kotoba日記                     小久保圭介

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太陽の歌

2011年10月07日 | 生活
休憩所の入り口で、
たぶん、スズメバチでしょう、
一匹が、
完全にくたばっていました。
きっと、労働場の誰かが、
叩きつぶしたのでしょう。
スズメバチだけは危ないので、
誰かが、服か何かで、
やっつけたのだと思います。
スズメバチは哀れではあるのですけれど、
僕は笑ってしまいました。
ハチもひどい場所に飛んできたものだ、
と。
労働場には、
強靱な肉体を持った荒くれ達が、
わんさといます。
そんな人たちの、
真上には、
青い空が、
あります。

彼らの日焼けした笑顔や、
まなざし、
それでいて、
情深き人たちを見ていると、
この歌が、
僕の中で鳴ります。
ペケ(いとうたかおさん)の言葉で言うと、
「この世に生をうけた すべての人々のために」
歌われる、
太陽の歌。


     「からだひとつが頼りの人達は」



 からだひとつが頼りの人達は
 寝ころんでみたり歩いてみたり
 あまり多くを語ろうとはしない

 からだひとつが頼りの人達は
 時には重い荷物を担ぐ
 両手はいつもからっぽのままで

 からだひとつが頼りの人達は
 時には小さな隠しごと
 こころの窓は開いたままで

 からだひとつが頼りの人達は
 あるがままの目を持ってる
 からだのどこかに硬いタコを持つ

 からだひとつが頼りの人達は
 道端の花に見とれて立ち止まる
 夜は乾いた草に埋もれてねむる

 からだひとつが頼りの人達は
 街や山や海辺の村に
 続いてゆく道を歩いてる

 からだひとつが頼りの人達は
 時にはそっと振り返る
 夕日に向かって思い出話する

 からだひとつが頼りの人達は
 明日をもしれない夢ひとつかかえ
 太陽見上げ今日も笑ってる


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梅はその日の難のがれ

2011年10月05日 | 生活
ヤクルト(正確にはチチヤスの乳製品)を、
朝、飲むようになってから、
風邪をひかなくなりました。
と書くと、
風邪をひいた、
と書けなくなってしまうのだけれど、
ずっと風邪をひいていないのだから、
やはり、
効果があるのかもしれません。
健康については、
映画「めがね」の中で、
「梅はその日の難のがれ」
と、
朝の食卓で、
梅干しを食べるシーンの時の、
セリフがあります。
そのことわざが残っていて、
最近は、朝、
僕も梅干しを食べて、
労働に出かけます。

でも、難はありました。
帰り、
地下鉄のホームで、椅子に座っているとき、
傘を忘れてしまいました。
気がついたのは、
電車がいくつも、
駅を踏んでいったあとです。
友達にもらった、
折りたたみ傘を、
ホームの椅子の横に立てかけて、
忘れてしまいました。
しょうがない、
降りた駅の改札口で、
事情を説明すると、
すぐに連絡をとってくれて、
傘が発見されるまでの10分ぐらい、
僕は改札口で、人の通過に、
迷惑にならぬよう、
立って待っていました。
「ありました。今から、取りにいきますか」
と駅員さん。
「できれば、明日も7時5分に到着するので、その時に」
と言うと、
「今日取りに行かないと、遺失物扱いになってしまう」
と駅員さん。
「そこを何とか」
と何度も言うと、
骨を折ってもらい、
何とかしてくれました。

後日談になりますけれど、
翌日、傘はきれいに畳まれて、
忘れた駅の駅長室で、
手に戻ってきました。
きれいに畳んでくれたのは、
誰だろうかな、
と、
気持ちの良い気分を、
朝から頂きました。
結局は、
「難のがれ」
になりました。
オジに言うと、
「小久保さんは偉い」
と言う。
「今時、傘ぐらいは誰も取りにいかない」
と言います。
僕はその布の折りたたみ傘が気に入っていたし、
鞄にも入る便利な生活具です。
梅干しのせいなのかな、
戻ってきて、
良かった。
それにしても、
僕は傘を本当によく失う。
どうしてだか、
判らないけれど。
オジの発言に加わって、
これからは、
忘れた傘は、
必ず、
取り戻そうと、
思います。
それが本来は、
当たり前の日常行為だった、
と、
思い出すことが、
できました。
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3つの大事なこと

2011年10月04日 | 生活
昨夜の、
吉増剛造のイベントの余韻が、
ずっと続いています。
朝吹真理子、大野一雄、石川啄木、
にまるわる話や、
311直後、
インスピレーションで、
アメリカで萩原朔太郎の写真展をやって、
ブーイングを受けたこと。
「ブーイングでしたよ。でもやらなきゃだめ」
と強く言った吉増さんの志に、
強い感銘を受けての、
一日になりました。
「311みたいな時には、
新しい光が必ず射します」、
と吉増は言いました。

朝吹真理子に関しては、
吉増の映像「キセキ」に収録されている、
朝吹の言葉なのかな、が、
「真理子の処女作になります」
とユーモアを交えて言っていました。

大野一雄に関しては、
狭い箱の上で踊ることで、
「自由になれる」
と大野一雄が言ったことを、
吉増は重ねていました。
「大きな舞台じゃなくて、小さい箱の上ですよ、そこで自由になるって言ったんだな」
と。

石川啄木に関しては、
啄木の著書の中で、
「たぶん、啄木は自分だけのために書いたんじゃないか。そういう作品がひとつはあってもいい」と、自作の話に重ねて、言っていました。

僕にとっては、
311の「新しい光が必ず射し込む」「ブーイングでしたよ、でもやる」、
という話、
啄木の自分だけの作品の話、
「箱の上で踊ることの「自由」」の話、
この3つのことは、
昨日を境に、
ずっと胸に残ることになるでしょう。
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吉増剛造IN NAGOYA

2011年10月03日 | 文学



フジコさんのツイッターで、
数日前に広報されていて、
知った、
吉増剛造のトークと映像の催し。
千種、
正文館本店に、
僕は労働を終えてから、
急ぎました。
3時間に及ぶ、
話と映像、
映像には吉増の声も入っているのだけれど、
会場にいる吉増さんが、さらに話して、
声を加えました。
僕は吉増の言っていることを、
100%理解した。
多数は何を言っているのか判らないかもしれませんけれど、
僕は全部判った。
彼が言おうとしていたことや、
熱意や行動、遅い目の動きや、
芭蕉の本音が現れているという句の箇所の細部、
「風の底」という発語であったり、
全部、判った。
そして、
得た。
本当に、
得た。
現存する吉増剛造に会えた喜びは、
思った以上に、
僕に宿った。
得たものとともに。
あとは、
吉増の言ったことに、
答える小説を、
書くだけです。

コメント (2)
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karintou

2011年10月01日 | 生活


風あり。
鳥が北へ向かった。
オジからもらった、
かりんとうを囓る、
その音が、
頭蓋骨という器で、
鳴り、
響き、
青い空、
を、
見て、
歯で砕いている。
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