旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ヨセミテの絶景~センチネル・ドームからグレーシャー・ポイントへ

2016-06-16 12:40:41 | アメリカ西部

お天気や交通状況などすべての状況を考慮して、今回はセンチネルドームからグレーシャー・ポイントへ歩くことが出来た。そもそも、トレイルのスタート地点に車を止めて置ける場所が空いていないと歩きはじめられない。

 

こんな歩きはじめ

 

 

もう木の間隠れに、丸い岩山センチネル・ドーム(標高2476m)が見えてきていた。

 

 

頂上に小さく人が立っているのが見える。

 

 

ドームの頂上への登り口は最初ちょっとわかりにくい。一見左にまわり込む道がありそうに見えるのだが、実は右側にまわり込んでしばらくいった場所。こんな看板がある↓

 

 

あそこまでのぼるのはたいへーん!と思ったが、案外行けそうな気がしてきた。ちょっとがんばってみよう。

 

 

ドームに登りかけたところで谷を見おろすと、ヨセミテ滝が見える↓

 

 

頂上は360度の眺望!※拡大してごらんください↓

 

←パノラマ画面右手にネヴァダ滝。中央付近に印象的な形をしたハーフ・ドーム。左手にヨセミテ滝(上の滝と下の滝)

 

頂上はこんな岩場↓

 

 

 

 下りは別のルートでグレーシャー・ポイント(標高2199m)まで降りてゆこう。

 

途中一か所分岐があるが、表示を注意していればだいじょうぶ⇒

 

途中からハーフ・ドームの姿がどんどん大きくなり、迫力が増してくる↓

 

 

グレーシャー・ポイントはセンチネル・ドームよりも標高は低く360度の眺望はないが、絶景度はこちらの方が上ではないかと思う。

 

 

※グレーシャー・ポイントからの眺めについては、こちらからご覧ください。

 

 

 

 

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HUME LAKEの真実

2016-06-15 21:31:18 | アメリカ西部

キングスキャニオン国立公園の真ん中にある小さなレジャー用の湖?
最初はそんなふうにしか見えていなかった↓

湖畔にはレンタルボートも用意されているし





訪れたのは、すでにサマースクールの学生たちでいっぱいのにぎやかな六月半ば。


ここが百年前に、下の写真のような様子だったというのは、写真を見せられ・ちゃんと話を読んではじめて理解できる。


そう、ここは伐採してきた木材を貯蔵しておくための木場だったのである。


もともとここにちょうどよい湖などなかった。世界で初めてのマルチ・アーチ型コンクリートダムを築き、川をせきとめた。上の写真で右端に写っているのがそれ。確かにマルチ・アーチの型がみえる。


昔の写真でその全貌を理解できる

この話を知ってから、自分の目で確かめるべく、レジャー施設からトレイルを歩いていくと、ほんの二十分ほどで、ダムが姿を現した。華やかなステージの舞台裏を見せられた気がした。



1850年第、ゴールドラッシュで人がやってくると、カリフォルニアの山奥にも開発の可能性が模索されるようになっていった。


このエリアのいちばんの資源は豊富な木材。1888年にはサンガーの街に本社を持つ会社が設立され、本格的な伐採がはじまった。この会社はしかし十年後に行き詰まり、より大きな資本家に支援を求めた。


トーマス・HUME(ヒューム)は、もう一人の資本家イラ・ベネットと共に、1905年HUME-BENETTE木材会社を設立。


1908年にはジョン・イーストウッドという人物にダム建設を依頼。彼はたった114日でこのダムを完成させて名声を得た。(その後17もの似たダムを手掛け、ひとつの失敗もなかったそうである)


HUME木場のまわりには労働者のコミュニティが出現し、最盛期には一千人もの人々が住んだ。


●しかし、この投資は予定したほどの利益をうみ続けなかった。施設が本格的に稼働したのは1908-1917年のあいだだけ。1917年に火災が発生し事業はほぼストップした。※同年のアメリカの第一次大戦参戦も影響があったと思われる


