三味三昧 笛三昧

津軽三味線奏者、笛・尺八奏者、たまに胡弓奏者、なぜかアマ無線家
音楽好き趣味三昧人間「くまりん」のお気楽日記です

七尾市の道の駅で移動運用して来ました。

2021年08月29日 18時35分53秒 | アマチュア無線
8月29日(日曜日)

今月は記念局の運用がメインで、自分のコールサインでの移動運用がありませんでした。
アウトドア賞継続ノルマ(毎月移動して50局以上と交信する)のために、午前中隣町の道の駅へ移動して運用して来ました。

七尾市のこの道の駅、良い思い出が無くて過去一度しか運用していなかったのですが、コロナ禍で感染者がたくさん出ている富山市や高岡市には極力近づきたくなかったので、お手軽に近場移動で行ってきました。


何が良くない思い出かと言うと、最初に移動したときはどうもアンテナの調子が悪くて、そんなときに限ってアナライザー持って行って無くて、仕方なく運用しないでそのまま帰ってきました。

2回目に移動したときは、運用を終えてスタンプを押していると、道の駅の従業員の男から「何をペッタンペッタンたくさんスタンプ押してるんや、たくさん押すんならちゃんと道の駅の従業員に断ってから押せや!」と言われて、ムカッときて一悶着あったので、もう二度とこの道の駅には来るまいと思っていました。

今日はその時いちゃもん付けてきた男はいなかったので、平和にスタンプを押して帰ってきました。


さて、8時過ぎに自宅出発、40分ほどで道の駅に到着。
ささっと設営して7MHzCWで運用を開始します。







富山湾越しの立山連峰はぼんやりと見えますが、イマイチ。
秋の空気の澄んだ天気の良い日にまた移動運用に来る事にします。




その昔はこちらに売店があったのですが、今は別のところに売店があります。



さて良い天気だし、バイクの連中がたくさん来るだろうなと思っていたら、案の定次から次へとバイクの連中が駐車場へ入ってきます。
うるさいのと排気ガスの臭いのには閉口しますが、自分も若い頃はこうだったんだと思い我慢して運用します。(笑)

ただね、こんなご時世なのでヘルメットを脱いだらマスクはして欲しいと思います。
ヘルメット脱いでそのままウロウロしたりしゃべったりしてるライダーの多いこと多いこと。
ポケットにマスクを入れておいてください。


ここ2~3日、日中の7MHzはあまりコンディションが良くなかったのですが、この日はまずまずのコンディションで結構呼ばれました。
ほぼ2時間の運用で107交信。
599BKスタイルでも記念局と違って、交信があまり短かくならないように丁寧に運用していたので、これでも良いペースです。

いちゃもん付けの男がいたら、数枚だけスタンプを押して後は自宅でスキャンして印刷しようかとも思っていたのですが、平和に100枚+のスタンプを押して終了。
お昼には帰宅しました。

午後からQSLカードも印刷して今月のアウトドア賞のノルマはすべて完了しました。

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8N1MORSE運用顛末記

2021年08月24日 14時11分54秒 | アマチュア無線
8月12日(木曜日)~18日(水曜日)の7日間、「8N1MORSE」の運用担当でした。
ここ数年、「8J9VLP」「8J9IC」「8N9C」など、ローカルな記念局の運用は何度も担当していますが、全国規模の記念局の運用は今回がはじめてで、それも1週間というちょっと長い期間だったのでいろいろと大変でした。

「8N1MORSE」は、「モールス符号の歴史に係るアマチュア無線記念局」という事で、いろいろと節目の年に当たるのでそれにちなんで開局されました。
どんな節目かというと、

・今年がサミュエルモールス生誕230年
・国際モールス符号の原型標準化170周年
・和文モールス符号と我が国初の電信規則の制定150周年
・アメリカ大陸横断電信システム開通160周年
・日本の国際電信業務開始150周年
・マルコーニ・大西洋横断電信成功120周年
・アマチュア無線電気通信術試験全廃10年
などです。

運用は全国の「A1CLUB」の雄志によって全エリアをリレーする形で4月より行われています。
全エリアの移動局との交信や、10バンドで交信するといったアワードも発行されているようですので、調べてトライしてみてください。




さて、以下は私の担当の一週間の総括です。


8月12日(木曜日)

運用開始初日ですが、我が社はまだお盆休みに入っていないので、仕事の合間を見てシャックに来て運用するというパターンです。
とりあえず前日に今日の午前中の仕事は終えていたので、朝8時半頃から運用開始。

イオノグラムを見ると、10MHzあたりまで調子よさそうなので、10MHzCWで運用開始。
そのうちにJクラスターにアップされたのかすごいパイルになってきました。
10MHzは比較的紳士的に運用される方が多いので、パイルの割には順調に運用を続けます。

10時頃からしばらく14MHzで運用してその後7MHzへQSYしてCWでお昼頃まで運用しました。
10/14MHzに比べると7MHzは指定無視や、ロングコール、フライングコールなどの運用マナーの悪い局が多いですね。
ま、人の振り見て我が振り直せ、で教訓にしたいと思います。

午後からは本業で運用できず、夜になって3.5MHzで1時間弱運用しました。

この日は、3.5MHz、7MHz、10MHz、14MHzで計257交信


8月13日(金曜日)

お盆休みスタートです。
午前9時過ぎから運用開始。
イオノグラムを見ると結構高い周波数までコンディション良さそうなので、とりあえず14MHzCWでスタートします。
順調に呼ばれて1時間弱で66交信でした。

だんだんコンディションが落ちてきたので、10MHz、7MHzと下がって運用を続けます。
お昼近くなって徐々にハイバンドのコンディションが良くなってきたので、18MHzへQSY、44交信できました。

昼食後運用再開。
コンディション上向きなので、午後は21MHzでスタート。
その後24MHz、28MHz、50MHzとQSYして運用しました。

この日は、7MHz、10MHz、14MHz、18MHz、21MHz、28MHz、50MHzと運用して、295交信でした。


8月14日(土曜日)

お盆の真ん中なので、早朝より毎年恒例の墓参りツアーです。
例年はほぼ一日がかりの墓参りツアーですが、8N1MORSEの運用もあるし、夜はJA9VUコンテストもあるので、いつもより早くスタートしてお昼過ぎには墓参りツアーは終了しました。

14時頃から運用開始。
前日と同じ感じで午後からハイバンドのコンディションが上がってきたので、14MHzでスタート。
その後18MHz、21MHzとQSYします。

しばらく休憩して夕方からは7MHzで再スタート。
21時からのJA9VUの準備などもあるので、18時過ぎでこの日は終了。

7MHz、14MHz、18MHz、21MHzで、148交信でした。


8月15日(日曜日)

前日21時よりこの日の12時まで、JA9VUコンテストをやってました。
コンテストの詳細は別にアップします。

お昼でコンテストは終了。
お昼ご飯を食べてしばらくしてから、8N1MORSEの運用のためお隣の七尾市(JCC3002)へ向かいます。
富山県は、県境を越えての不要不急の移動は自粛と言ってますが、県内でも富山市や高岡市といった感染者が激増してる地域への移動の方が遙かによろしくないのではないかと思います。
七尾市は隣県ですが、氷見市とは境を接するお隣の自治体で、加えて人のあまり来ない公園の駐車場は問題なしと判断して移動しました。









久々に青空を見た気がします。

14時過ぎに目的の公園へ到着、お手軽に7MHzCWのみで運用開始します。
約2時間の運用で154交信でした。
なかなか効率的な運用でした。

8N1MORSEのCWでの運用では、1QSO-1IDを心がけて、毎回自局のコールサインを送出しています。
またQTHは概ね5回に1度はコールサインの後に送出するようにしています。
が、なのになのにこの日は「JCC?」攻撃を2度も受けました。

