kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

小銭よ落ちて散らばり転がってゆけ

2020年03月03日 | 生活
浄心ー鶴舞ー浄心

買い物をすると
どうしても
小銭が貯まってしまう
財布に入れておくと
重いので
ある程度
貯まった時に
銀行に行き
ATMで小銭をじゃらじゃらビニール袋に入れて
硬貨投入の狭い入れ口に
一枚ずつ
硬貨を入れてゆく

ところが今日
ばらばらっと
硬貨が落ちて
隣とその隣まで
一円玉五円玉十円玉五十円玉百円玉が
ころがるころがるころがる
ああああたいへん
と思ったのはわたしだけじゃなく
隣の人や
その隣のおじいさんも
どこぞのおじじは
「何だああ何やってんだあ」
と小声で言うし
「すいませんすいません」
と我
あやまりつつ
小銭をひらい集め
行員がひらい
警備員さんが
「ここ」
と規則なのだろう
お金には触れず
転がりゆく先に指をさす
そうこうしていると
並ぶは並ぶはATM
背後から
冷ややかな視線
「早くしろよ」
と言われているのが
視線で判る

マジで冷や汗かき
硬貨投入再開しようにも
ディスプレイに何かが触れたのか
「中止」の表示が出て
入れた小銭を
「全部取り出してください」
とコンピュータの女人が繰りかえす
冷や汗はマジ汗になって
一度硬貨を全部手にもって
その時
ビニール袋が破れて
またもや
硬貨がころがるころがるころがるちらばるちらばるころがる

もうあかん

唐黷サう

ぜんぶまた掻き集めて
ATMをあとにして
再度
並び直す
やっとの思いで
小銭を入金し
警備員さんと
行員に
「(さっきは)ありがとうございました」
と言うと
完全に無視

ぐったり疲れて
湯屋へ

ああ
湯はええなあ
きもつええぇぇ

イチゴジュースを無料券で買い
飲む
帰りのバスの中で
居眠り
いかん
疲れている
帰ってご飯を食べ
すぐに寝る

夕方起きて
いろいろする

結局
昼寝をたっぷりしたので
午前2時まで起きていて
さすがにやばい
と思い
寝入る



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉について

2020年03月02日 | 生活
あの方の
苦の道について
思う
今頃
どこでどうしているのだろう

伊賀忍者



ななめに
道路を渡り
トラックのタイヤに踏まれて
終える
その一部始終を見ていた

この地にきて
あの空に帰る

虫も人も同じ

さっきまで
触覚を働かせ
動いていた
自然界の生物は
あっけなく
動かなくなる

そして
漂う
微生物の餌になり
命を繋いでゆく
循環の輪に
入ったのかも知れぬ
ご苦労様でした
と言ってもいいのかギンズバーグ

死ぬことに
未だ意味を探す
あさましさよ

『殺処分』
という言葉について

人類は前頭葉を発達させ
大きな脳を獲得し
地球の生物の頂点に君臨する

殺処分という言葉を作って
人類が生き延びるためにのみ
他の生物の命を大量に消す

日本語はもっと
豊かであったはずだ
どうして
こんなに
下品で劣悪な言葉が
横行するようになったのか
それは
人間の心のありようが
そういう言葉を生みだし
安易に使うことに
抵抗も躊躇も失い
言葉は世界と比例して
汚く
お金だけの価値しかない人々は
下品な言葉に鈍感になり
<やり過ごす>こと
だけを得た

発展途上国には
食品ロスという言葉も
殺処分という言葉もない
自然という言葉もない国がある

人が生きる
ということ
人が言葉を使うという
こと

だからこそ
作家は
代名詞となる造語を作る
必要がある
肝に銘じる
その前に
心を戻し
整えることから
始めなければいけない

作品とは
作家の生活の姿勢が
見事に現れるのだから




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

的確な指摘に感謝

2020年03月01日 | 生活

雨あがりの朝

静けさの中
陽光

昨夜
友からメール
古井由吉さんのこと
「島田雅彦のtweetで知った」
と言う
「わたしは高橋源一郎のtweetで知った。源一郎は『追悼文を頼まれたけれど、断った。面識のない人の追悼文は書かないと決めている。古井さんは本を開けばそこにいる』と書いていたよ」
と返信
「うーん、さすがは源ちゃん…にしても時代相が平安末期の如くの昨今、天空でトイレットペーパーを幾つも抱え込む民衆の姿を、訝しげに見つめる氏の表情が目に浮かぶようで…」

結局
わたしは
古井由吉さんが現存している間に触ってこなかった
どうしてだろうか
読むきっかけを失ったまま
気にはなっているものの
今日まで来てしまった

未知の文学者に今
戸惑うばかりだ

いつもそう
空に帰ってから
その人の仕事を知るに至る怠惰と無知の極み

記事には「文学者の中の文学者」とあり
中上健次との対談や
柄谷行人の文券癜]の対象
吉本隆明のアプローチ
競馬場で古井由吉を見た高橋源一郎は
声さえかけることができなかった
おそらく
今回のtweetでもうかがえるけれど
畏れおおい人の一人だったのだろう
そして「本を開けばそこに古井さんがいる」
という言葉は
まだ実感として
古井由吉さんの旅の終わりを
受け入れられないのだろう
それほど

心中である
ということ

---

『言葉の邪心』について
考える
まだ答えは出ていない

言葉が悪いわけではなく
その人の邪心が言葉になっている
問題はその人の邪心であり
言葉そのものでないのではなかろうか
という的確な指摘をいただき
考慮に至る




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする