旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

サンタフェ近郊

2015-10-11 07:53:08 | アメリカ西部

サンタフェ連泊の中日。今日も青空にアドベ(日干し煉瓦)の壁が美しい

 

 

 

サンタフェの北二時間ほどのところにある世界遺産タオス・プエブロを目指す。

 

が、駐車場に着くなり、「きのう村で不幸があって、今日はクローズなんだ」と告げられる。そう、ここは、推定一千年前からある日干し煉瓦の村に人々が住み続けている村が世界遺産なのであります。我々はまた明日朝来るチャンスあります(^^)

それでは・・・きのうヒルトンホテルのコンセルジュが教えてくれた「リオ・グランデにかかるサスペンション・ブリッジ」に行ってみる。「サスペンション・ブリッジ」って、吊り橋ですよね。どぉんな吊り橋が残っているのか楽しみに行ったのだけれど・・・見えてきたのは巨大なこんな橋全長3030㎞におよぶ、大河の流れがはるか下に。確かに絶景なんですが、吊り橋を見たかった小松はちとひょうしぬけ

 

次に向かったのは●チマヨの「奇跡の砂」が湧き出す教会北米のルルドと呼ばれることもある

 

1810年の聖金曜日の夜、ドン・ベルナルド・アベイタは地中から光がさしているのを見つける。掘ると、そこから十字架があらわれた。その場所の砂は病気を癒す効果があると噂になり、人々が求めてやってくるようになった。1815年には現在の教会が建設され、今では年間30万人という巡礼が訪れる場所になっている。

 

砂は、教会の主祭壇から左奥にある小さな部屋から「湧き出してくる」そうな。 いや、取っても取っても減らないなんてありえませんよね?よく読んでみると、持ってきた砂を「お浄め」して入れているのだそうだ。

 

一説によると、先住民の時代からここには温泉が湧き出していて、その効力がしられていたとか・・・

 

後ろから見た教会の全体 巡礼の像 屋外では訪れたいろいろなグループが集会を行っている。 

 

サンタフェに戻る途中のインディアン・カジノでバッフェの昼食。先住民居住区では、彼らの経済的自立のために、カジノを営むことが認められている例が多く、サンタフェからタオスの間だけでも町ごとにカジノをみかけた。ここは「キャメルロック」カジノ

 

**

 

サンタフェのホテルに戻りしばし休憩。午後四時、閉館の一時間前にジョージア・オキーフ美術館を訪れるニューヨークで生活していた彼女は、ニューメキシコの風景に魅せられて移住し、サンタフェから二時間ほどの荒野にある家で後半生をおくったのだ。

 

アドべ風な平屋の建物はこぢんまりとして十部屋程度しかない。ごく、シンプルな空間だが、展示はよく考えられている。こんなオブジェも後ろの窓からの光でより生き生きと見せてくれている入ってすぐの部屋でずっと上映されている、彼女の生涯を12分で俯瞰できるビデオはわかりやすい。

 

旧市街の北にある●十字架の丘こちらに書きました

日が傾いてくる午後七時。日曜日はレストランも閉まっていることろが多い。しばらく探してビルの二階にあるピッツェリアが予約できた。テラスの席に案内されると 風もなく、快適なこのひと時に感謝です

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ロズウェルUFO博物館を経由してサンタフェへ

2015-10-10 01:55:02 | アメリカ西部

《手造の旅》ニューメキシコ州 三日目

「なんっっにも、ないところを延々走ります」とは、下見にきていただいドライバーのYさんの言葉。

カールスバットからサンタフェまで、長距離ドライブ、たしかに360℃地平線が広がるり、時折平たく広がった町がある。きのう通った★アルテシアにさしかかると小規模な油田がたくさん見えてくる。

 

この町の名前は、Artesian aquifer=自噴という言葉からきている。つまり「自然に湧き出した」という意味。街は1903年に創立ということだから、この時湧き出したのは石油ではなくて水だろう。農業に適した場所ということで人々が住み始めたのか。たしかにピスタチオの森林なども見えて、ゆたかな土地に見える。 石油の発見でもっと発展?駅の近くには石油精製所

