goo blog サービス終了のお知らせ 

kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

一ノ谷天之助さん

2007年08月05日 | 音楽
8月3日、一ノ谷天之助さんが亡くなったと知らされた。
バンド「キャラバン」のボーカリストだった。
1979年5月、大阪天王寺野外音楽堂「最後の春一番コンサート」で、
「キャラバン」を見た。司会の福岡風太さんが「名古屋から凄いバンドが来ました」
と紹介して、演奏前に爆窒ェ鳴った。
僕は当時、高校生で、名古屋からデンスケ(録音機)を持って、キャラバンの演奏を聴いた。
天之助さんが、最後の曲で、裸足で会場を全速力で駆け抜けて、
再び舞台に到着すると同時に、キャラバンの演奏は終わった。
天之助さんの走る表情、その激しさを目の前で見た。
その時の録音テープが今も残っていて、
何人かの人が貸してほしいと言い、貸した。
僕も何度も聴いた「キャラバン」の音楽。

二年後、僕は星ヶ丘にあった楽器屋に勤めていた。
ギターアンプの修理も受けていた。
キャラバンとガムテープでアンプに貼ってあったから覚えているのですが、
キャラバンのメンバーがアンプをよく持ってきていた。
当時の店長さんがキャラバンのメンバーに親しみを持っていたのを覚えている。

後、名古屋は栄の交差点で天之助さんを見た。
デザイナーズブランドがまだ流行る前、すでに天之助さんは、黒のデザイナーズを着て、頭髪は丸坊主から、モヒカンとテクノカットを混ぜたような髪型になっていた。ジャズ店「ラブリー」の近くだったと思う。

今年の6月、近所のジャズ喫茶(夜は酒場)に初めて寄った際、
マスターに「音楽が好きなの?」と訊かれ、
「好きですけど、ジャズは判りません」
と答えると、
「それでいいんだよ。音楽が好きなら」
と言われた。
そして、名古屋の音楽の話になって、
キャラバンの話になった。
「天之助、よく来るよ。夜、おいでよ、コーヒーもあるから」
とマスターに誘われた。
「キャラバンを知っているお客さんが来た、って天之助に言うと喜ぶよ、きっと」
とマスターは言った。
結局、僕は執筆の関係で行けずじまいになった。

僕は天之助さんと一度も話したことはなかった。
挨拶をする機会も逃した。
ただ僕の手元に残っているのは、
1979年5月の演奏のテープと、
キャラバンの数枚の写真だけ。
昨夜、睡魔と戦いながらテレビでボブマリーを見ているときも、
頭のどこかで天之助さんのことを考えていた。

天之助さんは、かっこよかった。
僕が青春の時に、触発されたアーティストの一人だった。
残念ながら、キャラバンの録音物は世に出ていない。
凄いサウンドなのに、だ。

天之助さん、今日はお昼には34度になるそうです。
キャラバンのテープ、一番暑い時に聴きます。
天王寺で全力疾走した姿を、僕はあなたに見ました。
どうもありがとう。