三味三昧 笛三昧

津軽三味線奏者、笛・尺八奏者、たまに胡弓奏者、なぜかアマ無線家
音楽好き趣味三昧人間「くまりん」のお気楽日記です

闘病記2023~その5

2023年04月22日 11時29分40秒 | しょーもない徒然日記

4月19日(水曜日)

朝からシャワー、リハビリの機械と忙しく動き回って、その後6階のリハビリ病棟へ移動しました。
比較的元気な人が多い病棟です。
機械は120度3日目。
なんとか耐えています。

入院以来他の入院患者と話をすることなんてなかったのですが、向かいのベッドのおじちゃんとしばらく話をしました。
同じ主治医で、やはり膝の手術をされたようです。
お互いリハビリ頑張ろうとエールを交換しました。

リハビリでは杖を使わないで30mほど歩きました。
後は階段の昇降。
なんとか順調に進んでいるようです。

ベッドは窓側ではないので、晴れているのか曇っているのかかわかりません。
廊下に出ると外が見えるのでトイレに行くたびに外を眺めます。



夜はウシガエルから解放されて平和な夜が戻ってきました。。
耳栓をして布団を頭からかぶって寝ていたことが嘘のようです。
近くを走るあいの風とやま鉄道の心地よいジョイント音がかすかに聞こえて、521系電車かな、EF510牽引の貨物列車かなと判別しているうちに眠りに落ちました。








4月20日(木曜日)

6階に移って2日目です。
機械は120度4日目。
どうも朝はまだ筋肉がこわばったままなので、朝一の機械は気が重いです。

リハビリは順調なようで、リハビリの兄ちゃんの話ではそろそろ退院しても大丈夫なレベルとか。
看護師さんにも話をしておくと言ってましたが、さてどうなるか。
週末病院にいてもリハビリはないし、機械をかけるだけなのであまり意味は無いかと思うのですが、判断するのは先生なので果たしてどうなるか?

昨夜から「52ヘルツのクジラたち」を読み始めて、これも一気読みしました。
以前から気になっていた本ですが、なかなか忙しい身の上なもので落ち着いて読む暇もないだろうと諦めていた本です。
入院の前日に買って持ってきていました。
さすが本屋大賞受賞作だけあって良い本でした。



ウシガエルから解放されて平和な夜が続いています。
空気を揺るがすような爆音鼾の人は個室へ入ってもらうべきですね。








4月21日(金曜日)

11時を回ってからようやく機械をかけるという。
昼食にかかってしまうぜ、と言ったのにそのままセットしていった。
昼食は11時50分に運ばれてきたので、結局15分ほどそのまま機械が動いていて食べられず。
ま、特に何も影響はないのでかまわないのですが、連携がうまくとれていないなぁという感じです。

120度は5日目。
大分慣れてきましたが、やはり辛い。

できれば今週末にでも退院したいという話はリハビリの兄ちゃん、看護師のねーちゃんにも話してあるのですが、なかなか進みません。
退院は来週かなと、思っていたら夕方になって突然話が急展開、明後日の日曜日に退院できることになりました。
退院できるとは言ってもしばらくは自宅療養ですから、GW明けぐらいから社会復帰かなと思います。

向かいのベッドのじいちゃんも突然来週の退院が決まって、お互い良かったねと話しました。

夜は平和な日々が続いています。
夜は結構FF510の貨物列車が走ってるんですね。








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闘病記2023~その4

2023年04月19日 13時07分55秒 | しょーもない徒然日記

4月16日(日曜日)

日曜日で看護師さんの数も少なくひっそりとしています。

リハビリの機械は115度。
前回の115度よりも辛くなかったのですが、ある看護師さんの話では足の固定の仕方でも多少変わるということなので、どうなのか・・・。

頑張って闘病記を3分割でブログにアップしました。

実はいろいろと大変でした。

まずはiPhoneで撮った画像をパソコンに取り込むために、iCloudのインストールから設定を始めます。

なんとか画像はパソコンに取り込んだものの、何故か画像サイズの縮小ができなくてすったもんだ。
縮小するソフトの問題かと思い、違うソフトを拾ってきて試しても駄目。

パソコンの初期設定ではファイルの拡張子が表示されていないので、もしかしてと思い拡張子を表示するとやはりHEICファイルでした。
HEICはiPhone独自のファイルなので、まずこれをJPGに変換することから開始。
ここまでで結構時間がかかりました。