ついさっきJCCナンバー送出したところだろう、とムッとしたので「URCALL?」と打ちましたが当然返事が返ってくるわけも無く、後味の悪いことをしてしまったと後悔しました。
「QTH?」とか「JCC?」と打たれると、「雑魚なら要らないんだけど、どこで運用してるんだ?」と言われてるようで気持ちの良いものではありません。
とりあえず普通に交信して「BT UR QTH?」と尋ねられる方が100倍ましです。


8月16日(月曜日)

我が社のお盆休み最終日。

さすがに連日の無線疲れで、もう少し早く起きてスタートするはずだったのに、ちょっと出遅れてしまいました。

この日も富山・高岡方面では無く、氷見市と隣接する自治体への移動です。
まず午前中は羽咋市(JCC3007)へ。

メジャーな移動地として「道の駅千里浜」とかありますが、人の多いところは避けて、以前一度運用したことがある国道沿いのパーキングへ向かいます。




この生け垣の向こうは日本海です。





イオノグラムを見るとイマイチ。
こんな日は7MHzでしぶとく頑張るしかありません。
10時少し前から運用開始。
そんなパイルにはなりませんが、ポツポツ呼ばれてお昼過ぎまで、3時間弱で117交信でした。
やはり昨日までのコンディションはどこかへ行ってしまったようです。

午後は国道を南下して、同じく氷見市と境を接する宝達志水町(30007E)へ移動します。
羽咋のスイカを一度食べてみたいものだとずっと思っていたので、ネットで調べた直販所へ行ってみたけど、閉まっていました。
もうお盆過ぎだし終わりかな、、、来年こそは、と思うのでした。

宝達志水町も人を避けて国道沿いのパーキングで運用します。
午後は少しコンディションが上がることを期待して、ハイバンド用にRADIXのVダイポールも設置しましたが、18MHz、21MHzはCQの空振りの連続でした。







結局午後も7MHzCWのみ、ほぼ3時間運用して134交信でした。
コンディションに恵まれず我慢の一日でした、こんな日もあります。


8月17日(火曜日)

昨日までで盆休みは終わり、本業開始です。
なので、仕事優先でお昼休みに運用しました。

前日まではすべてCWでの運用でしたが、この日はCWへのPRの意味も込めてSSBで運用しました。
前日同様あまりコンディションが良くないので、7MHzで運用開始します。
SSBに出るのは今年春のJARL富山県支部主催のQSOパーティー以来です。
慣れないSSBで悪戦苦闘でした(笑)

1時間半弱の運用で79交信でした。
まあまあのペースですが、本来ならもっと良いペースで交信できるはずだと思います。

久々のSSBでの記念局運用で思ったことをいくつか書いてみます。

・指定無視でコールする局が多い。
・ロングコール・フライングコールが多い。ここまではCWと同じ。
・サフィックスだけ連呼する局が多い。こんな局は絶対にピックアップしません。
・正規の欧文通話表(フォネティックコード)とは違うコードでコールする人が多すぎ。
こちらからはあえて皮肉を込めて正規のコードでコールバックします。
・記念局相手なのに、いちいちQTHと名前を送ってくる局が非常に多い。
・いちいち当方の「8N1MORSE」を復唱する局が多い。それもフォネティックコードを使って復唱する局も多い。
・ご丁寧にJCC/Gナンバーを復唱したり、名前は和文通話表で漢字解釈まで送ってくる人も多い。
・当方のオペレーターネームは5~10回に一度はアナウンスしているので、しばらくワッチしていればわかるはずなのに、記念局のオペレーターネームを聞いてくる局も多い。
CWで記念局をかなりの数で運用していますが、「OP?」とか聞かれたことはまずありません。
・パイルになっているのに「何の記念局ですか」と聞いてくる局がいる。記念局の名称や趣旨も10~15回に一度はアナウンスしているので、これもしばらくワッチしていればわかるはずです。

・・・とまぁ、いろいろありました。
私がCWに住み続けている所以でもありますが・・・(笑)


夕食後に、3.5MHzと1.9MHzCWでしばらく運用して、この日は終了。


8月18日(水曜日)

