郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

休みに(1)~目的なく

2011年11月07日 | 日記

 主人と私、毎日が日曜日になってもう何年にもなります。だから、毎日を目標を持って、計画的に、有意義に過ごさせねばならないと思っています。でも、主人は何をしてよいか捉えどころもなく過ごしています。それに対する主人の言い訳は;①
 会社生活への大いなる反発と反省が退職時からずっとある。しかし、考えてもみろよ、一生現役なんて会社人にはありえない。会社のために、24時間365日三十何年間あくせくと働きづめだった。しかし機関車がやっと目的地に着いたら、ご苦労さんの労いもなく古びているので即お払い箱になり、今では解体され鉄くずになる順番を待っている状況だ。もう少し脇に入って冒険もし、寄り道をして置くべきであったが今となっては詮無いことである。当時は寄り道の冒険や休むことが多分怖かった。中途半端な役職になればなるほど現場から離れ、浮いてしまい、不安定になり、よけいに会社にしがみ付き、最終の終着駅が見えていなかったのは確かである。会社人生が目的地になっていて、それ以上先の終着駅が目的地になっていなかったと反省する。
 翻って、目的地を持たない生き方が本当の休み(OFF)ではないか。自由気ままで何のプレッシャーもなく精神的に安定した気持ちで居られる。人はそれを自堕落と呼ぶが、目的もなく、新聞やインターネットで広い世界を知ろうと脇道に入っている。それを今、満喫している。でも、老い(≒呆け)は怖い。だから忘れる以上に知識を吸収しようと心がけてはいる。が、それ以外は雲のように時の流れに身を任せている。迎えが来るまで無為な毎日もまた善しとして生きたい…のだそうだ。


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