とりあえず昨日の分までアップ完了。
後は3~4日ごとにアップしようと思います。

かくして平和な日曜日はパソコンに振り回されて終了。

夜は眠剤のおかげで21時から3時頃までほぼ熟睡できます。
その後朝方までは浅い眠りが続きますが、以前のように慢性睡眠不足状態からは脱却しました。









4月17日(月曜日)

朝の回診で術後2週間ということで抜糸となりました。
何針か途中まで数えていたのですが、先生が何かしゃべったのでその時点でわからなくなり終了。
包帯がとれたらしっかり数えてみます。

リハビリでは杖の歩行訓練が再開。
今日から階段の昇降訓練も開始しました。
病棟内での杖での移動も許可されて、退院に向けてようやく出口が見えてきたかな、という感じです。

病棟での杖の移動が許可になったので、2週間ぶりに立って小用をたすことができました。
座っての小用は男性の場合尿道が長くて湾曲しているので、尿が尿道に残ってしまうことがありすっきりしないことがありますが、立って用をたすと重力で出てくれるので残尿感なくすっきりします。

機械は120度にチャレンジ。
リハビリの後だったからか、あまり辛く感じることもなく終了。

息災病人で、もっともっと暇を持て余すかと思っていましたが、痛いのと体勢が決まらないのが辛くて予想外でした。

隣のベッドにいた氷見の漁師さんは病棟が変更になってウシガエルから解放されましたし、向かいのベッドのおじさんも明日病棟変更らしいです。
私はずっとこのままなのかなぁ、
とりあえず眠剤で多少寝られるようになりましたが、先が思いやられます。







 

4月18日(火曜日)

ようやく看護師さんから退院の話がチョロッと出ました。
階段の昇降訓練がある程度進めばOKなのかなという感じです。
もうしばらくの辛抱かな。

明日6階のリハビリ病棟へ移動するようです。
ウシガエルとは今夜が最後の試練のようです。
このウシガエル君、看護師のねーちゃんが来るとやけにテンション上がりまくりで、大きな声でしゃべってます。看護師も私らみたいなじじぃばかり相手にしてるより若い兄ちゃんの方が楽しいのかテンション上がりまくりでキャッキャッとうるさいこと頻り。
なんだかなぁって感じです。

機械の角度は120度。
なんとか耐えています。

ようやく本を読む元気が出てきて、住野よるさんの「恋とそれとあと全部」を一気読みしました。「君の膵臓をたべたい」の作者です。









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闘病記2023~その3

2023年04月16日 16時13分54秒 | しょーもない徒然日記
4月12日(水曜日)

この病棟では月水金がシャワーの曜日らしくて、午前中にシャワーをしました。

機械は昨日と同じく115度。
これでも十分辛くて、少し尻を浮かせたりして回避していますが大変です。
やはり腿の筋肉が突っ張って痛いので、1時間にわたる拷問のような感じで、泣きそうになります。

米谷会の昇級試験の顛末をブログにアップしました。
先日病室の携帯に本部から電話があり、看板ができたので今月下旬に送りますとのことでした。
これでようやく師匠に並ぶことができました。
さらに「一生稽古」です。

ウシガエルは相変わらず健在。
これが爺さんやおっさんなら仕方ないなぁと思うのですが、若い兄ちゃんなので余計腹立たしく感じます。
以前入院していたときも、相撲取りみたいな鼾や息づかいの若者がいて難儀した記憶がありますが、どうも困ったものです。








4月13日(木曜日)

今日は結婚記念日。
43年も経ちました。

当時勤めていた医院の隣の獣医師が、「13日の金曜日でなくてよかったな」などと失礼な事を言ったのが今でも記憶から消せずに、結婚記念日は忘れません。

機械は120度。
リハビリのねーちゃんが、みんな上のほうへ逃げたりしてますよ、と言ったのを思い出して実践してみますが、辛いのは変わりありません。 なんとか1時間耐えましたが、こんな逃げていては意味ないような気もします。

杖での歩行訓練は30mほど。
なるべく手術をした右足にもしっかりと体重をかけて歩くことを心がけてみました。

入院してこの方、ウシガエルと痛みのために熟睡したことがなくて、どうもこんなことでは精神的にもいけないと思い、夜ナースステーションに行って理由を話して睡眠導入剤(眠剤)をお願いしてきました。
効果は絶大で、朝までほぼぐっすり眠ることができました。








4月14日(金曜日)

昨日の120度がだめだったのか、腿の筋肉痛がひどくて歩行器で歩くのにも右足に体重をかけると痛い。
リハビリのねーちゃんに話をしたら、あまり無理をしない方が良いとのことで、杖での歩行訓練はなし。