 

**畑の真ん中にこんなものが見えてきた。ロズウェルが近い。

 

 

ロズウェル事件は1947年に起きた「円盤墜落」事故とされる⇒こちらネット辞典で概要がわかります

ガソリンスタンドにも いたるところに、いわゆる宇宙人。博物館の駐車場のすぐ横にあるメキシカンレストランの壁にはこんな宇宙人半世紀前の宇宙人のイメージは、こんなものだったのだろう。しかし、これって・・・⇒

博物館フロアは一階だけで、それほど広くない。こんな事が起きて?こんな生物が登場し 今もアメリカのどこかにこんな風に保存されている? ●この場所は事の真偽をうんぬん言う場所ではない。こういう論争が行われてきたという記憶を確認する場所なのだと思う。 

いや・・・図書館とリサーチセンターには大量の資料が整然と整理されているし、真剣に事実解明に取り組む人たちはいるこの博物館が存在し続けていられるという事自体が、アメリカという国の懐の深さをあらわしているように思えた。

****

ふたたび「なんっっにもない道を延々」走ってゆく巨大なこの物体は?休憩したカフェでいっしょになったの。横から全体を見ると、それがなにかわかりやすい⇒そう、風力発電の羽の一枚だったのであります。 このあたりはかつての「ルート66」の一部にあたる。レトロな雰囲気の建物も多い。こんなデザインも・・・失礼しました

***午後三時過ぎ、サンタフェの町に入ってきた。ここは標高2100メートルほど。夏でも比較的過ごしやすい場所。徒歩で楽しめる旧市街の中心は1610年につくられた、アメリカでも最も古い創立の町のひとつだとされている。中心はプラザと呼ばれる広場と、もちろん教会⇒カトリック、イタリアのアッシジ発祥のフランチェスコ派に属する。

小さな川の南にある最古の教会はサン・ミゲル・ミッション教会という↴

町の創立1610年というのはつまり、この教会が建設された時を指している。

1598年、はじめての西洋人として、スペイン人ドン・ファン・デ・オニャーテが南のいわば「オールド・スペイン」からやってきた。二百五十人のスペイン人は兵士だけでなく入植する女子供も含んでいた。七百名の先住民部族も一緒だったとされる。

オニャーテは半世紀前の修道士マルコス・デ・ニサが語った伝説の黄金都市シボラ=その後フランチェスコ・デ・イバラが探検し「ヌエボ・メヒコ=ニュー・メキシコ」と名付けた場所を、実際に領土としてスペインのものと宣言する役割をもっていたといえるだろう。

オニャーテが選んだいくつかの土地のひとつは、この旅で最初に訪れたエル・パソ近郊のサン・エリザリオになる。

サンタフェと名付けられ、この教会がたてられた場所にも、それ以前から人は住んでいた。考古学的調査によって、ここには西暦1200年ごろからの先住民のKIVA(聖域)が確認されている。※サン・ミゲル教会の案内冊子より

日干し煉瓦が青空に美しい。が、これはつい数年前に修復されて昔の姿をとりもどしたのだつい半世紀前には昔の面影はほとんどなかった。2010年から行われた徹底的な修復がどのようなものだったのか、⇒公式ホームページの動画でよく理解できます

内部にの壁もきれいに塗られているが、一部に17世紀からの壁が見られるようにしてある

**

午後四時過ぎ、旧市街のホテルにチェックイン。ヒルトン・ヒストリック・ディストリクトは最初の入植者の邸宅跡に建てられたので、そのオルティツ家紋章をトレードマークにしているレセプション・ロビーも中庭のプールを囲む回廊も雰囲気がある