1935年に政府に買い取られた際には、エーカーあたり$14.93ドルでしかなかった。


★資本家が利益を得ようと得まいと、森林は伐採されてしまった。国立公園が設置される前にセコイアの巨木は二万五千本が切り倒されてしまったと推定されている。現在我々が見ているセコイアの巨木は凶暴な開発の手をからくも逃れた貴重な存在だったのだ。


★資本家が利益を得ようとえまいと、ダムは残った。HUME湖は1945年に某キリスト教団体の手に渡り、一見裕福そうなアメリカ人キリスト教徒子弟達が、リゾートレイクに集まってくる。



 


 

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コルターヴィル、ゴールドラッシュの残滓

2016-06-06 16:47:59 | アメリカ西部

 

「その樫の木は、後に街の公式『首吊りの木』とされた。」

コルターヴィルの街を離れる車の中で、街で入手した解説を読んでいてぎょっとした。

ついさっき、照りつける太陽を避けて入っていた木陰に、かつては人が吊るされていたのだ↓

カリフォルニア州の片田舎コルータヴィルなど、前日まで知りもしなかった。ヨセミテからサクラメントへ行く途中で、どこかちょっとおもしろそうな街がないかと、地図とにらめっこしていて目に留まったのである。

1848年、最初に金が見つかったのは、この街から北へ十五分ほど行ったサッターの街だった。そして、フォーティーナイナーズと呼ばれる一攫千金を夢見る輩がやってきた。

ジョージ・コルターは1850年にはじめての交易所(トレーディング・ポスト)とホテルを開いた。それが、まさに、この木の後ろに見える「廃墟」だった。そう、「廃墟」だと思ったのだが・・・

ミュージアムという表示を見て、中へ入ってみる。

きれいに整理された中庭の階段を上ると扉があって、おそるおそるドアノブをまわしてみると。

「ようこそ」と明るい声がして、彼女が迎えてくれた。

昔ホテルだったのこの建物、いまは街の歴史が詰まった博物館になっていたのだ。

「どちらから?」と訊ね、うしろの世界地図で出身国にピンを刺してくれるように言った。見ると、日本は東京にひとつピンがあるだけ。広島から来られた方が慎重に場所を見極めてピンを刺した。

**

博物館はコルターヴィルがどんな街なのかを簡潔に理解させてくれる。最初に身一つでやってきた男たちは金属のパン(お皿)で川をさらった。

地表から金がとれなくなると、掘り始めた

やがて資本家がやってきて、鉱脈に沿って大規模な鉱山を動かすようになる。線路をが引かれ、掘り出した石を処理場まで運び始めた。さっき「首吊りの木」の下に置かれていた機関車は、1897年から1904年まで走っていた木炭車「ホイッスル・ビリー」だった。下の写真の線路を走っていたのか↓

上の写真でめずらしいのは、中国人工夫が写っている事。この時代、大陸横断鉄道の建設に駆り出されたたくさんの中国人「苦力(クーリー)」が居た筈なのに、残された多くの記念写真に彼らは写っていない。写っているほとんどは白人。ここ、コルターズビルには今も「チャイナタウン」(というほど大きなものではないようだが)があると言われたが、それだけ中国人の存在感が大きい街だったのだだろう。

人が集まると、交易所やホテルが出来る。ここには十五のホテルがあったのだ。そのはじめのひとつが、今もあの「首吊りの木」の斜め前に営業している↓

「ホテル・ジェフリー」ははじめ、下の写真の様な簡素な掘っ立て小屋みたいな建物だった↓

上階を建て増す時に壁を厚くして↓

その壁はは、今のホテルでもそのまま使われているのだそうだ。

*この唐突な交差点だけが中心のコルターズビルの街に、かつて一万人もの人々が暮らしていたのか・・・。今見えているのはゴールドラッシュの残滓だった。

***

街には「骨董屋」がいくつもあり、そこには中国系の品物が目立った。歴史を知ってみれば、納得⇒ 

さきほどの博物館の裏手には、放棄されてそのままになっているような採掘のあとが残されていた。

コルターヴィルのような街は、ゴールドラッシュの当時たくさんあったのだろう。しかし、それは、見ようと思って見ないと、観光客の目にはなかなか入ってこない。ただ「さびれた街だな」でおわってしまう。縁あって、知ったコルターヴィル。もう一度来ることがあるだろうか。