機械は5度戻して115度でした。
115度なら、ピークでちょっと腰を浮かして逃げないと痛いけど、なんとか1時間は終了。
腿の筋肉痛が収まればもっと楽になるような気がしますが。

1時間が経過してナースコールをしましたが、一向に機械を片付けに来ません。
結局機械が終了して1時間以上経過してから他の看護師が片付けに来ました。
自分でセットした機械は責任もって片付けに来るべきではないですかね。
いろんな看護師がいて、人間観察には飽きません。

昨日からこの闘病記を、メモと記憶を頼りに書き始めました。
明日か明後日にはアップできるかな。

夜、看護師のねーちゃんに再び眠剤をお願いしました。
医師に言って処方してもらうということになりました。
おかげでこの日もほぼ熟睡できました。
耳栓はしているのですが、空気の振動で耳栓越しにウシガエルは聞こえてきます。







4月15日(土曜日)

この日の担当看護師はしっかり者のおばちゃん看護師。
機械の120度についてちょっと話をしたところ、他の看護師とは違う考えのようで。
120度で1週間やらないと退院できないと脅す看護師もいたのに、この看護師は無理をしてまで120度にこだわることはないとのこと。
ただ、階段の上り下りが大変なので、できれば120度ほどまで曲がる必要があるとのこと。
こんな話を聞いたのは初めてでした。

この日は無理をせず110度で。

コロナ禍で面会は禁止されていますが、土日に限り荷物の受け渡しができます。
妻に頼んで下着の入れ替えをしました。
入院も5回目ともなれば、必要なものはほぼわかっているので、特に不足なものもなく普通に生活しています。

この部屋のウシガエルはどうも起きていてもうるさくて、大声で長電話してみたり、いちいちかけ声やため息もうるさいし、こんなことを書いているとどんなくそじじいかと思われるかもしれませんが30程度のあんちゃんです。
困ったものです。

眠剤は医師から処方されたようで、この日は言わなくても看護師が持ってきてくれました。
おかげでなんとか普通に6~7時間眠れています。







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闘病記2023~その2

2023年04月16日 15時45分14秒 | しょーもない徒然日記
4月7日(金曜日)

一人で車椅子でトイレへ行っても良いよという許可が出ました。
ちょっと気が楽になりました。

機械は90度、だんだんとしんどくなってきました。

リハビリでは歩行器を使って歩行訓練開始。
近日中には車椅子ではなくて歩行器でトイレへ行ったりするようになるらしい。

まだまだジンジン痛むので、テレビを見たりパソコンを触ろうかという気にならない。

加えて、この病室には昼夜問わずウシガエルが一匹いて、ウシガエルがたまに豚舎に変わったりで、ゆっくり寝ていられません。
ちょっとウトウトっとするとウシガエルが鳴き始めて睡眠が中断されます。
予防策として耳栓を持参していますが、このウシガエルには効果なし。
多分この部屋のウシガエルの他の二人も大変な目に遭っていると思います。

こればかりは、本人に文句言うわけにも行かないし、看護師さんに言ってもどうなるわけでもないし、ひたすら我慢かな。








4月8日(土曜日)

病院はお休みですが、リハビリはありました。
歩行器による歩行訓練が続きます。
機械は100度、だんだん辛くなってきました。



トイレは歩行器で一人で行っても良いとの許可が出たので、得意な車椅子は却下されました。
まだ歩行器では不安ですが、慣れていかなければね。



朝ドラ「らんまん」が始まっていますが、月曜の朝(手術前)に第1回を見たきりで、テレビを見る気力がなかったのでそのままになっていました。
BSで1週間分まとめてオンエアされるので、午前中は「らんまん」を一気見。

午後からちょっと元気が出てきたので、入院後初めてノートパソコンを開いて1週間分のメールチッェクをします。

テザリングの設定がうまくいっていないようで、繋がったり切れたり。
東洋通信の担当に電話して対策をお願いしようかとも思いましたが今日は土曜日。
いろいろ触っていたらなんとか回線が切れたりしないようになりました。
退院したら一度しっかり聞いておこう。

6月の8J9VLP運用お願いのメールを作っておくったら、疲れ果ててエンド。








4月9日(日曜日)

今日も病院はお休み。
でもリハビリはあります。

機械は昨日辛かったので今日も100度。

とりあえずパソコン開いてメールチェック。
その後先月の米谷会昇級試験の顛末記を書き始めますが、なかなか根気がなくて続きません。
まぁ長文なので何日かに分けて書こうと思います。

