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美浜町の松原地区津波避難所整備地脇から中近世の火葬墓跡続々出土 〈2016年9月9日〉

2016年09月09日 08時30分00秒 | 記事

美浜松原郵便局傍の発掘調査地
火葬墓跡の穴がいくつも開いている


 美浜町が美浜松原郵便局傍の400平方メートルの一角で行っている発掘調査が終盤にさしかかり、地面下から、中近世の火葬墓跡が続々と出土している。発掘調査は、吉原のダイワボウマテリアルズ(株)和歌山工場南で工事を進めている松原地区高台津波避難場所整備計画で、その一部が県の埋蔵文化財包蔵地のひとつ、吉原遺跡にかかることから昨年6月に試掘確認調査を実施。そこで土器のかけらが出土しことから、本格調査に移った。

 県文化財センター=和歌山市=の技師・上地舞さんらが去る8月の盆明けから、重機で上土を掘った後に、手作業で少しずつ土を掃き出し遺跡や埋蔵物を探す作業を進めてきた。
 上地さんによると、地中から、鎌倉・室町時代から江戸時代のものと思われる火葬墓跡が多数出土。直径1メートルほどの穴に、焼かれた人骨がたくさん見つかっている。当時の人々が死者を火葬し、遺骨を木箱に入れて埋めた様子が伺える。当時の権力者の墓は、五輪塔が建てられるのが一般的であることから「庶民か、庶民に近い人らの集団の墓か」と上地さん。この辺りは海岸に近く、河口付近にできた砂州の地形で、砂地のため耕作に適さず墓として活用されたのかもしれない。
 土中からは、江戸時代を通じて広く流通した銭貨・寛永通宝(かんえいつうほう)も2枚見つかっており、当時の人々が、三途の川を渡る際の渡し賃・六文銭として死者に持たせるため、遺骨といっしょに埋葬したのかと想像される。他にも、頭が四角形の和釘や、赤みがかった焼き物・土師器も出土している。土師器には食べ物などを乗せて供え物をしたのか。
 中近世の火葬墓跡が見つかったのは町内では初めてで、県内でも例がないという。「当時は、地域によって土葬であったり火葬であったり埋葬の仕方は多様だったが、ここは火葬だけ。墓には人々の思想も入っている。出土品から、当時の墓のあり方や環境の使い方が分かり、重要な発見」と上地さん。
 調査は今月末までに終了。その後、センターで調査結果を整理し報告書に取りまとめ、12月末までに刊行、公表する。
 10日午後1時30分から、現地で、近隣地域の人らに向けた説明会を開く。墓跡や出土品を見ながら、その価値や当時の人々の暮らしに迫る。小雨決行。


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