少し早い時間だが夕食へ。ホテルから紹介されたリオ・チャマというレストランは、先ほどのサン・ミゲル教会のすぐ近くだった。予約しておいたので、ちょうど十人で囲める丸テーブルの個室を用意していてくれた 担当のウェイトレスさんのおすすめはフォンデューだという。アメリカでフォンデュー?と思わないわけでもなかったが、あまりお勧めされるので試してみると・・・クリーミーで日本人の口にもよくあう。パンだけでなく酸っぱめの青りんごもこうしてつけていただきます。これはまた食べたい

19時過ぎ、ホテルまでは歩いて二十分ほど。アメリカでこうして旧市街を歩いてホテルに帰ることができるなんて珍しい

 

 

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驚異のカールスバット洞窟

2015-10-09 21:32:16 | アメリカ西部
《手造の旅》ニューメキシコ 三日目。
ニューメキシコの荒野の地下に、こんな世界がひろがっていようとは!

いままでたくさんの鍾乳洞を見てきたが、ここまで巨大なスケールで見学可能で、これだけ美しい洞窟ははじめてだった

**先ずは、午前中の行動**


 きのう見学したホワイトサンズ国定公園近くのアラモゴードを朝八時前に出発。標高二千五百メートルを超えるリンカーン森林公園の峠では雪でも降りそうな雲

そこを超えて、さらに東へ、なにもない平原を延々と走る

アルテシアの街で休憩。アメリカらしい巨大なスーパー

日本ではあまり見かけないブリトーの皮を購入。
これをフライパンでちょっとこがして、野菜とハムとチーズを巻く簡単な朝食を日本でよくつくるので(^^) 
アルテシアの街周辺にはたくさんの小規模な油田がみられる

※このあたりは明日も通ります。


**午前十一時半過ぎ、カールスバット国立公園ビジターセンターに到着

13時半の「キングスパレス・ツアー」に申し込んでいる。
簡単にランチを食べてから地下に向かう。
★5ドルの日本語イヤフォンシステムを借りたが、これはとても有効だった。

エレベーターで簡単にも行けるのだが、どうせならば最初にここが発見された「ナチュラルケーブ」の入口を下って行こう。そのために余裕をもって到着したのだ。

ビジターセンターを一度出て三分ほど。
※上の写真で向こうに見える建物は1930年代不況時代に雇用対策として造られたリサーチセンター。

 この道を延々と下ってゆく。良く整備されてはいるがけっこう急坂。
見上げると
地上からの光が届かなくなってもどんどん道は続く。
四十五分以上下り続けて、地下の案内所ランチルームへ到着。
※名前通り軽食が食べられる場所だけれど、たいしたものはない。
ビジターセンターで食べておく方が良い。
ここから別予約のコースの多くがスタートする

ヘルメットにライトをつけて這って進むようなコースもあるが、
我々の予約した「キングスパレス・ツアー」は楽に歩けるコース

レンジャーと一緒でないと入れないエリアを一時間半程度歩く。


制限区域に入ってすぐに、これまでの場所より格段美しい部屋があらわれた。


「1898年、16歳のジム・ホワイト君は、荒野に立ちのぼる黒い煙を見つけて、その発生元を探ろうと歩いていった。それが煙ではなく何万というコウモリで、彼らが飛び出してくる穴を見つけ、さらに探検しようと思ったのでした。」

「手造りの松明を持って、真っ暗な洞窟の奥へ奥へと進んだ少年が見たのは、予想もしない、こんな世界でした」


というような話をしてくれるレンジャー。次の写真のつばの広い帽子の人物。


突然すべての照明が消されると真の闇・・・二度と出られない恐怖。 ジム君はこんな場所に何十回も入って探検した。百年前ならいつ消えてもおかしくないランタンぐらいしかなかっただろう。