私の担当の最終日です。

この日も仕事の合間の運用です。
午前中の仕事がちょっと少なかったので、9時前から前日に続いて7MHzSSBで運用開始します。

午前中は11時前頃まで約2時間で123交信。
まあまあのペースかな。
相変わらずほとんどの局がQTHや名前を送ってくるので、無視するわけにもいかず手早く復唱したりするのでなかなかペースが上がりません。
記念局で猛パイルになっているので、CWの移動局やコンテストなどと同じようにレポート交換だけって訳にはいかないのでしょうか。

午後はお昼休みに1時間半ほど運用、84交信でした。

これにて、私の担当は終了。
一週間のトータルは1404交信でした。
交信いただいた各局、ありがとうございました。




ローカルな記念局と違って、呼ばれ方が半端でなくパイルの度合いがすさまじく、良い経験をさせていただきました。
加えて一週間の長丁場だったのでかなり疲れも蓄積して、この週末にあったKCJコンテストはどうも参加意欲が沸かなくて回避して休養に充てておりました。

ログは翌日に本部と、9エリア総括のJA9BSL野村さんに送ってあります。
QSLカードは野村さんのほうで印刷されるようで、今回はちょっと楽できました。

次は10月に8N1C「電波障害クリーン月間」の運用があります。
2~3日の運用担当ですので、今回のようにハードでは無いと思います。
お楽しみに。



~2021年9月1日追記~

ふと思い出したので、追記します。
7MHzSSBで運用していて思ったことの追加分です。

パイルになっていて1文字か2文字しかコピーできなくて例えば「アルファブラボーどうぞ」とアナウンスすると、「J***AB」局が自分のコールサインに続けていきなりRSレポート、QTH、名前などを送信してくるということが度々ありました。
「****AB」局は他にもいる場合があるじゃないですか。

CWの場合はこのような時「J***AB」とコールサインのみ手短に返信のが常ですが、SSBでのこのパターンにはちょっと面食らいました。

つい先日CWで移動運用していたときですが、サフィックスのみコピーできたので「***?」と打ったら2局からコールバックがありました。
「SRI ***AGN」と打ってもまた同じように2局からコールバックがあります。
とりあえず強い方から交信してもう一度「***AGN?」
と打つとコールバックあり、実は同じサフィックスの方2局からコールバックがあったのでした。珍しいことがあるものです。

というわけで、SSBの不思議シリーズ追加編でした。




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別れの一蹴

2021年08月04日 12時56分14秒 | アマチュア無線
約30年間我が家のメインリグだったTS-950SDXをドナドナしました。

パケット通信にはまっていた頃は、10MHz/PSKで日夜転送をしていたのもこのリグです。
パケットをやめてからはしばらく冬眠状態でしたが、数年前に冬眠から目覚めた後はCWで結構な数の交信をしました。

1年半前にIC-7610を購入してからは、メーカーの調整を経てサブのリグに格下げになって、アンテナはT2FDにつながっていました。
しかし、大きくて超重たいリグは、シャックのレイアウトを替えようにも一苦労で、非力な年寄りにはどうしようも無くなってきたので、ドナドナということになった次第です。



某サイトに出展する前に説明用の写真を撮って、オールリセットして、購入当時の元箱は取ってあったので、梱包を開始します。
家族に手伝ってもらえば良かったのに、ひとりで箱に詰めていたら手が滑って、950の脚が私の右足甲を直撃しました。

激痛が走って、ひょっとしたら骨まで行ったかなととっさに思いました。
痛みをこらえてなんとかそのまま箱に詰めて梱包は終了。
すぐに痛い足を引きずって近所の整形外科へ行きました。

看護師:「どうされましたか」
私:「20数キロの無線機を足に落としました」
看護師:絶句

というわけで、レントゲンを撮ってもらいましたが、骨には異常なし。
ただ、内出血がひどくて、右足甲からつま先が紫色になりました。
20年ほど前にバイクでハイサイド転倒したとき以来のひどい内出血でした。

きっと950SDXの別れの一蹴だったような。
30年も連れ添ったのに何でだよと、言われているような気がしました。
ドナドナ先でまた頑張って第二の人生を謳歌して欲しいと願うばかりです。

