、4月20日に乗った各駅停車飯能行きが出て行くのが見えました。その日と同じ横浜高速の車輌でした。それを目にした隣の母娘連れが「飯能って埼玉のずーーーっと奥だよ。何時間かかるんだろうね」と話してます。元住吉からなら2時間かからないと言ったら意外と近いと思うのだろうか

  時間になりお店へ。懐かしい顔ぶれが並んでいます。