照明が半分透き通って赤くなった岩が美しい

いろいろな映画やテレビドラマも撮影された場所である

約一時間半、レンジャーとの「キングスパレス・ツアー」
英語ツアーではあっても、ここを訪れたら是非参加したい内容だった。


**先ほどの地下案内所「ランチルーム」に戻り、一般エリアの「ビッグ・ルーム」をめぐる。
こちら予約なしで自分で歩ける。
ところどころに番号札があって、借りておいた日本語イヤフォンで案内を聴ける。


見上げるような石筍やとてつもなく大きな鍾乳石、みとれて歩いているうち、あっという間の一時間。


★水の流れ地上にアスファルトの駐車場が出来、ビジターセンターが出来たことによって、沁み込んでゆく水の量が確実に減った。※イヤフォンガイドの話より★ビジターセンターの冷房には、当初地下洞窟からのエレベーターの穴を開けはなして、登ってくる冷気を利用していたのだが、地下の水位が蒸発によって下がり始めたのが観測され、あわててガラスの回転扉をつけて、密閉したそうな。これがそのエレベーター回転扉


それにしても、巨大な洞窟。総延長は現在発見されているだけで160㎞ということだが、そういう学術的な数字は我々にはあまり意味がない。観光で訪れて見学できる場所がこれだけ巨大ですべてが整備されているということに驚かされる。


最初のナチュラル・エントランスから地下のインフォメーションまでが一時間弱。そこから「キングスパレス・ツアー」が一時間半、ビックルームをさらに一時間。合計で三時間半は地下を歩いたことになる。これを飽きさせない展開だというがスゴイ。


エレベーターを上がってすぐのところで、イヤフォンを返却


ふつうの洞窟ツアーならこれで終了だが、カールスバットでなければ見られないアトラクションは、実はこれからだ。日暮の十五分前にはじまるコウモリの飛翔は、ここを訪れたら絶対見ておきたいと思っていた。


今日の日暮は18時半ごろ、レンジャーの話は17時45分からはじまるという。一時間ほど休憩・・・でもビジターセンターは17時にはクローズ。


コウモリは、先ほど我々が下りていった「ナチュラルケーブ」から飛び出してくる。入口に向かって、ギリシャの半円形劇場の様な客席が用意されている。だんだんと夕方の気配になってくる。コウモリがこの穴に住んでいるのは五月下旬から十月下旬。冬にはメキシコの方へ移動してしまう。


★今回の旅を企画するにあたり、どうしてもこのコウモリ飛翔の見学が可能な時期にしたかった。しかし、夏は暑すぎるニューメキシコ、きのう訪れたホワイトサンズなどは夏場に歩く気にはなれないだろう。また六月では日暮が遅くなりすぎて、コウモリの飛翔やサンセット・ストロールまで待つのが辛い・・・ということで十月のはじめに設定したのであります。



五時半になって、レンジャーのお話しがはじまる。コウモリは電子機器がキライだということで、携帯電話は必ずOFF。写真撮影もキビシク禁止申し渡される。


三十分ほど質疑をしながら、レンジャーの方は時々穴の方を伺ってる。と、突然マイクを閉まったと思ったら、穴から黒い塊が旋回しながら浮上してきた。客席はレンジャーの注意通りにしーんと見守る。


コウモリが上がってくると、それまで周囲を飛んでいたイワツバメは道をゆずる。客席の上はだんだんとコウモリの旋回でいっぱいになってくる。パシパシという小さな音がたくさん重なって聴こえてくる。コウモリの翼がこすれている音なのだ。


飛び出してくる数は、日によって違う。大雨で飛び出せない日が続くと、次に晴れた日にはお腹を減らしたコウモリがどっとくり出すのだとか。 今日は夏場の最盛期よりは少ないのだろうが、それにしてもすごい数。


