三味三昧 笛三昧

津軽三味線奏者、笛・尺八奏者、たまに胡弓奏者、なぜかアマ無線家
音楽好き趣味三昧人間「くまりん」のお気楽日記です

藤本秀範雪会 おさらい会

2013年11月26日 00時21分39秒 | 民謡・尺八・笛

連休2日目は前日にひきつづき射水市へ。

藤本秀範雪先生のおさらい会です。
毎年身内でのおさらい会をしておられて、毎回尺八の師匠と一緒に出演していますが、今年は節目の25回ということで、場所も立派なホールでゲストもお招きしてのおさらい会でした。
思えば前回の節目の20回の時には、事故で入院していた師匠が車椅子で見に来ていましたっけ。
今回はやる気満々の師匠と、師匠の一番弟子の先輩と、私の3人で交代で吹くことになりました。



こじんまりとしたホールで、300人ちょっと入れるようです。
氷見市や高岡市にもこんな手頃なホールがあればよいのですが・・・市長さんお願いします。




この日は全47曲。
2人しか舞台に座れないので交代で吹こうと申し合わせていたのですが、ほぼ8割の39曲吹くこととなりました。
ゲストの尺八唄は師匠が1人で吹くと言ってやる気満々でしたが、ちょっと危ないので私がサポートしました。
師匠は5年前の事故から身体はかなり良くなっているのですが、事故とは関係なくちょっと耳が遠くなってしまい、三味線とリズムが合わなかったり、メリ音が不安定だったりということがあるので、しっかりサポートしないといけないのです。
何とか秋田長持唄と南部牛追い唄の尺八も無難に聞こえていたようで、ヤレヤレでした。


おさらい会終了後は懇親会。
前日の晩に会主の藤本秀範雪先生から、「余興に津軽三味線持ってきてね、あんたに盛り上げてもらわんならんから・・・」と電話があり、急遽武器を持って行くこととなりました。
会員の皆さんの余興が一通り終わったところで、ステージに立たせていただきました。


川西美智子先生の南部俵つみ唄の伴奏中。



津軽タントに向けて、長い前弾き中。



長岡すみ子先生の津軽タント中。



同じく長岡すみ子先生の津軽タント中。

ビール・日本酒・焼酎と容赦のない攻撃を受けて酔っぱらっているのに、汗ダラダラで頑張って弾きました。
宴会の席とはいえ、長岡先生の伴奏をさせていただき、感動しました。
その後謙良節と河内音頭の尺八も吹かせられて、相変わらず宴会では休むことを許されない私でした(^^ゞ

会主の藤本秀範雪先生は、85歳。
全くそんな年齢だとは思えないほど元気で驚きです。
次の節目の30回は90歳、まだまだやる気満々のようでした。
見習わないといけませんね。


追記。
翌日の北日本新聞に記事が載っていました。



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とやま民謡万華鏡

2013年11月24日 00時03分33秒 | 民謡・尺八・笛

昨日は射水市へ。
「とやま民謡万華鏡」というイベントに行ってきました。

思えば5年前の秋に、尺八の師匠が事故で入院して、急遽師匠の代理で出演したのがこの「とやま民謡万華鏡」というイベントでした。
それから5年、師匠が専属で行っていたイベントはほぼ全部私が行くようになりました。
お陰様で、良い先生方に恵まれて、何とかやっとこさ平常心で演奏出来るようになりました。
皆さんに感謝感謝です。




さて、なぜか毎年書いてますが・・・。
富山県内には新聞社とテレビ放送局の絡みで、2つの大きな民謡団体があって、この異なる団体に所属する会はめったに同じステージに立つことはありません。
日民、郷民に所属している会は、それぞれ地区大会で一緒になることもありますが、なかなか多くの団体が一堂に会するということはありません。

このとやま民謡万華鏡は、すべての団体ではありませんが県内の多くの団体が集うイベントです。
民謡人口が激減して、消滅する会も見受けられる昨今、マスコミも一致団結して、このようなイベントをもっと活用して民謡を盛り上げていってもらいたいと思います。