VLP運用お願いメールは、IPFさんが真っ先に返信してくださいました。
毎年お世話になってありがたいことです。

ウシガエルは収まる気配なし。
慢性睡眠不足です。






4月10日(月曜日)

4月2日から数えて8日ぶりにシャワーを浴びました。
とにかく頭が気持ち悪かったので、すっきりしました。

リハビリは杖での歩行訓練開始。
まだ不安一杯で右足に重心をかけられません。
ま、ゆっくりゆっくりですね。

機械は110度。
膝の関節と言うよりも、腿の筋肉が突っ張って痛い。
リハビリのおねーさんの見立てでは、術前から膝の痛みでこの腿の筋肉がしっかり伸びていなかったのではないかと言うことでした。

相変わらずテレビを見る気力もなく、朝ドラ「らんまん」と、火野正平の「こころ旅」だけ。








4月11日(火曜日)

リハビリの機械は最終目標120度。
しかしあまりの辛さですぐにギブアップ。
5度戻してもらって115度でなんとかフィニッシュ。
120度で1週間しないと終わらないと脅されているのだけど、この痛みには耐えられません。

米谷会昇級試験の顛末記はなんとか書き終えました。
明日もう一度誤字脱字等の確認をしてアップ予定。

ウシガエルは相変わらず。
睡眠は1~2時間刻みでしかとれません。



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闘病記2023~その1

2023年04月16日 15時07分23秒 | しょーもない徒然日記

私事、4月2日に入院、3日に膝の手術をして現在お隣高岡市の病院でリハビリ中です。
3週間程度の入院ということなので、なんとか4月下旬には退院させてもらえそうです。

では事の顛末を順に。


昨年8月の北日本民謡決勝大会の日、いつもの如く重い荷物を抱えて富山オーバードホール近くの横断歩道を渡っていたところ、青信号が点滅し始めたので年甲斐もなくダッシュしたんです。
その瞬間右膝にピリッと痛みが走って腰砕けのようになりました。
この時はそんなに重大な事になるとは思っていなくて、ちょっと膝に違和感がある程度で平気で翌週の青森遠征も行ってきました。

どうも違和感がとれないので、昨年秋頃に近所の整形外科を受診しますが、毎回注射を打って痛み止めをくれるだけ。
これが4~5ヶ月続きました。

ところが今年2月の中頃、突然症状がひどくなって杖を突かなくては歩けないような状態になりました。
これは近所の整形外科に任せていてはだめだと思い、7年前に足関節の手術をしたときに紹介状を書いていただいた隣町の整形外科を受診しました。
この整形外科の先生、口は悪いけど実に鋭いんです。

この先生の見立てでは変形性膝関節症で多分人工関節だろうとのことで、すぐに足関節の手術をしてもらった大きな病院へ紹介状を書いていただきました。


4月2日(日曜日)

翌日が手術なので、前日から入院です。





60歳を過ぎてから入院するのはこれで5回目、いずれも同じこの病院です。
それまでは高校生の時に交通事故で入院して以来、入院なんてしたことがなかったのに。1回目は62歳の時に右足首の手術。
2回目はその翌年鼠径ヘルニアの手術。
3,4回目は一昨年大腸憩室炎の手術でした。

午後から入院のため妻に送ってもらって病院へ。
ピンピンして元気なのはこの日だけですが、テレビを見る気持ちにもなれずちょっとだけ読書をして就寝。



4月3日(月曜日)

午前より手術。
デイルームのところで妻に手を振って手術室へ。
気がついたら手術は終了してベッドで再び妻に手を振ってそのままICUへ。

実は2回目の入院・手術の後、病室へ戻ってきてから二度心停止している(房室ブロックと言うらしい)もので万全を考えて一晩ICUで様子見ということになったらしいです。

術後の痛みは尋常ではなく、痛みで全く眠れず。
朝方にどうしても我慢できなくて鎮痛剤の注射をしてもらってほんの少しうとうととできました。
膝の手術は痛いんだとあちこちから脅されてはいましたが、ここまで痛いとは想像を遙かに超えていました。


4月4日(火曜日)

ICUは一晩だけで、午前中に一般病棟(一日だけ個室でした)へ移ります。
相変わらず痛みに耐える一日でした。
個室なので周りを気にしなくて良かったのはこの一日だけでした。

