kotoba日記                     小久保圭介

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的確な指摘に感謝

2020年03月01日 | 生活

雨あがりの朝

静けさの中
陽光

昨夜
友からメール
古井由吉さんのこと
「島田雅彦のtweetで知った」
と言う
「わたしは高橋源一郎のtweetで知った。源一郎は『追悼文を頼まれたけれど、断った。面識のない人の追悼文は書かないと決めている。古井さんは本を開けばそこにいる』と書いていたよ」
と返信
「うーん、さすがは源ちゃん…にしても時代相が平安末期の如くの昨今、天空でトイレットペーパーを幾つも抱え込む民衆の姿を、訝しげに見つめる氏の表情が目に浮かぶようで…」

結局
わたしは
古井由吉さんが現存している間に触ってこなかった
どうしてだろうか
読むきっかけを失ったまま
気にはなっているものの
今日まで来てしまった

未知の文学者に今
戸惑うばかりだ

いつもそう
空に帰ってから
その人の仕事を知るに至る怠惰と無知の極み

記事には「文学者の中の文学者」とあり
中上健次との対談や
柄谷行人の文券癜]の対象
吉本隆明のアプローチ
競馬場で古井由吉を見た高橋源一郎は
声さえかけることができなかった
おそらく
今回のtweetでもうかがえるけれど
畏れおおい人の一人だったのだろう
そして「本を開けばそこに古井さんがいる」
という言葉は
まだ実感として
古井由吉さんの旅の終わりを
受け入れられないのだろう
それほど

心中である
ということ

---

『言葉の邪心』について
考える
まだ答えは出ていない

言葉が悪いわけではなく
その人の邪心が言葉になっている
問題はその人の邪心であり
言葉そのものでないのではなかろうか
という的確な指摘をいただき
考慮に至る




コメント
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