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8J9VLPのQSLカードの印刷が完了しました。

2021年08月02日 18時46分44秒 | アマチュア無線
8J9VLP富山県運用分のQSLカードの印刷を完了、ビューローへ向け発送しました。

実は体調を崩して入院する少し前に、QSLカードは我が家に届いていたのですが、開封する気力も無くそのまま放置されていました。
退院後に、ほぼ一日がかりで印刷を完了しました。


昨年は、購入後数年を経過したエプソンのインクカートリッジ式のプリンターで印刷しましたが、昨年の実績の3000枚を印刷するのに、インクカートリッジを3個ほど使って非経済的でした。
加えてプリンターを長時間使っていると熱がこもってしまうらしく、印刷スピードが極端に落ちてしまうという現象も出てしまい、3000枚の印刷にまる一日以上かかってしまいました。

なので今年のVLPのQSLカードの印刷の時期には、インクボトル式のプリンターに買い換える予定をしていまして、退院後に近所の量販店で買い求めてきました。

プリンターを設置して、諸々設定をしてインクを充填して印刷を開始したのが夕方。
JARLの指定逆順で印刷をします。
今年のQSO実績は4700枚弱。
従来のプリンターだったらまる2日はかかったのではないかと思いますが、快調に印刷が進みます。
印刷時の音も従来の物より小さくてあまり耳障りではありません。
この日は就寝で一旦中断しました。

翌日も朝から印刷の続き。
はがきトレーには20枚しか入らないので、20枚ずつ補填しないといけません。
これが一番面倒でした。
都合230数回、トレーにはがきを補填したことになります。
途中いろいろと用事でプリンターの前を離れましたが、2日目の夜には無事に4700枚弱の印刷を完了しました。






ひときわ高いのが1エリア分のカードです、1エリア恐るべし。
3エリアの倍以上あります。

4700枚印刷してインクの消費量は満タンの約1/5~1/6。
転送枠を黒の点線にしたので、黒以外は使っていません。
カートリッジ式に比べて大変経済的でびっくりしました。

昨年はヤマト便で送りましたが、今年は枚数が昨年の5割増しで送料がかなり高くなりそうなので、ダメモトで富山市の無線パーツさんに問い合わせたら、まとめて送るので大丈夫という返事。
枚数が枚数だったので大変恐縮だったのですが、ご厚意に甘えて昨日富山市まで持って行ってきました。

8J9VLPの運用管理団体は、100%寄付に頼っている貧乏な団体なので、運送料が浮くのは大変ありがたいことです。
ドネーションをいただける方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。

石川、福井県運用分は7月中旬に印刷してビューローへ送ってありますので、もしかしたら富山県運用分は一回遅れになるかもしれませんが、お待ちください。
写真面は届いたときのお楽しみということで。
ちなみに今年の写真面は福井県の担当でした。

これにて、今年の8J9VLPの運用~残務整理はすべて終了しました。
また来年心機一転頑張りますので、ご協力いただける方の一報をお待ちしております。

JH9CDZ
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18日間の闘病記(その2)

2021年08月02日 09時12分47秒 | しょーもない徒然日記
~その2です~


7月22日(木・祝日)

この日から4連休なので、ひたすら暇な入院生活です。
日中読書とテレビで起きて脳を動かしていないと、夜に眠れなくなると思うのですが、夜はやはり眠れません。
相部屋のおじさん達のいびきの大合唱でまず無理です。
明け方になると皆さん静かになるので、ようやくうとうととできますが、やはり慢性的に寝不足が続いています。

看護師さん達はしっかり交代で休みのようですが、主治医の先生は毎日必ず顔を出されました。頭が下がります。

元気ならこの4連休はどこかへ移動して無線をする予定だったのですが、我慢の4連休になってしまいました。

バッグの中を確かめていたら、ラッキーなことにICレコーダーが入っていました。
民謡からJUJUまでいろんな音源も入れてあったので、結構な暇つぶしになりました。

この日からは3分粥です。
とは言ってもお粥にはほど遠いです。




7月23日(金・祝日)