と言うことで、この日の私の出番は全47曲中13曲。
オープニングとフィナーレも担当なので、最初から最後まで慌ただしく動き回っていました。

担当曲目は以下の通り。
*は笛、他は尺八。

・伊勢音頭~オープニング*
・菅笠節
・球磨の六調子*
・隠岐祝い音頭
・三条凧ばやし*
・越中おわら節
・南部磯節
・祝奉節
・越中おわら節
・福光めでた*
・宇和島さんさ
・秋田船方節
・因幡大黒舞~フィナーレ*

球磨の六調子の笛は、無事にコピーしたとおり吹くことができました。
さすがに暗譜とまではいきませんでしたが、何とか1曲ものになった感じです。

さて今日は、藤本秀範雪先生のところの発表会。
尺八での賛助出演です。
余興の津軽三味線もしっかり頼まれたので、頑張って行ってきます。


追記。
翌日の北日本新聞に記事が載っていました。


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敬老会で民謡アトラクション

2013年11月21日 01時44分50秒 | 民謡・尺八・笛

昨日は平日なのに敬老会の民謡アトラクションへ。

毎年恒例の高岡市の某地区の敬老会です。
平日のイベントは会社勤めの人はなかなか参加できませんが、自営業で融通の利く私は当然の如くメンバーに数えられています・・・良いのか悪いのか・・・。

月曜日から降りつづいている雨は、昨日も一日中降っていました。
きっとこれが1月とか2月ならばとんでもない大雪になっているのでしょう。
雨の中、朝から高岡市の某ホテルに向かいます。

この日の私の担当は尺八・笛。
津軽タント節を弾かせてもらう予定でしたが、唄の先生が今ひとつ自信がないと言うことでパスになり、かわりに伊勢音頭になりました・・・ちょっと残念。

メニューは次の通り・・・*は笛
・黒田節
・麦や節
・貝殻節
・佐渡おけさ*
・こきりこ節*
・伊勢音頭*
・越中おわら節
・秋田大黒舞*

ボランティアではありませんが、あまり多く謝礼が出ないとのことで、日当の代わりにお昼ご飯を食べさせてもらって、ビールもご馳走になってきました。
昼から飲むビールは実に美味しいのですが、それ以降何もする気にならないのがいけません。
本業のスタートは夜になってからで、おかげで今日も夜更かしでした。



外はずっとこんな感じで雨が降りつづいています。
晴れていると富山湾から氷見方面がきれいに見えるのですが・・・
太平洋側はずっと晴天だそうで、羨ましいです。




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富山県こどもフェスティバル

2013年11月17日 23時37分45秒 | 民謡・尺八・笛

週末は土曜日も日曜日も良い天気で・・・
だいたい私のスケジュールが詰まっているときに限って良い天気になるようです。
せっかく風邪も治ったことだし何もなければ今年の走り納めだったのでしょうけど・・・


日曜日は富山県こどもフェスティバルに。
土曜日はそのリハーサルに富山市まで行っておりました。



先日のブログにも書いたように、あくまでも子供がメインのイベントで、私は尺八の助っ人です。
曲は渡辺泰子さんの「かさじぞう」
パワーポイントを使って、スクリーンに静止画を映す、電脳紙芝居バージョンです。

事前の会場との打ち合わせが全く出来てなくて、前日のリハの時に急遽スタッフと打ち合わせをしました。
パソコンは持ち込み不可で、会場のパソコンを使って2階うしろの調整室で操作を行うことになりました。
今までの電脳紙芝居バージョンは、演奏者のすぐ近くでパソコン操作をしていたのですが、今回は1人離れた場所でのパソコン操作でした。
突然スライド係に任命されたおにいさんは、はたしてうまく出来たのでしょうか・・・
私はリハも本番も客席を向いて演奏していたので、舞台うしろのスライドはどうなっていたのか知る由もありません・・・どうだったのでしょうか。

演奏はと言うと、尺八パートは半音のメリ音ばっかりの楽譜で、思い切って吹けなくて実にストレスがたまる曲でした。
6寸管に移調して吹いてやろうかとも思いましたが、そうすると8寸管の乙ロが出ないので、断念。
半音ばかりの連続で指がつりそうで、かーちゃんに「指がもんだかりそうやった・・・」と言ったら大笑いされてしまいました。
はて、富山の方言では無かったか・・・。
もっとも若い頃は流浪の民の如くあちこち引っ越していたので、違うところの方言かも・・・(^^ゞ


