郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

百舌(もず)

2011年11月04日 | 日記

 チェチェと百舌がせっかちに舌打ちしたような鳴き方で木や電柱、TVアンテナの高いところに止まって鳴いている。囀(さえず)りと言うより高鳴きと言う方が当っている。あなたは強い鳥だから、そんな鳴き方は見苦しいので止めなさいと言っても、百舌は自分を鼓舞しているのだから止めないと言うでしょう。だれでも今までの習慣や習性を変えられない。変えようと努めることは大きな負担になり、負担が負担を呼び、精神が押し潰され、多分鳴けなくなるだろう。この鳥はこうなんだと認めることも必要になる。こうしたら、ああしたらもっと善いのにと相手のことを思うことがあっても、その鳥が気付くまで待つしかない。そして永久に待つしかない。得てして何事も、どうでも善いと諦めた後に治るものだ。一首作ってみました。「百舌目立つ 舌打ち遠く もみじ狩り」~百舌の舌打ちする高鳴きも、きれいな紅葉の方にわれを忘れて、気にならなくなっている自分が居る~
今日の夕食は、

 

 

 

 

 

 

 

 

◆鯛のあらだき、大根と ◆出し巻き卵 ◆生ハムサラダ ◆焼きなすの味噌汁 ◆ご飯 ◆再度挑戦の南瓜モンブラン

   百舌のことから一悶着ありました。~
 家族にとって家は、どんなに遅くなっても帰って来る場所であり、家族が待っていてくれる場所です。そこには、家族の団欒があり、一日の疲れを癒してくれ、仕合せを実感させてくれる場所です。でも、現実はそうではなかなかありません。けれど、みんなも出来ることなら家をそんな場所にしたいと願っています。幾つかの行き違いが発生してそれが出来ていないのです。
 子は親の持ちものでもないし、夫や妻は部下ではない筈ですが、強者は自分の思い通りに弱者を強制しがちです。子どもの進路についても将来が心配との口実にして親の自己満足のために、子の将来をいい学校、いい会社と勝手に決めるのはどうですかね?。子どもはもっと自由に、自分で自分の道を切り開いていけるバイタリティを持てようにしてあげることの方が大切です。難しいことですが、自分の子をもっと信じてあげてもよいように思います。それに家は会社ではありません。主人も反省していましたが、会社内でも部下は言うことを聞いてくれません。だから、家で妻を部下扱いをして少し鬱憤を晴らしていたのかもしれないと…[逆に言えば、可愛そうに今、家でしか課長面できないんだと思えば気が滅入らなく済むかも…]。夫と妻はパートナー同士です。命令ではなく話し合いが、論理ではなく信頼が基本です。互いに感謝の念を持つことです。どちらが先に行為で示すべきかという損得勘定で量るものでもありません。自己本位にならずサービス精神を発揮して欲しい。そうすれば、家は願っていた空気に入れ替わると思います。わが家では出来るだけ、お互いにお互いを尊重するようにしていきたいと思います。

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