我慢の4連休、2日目。

この日も3分粥ですが、おかずが少し付いているのが嬉しいです。
熱はほぼ平熱まで下がりました。

昼は読書と、ICレコーダーに入っている音楽鑑賞で過ごします。

こういう病棟なので、トイレが汚れていることが多々あります。
きっと汚したのがわかっていても、綺麗に掃除する気力も無い人が多いのかもしれませんが、困ったものです。
何度綺麗に拭いて掃除をしたことか。


7月24日(土曜日)

我慢の4連休、3日目。

この日から5分粥。
多少お粥の中の粒が大きくなったかなと思う程度の差です。



昨晩はオリンピックの開会式があったそうで、私には関係ないことですが。
ツイッターでいろいろ書いてあるのを読んで、大体の雰囲気は解りました。

テレビはどこの局を見てもオリンピックばかりなので、いい加減嫌になってきます。
たまたま見ていたTBSの報道特集で、オリンピックの関係者が弁当やおにぎりを廃棄しているのをやってました。
全く罰当たりな行為です。


7月25日(日曜日)

我慢の4連休、最終日。

この日から7分粥。
だいぶ全粥に近づいてきました。
おかずも結構形のある物になってきました。
しかしなぜか不安なので、時間をかけてしっかりと噛んで食べています。



コロナワクチン2回目の接種日でしたが、入院中なので妻に電話してもらいキャンセルしました。
2度目のキャンセルです。
主治医の先生に聞いたところ、1回目の接種から多少間隔がが空いてもかまわないので、退院後に2回目の予約をして接種してくださいとのことでした。

相変わらず日中は頑張って読書と音楽鑑賞でエネルギーを使っているのですが、夜はなかなか眠れません。


7月26日(月曜日)

朝6時に採血で起こされます。
確か1日おきに朝6時に採血で起こされているような気がしますが、実は明け方にようや眠りについて気持ちよくなったところで起こされるのです。

この日から全粥になりました。
お粥って言ったらこれですよね。



午前中に主治医の先生がいらっしゃって、血液検査の結果も良いので明後日28日退院にしようかとおっしゃいました。
ようやくこの入院生活の出口が見えました。

4連休中は病院の規則でシャワーが使えなかったので、6日ぶりにシャワーを浴びました。退院の目処も立ったので、気持ちがすっきりしました。

入院中にこの本を読破しました。
去年買って本棚の肥やしになる寸前だったところでした。
なかなかこの類いの本をしっかり読む機会なんてないのですが、暇に任せてさいごまで読みました。
大体においてテレビからの情報を鵜呑みにしているので、目から鱗のことが多々ありました。




7月27日(火曜日)

やはり全粥です。
お昼に肉が出たのにはびっくりしました。
まだ自信が無いので、しっかり噛んで食べましたが・・・。

テレビはどこの局もオリンピックばかりなので、BSでドキュメンタリーなどをやっているとこれ幸いと見ていました。

数年前に整形外科で入院していたときは、テレビばかり見ていてテレビのカード(1000円で18時間くらい見られるらしい)を何枚も使ったのですが、今回は1枚使い切らずに終わりました。

夜になって、入院最後の晩くらいゆっくり眠りたいものだと思い、看護師のにいちゃんに睡眠導入剤を頼んだのですが、後から持ってきますと言ったきり結局持ってきてくれませんでした。
悪寒が来てるのに布団を掛けていっただけのにいちゃんといい、どうもこの病院の男性看護師はおかしいです。


7月28日(水曜日)

この日は循環器科を受診して10時半に退院ということでしたが、なかなか循環器科からお呼びがかからず、結局私服に着替えて退院準備をしてから循環器科へ行ってくださいとのこと。

11時には家へ帰れるかと思っていたのに、結局はお昼頃でした。

左下腹部、S状結腸のあたりはまだ手で押すと痛いのですが、普段は痛みも無く大丈夫なくらいまで回復しました。
あとは通院で検査をして、内視鏡検査もしてという流れになるそうです。