このこどもフェスティバルの文芸部門に、うちのmiyuの俳句が佳作で入選していました。
たしか去年も入選していたので、素晴らしいことです。
誰の才能がmiyuに行ったのでしょうか。
私で無いことだけは事実のようです(笑)

午前中で出番が終わったので、帰宅してから天気の良いうちに4輪の洗車をしました。
毎年冬になる前、今頃の季節にしっかりと洗車してワックスを掛けておくようにしています。
雪国では冬の間簡単な洗車しか出来ないので・・・

今週は平日に敬老会が1件、週末はダブルでイベントがあります。
がんばらなくては・・・


追記。
翌日の新聞に掲載されていました。



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相変わらずの週末

2013年11月13日 01時01分19秒 | 民謡・尺八・笛

相変わらず忙しい週末でした。

9日土曜日は朝から砺波市庄川体育館へ。
全日本菊花連盟全国大会での民謡アトラクションです。



全国からの参加者や地元のお偉いさん方が多数来ておられますので、下手な演奏は出来ません。
演目は以下の通り。

・チューリップばやし
・庄川小唄
・麦や節
・こきりこ節
・越中おわら節

庄川小唄は数年前に一度だけ演奏したことがあり、その時は三味線譜とテープを頼りに自分で尺八譜を書いたのですが、さすがに今では忘却の彼方。
何とか思い出して演奏しましたが、小唄という名前からは想像できないような演歌みたいな唄です。
とにかく半音だらけで大変でした・・・


お弁当をいただいた後は、来週の日曜日が本番の「こどもフェスティバル」の最終練習に直行します。
曲は渡辺泰子さんの「かさじぞう」です。
こども達がメインなので私は目立たないように尺八のお手伝いです。
プロジェクターでスライドを映しながらの演奏なのですが、急遽スライド係に任命された箏のおねえさんのご主人がこの日はじめて登場されて、四苦八苦されていました。

という私もこの日の練習が3回目。
こども達はある程度練習したようですが、皆さんこんなに準備不足で大丈夫なのでしょうかぁ・・・・
とにかく私は皆さんの足を引っ張らないようにがんばるだけです。
ちなみに先日の新聞に練習風景の写真と記事が載っていました。



練習終了後、津軽三味線の出稽古に直行。
朝から休みなく動き回って、帰宅したのが7時前。
疲れました。


翌10日日曜日は、高岡市某地区の公民館祭。
mihoちゃんがメインで、私は三味線伴奏と曲目解説を任せられました。

演目は以下の通り。
・津軽甚句
・津軽あいや節
・津軽じょんから節 1段~独奏~合奏~唄
・南部俵つみ唄

あまりに忙しくしていたので、残念ながら画像は無し。
曲目解説はいつもやっている曲ばかりなので、特に問題なくスムーズに終了。
なかなか好評だったようです。


公民館祭終了後は、高岡市の某ホテルへ直行。
いつもお世話になっている、村松屋さんの展示会です。
超高価な津軽三味線や、高山さんの撥なんかを見て目の保養をさせていただきました。
大会用に高山撥が欲しいけど・・・

今回は中古再生品も沢山出展されていて、ゆっくり見たかったのですが、残念ながらタイムオーバー。
今週中にもう一度行けたらじっくりと見てこようと思います。


忙しい週末を送っていたせいか、迂闊にも風邪をひいてしまいました。
何とかこれ以上ひどくならないように願うばかりです。

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世界遺産で演奏してきました。

2013年11月05日 10時11分18秒 | 民謡・尺八・笛

4日(振り替え休日)は、世界遺産五箇山相倉合掌集落へ。

津軽三味線の生徒A君のお父さんが、相倉合掌集落の中の和紙漉き体験館にいらっしゃいまして、客寄せに三味線を弾いてくれと言うことで、いそいそと出かけました。

世界遺産の合掌集落は、白川郷、菅沼集落、相倉集落とありまして、一般に有名なのが岐阜県の白川郷。
富山県側には菅沼集落と相倉集落があります。
私は白川郷、菅沼集落は以前に訪れたことがありますが、相倉集落ははじめてでした。
すぐ近くの国道は主にバイクで何十回となく走ってますが、いつも通り過ぎるばかりでした・・・

城端あたりまでは晴れていたのに相倉集落が近づくにつれて雨が強くなってきます。
駐車場のおじさんに言われるまま細い生活道路をそろそろと走ってなんとか土砂降りの雨の中、和紙漉き体験館に着きました。