今日の宿泊は、ゴールドラッシュの結果、カリフォルニアの州都となったサクラメントであります。

 

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ヨセミテ、谷からの眺め

2016-06-05 17:21:53 | アメリカ西部

「トンネル・ビュー」という写真スポットからヨセミテの谷を眺める

さっき、「グレイシャー・ポイント」から間近に見えていたハーフ・ドームが奥の真ん中に印象的な半ドームを見せている。ぐるりとまわりこんで降りてきたことがよくわかる。

左手の聳え立つ岩が「エル・カピタン」世界最大の一枚岩・・・この言葉、他の場所でもきいたような気がします。

上の写真、右手に見えているブライダル・ベールの滝は秋には水量がなくなってこんな風には見えない。

拡大してみると、とてもスレートのような固い岩場を流れ落ちている様子が見えた。

 

この谷間で降りてくれば、一般的なツアーがたくさん行き来している。こんな床ごと動いているような乗合観光バスもあります⇒←レンジャーが一番前に座って、こちらを見ながらガイドしてくれるのです。ヨセミテの谷からだと振り仰ぐような景色が多いから、このスタイルの観光バスはとても有効だ。

ヨテミテ谷で一番古いというチャペルをすぎ⇒ ヨセミテ滝のふもとへ歩いて行こう

三段にそびえたつヨセミテ滝。アッパー・フォールは高さ430m以上。下のロワー・フォールが100m弱。その間をつなぐ200mほどの急な渓流をカスケード滝と呼ぶ↓

近づけば、いちばん下の滝しか見えなくなる↓

 国立公園ゲートから出て近くにあるホテルにチェックイン。

公園外なればこそ、ちゃんとしたレストランがある。お肉、おいしかった カリフォルニアの白ワインと共に 絶景の暑い一日が暮れてゆきます

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ヨセミテ、グレーシャー・ポイントからの超絶景

2016-06-04 10:21:46 | アメリカ西部

しばし、あっけにとられるほどの絶景だった。以前、一般的なツアーでヨセミテを訪れた時には来られなかった場所。しかし、ヨセミテへの観光的評価をぐぐっとあげる、「超」の付く絶景が見渡せる場所。車でも季節を選んで時間をちゃんととっていれば、楽にアクセスできる。

サンフランシスコからの日帰りのヨセミテツアーでは時間が足りなくて訪れる事ができない「グレーシャー・ポイント」。五月はじめまではクローズしている。さらに、車が多くなってくると、入場規制をしてシャトルバスでなければ入れなくしてしまう場所。

今日もLA側から国立公園へ入りしばらく行ってスキー場のある場所で一時別ルートに誘導された。一般車はここでストップされ、シャトルバスに乗り換えさせられていた。シャトルバス待ちのこの行列はちとたいへん⇒ 幸い我々は「コマーシャル(商業用)」車両という事で、それなりに公園入場料も支払っているので、そのまま自分たちの車でドライブすることができた。

「グレーシャー・ポイント」に着く直前まで、その風景は見えない。とつぜん右手に・・・

下のパノラマ写真、是非拡大してごらんください↓

豪快な滝の音は千メートル以上上まで轟いている。

ハーフ・ドームの上にも人が登っているのが、高性能な望遠鏡で見えた↓

滝の横のトレイルにも行列が↓

そして、滝ぎりぎりにも人影が見える。日本じゃぁ、ここまで入れさせてはくれないだろう。

一般的なヨセミテツアーで訪れるヨセミテ・ヴァレーにも向かいます。

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