以上、今回の発熱~入院顛末記でした。
抗原検査~PCR検査のことや、憩室炎の治療など参考になることがあれば幸いです。
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18日間の闘病記(その1)

2021年08月02日 09時04分06秒 | しょーもない徒然日記

7月16日から約2週間、入院生活をしておりました。
無事退院して8月から心機一転、職場復帰します。

発熱から入院、退院までの18日間の経緯を記しておきます。


7月11日(日)

日中は元気に富山市まで行って「いとみち」を観てきました。
夕飯は、たまにはウナギでも食べようかということで、すき家でウナ牛を食べて帰宅。
何の前兆も無く全く普通の平和な日曜日でした。

夜になって、コロッケパンの残りが冷蔵庫にあったのを食べて、焼酎の炭酸割りを作って飲み始めようかという時に、突然悪寒が来て体が震えて止まらなくなりました。
とにかく寒いので上着を着込んで体をドライヤーで温めてなんとか悪寒は収まりましたが、体温を測ると39.4度。
慌てて解熱鎮痛剤を飲んで体温を下げてそのまま寝ました。


7月12日(月)

解熱鎮痛剤を飲むと、大体5時間程度は熱が下がるので、その間に仕事をしますが、今になって思うとよくあの状態で仕事なんかしてたなと思います。
約5時間ほどで解熱剤が切れて体温が上がってくると一気に39度台まで上がるので、一日に37度から39度の間を何度行ったり来たりしたことか。
とりあえずこの日は解熱鎮痛剤でなんとかしのぎました。


7月13日(火)

もしかして新型コロナだったら大変な事だと言うことで、富山県の相談センターに電話したところ、氷見市内の発熱外来を紹介していただきました。
さっそく発熱外来の医院に電話したところすぐ来てくださいとのこと。
入り口は正面では無く裏の通用口から入って、すぐの検査室で待つように言われました。

こちらでは抗原検査をしていただきました。
結果はコロナ、インフルエンザともに陰性。
ただ、抗原検査は100%ではないので、しばらく様子を見て肺炎の症状や味覚障害などの症状が出たらすぐ連絡するようにとのことでした。

もしこの抗原検査で陽性が出れば、ようやく市民病院へ紹介状を書いてもらってPCR検査ということになるらしいです。
濃厚接触者や、スポーツ選手などはすぐにPCR検査を受けられるようですが、普通の発熱患者にとってなかなかPCR検査までのハードルは高いようです。

とりあえずコロナではなさそうだとのことでしたが、相変わらず熱は下がらず解熱鎮痛剤が切れると39度まで上がります。
発熱するときは全身寒いし、解熱剤を飲むと汗だらだらになるし、この日も同じ繰り返しが続きました。


7月14日(水曜日)

全く熱が下がらないので、前日の発熱外来の先生に電話したところ、もう一度来てくださいとのこと。
再度抗原検査をしていただきましたが、陰性でした。

先生から他に何か思い当たる事は無いかと聞かれましたので、以前住民健診で引っかかって大腸内視鏡検査をしたときに、S状結腸に憩室があるので突然痛くなったりすることがあるかもしれないと言われたのを伝えました。
そのときは我慢できないほど腹が痛いと言うことも無かったのですが、重苦しい感じはしていました。

先生の機転ですぐに血液検査と超音波エコーで診察をしていただきました。
診察の結果S状結腸が広範囲に腫れていて、これが発熱の原因だろうということで、抗生剤の点滴をしていただきました。
解熱鎮痛剤をいただいて帰宅。


7月15日(木曜日)

やはり一日中熱が上がったままで、数時間おきに解熱剤で熱を下げてその間に仕事を片付けます。
日曜日の晩に発熱してからは食事を摂る気力も無く、ゼリーだけで過ごしていました。


7月16日(金曜日)