まだ尿管カテーテルが入ってるので、自由に動けず。
ただ驚くことに、膝の可動域を確保する機械によるリハビリが、手術の翌日の今日から始まりました。
60度から始まって、120度まで10度/日刻みに角度が増加するそうです。
点滴も次から次へとあって、ずっと一日寝たままです。






4月5日(水曜日)

病室が個室から4人部屋に移動。

尿管カテーテルが抜けました。
これが入っているとどうも気になって嫌いです。
代わりにトイレへ行くのに車椅子が来ました。
まだ靴が一人で履けないので、トイレへ行来たくなると看護師さんに車椅子の介助をお願いしなければなりません。

この病室、手術で出て行く人、新たに入院する人等で出入りが激しくてドタバタしています。
機械は70度、今のところまだ平気です。

相変わらずジンジンと痛むけど、手術翌日よりは多少和らいできた気がします。








これは手術前


手術後


4月6日(木曜日)

相変わらずジンジン痛みます。
寝ているときの態勢が悪いのか、朝方が一番しんどいです。

車椅子は7年前の入院で駆使していたので得意なのですが、トイレの時は看護師に言うこととなっているのでちょっと面倒。
単に付き添いだけなのですが。
靴は履き方の要領がわかったので、ひとりで平気で履けるようになりました。

未だにパソコンを開ける元気もなく、スマホを少々触るだけです。

機械は80度。
少しずつ辛くなってきました。










その2へ続く
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米谷会昇級試験を受けてきました。

2023年04月12日 14時14分57秒 | 民謡・尺八・笛
ちょっと前の話ですが、3月に東京の米谷会本部へ行って昇級試験を受けてきました。




ここ数年コロナ禍というのもあったのですが、名取り試験・昇級試験を受ける人が激減して試験自体が開催されていませんでした。
昨年暮れに本部へ電話して、試験が開催されるのなら是非受験したいとの旨を伝えたところ、数年ぶりに開催されることになりました。

私は準師範から師範への昇級試験です。
年末に師匠の米谷威和久先生の自宅を訪ね、ハンコをいただいてきました。
本来ならば取り立て師範として東京の本部へ一緒に行かなければならないのですが、恒例で道中不安なため私一人で行くことになりました。

師匠の教室は生徒さんも私一人だけ。
教室自体稼働していないので、米谷会本部の計らいで、試験前の特別講習を受けに来なさいということになり、2月25日に痛い足を引きずりなから東京の米谷会本部へ行ってきました。


2月25日(土曜日)

早朝より北陸新幹線で東京へ向かいます。
荷物は尺八2本だけなのでそんなでもないのですが、しばらく前から痛みだした膝の調子が徐々に悪くなっていて、杖をついてやっとこさ歩いています。

しばらくぶりの東京ですが、電車を乗り継いで下高井戸の米谷会本部へ行くのはこれが初めて。
今までは師匠と師匠の奥さんも一緒だったので車でしかいったことがありません。
しっかり予習したつもりでしたが、新宿駅でJR線から京王線に乗り換えるのにちょっともたつきました。やっぱり田舎者です(^_^)

京王線上北沢が最寄りの駅なのですが、果たして上北沢に急行とかが止まるのかが不明で田舎者はここで再度もたつきました。結局特急に乗って、急行に乗り換えて、再度各駅停車に乗り換えで無事上北沢到着。
昇級試験はこの2週間後なのですが、次回は車で来るつもりなのでコインパーキングをチェックしつつ本部へ向かいます。

特に迷うこともなく無事本部到着。
特別講習の講師は米谷和修先生です。
いつもテレビでは拝見していますが、和修先生直々の指導は初めてで、講習は1時間半も続きました。
試験曲3曲と、練習曲3曲の集中講習で、目からうろこの事もあり大変有意義な講習でした。

帰りは新宿駅、東京駅ともにすんなりとクリア。
米谷会本部滞在2時間の東京日帰り弾丸ツアー・パート1でした。





東京駅にて


3月12日(日曜日)