A君のお父さんが作業をしておられる横で準備開始。
この日は津軽三味線と尺八・笛を持参しました。
和紙漉き体験館は集落のメインストリートからかなり横道へ入らなくてはならないので、確かに観光客がなかなか行きにくい場所のようです。
そこで、屋外へ向かってスピーカーををセットして三味線を弾いて観光客の関心を惹くように、との役目をA君が仰せつかったようです。




外の風景はこんな感じです。
世界遺産合掌集落のど真ん中です。

準備開始すぐにフランス人の観光客がいらっしゃって、ウォーミングアップもないままに津軽三味線を弾きはじめました。
津軽三味線と交代でA君の五箇山民謡に、尺八・笛で旋律を乗せたりして、3時間ほど休み休み演奏してきました。
津軽五大民謡&曲弾きは3回りくらい弾きました。
五箇山民謡は5回りぐらいやったような気がします・・・。

この日は雨も降っていて寒くてなかなかストーブから離れることが出来ませんでした。
次回は天気の良い暖かい日に行きたいなぁぁぁ。
結構外国人観光客が訪れていましたが、見学ばかりでなかなか五箇山和紙の民芸品は売れないようで・・・



A君演奏中。


店内の様子。


A君のお父さん。


もっとゆっくりしたかったのですが、夜は次の予定があったので4時過ぎで打ち止め、帰路に着きました。
次回は一緒に酒を呑もうとA君のお父さんに何度も言われまして、そのうち暇を見て伺います。
自宅から相倉まではもっと時間がかかると思っていましたが、途中福光まで高速道路を使って50分で行くことが出来たのには驚きでした。




この日の日当です。



日当その2、来年の干支です。


で、夜は先日の日民全国大会で、民舞の内閣総理大臣杯争奪戦第3位を獲得した「富山華の会」の祝勝会。
私たちが地方伴奏を担当したので、招待されました。

3位ってのは微妙な位置で、私も今年の名古屋大会、神戸大会と壮年3位でしたが、嬉しいのが半分、悔しいのが半分で、何となく微妙な位置なのです。
華の会の皆さんも同様だったようで、悔しいけど全国3位というのは素晴らしい成績なので良かった、と私と同じようなことを言っておられました。
しかし民舞で全国3位は素晴らしい成績です。



私も来年はせめてもう一つ上に行ければと思います。
頑張らなくては。

ウコンスーパーのおかげでべろべろに酔っぱらうこともなく、無事に帰還しました。
さて、今週もいろいろと忙しい1週間になりそうです。


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高岡市芸術祭

2013年11月05日 01時07分33秒 | 民謡・尺八・笛

3連休が終わりました。
相変わらず過密スケジュールの連休でしたが、ヘトヘトに疲れたわけでもなく充実した週末でした。

3日(文化の日)は、高岡市芸術祭。
毎年民謡のほうで出演していますが、今年は箏曲のお手伝いでも出演しました。






箏曲「豊年太鼓」では、私の津軽三味線の会に、専門ではない太鼓と三絃、尺八をお願いされてしまいました。
昨年すったもんだの末に一度発表しただけだったのですが、今年の高岡市芸術祭では再びお願いされてリベンジとなったわけです。
太鼓は締太鼓と平太鼓を小学生2人と助っ人&監督のOさんの3人で何とかやっつけてもらいました。
太鼓の楽譜は横譜に書き直して、太鼓ソロはYouTubeにあったものをコピーして書きました。
かなり面倒な太鼓ソロになりましたが、何とか無事に叩いてくれました。

三絃パートはというと、津軽三味線教室の皆さんに地唄の三味線の譜は読めないので、横譜の三味線文化譜に書き直してT君親子にお願いしました。
民謡のリズムはほぼ9割方2拍子なのですが、あまり馴染みのない4拍子の箏曲ではなかなかリズムが合わなかったりで、かなり苦労したようです。

で、尺八の私は、太鼓パート、三味線パートがうまく出来ているかと心配しながらの演奏で、ついつい自分のパートに集中できなくてうっかりミスがあったりしましたが、本番は何とか無事に終了しました。
これだけの編成で尺八1人はなかなかしんどいものがあります、せめて2人だと楽なのですが・・・