発熱外来の先生から、この日もう一度来院するように言われていたので向かいます。
今度はコロナの疑いがないので、正面玄関から入ってくださいとのことでした。

すぐに大きな病院へ紹介状を書くから、この足ですぐに行ってくださいとのこと。
慌ただしく一旦自宅に立ち寄ってから高岡市内の病院へ向かいました。

外科の先生への紹介状だったので、最悪手術かなと思っていたのですが、CTの画像を外科の先生と内科の先生が見てくださいまして、結局内科での緊急入院となりました。
病名はS状結腸憩室炎です。

まさかそのまますぐに入院になるとは思ってもいなかったので、何の準備もして無くて、夜になって妻にいろいろと持ってきてもらいました。
ただ、このコロナ禍で面会は一切不可なので、家族はナースステーションに荷物を預けて、それを看護師さんが病室まで持ってきてくれるというシステムになっていました。

とりあえず当分の間絶食で、腸を休めるそうです。



解熱剤は点滴なので速効で熱が下がりますが、やはり数時間でまた39度台に戻ります。
寒いのと暑いのとの繰り返しでただただ体力が消耗しているような気がします。

主治医の先生は、美人の女医さん。
まさかこんな美人の女医さんに当たるとは、この日のサプライズその2でした。


7月17日(土曜日)

絶食2日目。
栄養は点滴で入れてあるので大丈夫とのことですが、水しか飲めないのは辛いです。

夜になってまた悪寒がきで震えが止まらなくなりナースコールをしたのですが、男性の看護師が来て「寒くないようにふとんをかけておきますね」と行って帰って行きました。
悪寒で震えが止まらないのだから、熱いタオルで背中を暖めるとかなんとか対処できないのかよ、と思いながら震えてました。
5~10分ほどで悪寒と震えは止まるのですが、何のためのナースコールなんだ、と震える体で思いました。

相部屋なので夜はおじさん達のいびきでなかなか寝られません。
妻には耳栓の差し入れをお願いしておきました。


7月18日(日曜日)

相変わらず熱は上がったまま下がらず。
数時間に一度点滴で解熱剤を入れてもらいますが、解熱剤が切れるとあっという間に38~39度に戻ります。

絶食は続いていて、水のみというのはやはり辛いです。


7月19日(月曜日)

未明に解熱剤を点滴してもらいましたが、その後あまり熱は上がらなくなりました。
とは言っても37度台ですが。
11日の晩に発熱してから9日ぶりにようやく高熱から解放されたことになります。
男性の陰嚢はサーモスタットなので、発熱すると熱を放出するように伸びきってしまいます。
私の陰嚢も、高熱のためほぼ9日間伸びきっておりましたが、ようやく元の状態に戻りました。
S状結腸の炎症が治まってきたのかもしれません。

1週間以上前から何も食べていないはずなのに、この日と翌日に黒い便が3回ほど出ました。看護師さんの話では、出血したのがS状結腸にたまっていて、それが出たのだろうとの事でした。
結構な量の出血があったようです。


7月20日(火曜日)

発熱しなくなったので、一気に体が楽になりました。
熱のあるときは、本など読む気にもなれず、テレビも観る気力も無かったのですが、本を読もうという気力が少し戻ってきました。

何日ぶりかでシャワーを浴びました。
点滴は一時ストップして、腕を保護してのシャワーです。
とにかく汗で髪の毛が爆発していたので、すっきりしました。

しかし依然絶食中、水だけは辛いです。
ジュース系もだめらしいので、ほんとにひたすら水だけです。

夜はほとんど眠ることができなくて、細切れに寝ていますが睡眠不足です。
妻の差し入れの耳栓がなかったらもっと悲惨だったかもしれません。


7月21日(水曜日)

この日の朝から食事が出ました。
とは言ってもまずは「重湯」からスタートです。
しばらく口からは水しか摂取してなかったので、久しぶりの水以外の物です。





午後から病室の引っ越しで、3階から6階へ移りました。
病院の都合だと思いますが、ようやく看護師さんの顔と名前が一致してきた頃だったので、ちょっと残念でした。

腸の血管に血栓があるとのことで、循環器科の先生の診察を受けて、血栓を溶かして血液をサラサラにする薬を処方していただきました。


~その2へ続く~
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