二十分ほど続くと、ほとんど突然に、コウモリの塊はなくなった。彼らは夜中虫など食べ物をハンティングして、また夜明け前にいっせいに巣穴にもどってゆくのだそうだ。


**我々も見学を終えて暮れた山道を降りてゆく。今晩は三十分ほど離れたカールスバットの街に泊まる。

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ホワイトサンズ国定公園

2015-10-08 20:48:05 | アメリカ東部

《手造の旅》ニューメキシコ二日目

ついにやってきました!ホワイトサンズ国定公園

夢見た白い石膏の砂丘が目の前に広がる深い蒼色の空に、どんな絵描きでも再現できない美しい雲がながれてゆく。

**メキシコと国境を接するエル・パソの街から北へ二時間。「午後から雨」という天気予報を心配しながら向かった。途中で一度フロントグラスに雨粒があたり心配したが、ビジターセンターに到着するとこの空の青日干し煉瓦の赤茶色と白い砂は、青空の背景によってより引き立てられる。

ゲートを入ってしばらくドライブすると、道路は白砂の中にはいっていくこの石膏の砂丘は奄美大島と同じぐらいのスケールでひろがっているが、国定公園として我々が入っていけるのは北部のごく一部にかぎられている。※なぜなのかは後述

車で走れるのは12.8㎞の「デューンズ・ドライブ」のみ。その途中に四か所ほどのトレイルの入口がある。

歩きはじめる前は、「ざらざら崩れて歩きづらいだろうし、砂は熱いんだろうな」と思っていた。

とぉころが、おそるおそる裸足になってみると全然ちがう。砂は適度に締まって、足はめりこまない。ひんやり冷たく気持ち良い。ここは裸足で歩こう!砂の質は砂漠によってこんなに違うのか二日前に大雨だったので、水を多く含んだ場所は足の裏からすぐに分かる。今日はたまたまなのだろう、ちょうど良く固く、気持ち良いコンディションになっていたのだった。幸運に感謝。

●トレイルといっても砂山の中。道がはっきりあるわけではなく、ぽつんぽつんとこんな杭が打ち込んであるだけ。次の杭を見つけて追ってゆくトレイルである今日は風も無く、見渡すと「次の杭」をすぐに見つけられたが、砂が舞う日は自分の来た道を見失いかねないだろう。

美しさにつられて、どんどん奥へ迷い込んで遭難、あり得ます。

三か所歩いたうちの一か所だけ、こんなボードウォークになっているここは15分ぐらいで往復できる程度の距離。

★足元をさっと走るものを発見!そヤツが隠れた草に近寄って目を凝らす。見えますか?⇒ぢっと…自分の身体の白さをまわりに溶け込ませている。カメラをゆっくり近づけて 正面からもこんにちわ名前はブリーチド・イヤーレス・リザード=漂白耳無しトカゲ。みんなに囲まれてうごけません

少し雲が多くなってきた夕方

●夕暮れに行われる「サンセット・ストロール」に参加した。レンジャーの方の自然や動植物についての説明を聴きながら、少し散歩。手渡してくれたこの岩石が白い砂の素なのだそうだ

砂にしっかり根を張って水分を抱えた植物そこに食い込んで生きのびている小さな動物や昆虫や蛇。多くは陽射しのない夜に活動する。そうだろう、今日の様な10月の気持ち良い日でも、しばらく歩くと汗ばんで喉が渇くのだから、夏場の昼間にはとんでもない暑さにちがいない。

陽が傾いて影が長くなってくる

風紋もくっきりうつくしく遠くの岩山が赤く染まってゆく

**ホワイトサンズ国定公園のある白い砂漠の側は、ミサイルの発射実験が行われる場所。来る途中にこんな看板がたくさんあった⇒「あなたはホワイトサンズミサイル実験場に入ってきています」※実際に行われる時には通行止めになる道路の一角だということ。 「ミサイルギフトショップへどうぞ」とも書かれている。そんなのが併設されているんですね。

★かつて、世界で初めての核実験が行われた場所は、この国定公園から南に広がる立ち入り禁止の場所。それは1945年7月16日。つまり、広島に原爆を投下する三週間前のことだった。

