とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

「ぼくの好きな先生」

2009年05月05日 | 新聞×読み
  我々の年代で『RC』を知らなかったらモグリと言われても仕方ないくらいのビッグネームだ。訃報はさすがにショックだった。何か書きたかったけど、なんとなく白々しくなってしまいそうだった。

  そこへきて今日の朝日新聞に「終生交流『ぼくの好きな先生』」という追悼記事が載った。(見出しは紙面)

  紙上には歌詞もすべて掲載され、口ずさみながら読んでいると思い出したのが中学時代。ユニークな先生が多かった。強面にサングラス、頭はパーマで白のスーツにエナメルの靴。繁華街を歩いたら周囲が避けそうないでたちでも実は理科の先生。いつもそんな恰好というわけではないけど。

  独特なボディーランゲージの音楽の先生に洋楽とオーディオが好きな数学の先生などなど。そうした中で好きだったのは社会科の先生だ。1年生のときの担任でもあった。

  拙者は放送委員をたびたび務め、放送室が職員室を通らないと入れない構造だったこともあって、よく話をした。

  「競馬はギャンブルではない。文化だ!」が口癖だった。土曜の昼(放課後)だと机上には短波放送用のラヂオに競馬誌が置いてあって、「明日の○○賞はこの馬が来るぞ」などと“たばこを吸いながら”揚々と話す。そして月曜になるとなにやら手渡される。見れば何枚ものハズレ馬券。加えてジャイアンツが負けようものなら“いつでもつまらなそう”な顔をするが、こちらはそれを見てみんなでニヤニヤ苦笑しているのだ。

  他にもいろんなことを知っていて、まさに“すてきな話をしてくれた”。ひと口に社会科というけれど、地理・歴史・政治・経済と多方面の知識を必要とする科目だ。新聞は小学生のころから日課として読んでいたけど、この先生の影響でいっそう読むようになったと思う。

  ある時、社会科なのに漢字のテストをすると言い出す。例えば国連安保理の常任理事国が持つ「拒否権」を書かせる問題で、“拒”を手偏に“臣”とするケースが多発したり、日本の地名をひらがなで書いたり、さらに誤字も目立ったりということが続いて業を煮やしたらしい。もちろん「拒」を説明するときは「(つくりまた読みである)巨は“巨人の巨”だ!

  そんなユニークな先生でも怒るときは恐い。“口数も少なく叱る”どころか、拙者も何度ビンタを食らったか。でももちろん理不尽に殴ることはしないし、行ないがなぜ悪かったのか、しっかり自覚させてもくれた。今なら暴力教師呼ばわりされて訴訟になったりするのだろうか。「けじめ」という言葉がまだハッキリと残っていた時代だったのだろう。

  卒業後はすっかり会うこともなくなってしまう。風の便りに聞いた話では、「気楽だから」と続けていた独身生活にピリオドを打ったということくらい。そろそろ定年ではないかなと思う年齢だけど、まだお元気だろうか。

  もしこのえにっきを見たら、「お前は30年近くたってもちっとも変わらないな」と呆れられてしまうか。もっとも、とっくに忘れられてしまっているかもしれないけれど。