昇級試験当日です。
東京日帰り弾丸ツアー・パート2です。

試験は午後1時半なので逆算して午前5時過ぎに自宅を出発します。
富山市から早朝のR41を南下、神岡からR471へ入り安房を目指します。

安全運転と経済走行を目指してゆったり走っていると、朝から何台にも煽られました。
決してゆっくり走っているわけではないのですが、気に入らないのでしょうね。

松本から高速に入りあとは一本道。
中央道ってずっと制限80キロなのに、たまにとんでもないスピードで突っ走って行く輩がいますが、大丈夫なんですかね。

過去に高井戸ICで降りて道を間違えたことが2度。
なので万全を期して手前の調布ICで降りてしばらくR20を走りました。

本部前に車を駐めてもいいよと言われていたのですが、事前にしばらく音出しをしてウォーミングアップしたかったので、本部を通り過ぎて塚山公園近くのコインパーキングへ。公園でしばらく吹いてからと思っていたのですが、残念ながら満車。
いくつかコインパーキングの候補をチェックしていたので順に行ってみますが全部満車。最後の最後にようやく一台分空いていました(米谷会本部に一番近いパーキングでした。)
塚山公園はNGだったので仕方なく暑い車の中で30分ほどウォーミングアップしてから米谷会本部へ向かいます。





すでに到着している会員の方が奥の部屋で練習中。
順番ということで私も課題曲3曲を練習させていただきましした。

この日の尺八試験は、名取試験が1名、準師範昇格試験が1名、そして私が師範昇格試験、もう一名が総師範昇格試験でした。

時間が来たので2階の検定室へ。
一段高いところに会主の小杉真貴子先生、その左に米谷智先生、その横に米谷和修先生。小杉先生の右に藤みちこさんの豪華顔ぶれの審査員。
左手では米谷和子さんが三味線、稲庭淳さんが唄を唄ってくださいます。

前回の準師範昇格試験の時は、尺八の先生がもう2人ほど多かったと思いますが、今回は受験する人も少ないので、この顔ぶれになったのかもしれません。
いずれにしても会主とナンバーワン、ナンバーツーの目の前で緊張の中20分ほど吹かなくてはならないので大変です。

まずは米谷流の練習曲集の中から3曲、指定された番号の曲を演奏します(これは譜面を見てもOK)
いずれも師範昇格の試験なので、ツの中メリ、リ(ハ)の大メリ等の作る音が入っていて音域も広くなかなか難しい練習曲です。

続いて民謡3曲、こちらは完全暗譜です。
私の選択した受験曲は、「最上川舟唄」「茶切節」「白浜音頭」の3曲、各2番ずつ。

最上川舟唄は三味線なしの尺八伴奏のみです。2番はちょっと長いですがしっかり吹きました。途中のコロガすところも不明なところがあったのですが、和修先生の事前講習で解決して迷わず吹けました。

茶切節は以前佐藤松子流の大師範昇格試験の時に弾き語りしたっけなぁ、と思いつつ吹いておりました。休符と半音が多いのですが、三味線も唄も得意な唄なので問題なし。

白浜音頭は実は長年の間に細かいところをいい加減に吹いていて、たまにはしっかり譜面を見て確認しなければと思いました。思い込んでいると修正に意外と時間がかかります。

審査員全員の講評の後、最後に智先生、和修先生と3人で練習曲集をもう一度吹いていただき終了でした。


1階に下りてほかの受験生と雑談をしていたら、和子さんがこっそり「合格です」と耳打ちしてくださいました。
そうです、米谷会の試験は不合格があるのです!
他の民謡の会は実力が伴っていなくても、ほぼお金を積めば名取りになれるし、昇格もできますが米谷会は違うんです。私の名取り試験、準師範昇格試験の時には師匠と師匠の奥さんが不安そうに「どうやった?」と何度も聞いたのを思い出します。

他の受験生にエールを送って、本部滞在2時間で帰路につきます。


帰りも高井戸ICはいまいちよくわからないので、調布ICから高速に。

途中双葉SAで信玄餅を買いに。
一応妻からのリクエストっぽいニュアンスの言葉かあったので(#^.^#)




午前中に目をつけておいた中央道原PAでしばらくだけ移動運用をします。
全く何もない日帰り弾丸ツアーでは面白くないので、ほんの30分程度だけですが。
もう日没が近づいていて7MHzの国内コンディションもそろそろスキップ気味。

それでもなんとか30分20交信。
まだ弱い信号でコールする局はいましたが、先を急ぐので強制終了。
次回はゆっくり訪れたいと思います。







さて、今朝から走りっぱなしたったので、フロントウィンドウは虫だらけ。
どこかでペットボトルに水を汲んできて洗いたいな、と思っていたら松本で雨になりました。
うまい具合に洗い流せたのでラッキー。

帰りも安房・神岡を通って帰ります。
さすがに睡魔との戦いでした。

これにて東京日帰り弾丸ツアー・パート2は無事終了。
一日走って約800キロ。
2リッターディーゼルですが、17.7Km/Lでした。
なかなか優秀な燃費でした。



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