七十年後の今、日本の自衛隊が毎年ミサイル実験に訪れている。⇒※こちらにもう少し書きます

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メキシコとの国境の街、エル・パソ

2015-10-07 19:58:57 | アメリカ東部

エル・パソの南東に位置する「ミッション・トレイル」の教会をめぐって、街へもどる。左手に続くフェンスの向こうはメキシコ。

リオ・グランデが国境を流れる川なのだが、「流れ」などほとんど見えない。要塞の掘を見ているようである。サーチライトが照らして警戒している。アメリカへの不法入国を止めるのはこんな壁や掘を建設しても簡単ではない。

両国の国境は3100㎞以上。エルパソとメキシコ領シウダド・ファレスの街の両人口をあわせると二百万人以上。巨大な国境都市圏を形成している。

国境を見晴らせる山にロープウェイがあるので行ってみようと思った。住宅街の突き当りに入口ところが・・・残念!クローズ。 振り返ってメキシコ方向を見る

**ダウンタウンど真ん中のホテルにチェックイン。時間はまだ五時前だが、早い夕食にした

部屋に入ると、さっき登ろうとしたフランクリン山が夕日を浴びてうつくしい。おや、虹が

夜中に目が覚めて再び山を見ると、斜面になにやら光の形がある。斜めなので見にくいが、よくみると★のかたちをしている・・・そうか、これは「テキサス・ローンスター」だ。テキサス州はlone (single) star stateと呼ばれている。かつて独立国だったこともあり、他の州とは違う「孤高のひとつ星」だと胸をはっている。州の旗にあるあの白い星をイメージしているのである

***

翌朝、朝9時に出発。ホテルがダウンタウンど真ん中にあるので歩いて観光。

道を渡ってすぐのところが歴史博物館だ、行ってみましょ!表のフェンスも街の記憶がこれは、きのう訪れたミッション教会か。ひろ~い展示室は二階建て。※この地方は平屋の建物がほとんどなので、ダウンタウンのビルというのが珍しく見えてくるのです(笑) 一階は全部が手造りウェスタンブーツの展示だった。これはギネスブック登録の世界最大のものだそうな

二階にはかつて盛んだった銅山の展示 綿花産業も 鉄道は1881年に開通し、南北と東西の重要な交差点となっている。 エル・パソがどういう町なのか、概観させてくれる場所だった。

***さらに道を渡る。このあたりはかつての歓楽街だったのか、古びた劇場のサインがそのまま大事に使われている

★エル・パソ美術館は予想を超えて(失礼)、たいへん充実した展示が楽しめる入ってすぐには現代アート

二階にはこの町ゆかりの資産家★クレス氏が集めたヨーロッパ絵画上質な作品が揃っていて、収集家の意識の高さが感じられる。特にあげれるとすれば、ボッティチェリ ヴァン・ダイクこの二作は必見。

調べてみると、三千点に及ぶコレクションが寄贈され、今でも財団が活動している。※こちらから、展示品すべてのカタログを見ることができます。

 美術館の近年の入手で、目玉になっているもののひとつが、シャガールの「緑のバイオリニスト」。二階の特別室で展示されていたおもしろかったのは、この作品にちなんだ入口受付の横にあったこの等身大パネル。左でバイオリンを弾いているのは、シャガールさん本人じゃありませんか※右は地元出身のアーティストで、2001年に亡くなったトム・レア。地元の美術館に自分のセクションを設けてもらっているわけか。

★この美術館、ちょっとした掘り出しモノ。 地元の子供たちが校外学習にやってくるだけではもったいない場所であった。

 

***きのう行けなかったフランクリン山の一角へあがってみることにするマッケリゴン・キャニオン・ロードを上ってゆくと、州立公園に到着車では行き止まりだが、ここからトレイルがいくつか尾根に続いていた。下りてきた人から情報収集。「こぉんな大きなタランチュラがいたわよ。写真見る?」と、携帯で撮った写真を見せてくれた

 

 

タランチュラはけっこうです(笑)、さぁ、晴れているうちにホワイトサンズ国定公園へ急ごう!

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