今回のフルメンバー


太鼓・三絃、尺八パートです。


箏曲「豊年太鼓」がオープニングで、民謡はラストの4曲。
つまり公演の最初と最後で、途中の待ち時間が結構長いので大変かなぁ・・・と思いきや、踊りと合わせるので直前の練習が大変で休む間がありませんでした。
所属している民謡会は西もの中心の会なのですが、踊りの会からの依頼で今回4曲中3曲が東北ものです。
特にこの日の東北ものの尺八は手が細かいし、スピードは速いしで、直前の練習で指がつるかと思いました。

民謡の演目は以下の通り。
今回はすべて尺八でした。
・南部よしゃれ
・本荘追分
・秋田人形甚句
・高岡小唄

本荘追分は、直前まで三味線が合わなくてどうなることかと心配でしたが、本番は何とかうまく行きました。本荘追分は行く先々の会ですべて間奏後奏が違うので、出来ることならば統一して欲しいものです。
専門の民謡だと平気で余裕もって吹けますが、専門外はなかなかそんなわけにいきませんね。
さらなる努力が必要です・・・。


翌日の富山新聞に芸術祭の記事が載っていまして、オープニングの写真が使ってありました。
舞台上手側の白い半被を着ている太鼓・三絃・尺八が私たちの軍団です。


4日の部に続く。
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お寺で民謡アトラクション

2013年11月02日 00時35分58秒 | 民謡・尺八・笛

昨日は砺波市のお寺さんで民謡アトラクションでした。

11時半からの演奏なので、朝から準備をして砺波へ向かいます。
お寺の報恩講での民謡アトラクションです。


浄土真宗のお寺さんです。


この立派な鐘撞堂の落成法要も兼ねているのだとか。

この日の私は尺八・笛担当。
演目は以下の通りで、*は笛、他は尺八です。

・秋田大黒舞*
・伊勢音頭*
・河内音頭
・武田節
・謙良節
・麦や節
・黒田節
・越中おわら節

 以下アンコール
・真室川音頭*
・帆柱起し祝い唄*

一時間弱でしたが、立奏で休み無しだったので疲れました。
平日にイベントが入ると、一日の予定がまるでずれてしまって大変です。
夜の高岡教室が終わって自宅へ帰ってきてから、本業の続きをしてようやくこの時間に解放されました。

週末は高岡市芸術祭。
気合いで頑張らねば。
コメント (4)
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いとこのこと。

2013年11月01日 01時39分35秒 | 津軽三味線

いとこのこと。

私の大好きだった新潟の従兄弟が、今年7月に73歳の若さで他界しました。
悪性の骨のガンだったそうで、5月に検査入院して1ヶ月の間検査漬け、6月に病名がわかり、7月に他界とあっという間の2ヶ月だったそうです。
奥様は現実を受け入れることが出来ずにかなり苦しまれたようです。

私が57歳になる今日まで生きてきて、彼ほど私の人生に影響を与えてくれた人はいません。
一回り以上も年上のいとこでしたが、私にとっては実の兄よりも親しく、また尊敬する人でした。
ここ10年ほどは、お互いに津軽三味線の魅力に取り憑かれて、そしてまたお互いに刺激を与えながら、バカみたいに津軽三味線を弾いていました。

本当に偶然なのですが、というか何かの力が引き寄せたのかもしれませんけど、お互いバリバリの木田流の津軽三味線を弾いていました。
彼は新潟の故木田林松次先生の孫弟子。
私はというと石川の木田貫松栄先生の孫弟子です。
特に示し合わせたわけでもないのに、何故かほぼ同時期に木田流の門下生になっていました。


そして7月はじめの土曜日。
毎週末は芸能活動で飛び回っていて、しっかり休んでおかなければならない金曜日の夜なのに、いつもはお休み3秒の私が何故か寝付きが悪くて明け方まで眠れずに悶々としていました。
どうやらその時間に亡くなっていたようで、250キロ離れたわが家まで様子を見に来ていたようです。

実は私はその週末ずっと不在でして、週明けの月曜の朝に彼の奥様から電話があり、実は彼が亡くなったとのこと。
今から告別式なので、少し落ち着いて涼しくなった頃にでもお参りに来て欲しい、との話でした。
どうも、次男で分家の私の所は連絡網から外れていたようで、残念ながら知る由もなかったようです。


彼が私の人生に与えた影響はというと、私が小学生の頃に遡ります。
彼は当時「キングオブホビー」と言われていたアマチュア無線をやっていました。
車にも無線機を取り付けて、そりゃぁもう私にとって「かっこいい!」の一言でした。
すぐに書店で参考書と問題集を買ってきて猛勉強したわけです。
中学校1年生の時に、親には内緒で電話級アマチュア無線技師の試験を受けるべく願書も出したのですが、ちょうどその試験当日に学校の行事と重なってしまい、親に相談したのですが当然の如く却下、残念ながら不戦敗でした。
結局社会人になって自分の甲斐性で試験を受けてアマチュア無線を始めたのは23歳の時でしたが、それからは結構長い間無線にのめり込んでいました。

次に影響を受けたのがやはり同じ頃のこと。
彼の家へ行くと、クラシックギターを得意そうに弾いていました。
これがまた超格好良くて、自宅へ戻ってから親戚にお願いして古いクラシックギターを譲り受け、クラシックのギター小僧となったわけです。
当時エレキギター、フォークギターは大流行していましたが、クラシックギターは超マイナーな存在でした。
でもクラシックギターをやっていたおかげで、五線譜もすらすら読めるようになったし、エレキ・フォークも苦なく弾くことが出来ました。
振り返ってみれば私の音楽的な趣味のルーツはここにあるようで、高校以降の吹奏楽、そして現在の津軽三味線、笛・尺八に至るまで彼の影響が続いているようです。


奥様の気持もようやく平穏な日常に戻りつつある様子だったので、10月のはじめに家内と新潟の彼の家へ行ってきました。
お骨は四十九日を過ぎても納骨する気になれないとのことで、まだ祭壇に置かれていました。
彼が愛用していた三味線を私に引き取って欲しいと言うことでしたので、とりあえずケースを開けてみると、入院した5月から半年の間破けることなく良い状態を保っていました。
もしや皮が破けていた場合を想定して自分の1号機を持っていっていたのですが、無事だった彼の愛用1号三味線で、祭壇の前で遺影に語りかけながら20分ほど弾いてきました。
入院してからたった2ヶ月で帰らぬ人となってしまって、それも本人にはガンの告知はしてなかったそうで、きっと今もそんな筈ではなかったと、津軽三味線のことを考えて時々富山にも来ているような気がします。


1号三味線


2号練習用三味線
葬儀の際、奥様はこの三味線を棺に入れてくれと懇願されたそうですが、規則でだめだと言われて泣く泣く諦めたそうです。


三味線の他にも、沢山のCD、そして彼が採譜して書き記した沢山の楽譜があるのです。
私がLPレコードやオーディオテープなどからCDにデジタル化して送った音源を、彼は朝から晩までコツコツと採譜作業をして手書きで書いた楽譜です。
実に膨大な量の楽譜ですが、民謡に興味のない奥様にしてみればゴミ同然のもの。
捨てられては大損失なので、とりあえずは全部私が引き取ってきました。


これが全部彼の手書きの楽譜です。

これからの私の作業は、ライフワークとしてこの膨大な楽譜をしっかりと分類して、出来れば少しずつデジタル化することです。
何だか大変な宿題を残してくれたようですが、これも彼の残した財産ですのでしっかりと整理していきたいと思います。
ここに来ても学生時代にしっかり宿題をやらなかったツケが回ってきているようです。
津軽だけではなくて、演歌や懐メロなんかも三味線アレンジした楽譜が沢山あるので、老人ホームのボランティアなんかにも有効に使えそうです。


彼の家を訪ねてから1週間後、津軽三味線の神戸大会がありました。
生前、津軽三味線の全国大会に出よう!と何度も彼を誘ったのですが、シャイな彼は決して頭を縦に振ることはありませんでした。
そんな彼の三味線をあちこちの大会に連れて行ってやろうと思い、神戸大会には彼の三味線を持っていきました。
何だか彼の分身のような気がして、いろいろと話しかけたりしながらの神戸遠征でした。
結果は以前の日記にも書いたとおり壮年の部3位。
きっと彼の力もあったのではないかと思います。
12月の大阪大会にも彼の三味線を連れて行ってあげようと思います。
来年5月の弘前も連れて行ってあげようと思います。

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